死神教室≒暗殺教室   作:黒兎可

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長いです


第26話:才能の時間・2時間目

 

 

 

 

 

 

「貴方の家族じゃない――」

「――私たちの、生徒です」

 

 

「ころせんせー」「雪村先生」

 

「……我々が目を放した隙に、何をやっているんですか? 鷹岡先生。

 それは、限度を超えてます」

 

 ころせんせーたちの怒気を受けても、鷹岡自身は平然としている。

 

「文句がありますか? 吉良八顧問(ヽヽ)

 

 生徒達に意味合いの分からない役職をあえて言いながらも、鷹岡はころせんせーにうっすら笑みを浮かべながら向き直る。

 その態度には余裕があり、しかし同時にころせんせー側からすれば引き下がらざるを得ないものだ。

 

「この教科の方針は、基本は『我々』に一任されているはずですよ。

 そして、罰は立派に教育の範囲だ。

 短時間で目標水準にも達する。また根性も付く。ちょっとのことでへこたれない、『戦士の』メンタルが付くんだ。これから先の生徒のことを考えれば、『どちらの意味でも』悪い条件ではない。多少厳しくても、理事長は受け入れても構わないとしましたよ?」

 

 向かい合う形で、ころせんせーを見る鷹岡。

 

「それとも貴方は、多少、教育論が違うだけで。

 あなた方の『作戦』の邪魔をしていない相手を攻撃しますか?」

 

 眉間に僅かに皺を寄せ、眉をぴくりと動かすころせんせー。

 全ての意味が伝わっているわけでもないが、生徒たちも彼の言ってる事が、一応は筋が通っているように聞こえはする。

 

 だが、だからこそ全員失念しているとも言えた。

 

 

――ぱしんッ!

 

 

 渇いた音と共に、鷹岡の左頬が打たれる。

 流石にこれには呆気にとられたのか、目を開いて言葉が続かない鷹岡。頬を擦りながら、それを仕出かした相手――彼女を、雪村あぐりを見る。

 

 普段のにこやかな表情が嘘のように、冷めた目で鷹岡を睨むあぐり。

 

「……教育方針にまでは、口出ししません。意図も理解できる範囲ですし、何より椚ヶ丘(ここ)がそういった思想を採用している場所ですから」

 

 一部で彼を肯定しながら、しかしあぐりは、相手の目を、その奥を睨むように続ける。

 

 

「でも生徒たちと一緒にいる上で、絶対に外してはいけないことがあります。

 必要のない場所で自主性を摘み取るのは、決して、教育者としてやってはいけないことです。

 どう思ってますか、貴方は」

「……違いますよ? 雪村先生ぃ……」

 

 

 息を多少荒げながら、あぐりの肩に手を置こうとする鷹岡。

 それに対して、ぴしっと、裏拳でそれを交わす彼女。

 

「ここは、私達の教室です。

 生徒みんなと、私と、吉良八先生と、烏間先生とイリーナ先生と、みんなの。

 そして教室を作るためには、みんなの意志がなければ成り立ちませんよ」

「それが違うと、言ってんだよ」

 

 笑う鷹岡だが、その目は据わっている。

 

「結局、評価ってのは絶対的で、結果しかないんだ。だから、結果を出せるようにしてやろうと、そういう話なんだ、これは。

 ……これ以上は何を言っても平行線ですね。私は授業に戻りますか」

 

 一瞬のその表情を解き、すぐににこやかなそれに戻る鷹岡。ころせんせーたちに背を向け、生徒たちに指示を出す。

 物理的な説得力と強制力を併せ持つ鷹岡。そして、ころせんせー達とは異なる理屈ながらも、ある程度はそれに従わざるを得ない説得力を持っており。

 

 渋い顔をしながら、あぐりはころせんせーのローブの裾を、ぎゅっと掴んだ。

 

 

 

   ※

 

 

 

 慣れないスクワットをしている生徒達。

 元運動部の面々は経験があるのかといった所だが、元々スクワット運動はトレーニングとして最近では宜しくないと言われている。

 

 それでもなお続けさせ、駄目な生徒は襟を掴み恫喝を飛ばすのは、精神的な部分も込みでのトレーニングだからか。

 

「軍隊的には王道というところなんでしょうが、あれでは生徒が持たない……。訓練メニューの度合いを変えるつもりが全くないんでしょうねぇ。

 雪村先生の言葉ではありませんが、自主性も含め何より身体的に潰れてしまう」

 

 そんな授業風景を、校舎の手前で教師陣は眺めていた。先ほどからあぐりは、ころせんせーの腕を掴んで下を俯いたまま。

 ころせんせーは、烏間に話を振った。

 

