厄災の魔法師   作:無為の極

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第41話

 迫りくる蛇を躱す事無く真由美は摩利の身体を護るかの様に身を挺にして目を瞑っていた。呂剛虎と真由美の距離はそれほど開いている訳では無い。

 大きく弧を描いた1対の蛇は1匹は腕に、もう1匹は首筋へと牙を突き立てる。柔らかい肉にゆっくりと突き刺さる感触は既に痛みを感じる暇すら与えない。真由美の脳裏にはこれまでに起こった出来事が走馬灯の様に思い出されていた。

 このまま命は散っていくだけだと蛇の牙が頸動脈へと到達するかと思われた瞬間、1対の蛇はそれ以上の牙を立てる事が出来なかった。

 

 

「なんだ。まだ生きてたのか」

 

 この場に居ないはずの蒼の言葉が聞こえた瞬間、蛇はまるで最初から無かったかの様に霧散していた。既に噛まれた傷口からは血が流れている。夢ではなく現実である事が嫌が応にも理解させられていた。

 

 

「来るならもっと早く来なさいよ!」

 

 助かった事を理解したのか真由美は何時もと変わらない口調で蒼を責める。本当の事を言えばあの呂剛虎に適うのかすら怪しいものの、他の手だてが無いのであれば、今はそれに期待するしか無かった。

 空中からゆっくりと降り立った蒼は周囲の状況を見極める。既に遠くで倒れたエリカとレオを見た蒼はその現状を理解していた。

 

 

「アヤ、エリカがやばい」

 

 真由美の言葉に一切返事をする事無く、蒼はその場に居るはずの無いアヤへと指示を出す。蒼の言葉に突如として現れたかの様にアヤが周囲から湧き出たかの様に姿を現していた。既にエリカの容体が最悪だった事からアヤは応急処置を施していた。

 

 

「蒼。エリカなら一命はとりとめると思いますが、このままだと時間の問題です。一旦はこの場から引き揚げます」

 

「そうしてくれ。仮にも死なれたら目覚めが悪いからな」

 

「そうですね」

 

 アヤはエリカを担ぐと同時に再び周囲に溶け込むかの様に姿をくらます。隠形とも言える高度な認識阻害は何が起こったのかを理解出来る程ではなかった。

 

 

「どうせ、くだらん使命感で力量も分からずに出たんだろ?命があるだけ有難いと思え」

 

「なっ……」

 

 真由美の事などお構いなしに蒼は呂剛虎の目の前にゆっくりと躍り出る。どれ程の力量があるのかは蒼も把握していないが、目の前に居る人間の禍々しい雰囲気はこれまでに感じたそれそのものだった。

 

 

「お前の事など俺は関心すら持たないが、その気配には覚えがある。どうやってそれを入手した?」

 

「……貴様に答える義理は無い」

 

 呂剛虎は警戒しながらも蒼の様子を伺っていた。先ほどの蛇をかき消したそれには想子が働いた気配は微塵も感じなかった。

 先ほどの戦闘とは打って変わったかの様に慎重な行動を起こす。

 先ほどの原因が分からない以上、今はお互いの状況を探りながらやるしか無かった。

 

 膠着状態に痺れを切らしたかの様に動いたのは蒼だった。素早く札を出すと同時に炎の虎が襲い掛かる。化成体に近いそれをそのまま防ぐつもりが無かったのか、呂剛虎は同じく札を取り出していた。

 1対の蛇と2体の虎が激突する。お互いの先方が分かっていたかの様な反応は当然とばかりの表情だった。

 

 お互いのそれがぶつかり合う形で蒸発しながら消え去ったのが戦いの幕開けとなった。呂剛虎が出した結論は先ほどの摩利とは違い、体術の心得が何も無いと判断したのか、先ほど同様に一気に距離を詰める。自己加速をせずにそれと同等の早さを誇るそれは先ほどの様に一撃必殺の拳そのものだった。

 震脚からもたらされる一撃は巨大な岩すらをも砕く。周囲に湧いた水蒸気で視界は乏しくても、気配でどこにいるのかは察知していた。見えない箇所へと呂剛虎は拳を付きだす。確実に何かに触れた一撃には手ごたえがまるで感じられなかった。

