「なん、で……?」
右腕を伸ばし、お尻が油まみれになった先輩を立ち上がらせる。
しかし先輩は未だ呆然としており、うわごとのように呟いたのがその一言だった。
「ああ、最後のトリックのことですか?それは――」
言いながら、俺は左腕に意識を向ける。
すると小さなモーター音と共にカーボンワイヤーが巻きあげられ、道場の床に落ちた俺の左腕がズルズルと動き始めた。
「見ての通り、コレは本物の腕です」
かちっ、と小さな音がすると、俺の左腕は既に元通り。
継ぎ目一つも残っていない、完璧な“義手”になっていた。
「ですが」と俺は続け、再び左腕を前に。
すると肘から先が飛び出して、更識先輩に迫り――その身体をすり抜けた。
「今のはホログラフ。……つまり、ハッタリです」
「……なるほどね」
「つまり、俺が繰り出した最初のロケットパンチはホログラフだったんですが、ロケットパンチ自体はハッタリじゃなかった、って訳です」
これぞ紅也だけに、赤き真実……ってな。
俺が説明する内容を、唇を噛みながら聞く更識先輩。
……プライド高そうだもんなぁ。悔しいんだろうなぁ。
「一杯喰わされたわ。最初にホログラフを見せつけておいて、絶対に私を倒せるタイミングでフェイクを使う。そしてそれを破って私が慢心した瞬間に本命の一撃。
大した策士ね、まったく」
「そりゃ、俺は非力ですから。正攻法が駄目なら、多少卑怯でも小細工して勝ちますよ」
「多少、ね……。女の子の足下に油撒いてまでよく言うわ」
「勝利条件は先輩を『倒す』ことでしたから。転びやすいように使っただけですよ。
……まあ、実戦だったら代わりに燃料使ってこの後火をつけたりしますけど(キラッ☆)」
「カワイイ顔してエグいこと言うわね」
話しているうちに、先輩の調子が戻ってきたようだ。
言葉の端々に、トゲのような何かが刺さってる……気がする。
「ま、まあ、ともかく俺の勝ちです。強制入部の件は取り消してくださいね。
……そうしないと、部長たちが怖いので……」
「あー、あの二人ね。そりゃ、あんな目に合わされたら必死にもなるわよね」
「見てたんですか!?」
「もちろん!」
即答だった。しかも、すごくイイ笑顔で。
……はあ。いつの間にか主導権取り返されてないか?
「う……うう……」
「おっと、いつまでもこうしているわけにはいかないっすね」
「そうね。私も、コレ着替えないと気持ち悪いし」
「う……すみません……」
道場の隅で気絶してた一夏がうめき声をあげたのをきっかけに、俺は場の転換を図る。
皮肉は返したものの、更識先輩もそれには同意見のようで、そそくさと道場から出ていった。
……え?俺に
↑
〈side:ラウラ・ボーデヴィッヒ〉
「ここにもいないか……」
ぼそっ、と。思わず小言が漏れる。
全校集会の後、紅也は教室には戻らなかった。
一限だけじゃなく、二限、三限、以下略――放課後になっても。
気になったため部屋に行ってみたら、そこにいたのは葵だけ。
ダメもとで紅也の居場所を聞いてみたところ、葵は目を閉じて顔を伏せ、しばらくじっとしていた後、唐突に顔を上げ、こう言ったのだ。
「……保健室」
……と。
何だ?
それだけで分かったのか?
エスパーか何かなのか、お前は?
……ま、まさか!これが双子の間で行われているという「テレパシー」という奴なのか?
やはり、二人の間には切っても切れない特別な繋がりが……って、何を考えているんだ、私は!
大丈夫だ。葵と紅也は兄妹だ。それ以上でもそれ以下でもない!
ならば……わ、私にも割り込む隙が、あるはずだ。
葵に礼を言い、早足で校舎の保健室へと向かう。
……それにしても、最後に『……に、いた』と聞こえたのは気のせいか?
おっと、話が逸れてしまった。
とにかく、そういうわけで、私は保健室に向かい、紅也を見つけられず……今に至るというわけだ。
(しかし、どこに行ったのだ?……もしかして、別の保健室か?)
「おい、ラウラ」
(いや、そもそも保健室にいるのか?部活かもしれんし、アリーナで特訓かもしれん)
「聞こえているのか、ラウラ?」
(……はっ!?そもそも部活だとして、あいつは何部なのだ?私は知らんぞ!)
「ラウラ!」
「うわっ!?」
至近から聞こえた声。
思案中にかけられたそれに驚いた私は、思わずナイフを引き抜き、相手に切っ先を向けてしまった。
「おっと、危ないな。そんなものを向けるな」
「……何だ、箒か」
「何だ、とはなんだ」
どうやらわざわざ気配を断ち、私に忍び寄って来たのは箒だったようだ。
まったく、驚かせてくれる。気配の消し方がここまで達者だとは思わなかったぞ。
「普通に近づいただけなんだが……」
そう言って、肩を落とす箒。
……ところで、先程『危ない』とか言っていたが、お前の持っている抜き身の日本刀の方がよっぽど危険物だと思うぞ、私は。
あ、こら。刃を向けるな。
「ところでラウラ。そこを退いてくれないか?」
「む、何故だ」
「それは……保健室に用があるからだ」
保健室に……?
