ロリータ・コンプレックス   作:茶々

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第十Q 待てよ夏陽

 

―――事の起こりは何だっただろうか、と思い起こしてまず真っ先に思い浮かぶのは、担任の何が面白いのかよくわからないのにとりあえずいつもニコニコと猫っぽい笑顔を湛えたまま告げられた一言である。

 

「水崎。アンタと竹中、バスケにエントリーしたから」

「……はい?」

 

昼休み終了間際、いつもの様に特にする事もなくぼんやりと過ごして教室へ戻ろうと廊下を歩いていると後ろからぽんと肩を叩かれ、振り返ってみればそこには美星が「にゃふふ」と笑みを湛えながら先述した一言を告げてきたのである。

 

「いやー悪い悪い。うっかり間違えてエントリーしちゃったんだけどさ……やっぱサッカーの方がいいか?」

「…………いえ、別に構いませんが」

 

と、ふと視線を自身の腕に落としながら進が口ごもった。

怪我が開くと不味いから一応安静に、と医者から言われてはいるが、別に荷物を持ったり走ったりしても痛みがそれ程激しい訳でもないのだから別にいいんじゃないかと考え、しかし一応手を使う球技は避けた方がいいかなーという思考が四割と、夏陽がサッカーにエントリーしていたからじゃあ俺もそこでいいかなという考えが六割で選んだ競技だから特に固執するつもりはない。

 

ないのだが、だからといって「はい、分かりました」とあっさりバスケが出来るかと問われれば…………まぁ所詮お遊戯会とどっこいどっこいの低レベルな争いなんだからそこまで真剣にやる必要も、真剣にならざるを得ない程に白熱出来る様な相手もいないのだから構わないか。

 

智花や夏陽が相手だったとしたら、どうなるかは分かったものではないが。

 

「そ?じゃあ良かった。あ、あと竹中にはもう言ったんだけどさ、バスケ参加者は全員今度の合宿に出来る限り参加して貰う事になってるから」

「……随分と大仰ですね」

「まま、そーいいなさんなって。男バスだって今月末には地区大会が始まるだろ?それに備えて主力のアンタと竹中の調整もしとかないといけないし」

 

そういうのって男バスの顧問がするもんじゃないのか、と思ったが、よくよく考えてみたら顧問の顔がよく思い出せないし、そもそも名前なんだったっけ、と進は小首を傾げた。

もう少し考えれば、あの対抗試合以来個人的な基本的なフットワークと体力づくり以外バスケに触れていないし男バスの練習にも参加していない事が思いだせるのだが、それよりも早くチャイムが五時間目の予鈴を校舎に響かせた。

 

「んじゃ、そーいう事だから、合宿サボるなよ?」

「はい」

 

 

 

そう答えたのが、ほんの数日ほど前。

着替えなどを纏めた荷物を持って合宿所――といっても体育館と学園に附設されている宿泊所を併用しただけではあるのだが――へと夏陽と共に向かい、肩慣らしがてら1on1を始めたのが確か十数分ほど前だったか。

気がついたら汗を垂らして結構調子を上げ、肩慣らしはどこいったと云わんばかりに本気状態(マジモード)で攻防を繰り返し、そろそろ腕がちょっとだけ痛んできた気がするから一旦休憩を挟みたいなぁと思った辺りでここ最近になって漸く聞き慣れてきた勝気な声音が進の鼓膜を震わせた。

 

「な、夏陽ッ!」

「水崎君も……!?」

 

唐突な闖入者―――いや、彼女達の側からしてみればむしろ此方が闖入者か。予想だにしていなかったであろう人物の登場に困惑気味の女バスの面々をチラリと見、次いで夏陽に視線を向けた進だったが、

 

「―――ッ!?」

 

まるで女バスなど空気であるかのように気にしたそぶりも見せず、そんだけ汗を垂らしておきながら何処からそんな速度が出せるんだと疑いたくなる程に素早くドリブルで切り込んできた夏陽の猛攻を捌く。

 

キュキキキッ!ガッ!バシッ!

 

一瞬近づいたボールを即座に弾き、どちらともなくふぅと息が洩れた。

何やら随分と目つきが鋭くなった夏陽の表情に疑問符を浮かべていると、ツカツカと音を立てながら真帆が怒鳴った。

 

「何でお前がいるんだよっ!?」

「うるせぇ、お前には関係ねぇよ」

「何ぃっ!?」

 

まるで相手にせず黙々とタオルで汗を拭く夏陽と、それに詰め寄って尚も怒鳴る真帆。

二人の姿を眺めていた進は、ふと思い出した様に女バスの方を見やった。

 

「コーチは?」

「えっ!?あ、えと……」

「今紗季が呼びに行ったけど……」

「おー、水崎」

 

相変わらずマイペースなひなたにはあえて触れず、何故かビクリと身体を震わせた愛莉を怪訝に思いながらも、智花の答えを聞いてもう一度二人を見る。

 

