私の専用機であるそれは、長い間『未完成』の状態で放置されてた。
でも、やっと。
やっと、この子は完成する。
助けてくれたのは、やっぱり紅也くん。
初めて会ったときもそうだった。誰にも頼らずに設計を続けてた私に手を伸ばして、助けてくれると言ってくれた。
そして、今。
またもや一人で立ち往生してた私を、紅也くんが手伝ってくれる。
それ自体は、すごく嬉しい。だけど、同時に不安でもある。
……この機体が完成したとき、私と紅也くんはどうなるんだろう?
さっき、紅也くんははっきりと言った。『今の俺は簪のための技術者』……と。
じゃあ、その後は?
紅也くんは、私から離れていくんだろうか?
……もしかして、将来の話って、そういうこと!?
嫌だ。
それだったら、私は……。
……いいえ、ちょっと待って!
いつまでもネガティブに考えちゃダメ!本音も言ってたじゃない!「これは間違いなく愛の告白だよ~!」って!
だから、信じる。私は自信がないけど、そう言ってくれた本音を信じる!
そしていつか、私を信じる私を、信じられるようになる!
そう決めた!
「……コホン!」
決意を固めたまさにそのタイミングで、紅也くんがわざとらしく咳払いをした。
紅也くんに目線を向けると、紅也くんも私をじっと見つめる。
……紅也くん、日焼けしてワイルドになったなあ。
それに、雰囲気も変わった。どこか大人びてる。
一方で、緊張をほぐすための深呼吸なんかは子供っぽくて、そのギャップのせいでいつもより魅力的に見えるというか……って、何考えてるの、私!
真剣な表情をしておいて、頭の中は桃色なんて……恥ずかしい……。
「なあ、簪」
――来た。
何を言われるんだろう。別れ話?いやいや違うまだ付き合ってもいないというか、キスはダメまずは手をつないでから、あれ違う。何を考えてたんだっけ?
そうそう。ここで『機体の開発は終わったけど、これからも俺のパートナーでいてくれ』とか言われて、抱きしめられて、夕日が二人を照らす中……
「俺は、お前に聞きたいことがあって呼び出したんだ。もしかしなくてもこれは、答えにくいことだと思う。……だけど、一つだけ約束する。簪がどう答えても、俺の簪への気持ちは変わらないから……」
……えっ!?今、何て言ったの?
紅也くんの……私への気持ち!?それって、もしかして、もしかすると、本音が言ったように……!
「分かった!つ、続きを……続きを聞かせて!」
「……そっか。ありがとな、簪。
えーっとな、その……聞きたいことっていうのは――」
『俺はお前が好きだ。お前は、俺のことが好きか?』
『もちろん、大好き。だから紅也くん……ううん、紅也。私を……』
「――お前の姉、更識楯無のことなんだ」
その瞬間。
幻想は、儚く崩れ去った。
◆
……そっか。そうだよね。
いつもそうだもん。みんな、私じゃなくて姉さんを見てる。
なのに、私。
勝手に勘違いして、勝手に浮かれて。
本当に。
馬鹿みたい。
本当に、馬鹿みたい。
「悪いな、話しにくいことだってのは分かってるんだ」
紅也くんの声は聞こえ続ける。
聞きたくない。
ここから先は、聞きたくない。
これを聞いたら、全てが終わってしまう気がした。
優しくしてくれた紅也くんも。
完成に近づいた打鉄弐式も。
それらを通して知り合った、他の専用機持ちも。
全てが、台無しになってしまう。
「もちろん、答えたくなければ、そう言ってくれて構わない。こっちだって、無茶言ってるのは百も承知だ。でも、聞かなきゃいけない。だって、更識先輩は――」
紅也くんは、そんな私には気付かない。
それとも、気にもしてないのかな?
