――Oh... , sexy guy.It's a miracle.
――What's? Really?
教材となる映像を見返しながら、イリーナは黒板に文章を板書する。
短めな文章。単語が続くだけのそれは、生徒たちにも何を言わんとしているか、なんとなく理解できるレベルのものであった。
「いい? このサマンサとキャリーのエロトークに、難しい単語は一つもないでしょ。
日常会話なんてのは、何処の国でもこんな風に単純なものよ。口説き文句だってバリエーションが乏しいくらいなんだから、こんなの日常茶飯事ね」
生徒たちを見回しながら、注意が自分に向いてるか確認するイリーナ。受講者の理解度の確認も兼ねているが、こういった気遣いが出来るようになったのはつい最近である。
「周りに一人はいるでしょ? マジやべぇとか、ガチとか、ウェイだけで会話を成立させる奴。
でこのマジで? にあたるのが、英語ではそのまま Really? というわけね。そのままよ、そのまま。単語とかだけなら、もう覚えてるでしょ。
じゃそうねぇ……、木村、言ってみなさい」
「り、リアリー……?」
「はいダメー。LとRの発音がごちゃごちゃ」
指でバッテンをつくり、ジェスチャーを交えながら解説する教師姿は、段々と最近板についてきていた。
「この二つの発音は、日本人というより日本語とは致命的に相性が悪いの。よくローマ字変換でRをら行、Lを小さい文字の変換に使ったりしてるけど、その辺りに日本人の、Lの使い勝手の悪さが現れてるわね。
言語としてこの二つの使い分けがないから、幼少期から段々と劣化していって、声帯の形が発音の使い分けが難しいものに固定して成長するのよ。
逆に言えば英語圏の人間が日本語を発音しようとすると、この使い分けのない声帯の扱い方で声を出すわけだから、発音の認識、実際の発声にどうしても齟齬が出るわけ。小さい頃から訓練してればともかくね。
似たような例で言えば、韓流スターの『大好き』が『ダイチュキ』に聞こえたりするでしょ? 私なんかからすれば、日本人のRとLに対する感覚はそれに近いわね」
まあそれでも通じはするけれども、違和感あるわ、とイリーナは続ける。
「努力して打ち勝てる相性が悪いものは、逃げずに正面から克服する。
これから先、発音は常にチェックしてるから」
なお、この間に話された内容を、渚は要所要所はしょってメモに記入している。ころせんせーほどではないが、たまに雑学や薀蓄の入るイリーナのそれは、猥談方向に持っていかれない限り渚としてもメモをしていて楽しい部類に入った。
が、まあ相手は通称ビッチ先生である。
「LとRを間違えたら――公開ディープキスの刑よ?」
指を口元に当て、生徒たちの注意を集中させる。
色々な意味で破壊力のあるその言動に、生徒たちは呆れたり、うぇっとなったり、テンション上がったりと自由な反応を返した。
※
「しっかし卑猥だよなぁビッチ先生」
「あれ中学生見るドラマじゃねぇだろ」
「まあまあ。でも分かり易いよね。海外ドラマも良い教材だって聞いたことあるし」
放課後。下校中の生徒達の会話の一つ。
イリーナ・イェラビッチ。本職殺し屋の英語教師の授業についてだ。
もともと潜入暗殺専門につき話術も上等。合間に挟む経験談や薀蓄で、生徒達の興味を自在に操る。
教室の緊張感を緩急付けてコントロールするそれは、本職の面目躍如といったところか。
「……ただ正解してもディープキスされるけどな」「ああ。ほぼ痴女だよなぁあの人」
もっとも、それ以外の面で生徒からのリスペクトを下げてる部分とて否めない。
そんな様子を、一階の職員室の窓から眺める男が一人。黒いアカデミックドレスに身をつつみ、帽子まで丁寧に被った、いっそ過剰なまでの学びの徒スタイル。
やや長めの黒髪が、湿度をおびた風にあおられ、靡く様は黙ってればイケメン。口を開けば三枚目。
「ヌルフフフ。興味を持たせる技術に長け、経験を生かした授業は実にお見事。
