「着きましたよ」
「あ、はい……。誰だか知らないけど助かりました」
照明の下、ニコニコと笑みを浮かべるスーツの女性。
あの窮地から助けてくれた恩人に対し、俺は感謝の言葉を述べつつ左手を差し出す。
「お礼はいりませんよ、当然のことをしたまでです」
が、その手は誰かに握られることなく、宙ぶらりんのままだ。どこかのバチスタ手術の権威よろしく眼が見えないわけではなく、さらっと無視された様子。俺の
「それで、えっと……失礼ですが、お名前は?初対面……ですよね?」
ちょっと緊張している風を装いながら、滅多に使わない敬語とやらを使い、下手に出る。変にプライドの高い人間はこれだけで調子に乗るから御しやすいが、こいつはどうかな?
「申し遅れました。私、こういうものです」
目の前の女性は、極めて紳士的に――女なのに紳士とは妙な表現だが――懐に手を入れ、名刺を差し出す。企業に属する社会人としては当たり前の行動。
そして、俺は名刺を受取る。これも、サラリマンとしては当たり前の反応。
次の瞬間、女は悲鳴を上げ、名刺は消し墨になる。――ここだけ普通と違う。
「やってくれたな……クソガキ!」
名刺をつまんでいた右手を押さえながら、女の笑顔の質が変わる。
……うーん、高圧電流に紙が耐えられなかったか。あの様子じゃ、スタンショックはあんまし効いてねぇな。今度は指からテーザー発射できるようにしとこ。
「平和ボケした学生かと思えば、えげつない手を使いやがって!ブッ殺す!」
しびれが残る腕が使えないためか、女は蹴りを選択。それもご丁寧に、盾で防御しにくい右腕狙いと来た。
だけど、俺の目があれば余裕で見切れる。身体の反応は間に合わないが、思考が追い付けば十分だ。
(行くぜ――デルタ!)
コアへと呼びかけ、右腕の装甲を部分展開。俺の腕よりも倍以上長いISの装甲が、1秒足らずの時間で粒子から形成され、女の蹴りを完全に防ぐ。
しかし……妙だ。確かに痛そうな表情を浮かべているが、あの笑みは消えてねぇ!
「まだまだァ!」
女のスーツの背が切れたかと思うと、まるでサナギから蝶が羽化するかのように生えてきたのは8本の脚。色合いといい本数といい、どこか蜘蛛を連想させるその装甲に、俺は確かに見覚えがあった。
「そのIS……アメリカ産の『アラクネ』だな?」
「へっ、腐っても技術者かよ!」
8本の脚の先端に取り付けられた爪が開き、中から銃口が飛びだす。
いくら対弾シールドとはいえ、ISの火器までは防げない。ここは素直にデルタを展開し、身を守った方がよさそうだ。
しかし、ここは緊急避難用の通路。ASTRAYシリーズの持ち味である機動力を活かすためには少々不利と言わざるを得ない。
装甲を展開。それと同時に相手も発砲を開始する。
幸いオリジナル機と同じく実体弾装備ではあるが、PS装甲非搭載機であるデルタでは、直撃してはただでは済まない。故に俺はストレージからM1用のシールドを取り出し、実体化。多少の被弾は覚悟の上だ。ヴォワチュール・リュミエールを起動して、一気に押し出してやる!
バイザー越しに、不意をうたれて驚愕した女の顔が見える。……フフン、デルタの加速を見た奴は、みんなそういう顔をするんだよな。
さて、お互いにIS展開は完了したみてぇだが……
「かなり痛いぜ!覚悟しな!」
シールドごと体当たり。デルタとアラクネは一体となり、壁をブチ破りながらアリーナの外へと最短距離で向かっていく。しかも物理的な衝撃は全て目の前のアラクネが引き受けてくれるため、デルタはノーダメージだ。
その衝撃のせいか、常識外の加速のせいは知らないが、アラクネは抵抗らしい抵抗もせず、なされるがままに流されていく。
……まさか、この程度の相手を差し向けてくるなんて。いくら臨海学校で一度負けてるからといって、俺のことをナメ過ぎじゃねえの?
イラついて相手の顔を見る。名も知らぬ女は、虚空を見つめてブツブツと何かを呟いていた。背中と両腕と、合わせて9本も腕があるんだろ?ちょっとは抵抗してみせろよ。せっかく、デルタの初陣なんだからさあ……。
「……った………が……」
「何だよ。何か言いたいことでもあんのかよ?」
最後の壁をぶち破り、俺たちは青い空の元へ飛び出す。
……と、同時に、背中に衝撃を感じた。慌てて背後を確認すると、スラスターの下あたりに某潜入ゲームの小月光のような装置が取り付けられている。
「かかったなアホが!」
女の勝ち誇ったような声と共に、俺の全身を高圧電流に似た衝撃が貫いていく。
くっそ!そういや、装甲脚が一本足りねぇじゃねーか!新型の性能に酔って浮かれるなんて、箒のことを笑えねえな……。
加速が止まり、俺とアラクネの女は地面に投げ出される。相手はPICですぐに体勢を立て直したが、俺は……無理だな。
ああ、それにしても痛え。なんというか、身体の一部を無理やり引きちぎられるような、脳髄を身体から抜き出しているような、そんな形容しがたい感覚が絶え間なく襲ってくる。
夏に喰らったビームの方がまだマシだったな……一瞬で終わったから……。
「ギャハハハハ!いいザマだな、クソガキ!」
なんだよ、この野郎……。挨拶のとき電流流したのを根に持ってんのか?俺が言えた義理じゃねえけど、悪趣味な奴だぜ……。
……それにしても、こんなに隙だらけの俺に攻撃してこないなんて、やっぱ舐めてんのか?
