次はもっと早く出せればと思います
『もう七月だというのに、未だ”C”は捕獲すら出来てすらいないのかね』
『日本でも対策は立てていますが、あくまであれは最終時期のもの。その他の分はそちら側での対応を』
『ええい、どうしてそちらの動きが早いのか!』
『やはり五年前のHAL事件の影響か……?』
『大統領! ”C”から我々一同向けに、本場夢の国の招待チケットと「たまには遊んだら
『おちょくられてるじゃないかッ! というか原因からか、一体誰のせいだと思っていやがるッ!』
『それから「最近お子さんが運動不足なのではな
『ぽっちゃり系なだけだ! 健康的で良いじゃないかッ』
日本のとある場所。
衛星通信を介して、総理大臣、鷹之丞である。
後日ホワイトハウスから夢の国のチケットが送付されることが確定して何とも言えない表情になったりもするが、それにも増して懸案事項は多い。
外国との会議が終了したタイミングで一度息を吐き、彼は会議室に集った面々に一言。
「さて……、対策班の顧問はどうしたかね」
「『授業がありますので』とのことです。代理は私が」
「まあ奴らはある意味、最終決戦のための保険のようなものだ。技術だけはフィードバックされて、多少は効果も上げている。
だが、流石にこのままというのもどうかと思うのだが、どうだろうか」
と、そんなことを言っていると情報部の頭が立ち上がる。
「それについては、彼に計画がございます。『決戦』時の成功率上昇という意味でも、悪くはない案かと」
「うん? ……期待していいのかね? 下手すれば責任問題になるが」
各セクションの頭が見守る中、彼はただ無言で手元のタブレット装置をいじる。
そこに映された画像を見て、にやりと笑い不敵に頷いた。
「……待ってろよ、烏間ァ」
小声で呟いたそれは、とても和平的な声音ではなかった。
※
「視線を切らすな! ターゲットの動きを予想して、その先を張れ!
全員で予測すれば、それだけ編みが深くなり相手の逃げ道を塞ぐことになる! チーム系の競技でも充分使える技術だ!」
校庭で訓練する生徒達に、烏間は大声で指示を飛ばす。内容はともかく、あくまで中学の体育をベースに据えながら。
(生徒達の要望に絡めつつ、奴が提示した最低限の訓練をこなすに当り)
(奴に当てられる――最終決戦で奴が求める「第一水準」に達しつつある生徒が増えてきた)
磯貝と前原が訓練ナイフを構え、烏間に突進をかける。
連携する二人は、烏間を一歩一歩交互に後退させ、視線を絡み合わせて動きの先読みを困難にしていた。
(運動神経もよく、指示の飲み込みも早いこの二人。付き合いが長い事もあってコンビネーションもよく、二人がかりでなら俺に当てられるケースも増えてきている……。お陰で一回、全員にカップアイスを奢ることになった)
二人の得点表にチェックを入れてから、人を入れ替える。
今度はカルマ単体。
二本手に持ちゆらゆらヒットアンドアウェイを繰り返しつつ、その視線は常に烏間の重心に注目している。
(一見のらりくらりとしているが、その観察はひたすらに相手の裏をかくことに集中している)
(言い替えるなら悪戯心か。だが――)
「そう簡単に行くかな? 狙うならもっと自然にだ」
「ちぇッ」
足に狙いを定めていたカルマは、軽く舌打ちをしてから笑う。
(女子は、体操部出身で意表を突いた動きをする岡野ひなた)
(加えて、男子並の体格と運動量を持つ片岡メグ。球技大会でも、両者の特性を遺憾なく発揮していた)
メンバーを適宜入れ替えながらも、烏間は女子二人の動きを観察している。
(想像以上のバランスを持っているのは、茅野あかり)
(……彼女については細かくは控えよう。だが事実上、その小さな体に反して予想外の動きを見せる)
「ッ!」
小手先のスナップを利かせてナイフの向きを変え、烏間の胴体に一撃入れようと動いた彼女。
寸でのところでかわして、彼は彼女の手のナイフを軽く叩き落とした。
「あー、プリンがぁ……」