「どう思いますか? そこのところを。烏間さん」

「……おそらくだが、最初はあえて無茶なメニューを組んでるんだろう。アイツだって、本プロジェクトの重大さと責任問題について、何も考えていない筈はないからな」

「そういう意味ではありません、と言えばわかりますか?」

「……空挺団に居た頃から、俺はそれなりに評価されてきた。情報部に引き抜かれたのも、戦闘面とそれ以外の面でのことだと、上司には言われている。

 実際、俺も教官としてはヤツ程ではないが、大きく差はない」

 

 だからこそ、と言葉は続く。

 

「いくらお前からの無茶な依頼だったとしても、その流れで人事的に強制だったとしても。

 俺は俺なりに考えてメニューを組んだし、ゆっくりとは言え三月までには全員目標水準を突破できるレベルにはしてあった。その行動を、例えアイツのそれであっても、俺は否定できない」

「……何よ烏間、アンタ、あいつの味方なわけ?」

 

 イリーナの言葉に、ころせんせーはにこやかに首を左右に振る。

 

「立場的にも、そして同期としても教官としても。なかなか簡単に答えを出せる問題でもないのですよ。

 ロヴロさんと私の教育方針が違うように、ということですね」

「は、はぁ?」

「私から見て間違っているものが、烏間先生たち(ヽヽ)からして、目的次第で間違ってると言えないということです。彼には彼の教育論がある。

 実際、彼の言葉は破綻こそしていないでしょう」

 

 眉間をつまむイリーナに、ころせんせーは微笑みながら言う。

 

 と、ふと、あぐりが顔を上げ、烏間の方を見た。

 言葉こそ多くないものの、双眸には真っ直ぐな意志が見える。

 

「私は、烏間さん。貴方がやっぱり適任だと思います」 

「……」

「形式的な話をするなら、確かに教育内容はそちらに任されてはいますけど、でも教師を要請する権利はこちらにあるはずです。そう『契約』しましたから」

 

 あぐりの言葉に、少なからず目を見開くイリーナ。

 だがそのことを深く追求させる空気もなく、あぐりは続けた。

 

「ですから烏間さん。いえ、烏間先生。

 私達ではない、貴方が、あの子たちの『体育の先生』として、鷹岡先生を否定してくれませんか?」

「……否定、か。

 俺が奴を間違っていると、言えるのだろうか」

 

 下を向き、独白するように続ける烏間。

 あぐりはころせんせーと顔を見合わせて、少し笑いながら言った。

 

「だって烏間先生は、先生ですから。

 そこは、私達二人ともそう思ってます」

「……」

 

 ねえ私は? 私は? と背後で言うイリーナをスルーしながら、烏間は拳を握り、生徒達を見る。

 

 

 

 

 

 そんなやりとりが行われてるとは知らず、鷹岡はひっそりとほくそ笑む。

 彼の目にはただ、指を咥えて見ていることしか出来ない(ように見える)彼等しか入っていない。

 

(悔しかろう、なあ烏間。育てた生徒を俺に奪われたんだから)

 

 胸の内に蠢くその感情は、果たしていかなるものだろう。

 

(卒業期、空挺団時代。共に成績も成果も最優秀。

 そんなお前はきっと、俺のことなんて気にも留めてなかったろう。実際お前の情報部引き抜きの時、名前すら忘れかけていたしなぁ)

 

 舌打ちしそうになる口を押さえ、にやりと笑う。

 

(お前の同期が何て呼ばれてるか、知ってるか? 空白だ、空白。『居ない者』の世代だって言われてるんだ。

 俺に限らず、お前の敵も少なくないんだぜ? オイ)

 

(そんな俺に、これ以上ない出世のチャンスを奪われるんだ。さぞかし印象に残ることだろうよ)

 

 鷹岡にとって、今回の仕事はいくつか意味がある。

 

 烏間が請け負っている仕事は、主に二つ。生徒たちの能力向上と、有事の際に”C”と戦うこと。そのための方法を吉良八から受け取っているところだが、そちらは大きなポイントではない。

 

 重要なのは、もっと根本的なことだ。

 

(生徒たちは、そのために潰しはしない。適度にギリギリで往なして、かわして、押さえつけ「兵士」とする)

(そのうち半分以上でも精鋭に育てられれば、俺の仕事は高く評価される。

 実際、俺なら出来る)

 

 その内心は、口に出して表明すればおおよそ許されるものではない。

 

(――そしてレポートが正しければ、只の子供に見える兵士を相手に”C”は躊躇するはずだ。

 そしてそれは、間違いなく討伐戦において大きな成果となる)

(そこまで行けば、後は一人でも生き残りさえすれば良い。むしろ「貴い犠牲」の上だ。賞賛される)

