燃える日   作:徳用もやし

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燃える日

セットしておいた目覚ましよりも少し早く、沖野に起こされる。本当は沖野が起きたときにはもう起きていて、それからずっと寝たふりだったんだけど。

うるさい目覚ましより、沖野に起こされるほうがずっといい。

今日は月曜で学校がある。それは僕や沖野がどんな毎日を過ごしていても関係がない。

でもとりあえず、沖野の風邪は治ったらしいから良かった。

朝の用意をしているときに、沖野が昨日色々買ったお金のことを気にして聞いてきたけれど、僕は返してもらうのを断った。だって勝手に必要ないようなものまで買ってきて、それでそのお金を請求するなんて、押し売りだろう。

風邪が治ったのならそれでいい。僕は沖野が楽しめることに先行投資したんだから。なんて、考えが覚束ないのはまた僕が浮かれているからなのかもしれない。

僕達はもう沖野の家を出て、学校へ向かって歩いている。

僕がいつも登校するより少し遅い時間、距離が短くなった通学路、隣を歩く沖野。何もかもがいつもと違う。

何でもないことを話しているだけでこうも浮ついてしまうのは、僕にその原因があるんだろうな。

歩いていればいずれ目的地には着くもので、学校までの道のりは呆気なく終わりを迎えた。

今日も、私立青夏高校(しりつせいかこうこう)と刻まれた正門をくぐり抜けて、特に思い入れがあるわけでもないその敷地内に足を踏み入れる。

学校が近づいても沖野は特に僕から距離を取るでもなく、一緒に登校してきたと思われても何でもないみたいだ。僕も沖野を習って平然を装う。その内心は定かじゃない。

そんな僕達の横を自転車通学の他生徒が追い抜いていく。別に振り向いてきたりはしない。当然だ。

下駄箱を過ぎて、階段を登り二階の教室前まで来た。僕は1組なので、1組の教室の前扉のところで立ち止まる。

立ち止まったはいいけれど、ここで沖野にかけるべき適切な言葉に迷った。声をかけないのは違う気がする。

「またね、ミハル」

「ああ、またな……早希ちゃん」

またね、か。

沖野は踵を返して歩き出す。僕はそれを見送った。沖野は3組の教室に入るらしい。沖野は3組だったのか。

扉に手をかけて、そこでまだ自分を見ている僕に気づいて沖野はふわりと笑う。そして、そのまま教室に入っていった。

沖野が僕のことをミハルと呼ぶのは、他の誰かからするとただ名字で呼んでいるだけに聞こえるだろう。

じゃあ、僕は?

僕は沖野のことを早希ちゃんと呼んでいるわけだけど……そんな呼び方するの、高校に入ってからは沖野以外にいないぞ。周りとしてはその呼び方は普通でも、僕としてはその呼び方は普通じゃない。

さっきの一瞬の躊躇いはそれだった。照れ臭さはなんとか押し殺したけど、意識してしまうと、どうにも。

気づけば教室にも入らずにずっと立ち止まっていたので、僕はようやく扉に手をかけるのだった。

 

沖野と接点ができたと言っても、その後の授業も、昼休みあるいは昼飯も何が変わるわけじゃない。

通常通り。いつもどおり、毎日は過ぎていく。だから変化があるとしたら、それは放課後だった。

放課後になって、沖野は来た。廊下で待つなんてことを沖野はしない。教室の中に入ってきて、僕の席まで寄ってくる。

「帰りも一緒に帰ろう?」

なんて言うし。

沖野に比べると駄目だけど、僕の自意識もそこまで酷くない。ここでその誘いを断るようなことはしない。

「そうだな、そうしよう」

そう言えば今日は、沖野の家に泊まるとかいう話は聞いてない。だから今日は、自分の家に帰れるのかもな。

でも家までは送っていこう。どうせ帰り道の途中だ。一緒に帰るってそういうことだと思う。

沖野と初めて出会った通りに差し掛かった頃、沖野が不意に立ち止まった。顔をあげて何かを見ているので、僕も何を見てるのかとそっちを見る。

「……煙?」

特に何があったわけでもないから煙を挙げてみただけだけど。沖野のマンションのほうだ。そっちのほうっていうだけで、それだけなんだけど。

でも、そうだ。自分の家のほうで煙が上がっていたら、少しは自分の家が燃えている可能性も頭に浮かぶ。浮かんで、すぐに消えていく。

暫く見ていれば、沖野も煙を気にするのをやめて歩き出した。僕もまた歩き出す。

家に帰れば、本当は燃えてなかったことも分かるんだしな。

 

「燃えてる」

沖野の家に近づくにつれ、僕達はその異変に気付いた。何か騒がしい。

マンションの周りには人だかりができていて、皆マンションを見上げていた。

「ボクの部屋も、」

沖野の部屋がある一帯が燃えていた。一瞬で火事だって分かるくらいに。

一つ下の階は、沖野の部屋の真下の部屋だけが燃えている。あの部屋から延焼したんだろう。沖野は、何も悪くない。

すでに何台もの消防車が来て放水をしている。火を消し止めるための容赦ない放水が、沖野の部屋を目掛けて行われる。炎と放水で、沖野の部屋は滅茶苦茶なはずだった。

沖野は部屋を見上げたままで動かない。後ろ姿だけじゃ今、沖野がどんな顔をしてるのか分からない。

放っておくことなんてできない。でも僕は、僕はなんて声をかければいいんだろう。なんて声をかけられるんだろう。

自分の家が燃えたとき、なんて声をかけてほしいものなんだろう。

……そんなの、自分の家が燃えたこともないのに分かるわけないだろ。分かったふりに意味なんてない。

でも、だからって。何も分からなくても。

じっとしてるわけにはいかないんだよ。

僕は沖野に近づいていって、そしてその手を取った。断りも返事も何もなく、強い力で引っ張っていく。

振り返った沖野の目に涙はなかった、ように見えた。もしかしたら、どうしていいか分からないのは沖野も同じなのかもしれない。

泣くことも、どうすればいいのか分からないのかもしれない。

行き先は僕の家だ。僕が間違っていたら、この手を振り払ってほしい。

 