そういえば、彼女は「当てられたら高級プリン!」という約束をしていたか。
何とも頭が痛そうな顔をしながら、他の生徒を呼ぶ。
(その他、寺坂グループを始めとして、各分野目立つ生徒は所々居る。レッドアイが太鼓判を押す千葉、速水のスナイパーコンビや、ここ一番の洞察力に優れる不破など)
(全体を見れば生徒の技能は格段に向上しているが、しかしそれ以上に目立つ生徒は――)
ぞわり、と、烏間は何かを感じ取った。
目を見開き、思考が一瞬真っ白になる。
まるで蛇に首を絡め取られたような、濃厚なそれは、久しく感じていない部隊の任務の空気。
故に思考を介さず、彼は反射的に手が動き、その生徒を回転させ投げ飛ばした。
「あー ……、いった……」
「……!!!」
受身にも慣れたのか、そこまでダメージは入っていない。
しかしその生徒を見て、烏間はどうしても驚愕せざるを得なかった。
「すまない。ちょっと強く防ぎすぎた。立てるか?」
「あー、へーきです、へーき」
「渚、大丈夫?」
軽く手をひらひらさせる潮田渚に、烏間は安堵と共に、違和感を覚える。
ちゃんと見ないからだという杉野のからかいに、何とも言えない顔をする渚。
茅野の手を借りて立ち上がる彼を見つつ、烏間は頭の片隅に先程のそれを入れる。
(潮田渚。……体格的に多少すばしっこいが、それ以外特筆する箇所の少ない温和な生徒)
(強いて言えば、よくメモ帳を手に取る光景を見かけるくらいか)
「……気のせいか? 今のは」
離れていく子供達を見て、烏間は疑問を浮かべる。浮かべるが答えは出ない。
唯一それについて何か知ってる可能性のある担任、吉良八湖録は、離れたところからその光景を伺うばかりだった。
チャイムの音と共に授業が終了。
「いやー、しかし当らん……。焼肉なんて夢のまた夢だ」
「スキなさすぎだよなー、烏間先生。ころせんせーみたいなドジしないし」
生徒間の評価について、背中で聞く烏間は苦笑いを浮かべていたが、そのことに生徒達は気付けない。
「せんせー、放課後みんなでお茶してこうよー!」
「誘いは嬉しいが、まだ仕事が残っているんでな」
ただ、生徒の前では普段の堅物な姿勢を崩すことは滅多に無い。
私生活でもスキがないとは三村の評。
私達との間に距離を保ってるような、とは矢田の評。
「厳しくて優しくて、私達のこと大事にしてくれるけど……。
やっぱりそれって、仕事だからに過ぎないのかな……」
「ある意味ではそうで、ある意味では間違っています」
一歩踏み込ませてくれない彼に少し不安げな倉橋の言葉に、ころせんせーは普段通りの笑いを浮かべて言った。
「君達を我々とを、繋ぐ絆は教室です。そこを起点に考えれば、『いつか終わる』関係であるとも言えますね。また、ある種のボーダーラインは、私達と君達との間に敷かれてます。
そういう意味では彼にとって、優先するべき任務は他にもあります。
しかしそれが決して、彼を否定するものではありません。雪村先生と私が保証しますが――彼もまた、素晴らしい教育者の血が流れる一人ですよ?」
「……ころせんせーも、何かあるの?」
任務、というフレーズに?とメモをしながら、渚はころせんせーに質問。
対する彼は、イトナ君の時に話しましたと言う。
「全ては私を倒せてから――先は長いですねぇ」
ヌルフフフ、とはぐらかす彼に、生徒たちは何とも言えない表情になった。
「――よ! 烏間」
「……? 鷹岡か。いつ以来だ?」
「一昨年、お前の授賞式の時呑んだじゃないか! いやー、別にそれはいいんだ」
両手に大量に荷物を持つ大男。表情は温和に見え、若干シルエットは膨らんでいるように見える。
そんな彼と烏間が、割合親しそうに話し合っているのを、生徒たちは不思議そうに見ていた。
「……誰だあの人」「新しい先生?」「でけぇ~」
生徒達の反応に、計算済みとばかりに荷物を置いて、その場で手を振る彼。
「やっ! 今日から烏間先生を補佐して働くことになった、鷹岡明だ!
