「さて。では改めて、これはどういう状況なのか教えてもらおうか?」
その幼い容姿に似合わない妖艶さで、こちらに向けて笑いかける彼女。
微笑むというよりも口を歪めるといった表現が近いものではあるが、ボクの体が子供のそれであるからか、手を出す様子は見られない。尤も、いつまでも黙っていたらその限りではないだろうけど。
「…………………………」
しかし、それでもボクは口を開くことができなかった。
手記に書かれていたとはいえ、本当に封印されていたという驚愕。
例え別の世界とはいえ、繋がりをもつ存在に出会えたという安堵。
それらの要因もなくはないが、それを上回る感情は……
「どうした? パクパクと金魚のように。いい加減答えてほしいんだが……」
「ふっ、服を着てくださーいっ!??」
……素っ裸で、しかも手で隠しもしないその肢体を見たことによる、恥ずかしさだった。
「……ほぅ? 私のこの貧相な体に興味があるのか? ませているな、少年?
残念だが、服は見当たらないようだ。ほら、役得と思ってじっくりと見たらどう——」
「なら取ってきまーーーすっ!!」
笑みをサディスティックなものに変えて近寄ってくる彼女から、瞬動もつかって一気に離脱する。
あの顔は絶対、弄ってやろうってやつだ! 捕まったら何されるかわからない!
なんとか捕まらずに自分の部屋にたどり着いて、クローゼットの中から一つのダンボール箱を取り出す。この中には、女の子向けの服が詰まっているのだ。
女の子のいないこの家で、これらを着たのはボクだった。なんでも、お母さん曰く「せっかく似合うんだから、着なくちゃ損よ」とのことらしい。なんでボクの周りの女性は、こうもボクを女装させたがるんだろう。
恥ずかしい過去と少しの寂しさを思い出しながら、離れに向かって再び走り出す。
そして数十秒後。離れに戻ったボクの目に飛び込んできたのは、部屋の奥の紙山に四つん這いになって目を落とす、彼女の後ろ姿だった。当然、柔らかそうなお尻も丸見えだった。
「〜〜っ!?? エ、エヴァンジェリンさん!! 服を取ってきましたーーっ!!」
「ん?ああ。それでお前、これなんだが……」
「ボ、ボクは外で待ってますね!!」
見ちゃいけない部分が見えそうで慌てて目を逸らしながら、近寄って箱を渡して、そのまま部屋を飛び出した。
……そういえば、あの時顔に乗ってたのって、おしりと……煩悩退散!煩悩退散!! ……でも、柔らかかったな……
「……おい、もういいぞ」
「……はっ!は、はいっ!!」
恐る恐る扉から覗き込むと、きちんと服を着ていてくれた。
桜柄の着物を上に着て、それだけでは丈が足りなかったのか下にスカートを穿いている。数年前にボクが着た時にミニ丈だったんだから、仕方がないかな。
「中々いい生地を使ってるな、気に入ったぞ」
「あ、ありがとうございます……?」
「で、本題だ。貴様は一体何者だ?」
それまでの上機嫌な様子から一変、ボクに鋭い視線を向ける彼女。その瞳には、先程までの慈悲の色が見られなかった。
「さっきまでは、偶々巻き込まれただけのただのガキだと思っていた。
だが、それにしては妙な点が多すぎる。例えばこれだ」
そう言って、一枚の紙を拾い上げる。それは、ボクが解読した、彼女の存在が書かれた部分だった。
「まず、お前みたいなガキがこのレベルの暗号を解読できている時点でおかしい。私も見たが、ノーヒントなら一国の暗号解読班が数年かかってようやく分かるレベルのものだ。子供が、しかもたった数回で完璧に解けるものじゃない。
そして、私の
そうなると、と言って、彼女はこちらを睨みつける。
「そうなるとだ。貴様は私の封印を"わざと"解いたとしか思えん。なんの目的があったかは知らんが、何かしらの理由があって、
「……いいえ。その通りです」
伊達に何百年もの月日を生きていないということだろう。まさか、この僅かなヒントからそこまで分かるなんて。