 

 

「お前は馬鹿か?こんな程度でよくもやってこれたな」

 

 水蒸気が周囲から消え去ると呂剛虎は先ほどとは打って変わって驚愕の表情を浮かべていた。

 懇親の一撃をだした右の拳は蒼の右手の中に納まっている。事前に見た感覚が間違ってなければ、この一撃で命を消し飛ばしたはずだった。

 

 

「貴様こそ。これまでの連中はこの一撃で沈んできた。多少は楽しませてもらえそうだな」

 

「楽しむ……そんな余裕があるなら良いがな」

 

 呂剛虎が驚愕の表情を浮かべたのはほんの僅かな時間でしかなかった。既に意識は戦場へと向いているのか、今のその表情からは何も読み取れない。お互いが再び交錯するかの様に同時に攻撃が繰り出されていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「摩利、しっかりして!」

 

 蒼と呂剛虎が戦っている事を確認した真由美は摩利の意識を取り戻す事に専念していた。自分の首筋と腕には未だ止まる事無く血がダラダラと流れているが、今はそれどころでは無い。

 先ほどの一撃が防げたのは偶然位にしか思っていない事から、今は一刻も早く摩利を覚醒させる事でこちら側が有利になる事だけを考えていた。

 

 

「ちょっといつまで寝てるのよ!」

 

 非常事態だからと真由美は摩利の頬をバシバシと叩く。既に何度打ちのめしたのか分からなくなる頃、漸く摩利の意識が戻って来ていた。

 

 

「何でもかんでもそんなに叩くな!」

 

「そんな事よりも今は赤城君の助太刀をしないと」

 

 摩利の意識を回復させる事に集中した事もあってか、未だどんな状況なのか真由美が気が付いていない。もし先ほどのやりとりを見ていたならばそんな考えは無かったのかもしれないが、目の前にやるべき事に集中しすぎた事によって事実確認は何もしていなかった。

 

 

「助太刀も何も互角にやっているぞ」

 

「えっ?」

 

 摩利の言葉に真由美は改めて先ほどの場所に視線を向かわせていた。現時点ではどうなっているのか分からないが、お互いの距離が開いている事しか分からない。

 それが何を意味するのかを理解するには、少しだけ時間が必要となっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「残念ながらお前の体術は俺には届かんぞ。そのままだと何も出来ないままだがどうするつもりだ?」

 

 蒼の言葉がこの刹那の戦いの全容を現していた。これまでに一撃で沈めたはずの呂剛虎の拳は悉く受け止められている。

 武術の素人が目に見えないと思われる程の速度を捉える事が出来ないと思いはしたが、現実を見ればそれは紛れも無い事実。

 この状況で果たして攻撃が届くのかすら疑わしいとまで思い出してた。しかし、これまでの攻撃の中で僅かに感じた違和感がそれを拒否する。

 理屈は分からないが、それが事実であれば、次の攻撃をする以外に無かった。

 

 

「なるほどな……まさかそんなに小さな範囲で多重障壁を展開しているとは思ってもなかったぞ。となれば拳での攻撃は諦めた方が良いな」

 

 呂剛虎の言葉は事実を表していた。蒼は既に戦闘時に多重障壁を展開していた。自慢の体術に気功や魔法を幾ら乗せた所で直前に展開された多重障壁がそれを全て阻む。最後には自身の速度まで落とされる為に蒼は呂剛虎の攻撃を掴む事が可能となっていた。

 

 

「冷静な判断は良いが、お前のその力は既に限界値を超えてるんじゃないのか?鏡でも見たらどうなんだ?」

 

 蒼が指摘した様に呂剛虎はこれまで着用していた頭部のプロテクターは邪魔だと言わんばかりに外していた。僅かにぶれる視線はプロテクターの影響で視線が定まらない。

 既に攻撃の能力を知った今では不要だとばかりに脱ぎ捨てていた。だからこそ蒼が指摘する様に今の呂剛虎の顔にはクッキリと浮かび出た筋が顔面を覆っている。

 内包した力の制御が出来ていないのか、その筋はまるで破裂寸前の様にも見えていた。

 