よろしくな、E組のみんな」
その言葉を受けながら、ころせんせーは小声で呟く。
「(……さて、雪村先生をどう止めたものでしょうかねぇ。『ある程度』沿わないと、大惨事を引き起こしかねませんし)」
誰が聞いても、おそらく当事者が聞かないと意味のわからないその一言。
階段を下りてくる鷹岡を前に、ころせんせーの電話の着信音が鳴った。
「な、何だ?」「ケーキ!?」「ラ・ヘルメスのエクレアまで! こっちはモンチチのロールケーキ!」「詳しいね、茅野さん……」「台詞とられた……」「何言ってるの!?」
メタメタしく寂しそうな顔をしている不破はともかく、校庭で荷物を広げた鷹岡。中に入っていた、それなりに値の張るお土産のスウィーツの数々に、生徒達は(特に金額的には磯貝が)目を剥いていた。
「いいんですか、こんな高いの……」
「おう! 俺の財布を溶かす勢いで喰え!」
「よくこんな、一杯知ってますね」
「まあ、ぶっちゃけ砂糖ラブなんだよ☆」
「でかい図体して可愛いな……」
勢い良く生徒と打ち解けあっている鷹岡である。
「同僚なのに、烏間先生と随分違うッスねー」
「なんか近所のとーちゃんみたいですよ?」
いいじゃねえかそれで、と笑いながら、生徒達の肩に手を回して笑った。
「同じ教室に居る以上、俺達は家族みたいなもんだろ?
……っと、貴方がころせんせーですか。ご噂はかねがね」
中村の背後からケーキ相手に涎を垂らしかけ、口元を被う担任教師。
その別な側面を、防衛省側から知っている鷹岡は小さく敬礼をした。
「明日からの授業は鷹岡先生が?」
「ええ。烏間の負担も減らすために、とりあえずは事務に徹してもらおうかと。
幸い俺のほうが、この分野では一歩先を行ってるんで」
ヌルフフフ、と言いながら鷹岡の元を離れるころせんせー。
生徒達に、とーちゃんを信じろと言う鷹岡に、烏間はやや微妙な表情を浮かべていた。
「……鷹岡明。空挺部隊に居た頃の、俺の同期だ。
教官としては、俺より優れていると聞く」
「……ヌルフフフ、しかしどうでしょうかねぇ」
「ん?」
「園川さんが資料等をまとめておりましたが、そちらも後で見ると良いかと。
私に言わせれば『優れている』ということが『評判が良い』ことに繋がると言う訳でもありませんがね。逆もまたしかり、ですが」
含み笑いを浮かべるころせんせーに、烏間は、真意を計りかねていた。
※
「鷹岡先生、ですか。……みるきぃすまいる?」
「よく言われます。あ、お近づきの印にこれどうぞ」
「いえいえ、こちらこそ。ではこちらも……」
「……何です? この微妙にムカツクデザインのマスコット」
「今度の夏、お台場で販売するんで是非」
ぐ、と親指を立てるあぐりに、少しだけ調子が崩れる鷹岡。
ヌルフフフという笑みはさほど気にならないらしいが、こうして真正面から変わったセンスを押し付けられるのには、慣れてないのだろう。
鷹岡は烏間に向き、フレンドリーに笑いながら話を続ける。
「みんな楽しそうだったなーアレは。でも俺から言わせれば、まだまだ遅いぞ。三ヶ月であれだが本来なら一ヶ月で到達してないとまずいだろ。わかってんだろ?」
「職業軍人と一緒に考えるな。本業たる中学生としての生活に支障が出ては――」
「かぁ~~~~っ。
地球の命運を左右するバケモノが
なお、話の横で「あいつも防衛省?」とあぐりに確認を取るイリーナ。
「いいか烏間。大事なのは
友人に情熱を伝えるような風に、彼は自信を持って語る。
「俺達自ら体当たりで教え子に接する! 多少過酷であっても、愛と熱意があれば応えてくれるもんさ」
写真を取り出し、烏間たちに見せる鷹岡。写った彼の教え子だろう青年たちは、皆笑顔をカメラ越しに浮かべていた。
