厄災の魔法師   作:無為の極

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第52話

 

「達也。このまま行くつもりなんだよね?」

 

「そのつもりだが、どうかしたのか?」

 

 先ほどの女性の声を振り切るかの様に達也達は現地へと走り出していた。距離が縮む度に空気が濃縮された様に感じている。そんな空気にい気が付いたのか、幹比古は無意識の内に足を止めそうになっていた。

 

 

「この先には進んじゃダメみたいな気がするんだ。ここに来るまでに大気の質が変わっただけじゃない。精霊達がかなり怯えている」

 

 幹比古にしか知覚出来ない精霊の気配を察知したのか、先ほどは違い顔色も僅かに青くなっていた。現時点でその事実を探知できるのは幹比古と美月だけ。未だ完全に視力が戻っていないのか、美月は幹比古のサポートを受けながらここまで来ていたが、やはり何かを探知したのか幹比古以上に怯えている様にも見えていた。

 

 

「なによミキ。臆病風にでも吹かれたって訳?」

 

「そんなんじゃない。これは単に勘でしかないけど、あの先に行っては行けないって本能が告げているんだ」

 

 既に幹比古の足が完全に止まっているのか、そこから先には進みたくないとばかりに足が自分の意志とは無関係に動こうとはしない。その状況を見たからなのか、全員が一旦その場に留まっていた。

 見えない物を探知する能力に長けた人間の警告を無視する程エリカは愚かでは無い。これが幹比古だけならば強引に向かうが美月までもとなれば話は変わる。先ほどの女性の警告が脳裏を過る。

 改めてここからどうするのかが判断される事になっていた。

 

 

「そうか。2人の様子を見ればそれは間違いないだろう。それならここでどうするのかを全員が判断してくれ。さっきの言葉では無いが自己責任だ。気が付いていると思うが、既に周囲の状況は穏やかでは無い。被弾も辞さないのであればと言われたなら後は各自の判断に委ねよう」

 

 達也の言葉に誰もが何も言えなくなっていた。気が付けばここに来るまでに本当に2月の気温なのかと疑いたくなるほどの熱源が雑木林の向こう側から感じている。周囲の状況を確認出来ていないが、仮に魔法が放たれた際に被弾覚悟となれば魔法の内容によっては命に影響を与えるのもまた事実だった。

 達也の視覚情報からかろうじて分かっているのは、あの場にはリーナと蒼らしき人物が居るはず。何をやっているのかまでは探知できないが、周囲にまき散らされた気配からは尋常では無い気配だけが立ち込めているだけでなく、魔法の特性によっては死の臭いすら立ち込めている可能性が高かった。

 

 

「それと、これはあくまでも俺の勘だが、ここから先で魔法を使う様な事があれば確実に命の保証は出来ないとだけ伝えておく。俺も確認した訳じゃないが、この感覚は以前に感じた事がある」

 

 達也の衝撃的な言葉に誰もが固唾を飲んでいた。魔法を行使すれば命の保証が出来ないとなれば、魔法師と言えど一般人と何ら変わらない事を意味する。物理的な物であれば回避出来る可能性はあるが、万が一視認出来ない場合は回避のしようが無い。先ほど何気なく言い放ったエリカの自己責任の言葉が重くのしかかる。

 僅かな時間にもかかわらず沈黙を要求した内容は重すぎる物だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「このままだとジリ貧か……しかたない」

 

 蒼は目の前の天使の魔法を防ぎつつ攻撃をしていたが、やはり自力が物を言うのか、徐々に押され始めていた。このままでは時間の問題だけでなく自身の問題も浮上してくるのは間違い無かった。

 これ以上は最悪の展開しかないと判断したのか、蒼は一つの賭けに出ていた。これまで放出したはずの魔法を自身の体内に止めると同時に一切の防御を捨て、攻撃だけに特化する。事実上の特攻をする事によって自身が消滅する前に勝負を付ける思惑があった。

 目の前に居る天使はまだ笑みをうかべたままなのか、その場から動こうとはしない。それが躊躇する考えを捨て去る原因となっていた。

 

 

「ほう。覚悟を決めたのか?ならばこのまま塵となれ!」

 

 白い翼から放たれた刃が蒼に向かって降り注ぐ。これまでの様な動きをけん制するかの様な素振りは一切見えず、周囲の事など無関係だとばかりに周囲一帯に硬質化した刃が襲い掛かっていた。

 既に広範囲にばら撒かれたのか、この場からの離脱は許されない。目の前にいた矮小な存在は一気に消し飛ぶだけしかなかった。

 

 

「やっぱり最後はそう来たか」

 

