短めですがどうぞ。
「私にも、その魔法を掛けて」
ナギは、思ったよりも驚いていない自分に驚いていた。
それは、『七草真由美』という人物の性格を知っていて、今の言葉も考えなしに発言したものではないと分かっていたからかもしれない。
永遠の命、不老不死。
歴史上多くの支配者が望んだその響きは、人類の夢に満ち溢れていて。それを手に入れられる可能性があったなら、その輝きに目が眩んでも仕方がないだろう。
食料技術の向上も、医療技術の発展も、戦争の効率化すら。大元を正せばそこから始まったのだから。
だが、我が姉はそんな俗物的な欲望で発言をしたわけではない。そんな目は、していないかった。
「……きっと、まだ私じゃ完璧には分からないぐらい、不老不死になるってことは、とても辛いことなんだと思う。だって、香澄ちゃんや泉美ちゃん、それに摩利やリンちゃん、達也くんたちが天寿を全うしても、それを看取って生き続けなくちゃいけないってことだもんね。
どんなに傷ついても。死んじゃいたくても。周りの友達が全員死んじゃって一人寂しく取り残されても。地球がなくなっても。ずっとずっと、永遠に
それは、夕飯の時に言っていた"慣れる"ってことよりも、ずっとずっと怖いことだと、そう感じたわ。祝福とか夢とかじゃなくて、呪いと呼べるものだってことも、なんとなくだけど分かってる。実感は、まだないけどね。
……でもね」
だけど、と真由美は否定する。
そんなことなど、自分が生き続けたい"理由"に比べれば、なんてことなどないのだと。
「私はね、自分がそれを体験することよりも、ナギくん一人だけにそれを押し付けて、のうのうと死んじゃうことの方が耐えられないの。……ほんとは一人じゃなくて雪姫さんも一緒なのかもしれないけど、それは関係ないわ。私は、いいえ
姉だから、年上だからじゃないわ。一人の女として、そして一人の人間として、心の底からそう思えたの。私を、七草家のことも、魔法のことも関係なく、一人の"七草真由美"として見てくれるのは、ナギくんだけだから」
だから、と。真由美はその手を伸ばす。
まるで、その手をとって闇に引きずり込んでくれと言わんばかりに。それが一番の望みだと伝えんばかりに。
その愛をもって、言葉を紡いだ。
「だからお願い。ナギくんのそばで、一緒に永遠を生きさせて?」
◇ ◇ ◇
ナギには、その言葉を拒絶することが許されなかった。
何故ならそれは、かつて、あの離れの中で、自分が師に告げた決意と同じだったからだ。
永遠を生きる不死者には、共通してある一つの制約が存在する。それは、『決して約束を違えてはいけない』ということだ。
時代は変わる。文化も変化する。人も、土地も、歴史さえも。この世に不変のものなど存在しない。
人一人の人生だけでは、それを実感などできないだろう。しかし、無限を生きる不死者たちには、否応なしに突きつけられる現実だ。
それ故に。彼らは自分で自分に制約を課す。たった一つでも、いくら周囲が変わろうとも変わることのない『不変』をもって、自己という存在を確かにあると認識するために。
だからこそ、彼らは、決して自分を曲げることは許されないのだ。例えそれが、相手の預かりしれない口約束であろうとも。
故に、ナギは真由美の覚悟を否定することなどできはしない。それはつまり、過去の自分を否定することに繋がるからだ。ましてや、自分をここまで想ってくれたがための決意を、嘲笑うことなど出来はしない。
……しかし。だけど。
「……ごめん、真由美
ナギは、その想いに応えられなかった。
『応えなかった』ではなく、『応えられなかった』。
「……どうしてかな?」
「ボクが不死者になれたのはある魔法のおかげ、ってことは話したよね?