「待ってて下さいよ、吉良八
グッドスマイルを浮かべながら職員室を去る鷹岡。
対するころせんせーはと言えば、彼が置いて行った写真二つを見て、表情を変えてない。隣のあぐりが口を押さえて絶句してるのに、肩に手を当て落ち着いてぽんぽんと叩いていた。
「……必要があるんですよね、吉良八先生」
「ええ。下手に色々やると、また二次被害が増えますし……。痛し痒しですねぇ」
烏間に向けて、ころせんせーは言う。
「まあ、我々とは別の指令系統からの話とのことですので、こちらでは対応できかねますね。ですから担当について多くは上告しませんが――、それ以上に、私は烏間先生が適任だと思いますけどね」
「……生徒達からの受けは良さそうだがな」
実際彼が去った後、生徒たちは教室に向かいながら鷹岡の方が楽しい訓練をしてくれるのではないか、と期待している。
だが、それを受けてなお、ころせんせーは真っ直ぐ烏間を見ていた。
「……どうでも良いけど、烏間。アンタたちって、何が目的で中学校で体育なんて教えてるわけ?」
素朴なイリーナの疑問。今更と言えば今更な言葉だが、それを受けてころせんせーは、烏間に視線で確認をとった。目を閉じて鼻を鳴らす彼に、ころせんせーは肩をすくめる。
「まあ、ロヴロさんにも軽くは話したことです。今更ではありますが、口外しなければ構いませんよ? 情報統制は、四年前に制定された第”6”級機密のものですから」
「……あれ、何、私ちょっと危ない橋渡ってる?」
目を点にして一歩後ずさりするイリーナに、「そんなもんですよ」というあぐりの苦笑い。
「生徒達にはまだ秘密ですが、いずれ公開することになる情報です。早いか遅いかの違いですね。
――では簡単に。来年の三月、この場所に『月を破壊した』超生物が現れます」
「……は?」
「厳密には違うのですが、まあ概ね一緒でしょう。去年の夏から秋ごろにかけて、月が物理的に三日月になりましたね? それを引き起こした犯人が、この場所に現れます」
ぽかーん、と開いた口が塞がらないイリーナ。
烏間が、説明を引き継ぐ。
「その超生物を迎え撃つにあたり、様々な危険が予測される。……それに対して、人命は軽視されている部分があので、そのフォローアップだな」
「……ちょっと待って、へ? What the hell are you talking about?」
お前は何を言ってるんだ? とイリーナ。
「月を破壊した生物は、文字通り国家機密です。各国首脳部はこの事実を知っていますね。
そして単純に言うのなら――国や国連は、この場所を『囮』に使うことを前提に行動してる訳です。その日まで、普通に学校をさせるつもりなのです」
ころせんせーの言葉に、イリーナは眉間を摘み話を整理する。
整理しきれなかったらしく、机の上に脱力した。
それに、あぐりが締めくくりに話を引き継いだ。
「まあ、流石にそれは引き受けるのは宜しく無いっていうか……、何より生徒達の安全が、私にとっては第一です。続いて私達の安全もですけど。
なので、皆は『何かあっても』『最低限逃げ切れる』くらいに、能力とか判断力とか……、あるいは友達を助けられるくらいに、能力に余裕を持って欲しいと思って、派遣を依頼しました」
人の選択はこの人やロヴロさん任せなんですが、ところせんせーの方に手を開くあぐり。
「……いまいち理解できないんだけど、何、結局よくわかんないんだけど。
つまり、えっと、バケモノがやって来るから、その時に生き延びられるよう鍛えろってことよね」
三者肯定。
「で、さっき目標水準とか、『最低基準』とか言ってなかった? ってことは、えっと……。
どんだけヤバいの、その生物」
事が事ですしね、ところせんせー。
