第164話 決壊
『いいのか、奴を逃がしても』
『どうやらオレ様が探してたのは、アイツじゃなかったみたいだ。むしろ奴が逃げた先、そこに本物の『鍵』がいる可能性がある』
『わからねェな。どうしてそこまでして、天の上の人間を追うんだよ』
『あん?そんなもん……おっと、まだナノマシンが生きてたか。――聞こえるか、篠ノ之束。どこに逃げようが、オレ様は必ずテメェを探し出す。テメェが残したこの“ヴェーダ”を使ってなぁ!あげゃげゃげゃげゃ!』
『……ヴェーダ、だって?あんた、機械に名前つけるような趣味が――』
◆
『――そう、イレギュラー4には逃げられたのね?』
『逃げられてなんか無い!撤退しただけだ。こんな旧時代の骨董品じゃダメなんだ。ボクにも、あのヒゲオヤジやマディガンみたいに、自分の専用機があれば……』
『わかっているわ、私の可愛いイルド。イルド・ジョラール。このぐらいのことで、私は貴方を嫌いにならないわ。それより……情報がどこかに漏れているわよ。一度、機内を“掃除”しなさい』
◆
「これが、アイツらにつけてた監視用ナノマシンが送ってきた最後のデータ。どうやらいっくんも箒ちゃんも、完全に巻き込まれちゃったみたい。ゴメンね」
全身を、妙にサイバネティックなスーツで包んだ篠ノ之束は、そういっておどけてみせた。雰囲気的にウィンクの一つでも飛ばしていそうだが、まるでサイクロップスのようなゴーグルに隠された両目で何かをやってもわかりません。
「『鍵』に『ヴェーダ』に『イレギュラー』か……。篠ノ之博士、どれか一つでも聞き覚えのある単語はありますか?」
「……………」
「姉さん、私もそのあたりが気になっていたんだ」
「『ヴェーダ』っていうのは多分、私が作った情報集積用コンピュータのことだろうね。見逃したテレビとか、いっくんたちの見せ場を見るのに便利なんだよー。それにしても、人の物に勝手に名前をつけるなんて、とんでもない男だよねー」
「変わり身早っ!」
「……それで、『鍵』と『イレギュラー』というのは何だろうか?」
「『イレギュラー』とか言ってたのは無視していいよ~。大した力もないくせに、支配者気取りの連中なんて、羽虫と一緒さ。『鍵』は、ん~……」
打てば響く、を地で行くテンポの束であったが、そこで初めて言いよどむ。わざとらしく唇に指を当てる仕草で考え込む彼女の姿は、普段の姿であればバツグンに似合っていたように感じるが、キーボードのような模様の全身タイツを纏った今となってはシュールなだけだった。
「……やっぱり、世界で唯一のちゃんとした男性IS操縦者のいっくんか、第四世代機の『紅椿』を持つ箒ちゃんのことじゃないかな?これから大変だよ~」
茶化すようにヘラヘラと呟く束。だが、もし、彼女が普段の姿であったなら。ゴーグルで目元を隠していなかったら。瞳の奥で燃える黒い炎に気付くことができただろう。その視線が、一夏でも箒でもない、別の男に向かっていたことがわかっただろう。
が、そんなこととは関係なしに、次なる事件を予告された一同は気が気ではない。IS学園の関係者も、そうではない彼らの友人たちも、彼女の告げた内容に大きなショックを受けた。
「今更だけど、私たち、とんでもない話を聞かされているような」
「皆さん、大変な世界に身を置いているんですね……。同じ高校生なのに」
「一夏よお、前に、安易に羨ましいとか言って悪かったな」
「今日みたいなことが、また……?」
今回の事件に巻き込まれた、いわば一般人の4人は、友人や思い人が身を置く世界の過酷さに戦慄する。ほんの一年前まで同じ空気を共有していたのに、あんなに一緒だったのに、今は違う世界の住人になったかのような錯覚を覚えたことが無性に悲しくもあり、つらかった。
「安心しなさい、後輩諸君!IS学園生徒会長、更識楯無の目が黒いうちは、もう亡国機業なんかの好きにはさせないわ」
「あ、アイツはそれとは関係ないよ」
「映像に映っていた男……フォン・スパークは、あの組織を裏切って、白式を盗んだ
「あ、そうなの……」
