魔法科高校の立派な魔法師   作:YT-3

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その手は、届くか——


第五十三話 氷の皇子

氷の(クリュスタリネ)女王(ー・パシレイア)

 

 

ピシピシと、ナギの足元から乾いた音が響く。

そこに生えてきた——実際には"できた"だろうが、そう表現するのが妥当だろう——直系1mほどの三角錐状の氷柱は、次の瞬間、爆発的に成長する。

 

太く、太く。

上へ、上へ。

 

幾度の枝分かれを繰り返し、まるで氷で出来た大樹のように、草が生い茂る草原フィールドに張り巡らされていく。

 

「……一つだけ、教えておくよ」

 

何が起きてるのかという混乱と、本能が鳴らす警告音に固まっていた将輝たちに、声が掛けられた。

見上げた先にいたナギは、氷の枝の上に立ち、まるでこの世界の王であるかのように、じっとこちらを見下していた。

 

「この(じゅ)(ひょう)が示す範囲、氷結領域内はボクの支配下だ。

この範囲に限り、ボクは上級以下の氷属性魔法を、無詠唱、無制限、無尽蔵、無数、そして無反動で行使できる」

 

なんだそれは、と叫びそうになる口を、しかし(ナギ)の威圧感が縫いとめる。

上級、というのがどこまでを指すのかは分からないが、視線の先に存在する少年が、圧倒的な物量を指先一つで操れることだけは直感で分かった。

 

その圧倒的強者は、腕を天に掲げ、——

 

 

「さあ。お喋りはここら辺にして始めようか、本当の戦いを。

頑張ってね、将輝くんたち。一方的な勝利なんて、つまらないから」

 

 

将輝たちの頭上、無数に展開された氷の槍を以って、虐殺が始まった。

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

その時、この魔法の()()使()()()は、(しか)めっ面で紅茶を飲んでいた。それが、自らの切り札を全国放送されているからなのか、それとも同席している相手の存在からなのかは判断つきかねるが。

 

「ほお、ありゃアンタの必殺技じゃないの。いいのかい、勝手にパクられて」

「いいも悪いも、許可は出してしまってる。それに、ぼーやは私の弟子だ。弟子が師の技を盗んでなんの問題がある?」

「そりゃそーだ。だけど、アンタの口からそんな台詞が聴けるなんてねぇ。長生きはしてみるもんさね」

「どうした? ついに耄碌(もうろく)が始まったか、ダーナ・アナンガ・ジャガンナータ?」

「アンタはもう少し口の利き方を覚えたらどうだい、キティ?」

 

一触即発。一応は師弟関係であるはずなのに、相席していたチャチャゼロが『オレハ偵察ニ行ッテ来ルカナー』などと逃げる程度には仲がよろしくないのは誰が見ても分かるだろう。

もっとも、仲が悪いのと信頼がないのは同義ではない。空気が弾けるような感覚こそあるが、実際に戦闘に至ることはないだろう。今回も、エヴァが舌打ちして視線を外すことで、睨み合いが終わった。

 

「ふん。だが、アレを使う羽目になるとはな。公開出来そうな中では最大の切り札だったんだが」

「逆にアレが公開できるって判断に驚きだよ。一応は(マギ)(ア・)(エレ)(ベア)、魔物としての力だろう?」

「ぼーやの雷化とは違って、肉体面ではそこまで変えてないからな。メインは氷結領域の方だ、研究者どもの視線もそちらに釘付けだろうさ」

 

尤も、とエヴァンジェリンは付け足す。

 

「調べた限りでは、『(エレ)(メンタ)(ル・サ)(イト)』とかいう異能力の持ち主なら、今のぼーやを視て"分かる"かもしれない。

……が、今の日本にそいつは居ないらしいからな。一箇所だけ潜り込めなかったところがあったが、それ以外は機密情報を含めて電子精霊で(あさ)ってある。そして、そんな超機密扱いの人間が、ホイホイと人だかりの中に来るはずがない」

「つまり安心して発動できる、ってわけかい。用意周到なことで」

「私たちの目的は人間社会で生きていくことだからな。世界に大混乱を招いた悪の大魔王扱いされるのは、もう御免だ」

「そうかい。しかし……」

 

ダーナはテレビの映像を見る。そこには、まだ決着のつかない白熱した試合が映っていた。

 