「……貴様、人間じゃないな? ちょっと手を貸せ!」
「え?あ、ちょっと待ってください!」
突然腕を引っ張られ、バランスを崩す。慌てて踏ん張ったけど、自分の手がすべすべとした手に包まれているのが分かり、少し顔が赤くなる。
けど、それも一瞬のこと。その小さな手から微弱な魔力が流れ込んできているのに気がつき、何をしようとしているのか理解した。ソナーのように、魔力の反響で相手がどんな存在であるのか把握しようとしているのだ。
もちろん、それは誰にでもできることじゃない。ボクにやれと言われてもできないだろう。魔力の感受性とか、帰ってきた魔力から構造を再構成する構成力とか、そこから消去法で見分けられる経験とか、恐らく、エヴァンジェリンさんだからこそできる芸当だ。
「……これ、は……まさか、貴様!」
「はい。
「…………」
絶句。あまりの衝撃に動きが固まり、驚愕の表情で静止している。
無理もない。自分しか使い手がいないと思っていた技術を、封印されて何年も経った先で、年端もいかないように見える子供が使っていたのだ。しかも、それによって人から堕ちてまで。
自分でも同じようになると思うし、何もおかしいところはない。
「……貴様、一体幾つだ……?」
「戸籍上は、10歳です」
「10……たった10!? 一体お前の人生に何があった!??」
肩を掴み、激しく揺さぶる彼女。その顔には、激しい怒りが張り付いている。
きっと、自分の過去を思い出しているのだろう。10歳にして、真祖の吸血鬼に"させられた"、かつての自分を。
しかし、それは間違いだ。ボクは、自分から『堕ちた』のだから。
「……最近までは、特に何もありませんでしたよ。
お父さんがいて、お母さんがいて。普通の人として、普通の幸せを過ごしていました」
「……最近までは?」
「はい。つい四日前、テロで二人が死にました。テロっていうのはテロリズムの略で……」
「政治的な虐殺行為、だろう? それぐらいは知っている。伊達にフランス革命に巻き込まれてはいない。
それにしても……そうか。両親を」
その瞳には、同情の色が込められていた。
……やっぱり、彼女を呼び出したのは間違いじゃなかった。ボクの知っている、悪でありながらも心優しいエヴァンジェリンさんだ。
「そこで、犯人への怒りから
そして今日、二人との思い出が詰まったこの家に一人でいることに耐えられなくなって、封印を解いてエヴァンジェリンさんを呼び出しました」
「……なるほど。状況は分かった。
しかし、三つばかり解せんことがある。暗号を解けるだけの学力はどこで手に入れた? なぜ悪評ばかりの私を呼び出そうと思った? そして、貴様はどこで
やはりそれが気になるのか、ボクに続きを促す。
ボクも隠すつもりはないし、むしろ共有して欲しかった。この世界に来てから一人で抱え込んできた、大切な思い出を。
「ボクには、前世の記憶があります」
「前世の?」
「はい。……いえ、正確には『前の世界の』ですけど、ほとんど前世って言ってもいいと思います。
その世界でボクは、英雄と呼ばれている存在でした」
その言葉に、ピクリと反応する。自分とは違う、光の世界の住民だと思っているのか、表情が暗くなっていく。
しかし、それは違う。ボクは貴女と同じで、闇を抱いて進んだモノなんだから。
「生まれは、イギリスの小さな村でした。山奥にある魔法使いの隠れ里で、従姉に面倒を見てもらいながら過ごしてました」
「両親はいなかったのか?」
「はい。物心ついたときにはもう。
一つだけ、自分の父親が世界を救った英雄だったってことは、村のみんなに教えてもらってました」
「ふん。どこにでもいるとは言わないが、別に珍しくともなんともない話だな。それで?」
「……ボクが三歳のとき、村が魔族の大群に襲われて、壊滅しました」
「なっ!?」