 

(そうすれば俺は、英雄を育てた英雄として――お前を顎で使ってやるぜ)

 

「今度こそ記憶に刻み付けてやる。この俺を。

 俺は――『居ない者』なんかじゃないんだ」

 

 鷹岡のその言葉は、単なる独り言であった。

 だがしかし、きっちりと聞いていた生徒は少なく無い。

 

「……居ない者?」

 

 呟かれたそのフレーズに、何故か、渚はスクワットの動き以前に意識の一部を揺さぶられた。

 だが、集中が切れれば必然、足がふらつく。

 

 そしてそれは、全体に対して言えることだった。

 

「じょ、冗談じゃねぇ……」

「スクワット三百回、初回からとか、死ぬだろコレ……」

 

 菅谷や岡島のそれが、運動慣れしていない生徒のそれである。先ほど持ち上げられていた三村に至っては、膝が震えて周回遅れ状態。それでも続けてはいたためか、ペースアップ以上の恫喝こそなかった。

 

 が、流石に一部には限界が来る。

 

「か、烏間先生~ ……」

 

 倉橋が膝を抱えて、力尽きたように蹲った。

 そして、それを見逃す鷹岡ではない。

 

「なあ、何で家族に頼らないんだぁ? 烏間は家族じゃないぞー?」

「ふえ?」

 

 指をコキコキ鳴らしながら、鷹岡が目の前に立つ。

 逆光ということもあってか、表情は、暗い。

 

 そしてそのまま右手を振りかぶり――。

 

「オシオキだなぁ。大丈夫、そんな痛くしないからな?

 父ちゃん、そんな頼りないか? 頼ったっていいんだ――ぞ!」

 

 

 

 だが、その手が彼女の脳天に落ちる事はなかった。

 

「……言ってることが矛盾してるだろ、鷹岡。それに、暴れたいなら俺が相手になってやる」

 

 烏間先生、と生徒達。それを受け、烏間の表情にわずかに戸惑いが浮かんだ。

 

 対する鷹岡は、密かに待ってましたと言わんばかりの表情である。手を振り解き、襟元を調える。

 

(烏間ぁ、そろそろ横ヤリ入れてくる頃だと思ってさ。

 じゃ、そろそろあの手を使うか……)

 

「言ったろ? これは教育なんだ。暴力でお前とやり合う気はないさ。

 やるならあくまで、教師としてだぜ?」

「散々挑発しておいて、何とする」

 

 彼の横を通り過ぎながら、鷹岡は得意げに続ける。

 

「確かこういうの――『暗殺教室』って言うんだっけ」

 

 その言葉に、生徒たちは一瞬身が震えた。

 

「ルールは単純。お前の育てた生徒達の中で、イチオシを一人選べ」

 

 しゃがみ込み、迷彩色のバッグの中を漁りつつ。 

 

「そいつが俺に一発、ナイフを当てられたら。お前の教育が俺より正しかったと認めて出てってやるさ。

 男に二言はないぜ?」

 

 生徒たちの表情に、微かに希望が宿る。

 だがそれさえ、彼の取り出したそれの前に凍りついた。

 

「――ただし、使うナイフはこっち(ヽヽヽ)だ」

 

 訓練ナイフを落した上で、実際に取り出したそれは。刃渡り実に二十センチ前後、鈍い銀の光を返すそれを、鷹岡は落したナイフに叩き付け、付き刺した。

 

 それは、実物のコンバットナイフである。

 

「やり合う相手が俺なんだ。使う武器も、本物じゃないと格好付かないからなぁ」

「よせ! 生徒たちは人間を『殺す』用意も訓練もされていない!」

「安心しろよ。寸止めとかでも大丈夫ってことにするさ。

 俺素手だし、そのくらいはハンデなもんだろ」

 

 そう笑う彼の脳裏では、軍隊時代の経験が生々しく蘇る。初めて実物のナイフを持ち、体の竦んだ新兵を、素手の彼が完膚なきまでに叩きのめす。

 どんな方法でも勝つことが出来ないと刷り込まれた彼等は、もはや黙って彼に心服するようになった。

 

「選べよ。じゃなきゃ無条件に服従ってことだ。

 一人見捨てるか全員を生贄にするかだ。まあ、どっちにしても酷い教師だぜそりゃ、お前。はっはは――!」

「……」

 

 嘲笑する彼を前に、烏間は手を向ける。

 地面のナイフを抜き、軽く投げて手渡すやり取り。烏間のかつての所属を知らなくとも、二人がかつて、おおよそ一般的な民間職ではないだろうことが、一発で察っせる類のものだった。

 

 