「相手の小僧どもも英雄の卵とはいえ、(クリュ)(スタリネ)(ー・パシ)(レイア)まで使ってるにしては時間がかかりすぎてるね。弱体化してるのかい?」

「ほう、流石の観察眼だな。そうだ、ぼーやのアレには私の(クリュ)(スタリネ)(ー・パシ)(レイア)並の殲滅力はない。

そもそもぼーやの氷属性の適性は、低くもないが高くもない程度だ。氷の極致たる(クリュ)(スタリネ)(ー・パシ)(レイア)を十全に展開しようなんて、土台無理な話だな」

「だから、一部の機能を削ったってわけかい?」

「ぼーや自身は私と同じ名前で呼んでいるが、強いて言うなれば、ぼーや専用の(デチュー)(ン・バ)(ージョン)、『(クリュス)(タリネー)(・アルケ)(イゴース)』と言ったところか。

まあ、それも理由の一つではあるが、攻めきれていない一番の理由は、氷属性の魔法の把握ができてないことだな。いくら詠唱や反動を消せるとは言っても、手足を操る感覚で使えるようになって初めて、絶え間ない連続攻撃ができるようになる。ぼーやにはそれが出来ないから、相手に対処の隙を与えているという訳だ」

 

だが、それを差し引いても圧倒できるほど、物量の差というのは大きい。将輝たちも、今は細い生命線をなんとかなぞれているだけで、その道がいつ途切れてもおかしくはないだろう。

 

「だけど、もし相手のガキに、真に"英雄の素質"があったら。その時はどうするんだい?」

「その時はその時、素直に負けを認めるだろうさ。

魔物(わたしたち)に英雄は倒せない。これは世界の摂理だからな」

「ま、順序が逆。自力の差を運と知恵と気合で覆し魔物(あたしら)を倒すからこそ、人は英雄になるんだからね。天地がひっくり返ろうと、その摂理だけは曲がらない」

 

 

魔物は人を喰らい。

英雄は魔物を打ち倒し。

人は英雄を裁く。

 

数多の伝説伝承全てに描かれる、一つの真理だ。

いくら人外の力を持とうとも、いや、人外の力を持つからこそ、この(ことわり)から抜け出すことはできない。

 

「さて。どうなるか、見ものだな……むっ」

 

優雅に紅茶を口へ運び、空になっていることに気がつく。まるで、カップの中身が分からないほど心配しているということを、認識させられたような気分だ。

 

俯き、プルプルと震える様を笑われ、エヴァは顔を真っ赤にして立ち上がる。

 

なんというか、とても締まらない締め方だった。

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

ナギが手を振ると、氷樹が脈打つ。

 

——穂先を丸めた無数の氷槍が降り注ぐ。

——氷の破片を撒き散らす爆発が起こる。

——敵の足を取るように大地が凍りつく。

 

対する将輝たちも、なんとか耐える。

 

——定率減速で、氷槍の速度を落とす。

——爆発に逆らわず飛び、衝撃を流す。

——前兆を感知し、その場を飛び退く。

 

ギリギリの一線を死守して、命(から)(がら)立ち回る。

日本魔法師のトップに立つべしと言われる十師族の直系が、なす術なく逃げ惑っている。

 

 

 

目の前で行われる試合——もはや嬲り殺しの様相を呈しているが——に、達也たちは開いた口が塞がらなかった。

 

「すっ、げぇ……」

「なによ、これ……」

 

まだポツリと呟けるだけ、余裕がある方なのだろう。周囲の人間からは、息遣い以外の音が一つも聞こえてこないのだから。

 

「お兄様、これは……」

「……何なんだろうな。俺たちの常識は、ナギには通用しないらしい」

 

たった一瞬、されど一瞬の隙ができたのを見計らって、将輝が(へん)()(かい)(ほう)で攻撃する。

すでに周囲の水気が凍りついてしまっているために仕方がなく使われた空気弾は、ナギが視線を向けただけで展開された氷の楯に阻まれた。

 

「おかしい、早すぎる。絶対に魔法を組み立ててない」

「達也さん、何が起きてるか分かりますか?」

 

間違いなく、この中ではトップの解析力を持つ達也に、ほのかが問いかける。

そして、達也は何が起きているのか、この国にはないはずの『眼』で視ていた。

 