今でも鮮明に思い出せる。
燃え盛る村、跋扈する異形の悪魔、石になった村人。ボクの原点とも言えるあの光景は、きっといつまでも忘れないだろう。
だけど。あの夜に得たものは、それだけじゃなかった。
「後でわかったことですけど、ボクの母親はボクが産まれる前に処刑されたことになっていた亡国の女王だったらしくて。ボクが生きているという事実を消すために、とある国が送り込んできた刺客だったんです」
「……貴様はそのとき、物心ついたばかりのガキだったんだろう? どうやって生き延びた?」
「父さんが助けてくれたんです」
「何? だが、貴様の父親は死んでいたんじゃないのか?」
「いえ、ボクの生まれた年に行方不明になってましたけど、死亡が確認されてたわけじゃなかったんです。
そのとき初めて会ったし、事情があってほんの少しの間だけだったけど、自分の父親だとすぐに分かりました。ボクの想像していた
そう。だから本当に憧れたんだ。必死になって、子供らしさを置き去りにするほどに。
「その後は、ネカネお姉ちゃん、さっき話した従姉なんですけど、お姉ちゃんが通っていた魔法学院にお世話になって、お父さんに再会することを目標に必死に勉強しました」
「……なるほど。なかなか壮絶な人生だが、まだ途中だな。英雄と呼ばれる何かをしでかしたんだろう?」
「はい。きっかけは、魔法学院を卒業したあと、修行として日本の教師になることになったことです。そうして、ボクは日本にやってきて、ある女子校に赴任しました」
「女子校?」
「なんでも、魔法使いが設立したとかで。そこの校長と魔法学院の校長が知り合いっていうこともあってそこになったとか聞きました。結果的にはそれでよかったんですけど」
そう。もしそうでなければ、きっとボクは途中で挫折していただろう。彼女たちに出会ったからこそ、ボクは英雄と呼ばれるまでになれたんだ。
「そこでボクは、かけがえない仲間を得られました。当時はみんな中学生だったけど、みんながみんな、一芸に秀でた人たちだったんです。
そして夏休み。父さんの手がかりを求めてみんなと一緒に旅立った先で、父さんの敵だった世界滅亡を目論む組織の計画に巻き込まれて、平和な世界に戻るためにみんなと協力して世界を救ったんです」
「……正直、ただの学生にそこまでの力があるとは思えんが」
「あったんですよ。みんな、一癖も二癖もあるけど、素晴らしい人たちでした。
気配を消させたら一級の幽霊、魔法銃使いのエージェント、騒動の中心だけど腕の立つ情報屋、魔法騎士にして魔法探偵、心優しいナース、力持ちの水泳家、姉御肌のチアリーダー、
みんな、立派なボクの仲間です」
一人として思い出せないことのない、ボクの大切な生徒だ。誰がなんと言おうとも、ボクは胸を張って彼女たちを自慢できる。
「……チアリーダーが何回か出てきたり、人間の限界を突破した奴がいたりしたが、それはともかくとして。
それは本当に全員学生か? 何人か人ですらないやつも混じってたが」
「はい。あ、卒業した後の話も混じってますけど。
それに、貴女もその一員だったんですよ」
「…………はぁっ!?」
今度こそ、明らかな驚愕の表情でこちらを見るエヴァンジェリンさん。ああ、久しぶりに見たなぁ、その顔。
「ど、どういうことだっ!?」
「なんでも、父さんに
「な、なんだそのふざけた魔法はっ!? その世界の私は何をやっている!??」
頭を抱えて座り込むエヴァンジェリンさん。……落とし穴に落とされて、その中にあったニンニクとネギに混乱していたうちに封印されたって言ったら、どうなるんだろう?
「それに、向こうの貴女は父さんのことが好きだったらしむぐっ!?」
「おい! それはどういうことだ!? なぜ私がそんな奴に惚れなくてはならん!??」
ガクンガクンと揺さぶられて、世界が回る。こ、このままだと何か出ちゃう〜〜!??