(……俺は、まだ迷っている)

 

 手にしたナイフを見下ろし、烏間は生徒たちの顔を見比べる。

 ちらりと後ろを見れば、今にも駆け出しそうになっているあぐりの両肩を掴むころせんせー。烏間の視線から何かを察したのか、彼もまた、ある生徒の方を見て頷いた。

 

(作戦が失敗する可能性もそれなりに高い。だがもし成功したとするのなら、今後彼等生徒たちのためには、コイツのような容赦のない教育が必要なのではないか。

 俺達のように激流に揉まれながらも、這い上がるような強さが)

 

「……ここに来てから、迷ってばかりだな」

 

 小声で呟きつつ、彼は足を進める。

 

(仮にも鷹岡は、俺と同じ部隊に属した精鋭。ぬるい訓練三ヶ月の中学生で普通は届くはずも無い)

 

 一歩一歩、その足は「彼」の元へ進む。

 

(だが、この中に一人だけ――わずかに可能性を、その「片鱗」を見せた彼を。

 危険に晒して良いのかも迷っている)

 

 そして、足が止まる。

 

 

 

「――渚君。やる気はあるか?」

「……!?」

 

 

 

 何で渚を、という反応が周囲を締める。当然渚とてそれは変わらない。隣の茅野が一歩進み、渚の顔を見つめる。当の渚本人は、烏間の言葉に戸惑うばかり。

 そんな彼に、彼等に、烏間は言い聞かせる。

 

「諸般の事情があって、引き受ける事になった教職だ。

 だが、そうであっても俺は君達に対して、プロとして接しているつもりだ」

 

 それは、時に自分に言い聞かせる言葉でもあるように。しかし今日まで過ごしてきた日々が、3-Eの教室に居た日々が。確かに彼の口から、一つの流れをもって放たれる。

 

「プロとして俺が、いや俺達が、君達に提供できるものは――当たり前に、中学生として過ごし、卒業させることだと思っている。必要に応じて戦闘訓練もしているが、あくまでそれは、先に『つなげる』ためのものだと」

 

 それは、赴任当初からころせんせーの隣で彼等を見てきたためか。

 それとも、彼の教えをぐんぐん受け取ってきた生徒に対する、感情からか。

 

「だからこれを、無理に受け取る必要はない。その時は俺が鷹岡に頼んで、最低限度のそれを維持してもらえるよう努力する」

「……」

 

 烏間の目を、渚はしばらく見つめる。

 ぐ、と手を握り、彼は烏間からナイフを受け取った。

 

「渚……」

「……うん」

 

 心配そうに見つめる茅野に笑ってから、渚は烏間に言う。

 

「やります――やらせてください」

 

 

 

 生徒たちが道を開け、鷹岡の前に立つ渚。ナイフを咥えて軽くストレッチ。

 

 烏間は、そんな彼に耳打ち。

 

「二つ、アドバイスだ」

「?」

「一つは威力だ。相手はこの形式を熟知してる。全力で振らないと当らないぞ。

 それからもう一つ。君と奴との違いは、武器の有無ではない。わかるか?」

 

 会話する両者を見ながら、鷹岡はにやにやと腕を組む。

 

「お前の目も曇ったなぁ烏間。よりにもよって、そんなチビ選ぶとは……」

 

 経験則は、そのまま相手の実力に繋がる。

 この場合鷹岡の経験は、文字通り渚のそれと桁が違う。だからこそ渚が自分を傷つけることの困難さを、体格や、震えるナイフを握る手から分析していた。

 

「烏丸の奴、何でよりにもよって渚なんか……」

「二人は『アレ』を見てませんね。茅野さんからの情報もありますし、まあ『今回も』大丈夫でしょう。いずれにせよ勝負は一瞬で決まります」

「……吉良八先生?」

 

 遠方の言葉は、渚たちに届いているわけも無い。

 

「(渚のナイフ、当ると思うか?)」「(無理だろ! 烏間先生と訓練してたらわかるって嫌でも)」「(おまけに、プロ相手に本物のナイフとか――)」

 

「……渚」

 

 じっと、茅野は渚の背中を見る。

 その目はどこか心配そうではあったが、しかし、見送るそれは只々無事を願うというものではない。どこかそれは、その視線は、彼の選択に対する信頼のようなものが見えるような――。

 

 

「さあ、来い!」

 

 手のひらをくいっと出し、軽く挑発するような動きの鷹岡。

 

 渚はナイフを握りながら、相手の目を観察する。

 

 

(……どうしてだろう。この人の目は、少しだけ僕等に似ている気がする)

 

 その感想の意味するところを、渚は上手く言葉には出来ない。

 ただ、これから自分を甚振ろうとする相手の目に、どこか屈折した挫折を見たことは事実だった。

 

