『ねえ、コウヤくん』
いつものようにいっぱい遊んだ公園の中で、隣に座った女の子が声を出す。
『楽しいね、こういうの』
『……うん』
何をするわけでもない、特別でもない一日。いつもと違うのは、ひとつだけ。
アオイがいない、ってことだけ。
それは、僕にとっては珍しい事じゃなかった。双子だからって、いつも二人で一つじゃない。
ただ……アオイがいない今日という日は、女の子にとっては特別だった。
特筆すべきことはない。
ただ、それだけの話。
◆
――突然の告白。
セシリアでも簪でもなく、箒からの告白。
それは俺にとっては予想外というか、あまりにも唐突だった。
「好き、って……。一夏じゃなくて、俺が?だって、お前は、ずっと、一夏のことを……」
「ああ、そうだな。確かに、私は一夏も好きだ。だが、それが恋愛感情によるものかと言われると……分からない。……ただ、紅也といるとなんというか、安心するんだ。だから、私は紅也のそばにいたいと思ったんだ」
頬に赤みがさして見えるのは、先程までの興奮のせいか、はたまた別の要因によるものか。それを判断する術は、少なくとも俺には存在しない。
「そう、か……」
だから、こんな間に合わせの言葉しか出てこない。
いつもは冷静ぶって振舞ってる俺が、全く自体に対処できてない。
……そうだ、これ自体は悪い事じゃない。
箒は、世界初の第四世代機の操縦者にして、天才科学者である篠ノ之束の唯一無二の妹。恋愛をきっかけにモルゲンレーテに引き込めれば、この世界におけるIS開発で大きくリードすることもできる。
なにせ、ISコアを無制限に獲得することができる可能性があるのだ。世界のパワーバランスを変化させ、モルゲンレーテが世界の頂点に立つことも夢ではない。
篠ノ之箒という存在は、それほどの影響力を持つ“爆弾”なのだ。
だが、嫌になるほど打算的な考え方も、次の瞬間にはとたんに消えてしまった。
「紅也が私を庇って大怪我して、それを知ったときに気付いたんだ。紅也のそばにいたい。ここなら、私は、きっと……」
きっと、の後に何を言おうとしたのかは分からない。
先程までの混乱した思考がクリアになって、上がっていた血圧が急激に下がっていく。
一方で、俺の頭は怒りやら悔しさやらでごちゃごちゃになっていて。
「――ふざけるな!」
気が付いたら、自然に声が出ていた。
「こ、紅也?どうした?私は、別にふざけてなど……」
「そうか、気付いてないか。そうだろうなぁ。『味方が自分を庇う』なって状況、何度も経験してる奴なんているわけねぇ。……いたとしたら、どんだけ無能なんだって話だ」
――コウくん、無理せず下がって!
――お兄ちゃんは、私が守る!
――心配すんな!この程度、俺一人で十分だ!
――だから言ったでしょう!?『どこを見ている』と!
守られ、助けられ……。苦い思い出ばっかりだ。
だけど、俺はその度に……怒りや悔しさと同時に、ある感情を抱いていた。
「ひとつ、教えておく。その感情は……箒の、その想いの正体は……『罪悪感』だ。恋心なんかじゃ、ねぇんだよ……」
自分のせいで、大事な人が傷ついた。
自分のせいで、皆に迷惑をかけてしまった。
俺は、弱かったから。
何度も何度も守られて、慰められて、その度に胸が締め付けられるような苦しみを感じ続けてきたから、今の箒の気持ちが分かる。
「苦しいよな……。最初は苦しいんだ。辛くて辛くて、情けなくて、自分がどうにかしちまったんじゃねぇか、って思う。……でも、な。そのうち安心するんだ。その人のそばにいることで、自分が何かできる気になってくる。ずっと一緒にいて、助けてあげなきゃ、って思って、最後には依存してしまう……。……俺は、そんなのは嫌なんだよ」