「き、吸血鬼として怖れなくて興味を持って、知らぬ間に……って言ってました!」
「な、な、なんだ、と……!?」
それがトドメだったのか、フラフラと数歩後退し、ペタンと座り込んだ。
「あ、あのー……?」
「ふ、ふふ、この私が、
「あー……しばらく戻ってきそうにないかなぁ」
こうなると長いんだよなぁ。プライドが高い分、折れると立て直すのに時間がかかるというか、なんというか。
……なら、先にあっちをどうにかしようかな。
「そういう訳ですし、入ってきたらどうです?」
「……いつから気づいていたんですか?」
扉に視線を向ける。そこから入ってきたのは、お父さんと同じくらいの、サングラスをかけた男性だった。
あの人は……確かお葬式に来てた。確か名前は……
「『ボクには前世の記憶があります』辺りからですよ、
「初めからですか……。いや、前世で英雄だというのならそれも当然ですね。
初めまして、ではないですが、こうして話すのは初めてですかな? 師族会議
「敬語はいいですよ。『こっちの世界』では年下なんですし」
それに、なんか胡散臭い。
「……そうか。ならそうさせてもらおう」
「それで。なぜ十師族の一角、それも七草家の御当主がここに?」
「君の今後について話をしようとこちらへ向かっていたところ、尋常じゃないサイオン流を感知したのでな。何事かと思い、不躾ながら屋敷に侵入させてもらった次第だ」
「……成る程」
やっぱり、ボクに自由意志はないらしい。こうしてかつての師と再会しても、これからどうなるかは十師族が決めるのか。
「勘違いして貰いたくないのは、君の今後については、君の意思を第一に優先させてもらうことだ」
「……え?」
「このまま春原家として存続したいのなら、七草家が後見人となってこのまま維持させよう。
もし家族が恋しいのなら、養子縁組を受諾する家を探すことになる。もちろん、七草家も立候補させてもらうが、どこにするのかは君が選んでいい。現代魔法でも、古式魔法でも、一般人でも、君の好きなところに行くといい」
「で、でもそれじゃあ、魔法師としては損失ですよね?」
「構わない。確かに緊急の師族会議では無理やり取り込むべきだという意見もあったが、最終的に全て私に一任された。その私がいいと言ったのだから、どうなろうと責任はすべて私が持つ」
どうして、という感情しかない。それじゃあ、七草さんには損失しかないのだから。
「……信じられないという顔だな。まあ、無理もあるまい。
そうだな、これを見てくれないか」
「これって……お父さん?」
差し出してきた端末に写っていたのは、高校生ぐらいのお父さんと、同い年ぐらいの男性の写真だった。同級生だろうか。
そこで、あることに気がついた。お父さんが腕を回している人、眼帯をしていて雰囲気が違うけど、七草さんに似ている……?
「もしかして……」
「ああ。孝道とは魔法科高校の同級生だった。私の、無二の親友と言ってもいい」
七草さんは、本当に懐かしそうに写真を見る。その表情が、嘘を言っているのではないと告げていた。
「高校に入った当時、私は荒れていてな。周りに怒りをぶつけては発散して。今考えると、本当に馬鹿なことをしていたものだ。
周りも七草家の直系ということで遠巻きに見るだけの中、唯一近づいてきてぶん殴った男がいたのだ。そいつが……」
「お父さん、ですか?」
「ああ。私の行動はただの八つ当たりだと。後ろばかり見るからそんなことをしているんだと怒鳴られた。
私も当時は若かったのでな。事実を指摘され逆上して、決闘をしろと叩きつけたのだ。
本当は、それで怖気付くと思ったんだがな。なにせ、私はその年の首席で一科、あいつは古式魔法が使えなくて魔法科高校に来たと有名な二科の落ちこぼれ。勝負になるはずがないと、誰もが思った。あいつ一人を除いてな」
七草さんは苦笑して、話を続ける。
「結果は、私の勝利だった。ただ、誰もが予想した圧勝ではなく、追い詰められた末の、ギリギリの辛勝だった。あいつは身体強化魔法一つで、十師族の次期当主に噛り付いたのだ。
それからというもの、あいつはことあるごとに私に楯突いて、私に間違ってると言い続けた。そんなことを一年近くも続けられたんだ。私も自分を省みるようになり、荒れていた心も落ち着きを取り戻せた。
そんなある日、あいつは、孤立していた私に、『友達にならないか?』などと言ってきたのだ。わざわざ私のクラスに乗り込んで来て、注目を集めた中でだぞ? 馬鹿だと思うだろう?
