王冠を手にした葵は、微笑みを浮かべながら俺に手を伸ばす。
俺は、まるで暗示にかかったかのようにのろのろと右手を差し出しながら、未だにまとまらない思考を整理する。
――嬉しい、とは思う。
――だが同時に、「何故?」とも思う。
葵と紅也はいつでも仲のいい兄妹で、どちらか一人が欠けていても不自然に感じる。
その関係性に嫉妬のような感情を持つ自分もいるが、同時に、そうでなくてはおかしいと感じる俺もいる。
なら、今の葵はどうだ?
紅也と同室であることを捨て、わざわざ俺と同室になろうとする理由は何だ?
……悲しいことに、彼女がわざわざそうする理由が思いつかない。
気が付いたら、俺は葵の手を撥ねのけていた。
「一、夏……?」
……くそっ、そんな悲しそうな顔で見ないでくれ。
なんだか分からねえけど、その手を取ってしまったら、何かが終わりそうな気がするんだ。
それは俺たちの日常か、関係性か、平穏か。何のことかは分からねえ。
でも、俺は――この直感を、信じてみる!
「ひどい。……私、せっかく勇気、出したのに……」
……やめろ。
そんな台詞を言うんじゃない。
葵は、そんなこと言わない。いつだって前向きで、凛としていて、折れることのない強さを持ってる。
そう。まるで、千冬姉みたいに。
だから、今すぐそれを止めろ。
「葵の顔で、声で、これ以上葵を貶めるんじゃねぇーー!」
「よく言ったわね、一夏くん!」
俺が啖呵をきった直後、更衣室の壁が崩れる。
そこから現れたのは、美しい水色のヴェールに身を包んだ、学園最強の先輩の姿。
「楯無さん!」
「遅れてごめんね、一夏くん!……さっきの啖呵、カッコ良かったわよ」
楯無さんは俺の方を見てニコリ、と綺麗な笑みを見せたかと思うと、次の瞬間には葵の方を見て、厳しい表情を浮かべていた。
「……更識先輩。私と一夏を見て、嫉妬……したの?」
「黙りなさい、可愛い後輩に成りすました偽物め。今化けの皮を剥いであげるわ」
楯無さんがそう言うと同時、葵……の、姿をした誰かに変化が起こる。
具体的には……えっと、その、何だ。急に胸のあたりが膨らみ始めて……というか、今も膨らみ続けてて……突然、爆発を起こしたんだ。
直後、俺の全身に何か冷たいものがかかる。これは……水、か?
「さて、それじゃあご対面と行きましょうか」
楯無さんが指を鳴らすと同時、あれだけもうもうと立ちこめていた霧が嘘のように消滅し、爆発によってもやがかかっていた視界が急にクリアになる。
そこに立っていたのは、いつの間にやらISスーツに着替え――そして、ある一部分が明らかに縮小した葵であった。
「まったく、いきなりズドンとは物騒ね」
「あら、ごめんなさい。シリコンで肩が凝りそうだったから、ちょっとでも負担を軽くしてあげようっていう私なりの配慮だったんだけど」
何事も無かったかのように舌戦を続ける少女と楯無さん。
会話や口ぶりは穏やかなのだが、二人の間に流れる空気は平穏とは程遠い。
「それにしても、その姿……そっくりね。すごいメイク技術」
「分かる?こんなに似てるのにおっぱいだけは葵の方が大きいんだから、ちょっと複雑な気分よ。ところで……」
コホン、と咳払いをしてから、葵によく似た少女は続ける。
「私はこうして王冠を手に入れたんだけど、一夏くん連れてっていいかしら?私の部屋に連れ帰って、学園での紅也や葵の話を聞きたいんだけど」
「ざーんねん。同室の権利はIS学園の生徒専用なの。あなたみたいな偽生徒相手には無効よ、無効」
「あら、やっぱり?それじゃあ……」
瞬間、空気が凍りつく。
目の前に立つ少女の雰囲気が、学生相応のものから何か別のもの――本気で怒ったときの千冬姉に近いものに変わる。
「――力ずくで、連れて行こうかしら」
少女の身体が光に覆われ、ISが展開されていく。それと同時に楯無さんの右手には巨大なランスが出現し、直後に彼女は槍に何かを纏わせ――姿を消した。
疾い。
俺は一瞬楯無さんの姿を見失ったが、何か重くて硬い物がぶつかった音を聞き、そちらを見る。
そこにいたのは、ランスを引き戻して追撃を放とうとする楯無さんのISと、見たことのない、しかし見覚えのあるフォルムを持つ全身装甲型のISであった。
灰色一色で塗られた胴体に、直角三角形の様な特徴的な肩アーマー。どこかXナンバーを彷彿とさせる、白い機体。
さらにその手に握られたのは、葵が使っているのとよく似た大型のナイフ。葵の真似をしているのか知らないが、展開済みの武装はそれだけだ。
