IS~RED&BLUE~   作:虹甘楽

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第123話 Crossing field

『ねえ、コウヤくん』

 

 いつものようにいっぱい遊んだ公園の中で、隣に座った女の子が声を出す。

 

『楽しいね、こういうの』

『……うん』

 

 何をするわけでもない、特別でもない一日。いつもと違うのは、ひとつだけ。

 アオイがいない、ってことだけ。

 

 それは、僕にとっては珍しい事じゃなかった。双子だからって、いつも二人で一つじゃない。

 

 ただ……アオイがいない今日という日は、女の子にとっては特別だった。

 

 特筆すべきことはない。

 ただ、それだけの話。

 

 

 

 

 

 

 ――突然の告白。

 

 セシリアでも簪でもなく、箒からの告白。

 

 それは俺にとっては予想外というか、あまりにも唐突だった。

 

「好き、って……。一夏じゃなくて、俺が?だって、お前は、ずっと、一夏のことを……」

「ああ、そうだな。確かに、私は一夏も好きだ。だが、それが恋愛感情によるものかと言われると……分からない。……ただ、紅也といるとなんというか、安心するんだ。だから、私は紅也のそばにいたいと思ったんだ」

 

 頬に赤みがさして見えるのは、先程までの興奮のせいか、はたまた別の要因によるものか。それを判断する術は、少なくとも俺には存在しない。

 

「そう、か……」

 

 だから、こんな間に合わせの言葉しか出てこない。

 いつもは冷静ぶって振舞ってる俺が、全く自体に対処できてない。

 

 ……そうだ、これ自体は悪い事じゃない。

 箒は、世界初の第四世代機の操縦者にして、天才科学者である篠ノ之束の唯一無二の妹。恋愛をきっかけにモルゲンレーテに引き込めれば、この世界におけるIS開発で大きくリードすることもできる。

 なにせ、ISコアを無制限に獲得することができる可能性があるのだ。世界のパワーバランスを変化させ、モルゲンレーテが世界の頂点に立つことも夢ではない。

 篠ノ之箒という存在は、それほどの影響力を持つ“爆弾”なのだ。

 

 だが、嫌になるほど打算的な考え方も、次の瞬間にはとたんに消えてしまった。

 

「紅也が私を庇って大怪我して、それを知ったときに気付いたんだ。紅也のそばにいたい。ここなら、私は、きっと……」

 

 きっと、の後に何を言おうとしたのかは分からない。

 先程までの混乱した思考がクリアになって、上がっていた血圧が急激に下がっていく。

 一方で、俺の頭は怒りやら悔しさやらでごちゃごちゃになっていて。

 

「――ふざけるな!」

 

 気が付いたら、自然に声が出ていた。

 

「こ、紅也?どうした?私は、別にふざけてなど……」

「そうか、気付いてないか。そうだろうなぁ。『味方が自分を庇う』なって状況、何度も経験してる奴なんているわけねぇ。……いたとしたら、どんだけ無能なんだって話だ」

 

 ――コウくん、無理せず下がって!

 ――お兄ちゃんは、私が守る!

 ――心配すんな!この程度、俺一人で十分だ!

 ――だから言ったでしょう!?『どこを見ている』と!

 

 守られ、助けられ……。苦い思い出ばっかりだ。

 だけど、俺はその度に……怒りや悔しさと同時に、ある感情を抱いていた。

 

「ひとつ、教えておく。その感情は……箒の、その想いの正体は……『罪悪感』だ。恋心なんかじゃ、ねぇんだよ……」

 

 自分のせいで、大事な人が傷ついた。

 自分のせいで、皆に迷惑をかけてしまった。

 俺は、弱かったから。

 何度も何度も守られて、慰められて、その度に胸が締め付けられるような苦しみを感じ続けてきたから、今の箒の気持ちが分かる。

 

「苦しいよな……。最初は苦しいんだ。辛くて辛くて、情けなくて、自分がどうにかしちまったんじゃねぇか、って思う。……でも、な。そのうち安心するんだ。その人のそばにいることで、自分が何かできる気になってくる。ずっと一緒にいて、助けてあげなきゃ、って思って、最後には依存してしまう……。……俺は、そんなのは嫌なんだよ」

 

 かつて、俺が“あの人”や葵、師匠と共にいたのと同じように。

 あの頃は確かに幸せを感じていたけど、それじゃダメだと思ったから、俺は旅に出たんだ。

 

「お互いに不幸になる、とは言わない。そういうあり方があるのも知ってる。…でもさ、俺は嫌なんだ。ごめんな……箒」

「……………」

 