「後は、私達で色々話し合って計画を立てたりですね。イリーナ先生は、まあ、半分おまけです」
「おまけって何よ!?」
「英語担当はぶっちゃけるなら、私が現地育ちということもあるのですが、教え方は割とスパルタなので、代替が必要だということもありまして。下手に関係者を増やさない程度に依頼した結果がイリーナ先生でした」
「私も、五カ国くらいが限界っていうか……」
「……二人とも、俺より多いのは自覚しろ」
軽く額を抱える烏間。
そして、イリーナはある事実に気付く。
「……っていうかあぐり、アンタさっき『私が』って、主語を自分で進めてなかった?
アンタ前から思ってたけど、何者なのよ」
「んー ……、世界一の名探偵さんとか、助手さんより全然普通ですよ?」
返された返答に、イリーナは頭を傾げる。
懐かしいですねぇ、ところせんせーだけが反応を返した。
※
翌日、校庭にて。
「よし! みんな集ったな。今日からはちょっと厳しくなると思うが、終わったらまた美味いもん食わしてやるからな。まあ初回よりは値段下がるけど」
俺の給料も無限じゃないんだよなぁ、と自虐する彼は生徒達の笑いを誘う。
「そんなこと言って、自分が食べたいだけじゃないの?」
「まあ、な。お陰様でこの横幅だ☆」
生徒達と和気藹々と話す鷹岡。確かに自称通り、その様子は親と子の関係のようにも見える。
職員室から、イリーナはそれを多少面白くなさそうに観察していた。
前の席でパソコンを開き、珍しく机に栄養剤のある烏間に言う。
「何やってんの、アンタ」
「……昨日は『ユームB-55』の設計図と仕様検討をしていたからな。生憎寝不足だ」
「あっそ。それも、例のバケモノ相手の武器とか?
……アンタはいいの? 烏間。なーんか、私達に通じるわざとらしさがあるけど、アイツ。カルマなんて、とっととサボリ決め込んでるわ」
「あれを見てわかるだろ。一応は、軍隊との区別も出来てるだろう。
……部下のまとめた資料を見るのはこれからだが、あれなら訓練も捗るだろう」
俺のやり方が間違っていたのかもしれない、と烏間。
「プロとして一線を引いて接するのではなく、あいつの様に家族のごとく接した方が……」
「なんか調子狂うわねぇ……。でも、アンタのそれって、師匠のにちょっと似てるのよね」
「……ロヴロ氏に?」
「胡散くささがないっていう点では、間違いなくアンタの方が優れてると思うわよ。実際その堅物さそのまんまで来てるっていうことなんだろうし。
……って、この写真の顔も何か、違うのよね」
ファイルの中に入れられた、昨日置いて行かれた写真二つ。
そのうちの笑顔の方を取り出し、イリーナは言う。
「ほら。一番右端、眉毛のあたりが強張ってるじゃない? あと頭に手を置かれてる奴。
左右に均等に頬の筋肉に力がかかっていないのが、ちょっと作り笑いっぽいのよねー」
「作り笑い……。?」
そして、ついぞ昨日あぐりたちが確認したもう一枚を手に取り、目を見開く。
傷だらけで、腕を縛られたその背中。わずかに見える横顔で汗を流す青年。
なにより、ついさっき傷つけられたような赤々とした傷を、武勲でも誇示するように笑顔で写真に示す鷹岡が、あまりに異常だった。
そして同種の動揺は、同時に校庭でも起こっており。
「さて、訓練内容の一新に伴い、新たな時間割を組んだ。回してくれ」
「「「「「ッ!?」」」」」
皆一様に動揺。
提示された時間割は、まさかの九時間目(19:20)まで記述がされているものだった。
「なん……、だと?」「この時間までって……ッ」
「このくらいは当然さぁ。理事長からも、試験的に試す許可はもらった。
聞けばAクラスからDクラスまでと比べて、E組は基礎力が足りないわけだろ?