(でも、僕は烏間先生の目が好きだ。あの真っ直ぐな。

 家族でもしないようなくらい、真っ直ぐ話してくれるその姿勢が)

 

 握るナイフには、己を選んだ理由さえわからなくとも、確かに烏間に対する信頼がある。

 

(それに、前原君や神埼さんのことだってある)

 

 せめて、せめて一発と。

 

 深く呼吸をして、渚の視線はナイフに落ちる。段々と、その重さが物理的なものではない、違った意味を帯びていることに、渚も気付き始めた。

 

 鷹岡の意図のうちに、これも入る。普通に生きていれば、ナイフを使って人を殺そうということはない。だからこそ、そこには躊躇が発生し、時にその後に齎される結果の重さが体を縛る。

 

(俺はなぁ、そういうのに気付いて顔青ざめるド素人が大好きなんだよ。

 さあ、見せろ、絶望しろ!)

 

 目を閉じ、渚は少しだけ呼吸を整える。

 

 不意に、彼の脳裏に烏間の言葉が過ぎった。

 

『――この勝負は、鷹岡にとっては見せしめの戦闘だ。甚振り、力を全体に誇示する必要がある。

 だがそれに対して、君は暗殺だ。一発当てればそれで良い。

 勝機はそこだ。相手は油断し、君の行動を無駄だと覚らせるための最初の数撃を技能を披露しながら交わすことだろう。そのチャンスを、君なら俺は突けると思う』

 

 鷹岡からすれば、それは公開処刑のそれだ。

 だが、渚からすれば意味合いが異なる。

 

 作戦と呼べるか、やや怪しいレベルのそれではあったが。しかしそれを思い出した瞬間、渚の震えは収まり、思考がクリアになり。

 

(そうだ。戦って勝たなくったって良いんだ――)

 

――殺せば、勝ちなんだから。

 

 京都でも一度起こった、何かの歯車が噛み合う感触。渚の内側で、回転しだしたそれ(ヽヽ)

 

 クリアになった思考は、多くを考えるまでもない。

 基本的な「潮田渚」というそれを、この時点の渚は「振り切った」。

 

 集中ゆえか、視界さえ、自分と鷹岡以外は真っ白に染まり――。

 

―― 一歩。

 

 気が付けば、口には微笑み。

 

―― 二歩。

 

 そう。笑って、普通に歩いて渚は近づいた。

 

―― 三歩。

 

 通学路でも歩くように、普通に。

 

 足が、止まる。

 渚の体が構えていた鷹岡の腕にぶつかったからだ。

 

 鷹岡は、身動きが取れて居なかった。まるで戦闘をするという風でさえ無いその動きに、脳みそが追いついていかなかった。

 

 だからこそ、この時点でようやく気付いたらしい。

 

 自分の首に向けて、刃が「当たり前のように」振られたことに。

 

 

(何だ、コイツ……!?)

 

 

 動揺しながら、鷹岡は渚の表情を見る。

 角度の問題か、目に光はない。

 

 ぎょっとしたまま動きが崩れる鷹岡。ころせんせーでさえ、お遊びの最中でも危ないコースには身体が強張るのだから、これは誰しも当たり前である。

 

 

 だがここに至って――渚の口は、まだ笑っていた。

 

 

 優しげな、普通の微笑みのまま。目つきと雰囲気だけを豹変させ。

 己を怯ませたのが、目の前の少年が放った殺気(もの)であると、鷹岡は未だ認識しえていない。

 

 崩れた体勢に対し、まるで自動的に出てくるかのよう「つながった」戦うための情報が、渚の選択肢を増やす。

 

 体勢が後ろに傾いたためか、ナイフを握ってない手は背中側から服を引き。

 同時に左足が、軸となっていた相手の右足の刈り取る。柔道の技の応用のようでありながら、力強く腹に肘を居れ、足のバネで押す形に。

 

(何だ、コイツ――何なんだ!)

