放課後、図書室でスペースを借り受けて、渚たちは勉強をしていた。磯貝の持っていたかなり前から予約していたチケットの効力は思いの外大きく(頼んだのが磯貝本人だというのも大きいだろうが。イケメンだし)、何の問題もなく座席は渚達が座れた。
途中、獅堂姉と茅野がちらりと火花をちらしたりしたものの、おおむね平和に勉強中である。
「きゃー、榊原君! 私、実は――」「……おい」「え゛?」
さて、聞き覚えがあるようなないような、そんな微妙な声のやりとりが図書室の外でちらりと聞こえた後。
渚、茅野、神埼、奥田、中村、磯貝に声をかけてくる四人が現れた。
「おや、E組の皆さんじゃないか!
もったいない。君達にこの図書室は豚に真珠なんじゃないかな?」
一見人が良さそうだが言葉にとげが多い荒木。両サイドを沿った髪形を整えている榊原、容姿と並んで浮かぶ表情の破壊力が色々すさまじい小山に、なんだか見覚えのある瀬尾。
(うわ、五英傑)(よりによって)
「価値はわかってるつもりなので、その諺の使い方は間違ってます」
E組の六人が「面倒そう」というオーラの中、神埼だけが笑顔で変なところに突っ込みを入れた。後ろで榊原が「なるほど失敬」と言っていたりするのは余談である。
「どけよ雑魚共、そこは俺らの席だからとっとと……、? お前、見覚えある気がするが気のせいか?」
「へ? い、いや人違いなんじゃないかな? あはは――」
反射的に磯貝が微妙な反応を示したのは、実は以前ちょっとした連携作戦で彼、瀬尾をハメた(?)ことがあるためである。その時に会話した覚えはなかったが、変装そのものは割とテキトーだったこともあって、多少冷や汗をかいていた。
「What's!? Don't bother our study!!」
「茅野、本……」
相手がLA育ちだとか、そんな微妙な情報を覚えていたせいか。割と流暢に英語で文句をつける茅野だったが、手に持っていた「世界のプリン大全」が色々台無しにしていた。
「ここは俺達がちゃんと予約してとった席だぞ?」
「そーそー。クーラー最高!
やっぱ文明の利器はwonderf~」
ワンダフルだけ流暢に発音したのに頭を傾げながらも、しかし小山はげらげら笑いながら文句を言った。
「忘れたのか? この学校じゃ成績が悪い奴は良い奴に逆らえないの! 成績悪いんだか――」
「そんなことないです!
私達は次のテストで一位を目指してるんです。決して、大きな顔ばかりさせません!」
奥田の言葉にげらげら笑う小山。眼鏡の位置がずれて、表情もあいまってちょっと顔がヤバいことになっているが、本人は気づいていないらしい。
「腐すばかりでは見逃すよ小山。どんな掃き溜めにも鶴は居る」
す、と神埼の側に回りこみ、髪をすくいあげる榊原だ。容姿は間違いなくダントツだが、妙な髪形のせいで色々とリアクションに困る。
「惜しいね。思いの外的確な国語力にその容姿。学力さえ伴えば僕に釣り合うというのに。
よければうちに小間遣いとして奉公しに来ない?」
「え? あ、いえ……、阿漕が浦に引く網ですよ?」
((神埼さん、相変わらず男運が……))
渚と茅野、修学旅行以来の何とも言えない同情である。
だがしかし、榊原の言葉に何か感じるものがあったのだろうか。
「いや待てよ? 確かこいつら中間テストでは……」
――神崎有希子:国語20位
――中村莉桜:英語6位
――磯貝悠馬:社会14位
――奥田愛美:理科17位
「なるほど、一概に学力ナシとも言えないな。教科単位なら」
「あうっ」
頭をぽこぽこされて、参ってる様子の奥田である。
そんな状況で荒木がこんな提案をした。
「面白い、じゃあこーゆーのはどうかな?
俺達A組と君達E組、どちらか勝った方が、相手側になんでも一つ命令できるっていうのをね」
(命令、か)
さすがにこの場でメモを取り出すことはしない渚だが、この賭けについてのメリットデメリットの計算をはじめる位には冷静さを保っていた。
だが、その無言を臆したととったのか、瀬尾が渚の背後から見下すように腕を乗せた。
「どうした、ビビっちまったか? 所詮ザコは口だけか。
俺達なら――」
――命賭けてもかまわないぜ?
