プールの堰が爆発した。
いや、爆発したように一撃が加えられたと言うべきか。
生徒達の絶叫が木霊する中、教師二人もまた冷静ではなかった。
「な――みんな!」
「私が行きます」
と、ころせんせーはアカデミックローブの下から「タコせんせーロープ」を取り出し、空中を舞う。手近な生徒にはロープを巻きつけて周囲の木の幹に引っ掻ける。
だが、それでも既にプールからは距離が引きはなされている。
「そのロープは、象を引いても壊れないようになっているので、しっかり掴まっていてください!
流された子たちは、今から対応しましょう」
(! こ、ころせんせー)
渚が目を見開く中、ころせんせーはアカデミックローブを脱ぎ捨て、そのまま水中へ。勢いが良すぎてその姿が一瞬見えなかったが、しかしころせんせーが水に入った、ということ事態に渚たちは驚いた。
(そんな、水中は弱点だと言ってたころせんせーが……!?)
一方、
「うそ、だろ……? これ――」
あぐりさえ生徒達の側に向かい、もぬけの殻となったプール。
寺坂は、訓練用の銃を手に珍しく意気消沈していた。
「ナンセンス」
と、そんな彼に頭上から声をかける少年。イトナである。両目を軽く閉じて腕を組んで木に背を預け、上から寺坂を見下ろしていた。
反発するように立ち上がる寺坂だが、彼が何かを言い出す前にイトナは言う。
「俺は忠告をした。汚れ仕事になると」
「……! だ、だけどこんな――」
「やぁやぁ、見事見事。制御装置の効果は大きいねぇ」
木々の間から姿を見せるシロ。茫然とする寺坂に、彼は楽しそうに言った。
「『ユーム』を使って全力で助けてしまっては、生徒たちを傷つけてしまう。
だが水辺で対応している間に、ヤツの『心臓』はどんどん負荷を積み立てて行く」
「粘液を自在にコントロールすれば、触手に対する水の防御くらいはお手の物だ」
「そうだね。それで浸透圧の調整も可能だし、そもそも君には『音速』の縛りがない」
ソニックブームで巻き散らせば良いと言うシロに、イトナは当然という風に「so cool」とだけ言う。
「いくら防水装備を持ったところで、水中でのヤツの動作が厳しい事に違いはない。今回は勝ち筋が見えるんじゃないか? イトナ」
「俺としては、逆転フラグにも見えなくはないから好きじゃない。スマートな手段でもない」
「だが、時に英雄は必要とあればしなければならないのさ。覚えておきなさい。
……ん、どうしたんだい寺坂君」
シロやイトナに対して、震えながらもしかし寺坂は叫んだ。
「お前等、何やってんだよ! あいつを突き落とす話だったろ!」
「結果的に突き落としたじゃないか。ほら、見てごらん?」
シロの指さす先、ころせんせーのアカデミックローブをたたむあぐりの姿。
「嘘は言ってない。契約違反はしてないよ寺坂君」
「だけど、これじゃ……ッ」
「何、またすぐ戻るさ。誰しもが、折れて挫折すればその先は『深い怒り』しかないからね。
やり場のない怒りほど滑稽で、絶望するものもない」
シロの言葉が何を言わんとしているか、判別できない寺坂。
逆にイトナに向かって叫ぶ。
「イトナてめぇ、そんなんでいいのか? お前、英雄だとか言ってたろ! 他人を危険に巻きこんでんじゃ――」
「自分の胸にそっと手を当てて考えろ。それに、俺はお前とは覚悟が違う」
イトナは下りてきて、断言する。
「俺は、地球を救う。
そのために、必要とあれば小を斬り捨てる必要もある。例えそれが実験程度の価値であったとしても。
絶対に、失敗が許されないのだから」
それに、俺が勝てば助ける手はずは整えている。
そう断言して、イトナは触手を使い移動する。シロもシロで、寺坂を一瞥するだけですぐさま横を通り過ぎた。
「……何コレ。爆音がしたと思って来たら、なるほどそーゆー訳ねぇ」
「ッ! か、カルマ……」
寺坂に向けて、珍しく困惑した色を浮かべるカルマ。いくらか精彩を欠いているのは、彼もまた少し焦っているからか。
「なるほど。自分から立てた計画じゃなくて、わざわざあの二人に操られてたってことねぇ。
にしても、いよいよあの二人の言ってることも、やってることもお遊びじゃなくなってきてないか……ッ」
独り言に移行しようとしたカルマの襟を掴み、震えながら、すがるような、同意を求めるような、そんな情けない顔になりながら、寺坂は叫ぶ。
「い、言っておくが、俺のせいじゃねーだろ!