 

 頭の処理が追いつく前に、渚の動きは更に続く。

 

 正面から向かうと防がれる確立があるからか。しかし確実に足を極めて倒した分のアドバンテージは大きい。

 鷹岡の両手が反射的に背中に回った瞬間、渚はナイフを彼の腹に這わせ。

 

 

 そのまま直線的に、まるでバッグのジッパーでも開けるように軽々と、渚は服の上からナイフを振るった。

 

 躊躇などない。そして、表情は殺気を放った笑顔のまま。

 腹や胸の表面を経由して、渚のナイフはそのまま彼の首目掛けて振る。

 

 胴体に刃物が接触し、そのまま上昇する感覚は、混乱していた彼にさえ、その笑顔を含めて恐怖を抱かせるに充分で――。

 

 

「――渚ぁッ!」

「――ッ!」

 

 

 茅野の叫び声に、はっとして渚は目を見開く。

 

 渚を見下ろしながら、ぜいぜいと息をする鷹岡。涎やら何やら吹きだしているが――渚のナイフは、鷹岡の首から頬すれすれの位置にあった。

 このまま続けていたら、それこそさっくり抉るような角度で。

 

 今更ながらその状況を見て、渚は自分自身驚いているようだった。

 無論、周囲の反応も同様に驚愕している。予想していただろうころせんせーでさえ、表情に余裕はなかった。

 

「えっと……、がおー?」

 

 本人もよくわかっていないような感じに、ナイフを裏返して首筋に当てる渚。

 

 

 この場で、それを最も近くで見ていたからこそ、烏間は震えざるを得なかった。

 

(予想をはるかに上回った、どころじゃない……ッ)

 

 日常生活でまず発掘されることのない才能。

 

 殺気を隠して近づく才能。

 殺気で相手を怯ませる才能。

 素早く行動を判断する才能。

 本番に物怖じしない才能。

 

 そして――躊躇なく、振り抜く(ヽヽヽヽ)ことが出来る才能。

 

(思えば片鱗はあったかもしれない。だが……、俺が訓練で感じた寒気は、あれが本当の暗殺だったら……ッ)

 

 戦闘の才能でもない。

 暴力の才能でもない。

 

 言うなれば、文字通り暗殺者の才能。

 

(これは、咲かせても良い才能なのか……!?)

 

「あ、あれ? 峰打ちとかじゃ駄目なんでしたっけ」

「――そこまで! 勝負ありですよ渚君。ねえ烏間先生」

 

 何時の間にやら、渚の横に立ち、ナイフを取り上げるころせんせー。

 生徒たちの視線も緊張が少し弛緩する。

 

「まったく、本物のコンバットナイフを生徒に持たせるなど、正気の沙汰ではありませんねぇ。

 しかしこれは持って来ておいて良かった」

「「「「「そのグッズ需要あるの!?」」」」」

 

 さらっと取り出した「タコせんせーナイフケース」に、鷹岡が持ってきたそれを仕舞い込むころせんせー。

 その抜けたデザインが、生徒たちにいつもの空気を取り戻させる。

 

「やったじゃんか渚!」

「ほっとしたよ、もー! うなー!

 渚、立てる!」

「あ、う、うん。ありがと」

「よくあそこで、本気でナイフ振れたよな?」

「いやー、烏間先生に言われた通りやっただけで……。

 って、痛い! なんでさ前原君!?」

「あ、いや、悪い。ちょっと信じられなくて……。

 いや、でもサンキューな! スカっとしたわ!」

「そっか、渚君は主人公系だったのか……」

「不破さんもブレないですね」

 

 他の生徒たちに絡まれている渚を見ながら、烏間の表情は優れない。

 文字通り弱そうに見えるが、それ自体が立派に才能として機能したそれが、焼き付いて離れないのか。

 

 考え込む彼の肩を、ころせんせーは叩いた。

 

「烏間先生。今回は随分悩んでばかりですねぇ。あなたらしくない」

「悪いか。……そういうお前も、少し今回は焦っていないか? 汗っぽいぞ」

「バレましたか。いえ、思ったより渚君の思い切りが良すぎたというか……。茅野さんには感謝ですね、アレなかったら、さっくり鷹岡先生の顔面がスプラッタになってましたよ」

 

 少し手入れを考えた方が良いですかねぇ、とつぶやくころせんせー。

 

「んー、あの子(ヽヽヽ)にも少し探ってもらった方が良いかしら……、あら?」

「ニュル?」

「ッ」

 

 だが、平和そうな空気に戻った時点で、その場でぬらりと立ち上がる鷹岡。

 いきり立ち、肩を張り、前傾姿勢で息を切らす。

 

 声音と立ち姿からは、怒りが滲んでいた。

 

「この、ガキが……ッ! 父親同然の俺に刃向かって、マグレで勝ってそんなに嬉しいか?