「……あの氷柱、という大きさではないが……あの氷が肝だ。アレに刻印魔法の性質があって、ナギは精霊にそれを読み取らせて発動しているようだ」

「刻印魔法? 文様が彫り込まれているのですか?」

「いや、違う。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

水分子、H2Oの分子量は約18g/mol。molというのは物質量と言われる単位で、1molは原子(分子)(602,00)(0,000,0)(00,00)(0,000,0)(00,000)個という意味に等しい。

つまり、1gの氷には、おおよそ(33,40)(0,000)(,000,)(000,0)(00,00)(0,000)個の水分子が存在していることになる。中には、水素Hが同位体(同じ原子番号で重さの違う物質)の重水素Dに置き換わったもの等もあるだろう。それらが複雑に、立体的に組み合わされば、文字通り無量大数個のパターンを組むことすら出来る。

たった1gでこれなのだ。全幅100mは確実にある氷樹全体で見れば、数千数万では収まらない魔法式を刻み込むことなど、容易に過ぎることだろう。

 

だが——

 

「あれだけの氷を、そんな精密に作り出してるって言うんですか?!」

「絶対ムリよそんなこと!まだ魔法式を高速で組み立ててるって方が納得できる!!」

 

とはいえ、美月とエリカが叫ぶ通り、それは人間にも人外にも手にあまる所業だ。とてもじゃないが、例え研究室レベルだろうと同じことは出来ないだろう。

 

 

——だが、人智を超え、魔智を超えてこその"(アル)(テマ)(・ア)(ート)"だ。

 

 

達也はその眼で、その"有り得ないこと"の一端を掴んでいた。

 

「いや。あの氷樹をナギは作り出していない、ナギが手を出したのは最初だけだ」

「どういうことだい、達也?」

「アレは、氷樹自体が新たな氷樹を作り出すように魔法式が組まれている、ように俺には視える」

「……つまり、自動で成長するってことですか?」

「ああ、そうだ。最初の氷柱さえ作れれば、後は自動で支配下に置く領域が広がっていく。

ナギがやっているのは、莫大なサイオンを流し込み、魔法発動の際に少しばかり操作しているだけ。それなら、あくまで比較的だが、大して難しいことではない」

「…………なんて破格な……」

 

深雪の呟きが、この場にいる全員の総意だったのであろう。

視線の先で、凍りつく世界の主のように敵を嬲るナギに、畏怖の念を送る。

 

 

(……だが、やはり……)

 

 

しかし、達也の『眼』は、氷柱とは違うところを捉えていた。

……その主である『ナギ』を、捉えていた。

 

(情報の繋がりが、ない。一纏まりの情報体(エイドス)としてではなく、ただ単に()()()()()()()()()()()()()()()()()

こんなもの、人間でないどころか物質でもない。現象とも呼べない、得体の知れないナニカだ)

 

そこまで認識できる魔法師は数少ない、いや、(エレ)(メンタ)(ル・サ)(イト)がなければまず不可能だろうが、情報体(エイドス)とは無秩序に散らばる情報が寄り集まって存在しているわけではなく、必ずそれらが結合して存在している。

 

例を挙げよう。たとえば、グルタミン酸(Glu)、システイン(Cys)、アラニン(Ala)などに代表されるアミノ酸という物質がある。それらが連なるとポリペプチド、さらに繋がればタンパク質となり、それらが複数集まったり他の物質と化合することで、酵素や、果ては人体を作り上げている。

だが、この時、アミノ酸はただ寄り集まっているだけではない。お互いがお互いと化合、連結し、「-Glu-Cys-Ala-」や「-Ala-Glu-Cys-」などといった鎖状構造になっている。

 

情報体(エイドス)もこれと同じで、それぞれの情報同士で繋がりを持っている。服を着るだけで、その人物と服の情報が一部分で繋がってしまうほど、これは疑いようのない事実だ。

その前提で、例えるなら、システイン(Cys)をイソロイシン(Ile)と一時的に入れ替えて性質を変えるような物が『魔法』であり、結合そのものを断ち切るのが達也の使う『(ぶん)(かい)』である。達也はそう()()していた。

 

 

——だが。達也の眼に映るナギの(エイ)(ドス)には、在るべきはずの繋がりがなかった。

 

——達也が同じことをしようとすれば世界を破滅に追いやるはずの、情報連結の完全断絶を、何事でもないかのように(おこな)っていた。

 

