ロリータ・コンプレックス   作:茶々

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にじファン閉鎖に伴い移転してきました。
既に完結済みではありますが、七月いっぱいかけて移転作業を完了したいと思います。


プロローグ

 

 

 

―――バスケットボールがフローリングに弾む音が、やたら大きく響いた。

 

 

 

開け放たれた部屋から一陣の風の様に鼻孔を擽る臭いと、防音完備であるが故に外部の音による干渉を遮断し続けてきた空間からつんざく様に響く嬌声が、今目の前に広がる光景が夢や幻の様な空想上の嘘ではなく、紛う事無き真実である事を雄弁に告げる。

徐々に力を失い、やがて床を転がり始めたボールはそのまま駆けあがってきた階段を転げ落ち、盛大に何か陶器の様なモノを粉砕する音を響かせて姿を消した。その轟音に、漸くといったタイミングで入口の方を見やった部屋の主とそれに連れられた少女は、しかし先程まで浮かべていた恍惚とした表情を蒼白に染め上げる。

 

憾むべきは年不相応に成熟した知識を生半に覚えてしまっていた少年の知性か、或いは禁忌でありながらその背徳の果実に酔いしれてしまった二人の行動か。その空間に理性は存在せず、快楽すらも失せてしまった世界に残ったのはただ恐怖と拒絶。

 

 

全てが止まっていたかの様な世界に、下階から響いた女性の声が再び時計の針を進める、と同時に少年は弾かれた様に駆けだし、転げ落ちる様に階段を下り、逃げる様にして家を飛び出した。普段から朝夕の走り込みと兄弟で鍛えてきた脚力の賜物か、陸上部もかくやと言わんばかりの速度で駆け出した少年の背が完全に家から見えなくなった頃になって漸く自分達の姿を思い起こした青年と少女は、しかしバタバタと音を立てて階段を上がってくる女性が自分達を視界に収めた瞬間に響いた絶叫に、世界の終わりの音を聞いた。

 

 

 

下校際、昼間の快晴が嘘であったかのように曇り出した空からは何時の間にか大粒の雨が大地に降り注ぎ始め、春先にその可憐な花弁で優美な空間を生み出す木々に容赦なく打ちつける。唐突な大雨に人々があちらこちらに蜘蛛の子を散らす様に雨宿りする場所を求めて走る中、少年は当ても無く我武者羅に走りながら、やがて行きつけのバスケットコートへと自然と辿りついた。

 

 

荒々しく乱れる息も気にせず、天から降りしきる雨に打たれる身体を気遣う事もなく、少年はフェンスの金網をこれでもかと力を込めて握り締めた。

錆ついた金属の奏でる不愉快な不協和音が、コートに打ちつける雨が鳴らす拒絶の合唱が、全てが今感じている世界が、あの時視界に映ってしまった光景が現実で、真実で、事実である事を何よりもハッキリと自覚させる。

 

 

 

いっそ、夢であって欲しかった。

幻であれば、どれ程楽だっただろうか。

 

砕け散った理想が現実に押しつぶされ、真実という重圧に何もかもが消えてなくなりそうになる。

あの行為が何を意味するのか、それがどういう意図で行われたのか。そんな事は何一つ分からないし理解も出来ない。

 

 

 

ただ一つ、少年は分かっていた。

 

 

 

だからこそ少年は泣きじゃくった。大粒の涙を零し、豪雨の中に消えてしまいそうな程にか細い声で、全てを押し殺してただ泣いた。

 

 

 

 

 

春新しく、希望に芽吹く四月の季節外れの大雨に見舞われた、その日。

少年は、絶望と出会った。

 


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