その一言は、暗殺教室にとってある意味
その一言が放たれた時点で、3ーEの思考のスイッチは押された。中学生から、アサシンの卵へとシフトする。
手に持っていたペンを軽く、瀬尾の目線より少し高い位置に放り投げる渚。突然のそれに注意を奪われた、その隙に渚は背後に回り、素早くペンを手に取り――瀬尾の「耳の穴」に、爪の伸びた小指を突っ込んだ。
さすがにペンを突っ込むのは危ないと思ったのだろうが、しかし視線誘導や直前にペンを手に取ったというプラシーボ効果により、彼の意識はかなり危険な状況を想定するようになっていた。
渚のその手腕にあっけにとられた他三人も、全員寸止めで止められていた。
「命は、簡単に賭けない方が良いと思うよ?」
軽く言う渚だったが、一瞬そこから殺気と呼べるものがほとばしったのを茅野や神埼あたりは見逃して居ない。特に茅野は、渚の根っこが現状荒れている理由を知っているため、見ていてハラハラしていた。
「じょ、上等だ、受けるんだよなこの勝負!
死ぬよりキツい命令与えてやんぞ!」
そんな捨て台詞を吐いて逃げる四人だったが、彼らからは決定的に場所の意識が欠落していた。
(この図書館の騒動は、たちまち前項が知る所となっていって、そしてこの賭けはテスト後の暗殺教室を――もっと言えば、僕らの暗殺教室そのものに、大きく影響を与える事になった)
※
「と、いう話だそうです」
「じゃないですよ、死神さんッ!」
にゅや! とハリセンで叩かれながら叫ぶころせんせーである。場所はあぐりの私室であり、ファンシーグッズの代わりに独特なデザインの小物や、タコせんせーグッズの試作品と思われるもので埋め尽くされていた。
「それで、一体何を相手は同意させるつもりなんですか?」
「んん、おそらく契約書でも求めてくることでしょうね。この学校の範囲における、最大限に黒い内容の」
「……吉良八さん?」
「い、いえいえ、私の仕込みはありませんよ。あくまで生徒達が自分で行動したことです。
それに、どちらかと言えば売り言葉に買い言葉です。ただ、問題は……、浅野君が何を考えているか、でしょうね」
「理事長の息子さんが?」
「ええ。確か彼の最終目標は、父親に首輪を付けて飼いならすことでしたから」
「……歪んでるわね」
「でも、親子愛です。子は父の望みを一身に受け育ち、父は子を谷に落とし這い上がるのを待つ」
ただおそらくはですが、と、ころせんせーは顎に手を当てる。
「その条件の中に、暗殺教室について聞く方法を得ているかもしれませんね」
「それは……」
「まぁ、色々まずいですね。今も『昔も』、これは防衛省のバックアップあってこそのですから」
どちらかと言えば今回のは防衛省関係の色も強いですが、ところせんせーは肩をすくめた。
「ヌルフフフ。そういう意味でも、ある意味理事長とは『半分は』協力関係みたいなものなので、ここは一肌脱ぎましょうか。あちらも、そして私達のクラスも、一度挫折を知らないといけない生徒も居ますし」
「挫折ですか?」
「ええ。慢心していては渡れない領域があるということを、教える必要もあるのでしょう。
ところで、あぐりさん」
「はい?」
「……いい加減、この体勢はちょっとヤバいです」
ちなみにだが、ころせんせーとあぐりは、ソファーで対面に座っていた。蒸し暑さが立ち込める東日本の一角にあるここにおいて、エアコンを外気より2度ほど下げた上で、ちょっと普段より薄着で刺激が強い服装のまま、ころせんせーの膝の上に対面で座る彼女は、色々ところせんせー的にくるものがあった。
あと、顔や胸との距離が十センチを切っている状況で真面目な話を続けるのも、彼の性格的に無理があった。
それでもなお「駄目ですよ~」と待ったをかけるあぐりは、確かにいくらか怒っているのかもしれない。
「貴方からおおむね話は聞いていましたし、流れを極端に変えると『あの時』みたいに、大きくゆり戻しが来るかもしれない。それは私も理解していますけど、今回のこれは調整できたんじゃないですか?」
「ヌルフ、し、しかし海に行けないと……」
「……あの、ひょっとして私の水着見たさというのも理由の一つだったりします? 自意識過剰かなとも思いますけど」
事情がわからない第三者からすれば全く意味のつながらないあぐりの台詞だが、吉良八湖録の本来の素性をきっちり把握している場合は、話が別だ。今回の賭けがどのように派生するか理解していれば、自ずとその可能性は導き出せる。
そしてその言葉に対して、ころせんせーは真顔のような、何とも言えない大人な顔になった。
「……そんなに見たいんだったらいくらだって見せてあげますって。『下も』」
「あ、いえ、そういう意味だけではなくシチュエーションも大事というか、まぁ思い出といいますか。
無論それだけではなく、彼ら自身の思い出作りにもという意味もありますね。後はイリーナ先生でしょうか」
「イリーナさん?」
「ええ。烏間先生です」
「……なるほど」