 

基軸(シャフト)枠組み(フレーム)もなく、ただ歯車を組み合わせただけで精密機械を作ってしまうような暴挙。

人類はおろか、世界の摂理さえも踏み倒し、それでもなおその場に存在する(イレギ)(ュラー)

 

 

その在り方は、人類や生物よりも化成体に近い。

情報の"量"と"密度"が桁外れなだけで、情報体(エイドス)というよりは無数の魔法式の集合体に近い存在だ。

 

(……いや、だからこそか。だからこそ、魔法式をその身に取り込んで、自身の情報を組み換え直し、増幅して発動するなんて荒技ができる。

型が決まっている情報体(エイドス)では決して出来ない、正しく人の身から踏み外し、世界の条理から切り離されたからこそ出来る技法——これが伝説の『(マギ)(ア・)(エレ)(ベア)』か)

 

達也は、二高との戦いで呟かれたその名を知っていた。

(達也基準で)少し裏の情報に詳しければ、誰でも知っていることだ。

 

愛らしい少女の姿で闇の世界を支配したとされる、伝説の吸血鬼。その名をエヴァンジェリン・A・K・マクダウェル。

いくら調べても正確なミドルネームは分からないが——デマも多く、中には子猫(キティ)なんて似つかわしくないものまである——、その秘技の名は、各国に秘匿されたごく僅かな文献に残っている。

 

曰く、闇の世界の究極到達点。

曰く、それを見た男に生きて帰った者はいない。

曰く、見渡す限り一面に氷原を創り上げる秘術。

 

あまりに有名すぎて、西洋古式魔法体系の多くにその名を冠した偽物があるとされる、(まさ)しく伝説級の秘技。

しかし達也には、これがその本物であるという確信があった。他の人間が一笑に付すその考えを、自信を持って断言できた。

 

 

人形使い(ドールマスター)という、独特な技術。

現代魔法とは比べ物にならないほどの氷結系魔法。

そして何より、人の身を外れないと出来ない技が、偽物(メッキ)なはずがない。

 

 

(ナギの先祖が闇の福音(ダーク・エヴァンジェル)なのか、それともナギの言うエージェントが隠居した本人なのかは、この際どうでもいい。重要なのは、ナギが人ではなく、ナギに敵対する意思がないことだ。

もし、俺がナギと戦ったら……まず勝ち目はない)

 

先も言った通り、ナギの情報は完全に寸断されている。もはやこれ以上の『分解』は不可能であり、達也に出来る数少ない技能をほぼ封殺された形だ。

対してナギは、達也には防げないレベルの圧倒的な物理攻撃を扱える。『再生』するにしても、仙術を欠片の一端程度しか扱えない達也には、サイオン切れの可能性が付きまとうことになる。

 

そう考えれば分かる通り、達也とナギの間には、これ以上ないほどの相性の悪さがある。

今この時ほど、達也はナギが味方で良かったと実感した瞬間はなかった。

 

 

「……これ、ランクをつけるとどうなるのかな?」

「えーと、司波先輩の話ですと、他の魔法を発動させるための補助魔法と言うべき魔法とのことなので、直接的な殺傷性ランクは存在しないでしょうけど……どうなんですか?」

「……ん? ああ、そうだな……」

 

意識を内へと向けていたからか、双子の問いかけへの反応が遅れた。

とはいえ、状況が状況だ。多少の遅れは、勘の鋭い妹のレーダーに引っかかることもなかったようだ。

 

……達也は、ナギの『正体』について、深雪以外の誰にも明かすつもりはない。

それは、友人であるという理由だけでなく、近くにいれば深雪を守ってくれるだろうという利己的な考えもあってのことだ。

 

もし仮に、この事を口外したとする。そうなれば、国の上層部はナギの人権を停止し、国内にある『物』として差し押さえにかかるだろう。『人』とされているから手を出しづらいのであって、人として扱わなくてもいい切っ掛けがあれば何時でも"入手"にかかるはずだ。

そうなれば、ナギは抵抗するか、もしくは争いを嫌って国外へ逃げるかの二択になる。ナギの性格を考えると国外逃亡の可能性が高く、そうなると、実力や人柄は信頼の置けるモノが一人、深雪の側から消えることに繋がりかねない。それは、深雪の安全を第一に考える達也にとって、出来る限り許容したくないことだ。