それを聞いた私は、さっと箒の全身を観察する。
……ふむ、目に見える傷や痣は無いな。ならば、こいつの目的は――
「あいつならいないぞ」
「なっ、私は別に、紅也を探してる訳じゃ……はっ!?」
……ほう。
「私は別に、『紅也』などと言った覚えはないぞ」
「くっ……計ったな」
計ってない。少しカマをかけただけだ。
だから刀をしまえ。危ないだろう。
「言っておくが、嫁は私のものだ。お前は一夏でも追いかけていろ」
「な、なんだ、その言い方は!わた、私が紅也の心配をしてはいけないとでも言うのか!?」
「心配をするのは自由だが、余計な気を起こすなということだ」
互いに武器をしまいつつも、一歩も譲らず睨みあう。
私の中の何かが言っているのだ。『こいつは危険だ』、と。
なにせ箒は、私以上に強力な『武器』をぶら下げているのだ。
簪にならまだ勝てる自信はあるが、私がどの程度成長するのかは未知数だ。
いっそのこと、本国のデータベースを調べて、私の卵子提供者を調べるか?
……いや、ダメだ!『母親』が『エベレスト』なら嬉しいが、『ベルリンの壁』や『レッドクリフ』の持ち主だったら、私の未来はっ!!
「おーい一年生。楽しそうに話してるところ悪ぃけど、ちょっと通してくれねぇか?」
「なんだ!私は今……」
「ラウラ!この人は……」
箒の焦ったような声に何かを感じ、顔を上げた私が見たのは――褐色の肌を持つ女子生徒。
初対面では無い。前に見たことがある。
確か、この人は……
「ダリル・ケイシー……先輩」
「お、覚えてたか。それに免じて、さっきの暴言は許してやる」
「あ……し、失礼しました!」
とっさに軍隊にいたときのような敬礼をする。
それを見た箒やケイシー先輩は、何だか奇妙なものを見る目で私を見つめてきた。
うう……何だか、無性に恥ずかしいぞ。
私は慌てて手を下ろし、思わず顔を伏せた。
「と、ところで、ケイシー先輩は何故こちらに?」
なんとか話題を変えたくて、どもりつつも質問を投げかける。
しかし当のケイシー先輩はというと、再び呆れたような顔をして私を見つめている。
……何だ?何か変なことを言ってしまったのか?
「あのなあ……。保健室に来る用事なんて一つだけだろ。怪我だよ、ケガ」
「あ……」
それもそうだ。
元より保健室の存在意義など、怪我の治療以外に無いではないか!
「け、怪我ですか?一体どうして……」
さすがに見かねたのか、フォローを入れてくれる箒。
……まあ、なんだ。う、嬉しくなんてないんだからな!
「ああ。ちょっと機体の限界を見極めたくて、いつも組んでる二年生と模擬戦をやってな。
そしたら、あいつM1のビームライフル持ち出しやがって……。おかげで軽く火傷したんだよ」
「そうなんですか……」
M1……。嫁の国で開発した量産機か。
言っては悪いが、ビームライフルを搭載しているという以外、大きな特徴がない機体だな。
しかも、そのビームライフルの設計図そのものも“モルゲンレーテ”が公表してしまった以上、すぐに他の機体に追い抜かれてしまうだろう。
……って、待て。模擬戦だと?
「先輩。失礼ですが、アリーナで紅也を見ませんでしたか?」
「紅也?アリーナでは見なかったが……会長と一緒に道場の方に歩いていったのを見たぜ」
むう。新型機に目が無い嫁ならば、必ず見に行ったと思ったのだが。
それを見過ごしてまで、あの生徒会長と一緒に道場へ行っただと?
本当にただの訓練か?
「……箒。行くぞ」
「な、ラウラ!?……先輩、ありがとうございました。お大事に!」
急がなければなるまい。
何か、取り返しのつかないことが起こらないように……!
◆
〈side:篠ノ之 箒〉
前を走るラウラを、追いかける。
分からない。
何故、こいつはそんなに必死になって走っているのだ?
生徒会長と紅也に接点があったことは確かに驚きだが、訓練くらいで何故そんなに慌てている?
「待て、ラウラ!」
その小さな背に言葉をかけるも、帰ってくるのは沈黙のみ。
結局私は、訳も分からぬままにラウラを追うしかない。
……いや、待て。そもそも何故、私はラウラを追っているのだ?
私が紅也の様子を見に来たのは、左腕に不具合でもあったのではないかと心配したからだ。
しかし、訓練ができるほどの余裕があるのならば、わざわざ会いに行く必要はない。
なのに、何で……。
「見えたっ!」
前を走るラウラから、そんな声が届く。
つられて私も前方を見ると……信じられないものを見た。
道場の窓からちらりと見えた、内部では。
紅也の左腕が、肘から外れて宙を舞っていた。
(なあぁぁぁぁぁぁっ!?)
