章分けするなら、第一章の山場ってところでしょうか。
<other side>
――――指が動く。心が弾む。
それは西木野真姫にとって、とても幸せな時間だった。
ピアノを弾くことは好きだ。歌うことも同じくらいに。しかし、これほどまでに幸福を感じることが出来たのは、どれくらい振りだろうか。
そう自問したところで、答えは分かりきっていた。その昔、今と同じように彼の隣で演奏したときまで遡るだろう。
先ほどは少々強引なお願いになってしまった。自分があんな態度を取れば、余程の事じゃない限り彼が断らないであろう事実に甘えて。
けれど、どうしても必要なことだったのだ。――――自分の気持ちを、確かめるためには。
「(こんなのもう、認めるしかないじゃない………)」
鍵盤の上で指を滑らかに踊らせながら、真姫は思う。今この瞬間がずっと続けばいいなんて、まるで少女漫画の主人公のような感想が何よりの証拠だ。
「(私は、浩兄のことが――――――)」
その先は、例え心の中だとしても形にしない。自分だけが、心の奥底で分かっていればそれでいい。
――――今はただ、この幸福を心のまま感じていたい。
<other side end>
「「…………」」
最後の一音を俺が奏で、短くとも濃厚な時間が終わりを告げる。
この無言の時間は、お互いに余韻に浸っているからだろう。今更そこに疑う余地などない。
「……ありがとう」
「こっちこそ、ありがとな」
静寂を破って笑顔を見せた彼女に、俺も自然とお礼の言葉が零れた。
「やっぱりだいぶ鈍ってたわね。全然弾いてなかったの?」
「ああ。もうかれこれ五年は弾いてなかった。でも………やっぱり、楽しいな」
「でしょ? これからも弾いた方がいいわ。折角の腕を鈍らせちゃ勿体ないし。その………場所なら提供してあげるから」
「相変わらず素直じゃないなぁ。まあそこが可愛いんだけど」
「う、うるさいわねぇっ」
俺の軽口に顔を真っ赤にして叩いてくる。全然痛くはないけど、余計に可愛いだけだからやめなさい。
ニヤニヤしている俺に気付いたのか、叩くのをやめてそっぽを向きながら別の楽譜を取り出す。もう連弾は終わりだろうと席を立とうとすると、腰を浮かせたところで呼び止められた。
「待って。連弾じゃないけど、もう一曲そこで聞いてて」
「そこって……ここで?」
俺の確認に、真姫がコクリと頷く。先ほどと遜色ない真剣な表情に、俺もふざけたりはせずに座り直した。
「浩一。曲を弾く前に、一つ聞いていい?」
「ん?」
「浩一は何で、スクールアイドルのマネージャーになったの?」
「前に話したこと無かったっけ? 学院を廃校から守るため――――」
「本当に、それだけ?」
真姫の視線が真っ直ぐに俺を射抜く。――――流石は幼馴染。多分適当に誤魔化してもすぐにバレるだろうし、恥ずかしいけど言うしかないか。
「まああの三人の………特に穂乃果の熱意に当てられたというのもある。でも、一番の理由は真姫のためだよ」
「………私の?」
「ああ。来年から新入生が入ってこないってことは、真姫たちはずっと後輩が出来ないってことだろ? 大切な幼馴染に、そんな寂しい思いはして欲しくないからな」
なるべく隠し事はしたくないから正直に話したけど、これは恥ずかしい。何の羞恥プレイだ。
それに言葉にしてから気づいたけど、これ言っちゃったら恩着せがましく聞こえないか? いや、元々自己満足だし、お節介だとも思うけど。
自分の顔の熱さを自覚しつつ改めて真姫を見てみると、彼女は顔を俯けて何も言わないまま鍵盤に指を乗せた。
「真姫?」
「…………やられっぱなしは、性に合わないわ」
そう一言だけ残して、彼女はゆっくりと再びピアノを弾き始める。その瞬間、俺の意識は完全にその音色に持って行かれた。
――――それは、始まりの物語。『これから』に期待を持たざるを得ない、希望の歌。
単音ながら軽やかな前奏。
明るく弾むような調子で、滑らかに物語を紡ぎ始めるAメロ。
転調し、緩急を付けて深みをもたらすBメロ。
そして、ポップな曲調の中にも確かな熱さがあり、それでいてアイドルらしい魅力を感じさせるサビ。
それは海未が考えて、俺から真姫に渡した歌詞。彼女は自らが弾く素晴らしい曲に合わせて、綺麗な歌声でその歌詞を紡いでいた。
つまり、この曲は――――。
「…………ふう」
最後の一音を弾き終わり、真姫が微かに掻いた汗を拭いながらこちらに向き直る。
俺は情けないことに、咄嗟に反応出来なかった。真姫がいつの間にかそれを作曲してくれていたという事実と、曲自体の凄さ。二重の衝撃で、頭が上手く回らない。
そんな俺の様子を見て、真姫はしてやったりといったような悪戯っぽい表情を浮かべた。
「貴方が私のためにマネージャーをやるというのなら、私は貴方のために曲を作る。…………もう昔みたいに、一方的に世話を焼かれるのはごめんよ」
真っ白な頭にもすっと染み込んできたその言葉は、聞く人によれば突き放されたと感じるかもしれない。
けれど、俺には分かる。それはそんな意味ではなく、最上級の親愛の言葉なのだと。
俺が真姫のために何かしてやりたいと思うことと同じように、真姫も俺のために何かをしたい。返したい。そういう想いが詰まった科白なのだと。
俺たちは、それこそ生まれた頃からの付き合いといっても過言ではない。
ハッキリとは覚えてはいないが、物心がついた頃にはまだよちよち歩きで動き回る真姫の面倒を見ていたし、それからは兄のような立場でずっと接してきた。
それを煩わしく思ったことなど一度もない。俺の方が年上なのだからそれが自分の役割のように自然と受け入れていた。
だが、真姫はそうではなかった。いつまでも俺に甘えっぱなしで居たくないと思ってくれた。それは少し寂しいが、それ以上に嬉しいことだ。
「真姫………。ありがとう。これからも色々、宜しく頼むな」
「………そうやってすぐに何でも理解しちゃうんだから。ホント、敵わないわ」
「真姫のことだからな。当たり前だろ?」
「そういうところがずるいって言ってるのよ」
そう言って彼女は拗ねるように唇を尖らす。いつものように顔を赤らめて、肩口の自身の髪を弄りながら。
特等席で聞かせてくれた歌は、何よりの贈り物だった。でもそれも、彼女が渋々だったり嫌々作曲したものだったら、ここまで心に響かなかっただろう。
その曲を聴いて、俺は確かな『始まり』を感じた。それはスクールアイドルμ'sの始まりでもあるし、俺たち二人にとっても新しい始まりになるはずだ。
――――真姫も、昔のままじゃない。こんな当たり前のことを、今さらながら実感するなんてな。
「………どうしたの? ボンヤリとして」
「いや………俺ももっと頑張らなきゃと思ってな」
「何よそれ」
「はっはっは。まあ気にするな」
「って、何勝手に人の頭を撫でてるのよっ」
――――ずっと妹のように思ってきた彼女は、いつの間にか一人の女の子に成長していた。
MUSIC-13へ続く
こんな感じになりました。
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