 

なので、ここで勘づかれるのはまずいと、思案するフリをして頭を切り替える。深雪に気付かれるぐらいはまだ許容範囲だが、友人や後輩(予定)に気付かれるのは万が一にも許されないのだから。

 

「……『自陣を巻き込まない、離れたところに発動できる』という条項を満たしていないだろうから、戦略級とはならないはずだ。おそらく、戦術級が妥当といったところか。

だが、拠点防衛という観点でいけば、あれ以上の魔法はこの世界に存在しないだろうな」

「では、この勝負——」

「ナギに負ける要素は、ほぼないだろう」

 

達也の眼はたった一つだけ弱点を見出しているが、将輝たちがそれに気づくかどうかは分からない。気づいたとして、その隙を突くには多くの困難があるだろう。

故に、ほぼないと言った。だが、達也の直感は、将輝たちがそれを実行してくるということを予言していた。

 

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

 

「——(ヤクラテ)槍弾(ィオー ・ グラン)(ディニス)

 

 

軽く手を振り、氷の槍を作り出す。いや、殺傷性ランクを下げるために穂先を丸めているので、氷の棒というべきか。

氷を極めた魔法使いである師のように真横には撃ち出せないが、それでもそれなりには得意とする属性だ。練度の低い証拠である真下ではなく、少し角度をつけ斜め下へと射出する。

 

「またそれかッ!」

 

その先には、息を切らしてこちらにCADを向けようとしていた将輝がいた。慌てた様子でながらも障壁を張り、槍の雨を防ぐ体勢に入る。

 

かといって、こちらが悠長に待っている理由はない。

 

 

「——こおる大地(クリュスタリザティオー・テルストリス)

「——ッ! クソッ!?」

 

魔法の兆候を察知したのか、将輝がその場を飛び退く。その足先を掠めるように、大地が凍った。

転がる将輝を氷 爆(ニウィス・カースス)で牽制しながら、視界の端でこちらに向けてCADを向ける吉祥寺の視線を氷盾(レフレクシオー)で遮断する。

 

(……やっぱり、使える手札が少ないのは厄介だね)

 

段々と、将輝たちの対処が最適化し始めている。

それなりの威力でまともに使えるのが今の三種類。その他細々とした物も使えなくもないが、それらも既に見せてしまっている。対処法を覚えられても仕方がないのは分かるが……

やはり、本来この技が想定している(マレ)(ウス・)(アク)(イロー)(ニス)(ニウィス・テ)(ンペスタ)(ース・オ)(ブスクランス)などを用いた大規模破壊魔法の即時発動が、ルールによって禁じられているのが痛い。あれらが使えれば、多少の対処法など無視して押し通せるというのに。

 

 

だが、それでもナギの有利は変わらない。

 

 

「いい加減に降参したら? もう走るのも辛いでしょ?」

 

周囲一帯は、既に氷の瓦礫に覆われている。大地の四割は凍りつき、何より絶え間ない攻撃を避け続けた将輝たちは、大きく肩で息をしている。将輝と吉祥寺はギリギリのところで無事だが、残り一人の中野(なかの)(あらた)は、膝より下を氷漬けにされて動けない。

誰がどう見てもナギの圧倒的有利。いくら対処法を覚えようとも、将輝たちの攻撃がナギに届くことはないし、遠くない未来に体力が切れ、無尽蔵の攻撃に晒されることになるだろう。

 

「ゴホッ、ハァハァ……傲慢だな。まだ、俺たちが負けると、決まったわけじゃ、ないぞ」

「…………」

 

だが、それでも将輝は折れない。それどころか、先程までの諦観の色もなくなっている。

 

対するは無尽蔵の壁。

仲間と分断され。

体力の限界を迎え。

自らの魔法も通じない。

 

この状況で何を見出したのかは知らないが、これ以上時間をかけても無駄だろう。

 

故にナギは、トドメを刺そうと右手を上げる。

 

冷徹に。無慈悲に。叶わぬ希望を断ち切るために終わらせる。

今の彼は、英雄ではない。怒りに燃える——ただの一体の魔物だ。

 

 

 

「最後に何か言いたいことはある?」

「そう、だな……()()()()()()()()()()()()!!」

 

 

——だからこそ。

英雄の卵(将輝たち)に不意を打たれたのも、必然だったのだろう。

 