「何だよっ!?」

「何だぁっ!?」

 

……二人が睨みあう少し先の壁に置かれた自分のタオルと水をどうやって取ろうかと思索を巡らせてみるが、どう考えても上手くいかなそうな現実にため息が洩れた。

 

 

 

 

 

「どういう事だよ?」

 

体育館を半面ずつ割り振る様にして練習をする子供達を見やりながら、呆れの混じった声音で昂は問うた。

 

『あぁ悪い、言っとくの忘れてた。合宿参加者二名追加、竹中夏陽、水崎進……以上』

 

電話越しに全く悪びれのない声音で美星が返すと、昂は顔を顰めて口を開く。

 

「水崎は怪我人だろ?」

『本人が別に大丈夫って言ってたし、男バスは今月末に試合もあるからねぇ。あんまりなまらせておくのも不味いだろうし、いい機会だったから』

「……竹中と真帆が喧嘩してるって事は?知ってたんだろ」

『―――あいつさ、断らなかったんだよ』

 

え、と昂が言葉に詰まった。

 

『竹中に、間違えてバスケにエントリーしちゃったんだけどそれでも構わないか?って聞いたんだよ。そしたら別に構わないって……合宿の参加も嫌がってる感じじゃないし』

「嫌がってない?だってあいつ真帆に……」

『よーするに、真帆との諍いなんかよりも、本心ではバスケの方が大事なんだよ。私はそれを選ばせてやっただけ』

「……試したってのか?相変わらずいい性格してるよ」

 

受話器の向こうで猫の様な笑い声が洩れる。それに耳を傾けながらも、昂は館内のもう一人の男子―――進を視界に収めた。

 

「水崎は?まさか智花の練習相手とか、真帆と竹中の仲介役に選んだとかいうんじゃないだろうな」

『まさか。そんな小手先染みた事、私がすると思うか?』

「思わん」

 

即答かよ、とやや非難めいた声が聞こえた気がしたが、昂はまた1on1を始めた二人の方を見た。

 

両者共にその動きは小学生離れしているが、特に傑出しているのは進だ。

ドリブルやステップといった基本的な動作一つとってもミスがない。全ての動きが次に繋がり、シュートへと結びつく。小手先のフェイントや力押しのパワープレイとは全くかけ離れた、純粋に基礎を昇華させたプレイスタイル。

それに応えるだけの骨格が出来ていない事や年相応の体力面でやや不完全さは否めないが、逆にあの年であれ程の技術を身に付けた実力は大したものだと云える。

一対一の場面における練習なら、自分よりもむしろ同年代の彼の方が智花の相手としては相応しいのではないだろうか。

 

頭の中でいくつかの練習パターンを構築していると、美星の声がスッと耳に入って来た。

 

『水崎をそっちにやったのはさ、友達作りの第一歩ってところかな?』

「友達作り?」

『そ。アイツさ、休み時間は一人で過ごすし昼飯も一人で食べる。割り振られた仕事は要領よく片づけるからいいんだけど集団作業みたいな事を全くしないからねぇ。担任としてはそろそろ周囲に馴染んで欲しい訳よ』

「それこそ担任の出番じゃないのかよ」

『バーカ。友達ってのはなる・なられるの上下関係じゃ絶対になり立たないんだよ。自分で作れる様にならなきゃ本当の意味での友達とは呼べないんだよ』

「……まさかとは思うが、真帆と竹中の問題も自分達で解決させる為に丸投げした訳じゃねぇよな」

 

一瞬間があって、

 

『……にゃはっ』

「図星かよっ!?」

 

 

 

 

 

犬猿の仲、という言葉がある。

顔を突き合わせただけですぐ喧嘩に発展する程険悪な仲を指して言う言葉だが、恐らくこれ程分かりやすいお手本も早々ないだろうなぁと考えながら、スポーツドリンクを呷りつつ目の前の光景を眺めていた。

 

「すばるん!そんなバカほっといていいってっ!」

「黙れアホ真帆っ!」

「もっぺん言ってみろこの野郎ぉっ!」

 

口を開けば罵り合い。

ちょっと近づけば取っ組み合い。

 

白熱すれば何時ぞやの様に色んな物体が空中を右往左往する事態に陥る大合戦。

 

この二人、実は前世で何かあったんじゃないかと、別に神を信仰している訳でもないのに進はふと輪廻転生という言葉を思い起こしていた。

 

「真帆と何があったんだよ?」

「別に何もねぇよ。アイツとは絶交ってだけだ」

「嫌ならとっとと帰れバカ野郎ぉっ!」

「るっせバーカッ!」

 

目の前の昂と喋るかコートの向こう側の真帆と喋るかどっちかに絞ればいいのに、と実にどうでもいい事を考えながら進は体育館の出入り口へと向かう。

 

「―――だからそういう事だっての!」

 