 箒は無言のまま、静かに俯く。

 これは、間違いなく俺のワガママだ。勝手だってことも分かってる。

 

 ……そういえば。

 あの病室で再会してから、箒はずっと俺のことを気にかけてくれた。

 ときには、俺がボロを出さないように。

 ときには、俺が不自由しないように。

 気付いたら俺の左にいて、一夏よりも俺のそばにいることが多くて、葵と俺が揉めたときも、さりげなく気を使ってくれた。

 

 ああ、なんだ。

 

 こうなる予兆は、あちこちに転がっていたじゃないか。

 

 いくら忙しかったからといって、見過ごしてはいけないものを見逃し、一人の少女を傷つけ、何も言えない。

 

 俺は……最低の男だ。

 

「……そろそろ時間だ。ごめん、箒……。お前の気持ちには、答えられない」

 

 ほら、やっぱり最低だ。

 自分を傷つけたくないから、またしても時間を言い訳にして、この場から逃げ出すなんて。

 

 

 

 

 

 

 ――自己嫌悪。

 

 他に言い方があったんじゃないかとか、もっと早くケアしておくべきだったとか、グルグルと回って頭がハツカネズミみたいになる。

 もう、何も考えたくなくて。それでも、冷静に作戦を練り直してる自分がいて。

 何度も何度も、口から幸せが逃げていく。

 

 そんなとき。

 

 不意に頬に当てられた、ひやりと冷たいアルミの感触。

 昔、まだアメリカにいたころには日常的に行われていたそれが、なんだか妙に懐かしくって、俺は思わず横を向く。

 

 ――果たして、そこには。

 

「こーら!そんな暗い顔、キミには似合わないわよ!」

 

 長いブロンドを風になびかせて立つ、年上の綺麗な女性。

 N.G.Iと協力していた頃。ひそかに憧れていたあの人が、確かに存在していた。

 

「……お久しぶりです、エイミーさん。ジュース、頂きますね」

「もちろんどうぞ。コウくんのために買ってきてあげたんだから!」

「はは……嬉しい事を言ってくれますね」

 

 缶を受け取り、近くのベンチに腰かける。奇しくもそこは、先程まで俺と箒が和気藹々と話していたまさにその場所だった。

 プシュッ!と小気味良い音を立て、プルタブが缶に食い込んでいく。中から炭酸ガスが漏れるのと同時、俺の心の中のモヤモヤも少しだけ、外に出ていったような気がした。

 

「見てたわよ、コウくん。女の子にあんな顔させるなんて、罪作りな男ね」

「はは……妙にいいタイミングで出てくると思ったら、やっぱりいたんですか。趣味が悪いですよ?」

「盗人が何を言うか、なんてね!

 ……でも、それよりもっと悪いのは、そんな顔のままあの子の前から立ち去ったことよ」

 

 あーあ、また顔のことを言われちまった。

 

「もう!コウくんはそんな暗い顔より、笑顔の方が似合ってるわよ!ほら、笑って笑って!」

「ちょ、ちょっと何ふぉふふんふぇふふぁ!」

 

 言うが早いか、エイミーさんは神速の抜き手を放って俺の頬をつまみ、ぐにゃぐにゃとこねくり回し始める。それが痛いやら、むず痒いやらで、現在進行形で考えている問題が頭から抜け落ちていく。

 

 そういえば、エイミーさん。顔が近いですって、顔が!なんか、後ろの方で屋台をやってる女の子がキャーキャー言ってますよ!恥ずかしいなぁ、もう!

 そんな俺の考えが伝わったのかどうか知らないけど、目の前の女性は快活な笑みを浮かべ……

 

「そう、そうやって慌ててる顔の方が、コウくんらしくて私は好きよ?」

 

 とんでもなく俺の心を揺さぶるような一言を言い放った。

 

「……あ、ありがとう、エイミーさん。おかげで、ちょっとだけ元気になれた」

「なによ、せっかく会いに来たのに。……ま、それでこそコウくんね」

 

 にこり、と魅力的な笑みを浮かべたエイミーさんは、突き出した唇から吐息を洩らすと、そのまま顔を遠ざけていく。その様子に後ろ髪を引かれつつも、動揺を悟られないようにジュースを一口分含み、ゆっくりと静かに飲み干した。

 

「ふふっ、ドキドキしたでしょ?」

「いーえ!ぜーんぜん!」

「……ウソツキ」

 

 ぼそり、と笑顔を浮かべたまま呟いた彼女は再び俺に接近すると、すっ……と左腕を伸ばし、女性にしては大きな手の平を俺の胸に静かに当てた。

 当然、こんなことをされた俺の理性が持つはずもなく、突き放すことも窘めることもできないまま、金縛りのような状態に陥ってしまう。

 