 

 

あらぬ方向に向けられたCADに、ナギは眉根を寄せた。

将輝の構える特化型CADというのは、照準補助装置が付いている。そのため、余程の特殊技能の持ち主でもない限り、()()()()()()()()魔法が使えない。今のように、(ナギ)と違う方向に向けては攻撃できないのだ。

 

 

故にナギは首を捻り。

次の瞬間、響き渡る爆音によって、何が起きたのかを理解した。

 

 

「ッ?!呪氷が?!」

 

轟音と共に折れる氷の巨枝に、ナギは初めて蝋梅の様子を見せる。

 

爆裂、いや、威力としては『瞬間気化』でも折ること自体は可能だろう。一定以上の亀裂が入れば、あとは氷の自重で(かし)ぎ折れてしまうのだから。

だが、それはありえない。呪氷の枝はその名の通り氷、つまり固体だ。それも溶けないよう常に低温状態に保っているため、液体に干渉する爆裂や瞬間気化は使えないはずなのだ。

 

「一体どうやってっ?!」

「自分で考えるんだなッ!!」

 

再びの爆発、大きく罅が入り傾き始める巨樹の枝。

だが、気を張っていた今度こそ、ナギの僅かな魔法演算領域でも感じ取れた。

 

「やっぱり発散系……いや、その前に加重系ッ!? まさかッ!?」

 

 

ナギは勢いよく右に振り向く。

その先には、将輝のCADが向く枝と同じ枝へ視点を合わせる、吉祥寺真紅郎の姿があった。

 

 

不可視の弾丸(インビジブル・ブリッド)!? そんな手が!!」

 

実は、(H2O)というのは、特殊な性質を多く持つ物質だ。

 

例えば、同分子量帯からすれば異常なほどの沸点の高さ。

例えば、塩などの電解質をよく溶かすという性質。

 

それらの殆どは、原子の並びかたから『水素接合』という特殊な結合が出来ていることに由来している。

そして、そこから来る性質の一つに、『最高密度が4℃の時』というのがある。つまり()()の状態の時が、同体積では最も重くなるということだ。氷が水に浮くのもそのためである。

普通の物質は固体の時の密度が最も高くなるのだが、(H2O)はその通例に当て嵌らない。言ってしまえば『(イレギ)(ュラー)』だということである。

 

そして。ほぼ全ての物質は、圧力をかけると密度を高くするように状態を変える。

これは温度が一定に保たれていても起こる変化だ。気体は液体へ、液体は固体へと状態が変わっていき、最も高い密度になった時で止まることとなる。

 

 

ならば、氷に強い圧力をかけるとどうなるか。

——答えは、『最も密度の高い状態、水へと変化する』だ。

 

 

 

「ッ!!また!」

 

吉祥寺が、氷の内部に圧力をかけ溶かし。

将輝が、瞬間気化で気体へと変化させる。

逃げ場のなくなった気圧は、周囲の氷を強引に押し広げ、大きく亀裂を入れて爆発を引き起こした。

 

幾本もの枝が破壊されたことで、無数に思えた攻撃の密度が下がる。

それによって、少しずつだが反撃の隙も生まれていく。

 

 

遂に。遂に、逆転への一手が打たれたのだ。

 

 

 

だが、一瞬でナギは冷静さを取り戻す。

 

「……少し、将輝くんたちのことを低く見すぎていたみたいだ。

いくらボクが使う劣化版とは言っても、呪氷を折れる人はそうはいない。

 

 

 

——だけど。それで勝てると思ったの?」

 

 

 

分断され合流できず、ましてや言葉を交わす余裕などなく。おそらく視線だけで伝えあったであろう、奇跡のようなコンビネーション。阿吽の呼吸の域に達した、強力な信頼関係。

なるほど、優勝候補筆頭と呼ばれるだけはある。英雄の卵というのも事実だろう。そこらの凡百の存在なら、片手間で倒していけるに違いない。

 

 

——だが、魔物(ナギ)に対するには、それだけでは足りない。

 

 

「例え枝を折られても、呪氷は再生する! 無尽蔵の力を持つボクにとって、根くらべなら望むところだ!