と、声を荒げた夏陽の声にふと立ち止まって振り返った。

見れば昂を睨みつける様にして夏陽が怒鳴り、次いで女バスの方を見て視線を一層強めた。

 

「例え湊がいたって、俺や水崎がでなきゃあいつら6-Dには勝てねぇだろうが」

「ざけんなっ!夏陽なんかいなくたって勝てるもんっ!」

 

真帆の言葉に、しかし全く反応を見せず夏陽は進の立ち止まる出入り口へと向かって挑発的に鼻を鳴らして歩く。

 

「行こうぜ水崎」

 

誘う言葉をかけておきながら待つ素振りも見せず外履きに履き換えて夏陽は走りだそうとする。が、

 

「待てよ夏陽」

 

後ろから聞こえてきた言葉に鬱蒼しそうに顔を歪めながら振り向いた。

 

「何だよ?」

「今から球技大会のレギュラー決めだ」

 

「あぁ?」とこいつ正気かとでも言いたげな夏陽の声と、「えぇ?」とやや驚いた様子の昂の声の両方が一瞬聞こえたが、直ぐに真帆の声にかき消される。

 

「お前とアタシで、勝った方がレギュラーだ。喧嘩は駄目でも、バスケでタイマンならすばるんだって文句ねぇしっ!」

 

握り拳を作って今か今かと試合開始のゴングを待つチャンピオンマッチの挑戦者の様な面持ちの真帆に、しかし酷く冷めた様子で夏陽はポツリと、

 

「……お前のバスケなんて見る価値ねぇよ」

 

呟いて、勝ち逃げの様にさっさと走りだした。

その背中を追いかけようとして怒鳴る真帆を、智花とひなたの二人が抑え込み、後ろの方で昂と紗季がため息を洩らす中、結局待って貰えなかったというか若干空気みたいに存在が忘れられている気がした進は気持ちを共有してくれそうな愛莉の方を向いた。

 

「……じゃ、俺も走ってくるから」

「え、あ……うん」

 

やはり何だか自分に怯えている様な雰囲気の愛莉に告げて、進は真帆達とすれ違う様にして夏陽の元に向かおうとする。

 

と、慌てた様にして昂が口を開いた。

 

「あっ、水崎」

「……はい?」

「いや、その……合宿、頑張ろうな」

「……別に球技大会はどうでもいいんですけど、まぁ月末には地区大会も始まりますし、調整代わりに有意義に利用させて貰いますよ」

「んだとぉっ!?」

 

藪をつついた覚えもないのに蛇が出てきたか。

怒りに声を荒げる真帆を見て咄嗟にそんな事を考えた進はさっさと階段を跳び下りると、既に姿の見えない夏陽に追いつく為に少しだけ早いペースでランニングを始める。

 

その背中が消えるのを眺めながら、どうしてどいつもこいつも挑発的な言葉しか出さないんだろうなぁと昂は頭を抱えた。

 

 

 

 

 

 

合宿において体育館が使用出来る時間が限られている以上、ボールに触れている時間もその中に縛られる。

しかして普段の生活と違い門限云々で時間が縛られない夕方や夜の時間帯にこうして基礎練習が出来るのであれば、この合宿に参加した価値はそれなりにあったのだろうかと進はシャトルランを繰り返しながら考えた。

 

夏陽は裏山の神社に自前のゴールを作っておりそこに練習へと向かったが、昼間の1on1を主な原因とする腕の痛みの所為で進はそちらへの参加を丁重に断り、こうして体力づくり――というよりは以前の体力や感覚を取り戻す特訓――を繰り返していた。

 

『次は俺達が勝って、全国に行くんだ!』

 

夏陽がああ言って、自分がその熱にあてられた以上これまでの様に怠けている訳にはいかない。

自身にとって最大の禁忌に近いものであっても、もう一度ボールを手に取る必要があるのだ。

 

―――そうやって自分に何度も言い聞かせる様にして、まるで呪詛の様に自分自身に絡みつけて縛りつけて、逃げ出さない様にする為に思い込ませる。

 

『水崎はバスケ、嫌い?』

 

ひなたの言葉が頭を過る。

 

好きとか嫌いとか、そんな単純で簡単な感情でバスケをやっていたのはいつまでだっただろうか。

勝ちに固執して、しがみ付いて、拘り続けて。好きとか嫌いとか、そうした事を考える事自体を放棄していた。

 

「ふぅ……」

 

汗を拭い、ふと満天に星が輝く夜空を見上げてみた。

そう言えば夜中にこうして練習するのは何時以来だっただろうかと思い―――蘇った記憶に映った光景に、思わず顔を歪めた。

 

「……ッ」

 

それは幸せだった頃の記憶。

まだ『好き』とか『嫌い』とか、そんな単純な感情で色んな事を捉えられていた事の思い出。

 

『ほら進、もうちょいだ。頑張れ』

『うんっ!』

 

兄と一緒に練習に励んだ、そんな夏の夜の思い出だった。

 


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