『今回も』まさかまた面会するとは思ってませんでしたが、安定してるところですねぇ」
3-E担任、ころせんせーこと吉良八湖録だ。
女子生徒たちに煽られて全力で怒鳴るイリーナの声を聞きつつ、彼はスマホを耳に当てていた。
「ああ、雪村先生。送迎は大丈夫ですか? ……はい。くれぐれも、お体に触らないように……はい? 細君? まだそういう話になれないと言ってはいるんですがねぇ」
と、そんな風にしていると、突如職員室の扉が思い切り開かれた。
イライラした様子のイリーナは、そのまま椅子に背を預けて、思いっきり愚痴を零した。
「あーもう、面倒くさいわ授業なんて!!」
「その割に生徒の受けは良いようだぞ」
向かいの席の、烏間は黙々と作業を続けながら、彼女の叫びに一言。学校の授業データの整理を片手間に、「防衛省」の印字が施されたノートパソコンを開き、なかなかの速度でタイプしている。
何のデータをまとめているのか、イリーナの側からは見えない。
もっともその画面には、タイトスーツを着用した、金髪で目のつりあがったアバターが、忙しそうに動いているわけだが。
烏間の言葉を受けて、イリーナは一瞬まんざらでもなさそうな顔をしたが、気を取り直す。
「何の自慢にもなりゃしない。殺し屋よ、私は……。そこのノッポを殺すために、仕方なくここに居るの。
でその肝心のタコ野郎はといえば、私のおっぱい景色に見立ててお茶飲んでるしッ」
「ヌルフフフ……。あ、お饅頭いりますか?」
何時の間にやったのか湯飲みに茶を煎れ、イリーナの谷間をだらしない顔で見るころせんせー。だらしない。圧倒的にだらしない。
なおころせんせーの手渡した二人分の「いるまんじゅう」。烏間はさり気なくバッグに仕舞い、イリーナはぶん投げてナイフを取り出し、ぶんぶん振り回した。
もっともそのナイフも、彼女が気付かないうちに訓練用ナイフと掏り替えられたりしていたのだが。
「焦っても良い事はないぞ。ターゲットとして見た場合、そいつは色々な意味で『知り尽くした上』で厄介な対象だ」
「うっさい、わかってるわよッ! 大体こういう場合、一番にハリセンを落してくるあぐりはどこなのよ!」
「ヌルフフフ、少々接待中ですね」
「You I'm saying? やってらんないわもう! ……fuckin' jackass」
「Please don't say "the F word" before the children」
「Shut up! I see……」
ころせんせーによる英文注意とて、けんもほろろ。
「気が立ってますねぇ」
「誰のせいだかな」
そんな会話を聞きながらも、彼女は後ろ手で扉を締めた。
(考えがまとまらない……。
こんなところで足止め食ってるわけにはいかない。業界で名を上げて、
廊下でそんなことを考えているイリーナだが、まさか常日頃から自分が相対している三枚目がそれだとは、流石に気付きはしていなかった。
普段の彼の振る舞いを見るに、気付けと言う方が無理ではあるが。
「一体どうしたら、あのモンスターみたいな男を――ッ」
次の瞬間、イリーナの全身が空中にぶら下げられる。
首を起点に、輪を描いてワイヤーが地面のフックに引っ掛けられ伸びていた。
「人力のワイヤートラップ!? なんで、こんな――」
急な一撃に対して、彼女は彼女で脈が絞まらないよう指をかけ、気道を確保している。
「驚かされたイリーナ」
スラヴ系言語でしゃべる男性が、背後で一歩一歩近づく。
イリーナからすれば覚えのある、否、覚えしかないその声。
「子供相手に楽しく授業をするわ、生徒達と親しげに離して別れの挨拶をするわ。
まるで本物の教師のようだったが、殺し屋がやってるという事実を踏まえるとショートコメディだ」
「
歴戦の死を身に纏う、どこか不吉さを連想させる、マフィアじみた容姿の男性。