こんなの、予想できるかってんだ……。こんなことするヤツが悪いんじゃねーか! 皆流されたのだって、結局奴等が――」
「バカ」
がん、と、カルマが腕を振り払い、上段回し蹴り。
少し頬を張らす寺坂に、カルマはいつもより真面目な調子で言った。
「言わなきゃわかんないなら、言おうか。俺面倒だったけど、結局皆が協力したのはお前じゃん。
で、そんなお前が流されるままみんなを流したんだろ?」
「……」
「よかったね、あの先生で。きっと何とかしてくれるだろうけどさ。
もし万が一あったらお前、大量殺人の共犯だよ」
人のせいにしてる暇あるなら、そこでずっと寝てればいいじゃん。
「少しくらい捻る頭あんなら、最初からやってないだろうしねー」
言いながらカルマは、既にプールを下り始める。生徒達の側に向かっているころせんせーと、シロやイトナを追おうとしているのだ。
それを直視できず、寺坂は固まる。
拳を握り、地面に叩き付け。
「……ちくしょう」
堪える声は、しかしどこか覇気を取り戻したものだった。
「ころせんせー、大丈夫かなぁ……」
腰に巻きついたロープを外しながら、水の流れた水路で茅野が言った。
茅野だけではない。ロープを付けられてその場に固定された生徒たちは、皆一様に各々で対応している。
水流がいくら強かろうと、高かろうと、水が流れ切ってしまえば後追いがない。
あくまでダムのように堰き止めていたというのが功を奏したのか、元々の沢の水量が少なかったというのも大きいのか、ころせんせーの行動で生徒達は多くが助けられていた。
片岡が茅野の言葉に同意して、鼻に引っかかってるゴーグルを付け直す。
「泳げないって言ってたけど……いや、違ったっけ?」
「能力が落ちる、とか言ってたような」
渚の捕捉を受けて、ますます生徒達は頭を傾げた。
いくら生徒たちを助けるためとはいえ、そう危険なことをするはずもないだろう。というより、本人の能力が落ちてしまえば結果的に生徒を危険に晒すことに繋がる。
そうであるならば、果たして何故ころせんせーが水に飛び込んだかという話になるのだが――。
「とりあえず行こうぜ、何か手伝えることもあるかもしんねー」
前原の言葉を受けて、ころせんせーの方に向かう生徒たち。
進路の先は岩場が連なっており、所により崖のごとくなっている。その道中で彼等のごとく、ロープに縛られた生徒たちが散見されたが。
例えばその一人、岡島いわく。
「なんかすいすいすいーっと、もんのすげースピードで泳いで行ったぜ」
例えばロープと格闘している杉野いわく。
「ヌルっていうかヌメっていうか、生魚みたいな感触があったっていうか」
例えばほっと一息ついた矢田いわく。
「っていうよりも、完全に魚だったよ、あれ」
(((((魚?)))))
意味が分からない多くの生徒達だが、突如鳴り響いた轟音。吉田大成が「こっちだ!」と叫び、生徒達を誘導する。
あぐりがじっと見つめる先には――。
(((((な、何だあれ!?)))))