だって、私に近づいたのだって、最初から……姉さんが目的だったんだから。
そう自覚したとき、私の心の中のナニカに、ひびが入った気がした。
ひびはどんどん広がっていって、
でも、
きっと、
そして、そのときは……すぐそこに。
紅也くんの口が動くのが、やけにゆっくりに見える。
心は聞きたくないと叫んでいるのに、私の耳はその声を聞いてしまう。
耳を塞ごうと思っても、身体が動かない。
私の身体は、すでに諦めてしまっていた。
だから。
「――危険だから」
その一言は、あまりに予想外だった。
◆
〈side:山代 紅也〉
更識先輩の名前を口にしたとき、簪がなにかをこらえるような表情になったのは、すぐに分かった。
でも、このときの俺は、たとえ簪にどう言われてもいいと思ってた。
だから、はっきりと言うことにした。
「悪いな、話しにくいことだってのは分かってるんだ。もちろん、答えたくなければ、そう言ってくれて構わない。こっちだって、無茶言ってるのは百も承知だ。でも、聞かなきゃいけない。だって、更識先輩は……危険だから」
罪悪感を捨て、ただ事実を、ありのままを伝える。
そうしなければ、簪の話は聞けない。そう、判断したから。
「き、けん……?」
簪は、先程までの痛みをこらえるような表情から一変、唖然とした顔になる。
……そりゃそうか。折り合いが良くないとはいえ、肉親について『危険』とか言われたら、まあ驚くよな。
「ああ。昨日、俺と葵は先輩から接触を受けた。そのとき先輩は、俺たち兄妹の事情をかなり詳しく知ってた。公開されてない部分も含めて、な。……そんなこと、普通の人間にはできない。だから、簪に聞いてみたかったんだ。更識楯無の素性を……」
隠してもしょうがない。俺は考えていたことを、すべて話すことにした。
その間、簪は表情を変えずに俺の話を聞いていた。
「……一つ、だけ……聞かせて」
全てを語り終えた後、ぽつり、と。
簪は、いつも以上にたどたどしく、しかし力のこもった声でそう呟いた。
「紅也くんが……私に、接触したのは……最初から、姉さんを探るため……だったの?」
「いや、違う」
この言葉には、簪の気持ちが込められている。
私を裏切ったのか?協力者じゃなかったのか?
そんな心境だろう、と推測はできるが、俺は簪じゃない。だから、簪の気持ちは分からない。
俺に出来ることはただ一つ。
気持ちをぶつけてきた簪に対して、こっちも本音でぶつかることだけ。
「あの出会いは偶然だった。もちろん、そのときから簪に姉がいることは知ってたけど、そのときから今日のことを見越してたわけじゃない」
「……………」
「俺が簪に手を貸した理由は、ただ一つ。こんな未熟者の俺を頼ってくれたことが、嬉しかったからだ。……まあ、自分と相手の利益を考えて、ちゃんと交渉できたってことも加えれば、二つか。ああ、いや、マルチロックを試してみたかったってのも含めて三つ?あれ、結構あるな……」
指で数えながら、理由を上げてみる。
……打算で動いてた部分もあったからなぁ。マルチロック技術を完成させて、エイミーさんを引き抜こうとか考えてたわけだし。取引できるほどの完成度じゃなかったから、公式発表はしてないけどな。
見ると、簪は肩を震わせてる。呆れられたか?それとも、怒らせたか?
無理もないか。自分を助けてくれた相手は、無償の善意で動いてたんじゃなくて、打算で行動してたなんて知ったら――ッ!
ボスッ、と腹のあたりに衝撃を感じた。
……あ、朝倉……?
じゃない、簪だ。
簪が、俺に向かって突撃してきて、俺の腰をホールドしてる。
同時に、そこに感じる違和感。
汗をかいたわけでも、出血したわけでもないのに、腹が濡れてる。
何があった?
分からない。
考えても分からない。――否、考えることが出来ない。
「うぅ……。グスッ……。良か……良かった……」
――そして、この声を聞いて、俺はようやく“答え”に辿り着いた。
これは、涙だ。
今、俺と接触してる簪は、泣いているんだ。
「……簪?何で、泣いてるんだ……?」
「グスッ……良かった……。紅也は……姉さんの……じゃ、なかった……」
「……はぁ。こう言う場合って、どうすりゃいいんだっけ?」
何となく申し訳なくなった俺は、とりあえず簪が泣きやむまで、好きなようにさせてやることにした。
◆
「……落ち着いたか?」
「……………」
「そっか。それなら良かったよ」
あれから数分間、簪は離れなかった。
そしてようやく泣き止んだと思ったら、現在の状況を思い出して赤面。そのまま跳ぶように俺から離れ、今に至る……と、いうわけだ。
「あー……なんだ。もしかし……なくても、泣いた原因って俺だよな?悪かった」
「え……いや、違う……。確かに、原因は……紅也、くんだけど、でも……悪いとかそういう意味じゃ、なくて」
「そうか。じゃ、ついでに理由を聞かせてくれないか?俺としても、何で泣かれたのか分からねぇと、困るんだ」
「……嬉しかった、から」
「……へ?」
嬉しかった?何が?