初老にさし掛かるか、掛からないかというほどだろうか。立ち姿は、文字通り「殺し屋」じみたものだった。
「――何をしている。女に仕掛ける技じゃないだろ」
「これは失礼。だが、ヤワな鍛え方はしていないものでね」
烏間の言葉に、すぐさま日本語で切り返す男性。
同時にワイヤーを切り、イリーナを解放した。
「怪しい者じゃないさ」その風体で何を言う。「ただ、不肖の
「……? ということは――」
「――あ、ロヴロさん、こんなところに居ましたか」
息を切りながら、丁度雪村あぐりがこの場に乱入してくる。
ぎょっとする烏間とイリーナ。それぞれがそれぞれに別な理由からの反応だが、ロヴロは紳士然として振り向き、彼女に笑顔を向ける。
「って、何やってんですかロヴロさん! イリーナ先生、大丈夫ですか――」
「ちょ、あぐり、この状況で――」
平然とその場に平和オーラを撒き散らし、緊張感を破壊し尽くす彼女に、ロヴロも烏間も何とも言えない顔になった。
「(”殺し屋”屋、ロヴロ。かつては腕利きの暗殺者として知られていたが、現在は引退。後進を育てる傍ら斡旋し、財を成していると聞く)」
「ころせんせー」から「色々な意味で人材派遣に適任ですよ、ヌルフフフフ」と、情報だけは紹介されたことのある烏間。
防衛省経由でロヴロから人材を回してもらったのが、現在あぐりに抱き起こされたりしているイリーナであったが、派遣者当人と面会するのは今回が初めてである。
「――ヌルフフ? おや、烏間先生。どうしましたか?」
「ッ!? どっから涌いて来たッ」
ぎょ、とした様子で烏間をはじめとして全員の視線をさらうころせんせー。驚かれるのも無理はなく、何時の間にやら天井に張り付いて、この場の全員を見下ろしている。
何でもありか、と言わんばかりの烏間の反応を尻目に、彼は一回転して着地。
「どうも、お久しぶりですロヴロさん。雪村先生、お迎えありがとうございました」
「こちらこそだ、"Tornado of Destiny"」
「その呼び方をあえて使うのは止めてください……。今の私は、」
「ああ。よろしく、コロセンセー」
すっと手を出しあい、握手をする二人。
元々両者のつながりを知っていた、烏間やあぐりを除き、イリーナは目が飛び出るほどに大きく見開いた。
「へ? いや、何で握手? は、知り合い!?」
「イリーナ。元を正せば、彼は我々と
状況が飲み込めない彼女に、ロヴロは簡単に説明を始めた。
決定的なことを言うつもりは毛頭ないようだが。
「何度か彼と、彼の弟子の下にこちらの弟子たちを斡旋して
「ちょっ、違、ま、
「雪村先生、盛大に自爆してます。とりあえずこちらへ……」
赤くなり目を丸くし、あたふた汗をかく彼女の腕を引っ張り(どこかE組の生徒で似たような顔をする女子生徒がいたような気がするが)、ころせんせーはイリーナとロヴロとの距離をつめさせた。
「答えが出た。――今日限りで撤収しろ、イリーナ」
「!?」
その言葉を受け、彼女は思わず俯く。
「……随分簡単に決めるな。彼女はアンタが推薦したんだろう」
「”レッドアイ”は一日で、こちらの目標を達した。なのにこいつはどうだ?」
烏間の言葉に、ロヴロは冷徹に重ねる。「お前の弱点は判っているな。嗚呼確かに、潜入暗殺にかけてお前の右に出る物は、世界広しといえど片手で数えられるかどうかだろう」
その数えられるかもしれない男が、自分を面白そうに観察していることにイリーナは気付いていない。
「だが、素姓が割れれば一山いくらのレベルの殺し屋だ。
「で、でも――」
「私は、最初からお前が
その一言が持つ破壊力が、彼女にとってどれほどのものだったろうか。
「その敗北から得たものがあるか? 次に生かせる、満足な答えが出たか? 私の意図を把握するほどに、敗北を受け入れられたか?」
「……ッ、でも師匠、必ず、私の力なら――」
それでもなお立ち上がり、イリーナは己の先生に懇願する。それをしなければ、今までの自分の行為が無駄になるような錯覚を覚えて。