触手を振るうイトナと、非常に形容し辛い、何とも言えない服装をしたころせんせーの姿があった。
その姿は、マンボウのような感じのかぶり物、ゴーグル、魚をデフォルメしたような胴体の衣服に、足元がひれのように、それでいてスキューバーダイビングのごとく分割されたもので、全体的に見れば魚のように調整されている。
されてはいるが、その格好の酷さについて誰もが思わず突っ込みを入れそうになる。状況が状況なため言葉こそないが、皆一様に汗をかいていた。
「ノン! 何だその装備は、ころせんせー!」
「ヌルフフフ……、これぞ水世界最強のタコを模した装備、いうなれば『
(((((魚なのにタコなの!?)))))
錯乱してるためか生徒たちの突っ込み所もおかしい。
「きゃー! 吉良八さん、きゃー! かっこいー!」
「「「「「えええッ!?」」」」」」
そしてそんな生徒たちに混じって、あぐりが絶叫。目を爛々と輝かせて、ハートマークさえ浮かんでそうな浮かれっぷりである。
(た、確かに雪村先生好みっぽいデザインだけど……)
(ここまではしゃいじゃうって……)
汗を流しながら生徒たちが思うのはそんなことか。ぶんぶん手を振り回して、ひたすらころせんせーを応援するあぐりである。
対するイトナも、そんなころせんせーの予想外の動きに戸惑っていた。
「くっ、当らない――ッ」
「ヌルフフフ。こういう時のために先生、あらかじめ準備しておきました。
触手弱体化成分も何のその! 薬剤の実に八割をカットし、弱体化を最小限に押さえ、かつ『心臓』に負担のかからない程度に保護する機構。さらに――魚モード!」
ばしゃりと飛び跳ねたころせんせー、いや、魚キング。下半身がイルカのごとく変形し、魚と水性哺乳類の入り交じったよう変な形状へとなった。
さらに、顔面はシャーっとバイザーで覆われる。
「――これが、水中専用決戦水着”魚キングスーツ”です!」
「ノン! わけが、わからない!?」
生徒たちも大半はイトナに同意のようであった。
「触手の方向性が変わって、操作制度、一撃の威力も上昇していますが、残念でしたね今回は先生のオンステージです。
しかしイトナくん。いくらか不可解なことがあります。
今回の行動は、英雄英雄と言う君らしからぬ行動に見えます。大義名分はあり、そのために斬り捨てる判断もまぁ必要かもしれませんが――ある意味、今回のこれも単なる実験に等しいでしょう。
だというのに、本番さながらのその切羽詰った『波長』。……ひょっとして君、彼と、”C”と一度交戦しましたね?」
「――ッ!」
ころせんせーの指摘に、イトナの触手の攻撃速度が上昇。
そんな二人に、シロが肩をすくめた。
「こちらとしても想定外だったんだけど、日本でヤツを確認してしまってね。上の方から一度向かわせてみろって言われていたんだ」
「悪影響じゃないですか」
「自覚はしてるよ。お陰で今月の生活費が……。いや、そんなことはどうだって構わない」
大変みたいですね、みたいな視線を向けるころせんせーと、あぐり。シロはそれを受けて、わずかに居た堪れないように頭を左右に振った。
生徒達は、会話こそ聞こえていないだろうが状況を見つつ会話を交わす。
「あの一撃、やっぱイトナだよなぁ」
「でも水中の秘策ってアレか~」
「……押されてはいないけど、でも避けてばっかだし、防戦一方だな」
「あれくらい、ころせんせーなら何とか出来そうなものだけど……」
「上を見て見ろ」
と、突如背後からかけられた声に生徒達は振り向く。
「寺坂?」と磯貝の訝しげな視線を、普段より多少小さくなってるように見える姿で流し、ころせんせー達の上部に指差す。
そこでは、村松が今にも樹から落ちそうな原を、下からどうしたものかと
「触手の射程圏ギリギリだろ。で、早い所助けに行かないとどうにもならない。
だからと言ってわざと負けたらそもそもあいつは暗殺教室を『続けられなく』されちまう、らしい」
「寺坂君……?」