空気を変えようと「遠山」と書かれた扇子を広げ啖呵を切った楯無だったが、束と紅也の空気を読まないシスコンビにより梯子を外された。
「……組織でのコードネームは、エフ。臨海学校の事件にも関与してた。たぶん、あの戦闘機――FALKENのパイロット」
「記録を見る限り、一夏よりも上手く白式を扱っていた。しかも、追加武装まで」
「そうなんだよね~、そこの眼帯の子。白式はワガママで、〈雪片二型〉以外の武装は受け付けなかったはずなのに~。最近は呼んでも答えてくれないんだよ!ぷんぷんだよ!」
「まるで反抗期だな」
「どっちかっていうと、不良とつるんでグレた、ってのが正確だろうな」
ISコアにも意識、というか人格があることをよく知っている紅也が、御手洗がぽろりと漏らした言葉に反応した。急激な装甲色の変化や機体特性の変質は、フィッティングやセカンドシフトのように、機体が操縦者に合わせた際に起こる現象とよく似ているからだ。
だが、それが起こったということは……。
「『白式』はもう、完全に俺の機体じゃなくなった、ってことか」
「そうなるね……。初代『白式』……ううん、『白式type-F』はもう、僕らの敵だ」
映像の中の、暗い赤を纏った白式type-Fは、まるで死神のようだった。
「テロリストの手に、対ISに特化した最強のISが……?これは大スクープ!だけど……流石に記事にしちゃダメよね、コレは」
「ええ。生徒会としては、黛さんにはむしろ、情報の封鎖をお願いしたいところです」
「お、俺たちも、誰にも話しませんよ!虚さん!」
思いがけずもたらされた爆弾情報の取り扱いについては、生徒会と教師、そして専用機持ちたちにのみ留める方針で決定した。これから先、標的にされるであろう一夏と箒は単独行動が禁止され、学園により守られることになるだろう。
「まあ、警戒する相手が増えただけだ。俺も葵も、一夏の護衛みたいなのは続けるからさ、心配しないでくれよ。……にしてもこの男、やっぱりどっかで見たような……?」
「姉さん……」
「任せておくれよ箒ちゃん!言われなくても、こいつの素性は全部探って、世界中のSNSにアップしてやるから!」
「……まさに、晒し物……」
「わー、しののんのお姉ちゃんはすごいね~」
これで彼らに迫る危機が消える訳ではないが、リスクは大幅に下がるだろう。
狙われるのが、本当に彼らであるのなら。
「まあ、それはそれとして……束さん、これからどうするんですか?ここに束さんというか、正体不明なISが墜落したことは隠しきれませんよ」
「心配ご無用だよ!情報欺瞞は今終わらせたから、しばらくは大丈夫。とりあえず、今は~」
「今は?」
「いっくんの誕生パーティの続きをしよっか!せっかくだから、私からもプレゼントをあげよう!」
「マイペースな方ですわね……」
『グランクチュリエ』を解除し、いつもの不思議の国スタイルに戻った天才科学者は、先程までの真剣さが幻だったかのようにあっけらかんと笑うのだった。
◆
密度の濃すぎる日曜が終わり、月曜日がやってきた。
何かをふっ切るかのようにハイテンションだった束に釣られたかのように盛り上がった誕生パーティは、帰ってきた千冬が乱入し、束を発見して驚愕し、事態を報告しなかった一同に雷を落とし始めたあたりで五反田兄妹と御手洗が逃亡。それをきっかけに各々逃げるように解散となった。
その判断が正しかったことは、朝のHRに半死半生で現れた一夏の姿を見れば明らかだろう。同じ家であるが故に逃げ場の無かった男の姿を見た専用機持ちたちは、ひっそりと黙祷を捧げるのであった。
「そういえば、紅也さんの姿が見えませんわね。寝坊かしら?」
「葵から聞いたんだけど、昨日の戦闘の件で一日謹慎だってさ」
「私も戦ったのだが、謹慎は免除されたぞ?」
「教室にいた方が安全、という判断ではなかろうか」
教壇に上がった山田先生に気付かれぬよう雑談する専用機持ちたちに、既に混乱はみられない。トラブルに慣れてしまったが故か、彼女達は平穏そのものであった。
しかし、その輪の外にいるものは?