その魔法の名前は、『
「
一高の一年で習う科目の一つに、魔法言語学というものがある。古い魔法書などを読むときに必要な知識を身につけるための授業であり、その中にはラテン語も含まれている。
故に、真由美が自然に『マギア・エレベア』という意味を訳せたのも当然であり、その言葉の意味から不穏なイメージを受け取ったのも、当然の帰結だった。
「実は、
そして、その後、生き抜くために
「……でも、ナギくんはそれを使ってしまったのね。その結果、人じゃなくなってしまった」
「そう。魔力量が人外並みにあったことを利用して、無理やり使った結果、ね。
……でも、
「心の……闇……」
そう。それだけは、今でも鮮明に思い出せる。
あの村を包む炎と、そこを跋扈する悪魔。そして、石になった村人たち。
「ただの負の感情じゃ薄い。もっと、人生をかけるような、いや、人生を変えられたような、深い深い怨嗟の記憶。それがないと、完全に習得する前に、ただの化け物に堕ちるしかない……」
「……つまり、それがない私はその方法じゃ不老不死になれない。そして、ナギくんたちはそれ以外の方法を知らないから、私を不老不死にすることは出来ない。そういうことなのね?」
「……うん」
実際は、一つだけ思いつく可能性がある。それは、吸血鬼の真祖であるエヴァンジェリンの血を飲ませることだ。
と言っても、そう簡単な話ではない。一部の伝承のように、血を飲んだだけでなれるほど不死者というものは軽くない。
真祖の血は強力な覚醒作用を持ち、その人物が持つ"本質"を強制的に活性化する。ある程度はそれに方向性を持たせることもできるが、しかし本人に適性がなければただ強力な力が体の中で暴れることになる。
血を取り込む量が少なければ一時的に眷属にされるだけで済むが、それでは不死者になどなれない。かといって適性がないのに取り込みすぎれば、
結論として、その方法でも
だからこそ、ナギはこの方法を告げなかった。叶わない希望を告げるほど、辛いものはないのだから。
「……私が、ナギくんみたいに不老不死になれないのは分かったわ。方法がないんじゃ、どうしようもないものね。
……でも。ナギくん、一つだけ聞かせて」
「うん」
「……私は、ナギくんにとって何?」
顔を俯かせているため、真由美の表情を伺い知ることはできない。しかし、ナギには目に涙を溜めているという確信があった。
……真由美の想いが分からないはずがない。かつて教鞭をとっていた頃ならいざ知らず、前世ではその後、恋も結婚も経験している。ここまでストレートに言われて、気がつかないほど朴念仁ではない。
だが、それでも——その想いに応えられるかどうかは、また別なのだ。
「……ボクにとっての"七草真由美"は、優しい"お姉ちゃん"。 だから、一人の女性としては……今は見れない」
「…………」
「それにね……。看取るのも、一人になるのも、まだ耐えられる。だけど、永遠に等しい時間の中で、愛した人との思い出を忘れていくのだけは、どうしても耐えられないんだよ」
不死者は、孤独を常に感じている。しかしそれは、敢えてその境遇に身を寄せているのだ。
いくら不老不死といえども、記憶をできる量には限界がある。永劫の時の流れに流されて、大切だった記憶も、かつて紡いだ絆も、だんだんと消えていってしまう。それは、自らの身を割くことよりも、遥かに辛いことなのだ。
故に彼らは予防線を張る。
人を寄せ付けず、繋がりを求めず、孤独の道を歩もうとする。それが、最も傷つかない生き方だと理解しているから。
もし仮に、不死者が何の抵抗もなく愛せる相手がいるとするなら。それは、同じ永遠を生き、失っていく思い出を埋めていける不死者だけだ。……もっとも、好きになったからといって付き合うまで行くかどうかには、また別の問題が立ちふさがるのだが。
ナギはまだ、それに関しての実感は薄い。前世を含めてもたった100年と少ししか生きていないナギには、まだそこまでの思考には至っていない。
ただし、それは実感がないわけではない。かつて好きだった人との些細な思い出も、仲間たちとはしゃいだあの日々も、段々と細部が思い出せなくなっていることに苦しんでいる。