だが、それに対する返礼は一瞬のものだった。
背後に回りこみ、喉元に指をつきつける。
抉るように、深く、徐々に深く。
「お前の刃は、
あくまでも、非情に徹して彼女を追い詰めるロヴロ。だがそこに見え隠れする感情を踏まえれば、この行為が、彼なりの「授業」であるということは一目瞭然だ。
「相性の良し悪しは誰にでもある。それこそ、言語の発音のようにな」
皮肉にも、その光景を見られていないはずだというのに、ロヴロの指摘はイリーナの授業のそれをなぞっていた。
だが、こんなシリアスな空気の維持に、堪え性のない男が一人。
「――フィフティフィフティで、正解と不正解ですかねぇ」
頭の上に、小学生でも今時やらない運動帽の紅白ウル○ラマンをして、二人の首根っこを掴みひっぺがすころせんせー。
「……何がだセン○ーマン」
「いい加減、ころせんせーの方で呼んでくれてもいいんですよ?
「誰が惟さんだ、誰が。メガネを装備して言うな、
中途半端に名前とかモトネタと被ったあたりアレである。
二人から手を離すと、あぐりの肩を無意味に引き寄せてから言う。
「ロヴロさん。確かにイリーナ先生は、暗殺者としては恐るるに足りません。
うんこです」
「Who's crap!? Stop bullshitting me!」
あぐりから同情の視線を受けるイリーナ。
「ですが私からすれば、彼女という暗殺者こそ今の状況には適任です。何が言いたいかと言いますと――」
――本当に、彼女が何も学んでいないと思いますか?
「比べてみれば、自ずとはっきりするでしょう。イリーナ先生とロヴロさんとと――どちらが今、優れた暗殺者たりえているか」
「「!」」
彼の意図が察せない程、殺し屋二人は場数を踏んでいない。
要するに――それは「殺し比べろ」ということだ。
ルールは簡単、ところせんせーは左手の指を立てる。
「烏間先生を先に殺した方が勝ち。イリーナ先生が勝てば、彼女がここで学んでいることが証明されます。
今までのように、『自覚』するだけではない何かを示せるわけですね」
「おいちょっと待て。何で俺が犠牲者にされるんだ!」
勝手に巻き込まれた烏間の台詞としてはごもっとも。
しかし、彼はにやけ笑いを崩さない。
「だって、雪村先生は論外ですし、私じゃ誰一人殺せないじゃないですか~」
その笑顔はこの場の全員を舐めている。舐め腐っている。あぐりはたぶん別な意味で舐められている。
「まあ、殺すといっても『今の』暗殺教室と同じです」
懐から模造ナイフを取り出し、ロヴロとイリーナにそれぞれ手渡すころせんせー。
「期間は明日一日。判定は、私か雪村先生が見ている範囲で」
「……なるほど、要するに模擬暗殺か。いいだろう、余興としては楽しめそうだ」
ロヴロはそう言って、イリーナの顔を見る。
「出来ると言うならやってみせろ。私の教育方針は覚えているな」
「……to be a man of your word」
「約束は守る。せいぜい気張れ」
その場から立ち去る彼に続き、烏間もため息をついて職員室へ。
「……全く、勝手にしろ」
少々、毛根や胃袋が気になる苦労っぷりであった。
なお、一方のイリーナはと言えば。
「……最初から踊らされていたってわけね。で、私を庇ったつもり?」
「ニュル?」
「――当然じゃないですか!」
真剣な表情で何やら怒鳴ろうとしていた体勢だったイリーナだったが、しかし突如あぐりが大声で叫び、彼女に抱きついたせいでそれも遮られる。
「ちょ、何よあぐり、アンタ!」
「何を当たり前なことを言ってるんですか。イリーナ先生は、
美女と美女の顔が近い。
目を見据えて真剣に言うあぐりは、心底言葉の通りに思っているらしく、さしものイリーナも困惑させた。
「って、アンタだってそこの男の素姓とか、全部知ってたんでしょ! 騙してたくせに今更どの口で言うのよ!」
「黙ってただけで騙していたわけじゃありません!