◆
「織斑先生、まだですか……?目隠しでお散歩って、罰にしてはアブノーマルすぎますよ」
「黙って歩け、馬鹿者。授業中だ」
謹慎を言い渡された紅也であったが、人気が無くなってすぐに部屋を訪ねてきた千冬によって連れ出され、いずこかへと向かわされていた。
よほど行き先を知らせたくないのか、ご丁寧に目隠しのオプション付きだ。しかし、義手に搭載されたセンサーにより周囲をある程度把握できる彼は、ここが第2アリーナの付近であることに気付いていた。
「足音が反響してる……地下通路ですかね?こんな区画があったなんて」
「何のための目隠しだと思っている。それ以上言うんじゃない」
紅也が何らかの方法で現在地を把握していることは、千冬とて承知の上。それでもポーズとして、行き先を隠していると示すことが重要なのだ。それに気付いた紅也は、うってかわって沈黙する。地下通路にはしばらく、二人分の足音がカツカツと響いていた。
何度か角をまがった先、二人は立ち止まる。そして何度か電子音が鳴ったのちに、行き止まりと思われていた床がゆっくりと下降を始めた。
「……ここから先は、秘匿区画だ。この場所のことは」
「他言無用、ですね。承知しています」
目隠しを外す許可を得た紅也は、現在の深度を示す目盛りをなんとなく眺めながら、自分がここにいる意味を考える。
秘匿された――つまり、監視の目がないエリアに案内される理由は二つ。IS学園に関わる何らかの機密事項を見せられるパターンか、もしくは、他者には万が一にでも聞かれたくない話をするか。どちらにせよ、ロクなことではなさそうだ。
「着いたぞ」
「ここは……って、これは!?」
目盛りが止まったディスプレイから視線を外し、開いた金属製のドアの先を見た紅也は、予想もしなかった物体を見て思わず声を上げた。
エレベーターがついた先、まるでどこぞの皇帝の黄金劇場のようなホールの中央には、その場に不釣り合いな奇怪なオブジェが鎮座していた。まるで結晶と天使が融合したかのような物体の不気味さに声を上げたのか?否、彼はその物体に見覚えがあったのだ。
「『暮桜』……なぜこれが?ここに?この姿は一体……」
「この機体のことはいい。本題は……」
「キミのことだよ、山代紅也くん」
脚部のみISを部分展開し、足音もなく現れたのは、昨日別れたばかりの篠ノ之束。
お説教の最中にひっそりと姿を消していた彼女は、このIS学園地下特別区画に身をひそめることにしたようだ。
「ちーちゃんから聞いたよ~。キャノンボール・ファストが台無しになったのはキミのせいだった、ってね」
「束、言葉を選べ」
「え~事実は変わらないのに?真実はいつもひとつ!なんてね」
ケラケラと笑うが、一転、表情を消した束は紅也の瞳を見つめる。
「昨日はああ言ったけどね、アイツの狙いは多分キミだよ。いっくんでも箒ちゃんでもない、キミを狙って攻めてくるんだよ、山代紅也」
「俺を……?なぜ、そう思うんですか篠ノ之博士」
「アイツは、私が『鍵』じゃなかったと言った。『鍵』っていうのは多分、この世界のイレギュラー。そう考えたとき、思い浮かんだのは4人さ。世界唯一の男性IS操縦者のいっくん。第四世代機を持ち、後天的にIS適性を引き上げた箒ちゃん。そして、私のシナリオを崩してきた、君達山代兄妹」
「シナリオ、って、一体……」
思わず疑問を挟む紅也だったが、束はそれに答えない。いや、答えられないのだ。
何故なら彼女は既に、『鍵』の役割と正体に気付きかけていたから。そして、その答えを口に出した場合、昨日のような事件が再び起こると理解していたのだから。
「私の考えが正しければ、本来の流れを変えているのはキミ……面倒だなぁ、こーやんと妹さんさ。そしてこーやんは、フォン・スパークと縁がある。だからきっと、アイツが狙うのはキミなんだよ」
「縁と言われても、東南アジアで俺のコピーがアイツと直接対決した、って程度のはずですが。というか、こーやんって」
「いいや、そんな小さなことじゃないよ。もっと昔……思いだしてごらん?キミの
束に導かれるようにして、紅也は過去を思い出す。自分が宇宙を目指したきっかけ、星の海の先に憧れた出来事、その記憶と切っても切り離せない、あの閃光を。
Loading……
「こーやん?様子が変だよ」
「……あ……」
始まりはあの日。父に連れられ向かった打ち上げ施設。本来の用途で発展した試作IS『type-00』と、無限の先へ挑む者たち。
「ああっ……そうだ……」
あの機体のことは、まるでデータを読み込むかのように鮮明に思い出せる。
昨日見た白式type-Fの両肩、脚部に増設されたスラスターには、たしかにあの機体の面影を感じた。
同時に思い出すのは過去。施設で出会った白髪に赤眼の少年。その姿と、白式を纏う青年の姿が重なっていく。
篠ノ之博士も、父さんも、あの男も言っていた、“流れ”という言葉。俺はそれを乱す存在?それが、鍵?