だからこそ。ナギは真由美を愛する決心がつかないのだ。
姉として、家族としてなら耐えられた。それも含めて人間の社会で生きていく決心をしたのだから。
だけど、だけど一人の女性としては……。まだ、かつて愛した人の記憶を薄めてもいいと、そう思えるほど"彼女"との記憶が薄れてはいないのだから。
「だから、ごめんなさい」
頭を下げる。
たとえ幾度経験しようとも、いくら人生を重ねようとも、どうしたって慣れないことはある。
この、女性の告白を断る瞬間もその一つだった。
「…………」
「…………」
沈黙が世界を包む。針が進む音も聞こえないくらい、緊張と罪悪感がナギの中を満たしていた。
キリキリと、ナギの胃が痛む。
そして、一瞬とも永遠とも感じる時間の果てに、真由美が顔を上げる。
その瞳には、涙も失意も写ってはいなかった。
「
「……え?」
「今は無理でも、いつか絶対に振り向かせてみせる。
だから……今はこれで我慢してあげる」
「え?真由むっ——?!」
視界いっぱいに映し出される、整った童顔。
鼻腔から感じる、甘い女性の匂い。
そして、唇に感じる柔らかい感触。
キスされたと気がついたのは、目の前にあった顔が離れてからだった。
「……これが私の気持ち。いつまでも待ってるから、いつかきっと応えてね?」
そう言い残すと、未だ惚けているナギを置いて、真由美は部屋を出ていった。その顔に、僅かな朱色と、揺るぎない決意を貼り付けて。
残された——そもそもここは彼の部屋なのでここ以外に行く場所もないのだが——ナギは、数分の後に頭を振って無理矢理にも再起動を果たした。
何というか、
そんな、くすぐったいような照れくさいような、そんな感情に苦笑しながら立ち上がろうとしたナギの手が、何か硬いものに触れた。
「これって……」
◇ ◇ ◇
翌、8月4日。
雲一つない快晴と言うほどでもないが十分に晴れていると言える空の下、本戦クラウド・ボールは行われていた。
「会長、調子いいですね。何かあったんですか?」
前日のトラブル——といっても些細なものだが——を受けて、急遽本戦女子クラウドボールのサブエンジニアに決まった達也が担当選手である真由美に声をかける。
達也の"眼"から見て、昨日のスピード・シューティングから間違いなく調子が上がっていたのだ。恐らく殆ど気がつく人などいないであろう些細な変化だが、変化は変化だ。何かがあったのは間違いない。
「ん? 分かる?」
「ええ」
「そーかー、分かっちゃうかー。えへへー」
「……何となく察しました」
ナギ関係か、と達也は当たりをつけた。
この甘い空気を作り出すには、恋愛関係しかありえない。これだからスイート脳は、と達也は頭を抱えた。
……傍から見るとお前が言うなとは思うだろうが、誰しも自分のことは分からない物なのだ。
「……はぁ、まあいいです。ナギと付き合うことになったんですね、おめでとうございます」
「ん? 告白はしたけど、振られたわよ?」
「……はい?振られた?」
「うん。振られちゃった!」
思わず聞き返してしまった達也を、誰が責められようか。こんな甘々な空気を撒き散らしながら浮かれている乙女が、まさか振られた翌日だとは誰も想像できないだろう。
「……すみませんが、まるで状況が理解できません。何で振られてそんなにも明るいんですか……」
「んー……まあ振られちゃったのは悔しいんだけどね。何となく姉としか見られてないのは分かってたし、ある意味予想通りっていうか、ね?
それに、いくら壁が高いからって諦めるつもりはないもの。モヤモヤしてたものがスッキリして、明確に課題が分かった。一日でそれだけ進歩できれば充分よ」
「……強いですね」
そうとしか言えなかった。感情の限られた達也には理解できない
「そうね、恋する乙女は強いものなのよ? だから……」
真由美は客席に向けて指を立てる。前世紀から変わらず拳銃を示すその仕草で、一人の少年を照準して——
「絶対に落としてみせるんだから」
ばーん、と引き金を引いた。
挿絵も(とりあえずは)完成したので差し替えときます。
そちらの方も何かありましたらご連絡ください、……感想でいいんですかね?