「メモしたけりゃ後に回すぞ。
見た目飄々として、やってることは結構ゲスいからな。計算高ェんだろ」
言う彼の言葉は、妙に他人事というか。聞いている生徒達は、共謀者といっても嵌められた立場とは言え、その言葉に苛立ちや焦りを覚える。
今回のこと、全部操られてたのかと叫ばれて、わずかに自嘲するように、しかし寺坂は笑い飛ばした。
「あーそうだよ。
何も考えなくても、ガタイとデカい声ありゃ大体のことは何とかなってたんだよ。ここに来るまでは。
ここに来てから全部変わっちまった。だから所詮、目的も何もない短絡的なバカは、頭良いやつに操られるのが関の山なんだよ。
でもな――」
覚悟だけは少しはある、と彼は真顔になって、睨むように続けた。
「――やられっぱなしってのは、主義じゃない。
だったら、せめてどいつが操るかくらいは自分で選びてぇ」
「……」
渚は、かつての寺坂と今の寺坂の、わずかな違いに何かを感じて見つめる。
彼はそんな視線を受けても、無視して歩き、カルマの方へ。
「このままってのは気に食わねぇ。たぶん、あのバケモノ教師が最後は何とかしちまうんだろうが、それで終わりじゃ俺の気が収まらない。
だからカルマ! てめぇがアイツらを度肝抜かせるのを何か考えろや」
「……へぇ。出来るの?」
「完璧に実行してやらァ!! だからその、狡猾なオツムたまにゃ積極的に使えや!!」
寺坂の啖呵に、カルマはニヤリと笑って視線をころせんせー達に向ける。
「良いけど、死ぬかもしれないよ? 俺の作戦、たぶんお前に容赦ないけど」
「こちとら、実績ありだぜ」
肩を回す彼に、カルマは聞く。
「じゃあ、とりあえずアイツらがどんな作戦を立てていたかってところから、話してよ」
※
「ヌルフフフフ……。ちょっと落ちてきましたね」
水中ですいすいとイトナの周囲を旋回するころせんせー。しかし、その背後に落ちる触手の一撃は、段々と確実にころせんせーを捉えてきている。距離が詰まってきているのは、イトナの学習能力がころせんせーの行動パターンを捉えてきているからか――否、それだけではない。
「そのスーツ、確か八割カットと言っていたな」
つまるところ、長時間の水中戦に向かないということである。
いくら八割カットとはいえど、20%はころせんせーに負担を強いている。結果として水中に居る時間が伸びれば伸びるほど、ころせんせーのスペックは徐々に低下していくということだ。
加えて、確かにイトナの能力自体も上がっている。
「直線距離約2メートルに対して、移動するまでの秒数は――、そこから導き出される秒速と、移動ベクトルからして――」
「にゅや!?」
ぶつぶつと呟く彼は、学校の授業でも習う距離、速度、時間の関係についてその場で暗算しているようだ。ころせんせーの動作を目で見て確認し、そこから得られたデータを自分なりに解析。
決して感覚的な動きではなく、きちんとした合理が以降の攻撃には宿る。
いくらスペックが落ちているからと言えど、理詰めで攻められる状況はころせんせーにとってあまり経験がない。
(と言うよりも、理詰めされる前に普通は「片付けて」来てましたからねぇ)
「死神」からすれば、自分と相対した相手は戦えば基本的に確殺してきているので、データ自体を分析される愚を犯す事はほぼないと言って良い。
(例外は「前の」ニアくらいなものですが、それにしても――)
「クールに決める。計算さえ出来れば、サルでも解ける解だ――!」
そして、イトナの一撃が、ころせんせーの頭部を霞め。
水中からトビウオのように跳ねたころせんせーの、否、魚キングの頭部装甲(?)が、ばちん、とパージされ。
中から、もっさりとした巨大なマリモのごとき名状しがたいアフロ状の髪型が、冒涜的物理法則が働いたその巨大な頭髪が姿を現した。
「にゅ、にゅや!? しまった、これでは再装着できない!!」
(((((それ以前にどうやって入ってたんだよ、その頭!!!)))))