 もう一回だ。今度は絶対油断しねぇ。

 心も体も、残らず全部へし折って――」

 

 さっと、茅野が睨みつけながら渚の前に出る。

 次は私がやってやる、と言わんばかりに殺る気マンマンな彼女の肩を、渚は叩いて退かせ。

 

 足を踏み出そうとする烏間を、ころせんせーとあぐりが軽く引き止めた。

 

「ヌン、ヌン。聞いてみましょう。渚君の答えを」

「答え……?」

 

 いきり立つような鷹岡に、渚は少し逡巡してから、それでも目を見据えて答えた。

 

「……確かに次やったら、100回やったって僕が負けると思います。

 でも鷹岡先生。一つだけ、僕等はハッキリさせたことがあります」

 

 渚は、いや渚たち3-Eは、鷹岡を見据える。

 続く彼の言葉は、文字通りクラスを代表したものだろう。

 

「――僕等の『担任』はころせんせーで、雪村先生で。

 僕等の『教官』は、烏間先生です。これは絶対に譲りません(ヽヽヽヽヽ)

 

「――ッ」

 

 目を大きく開け、烏間は言葉が続かなかった。

 

「父親を押し付ける鷹岡先生より、プロとして接してくれる烏間先生の方が、僕はあったかく感じます。

 本気で僕等のために力を尽くしてくれようとしてくれたのは、感謝してます。でも……、ごめんなさい。

 

 ――出て行って下さい」

 

 頭を下げる渚。そして、生徒たちは誰も一歩も引かない。

 

「先生をしていて嬉しい瞬間は色々ありますが。

 迷いながら自分が与えたものに、生徒がはっきりと答えを示してくれた時は、やっぱり嬉しいですよね。

 そして、烏間先生? 生徒が出した答えには、我々も答えなければなりません」

「……くっ、ふふっ」

 

 らしくない笑いを一瞬浮かべ、烏間は歩き始める。

 

 対して、鷹岡は焦っていた。自分の作戦の失敗と、関係のある種の逆転に。

 思わず目を血走らせ、歯軋り。

 

「黙って聞いてりゃ、ガキの分際で、大人に何て口を――がああああああああ!」

 

 叫びながら全力で振りかぶるその動き。

 それさえ緩慢に写るような素早さで回り込み、烏間は鷹岡の顎を肘で打ち抜いた。

 

「……身内が迷惑をかけて、済まなかった。後のことは心配するな」

 

 生徒達を振り返り、烏間は淡々と、しかし確信を持って言う。

 

「今まで通り、体育は俺が担当出来るよう、交渉しよう」

「「「「「烏間先生!」」」」」

 

「くそ……、やらせるかそんな事……ッ」

 

 起き上がる鷹岡は、生徒や烏間に敵意をむき出しにしている。

 先に俺が掛け合ってやると言わんばかりのそれに対して――。

 

 

「――その必要はありませんよ、お二方」

「「「「「!?」」」」」

 

 唐突に聞こえた、生徒達にとって聞き覚えのある声。

 どこから聞こえたのかわからなかったが、数秒後にそれを察する。

 

 校舎の裏手、森の近くの方から、メガホン片手に、彼が、学園の支配者が現れる――。

 

「!! 理事長……!?」

「……何で迷彩服?」

 

 渚のツッコミの通りに、何故か帽子やフェイスペイと含めて、本格的な迷彩装備で登場した理事長。上着の前ボタンは外されており、黒のタンクトップが良い意味で見た目を引き締めていた。

 

 烏間の呼びかけに、にこやかに応じる浅野學峯。

 

「おや浅野さん、何時の間に」

「しばらく前から。……中々すごい光景も見れましたね、ころせんせー」

 

 ちらりと渚の方を見てから、理事長は鷹岡へ歩み寄る。

 

「経営者として様子を見に。『先方』推薦の手腕に興味がありまして」

「コマ○ドーである意味は……」

 

 あぐりの質問を流して、理事長は鷹岡の目を覗きこんだ。

 まっすぐ、まっすぐに。

 

「しかし――鷹岡先生。総評してあまり面白いものではありませんでした」

「……ッ、で、でも許可を――」

「試す許可は与えました。試した結果が、今でしょう?

 教育には時に恐怖は必要ですが、暴力のみでしか与えられないならそれは、三流以下だ。自分より強い暴力に負けた時点で、その説得力はなくなる。

 あってもなくても一緒ということですね。言うなれば、透明です」

 

 言葉は普通。声音も冷静。

 しかし見据える眼差しと、放つオーラはまるで怪物だ。その視線は、文字通り自分を虫けらとしか思っていないような錯覚を覚える。

 

「それに、()を採用してからのここに、こちらの理屈のみを押し通させるのも面白味がない」

 

 ころせんせーを一瞥した上で、理事長は取り出した紙を筒状に丸め、鷹岡の口に突っ込んだ。

 解雇通知である。

 

「烏間先生は、継続されて結構ですよ。それでは」

 

 立ち去り際、近くに居たためか渚や茅野の頭を軽くぽんぽんして、理事長はそのまま森へ帰る。無論そのまま山を下りて本校舎に行くのだろうが、なまじ格好が格好である。

 不破が「今日は厄日だわ!」とか叫んだりしているのはともかく。

 