それに、言っても言わなくても私の姿勢に変化はありません。何も親の『パトロン』というわけでもないんですから、仲良くできる同年代の
友、人?
抱きしめられた状態で、イリーナの口がその言葉を復唱する。
「雪村先生、そこは親の敵の方が正しく意図が伝わると思いますが……。まあ良いですか」
「はい。これで最低限、筋は通しました」
後ろを僅かに振り返り、くすりと微笑むと、彼女はイリーナから離れる。
そして、落ち着いた微笑を彼女に向けた。
「イリーナ先生? 私、貴女がここから離れるの、結構嫌なんですよ?」
「ッ、だ、だって私、アンタのその――」
続くあぐりの猛攻に、てんやわんやなイリーナだったが。あぐりはあぐりで手を差し伸べ、更に追い討ちをかけた。
「――だって約束、守ってくれてるじゃないですか」
「――Unbelievable……」
屈託なく笑う彼女に、イリーナは今度こそ完全に毒気が抜かれた。
ころせんせーがこの場で何かを言ったところで、それは彼女にとって欺瞞にしか感じられないだろう。
あぐりとて、彼の傍でずっと、イリーナの知り得ない事柄を知っていた関係なのだ。
だが、どうだろう。ほとんど力技と感情のごり押しだったが、あぐりはイリーナの信頼を、再度勝ち取り直すことに成功していた。
今この瞬間ばかりは、イリーナの思考は「殺し屋としての使命感」から解放され、純粋な、イリーナ・イェラビッチという二十歳の女性の感性へと移行していた。
そこに「わざとらしさ」を感じさせないあたりは、彼女の素か、演技ならば才能か。
「このまま離れ離れなんて、嫌ですよ。夏休みだってありますし、夏祭りも、文化祭も、他にもまだまだ色々、イリーナ先生と一緒に、みんなを見て行きたいです。
それは、たぶんE組のみんなだって」
「……し、仕方ないわねぇ」
差し出されたあぐりの手に、イリーナは若干照れながら、おずおずと手を差し伸べ――。
――ぱしゃり。
「ヌルフフフフ。女同士の友情、なんと美しい」
「って、アンタはアンタで良い空気をぶち壊すなッ!」
一気に素に返り、元々持っていたナイフと渡されたナイフとでころせんせーに襲いかかるイリーナ。
そんな彼女を嘲笑いつつ、ころせんせーはあぐりを荷物のごとく肩に担ぎ、廊下を走り回っていた。
なお、普段から廊下を走らないようにと言っているはずのころせんせー。完全にブーメランであった。
※
「……というわけで、今日一日迷惑な話だが、君達の授業に極力、影響は与えないよう配慮する。普段通り過ごしてくれ」
(苦労が絶えないな、烏間先生。ころせんせーの無茶振りをダイレクトに喰らってる……、財布とか)
翌日の体育の授業。
イリーナの先生(詳細は言わない)が、彼女仕事振りを見て試験をする。その合否で3-Eへの残留が決まるか抜けるか、というイベントは、それなりに生徒たちの好奇心を刺激した。
「ビッチ先生の師匠筋ってことは……、やっぱり?」
「さあな」
カルマのかまかけにも、軽く流す烏間。
「簡単に言うと、万事への人材斡旋業のようなことをやっている方だ。例えば、今日の特別講師などもな」
「「「「「特別講師?」」」」」
生徒たちが頭を傾げた瞬間、彼は模造ナイフを取り出し、地面に振る。
面を向けて、まるで何かを弾き落とすようなその動き。足元には、パスっという音を立てて、生徒たちが見なれたBB弾が。
