「どうでしょう、浩一先輩」
「うーん………」
神田明神で穂乃果たち三人と合流した俺は、海未に頼まれてこれからの練習メニューの確認をしていた――――のだが。
「…………」
視線を感じる。
その出所なんて言うまでもない。じーーーーっという擬音が空中に浮かんでいるのではないかと思うほど熱心にこちらを見てくるのは、先ほどまで一緒に居た赤毛の少女。
「? どうかしましたか?」
「………いや、何でもない。それよりここのメニューだけど」
海未は真姫が隠れている方角に背中を向けているし、階段をダッシュで往復している穂乃果とことりは、まだその視線に気づいていない。だがおそらく第三者から見れば怪しさ満点、通報されないことを祈るばかりである。
俺としては折角だからと三人に真姫のことを紹介しようと思ったのだが、恥ずかしがり屋の幼馴染は絶対に嫌だとそれを拒否。代替案としてこっそり見学することになったのだが、頼むからもう少しうまくやってくれと声を大にして言いたい。
「階段ダッシュはあまりしない方がいい。足腰も鍛えられるし持久力も付くだろうが、若い内は膝を壊しかねない」
「なるほど、分かりました。では階段を使ったメニューは減らして、その分を筋力トレーニングに回します」
「そうだな、回数は――――まあ最初だしこんなところか。慣れてきたら徐々に増やしていこう」
「はい」
本で得た知識を並べてるだけだが、海未からは感心したように頷かれてしまう。実家が道場の彼女を納得させられるのなら、そう外れたものでもないのだろう。
さて、とりあえず当面はこれでいいが、頃合を見計らってダンスの練習も始めていかないと間に合わない。そのためには当然ながら振付が必要であり、振付は歌が無いと考えることすら叶わない。
作曲というものにどれくらいの日数を要するものなのか。それは人によって異なると思うが、ライブの日までを逆算した場合、出来る限り早く欲しいのが本音だ。
だからといって、真姫の答えを急かすような真似は絶対にしたくない。彼女には、自分の意思で決めて貰わないと意味がないからだ。
「ぜはーーーっ、ぜはーーーーっ」
「はぁっ、はぁっ、はぁっ」
「ほい、お疲れお二人さん」
言われた回数の階段ダッシュをようやく終えた穂乃果とことりが、息を切らしてそのまま石畳にへたり込む。つーか穂乃果、年頃の乙女なんだから大の字になっておっさんみたいな荒い息をつくのはやめなさい。
そんな二人に用意していたスポーツドリンクを渡すと、まるで救いの神を見るような視線でお礼を言われた。これは相当キテるな。
「もうこんな時間か。それじゃあ今日はそろそろ上がろう。海未、明日は――――」
腕時計に目を落とすと、既に6時前。今日は比較的授業が早く終わったことを考えると、練習量としては充分だろう。
明日の予定を海未と確認しようと思った、その矢先のことだった。
「きゃあああああああああああああっ!!!」
夕暮れの境内に響く悲鳴。
その主に思い至った俺は、考えるより先に走り出していた。
「――――真姫っ!!!」
足がもつれそうになるのを必死に堪えながら、渾身の力で地面を蹴る。
運動不足の体が軋んだが、そんなものは瑣末事だ。今はただ一歩でも前に、一秒でも早く!
「だいじょうっ…………ぶ、か?」
永遠にも感じた数秒を経て、ようやく真姫が隠れていた建屋の向こう側に滑り込む。
何が起きたかを把握するために見開いた双眸は、予想していたものとは別の意味で最悪な光景を俺に届けていた。
「あっ、浩一君やん。こんばんは~」
「ちょっ、のんきに挨拶してないでっ、いい加減っ、離しなさいよっ………!」
――――同じクラスの友人が幼馴染の胸を鷲掴みにしている様子を見て、俺はどんなリアクションを返せば良かったのだろうか。
「酷いなぁ、ちょっとしたジョークやんかぁ」
「笑えないんだよ。ったく、マジで焦ったじゃねーか」
とりあえず真姫が助けを求めるように見つめてきたので、事の元凶である東条希の頭頂部にチョップをくれてやった。
涙目で抗議してくる希を軽く流し、解放された真姫の方に向き直る。そこには妙にもじもじした様子で、赤くなった顔をこちらに向けようとしない幼馴染の姿があった。
「その………焦った、の?」
「………当たり前だろ」
何だこれ、めっちゃ恥ずかしい。でもさっきの俺は自覚できるくらいには焦っていたので、下手に否定もできない。
場に何とも言えない空気が流れかけたその時、場を仕切り直すようにゴホンという咳払いが聞こえた。
「それで……その人と浩一先輩はどういう関係なのですか?」
「はいはーい! 私も気になるっ!」
「あんな顔をした浩一さんは、初めて見たよね」
――――練習中に悲鳴が聞こえて、しかもマネージャーである俺がダッシュで向かったのだから、三人娘が様子を見に来るのは当たり前のことで。