ダメージにも慣れてきた。その余裕そうな顔に、一発キツいのブチ込んでやる!
やがて蓄積されたエネルギーが尽きたのか、衝撃は収まり、俺の身体が自由になった。
同時に、装置が地面に落ちて乾いた音を立てる。こころなしか身体が軽くなったような気さえするが、その瞬間、俺はなんとも例えがたい違和感を覚える。
――今見ているのは、モニター越しの景色じゃない。
それが、違和感の正体。それが意味することは、たったひとつのシンプルな事実。
「デルタが……強制解除された!?」
「正解だ、クソガキ!」
余裕の表情を浮かべたまま、女はわざわざ装甲に覆われていない生身の脚で、無様に倒れ込んだ俺を蹴り飛ばす。
左腕が自動的に割り込み、防御するものの衝撃までは消えず、俺はゴロゴロと地面を転がった。
「あー、痛え。強化人間ってのは体まで硬いのか?」
…………!
コイツ、俺の身体のことを知ってる!?
「まあいい。それよりお前の大事なISならここにあるぜ?」
言われるがままに顔を上げると、女の右手の中におさまっていたのは、輝きを放つ球形のクリスタル――状況からして間違いなく、デルタのコアだ。
「さっきの装置はなぁ!《
勝ち誇ったような台詞と同時、8本の装甲脚が一斉に俺を捉える。
「ワイズは殺すなって言ってたけど、要は死んでなきゃいいんだろ?てめえはアーチャーやチョッパーの仇だ。腕の一本や二本は覚悟するんだな!」
アーチャーに、チョッパーか。どちらも、臨海学校で耳にしたコードネームだ。
なら、こいつが今までの敵と同じなのは確定。
そろそろ、茶番は終わりにしようか。
「……やれ、デルタ」
女の持つISコアが、突如輝きを放つ。
輝きで女の目がくらんだ次の瞬間、俺とアラクネを遮るような位置にデルタが出現し、そのままアラクネの操縦者を殴り飛ばした。
突然の事態に対処できなかった女は、理想的な形で入ったボディブローを受け、身体を「く」の字に折り曲げながら吹き飛んでいく。
絶対防御があるから死にはしないだろうが、衝撃までは消せない。ざまあみろ!
「げ……くそっ……。何なんだよ、そのISは……」
腹を押さえたまま立ち上がった女は、立ち上がり土埃を払う俺と、その前に立ちビームライフルを構えるデルタとを交互に見て、呟く。
無理もない。なにせ、ISがひとりでに――操縦者がいないのに起動して、動いているのだ。
ISには操縦者が必要で、かつ女性でなければ起動できない。それがこの世界における絶対のルール。
だが、ルールには例外がある。
それは一夏であり、俺でもあり――このISのコアでもある。
デルタに使われているISコアは元々、IS学園の近海に沈んでいたのを俺が発見し、モルゲンレーテで回収したものだ。
で、解析した結果分かったのだが、このコアは世界に存在しないはずの468個目のコアであり、コア搭載機は無人機であった。そんなものを開発できる人物は一人しかいないが、まあ今はその話は関係ないだろう。
回収以来、どんな手を試しても起動しなかったこのコアだが、夏休みの最中のある実験により偶発的に起動を果たし、俺はこのコアの深層意識と交流することに成功した。
俺は依然ISが反応しない男性操縦者だが、このコアはそもそも操縦者がいなくても起動し、ISを稼働させる。
これが、俺がコア付きのISを使用出来ているカラクリだ。
「お前は知らないかもしれねえけどよ、メカにも心はあるんだ。ISを道具としてしか見ないお前に、イラッとしたんじゃねぇの?」
「……ふざけやがって!」
立ち直ったアラクネは、PICを使って空中へと飛び上がり、手数の多さを活かして面制圧射撃を開始する。
「来たか……。デルタ、行くぞ!」
俺は再びデルタを装着すると、背中にエネルギーを送り込む。
一度は失われた翼が、再び力を取り戻して光を放つ。
降りそそぐ鉛の嵐を置き去りにして、跳躍。銃弾の壁から逃れた時点で、もう一度だけ加速。
同時に、鞘におさめたガーベラストレートに手をかける。装甲越しで伝わるはずの無い熱が右腕から全身に行きわたり、俺を燃え上がらせるような錯覚さえ覚えた。
――行くぜ、相棒。俺たちの新しい力を、存分に見せつけてやろう。
「これが、俺の……」
ようやく、アラクネは俺がいなくなったことに気付いたらしい。装甲脚を動かして射線を変更するが……止まって見えるぜ?
「……ASTRAYの力だ!」
すれ違いざまガーベラを抜刀し、胴体に一撃。強烈な加速と俺の技量を以って放たれた居合切りは、アラクネを打ちあげるには十分すぎる力を持っていた。
装甲が光の粒となって消え去り、操縦者は空中に投げだされる。
まさに一撃必殺。俺の復帰戦としては、なかなかいいスタートを飾れたんじゃねぇの?
絶対防御の発動によって意識を遮断された操縦者を掴み、俺は地上に下りる。
そのとき――正体不明の爆発音が、アリーナの中から響き渡った。
「かかったなアホが!」から楯無さんに冷凍されるオータムとか見たかった。
防御面を気にする必要がなくなったため、紅也も強くなっています。