「そう、キミとアイツは一度出会っている。因縁があるんだよ。それはきっと、アイツの理由になる。それに巻き込まれるのはこのIS学園なんだ」
「以前、お前は私に問うたな?私はお前達兄妹の味方か、と。その答えを出す前に、私からもひとつ、聞かせてもらうぞ」
ここまで沈黙を守ってきた千冬もまた、紅也の翠の瞳を見つめて問う。これから始まるのは、あの日の続きだ。
「山代紅也。束とはまた違う、異端の技術を持つ少年よ。自分の存在が事件を引き起こすと知った今、お前はどうする?」
――ああ、彼女は、自分を逃がさないためにここへ呼んだのだ。
紅也はそう悟った。Xナンバーを奪還する、という本来の任務を全うした後も、まるでただの高校生であるかのように居座る自分が、更なる事件を連れてくる。
日常を守りたい、と決意した自分がいる限り、日常を壊すものがやってくる。箒や一夏や、周りの皆が傷つく。
IS学園を離れるか、という質問は、これで二度目だ。
前にエイミーさんに問われたときは、葵と離れたくないから残ると言った。
だけど、俺と葵が『鍵』ならば、学園を去るのは俺達二人。俺と葵は離れない。
モルゲンレーテに戻れば、オーストラリアの正規操縦者たちに、長くM1開発に携わったテストパイロット、それに目の前の千冬に匹敵する国家代表である母さんもいる。たとえフォン・スパークの一味が攻めてきたところで撃退は容易だろうし、そもそも国家に喧嘩を売るバカはいないだろう。
合理的に考えれば、というか、考えれば考えるほどに、俺達が去ることこそが最良であると確信できる。
――なのに何故、俺は。
「俺は……ここから離れたく、ない。嫌だ……嫌なんだ」
理由にならない、そんなわがままを口にしたんだろう?
「ああ、そうだ。俺はここを気にいってる。いつも騒がしい1組の雰囲気は好きだし、変わり者ばっかの弓道部は居心地がいい。日中でも放課後でも、気がついたら側に誰かがいるのが当たり前になってたし……でも、ダメだ。ここにいたら、みんなに迷惑がかかっちまう。モルゲンレーテの方が絶対安全だし、最悪被害は俺達だけですむ。それに……」
「……お前はいつもそうだな。年不相応に小理屈を並べる」
なおも弁明を続ける紅也を見て、千冬は呆れたようにため息一つ。それを見た紅也はさらに縮こまった。
「学園を去る」と、ただそう言えばいいだけなのに、唇が震えて言葉が出ない。
「山代!お前の理屈は聞き飽きた。質問は『お前はどうするか』だ、解答は!」
「俺はここに、IS学園にいたい!たとえいつか別れが来るとしても、もう少し先がいいんです、織斑先生……」
「お前の答えは聞かせてもらった。再び事件を引き起こすとわかっても尚、IS学園の生徒でいたいと、そう言うんだな?」
「……はい!」
俯きながらも、はっきりと答えを返した紅也の姿を見届けた千冬の表情が、不意に和らいだ。対する束は不服そうだが、口を挟むことはなかった。
「束、解凍プログラムの準備は進んでいるか?」
「もっちろーん!私を誰だと思ってやがる!今日中には余裕で完成間違いなしだね」
「……え?」
ぽかん、とした表情を浮かべる紅也を見た千冬は、まるでイタズラを成功させた小僧のような笑みを浮かべ、告げた。
「お前はIS学園の学生であることを選んだ。そして、生徒を守るのは教師の仕事だ。たとえそれが、どんな問題児であろうと、な」
「まあ、ちーちゃんがそういうなら、私も協力するさ。どのみち、アイツとは決着つけないといけないし、戦力は多い方がいいからね」
「そもそも、お前はまだ15歳のガキなんだ。大人のフリなんかしてないで、たまには素直にワガママ言って、守られろ」
結晶体を背にして紅也を見つめる二人の姿は、普段よりもずっと大きく見える。
そんな二人の大人に肩をたたかれた少年の心は氷解し、溶けた雫は静かに頬を伝った。
はい、遅れて申し訳ありませんでした。これが年内最後の投稿となります。
この第7章と、オリジナルの最終章を投稿したら、本作品は完結となります。もうしばらくお付き合いください。