だったらまずは体力だ! お前等の能力を伸ばす前に、まず何より体力だ。これさえあれば、どんな無茶でも効く様になる」
言ってる事は一見まともそうだが、その言葉と実行しようとしていることが、バランスとして釣り合っていない。普通の中学生に、いきなり成人向けのハードメニューをこなせと言う事自体、そもそもが間違いである。
じゃあさっそく、と言い掛けた彼に、当然生徒側からも反発はあった。
「ちょ、無理だってこんなの! 勉強時間も午前中それぞれ一時間だけだし、これじゃ落ちるだろ成績! 遊ぶ時間だってねーし!
それに、そもそも運動苦手なヤツだって最初の方で落ちるし。こんなに文化系のやつ動かしたらソッコー倒れるって!」
元サッカー部らしく、割とまともなことを言う前原。
それに対して、軽く宥めるように動いた鷹岡の返礼は。
「『できる』『できない』じゃなくて、『やる』んだよ。よくマンガでも言うだろ?」
鳩尾への、容赦の無い膝蹴り。
倒れる前原を、手前の磯貝や岡野が中心に驚きや心配、恐怖の入り交じった目で見る。
「言ったろ? 俺達は家族で、俺は父親」
やや血走った目を向け、生徒たちに鷹岡は笑いかけた。
「――世の中に、とーちゃんの言うことを聞かない家族がいるか?」
母子家庭とか、と内心で突っ込みを入れそうに成る渚は案外冷静だった。
だが、この場の空気がそれを言わせない。威圧、弾圧なんでもござれ。今の一撃と笑顔で、生徒達に言動一致を文字通り見せたこの男。
「……あいつッ」
烏間が窓から身を乗り出して、焦る。
画面に映った文字を目で追いながら、イリーナも流石に汗を書いた。
「典型的なパワー系の軍人じゃない。……独裁体制で短期間で兵士を育て上げるって、根本的な部分が間違ってるんじゃないの? これ」
「……大方、俺達のセクションだけでは不安や不満を持ったいずれかから差し向けられたのだろうが、全く厄介なことをしてくれる――ッ」
以前から自覚はあったが、鷹岡は烏間に対抗心を燃やしていた。嫉妬と言い変えても良い。同期として遥かにワンマンのスペックで劣った彼は、教官職に活路を見出した。
あくまで部隊レベルでの訓練が中心の烏間に対して、鷹岡はより広い隊での活用を中心として動く。全体を家族に例え、暴力的な父親として生徒に当るのがそのスタイルだ。
纏められた資料からして、吉良八が求めた人員でないことは間違い無い。
「じゃ、まず軽くスクワット100回の3セット分だ☆
休みたい奴は休んで良いぞ? その時は、継続的でなくもっと瞬発的な能力向上のプログラムを組むからな」
でも、俺はお前等に無茶はあまりさせたくないんだ。
いきなり矛盾してることを口走りだした鷹岡に、生徒たちは戦々恐々。
生徒たちの後ろに回り、足を進める彼。その一歩一歩に、特に文化系の生徒が震え上がる。
「だからこそ、俺はお前等を鍛える。この先どんな『バケモノ』みたいな相手が出てきても、乗り越えて倒して、『殺して』踏み潰せるように! みんな一人も欠けないよう、家族みんなでこの境遇を乗り越えようぜ!」
な、と言いながら生徒たちの肩を抱く。
その表情が恐怖に震えていようが、
(――教え子を手懐ける簡単な方法は、たった二つ)
(「