 劣勢なはずの蒼の目に諦観は無かった。止めとなる一撃は予定通りだと言わんばかりに口元が歪む。放たれた魔法が全ての合図となったのか、蒼に向けられた羽は突如として黒い炎に包まれていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「そろそろね……えっ!」

 

 雑木林を右へ左へと素早く駆け抜けエリカは現地へと到着する寸前だった。突如として雑木林の向こう側からの熱風がエリカを襲っていた。

 既に一部の樹木は熱にやられたのか先ほどまではまだ若木だったものが、みるみる老木へと変貌していく。時間の概念が無くなったとしか形容出来ない現象に目を奪われたのか、そこから先に進む事は出来なかった。

 

 

「エリカどうしたん……だ」

 

 普段であれば戦場で鍛えられた精神を持つ達也も目の前に起こった現象に目を奪われていた。エリカは一気に変貌する樹木を見ていたが、達也はその先を見ていた。

 まともに見えるはずの無いそれが達也の常識を覆す。羽が生えた様な物が2本の剣閃で4分割にされた姿が見えたような気がしていた。事象改変による幻覚ではなく、それが事実である事が裏付けされるかの様にその周囲は抉れた様に草木すら残されていない。

 その近くには膝から崩れ落ちたかの様に跪く人物が一人居るだけだった。

 

 

「ねえ、あれって何なの?私は夢でも見てるの?」

 

 4分割された物体は瞬く間に黒い炎の中へと消え去ったからなのか、その光景を目にエリカの思考が停止していた。その後を走って来た深雪やレオも僅かに見えたその存在に呆然としている。

 余りにも非現実的な光景に全員が夢を見ているのかと錯覚しそうな状況だけが残されていた。

 

 

「いや。紛れも無く現実だ……」

 

 達也の声だけがやけにハッキリと聞こえる。既に自分を取り戻したのか、いち早くエリカは周囲を見ると、そこには呆然としているリーナを発見していた。

 

 

「蒼。お疲れ様でした」

 

 血塗れで倒れた蒼の身体はアヤが触る事で修復し始めていた。血塗れの服の下に怪我らしい物は既に何も残されていない。この場に達也やエリカが来ているのは知っていたが、認識阻害の魔法の効果なのか、今の2人を確認する事は出来なかった。

 気が付けば周囲の状況は戦場の跡地の様に雑草一つ生えていない。時間的にはそろそろ深夜から夜明けへと差し変わろうとしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「私に何か用かしら?」

 

 昨晩の出来事がまるで夢だと思った方がまだマシだと言いたくなる程リーナの記憶は曖昧なまま自宅へと戻っていた。その間の行程は生憎と記憶からスッポリと抜けている。

 爽やかな朝を迎えた際に行ったのは、届いたメッセージの確認。やはり昨晩の印象を強く残した矢先の連絡だった。端末に届いたメッセージの差出人は赤城蒼。昨晩の事が現実であれば、今のリーナにとっても無視できる内容ではなかった。

 

 

「要件は二つ。昨晩の事は忘れろ。それとお前が軍属なら調べて欲しい物がある」

 

 昼の休憩の合間に屋上に行くと、そこには蒼とアヤが待っていた。校内でのCADの所持が生徒会役員と風紀委員のみが許可されている為に、今のリーナはそれを所持している。突然襲い掛かってくる事は無いにしても用心に越した事は無かった。

 

 

「私が嫌だと言ったら?」

 

「それはそれで仕方ない。だが、お仲間の様にはなりたくは無いだろ?」

 

 CADを所持している立場からすれば、所持していない蒼の行動を制限する術がある為に物理的な立場はリーナの方が確実に優位に立っている。しかし、目の前の蒼はリーナの記憶が間違っていなければCADなど使用しなくても魔法を軽々と行使できるはずだった。

 仮にムスペルヘイムを行使した所で、本当にそれが効果を発揮するのかすら怪しいとさえ思える程に、あの時の光景は常軌を逸していた。迫り来る羽の刃が一瞬にして黒い炎に包まれた瞬間、見た事も無い炎に包まれた馬にまたがる巨大な騎士が現れた際にリーナの思考は事実上の停止をしていた。

 それと同時に、騎士が所有する自身の大剣を持ち、事実上の一刀両断の如き剣閃で天使を4分割した光景はさながら映画を見ている様にも思えていた。

 これは夢なのか現実なのか、非現実的な光景がこれまでのリーナの常識を変えようとしている。しかし、頬に当たる熱量と大気の衝撃が現実である事を嫌が応にも理解させていた。

 