意味が通じるのか通じないのかよくわからない名詞のみのやりとりだったが、しかし正しく把握したのか、あぐりは口元を押さえて、何とも言えない笑みを浮かべた。
「でも、相手は強敵ですよ? 『ころせんせー』」
「ヌルフ……! やはり来るものがありますねぇその呼ばれ方をされると」
「毎回それだと会話にならないんで、普段は吉良八さん呼びなんですけどね……」
「まぁどちらもどちらです。ちなみに、湖録も湖録で本名と言えば本名ですからね。無論、殺せんせーの『殺』的な意味合いで」
「それはともかく、どうなんですか?」
「ええ。勿論把握していますよ。浅野学秀、浅野理事長のDNAを引き継いだだけはあり、黒い面と白い面の使い分けは完璧です。ただ根本的な部分で理念が不足しているので、まだまだ後一歩というところでしょうか」
「理念ですか?」
「ええ。『必要があってそうなった』訳ではなく『そう育てられたから』そうなった、というだけの話ですからね。生き方のバリエーションはまだまだ薄い。先に見えているものがあるかないかは、大きいですからね。イトナ君ではありませんが」
という訳で、やっぱり賭けの提案は「アレ」にしようと思います。
ころせんせーのその言葉に、あぐりは「まぁ良いんじゃないですか?」と、これには是非は言わなかった。
「……ひょっとしたら、夏休み『負けちゃう』んじゃないですか? 死神さん、今は人間ですし、弱点も多いですし」
「……その時は、その時ですね」
「私の『奥の手』も、使わないと良いんですけどねー」
ため息をつきながら、あぐりはころせんせーの頭を無意味に「よしよし」した。
※
『君達は一度、どん底を経験しました。だからこそ、一度トップレベルのバチバチした戦いというのも経験してもらいたいと思いました。
先生の触手に、A組への要求。ご褒美も十分揃ってると思いませんか?
君達の今回のターゲットは、トップ! 暗殺者なら、しめやかに
そんな担任のエールと共に、それぞれの利害が交差する期末テスト。
「長いお別れ、なんてどうでしょう中村さん」
「long good bye?」
「ライ麦畑なんかも良いですが、今回はこういった、少し硬い小説とかも読んでみましょうか。口語の訳し方やニュアンスなんかも、またパズルみたいで面白いものですよ?」
「確かに、結構イメージ変わったりするもんね」
「渚くんもはい、せっかくですから、両方薦めておきますね」
「日本語翻訳されたのと、原書……?」
「どの文章をどう訳してるか、意外とそこに翻訳家のセンスも出ますね? "I am the law"を”俺が法だ”としたり。まぁ正直、これは先生がちょっとスパイして得た情報なんですが」
「「スパイ?」」
「ええ。実はこの口語訳の文章の訳し方を――」
「奥田さんは、国語の読解力が上がってきましたね?」
「はい! これも、数学の式とかと同じなんだって、段々わかってきました。むしろ数学の式の方が、国語みたいだなって思い始めてます」
「ええ、そうですねぇ。論理式、とか言うんですが、この分野で学んでいると、そのうち意味合いを示すものを記号で表すようになっていきます。その解釈は、外れていませんよ?――」
「磯貝君はアフリカの貧困問題ですか?」
「あー、なんかちょっと共感するところあって……。俺ん家、貧乏だし」
「ヌルフフフ。というわけで現地での狩猟経験も豊富な、アイザ・レッドマンさんに再登場願いました」
「久しぶりだな」
「何で!?」
「活動範囲は主に中東ですが、そこをベースにもっと広い範囲での経験も多い方ですので、じゃんじゃん聞いて見ても良いんじゃないですかねぇ、ヌルフフフ」
「コロセンセー。どっちかって言うとビデオとか見ながらの方が効率が良いんじゃないか?」
「それもそうですか――」
「こらぁ! カルマくん、真面目にやりなさい!」
「大丈夫大丈夫、アンタの教え方上手だからちゃんと出来るよ」
「そう言ってると足元掬われますよ! 以前、私を倒そうとした時のことを思い返しなさい。君は相手のことを過小評価しすぎです。そして自分を過大評価しすぎですよー!」
「そうでもないんじゃないかな? 大体何とかなってるし。……まぁ、あの時は茅野ちゃんに何時間か説教されたのには驚いたけど」
「茅野さん、雪村先生のこと結構好きみたいですからねぇ――」
ころせんせーの手入れも、気合が入る。あぐりもあぐりで、ころせんせーのフォローに右往左往。
A組側からの条件「A組が作る『勝者と敗者の協定』にサインをする」という条件も提示された。逆にころせんせー発案で、E組が勝った場合の権利も相手側に伝えた。
そしてこの対決ムードに対して、理事長も理事長でテスト問題作成チームに軽く圧をかけ、問題レベルも上昇! 狙うは偏差値アップであろうか、プリントの上端でマスコットキャラ「くぬどん」がいやらしい笑みを浮かべているように見えなくもない。
かくして、それぞれの面子や思惑が入り乱れ交差する期末テスト!