たった一手を返したぐらいで、ボクに勝てると思ったのか!?」

 

折れた断面から、新たな芽が伸び始める。

必死に手繰り寄せた勝利への可能性を潰すように、再び氷結の領域が侵食していく。

 

圧倒的という言葉ですら生温い、そう、例えるならば、"絶望の凝縮"。

 

ナギは心の中で叫ぶ。

——これが魔物の力だ!

——これが闇の魔法だ!

 

()()()()()()()()で崩れるほど、この領域は弱くはない!

 

「さあ、再開するよ! 氷槍だ——」

 

 

 

 

 

「……ああ、分かってたさ」

 

——だから、()()()を用意していた。

 

 

 

 

 

「——————」

 

そして今度こそ、ナギの動きが止まった。

 

 

「呪氷、じゅひょう……樹氷。名は体を表すとはよく言ったものだな。おかげでその氷の成長パターンが、植物を基にしたものだと気づけたんだから」

「それが分かれば、あとは簡単だった。『ある場所』にあるはずの起点を、どうにかして壊せばいい。再生する確率が高い枝をわざわざ折ったのも、『そこ』に起点があると確信するためには、枝から感じる()()()が邪魔だったからだ」

 

ギリギリと、錆び付いたような動きでナギの首が動く。

そして、そこには——

 

 

 

「植物を枯らすには、まずは根から。これぐらい一般常識だ」

「俺たちを倒すのに躍起になって、(あらた)の動きを封じただけで満足したのは失敗だったな、ナギ」

 

——氷の幹を両断するよう、大地に真一文字の跡を残す、地割れの姿があった。

そこにあった、氷の巨木の核を、引き裂いて。

 

 

 

これが、エヴァンジェリンが使う本家本元の『氷の(クリュスタリネ)女王(ー・パシレイア)』だったなら、同じ手は通用しなかったであろう。

彼女ほどの氷の使い手なら、挿し木の要領で攻撃中に新たな起点の魔法陣を用意できるし、地面なんぞには設置せず自分の背に背負うことも多い。

 

だが、ナギに合わせるよう劣化(デチューン)させた時に、その機能は外してしまっている。メインである即時無制限発動を十全に機能させるために、予備機能であるそれらを削ってしまったのだ。

結果、この世界の人間には突かれることなどないだろうと踏んでいた隙を突かれ、『(クリュス)(タリネー)(・アルケ)(イゴース)』は完全に無力化された。

 

 

 

 

 

「これで条件は対等に戻せたぞ。もう、一方的にやられることはない」

「さっきの言葉をそのまま返すよ。始めようか、本当の戦いを」

 

 

 

 

 

「……はは。あははは!!」

 

笑う。声を上げ、天を見上げて高く笑う。

先程までの貼り付けた笑みではない。嘲笑うような見下した笑みでもない。

心の底から喜ぶような。予想を超えてきた敵を褒め称えるような、明るい笑い声。

 

 

「見事ッ、見事だよマサキ、シンクロウ、アラタ!!!

そんなこと思いつかなかったよ!! まさか呪氷を折ったのが『ただ邪魔だったから』って理由なんてね!!」

 

 

愛称でもなく、敬称でもなく。ナギは将輝たちを呼び捨てにする。

それは、前世でも片手の指で数えられるほどしかなし得なかった、彼が同格の(ライ)(バル)だと認めた証。それは、裏返せば——

 

 

「だが、お前ほどじゃない。たった一人で俺たちをここまで圧倒したんだ、お前はスゴイ奴だよ。改めて思い知った」

「……ははっ。

何を言ってるんだ、君たちも今日からその「スゴイ」の仲間入りだよ?」

「……ナギ?」

 

 

氷の枝を飛び降り、無意味となった武装を解いて、地に足をつけ相対する。

氷を砕いた中野も合流し、遂に三人が揃い並んだ三高チームへと。

 

そして、まるで『あの時』をなぞるかのように。

立場が変わり、受けて立つ側に立って、自分の言葉でナギは笑う。

 

 

「君たちは今、届いた。扉を開けた・・舞台に立ったんだ。

何しろ君たちは、ボクの切り札を十回も二十回も避け続け、こうしてボクを同じ大地に立たせたんだから。

白き(アラ)…』——いや、"今は"ただの春原凪が太鼓判を押してみせる。

君たちは今日から『一人前』だ。誇れ、胸を張れ」

 

 