「……成程、その武器に水を纏わせて、高速回転させてるのね。いきなり傷物にしちゃった」
さらに良く見ると、正体不明のISの右腕部分の装甲表面は抉れており、火花が上がってるのが見える。駆動系へのダメージは無いが、まずは楯無さんが一本先取、といったところか。
「何をしてるの一夏くん!早く白式を展開しなさい!」
「は、はい!」
右腕のガントレットに左手を重ね、白式を呼び出す。
今回はISスーツを着ていないため、今身に纏っている王子様風の衣装が粒子分解され、白式のエネルギーを消費してISスーツとして再構成した。いくら更衣室とはいえ戦闘中。悠長に着替えてるヒマなんてねえからな。
俺は楯無さんを援護するため、雪片弐型を正眼に構えたまま敵ISへと接近する。
前に葵から聞いたのだが、ナイフを使ったインファイトの利点は間合いにさえ入れば一方的に相手を攻撃することが出来る、という点らしい。相手がどんな武器を振り回していても、それを扱っている腕に攻撃すれば軌道を逸らし、武器により傷つけられることはないという。
だが、同時にこれは弱点でもある。
間合いにさえ入れば、と言ったが、間合いに入れなかった場合は一方的にやられることになるのだそうだ。特に相手が複数の場合、同時に攻撃してこられるとナイフだけでは捌けないとも言ってた。
そういう場合、葵はタクティカルアームズの遠隔操作で敵を引き離すと言っていたが、目の前の敵にはそういった、遠隔操作できる武器の類は見当たらない。
ならば、俺がすべきことは、楯無さんの対角線上に回り込み、隙を見つけて零落白夜を叩きこむことだ。
「……へえ」
「分かってるじゃない!」
俺の動きを見た敵は感心したような声を上げ、楯無さんは会心の笑みを浮かべてランスのラッシュを叩きこむ。
狙いが露骨だったため、相手にバレたのはシャクだけど……おそらく今はこれが最善だ!
さっきの攻撃で壊れた右前腕部装甲めがけ、零落白夜を放つ。対して敵ISは右手のナイフを俺に投擲し、楯無さんに対しては左腕を、まるで自らの身を守るかのように折り曲げ、抵抗を諦めたような様子だ。
――やっぱり、俺は間違ってなかった!
ナイフのダメージは無視して、俺は剣を振りかぶり、突撃する。相手は腕を伸ばしたままで、無防備だ。これなら、確実にダメージが通る!
そう、思ってた。
俺の眼前に突如水色の大剣が出現し、俺の一撃を受け止めるまでは。
「なっ……ぐっ!?」
よく見るとその剣は、刀身の一部をビームで形成していた。零落白夜はそのエネルギーを削り取ったが、敵の刀身を両断する前に俺が蹴り飛ばされ、強制的に距離を開けさせられたのだ。
一方の楯無さんもランスを防御されたのか、空中で姿勢を立て直したところだった。
一見するといつもの余裕そうな表情を崩していないが、よくよく見ると額に一条の汗が流れている。……焦ってるのか、楯無さん。
「その展開速度、判断力、流石は…………ね」
何かを呟いていたようだが、残念ながら肝心なところは聞きとれなかった。というか、楯無さんはこの人物を知っているのか?葵に似た容姿といい、謎は深まるばかりだ。
しかも……
「お前……その武器は……」
俺が絶句した理由。それは、たった今雪片弐型と打ちあった武装の正体を知っていたからだ。
白式が教えてくれた。その剣の名は、シュゲルトゲベール。
唯一N.G.Iの手元に残ったXナンバー、ストライクに装備される格闘戦用パッケージの一つだったはずだ。
「剣だけじゃないわ……」
楯無さんがひとりごちる。
敵の左腕に装備されていたもの。楯無さんの一撃を受け止めたものはパンツァーアイゼン。シールドとロケットアンカーを兼ね添えた、これまたストライクの専用武装だったはずだ。
ISの装甲を易々と砕いた水のランスを防いだ、ということは、あれは特別製か?ずいぶんと頑丈なつくりをしてるみたいだ。
「ソードストライカー……。まさか、再現していたとはね」
「ええ。ストライカーパックがいつまでもN.G.Iだけの独占技術だと思わないことね」
攻撃を弾いた敵のISは、左手一本で保持していたシュゲルトゲベールを両手で構える。
ナイフの次は大剣か。武装のチョイスまで葵そっくりだなんて、全く笑えない。
これ以上の会話は必要ない、とでも思ったのか、ソードストライカーを装備した敵ISは真っ直ぐに楯無さんへと向かっていく。対する楯無さんも、再びランスに水を纏わせ、ドリルのように回転させているが……大丈夫か?