勝者が居れば敗者が出る。それぞれが自分にとっての勝利を求め――(ナレーション:進藤一考)
「おはよ! 渚」
「あ、茅野」
「いよいよ試験当日だね!」
「うん」
困ったような笑いを浮かべながら、本校舎の滅多に使われない、3-E用の下駄箱に居る渚たちである。もっとも上履きは前日に持ち帰り、直接持っていくというのが流れになっていた。
「どーよ渚。ちゃんと仕上がってる?」
「あ、中村さん」
「んー、ヤマが当たってれば……」
「男ならしゃんとなさい! 英語ならアンタも上位狙えるんだから」
ばし、と渚の肩を叩いた中村である。思わずぐらりとくる渚だったが、以前に比べればその立ち直りは早かった。体力的な理由で。
ちなみにテスト用の教室はE組が一番入り口から遠い。必然、他のクラスの手前を通る事になるのだが、そこでもまた煽られるのが通例のようになっていた。
「聞いたよ? 楽しみだなァ」
「A組と無謀にも賭けしたんだって? どんな命令されちゃうんだろうなぁ~」
渚のかつてのクラスメイト、田中と高田である。
ニヤニヤ笑いながらの煽りだが、ぐ、と渚の眉間のあたりに影が出来る。多少危険な兆候だと茅野は理解しているため、一瞬どうしたものかと思ったのだが、これに対しては中村が軽々と制裁した。
相手の胸ポケットの中に入っていたペンを取り、鼻にツッコんでぐいっと引っ張った。流石に血は出なかったが、鼻の穴だけで首をぐりんと回されたようなものなので、激痛は走ったろう。朝早い校舎ゆえヒトは少ないが、廊下に痛みにもだえる高田の声が響く。
「あー、中村さんナイス!」
「いんや、茅野っち大したことないよん?
さって、教室は私達が一ば――」
がらがら、とE組の割り当てられた部屋の戸を開けると、そこにはしかし人が二人。
独特なパステルカラーの髪、教室の一番奥という場所に居座るその彼女は、本来なら固定砲台の位置に居る彼女ゆえ、今日もアンドロイドボディーで来たのかと思いきや――。
「ドーモ、ダス」
「「「誰!?」」」
「尾長仁瀬ダス」
その場に居たのは、しかして全く別人だった。
「律役だ。……いくら人体と遜色ないボディも持っているとは言え、人工知能の参加は流石に認められないとな」
「あ、烏間先生」
「……酷い同情を受けながら、律が勉強を教えた替え玉で決着させてもらった」
「「「頭が上がりませんッ」」」
三人とも、ばっと頭を下げる。
烏間も烏間で、今回のことには中々ダメージが入っていたのか、頭を抱えていた。なんだか、ものすごく哀愁を纏っていた彼に、三人は頭を下げる他なかった。
「律からの伝言とあわせて俺からも。――頑張れよ」
「はい!」
「後、イトナに何かあったらすぐ吉良八に連絡を入れろ」
そう言う烏間の言う通り、教室にはさらっとイトナが居た。シロが宣言した通り、一応テストは受けに来たようだ。椅子の上で座禅を組んで、コホー、コホーと呼吸しているその姿はどこか修行僧めいているが、今回は一体どんな性格にチューニングされて来たのか。
「い、イトナくんも、頑張ろうね」
「……ええ、尽力いたしましょう」
にこりと微笑むそのイトナは、今までの交戦的なそれが鳴りを潜めた、独特の気品があった。別に問題がある訳ではないのだが、今までのキャラからのギャップに渚を初め、烏間を含めた四人は冷や汗をかいていた。
シロ「今回のイトナはグランドフォームといったところだ。どっしりとした安定感と、防御力の高いチューニングにしてある。もっともそのせいで、普段のパワーファイトが出来なくなってしまっているのが問題だがね。
……流石に本校舎を壊すと、予算がまずいのでね。こちらの」