「紅也、くんは……姉さんの差し金じゃ、ないって……分かった、から」
「更識先輩の?それって、どういう……?」
俺が、更識先輩の差し金?
いや、そもそも“差し金”って言葉はあまりいい意味では使われないはず。
“手助け”とか、そういった肯定的な言葉じゃなくて、否定的な言葉を使った理由は、一体……?
ひょっとしたら、俺が聞きたい話と関係があるかもな。
「……紅也、くんには……話しておく。姉さんのことと……私の、ことを……」
簪は、ためらうように口を開いたり閉じたりしてる。
正直、話すことへの葛藤が大きいんだろう。
でも、俺には止められない。
簪の決意を大事にするとか、そういういかにも主人公な考え方のせいじゃない。
俺が、聞きたいから。
そんな、自分本位な理由で。
俺は、止めない。
……最低だな。
「……私の姉さん、更識楯無は……本物の天才。完成された美、優れた頭脳、常人を超越した肉体能力、多くの人心を掴んで離さない魅力……。……私は、それが……恐ろしかった」
淡々と、感情を排したままに語る簪。
でも、その様子こそが……彼女の心の奥底にある気持ちを表しているように思えた。
――それは、劣等感。比べるのも馬鹿らしいほど上位にいる存在に対する、嫉妬の気持ち。
かつて俺が篠ノ之束に対して感じたものを、彼女はずっと抱えていたのだ。
「姉さんの専用機……ミステリアス・レイディは、姉さんが一人で組み上げたもの……。だから、私が……ひとりで『打鉄弐式』を組み上げたらっ……、やっと……やっと……姉さんに追いつけるかもしれない。そう、思ってた……」
……成程。簪が誰の力も借りずに機体を組もうとしたのは、そんな理由だったわけか。
……あれ?そうすると、何で俺に助けを求めたんだろう?
「だけど……駄目だった。武装どころか……機体の稼働、だって……おぼつかなかった。……そんなとき、紅也、くんが……現れた……。何でか分からない、けど……そのとき、『この人の助けを借りてもいいかもしれない』……って、思ったの……」
『何でか分からない』って……。ただの偶然かよ。
「その考えは……正しかった。紅也、くんがくれた……『クリムゾン』や、OSのおかげで……打鉄弐式は、戦えるようになった……。でも、さっきの……紅也、くんの話を聞いて……不安になった。今までのことは、全部姉さんが……根回ししてたんじゃないか、って」
簪はそのことを思い出したのか、顔をくしゃっと歪める。その両眼は潤んでいて、今にも心の汗が溢れだしそうだった。
「でも……違う、って言ってくれた。紅也……くん、は自分の意志で、助けてくれた。……それが、嬉しかった。だから……嬉しくて、涙が出てきた……!」
「うっ!?そ……そうだったのか……」
ヤバイ。
今の俺は、どんな顔をしてるんだろう?
自分で自分のことが把握できない。
左腕のコントロールも忘れそうになる。
そのくらい、今の簪の笑顔の威力は強かった。
ついでに……そんなことを言われたもんだから、すごく恥ずかしい。
「? どう、した……の?」
「い、いやぁ、何でも……ないぜ?」
「怪しい……」
こら、簪!近づくな!
そんな無邪気な表情で、俺を見るな!
これ以上……俺を動揺させないでくれぇ!!
「そ、そうだ。簪!話を最初に戻すけど、俺はお前に更識先輩のことを聞きたい。具体的には、異常な情報網とか、あの人のISのこととか……色々だ!」
「分かった……話してあげるけど、その代わり……どうして話を逸らしたのか、教えて?」
くぅっ……。何だ、この強気な簪は?
さっき一通り泣いたことで、何かが吹っ切れたのか?
いずれにせよ、このプレッシャー……。思わずゲロっちまいそうになるぜ。
『お前の笑顔に見惚れてたんだよ』
……なんて、言えるわけねぇだろうが!!
……おや? こうやの ようすが……