「「「「「!?」」」」」
「さっそくお出ましのようだ」
「(いや、それ以上に烏間先生すげー……)」
「(この人もかなりバケモノだよなぁ)」
どこからかされた狙撃。だがおそらく正面方向だろう。
その向こう側から、ゆったりとした足取りでやってくる男性。半透明のゴーグルで目を隠し、ニット帽を被っている異国人。
「コロセンセーも大概だが、アンタも大分ぶっ飛んでるな、ミスター烏丸」
「ぎりぎりこめかみを掠るくらいの位置に狙撃する君もな」
背負うスナイパーライフルは生徒たちのものと同様のもので、革ジャン姿だというのにその装備に違和感を覚えさせない自然さがあった。
「紹介しよう。本日狙撃の訓練を担当する、狩人のアイザ・レッドマンさんだ」
「レッドと呼んでくれ。みんな良い目の色をしてるな」
(((((狩人!?)))))
突如言われた想定外の職業に、全員が目を見張った。
無論、この場で「偽名を名乗っている」彼こそ、修学旅行中にころせんせーからインストラクションを受けた凄腕スナイパー、レッドアイその人である。
無論生徒たちはそんなことを知らないが、訓練用ライフルで「森の方から」正確に狙いを定めて狙撃したという、その事実こそが彼等への実力の証しである。
「主な担当は狙撃だ。狙撃と一言で言っても、指弾から拳銃、果てはロケットランチャーまで幅が広いんだ。
コロセンセーからの依頼で、とりあえず今日の体育の授業は、君達にそれを教授していきたいと思う。
ヨロシク!」
手を挙げ生徒達に軽く挨拶するレッドに、生徒たちはまばらに挨拶を返す。
おずおずといった彼等に気分を悪くする事もなく、軽快に笑う彼はまさに気の良い
「では、早速各自銃器を持つように。装備の種類によって狙撃するグループと、見学するグループ。グラウンドを走るグループとに分け――」
「烏丸先生ぇ~」
と、そんな風に烏間が授業を進めようとした時。
聞き覚えのある猫なで声を上げつつ、イリーナがぴょんぴょんと駆けて来た。
「お疲れ様ですぅ♪ ノド渇いたでしょ? はい、冷たい飲み物!!」
((((( )))))
全員、正しく絶句である。
「ほらグッとグッと。美味しいわよ?」
「(何か入ってる)」
「(絶対何か入ってる)」
「(俺貧乏でも、あれを飲もうとは思わない)」
最後の磯貝のひそひそ声も含めて、明らかに全員が内心で、ビッチ先生の不審な挙動に突っ込みを入れている。
事前に面識があるレッドアイでさえ「おいおい……」みたいな顔で冷や汗をかいてるあたり、相当だった。
「……大方、筋弛緩剤か麻痺系の毒物か。動けなくなったタイミングでナイフを当てる」
ぎく、と白目を向くイリーナ。
「いくら何でも方法が適切じゃなさすぎる」とため息をつきながら、烏間は半眼でイリーナを見た。
「言っておくが、そもそも受け取る間合いまで近寄らせもしないぞ」
その一言に微苦笑のような顔をするイリーナ。
彼女はまだ気付いていない。目の前の男が、その気になれば簡単に有限実行できることに。
じゃあ置くから飲んで、と言って、イリーナは紅茶の入った水筒の蓋を置き、一歩離れる。
そのタイミングで、ヒールの足が見事に「ぐき」っという具合になり、頭から背後にすってんころりん。
一瞬生徒たちの空気が微妙なものになる。
「……いったーい! ちょっと、演技じゃなくて足本当に挫いたじゃないッ!
