ロリータ・コンプレックス   作:茶々

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第十一Q 止めた方がいいよ

引き受けたからにはしっかりとこなす。

頼まれた以上は全力でそれに応える。

 

生来の苦労人気質というか、世話人的体質の昂はそんな自分の性格を度々面倒に思いながらも、結局はいつもそれらを乗り越えてきた。

その辺りを上手く利用されたんだろうなぁ、と思いながら、目の前に律儀に正座しながら自分の話を聞いてくれる智花と共に作戦を練っていた。

 

竹中と真帆をどうやって仲直りさせるか。

 

こうした問題に真っ先に取り組まねばならない筈の担任から直々に丸投げされた以上、自分が動かなければどうしようもない。

和菓子を齧りながら「にゃふふ」と笑みを零す叔母の姿を脳裏に思い浮かべて、昂はため息を洩らした。

 

「ふぇっ!?だ、駄目でしたか……?」

「えっ?……ああいや、違うって!これは駄目だとかそういうんじゃなくて」

 

紗季や真帆が見たら喜色を浮かべながら騒ぎ出し、進や夏陽が帰ってきたら「この二人何やってんだ?」と首を傾げるであろう程に近づいて考え込んでいる事に当人達は全く気づかず、あれでもないこれでもないと悩んだ挙句、二人は幾つかのプランを打ちたてた。

 

題して『真帆と竹中 仲直り大作戦!』

 

 

 

―――結果から言うと、二人があれこれ考え抜いて打ちたてたプランは時に夏陽と真帆の喧嘩っ早さに、時に智花が自らぶち壊し、時に事情を全く鑑みないというか理解していない進やひなたの悪意なき言動によって悉く潰されてしまい、合宿終盤の夜になっても二人に進展は全くなかった。

 

「中々上手くいかないなぁ……」

 

薄暗い廊下に立って昂がぼやく。

智花を除く女バス及び夏陽と進は現在厨房に籠ってカレーを作っており、除かれたというか昂によって連れだされた智花は昂と共にため息混じりに顔を俯かせた。

 

「あの二人、以前は仲が良かったそうなんです。真帆がバスケ始めてから急に仲が悪くなったって、紗季が首を傾げてました」

「って事は……真帆がバスケをやる事自体が、竹中にとっては癇に障るって事?」

 

昂は疑問符を浮かべながらここ数日間の二人を思い起こした。

ゲームをやっている時や食事をしている時はそれ程険悪な雰囲気を醸している気はしない。むしろ仲のいい友達の様に息があっていた光景も何度もあった。

だが、ことバスケとなると途端に二人の間に亀裂が奔る。真帆も夏陽もさっぱりしているというか、後にズルズル引きずる様なタイプではない事が幸いだったのかもしれない。

 

流石に合宿所に帰ってまであんな空気で居られては、こっちの方が困ってしまう。主に愛莉辺りが怯えて。

 

「……原因は私なのかもしれません」

 

そんな事を考えていた昂は、消え入りそうな声で呟いた智花の言葉への反応が一瞬遅れた。

 

「真帆が私の為にバスケ部を作ってくれたから……」

 

罪悪感に押しつぶされてしまいそうな程に小さく、か細い華奢な体躯。

バスケをしている時はあんなにも力強く、頼もしく周囲を勇気づける事が出来ても、そんな鎧を剥いでしまえばただの小さな女の子でしかない。

 

そんな子供が、態々自分で自分を責めて重荷を背負う事なんてない。

 

「―――とぅ」

「わひゃぅっ!?」

 

暗闇から唐突に伸びて自分の頬に触れた人肌の温かさ――昂の掌――に、吃驚した様に智花が声を上げた。

 

「関係ない、そんなの。智花には、何も関係ない。喧嘩はあくまで二人の問題だよ?」

 

慈しむ様に、いとおしむ様にして智花の柔らかな頬を昂の指がそっと奔る。男の自分では想像も出来ない様な手入れのなされているであろう肌は最上級のシルクの様にきめ細かく、それでいて今にも溶けてしまいそうな程にゆるやかで、温かくて。

 

昂はそっと智花を撫でた。その重荷を紐解く様に。

智花はそっと目を閉じた。この瞬間が永遠に続く事を祈って。

 

小さな呼吸の音だけが静寂の闇の中に静かに響く。一分か、二分か、或いは十秒も経っていなかったかもしれない二人だけの世界は、

 

「―――何やってんの?」

 

その世界の全てを嫌悪し侮蔑し、ありとあらゆる要素の全てを否定するかの様な刺々しい声音と鋭い眼光によって唐突に打ち崩された。

 

 

 

「み、水崎……?」

 

声の主は進だった。

だが夕刻に飼育小屋の方に赴いて兎に餌やりをしていた時に見せていたのんびりとした空気は微塵もなく、昼間に智花と1on1で真剣勝負を繰り広げていた時の様に鋭く、相対した何者をも威圧する様な雰囲気を放ちながらその双眸を昂に向け、智花に向け、

 

「……三沢と夏陽がまた喧嘩始めて、永塚がさっさとコーチ呼んでこいっていうから来たんだけど」

 

先程より幾分か鋭さの増した眼光で再び昂を睨んだ。

 

「アンタさぁ、湊と付き合ってる訳?」

「ふぇっ!?ち、違うよ!?わ、私と昂さんはまだそんな仲じゃなくてああでもいつかはそうなりたいなーと思ってたりもしたりしなかったり、じゃ、じゃなくてっ!違うからっ!それは誤解だからね!?」