 もしゃもしゃとその通知の紙を、怒りのまま鷹岡は噛み締め。

 立ち上がり、声にならない声を上げながら走り去って行った。

 

 そこから数秒の時間がかかったものの。生徒たちは、口を開く。

 

「鷹岡、クビ?」「ってことは、今まで通り烏間先生ってことだよな、さっき言ってたし……」

「「「「「よっしゃあああああ!」」」」」

 

 そこまで溜め込んでいた分のエネルギーが、この場にて爆発した。

 

「理事長もたまには良いことすんじゃんよ」

「うん。あっちの方がよっぽど怖かったけどね」

「あと、たまに変な格好してる時あるよね……」

「あ、な、渚君、さっきはありがとう」

「あ、神埼さん。いいっていいって」

 

 

 

 

「相変わらず、浅野さんは迷いないですねぇ」

「鷹岡先生、この後大丈夫かしら、その……」

「ヌルフフフフフ。あまり宜しくはないと思いますが、まあ、その程度でくたばる相手でもありませんよ。生きてさえいれば、可能性は無限だそうですからねぇ」

 

「……例えばの話だが」

 

 烏間の言葉に、ころせんせーとあぐりは耳を傾ける。

 

「『将来殺し屋になりたい』と、彼が言い出したら、それでも迷わず育てられるか?」

「……」

「鷹岡が目的としていたところは分からないが、少なくとも彼は、人間相手になら有能な殺し屋になれるだろう。戦闘屋本職の俺や鷹岡でさえ、血が引くんだ。

 それこそ、”C”の分体くらいなら相手に出来るかもしれない」

 

 とんとん、ところせんせーの胸をノックするあぐり。自分は答えるつもりは無いということか。それともはたまた、大体似たようなこと考えてるということか。

 

「……迷うでしょうね。まずは、そうなった理由を探るところから始めるとは思いますが」

「そうか――」

「だけれど」

 

 あぐりが、被せるように続けた。

 

「たぶん、それが教師ってものなんじゃないでしょうか。

 自分の考えとか、教えてることとか。それが本当に生徒のためになってるか悩んで、悩んで悩み抜いて。私達だって神様なんかじゃないし、時に間違えもします。

 でも、子供達の前では、そんな素振りは見せちゃいけなくって。胸を張って堂々と、かれこれこういうことだって教えていくもの、なんだと思います」

 

「……教師、か」

 

 空を仰ぐ烏間。既に色は赤く、夕暮れ。

 

「ところで烏間先生さぁ」

「ん?」

 

 顔を下ろせば、自分の周りには生徒達が集って来ている。

 中村や倉橋が中心になり、なにやらねだってきていた。

 

「私達の努力で返り咲けたわけだしぃ、臨時報酬とか、どうですか?」

「そーそ、鷹岡先生そーゆーのは充実してたよねー」

「……フン。

 甘いものなど俺は知らん。財布は出すから、要望は駅前で言え」

「「「「「YATTAA!」」」」」

 

 イリーナを含め盛り上がる生徒陣。

 そんな中、ころせんせーは微笑みながらも、表情が固まり汗が垂れる。

 

「吉良八先生……?」

「……あ、いえ、そういえばこういう展開でしたねぇ、ええ。

 忘れてた訳じゃなかったんですが、活躍パートがありませんでしたねぇ、ええ」

「あ、あははは……。ま、まあ私もそんなものですし」

「雪村先生も行こうよー! ころせんせーも、まあ、全然活躍してなかったけど、ついでにさ」

「活躍してなかったけどさー」

「にゅや、何たるバタフライエフェクト!?」

 

 あぐりが居たおかげか、今回はギリギリハブられなかったころせんせー。

 

 生徒たちに手を引かれ、烏間は足を進める。

 

(……成る程。俺もここで、それなりに熱中してるのかもしれないのか)

(迷いながら人を育てる――「先生」の面白さに)

 

 

「ちょっと下で待ってろ。本校舎の方から、スクーターを取ってくる」

(((((烏間先生、原付通い!?)))))

 

 さらっと新事実をぼろっと零しながら、生徒と教師たちはひとまず、校舎へ向かった。

 

 

 

 

 

 

 

「ねえ、ところで渚がさっき言ってたのに私、居なかったけど、私は何なの? ねえ」

「僕等のビッチです」

 

 当たり前のような竹林の答えに、イリーナは反射的に「F○ck you」を返した。

 

  

 




ちなみに理事長、本日分の訓練はずっと見学してた模様


そして次回、ついに作者的最難関のイケメグ回か・・・

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