おぶって烏間おんぶ~~~~~~~!!」
(((((素だったんだ……)))))
泣き喚く彼女にため息を一つ漏らし、「今日はしないぞ」と言って生徒たちのグループ分けに戻る烏間。
離れたところでロヴロが「……演技か素かわからない部分は相変わらず見事だが、相手と状況を見て使わんか馬鹿弟子が」と、評価しつつも駄目出しをしていたのは余談である。
共にマシンガンタイプの磯貝と三村が両脇から抱えて、イリーナを立ち上がらせた。
「ビッチ先生、流石にさっきのじゃ騙せないでしょ」
「今更どころか、あそこまで露骨にやったらころせんせーくらいしか通じないんじゃない?」
「し、仕方ないでしょッ! 顔見知りに色仕掛けとか、どう考えても不自然になるわ!
キャバ嬢だって接待客が父親だったら、妙な空気になるじゃない!」
「「知らねぇよ!」」
大変ごもっともだが、実際彼女の切れる手札は現状、それ以外にないのも事実。
「……まずいわ、これ。本当まずい」
イリーナは知っている。殺し屋にとっての勝負とは、ただ一回だけなのだということを。
勝敗で何度も決着を着けるのではなく、1万回に1回でも「殺して」しまえば、それで終了だと言うことを。
(師匠は引退してるとはいえ、凄腕に違いはない。「死神」に及ばずとも、その気になれば決着は一瞬のはず)
彼女の経験則は大概の相手にとっては正しい推察であり、ロヴロもいつもの感覚で動いていた。
だが、彼等の認識は未だ甘かったと言わざるをえない。
例え訓練弾であっても、感知できない距離から撃たれた一撃を、単なる経験からくる第六感だけで叩き落す人間が、並の人間であるはずはないのだ。
「……これだけ面倒をやらせているのだから、何か俺にもメリットがあっても良いと思うがな」
「ヌルフフフ。そうですねぇ」
ランニングする生徒たち(ロングレンジ組)を監督しつつも、烏間は近づいてきたころせんせーを半眼で睨む。
対するころせんせーは普段通りのアカデミックドレス姿(そろそろ暑くなってはこないのだろうか)。表情も変わらず不気味な微笑を浮かべて、何か思案した。
「では、今日一日二人を完封できたなら、烏間先生の『訓練』に付き合ってあげましょう」
「訓練?」
「(……ユームB-54のですよ)」
「(!?)」
顔を合わせず、声だけで会話する二人。発声を抑制しながら会話しているが、僅かにころせんせーの一言に、烏間は目を見開いた。
「(前にも言いましたが、私のような『人体改造』『プロト律さんのサポート』なく、力技だけでアレを扱えるのは貴方くらいなものでしょう)」
「(……本気か?)」
「(あまり使うと反動が大きいのですが……、マッハ20ですし。
ですが背に腹は変えられません。今日のルールが『ゼロ距離射撃』ですから、来週はナイフ系を中心のルールとしましょう)」
「……二言はないなら良いだろう」
密かに烏間ところせんせーとの間でも、契約が交わされ、着々と準備が整う。
そんな状況で、レッドアイの狙撃講習を見守るイリーナを、更に職員室から見守るあぐり。
「……イリーナ先生、ファイトです」
今日のブラウスには、ぐーちょきぱーそれぞれの右手が辺となった三角が描かれており、中央にポップな字体で「一番勝負!」という文字が躍っていた。
今コミックスの4を見返してたら、さり気に竹林があのシーンで、みんなに混じってさらっと拍手していたことに気付いて草不可避(たぶん真顔のままだろう的な意味合いで)w
※ロヴロ先生の言った呼び名を変更しました