この程度の状況で左右されないころせんせーのノリであるが、しかし。
「吉良八先生――ッ!」
「さて、ようやく追い詰められて来てくれたねころせんせー。
イトナ、邪魔者はいない。そろそろ決着を……?」
と、シロがイトナに指示を出そうとした時点で、背後から叫ぶ声。
「おいイトナ! シロ! てめぇらよくも俺を騙しやがったな……っ」
「て、寺坂君? 危ないよ近くにきたら(何かあっても、もみ消せるだけの金もないし今は)――」
「うるせぇ!」
シロの何やら後半ぶつぶつ続いた言葉を一蹴し、シャツを脱いで丸めて構える。
そのまま下に降り、イトナに叫んだ。
「タイマン張れやオラ、このままで済ませられるかッ」
「構わんが、ころせんせーを倒してからにしろ」
「それじゃ意味ねーだろタコ!
今やるから意味あんだッ」
彼の叫びに、右手でこめかみを押さえて左手でその肘を押さえ、考えるようなポーズをとって「Fu~」と、やれやれ、みたいなため息を付いたイトナ。
「……クラスメイトを巻きこんだ。そんなことはどうでも良いというスタンスだな、それは。俺でさえ、状況が状況だからこそ現状に至っただけだ。スマートじゃない手段は嫌いでね。
だが、お前は違う。所詮はクラスで浮いてたという意味では、丁度良かったのか――」
「何訳のわかんねーこと言ってるんだタコ!」
「語彙も貧弱か……、Be cool。もっと冷静になれ。
つまるところ、周りより自分の感情だけを優先しているんだ。それならば――決してヒーローにはなれない。空気を、読め!」
「あ、おいイトナ――」
シロの静止を振りきり、イトナは寺坂に触手攻撃を仕掛ける。
だが、寺坂はイトナのその一撃を、包んだシャツで受け止め――。
そして同時に、バシュゥゥゥゥゥという音と共に、煙が広がった。
何だと? と目を丸くするイトナ。
シロが「まさか」と言うと、「スマートに考えろよ、少しは」と寺坂が煽るように笑った。
「上手く行ったみたいだね」
「だろーね」
渚とカルマが、その状況を見下ろしながら会話を交わす。どゆこと? と頭を傾げる茅野に、カルマが言った。
「まず大前提として、相手は俺らを殺すつもりはない。殺したら”英雄じゃない”だろうからね、何だかんだ言ってイトナ君も、原さんたちの方に積極的に足を踏み入れたりしてないし。
とすると、寺坂にする攻撃も自ずと弱まる。それこそ気絶する程度に調整された、ね」
そして、もう一つの仕込みが生きてくる訳である。
「律もありがとね、職員室から持って来てくれて」
「お安いご用さ。僕等が最後の希望さ♪」
軽い調子で応じる男律。ばちんとするウィンクの理由は、つまるところ寺坂から話された、シロ側の計画に由来する。
昨日あぐりに取り上げられたものが、本来はころせんせーを弱体化させるために用意した成分を詰めたスプレーであるらしい、というのを聞いた時点でのカルマの行動は早かった。
早速モバイル律経由で、それが学校の職員室にあるかどうか確認。間違いなく同一のもの、という太鼓判を彼女から押され、それを持って来てもらったのだ。
流石にころせんせー程の速度は出ないが、そこはアンドロイドハードと言うべきか。
そして、寺坂は脱いだシャツの下にそれを来るんで、構えていたのだ。
結果は、自ずと知れる。
「――ぬるションッ!」
「――ぐしゅんッ!」
ころせんせーとイトナの、同時のくしゃみ。
それだけで終わらず、延々と両者は鼻を押さえて蹲りながら、くしゃみを続けている。
そしてイトナの方は、嗚呼、何ということか。触手からドロドロと粘液が止め処なく溢れ、そして水についた触手が膨れ始めているではないか!