「ホラ、こんなにドキドキしてる。……コウくん、焦りを隠そうとするときは必ず、そうやって飲み物を飲む癖があるのよ」

「あ……え……?」

 

 思わず、口元に手をやる。ジュースで少し湿った唇が、その通りだとでも言わんばかりに自己主張を行っていた。

 

「気付いてなかったの?」

「……恥ずかしながら。……自分でも気付かなかったのに……」

「当然よ。だって私、コウくんのことなら何でも知ってるから」

「……また、そういうこと言って……」

 

 普段感じていた罪悪感とはまた違った“罪悪感”に押しつぶされそうになっていた心のヒビワレに、エイミーさんの言葉が優しく染みわたっていく。

 自分を見てくれる人がいる。自分を知ってくれる人がいる。

 それが、こんなに安心することだったなんて……。

 

「……ね、コウくん。私たちって今、どういう風に見えてると思う?」

「……それは、こんなに顔を、近付けてたら……えっと、俺と貴女が、その……」

 

 こんなことは、今まで無かった。

 頭でははっきりと分かっている内容が。この、いつもは相手を騙し、その場を茶化すために動いている唇で。

 

 言葉に、できない。

 

「いいのよ、私は。キミと私が周りからそういう風に見られても――」

 

 なのに、エイミーさんだけは余裕綽々。無様に言葉に詰まる俺を、どこか慈愛の様なものを含んだ笑みで包み込んだまま、さらに顔を接近させる。

 そして……

 

「それは……私の、望むところだから」

 

 俺の視界を彼女が支配し、唇に柔らかな何かが当たる。

 肌と肌が触れ合い、小さな音を立てた後、俺が見る風景の中に再びエイミーさんが帰って来た。

 

「え、え……と、エイミー、さん?」

「これが、私の気持ちよ、コウくん。私は、キミが……ううん、コウヤ君のことが好き」

 

 今日一日、友達みんなと学祭を楽しんで。

 ついさっき、唐突に箒に告白されて、それを断って傷つけて。

 そんなときにエイミーさんに出会って、わずかな時間の間に癒されて。

 そして、突然キスされて、また告白されて……。

 

 わからない。

 

 いろいろなことがあり過ぎて、俺の思考回路はパンク寸前。

 何がいいのか?誰が好きなのか?

 組織としての利益は?俺個人の感情は?

 いくら大人に混じって生活して、年齢よりも大人びていても、俺自身はまだまだガキだ。

 全てがぐるぐる回っていて、自分がどうしたいのかもわからなくて、ただただ混乱するだけ。自分の中に、俺が埋まっていく。

 エイミーさんは、俺の憧れの人だ。

 モルゲンレーテに初めて行ったとき、たまたまN.G.Iから出向していて、いろいろ優しくしてくれた。

 アメリカに行ったときも、右も左も分からなかった俺たちを優しく見守ってくれたし、それに、すごく綺麗になっててびっくりした。

 

「だからね、コウヤ君。私と……一緒に、来てくれる?」

 

 そんな彼女から、ストレートな好意をぶつけられ、俺は混乱している。

 箒のことを笑えない。何度も俺を助けてくれた彼女が俺を欲しているならば、応えなければならないと思っている自分がいる。

 

――私は、大丈夫だから!

 

 そんなときに脳裏をよぎったのは、記憶の中で聞いた力強い声と、翻る長くて美しい青髪。

 もう一人でも大丈夫だ、と。馬鹿な兄に刻みつけてくれた妹が、風の中に消えていく。

 

「俺、は……」

 

 そのとき感じた思いを胸に、俺は立ち上がり、エイミーさんと正面から向かい合う。

 自分以外の何かを言い訳にしてはいけない。自分の心を言葉にして、彼女に伝えなければならない。

 しかし、そんな決意を裏切るかのように、タイムリミットを告げる放送が流れる。

 

『まもなく、生徒会による演目、『シンデレラ』の開始時刻です。参加者は準備を整えた上で、速やかに第4アリーナに集合して下さい』

 

「……すみません、そろそろ行かないと」

「そう……。……私、待ってるから。この場所で、ずっと……。だから……」

 

 ――行ってらっしゃい。

 

 切なげに手を振るエイミーさんを置き去りにして、俺はアリーナへの道を急ぐ。

 心の内に、いくつもの迷いの種を抱えたまま。




昔の話でちょこっと話題に出た、「紅也の好み」に近い女性は、実はこのエイミーさんだったりします。

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