三人の興味津々な表情に抵抗を諦めた俺は、どうせだからと真姫の紹介も含めて俺たちの関係を説明した。
「それで、どうだった?」
あの後、お互いの自己紹介もそこそこにして皆に帰宅を促した。もうだいぶ暗くなりつつあったし、俺たちの関係に対する追及の手から逃げたかったというのもある。
そして今は帰り道。家が隣の真姫とは当然同じルートなので、二人で並んで歩きながら今日の感想を聞いてみた。
「…………別に。一日だけ見ても分からないわ」
「それもそっか。こういうのは継続してこそ、だもんな」
「そういうことよ。…………でも」
「ん?」
「――――やっぱり何でもない」
何かを言いあぐねて、途端に早足になる。本当に分かりやすい幼馴染だこと。
――――でも、本気なのは確かみたいね。
何となく彼女の言いたかったことを察した俺は、にやけた顔を隠しきれず、照れた真姫のスクールバッグによる一撃を頂戴する羽目になるのであった。
翌日の始業前。穂乃果たちに俺を含めた4人は、生徒会室の前に立っていた。
現状、校内に練習場所は無い。いつまでも神田明神で練習していては、移動時間を考えると流石に非効率だ。出来ることなら校内でも、簡単な振付の確認くらいは出来るスペースが欲しい。
そんなわけで、とりあえずは「アイドル部」として部活動設立の申請書を出しに来た。部の設立には最低でも5人以上の部員が必要とあるが、校内でも5人以下の部活は珍しくないので駄目元で頼むことにした。
「失礼しますっ」
暫定的に部長になる予定の穂乃果が、ノックの後にハキハキした声で入室する。部屋の中では絵里と希が仕事をしており、他の生徒会役員は見当たらなかった。
「……何かしら?」
「部活設立の申請書を出しに来ました!」
最近の絵里はどこか機嫌が悪そうで、応対した声にもはっきりとした硬さが窺えたが、穂乃果は気にせず申請書を渡す。そういった物怖じしないところは彼女の長所だろう。
「……これは受け取れないわね」
「何でですか?」
「部の設立は、最低でも部員が5人必要なの」
「ですが、校内には部員が5名以下の部活がたくさんあるって聞いてます」
「設立した時は、どの部活も5人以上居たはずよ」
「――――あと一人、やね」
海未が言い募るも、正論でさらりと流された。まあ規則で決まっている以上は仕方がない。逆に考えれば希の言ったように、あと一人部員が居れば設立できるという言質を取った形になる。
「あと一人……分かりました。行こう。海未ちゃん、ことりちゃん、こう君」
そして当然、それで諦める穂乃果でもない。絵里から戻された申請書を片手に、俺たちを促して退室しようとする。
「待ちなさい」
だがそんな背中に掛かったのは、冷たくそして鋭い声。椅子から立ち上がった絵里が、厳しい表情で穂乃果を見つめていた。
「貴女たち、二年生でしょう? どうしてこの中途半端な時期に、アイドル部を始めるの?」
「スクールアイドルになって、人気を集めて………廃校を阻止したいからです」
振り返り、毅然とした表情で言い切る穂乃果。その様子から真剣な思いが伝わったのか、絵里の表情が微かに変化したのを俺は見逃さなかった。
「――――だったら、例え部員が揃ったとしても認めるわけにはいかないわね」
「何でですか!?」
「部活は生徒を集めるためにやるものじゃない。思いつきで行動したところで、状況は変えられないわ」
「そんなの、やってみないと分かりません!」
「分かるわよ。スクールアイドルなんて――――」
「ストップ」
「そこまでや」
熱くなり始めていた二人を止めるため、体を割り込ませる。俺は穂乃果に、同時に動いた希は絵里にそれぞれ目を合わせた。
「こう君……」
「希……」
「とりあえず二人とも、今日はこの辺りにしておこう」
「もう始業までほとんど時間も無いしね」
希の言うとおり、始業までは残り5分といったところか。教室までの移動も考えるとのんびりしている余裕はないだろう。
二年生組は、三年生より教室の場所が若干遠い。俺は彼女たちの背中を押して退出を促し――――自身の体が廊下に出る前に、室内を振り返った。
「絵里。後でいいから、ちょっと時間をくれないか?」
「………わかったわ」
少し頭が冷えたのか、先ほどとは打って変わって沈鬱な表情で頷く絵里。
とりあえずは場を収めたが、ここ最近の彼女は明らかに
ライブまでにやらなければならないことはまだまだ山積み。一筋縄ではいかない問題も多いが――――今は焦らずに一歩ずつ進んでいくしかない。
俺は誰も居ない廊下を早歩きで移動しつつ、マネージャーとして改めて決意を固めるのであった。
MUSIC-09へ続く
そろそろ残りの三人も出さないとなー。