一方のころせんせーだが、くしゃみこそ止まらずとも崖くらいは余裕で走って昇り、原を抱っこして下に戻って来た。
「じゃ、俺らも仕上げと行きますか」
「みんな、行こう!」
「「「「「おう!」」」」」
動き出す3-Eの生徒たち。
叫ぶ寺坂に、仕方ねーなと応じる村松に吉田。
「――ッ!!!」
「ころせんせーと弱点が同じなら、数で勝る方が有利だよねー」
軽く笑うカルマに対して、鼻と口元を両手で押さえて涙目のイトナは、生徒達が飛び降りて巻き起こった水流をモロに喰らってしまった。
お陰で触手が二の腕くらいに太くなる……、物理法則どうなってんだ、みたいな目で見る不破だが、流石に今回は自重したのかコメントがなかった。
「……これは、負けだな。やはり正義を盾にしても、邪道は邪道か」
「じゃあ、みんなで水遊びするー?」
上から笑うカルマと、手で水を構える生徒たち。律は水中に入れないのか、水鉄砲を構えてる。
してやられたね、とシロは肩を竦めた。
「帰ろうイトナ。これ以上居ても意味がない。リアクター式制御装置も、そろそろ充『触』しないと――イトナ?」
背を向けて立ち去ろうとするシロだったが、しかしイトナの様子が変化していることに気付いた。
首元を押さえてガタガタと震えるその様子は、明らかにこの間の痛みに震えてたイトナとは何かが違う。
まずい、とシロが叫ぶ前に、今度はころせんせーが行動した。
「行きましょう――」
『――了解です、ミスター』
言うに早く、突如ころせんせーが取り出したピストル型装置の先端から、イトナのそれとはまた少し違った、黄色の「触手」が「生えた」。
生徒達がそれにぎょっとするよりも先に、ころせんせーはぶんと振りきり、イトナの触手の先端を叩き切る。ばちん、とムチでも振るったような音と衝撃波が水面に波紋を作り、イトナは倒れた。
銃のトリガーから指を外すと、触手はドロドロと解けて水に落ちる。
ころせんせーは銃からそれを引き抜き、イトナの方へ。
「…… 一応、感謝しておく、兄さん――ぐしゅんッ!」
「その設定、まだ引きずりますか……。まあ良いでしょ――ぬるションッ!
シロさん、予備のバッテリーはありますか?」
「……生憎と持ち合わせは今はない。ベーストレーラに戻れば一応あるけど」
「では、早い所連れて行って下さい。
触手の『総量』を減らして暴走を防ぎましたが、緊急措置です」
「わかった」
イトナを抱えてシロは足早に立ち去る。
その背中から、イトナはころせんせー達の方を見て言った。
「……良いクラスだな」
「では、ちゃんとクラスに来ますか?」
「俺は、ヒーローだ。……兄さんなら分かるだろ? ヒーローってのがどういうものか」
「先生、別にそういうものじゃありませんがねぇ……」
「イトナくん! 席はあるから、いつでも大丈夫よー!」
立ち去るイトナたちを見送りつつ、生徒たちはわずかに無言。
その中で、ころせんせーだけが周期的にくしゃみを続けていた。
「……ころせんせー。さっきの触手って――」
渚が代表してころせんせーに聞くと、彼はヌルフフフと笑って答えた。
「大丈夫です、暗殺教室では使いませんから」
「「「「「いや、そうじゃなくてッ!!?」」」」」
「まあ先生の奥の手、第一段階みたいなものでしょうか。
とは言えあまり器用なことが出来るわけでもないので、過剰な期待は禁物です――ぬるションッ!」
誰も期待してねぇよ、ていうか期待って何だよ。
根本的なところで答えになっていないころせんせーのズレた答えに、しかし緊張していたクラスは弛緩した。
「しっかし、何とか追い返せたなぁ……。流石に今回は危なかったし」