まずい。
これは非常にまずい。
こんな光景を見たら、明らかに紅也に『何かがあった』ことがバレてしまう。
幸いラウラはさっきの様子には気付いていなかったが……道場にたどり着けば、遅かれ早かれ見てしまうだろう。
そうなれば――
紅也が望んだ、たった一つ。
『今まで通りの学園生活』が、壊れてしまう。
――『……頼む。俺を助けると思って、『お前に出来ること』をやってくれないか?』
それはダメだ。
私が出来る、唯一の償い。
それが、紅也の秘密を守ることだというのに……!
ならば……手段は選んでられない。
『紅椿』を一瞬で部分展開し、足に力を込める。
そして、跳躍。
たとえラウラが速く走ろうとも、所詮は人間。
紅椿が跳躍する。
同時に私は鞘におさめた刀を取り出し、空中で構えを取る。
ラウラはこちらの異変に気付かず、まだ走っている。
道場までの距離は、あと150mほどか?
これなら……間に合う。
(……すまん、ラウラ)
かこーん、と無防備な後頭部に、鞘を打ちこむ。
すると、元々全力疾走していたせいか、ラウラは静かに昏倒した。
「悪いな、ラウラ……。他に手が無かったんだ」
ラウラが地面にぶつかるのを防ぐように抱きとめ、紅椿を解除する。
とたんに腕にかかる、ずっしりとした重み。
それを感じた瞬間、箒は何とも言えない虚無感に襲われた。
(……何をやっているんだ、私は。これは、私の罪なのだ。今更迷ってどうする!)
最後に、道場の中をもう一度だけ見やる。
すると……周りをキョロキョロと見回していた、紅也と。
目が、合った。
↓
〈side:山代 紅也〉
「……あれ、箒?」
一夏を運ぶのが面倒で、誰か引き受けてくれそうな人物がいないか探していたら、窓の外に箒を見つけた。
しかも、何故か倒れているラウラと一緒に。
……もしかして、ロケットパンチを見られたか?
確認のために俺が道場から出ると、箒も入り口の近くまで歩いてきた。
片手にラウラ、片手に日本刀というシュールな出で立ちだ。
……何があった?
「よう、箒。突然で悪ぃんだが、状況を説明してくれねぇか?」
「こ、これはだな、その、あの……」
しどろもどろになり、手をパタパタさせ、必死に何かを言おうとする箒。
こんなときにアレだが、なかなかレアな姿だな。もう少し見ていたい気もするが……自重しよう。今は優先すべきことがある。
「落ちつけ、箒。深呼吸しろ」
「は、あ、そうだな。すぅ……はぁ…………ふう」
「落ち着いたか?」
「ああ、大丈夫だ。すまない」
「……で、何があった?」
「それは……」
そこまで言って、口を閉ざしてしまう箒。
……が、俺がじっと目を合わせ続けると、観念したかのようにポツポツと話し始めた。
ラウラと箒が保健室に俺を探しに来たこと。ケーシィ先輩から居場所を聞いたこと。箒がついたとき、丁度ロケットパンチを使っていたのを見て、慌ててラウラを気絶させたこと。
それらを、全部。
「……私は、友人を手にかけたんだ。到底許されることではない。だが――」
「箒……」
俺が名前を呼ぶだけで、箒は肩を縮こまらせる。
……あちゃあ。俺に病院で叱られたこと、まだ怖がってんのかなぁ。
とりあえず、今回はそういうことじゃないので安心して欲しい。
だから、俺は……『怒っていない』とアピールするために、箒の頭に手を置いた。
「ありがとうな。今回のは俺のミスなのに、フォローしてくれて。
これがラウラにまでバレたら、隠すのは難しかったと思う。つらいことをさせちまったけど、本当に感謝してる。……ありがとな」
「あ……。今度は、間違わなかった……のか?」
「間違いなもんか。正しいこととは言わねぇが、俺にとってはいいことだった」
「そ、そうか……。良かった……」
そう言い残し、脱力する箒。――って、ラウラ落ちる!
あわや、というところで箒は再び力を入れ、ラウラの腕を固定した。
……そりゃ、頭を打つよりはましだろうよ。でも、腕、極まってないか?
なんか痛そうな表情してるぜ?
「じゃ、とりあえずラウラを保健室に連れて行こうぜ」
「う、うむ。そうだな。では、ラウラは私が運ぼう」
「……いいのか?今の俺なら、一人や二人くらい運べるが……」
「気にするな。私がやったことくらい、私が責任を取る。それに――」
箒は、先程までの態度が嘘のように、毅然としたふるまいで答える。
「紅也には恩がある。私に出来ることなら、何でもやってやる」
何故だろう?
その言葉が。
その表情が。
『紅也。約束通り私は、強くなった……』
あのときの葵と、重なって見えた。
やっぱり外に見えてました。