家に着くまで、僕はその手を離さなかったし、沖野も僕の手を離すことはなかった。

リビングの椅子に座らせて、沖野は今、水を入れたコップを両手で持って飲んでいる。

「あのさ、早希ちゃん。これは余計な真似かもしれないんだけど」

沖野の目が僕を見る。

「今日はここに泊まっていいから。今日だけじゃない、明日も、明後日も。ずっとだっていいからさ……」

「ありがとう、ミハル」

僕にはこんなことしか言えないし、こんなことしかできない。

沖野はすごく繊細に、儚そうに、僕を気遣うように、心のこもった礼を言った。本当に助かるという風に。

でも、まだだ。僕が言いたいのは、僕に言えるのは、僕が言うべきなのは––––––こうじゃない。

そうは分かっていても、答えは出ずにそれを言える機会は過ぎていく。よくある時間切れだ。

気持ちを切り替えよう。

「こっちの部屋を使ってくれ。部屋だけは余ってるから、早希ちゃんが使ってくれるとこの部屋も役に立てるよ」

「うん、使わせてもらうね」

それ以上は会話もなく、この状況にふさわしいと思える会話に心当たりもなく、沖野は部屋に入っていく。

それから僕がすることは、いつ帰ってくるとも知れない親に電話をかけることだ。断りを入れておかないといけない。

数回の呼び出し音の後に、母親が電話にでる。僕は要件を伝える。

火事の飛び火で自分の家に住めなくなった同学年の沖野という女子を、いつまでかは決めてないが住まわせたいと。こう言ってみると無茶苦茶だ。突拍子もない。

だけど、無茶苦茶なのは沖野だって同じだ。これくらいいいだろう?

全てを伝え終えた。話を途中で遮らないで、最後までよく聞いてくれたと思う。普通の親ならこうはいかないんじゃないだろうか。

無茶苦茶なのは、僕に始まった話じゃないんだろう。僕なんて初めてするような頼みがこれだ。つくづく助かる。

一瞬の間を置いて、答えが返る。

僕はどちらにしても、沖野を何とかする覚悟を決めていた。

「いいんじゃない? 奏がそこまでしてあげたいって思うんなら、それはその子……沖野ちゃんのこと好きとか、そういうことでしょ。ならしょうがない。あんたが沖野ちゃんを助けなさい」

許可します、と言ってくれた。

奏は誰にでも優しくないしね、とか何とか言ってたような気もするけれど、正直聞いてなかった。許可を得たことさえも、それよりも大きい衝撃で印象が薄れていた。

––––僕が沖野のことを好き?

そんなこと、僕がよく知らないんだけど、それはどういうことなんだ?

「それと。沖野ちゃん、服も何も残ってないだろうから、明日、服を買いに連れてってあげなさい。私がとりあえず外に出られるような服を適当に買っておくから」

「あ、ああうん」

気を取られていたら話が進んでいる。火事のことだってそうだ、家が燃えたら、何もかもが燃えてることになるのか。僕も案外混乱している。

「さすが私の子だ。まだ頼りないけど、頼りにしてるぞ私の息子」

「……なんだよそれ、ありがとう」

 

次の日の朝、沖野の部屋のドアをノックする。すぐにドアが開かれて、沖野の姿が見える。目は、泣き腫らしていたりとかはしないみたいだ。泣き方が分からなかったんだろうか。

「起きてたんだな、早希ちゃん」

「うん、今日も学校だから。おはようミハル」

「おはよう。それなんだけど、今日は学校を休まないか?」

「え?」

沖野の目が驚きに見開かれる。そんなに驚くことなのか。昨日の今日で、沖野が学校を休んだって誰も責めはしないのにな。

「だって早希ちゃん、服とかどうするんだ? 無いと困ると思うけど」

「あ……そうかも」

「それにさ、もっと大事なことがある」

昨日言えなかったことがある。

「そうなの? ……聞くよ、その大事なこと」

沖野が聞く体勢というやつになる。真剣さと、不安が混じったような表情を沖野は浮かべている。きっと、沖野が住むことを親に反対されたとか、そういうことを言われると思っているんだろう。

その心配は、杞憂だ。

僕がこれから言うのは、もしかしたら今言うべきじゃないかもしれないことなんだから。

 

「早希ちゃん––––––僕と一緒に、ここで暮らしてくれないかな」

 

それはいつかの沖野への答えで。

昨日の僕が言えなかった答えで。

まだ言えない、まだ確かだと自信を持てない、沖野のことを好きって気持ちに繋がる手がかりだった。

昨日と言ってることは同じようでも、伝わる気持ちはあるはずだ。

言ってしまったら後は待つことしかできない。沖野は僕がそれを言い終わった後もずっと僕を見ていて、そして目を伏せた。

そして、次に目を開いたら咲き誇るような笑顔になった。

「––––––これから、ボクのことをよろしくお願いします。好きだよ、ミハル」

受け入れてもらえたみたいだ。ああ、良かった。僕は間違ってなかった。間違ってたなら、こんな笑顔はない。

僕達は今日、学校を休んで新しい始まりの準備をする。何があったとしても、何も終わりはしないから。

この騒がしい鼓動は、告白じみた何かのせいなのか、沖野が言った好きのせいなのか。それは分からない。

だけど僕が沖野に好きと伝えられる日もそう遠くはないだろうと、僕は心のどこかで思った。


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