ここでいう『一人前』が、言葉そのままの意味だとは、それを聞いた誰もが受け取らなかった。

それはつまり、相対するに値する者へ。同じ領域へ足を踏み入れた者へ。そして先達から新入りへ。この、災害級の現象を引き起こしたナギが送った、最大級の賛辞。

 

それを理解し、それを咀嚼し。そして、その立ち位置を当然のものとして受け止めて。

将輝は唇の形を変える。吉祥寺も、中野も、そしてそれに向き合うナギも、強く、より強く喜悦の表情へと変わっていく。

 

 

「ここまで来たら、もう森崎くんたちとの約束も、どこかの竜も関係ない。ただボクが勝ちたい……いや、おしゃべりはもういい」

 

 

その瞳に灯る炎が、違った。

先程までの、闇よりもなお暗く、静かに強く熱を発する青炎(まもの)から。

煌々と輝き、周囲に暖かみを与える赤炎(えいゆう)へ。

 

 

「正直、今ので勝負としては負けたも同然だけどね」

 

 

魔物としてのナギは英雄に打ち倒された。人外の力を振るった怒りの獣は、世の摂理を乗り越えるには至らなかった。

だから、これから戦うのは英雄としてだ。この域に至った先達としての役割だ。

 

そして、自身と戦うに足る相手と満足ゆくまで戦いたいという、自分の意地と我儘だ。

 

 

 

「ここで終わらせるのはもったいない。もっとだ、もっとやろう」

「……ああ!」

 

 

 

両陣営が、屈託のない満面の笑みを浮かべ。

相手に対して、魔法を構えた。

 

片やボロボロの体をチームワークで補い。

片や封じられた火力を多彩さで補い。

 

意地と意地をぶつけ合いながら、試合は最後の10分へと突入する。

 

 

 

 

 

……………………

………………

…………

……

 

 

 

 

 

結論から言うと、ナギは勝てなかった。

 

もはや体力の限界を迎えていたであろう将輝たちは、それでも意地と気合いと信頼を以ってして、ナギの猛攻をギリギリまで耐え抜いて見せたのだ。

 

 

だが、ナギは負けなかった。

 

最後の最後、たった数秒の隙を突き、人形使いの『糸』で将輝たちの首を締め上げることに成功した。

中野が落ち、吉祥寺が落ち、将輝もあと数秒で落ちるといったところで、試合終了のブザーが鳴り響いたのだった。

 

 

 

残り人数、互いに一人。

そして、決勝戦の判定では、それまでの試合成績は考慮されない。

 

 

 

よって、九校戦モノリス・コード史上初となる『引き分け』で、この九校戦史上最大の激闘は幕を閉じた。

 

辺り一面ボロボロになった大地に寝そべり、気力も体力も使い果たした四人の少年を讃え、惜しみない拍手が湧き上がったという。

 

 

 

 

 —◇■◇■◇—

 

 

 

 

九校戦8日目(新人戦5日目・最終日)

 

 

新人戦モノリス・コード 結果

 

優勝 :第三高校……40pt

優勝 :第一高校……40pt

第3位:第八高校……20pt

第4位:第九高校……10pt

第5位:第二高校

第6位:第六高校

第7位:第五高校

第8位:第七高校

第9位:第四高校

 

 

累計成績

 

・第一位 : 第一高校……525pt

 

・第二位 : 第三高校……505pt

 

・第三位 : 第二高校……145pt




『氷の皇子』をご提案してくださったラグナさん、愉悦部入部希望さん、ありがとうございます。
また、それの古代(コイネー)ギリシア語訳をしてくださったリナ葱さん、ありがとうございました。

理系知識満載な最終戦でしたが、いかがでしたでしょうか? 個人的には満足です。
出来る限りわかりやすく説明したつもりなのですが、もし分からなかったという方がいらっしゃいましたら、感想欄で質問してください。文字数やテンポを気にせず、可能な限り分かりやすく説明させていただきます。

まだもう少しだけ九校戦編は続きますが、終わりましたら少しばかり時間を頂いて、アンケート①へ書き込んでくださった皆様へのご返信と、今後の展開への導入方法を考えたいと思っています。
『魔法科キャラのアーティファクト』や『(パク)(ティ)(オー)の組み合わせ』が思いついたという方がいらっしゃいましたら、ぜひ活動報告欄トップのアンケート①へ書き込んで頂けるとありがたいです。九校戦編終了まで、随時受け付けていますm(_ _)m

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