ある意味でそれは、椚ヶ丘中学のE組のシステムと反対のもの。一部だけの恐怖ではなく、一部だけの安全を保障するそれ。
条件付の愛情と言い変えても良いが、それはすなわち動物の躾けに通じるものがある。命令を遵守する軍隊ならばいざ知らずといったところではあるが、鷹岡の目的からすれば必要であり、不可避のものでもあった。
「な、お前はとーちゃんに付いて来てくれるよな?」
やや力が弱そうというか、たおやかなことを前提に彼女に語りかける鷹岡。
神崎は表情を曇らせ、そしておずおずと立ち上がる。
この時点で、あることを察した茅野が多少動いた。
神崎は僅かに怯えて――しかし、満面の笑みでこう言った。
「私――私は嫌です。
烏間先生の授業を希望します」
(……神崎さん!!)
渚は知らないが、彼女の家庭環境を考えれば当たり前でもある。見た目に反したこの反骨精神は、現在のゲームスキルがそれを遠まわしに証明していた。
だからこそか。
「あ――ッ!」
「……ッ!」
「神崎さん!!」
舌なめずりをしたかと思えば、その拳が彼女の頬を薙ぎ払う。
倒れる神崎の先には茅野が回り込み、さっとその背に手をやって頭を打たないようにしていた。
「大丈夫、神崎さん?」
「茅野さん……?」
「やっぱそーなるよね……。私も、ちょっと――ああいう父親は、ね?」
「か、茅野……?」
いつか見たことのある睨みを効かして、彼女は鷹岡の方を見る。
対する鷹岡は笑いながら、自分を向く生徒達に言う。
「お前等まーだ分かってないみたいだなー。
『はい』とか、せいぜい『もうちょっと』くらいしかないんだよ」
中腰に構え、拳を振り回す仕草を見せる鷹岡。
その動きは、体格に反し妙に部隊慣れしており――。
(ひょっとしてこの人、烏間先生が前に居たっていう部隊関係の人なのか?)
「文句があるなら、拳と拳で語り合おうか?
そっちの方がとーちゃん、得意だぞー?」
「止めないか、鷹岡! 酔ってるんじゃないんだぞ」
大声を上げながら、神崎に駆け寄る。茅野から受け取り、慣れた手つきで首筋のあたりを押す。痛みや動作不良の確認をする彼に、大丈夫ですと弱くも彼女は言った。
「前原君も大丈夫か?」
「うぃっす。い、一応は……」
磯貝が軽く触診でもしたのか、捲れた腹を隠す前原。
烏間の乱入にも、彼は調子を崩さない。拳を力強く握り、仕方ないなーもう、みたいな表情を浮かべた。
「ちゃんと手加減してるさ、烏間。それこそ酒の席じゃないんだ。
大事な大事な俺の家族なんだし、当然だ――?」
だが、彼の言葉は言い終わらない。
「「いいえ」」
その肩に手が添えられ、二人分の声が重なる。
振り返れば、その先には二人の教師。
「貴方の家族じゃない――」
「――私たちの、生徒です」
獰猛な笑みを浮かべるころせんせーと、表情が完全に死んだあぐり。
前者も後者も滅多に見る事の無い、普通に怒った表情である。
生徒達が彼等の名を呼び、その場の空気はより緊張度合いを高めた。
某探偵「へっくしゅん」
某助手「風邪か? ふむ、ならばヤコ、久々に我が輩が持ってきた、この強化された超・魔界の泥でも――」
某探偵「わー! せっかくの出前したラーメンのスープがなんて色にィ!?」