たが、嬉しかったのは事実だ。七草家の一員としてではなく、ただ一人の人間として見てきたのは、あいつが初めてだったからな。
それから、私たちは親友になった。私が最も仲のいい友人を挙げるとしたら、迷いなくあいつを挙げたぐらいにはな」
「そう、だったんですか……」
「そんなあいつが遺した君を守るのは、友人として私がするべき役目。ここに来たのも、師族会議が一席、七草家当主としてではなく、ただの春原孝道の友人、七草弘一としてだ。
君が気にする必要などない。これは、ついぞ返すことが出来なかった、あいつに対する感謝の思いを返しているだけなのだから」
「…………」
七草さんの話を聞いて、ボクはこの家を残したいと思った。
それだけ自慢できる父親がいたのだと。その父が愛した家を今は自分が守っているのだと。そう、胸を張って生きていたい。
だから……
「……ひとつだけ、お願いがあります」
「何かな?」
「ここにいる彼女と、この家で一緒に過ごすことを認めて欲しいんです」
「……普通なら共に過ごせないだけの理由がある、ということか」
「はい。
この人の名前は、エヴァンジェリン・A・K・マクダウェル。かつてその悪名を轟かせた、吸血鬼の真祖です」
「なっ!? エヴァンジェリン・A・K・マクダウェル!?
その反応は、すごく当然だ。
手記によると、ボクの知る彼女とは多少の違いはあっても、最強の魔法使いと恐れられるだけの実力はあったらしい。なら、今一国の国防の一端を握る彼が知っていても、何もおかしくはない。
「ボクは前の世界で、向こうの世界の彼女に師事していました。その人柄は知っているし、この世界でもそれは変わらないことは、さっきの会話で分かりました。
それに、封印も完全に解けているわけではないんです。まだ4分の3が、手出しできない状況で残っています。下手に手を出したら、辺り一帯が吹き飛ぶ爆弾付きで」
「「なっ!?」」
これには驚いたのか、七草さんだけでなくエヴァンジェリンさんも声を上げる。落ち着いてきたのは分かってたけど、やっぱり聞いてたか。
「彼女のポリシーの一つは、女子供は殺さない、です。いくら自分が自由になるためとはいえ、無差別に大量の被害者を出すような人ではありません。
それに、封印の核の部分が解けたとはいえ、まだほとんどが残っている以上、彼女が出歩ける範囲はそこまで広くないと思います。それなら、ウチで一緒に過ごしていきたいんです」
「……分かった。あいつが育てた君を信じ、その条件を飲もう。彼女の戸籍も、適当なものを用意させる」
「ありがとうございます」
「ただし、こちらからも一つだけ条件をつけさせてくれ」
そう言うと、弘一さんはボクの頭に手を置いた。
「私のことを、父親代わりと思って頼ってくれ。親友の息子なら、我が子も同然なのだ。
我が家の家庭環境は良くはないが、年の近い娘が3人いる。きっと、寂しい思いはさせないはずだ。偶に顔を見せるだけでもいい」
「……わかりました。何かあったら頼らせてもらいます」
「前世の記憶があるのなら、何かあることは少ないかもしれないがな。
それにしても、今日は良い返事が貰えてなによりだ。
では、そろそろ私は失礼するよ。彼女とも、話すことがあるのだろう?」
七草さんはエヴァンジェリンさんに視線を向けると、くしゃりと軽く撫でて、扉から出て行った。
残されたのは、ボクとエヴァンジェリンさん。なんとも言えない雰囲気が漂い、ジャリジャリと石を踏む音が聞こえなくなると、数秒の間シンと静まり返った。
「…………おい」
「はい」
「お前の言うことも理解した。確かに、それが一番合理的なやり方だろう。
だが、それはお前の都合だ。私に、一体何のメリットがある?」
そう告げた彼女の目は真剣で、嘘をつくことを許さなかった。
だからボクは、正直に告げる。『泥にまみれても、前に進み続ける者であれ』。かつて教わったその教えの通りに、自分の恥も、醜さも、全てを受け入れて曝け出した。
「ありません。これは全部、ボクの都合です。封印の問題とエヴァンジェリンさんのポリシーを盾に、この家に縛りつけようとしているだけです」