かつて、俺が“あの人”や葵、師匠と共にいたのと同じように。
あの頃は確かに幸せを感じていたけど、それじゃダメだと思ったから、俺は旅に出たんだ。
「お互いに不幸になる、とは言わない。そういうあり方があるのも知ってる。…でもさ、俺は嫌なんだ。ごめんな……箒」
「……………」
箒は無言のまま、静かに俯く。
これは、間違いなく俺のワガママだ。勝手だってことも分かってる。
……そういえば。
あの病室で再会してから、箒はずっと俺のことを気にかけてくれた。
ときには、俺がボロを出さないように。
ときには、俺が不自由しないように。
気付いたら俺の左にいて、一夏よりも俺のそばにいることが多くて、葵と俺が揉めたときも、さりげなく気を使ってくれた。
ああ、なんだ。
こうなる予兆は、あちこちに転がっていたじゃないか。
いくら忙しかったからといって、見過ごしてはいけないものを見逃し、一人の少女を傷つけ、何も言えない。
俺は……最低の男だ。
「……そろそろ時間だ。ごめん、箒……。お前の気持ちには、答えられない」
ほら、やっぱり最低だ。
自分を傷つけたくないから、またしても時間を言い訳にして、この場から逃げ出すなんて。
◆
――自己嫌悪。
他に言い方があったんじゃないかとか、もっと早くケアしておくべきだったとか、グルグルと回って頭がハツカネズミみたいになる。
もう、何も考えたくなくて。それでも、冷静に作戦を練り直してる自分がいて。
何度も何度も、口から幸せが逃げていく。
そんなとき。
不意に頬に当てられた、ひやりと冷たいアルミの感触。
昔、まだアメリカにいたころには日常的に行われていたそれが、なんだか妙に懐かしくって、俺は思わず横を向く。
――果たして、そこには。
「こーら!そんな暗い顔、キミには似合わないわよ!」
長いブロンドを風になびかせて立つ、年上の綺麗な女性。
N.G.Iと協力していた頃。ひそかに憧れていたあの人が、確かに存在していた。
「……お久しぶりです、エイミーさん。ジュース、頂きますね」
「もちろんどうぞ。コウくんのために買ってきてあげたんだから!」
「はは……嬉しい事を言ってくれますね」
缶を受け取り、近くのベンチに腰かける。奇しくもそこは、先程まで俺と箒が和気藹々と話していたまさにその場所だった。
プシュッ!と小気味良い音を立て、プルタブが缶に食い込んでいく。中から炭酸ガスが漏れるのと同時、俺の心の中のモヤモヤも少しだけ、外に出ていったような気がした。
「見てたわよ、コウくん。女の子にあんな顔させるなんて、罪作りな男ね」
「はは……妙にいいタイミングで出てくると思ったら、やっぱりいたんですか。趣味が悪いですよ?」
「盗人が何を言うか、なんてね!
……でも、それよりもっと悪いのは、そんな顔のままあの子の前から立ち去ったことよ」
あーあ、また顔のことを言われちまった。
「もう!コウくんはそんな暗い顔より、笑顔の方が似合ってるわよ!ほら、笑って笑って!」
「ちょ、ちょっと何ふぉふふんふぇふふぁ!」
言うが早いか、エイミーさんは神速の抜き手を放って俺の頬をつまみ、ぐにゃぐにゃとこねくり回し始める。それが痛いやら、むず痒いやらで、現在進行形で考えている問題が頭から抜け落ちていく。
そういえば、エイミーさん。顔が近いですって、顔が!なんか、後ろの方で屋台をやってる女の子がキャーキャー言ってますよ!恥ずかしいなぁ、もう!
