ギルドを後にした私はダンジョンの浅い階層を軽く回ってギルドで魔石の換金を済ませ、最近の行きつけになりつつある酒場『豊饒の女主人』亭で少し早めの夕食を摂っていた。
この店は、冒険者として活動する前から目をつけていた店であり、ミアハの眷属になり冒険者として稼げるようになってすぐに通うようになった店だ。
ドワーフの女店主であるミア・グランドが経営するこの酒場は、すべての従業員が美女・美少女という楽園であり、私が通い詰めるのも当然だった。
しかし、私の『強欲の代償』により接客業にあるまじき言動を繰り返してしまうウェイトレスが続出し、しまいには出禁を言い渡される一歩手前までいった。
それでも私がここに通えているのは、ひとえに『ヴァリス』のお蔭である。
「今日もたんまり貢ぎに来てくれたようだね、ゼノン」
あまりに失礼な言葉と共に店主ミア・グランドが私の前に並々と安酒が注がれたジョッキを叩きつける。
「貴女に貢ぎに来ているわけじゃない。私は、リューちゃんたちに接客してほしい」
「貢ぎに来てるのは否定せんかい!」
私とミアのやり取りに隣の席でこの店では上等な酒を飲んでいたロキ無乳がツッコミを入れてくる。
「はい、本日のオススメ十品コースの一品目だよ!」
「早いよ、店主」
まだ口もつけていないジョッキの横にどうみても野菜を千切っただけの前菜が置かれた。
もはや注文前にお任せメニューが出てくるのはいつものことなので気にしないが、せめてお通しがほしいと思うのは過去の残滓なのだろうな。
目の前に出された味のない萎びた野菜をつまみに安酒を口にする。
個人的にアルコールなんて臭い、不味い、身体に悪いのスリーアウトだったが、こちらの世界に来てからはそれなりに美味いと感じるようになった。
味よりも場が味覚に採用しているのだろうな。
安酒を他の客の倍近い額で出されても文句なく飲み食いを始める私の横顔をまじまじと見ていたロキ無乳がわざとらしいため息を吐いた。
「はぁ~……おのれは、そんなんでええんか?」
「私は可愛い女の子と触れあいたいんだ。例え、何ヴァリス支払おうともな……おかわり!」
言葉にして少し苛立ったので安酒を一気に飲み干して店主に空ジョッキを渡す。
「こんのハゲはぁ~。プライドっちゅうもんがないんか?」
ロキ無乳の胸だけでなく、心も無い言葉を掛けてくる
今も店内の客は私と無乳を除けば疎らなもので、ウェイトレスたちもこれからの客入りに備えてゆっくりしている。
何故、私のところに接客に来ないのだろう。
再び注がれた安酒をあおってから無乳に言ってやる。
「私はハゲじゃない! そして、プライドなんてものは要らない。そんなものより私は可愛い彼女が欲しい」
「なっはっはっ! 相変わらず、潔いやっちゃな!」
私の言葉に派手なリアクションを示して下品な笑い声をあげながらジョッキの酒を飲み干す無乳。
「そういえば……なんや、えらい稼いどるようやな? しかも、うちのアイズたんの記録を抜いた『リトル・ルーキー』より早くランクアップまでしよったちゅうんはホンマなんか?」
無乳も少し酔いが回ってきているのか、広目のカウンター席に座っていながら私の方へ椅子を寄せて絡んでくる。
「私の稼ぎなどロキ・ファミリアの方々に比べればたいしたことない。というか、リトル・ルーキーとはクラネル君についた二つ名か?」
「そうやそうや、あんのドチビんとこの兎君のことや。そういや、お前もランクアップしたんやから二つ名付けなあかんな~」
冒険者の二つ名は、神々の定期会のようなものである神会というところで決められる。
先日、うちのミアハも出かけていたのでそこで決まったのだろう。
私の場合は、次の神会で決まることになる。
「そんなん待たんでもうちが立派な二つ名付けたるわ! 世界最速のランクアップ……『速漏(ファスト・マン)』とかどぉや~?」
相変わらず下ネタが完全におっさんだ。
この無乳、胸板の癖に乳を語るだけに飽き足らず、性別も偽っているんじゃないだろうか?