「……だろうな。いや、封印したこと自体はお前の責任ではなくあの優男の責任だが、それを支払うのは子孫であるお前の役目だ。
そして、自由に出歩けないというデメリットは、衣食住を保障されたぐらいでは相殺できやしない。それは、最低限果たすべき贖罪だ。
なら、お前が私に出来ることは何だ? 私がここにいることで、貴様は私に何を与えられる?」
ボクが彼女に出来ること。魔法の腕も、人生経験も、全てが上回っている彼女に、劣っているボクがあげられるもの。
たぶん、それはたった一つだけだ。
「貴女が受け入れてくれるのであれば、永遠の
……きっと、本当のところは、自分が孤独を感じたくないがために、共に永遠を生きられる人を得たいだけです。
それでも、ボクが与えられるのはこれしかありません。これだけが、ボクが貴女にできることです。
だから、ボクと一緒に永遠を生きてくれますか?」
……? なんで顔を真っ赤にしてるんだ?
「なっ、なっ、ななななな何を言っている貴様!? プ、プ、プロポーズかっ!?」
「……えっ?」
「天然かっ!!」
あー、そう言われるとそう聞こえる気も……うん。でもこれが本心だ。もう、独りになるのは嫌なんだ。
アーニャがいた、ネカネお姉ちゃんがいた、おじいちゃんがいた。麻帆良に赴任してからは、騒がしくとも優しい仲間たちがいた。こっちの世界に生まれ直してからも、お父さんとお母さんがそばに居てくれた。
でも、二人を喪って、そこで初めてボクは"孤独"を経験した。それは、心の闇を御しているボクでも耐えられないもので、彼女がずっと体験してきたもの。
なら、共に生きていこう。独りと独りが一緒にいれば、それはもう孤独じゃないんだから。永遠とも思える時間も、ボクたちなら共に過ごせるのだから。
「……私は悪の魔法使いだぞ?」
「でも、本当は静かに、平和に過ごしたいだけなんですよね?」
「……光の道を歩いてきた、貴様とは違う存在なんだぞ?」
「でも、貴女とボクは同じ、人から外れた存在です」
「……いつか、寝首をかくかもしれないぞ?」
「そう簡単に死にやしませんよ。伊達に人を辞めてません」
「……この頑固者め」
「よく言われてました」
『いくら手綱を握っていても、逆にこっちが無理やり引っ張られる』
よく、千雨さんに言われていた言葉だ。きっと、これはいつまでも変わらないんだろう。
「…………確か、貴様は私の弟子だったと言っていたな?」
「はい。そうです」
「なら、共に並んで生きることは、私のプライドが許さん。他所の世界の私に負けるみたいだからな」
「…………そう、ですか」
でも、それはエヴァンジェリンさんも同じだ。約束したら、たとえ辱めであろうとも必ず守り通す。逆に言えば、一度決めたら覆すことはない、生粋の頑固者だ。
その彼女が決めたのだ。きっと、曲げることはないだろう。
「……だが。この私に弟子入りしたいというのなら、考えんこともない」
「…………えっ?」
「二度も言わせるな! 弟子になるのなら受け入れてやると言ったんだ!!」
プイッと横を向いたその頬は、暗い離れでもわかるぐらい色づいていて。素直になれない彼女がよくするその姿は、遠い過去によく見たものだった。
嬉しさと、懐かしさと。いろんな感情がごちゃごちゃになっていく。
ぽっかりと空いた心の穴に、温かいものが満たされてく感覚に視界を滲ませて。たぶん、心の中と同じようにぐちゃぐちゃにした顔をしながら、ボクはそれに応えた。
「よっ、よろしくお願いします、
◇ ◇ ◇
「えーと…………」
数日後の夕方。ナギは敗北していた。それはもう、誰が見ても完全敗北だった。
……強大な敵が相手なら、不屈の闘志と無尽蔵に再生する肉体で立ち上がっただろう。
……未知の魔法理論や問題が相手なら、むしろ嬉々としてトライアンドエラーを繰り返すだろう。
しかし、この敵を相手にしては、かつての英雄といえども白旗を揚げざるを得なかった。
「ナギくん!一度でいいから『真由美お姉ちゃん』って呼んでくれる!?」
「ナギ兄ちゃんって何か得意魔法ってあるの?移動系?それとも振動系?」
「お姉様も香澄ちゃんも!そんなにいっぺんに言っては迷惑ですわよ!