「そ、そうだぞ水崎!第一智花はまだ小学生で……ッ!」

 

言いかけて、進の眼光の奥に潜んだ感情に昂は射抜かれた。

 

そこにあるのは明確な敵意。嫉妬だとか羨望だとか、そういった余計な感情の一切が介在しない、相手の絶対的な否定。

その者の存在の全てを嫌悪し、侮蔑し、軽蔑し、否定するかのような色を浮かべた双眸が真っ直ぐに昂を睨みつけ、その遥か深奥に潜んだ『怯え』にも似た感情が僅かに滲んでいる事を昂は見逃さなかった。

 

と、そんな事を考えている間に全く動けなくなっていた昂をまるで初めからいなかったかのように無視して進は智花の手を握った。

 

「行くよ湊」

「ふぇっ!?え、ちょ、あの……っ!」

 

何か言おうとしているけどそれを言う程の暇も与えない速度でずんずんと歩き出した進に連れられる様にして智花はたたらを踏みながらも何とか転ばない様に歩き、助けを求める様な視線を暗闇の中に確かに存在する昂に向ける。

しかし昂は力なく伸ばしかけた手を虚空に彷徨わせたまま動けず、やがて廊下を曲がって二人の姿が消えた頃になって漸くその手をダラリと下ろした。

 

「……何やってんだよ、俺」

 

非常灯の灯りが僅かに灯る廊下に立ちつくして、昂は嘲笑にも似た表情のまま上を向いて呆れた様に呟いた。

 

 

 

廊下を何度か曲がって玄関近くまで連れてこられた智花は、痛みを訴える暇も与えられずひたすら歩き続けた連行主―――進に困惑と非難が七対三くらいの割合で混ざった色を浮かべてその背中を見た。

 

ぐいぐいと自分の腕を引っ張る力は強く、しっかりと握られた腕にはその力強さを象徴するかのような圧迫感と温かさと、相応の痛みが伝わってくる。

 

「ちょ、水崎君……っ!痛い……っ」

 

遠慮を知らない足音に掻き消されてしまいそうな程に小さな智花の声は、しかししっかりと進の鼓膜を揺らしたのか不意にその歩みを止めさせ、我に帰らせたかのように腕の拘束を弱めた。

 

だが以前、腕はしっかりと握られたままでその拘束を解くには多少の力が必要な様だ。

智花がその拘束を解こうと小さく息を吸ったその瞬間を狙い澄ましたかのように、

 

「……湊」

 

普段より幾分か冷たい印象を受ける声音で進がポツリと呟いた。

 

「な、何?」

「―――止めた方がいいよ」

 

振り返り、自分を射抜いた進の双眸に智花は一瞬呼吸を奪われた。

 

「自分の人生も相手の人生も、何もかもを背負える覚悟もないのに『そういう』関係になっても、結局お互いに傷つくだけ傷ついて何も残らない。いい思い出なんてあったって、人は生きていけないんだよ」

 

寂しさを、虚しさを秘めた瞳が僅かに揺れて、

 

「湊にはまだ将来がある。その可能性を、高々一回二回の『過ち』で全部台無しにされちゃうなんて可哀そうすぎるよ。だからあのコーチとは、止めた方がいい」

「な、何を言って……」

「―――無知なままで、純粋なままでいられる湊がうらやましいよ」

 

口元に歪な笑みを湛えながら、進の双眸が智花を捉えて離さない。

 

「昨日まで友達だった奴に白い目で見られた事がある?隣近所に住んでいるだけで嘲笑われて、侮蔑の視線で見られた事がある?知りもしない奴に指差されて笑われた事は?教科書やノートに家族の事を犯罪者呼ばわりする落書きをされた事は?ないよね、在る訳がない。だって湊はずっと無知で無垢で純粋で、生まれた時からずっと選ばれた勝ち組で、俺みたいな成り上がりの凡人とは生まれも育ちもかけ離れているんだから」

 

進の瞳から色が失せる。

ハイライトを失くした双眸が虚ろに揺らめいて、ゆるりと弧を描いた口元が智花には不気味に映った。

 

「けど仕方ないんだよ。侮蔑も侮辱も軽蔑も嫌悪も否定も、全部俺が受け止めなくちゃいけないんだ。だって俺の所為で俺も俺の家族もみんなそれまでの幸せを失くしちゃったんだから、俺が家族みんなを不幸にしちゃったんだから俺が侮蔑されて侮辱されて軽蔑されて嫌悪されて否定されなくちゃいけない。殴られても蹴られても罵られても、俺はその全部を受け止めて背負わなくちゃいけないんだ。そうやって自分がそれまで頑張ってきた事も全部、ぜーんぶ否定されて穢されなくちゃいけない。だってそれは全部、俺の所為なんだもん」

 

進は嗤っていた。

薄暗く、外に虫の鳴き声が僅かに響く廊下に立ちつくす様にして、目から幾筋もの涙を零しながら、嘲笑っていた。

 

「けど、湊は違う。俺とは違う。無知で無垢で純粋で、生まれた時から勝ち組な湊には将来がある。大好きなバスケだってそれ以外の道だって、自分で好きな未来を選べる無限の可能性が、湊にはあるんだよ?」

 

「だから」と一拍置いて、

 

「―――湊は、湊だけは俺の様にならないで」

 

凛然とした声音で、静かにそう告げた。

 


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