無乳の酒精に染まったドヤ顔にイラッとする。
「……いい加減、本題に入ってくれないかな」
「ふふん、さすがにわざとらしかったか?」
酔いに緩んだ表情はそのままに声音だけは低く、低く、冷たくなる。
ロキの表情は、私が初めてロキ・ファミリアの門を叩いた時のモノになっていた。
「……オマエが『この世界』に来て、もう2、3年か?」
「2年半くらいです。どっかの神様に追い出されたのもその時期ですね」
「かかっ! ホンマ、よう生き延びたもんやで」
どこか探るような視線を私に向けながら笑う無乳。
この女神との付き合いは、『ゼノン・ダイシン』の歴史と言っても過言ではない。
私がこの世界に来て初めて出逢った神であり、私にこの世界の在り様を示した存在。
「それで、私に何の用が?」
「何、一つだけ確認しとこうと思うてな」
そこで言葉を区切ったロキは、再び酒を煽ってグラスを空にする。
「お前の魔法は、人にも効くようになったんか思うてな」
その問いに私は盛大なため息を吐いて否定する。
「私の魔法は、モンスター限定です。経験値を稼いでもランクアップしてもそれは変わりません」
私が保有する魔法『グレータースティール』は、接触した対象が保有する物質の所有権を自分のものにする特殊魔法だ。
この魔法を使用することで上位のモンスターも瞬殺できる私は、ドロップ成金となれた。
ミアハ・ファミリアに所属した次の日にロキが直々に確認しに来たため、私は隠すことなく彼女に魅せていた。
最初に私を振った女神に自分がどれほど優秀な冒険者になれるかを見せつけたくてのことだったが、この女神は吐き捨てるようにいった。
「このド阿保ぅ。他所のファミリアの主神にほいほい答えんなや」
自身の能力を他所のファミリアに公開することの意味を知らないほど私も無知ではない。
それでも私は、この神の前で口を閉ざすことはしない。
「貴女は口外しないだろ? それに私は自分を過小評価するつもりはない」
この世界に来たこと、ミアハに拾われたことで私は生まれ変わった。
もう自分自身を計り間違えることはない。
「よく言うわ、このハゲデブは親父は」
「私は、ハゲじゃない! それともうデブでもないよ! このシックスパックを見てみぶふぉ!?」
「はい、二品目の焼け過ぎた串肉だよ!」
無乳の暴言を訂正させるために上着を捲ろうとしたところで女店主の配膳アタックで阻止された。
大皿に詰め込まれた串肉は、それなりに美味しそうだが名前の通り焦げているものが多い気がする。
「さすがミア母ちゃん! こないなオッサンのギャランドゥなんて見たらさすがのうちでも酒が飲めんくなったところや!」
店主の一撃から回復できない私を笑いながら無乳が串肉を頬張りる。
「そ、それは私の分なんだが……」
「そんなケチんぼなこと言いっこなしやで、おっさん。うちみたいな美人さんに酒付きおうてもろとる対価としては安いもんやろ?」
このロキ無乳、シバキ倒したい。
私の苦悶と串肉を肴に酒をあおるロキに恨みの眼差しを向けながら私も酒と串肉を口に運ぶ。
「……やっぱ人に好かれんのは、しんどいか?」
しばし、互いの食を進めるための沈黙を挟み、再び静かな口調でロキが語り掛けてきた。
「別に……元の世界に比べれば、この世界での挫折や孤独なんて幸福の部類だ」
私は一度人生に挫折し、この世界でも一時は冒険者になれず挫折しかけた。
それでも私は冒険者となり、チート能力も発現した。
他者との関係性こそ絶望的だが、一度目の挫折に比べれば苦に感じるわけもない。
そんなことなど私が言葉にするまでもなく、この女神は感じているはずだ。
この女神ほど他者の機微に敏い者はいないだろう。
私が知る『悪神ロキ』のイメージとは大分違っているが、神話の中でも子供たちが怪物として生まれさえしなければこのような神になっていたのかもしれない。
「ん~なんや? 神(ひと)を値踏みするように見よって……シバキ倒されたいんか?」
「貴女でも影響がでるんだな、『トリックスター』」
「はッ! ウチは本心から思っとるだけや」
言葉尻を捉えて皮肉を込めて言ってやるが、ロキは軽い調子で自分のグラスで私を突いてくる。
神でさえ影響を受けるはずの『強欲の代償』による忌避感は、ロキからは感じられない。
三週間ぶりにまともな会話が続けられている時点で、ロキが私のスキルに対して特別な何かがあることくらいは察している。
そうでもなければロキのような大規模ファミリアの主神が私のような者に声をかけるわけがない。
ロキ自神も最初の忠告めいた叩き出しから冒険者になった時、今日のこの時も何かを伝えようとする意図が見える。
しかし、その神意を私から問おうとは思わない。
私は今現在満たされており、ロキから口にしないというのであれば余計な負担は背負いたくない。
今の私に足りないものは、異性との出会いであり、魅力的な女性との親密な関係なのだ。
さしあたって私が今現在この瞬間にとるべき行動は決まっている。
『パーティのことでお困りですかあっ、【リトル・ルーキー】!?』
この酒場で大声を上げて他の客に絡もうとする奴は、相当な実力者か相当な馬鹿だ。
そして、大声の主に絡まれている客は見知った者たち。
それならば私が取るべき行動は、決まっている。
「ハーレム野郎に正義の鉄槌を! 死に晒せ【リトル・ルーキー】!!」
「ちょ、ゼノン何さらす気や!?」
相当な馬鹿の大声野郎の後頭部を経由して見目麗しい女子に囲まれた白兎に必殺の魔法をぶちかます!
無乳の制止を置き去りにして私は『豊穣の女主人』亭の店内を飛んだ。