……そうですね、まずは好きな食べ物とかお聞かせくれませんか、ナギお兄様?」
その相手は、三人の美少女。
先程から執拗に『お姉ちゃん』呼びを要求しているのが、
それとは反対側で、魔法関係について質問しているのが
その二人を諌めながらちゃっかりと自分の質問をしているのが、双子の妹、
この他にも二人の兄がいるとのことだったが、その二人は部活やゼミの関係で今日は遅くなるらしい。先程、三人を連れて来た時に弘一がそう言っていた。
「って泉美!そう言うのなら順番守ってよ!」
「まずはこういう簡単な質問からしていって、徐々に重要な質問をしていくのが一般的でしょう? 得意魔法なんて、打ち解けた先の話です」
「それよりも先に、まずは呼び方よ! 最初に決まったら変わることなんて殆どないんだから!」
「あ、あはは……」
女が三人寄れば姦しいとはよく言ったもので、ナギが中心の話のはずなのに、まるでナギが話に入れない。これには、流石のナギも呆れるしかない。
別に、こういう活発的というか、元気というか、そういう女の子が苦手なわけではない。むしろ、好きな部類に入るだろう。
しかし、前世で
(助けてください弘一さん!)
(無理だ。こうなっては、本人たちの間で折り合いをつけるまで止まらない)
(そんなぁ〜……)
三方を囲まれて、どうしようも出来ずに彼女たちの父親へ視線を向けたが、アイコンタクトですげなく切り捨てられた。
つい先程、後見人関係の書類やエヴァンジェリンの戸籍(偽造)について書いている時に聞いた話では、弘一とその妻は政略結婚で、愛情など欠片もないとのことだった。弘一自身はある女性に何十年も片思いをしたままであり、妻の方も両思いの彼氏と無理やり別れされられて結婚したせいで、夫婦の仲は他人同然だとも言っていた。
しかし、それでも血を分けた子には愛情があるらしく、普通の父親のようになんだかんだいっても娘には甘いそうだ。特に、素直で聡明な末娘はどこに出しても恥ずかしくないと言っていた。
そんな親バカに助けを求めても初めから期待などできなかったのだ、とナギは落ち込む。どうやらこの場に味方はいないらしい。
(
「「「ナギくん(兄ちゃん・お兄様)!?聞いてるの(ますか)!!?」」」
「え? あ、う、うん!」
しかし、ナギはまだ知らない。興味の向く事柄における小学生のバイタリティは、時に
結局この後夕食時になっても質問は尽きず、豪華な夕飯をご馳走になり、姉命令で三姉妹に風呂場に連行されて、ようやく解放されたのは夜も更けた頃。しかも、家に帰ったら『遅い!』と氷漬けにされるおまけ付き。
この日は、正式に七草家の保護下に入ると同時に、ナギの脳内ヒエラルキー上位者に三つの名前がデカデカと追加された日となった。
改編作業で漂白されて、ウチの七草弘一はただの親バカになりました。四葉関係だと暴走しがちだけど、それ以外はいたって普通です。
そして父。なんかお前主人公補正かかってるよな、絶対。
2016/01/21
改編。