「ころせんせーも良かったね。私達居なかったら、かなり大変だったんじゃない?」
「もちろん感謝はしてますよ。ヌルフフフ、まあ負けるつもりはありませんでしたが」
「確かに負けないだろうけど……」「っていうか、このロープって何製? 全然切れないし」
「にゅや!? 斬ろうとしないで下さ、ぬるションッ!! 下さい、タコせんせーてるてる坊主みたいになっちゃうじゃないですかッ!!!!?」
「へぇ~、じゃあこうしてこうして――」
「カルマくん、先生が言った傍から何を――」
「なんか、一気に平和になったね、渚」
「だね」
ようやく、完全に普段の空気に戻った3-Eに、渚と茅野は力を抜いて笑い会った。
なお、そんな中であぐりは魚キングのヘッドパーツを探してるらしく、倉橋らと共に水中をじっと見ていた。
「あ、そういえば寺坂君。さっきのカルマ君との作戦会議の時の、全部聞こえてたわよ~? ヘヴィだとか太ましいだとか」
「あ゛!? い、いや、あれは状況が――」
「問答無用! 動けるデブの底力、思い知らせてくれるわ!」
しゃー、と唸り声を上げる原に、どうしてか数歩下がる寺坂。なまじその空気は、どこか今まで以上に馴染んだものであって。
そして背後からカルマが煽りを入れたのに対して、問答無用で一本背負いを決めた。
「は、はァ!? 何すんだ上司に向かって!?」
「何が上司だ何が! 盾ありとは言え生身でマッハにぶち当たりに行かせるとかどんなブラックだ!
大体テメェはサボリ魔のくせに上からもの言うわ、オイシイ所持って行くわ!」
「あ~、それ私も思ってた」
「完全にライバルキャラのポジよね」
「ここらで一発、みんなと一緒に泥被ってもらいましょうかねぇ」
ぎゃーぎゃーと叫ぶ、若干悪ノリした周囲と、珍しくいじられているカルマ。なまじ奥田さえその中に混じってるのが、珍しいと言えば珍しいか。
何とも言えない表情の渚と、困ったような茅野。
「寺坂君は、小難しく考えて上の方にいるより、現場で柔軟に動いた時にこそ真価が発揮されます」
「あ、ころせ……、魚キングのままなんだね、まだ」
「流石に上は上流の方に置いてきてるので、ヌルフ……」
頭をタコせんせータオルで拭きながら(なお「雪村あぐり」とマジックで書かれている)、ころせんせーは人一倍、今までにないくらい楽しそうに笑う寺坂に、ヌルフフと微笑んだ。
「体力と実行力、そしてシンプルな姿勢で自身も現場にも活力を与える。
実行部隊としての成長が、今後とも楽しぬるションッ!!!」
「肝心なところで絞まらないね……」「だね」
「にゅや!? これ、先生関係ないじゃないですかっ」
(寺坂君が、まだまだ乱暴だけどクラスに馴染んできた)
(僕も、きっとカルマくんやみんなもそのことが内心ではきっと嬉しくて――)
(クラス全員が、その時は見落としていた)
あぐりからヘッドギアを受け取り、再度装着してポーズを決めるころせんせー。
やはりきゃーきゃー言う彼女と、その背後で協力していた倉橋や矢田たちが何とも言えない表情になっていた。
(――水なんかよりもっと大きな。雪村先生でもない、もっと重大な)
(僕等誰もが気付ける、気付けるからこそ考えることすらしていなかった弱点を)
原作がまもなく完結に向けてと動き始めている最中、がんがんにそちらと歩調もとりつつなので、ちょっと遅れ気味ですが更新は続けていきたいと思います。
でも同時に、着実にイベントをこなしていくと「嗚呼、段々こっちも終わりに向けて動いてるんだなぁ」とまだ一学期中なのに手が止まってしまう……何でしょうかねコレ;
次回は個人的にイチオシな岡ひな回が来るかと思いますが、さてどうなるか。