そんな俺の考えが伝わったのかどうか知らないけど、目の前の女性は快活な笑みを浮かべ……
「そう、そうやって慌ててる顔の方が、コウくんらしくて私は好きよ?」
とんでもなく俺の心を揺さぶるような一言を言い放った。
「……あ、ありがとう、エイミーさん。おかげで、ちょっとだけ元気になれた」
「なによ、せっかく会いに来たのに。……ま、それでこそコウくんね」
にこり、と魅力的な笑みを浮かべたエイミーさんは、突き出した唇から吐息を洩らすと、そのまま顔を遠ざけていく。その様子に後ろ髪を引かれつつも、動揺を悟られないようにジュースを一口分含み、ゆっくりと静かに飲み干した。
「ふふっ、ドキドキしたでしょ?」
「いーえ!ぜーんぜん!」
「……ウソツキ」
ぼそり、と笑顔を浮かべたまま呟いた彼女は再び俺に接近すると、すっ……と左腕を伸ばし、女性にしては大きな手の平を俺の胸に静かに当てた。
当然、こんなことをされた俺の理性が持つはずもなく、突き放すことも窘めることもできないまま、金縛りのような状態に陥ってしまう。
「ホラ、こんなにドキドキしてる。……コウくん、焦りを隠そうとするときは必ず、そうやって飲み物を飲む癖があるのよ」
「あ……え……?」
思わず、口元に手をやる。ジュースで少し湿った唇が、その通りだとでも言わんばかりに自己主張を行っていた。
「気付いてなかったの?」
「……恥ずかしながら。……自分でも気付かなかったのに……」
「当然よ。だって私、コウくんのことなら何でも知ってるから」
「……また、そういうこと言って……」
普段感じていた罪悪感とはまた違った“罪悪感”に押しつぶされそうになっていた心のヒビワレに、エイミーさんの言葉が優しく染みわたっていく。
自分を見てくれる人がいる。自分を知ってくれる人がいる。
それが、こんなに安心することだったなんて……。
「……ね、コウくん。私たちって今、どういう風に見えてると思う?」
「……それは、こんなに顔を、近付けてたら……えっと、俺と貴女が、その……」
こんなことは、今まで無かった。
頭でははっきりと分かっている内容が。この、いつもは相手を騙し、その場を茶化すために動いている唇で。
言葉に、できない。
「いいのよ、私は。キミと私が周りからそういう風に見られても――」
なのに、エイミーさんだけは余裕綽々。無様に言葉に詰まる俺を、どこか慈愛の様なものを含んだ笑みで包み込んだまま、さらに顔を接近させる。
そして……
「それは……私の、望むところだから」
俺の視界を彼女が支配し、唇に柔らかな何かが当たる。
肌と肌が触れ合い、小さな音を立てた後、俺が見る風景の中に再びエイミーさんが帰って来た。
「え、え……と、エイミー、さん?」
「これが、私の気持ちよ、コウくん。私は、キミが……ううん、コウヤ君のことが好き」
今日一日、友達みんなと学祭を楽しんで。
ついさっき、唐突に箒に告白されて、それを断って傷つけて。
そんなときにエイミーさんに出会って、わずかな時間の間に癒されて。
そして、突然キスされて、また告白されて……。
わからない。
いろいろなことがあり過ぎて、俺の思考回路はパンク寸前。
何がいいのか?誰が好きなのか?
組織としての利益は?俺個人の感情は?
いくら大人に混じって生活して、年齢よりも大人びていても、俺自身はまだまだガキだ。
全てがぐるぐる回っていて、自分がどうしたいのかもわからなくて、ただただ混乱するだけ。自分の中に、俺が埋まっていく。
エイミーさんは、俺の憧れの人だ。
モルゲンレーテに初めて行ったとき、たまたまN.G.Iから出向していて、いろいろ優しくしてくれた。
アメリカに行ったときも、右も左も分からなかった俺たちを優しく見守ってくれたし、それに、すごく綺麗になっててびっくりした。
「だからね、コウヤ君。私と……一緒に、来てくれる?」
そんな彼女から、ストレートな好意をぶつけられ、俺は混乱している。
箒のことを笑えない。何度も俺を助けてくれた彼女が俺を欲しているならば、応えなければならないと思っている自分がいる。
――私は、大丈夫だから!
そんなときに脳裏をよぎったのは、記憶の中で聞いた力強い声と、翻る長くて美しい青髪。
もう一人でも大丈夫だ、と。馬鹿な兄に刻みつけてくれた妹が、風の中に消えていく。
「俺、は……」
そのとき感じた思いを胸に、俺は立ち上がり、エイミーさんと正面から向かい合う。
自分以外の何かを言い訳にしてはいけない。自分の心を言葉にして、彼女に伝えなければならない。
しかし、そんな決意を裏切るかのように、タイムリミットを告げる放送が流れる。
『まもなく、生徒会による演目、『シンデレラ』の開始時刻です。参加者は準備を整えた上で、速やかに第4アリーナに集合して下さい』
「……すみません、そろそろ行かないと」
「そう……。……私、待ってるから。この場所で、ずっと……。だから……」
――行ってらっしゃい。
切なげに手を振るエイミーさんを置き去りにして、俺はアリーナへの道を急ぐ。
心の内に、いくつもの迷いの種を抱えたまま。
昔の話でちょこっと話題に出た、「紅也の好み」に近い女性は、実はこのエイミーさんだったりします。