 もし、あの光景を見た上でそう言われるのであれば、一体どちらが優位に立っているのかは考えるまでもなかった。当初の任務の一つとして命令されたグレート・ ボムの術者以上に衝撃的な魔法は恐らく本国に報告した所で信じて貰える可能性すら無い。一見何でも無い様に思えるが、あの戦いを見てそう考える事は出来ない。そんな人間に対し、今出来る事はただ話を聞く事だけだった。

 既に軍属である事がバレている以上、今のリーナは色んな意味での選択を余儀なくされていた。傍からみれば何気ない会話でしかない。しかし、リーナからすれば蛇に睨まれた蛙の様な心情だった。

 表情にこそ出さないが嫌な汗が背筋に流れる。お仲間の言葉は恐らくはあの時の話をしているのは間違い無い。それがどんな結果を及ぼすのかすら考えるまでも無かった。

 

 

「で、調べるって何を?USNAの国家機密なんて私には無理よ」

 

 本来であれば関わるなと警鐘を鳴らす感情を無理矢理押し込め内容を確認する。幾らスターズの総長とは言え、それはあくまでも実行部隊内部での話。

 文官ではなく、武官に出来る事は限られている。だからこそ、その確認をしない事には安易に返事をする事が出来ないと判断していた。

 

 

「そんな難しい物じゃない。ボストン美術館に展示されてるはずのスタールビー『クリムゾン』の納入記録を確認してほしいだけだ。ただし、民間ルートではなく軍属のルートでだ」

 

「その程度なら問題無いわ」

 

 美術館の展示品の納入記録の時点で尋常では無いが、内容そのものは無理では無かった。実際に何を意味するのかは分からないが、少し詳しい人物に聞けば全て事が足りる程度の内容にリーナは少しだけ安堵していた。

 軍属のルートの意味は不明だが、任務で確認する為だと言えば情報官に聞くだけの内容。それならば容易いとばかりに返事をしていた。しかし、あまりに安易に返事をした事はこの後すぐに悔やまれていた。

 

 

「期限は1週間。それと、その内容に虚偽があった場合、お前の命を代償として貰う事になる」

 

 その瞬間だった。蒼の背後に女性の騎士が大きな鎌を持って立っていた。既に命令されたからなのか、何事も無かったかの様に横薙ぎに鎌を振るう。その行動の意味が改めて伝えられていた。

 

 

「期限以内に情報が来ず、また虚偽だと判断した瞬間に、お仲間と同じ運命をたどる事になる。精々張り切ってやってくれ」

 

 お仲間の言葉にリーナは当時の事を思い出していた。何も無かったはずの場面で突如として赤い線が走ると同時に首が切断され、その後は焼却されたかの様に消失した事実は今でも記憶に残っていた。

 本当にあれは人が行使する魔法なのか?未だ原理が分からないだけでなく、それが既にリーナ自身にも行使されている。あまりに安易に返事をした代償は大きすぎる物だった。

 

 

「ちょっと!それって……まさか……」

 

「安心しろ。痛みは感じる暇は無いし、後片付けの必要も無い。因みに契約が完了すればそれは自動的に解除される事になるだろう。もちろん今回の内容を他言すれば即時発動する事も忘れるな」

 

 既に要件は言い終えたからなのか、蒼とアヤは屋上から去っている。あまりにも唐突な事実はリーナの思考を停止させるには十分だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「リーナにあんな事しても良かったんですか?」

 

「どのみち留学で来てるだけだ。それにUSNAに着けば解除される。あれだけ言っておけば他言はしないだろう。それに情報そのものは既に確認している。確実な裏付けが欲しいだけだ」

 

 屋上で呆然としたリーナを尻目にアヤは先ほどの話の真意を蒼に確認していた。クリムゾンの確認であれば多少の時間を使っても問題ないはず。本来であれば、ああまで急ぐ必要性はどこにも無かった。

 今の蒼を見ればこれまでの様に時間にゆとりがある様には見えない。先日の状況が今回の原因の一翼を担っているのは何かしらの問題があると考えていた。

 

 

「昨晩のあれは完全に想定外だ。思ったよりも時間は残されていない。折角使える駒があるなら使った方が合理的なだけだ」

 

 そう言い放つ蒼の言葉にアヤは少しだけ思い出していた。顕現した物体は悪魔ではなく天使。それが何を意味するのかは完全に聞いた訳では無いが何となくそうだろう事はアヤも理解出来ている。蒼がそう言う以上は当初は予定していない事実に何とか凌ぐことが出来た程度の結果だと理解する事にしていた。

 

 そう言いながら蒼はアヤの前を歩いていた。本人は気が付いていないのかもしれないが、時折腕を押さえている様にも見える。無意識の行動なのかは分からないが、このまま進めばどんな結果が待ち受けているのか、今のアヤに判断する材料は無かった。

 

 

 

 

 

 


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