さっき、楯無さんの一撃は、パンツァーアイゼンによって防がれた。ってことは、あれには相当な強度を誇る素材が使われてるってことだ。
俺が知る一番強度が高い装甲といえば、真っ先に思いつくのがPS装甲だ。PS装甲が起動すると装甲部分の色が変わり、通常兵器では傷つけられないほどの強度を持った材質へと
先程、楯無さんの一撃で抉られた装甲の色は、白。逆に攻撃を防いだ部分の装甲は、水色。そして剣の色は水色。
……つまり、水のランスでは、あの剣を傷つけることは出来ねえってことか!
その事実に気付いたとき、俺は零落白夜を発動して突撃していた。
ヤケになったわけじゃない。思い出したからだ。
PS装甲はISから供給されるエネルギーによって強度を増す。昔、「禁則事項」と言って多くを語らなかった紅也が、唯一漏らした情報の断片。そして零落白夜は、ISのエネルギーを食いつくす妖刀だ。
俺は以前、雪片弐型ならPS装甲に対抗できるという話を聞いていたが、それは零落白夜の切れ味がPS装甲を上回るという意味だと思っていた。
でも、今ようやくわかった。
零落白夜はシールドエネルギーやビームだけでなく――PS装甲に供給されるエネルギーを断ち切り、PS装甲を無効化できるんだ。
ビームの刃を発生させたシュゲルトゲベールと、水を纏ったランスが激突する。
拮抗は一瞬。ビームが水を蒸発させ、ランスの先端は融解する。
直後に敵は手首を返し、先端に付いた実体を持つ刃で楯無さんを突こうとするも、水による強固な防壁に阻まれる。しかもその瞬間、攻撃を受けた部分に水が集中し、シュゲルトゲベールを咥えこみ、空中に固定した!
――今よ、一夏くん。
楯無さんが、視線を俺に合わせる。
……ははっ。俺でも気付いたことを、学園最強の生徒会長が気付かないわけがないか。
彼女がくれたこのチャンス――無駄にしたら男じゃねえ!
腕を封じられ、今度こそ打つ手の無い敵に必殺の一撃を叩きこむべく、俺は気合いを入れ直す。
敵は、俺と楯無さんの挟撃を、無手の状態から対処してみせた化け物だ。この状態から何をしてきてもおかしくない。
そう考えた俺に白式が応え、敵に関する様々な情報を提示する。
……シュゲルトゲベールの柄にエネルギー収束反応?
ああ、そういえば葵のタクティカルアームズにも、射撃用のガトリングが仕込んであったっけ。
一秒にも満たない時間が、何倍にも引き延ばされているような気がする。俺は自分の本能のまま、機体をわずかに左に逸らし……直後、シュゲルトゲベールの柄から一条のビームが放たれるのを見た。
危なかったな。紅也特製の多機能バックパック、〈タクティカルアームズ〉を見たことがなければ、あんな攻撃方法があるなんて想像もしなかったはずだ。
敵がシュゲルトゲベールから手を離す。すると、美しく輝いていた水色の刀身がくすんだ鉄塊の色となり、直後に水の圧力に負けて圧し折れる。
が、何をしようともう遅い。
零落白夜は敵の装甲をバターのように斬り裂き、シールドエネルギーを無効化し、絶対防御を発動させる。
でも、俺の攻撃はここまでだった。
腹になにか強烈な一撃をくらった俺は、雪片弐型を振り切る前に弾き飛ばされ、背中からロッカーへと激突してしまった。
ああ、くそっ。情けねえ。
せっかく楯無さんが託してくれた一撃、完全に決めることが出来なかった。
……だけど、俺、ちゃんとできたよなぁ。
臨海学校のときみたいに、何も出来ずに気絶させられたわけじゃないもんなぁ。
あのとき感じた、強くなりたいって気持ち。それを貫き通せるほどではないけど、あのときよりは強くなって、頑張った。
だから、この一撃は無駄じゃないはずだ。
――ですよね、楯無さん。
蒸発した水にエネルギーが伝わっていくのを、白式を通して理解する。
楯無さんのISは水を操る。それは、蒸発した物でも同様だ。
霧が不自然に動いたことに気付いたときにはもう遅い。指向性を持った水蒸気は、俺が作った装甲の裂け目から侵入し、操縦者と装甲との間を満たしていく。
「いくらあなたでも、この一撃は耐えられないでしょう?」
水を操る楯無さんが、どこかの焔の錬金術師のように指をパチン!と鳴らす。
水と炎。操る物こそ異なるが、結果は同じ。
「――『
宣言と同時、強烈な音と水蒸気とが発生し、敵ISを内側から爆破する。
金属片が床や装甲に当たって奏でる耳障りな音を聞きながら、俺は勝利を確信した。
ビームサーベルと零落白夜の違いは、ビームサーベルがPS装甲の強度を上回る攻撃力で壊すのに対し、零落白夜はPS装甲に通電されているエネルギーをカットすることで、ディアクティブモードの装甲を破壊する感じです。