 

「ぬかせ。それ位で動きは止めん」

 

 体術での攻撃を諦めたのか呂剛虎は再び札を取り出していた。古式魔法の中でも札を使った術は現代魔法とは違い、術者自身の精神をそのまま映す事が度々あった。現代魔法とは違い、札を使った古式魔法は細やかな制御が可能となる。

 それが最大の利点でもあり弱点でもあった。もちろん蒼も札を使う際にはそんな事は自覚している。しかし、意識を切りはして行使している為に大亜連合が使うそれとはまた性質が異なっていた。

 

 

「これ位は貴様には必要だろう」

 

 呂剛虎は3枚の札を投げつける。それと同時に素早く印を結び、再び真言を告げる。

 実体化しないそれは何も変化する事無く蒼に向かって飛んでいた。

 

 

「死ね」

 

 呂剛虎の一言により只の札だった物が3羽の炎の鳥へと変化する。それぞれの鳥は迦楼羅天となって蒼に襲い掛かっていた。業火の炎は蒼を一気に焼き尽くす。

 既に皮膚が融けるかの様に焼けただれ、一高の制服でさえも燃やし尽くす。確実な死を確認したのか、呂剛虎の口許には僅かな笑みが浮かんでいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「赤城君!」

 

 真由美と摩利の目の前には先ほどまで戦っていたはずの蒼が業火に巻かれ焼けただれているのがハッキリと見えていた。既に皮膚がただれ落ち、肉が焼ける臭いが周囲に充満する。ただでさえ体術だけでも防ぎようがなかった呂剛虎の攻撃だけでなく、先ほどの炎を鳥を防ぐ手段は何処にも無い。

 2人の脳裏にはハッキリと死のイメージだけが叩きつけられたと同時に、真由美はあまりにもショッキングな出来事に腰が抜けたのか、立つ事すらままならなかった。

 

 

「真由美。この場は危険だ。一度撤退する!」

 

「ごめん、腰が抜けたかも……」

 

 真由美の状況に摩利はある意味仕方ないとまで思ってた。以前に修次と対峙した際にはここまで体術や魔法の力が格段に上がっていなかった。摩利とて慢心した訳では無い。単純な早さに目が追い付かないだけでなく、受けた衝撃も桁違いだった。

 事実、エリカはボディーアーマー無しだった事から直撃した一撃がかなり拙いとは直ぐに分かっていた。そして大亜連合が得意とした札による化成体の攻撃も摩利が知ってる物とは段違いの威力に衝撃を受けていた。

 

 

「私が時間を稼ぐ。その間にシャキッとしろ!」

 

 口では鼓舞する為に言ったものの、摩利の手に武器は何も無い。無手での戦いがどれほど絶望的なのかはこの時点で考える事を放棄していた。

 弱った獲物を追い詰める様にジリジリと呂剛虎は摩利に向かって距離を詰める。

 絶望的な戦いがここに始まろうとしていた矢先だった。

 

 

「おいおい。勝手に終わった事にするなよ。俺に背中を見せたままで良いのか?」

 

 あり得ない声に驚いたのは摩利や真由美だけでない。術を放った呂剛虎でさえもその事実に驚愕したのか動きを止めると同時に、未だ焼かれたままのその場所を見ていた。

 幻か現なのか判断出来ない。先ほどまで業火に包まれ皮膚が焼けただれたはずのそれがまるで無かったかの様に逆回転していく。その先には先ほど見せた蒼の姿がそこにあった。

 

 

「貴様!」

 

 再び目の前まで迫っていた摩利と真由美の前から踵を返すと同時に蒼へと襲い掛かる。既に冷静さを欠いたのか呂剛虎の一撃はそのままカウンターとなって蒼の拳を受け取っていた。

 単なる素人の一撃は本来であれば大したダメージが当たる事は無い。それはある意味では不文律の様にも見えていた。しかし、目の前の現実はそれを否定する。

 蒼の一撃を受けた呂剛虎の身体は衝撃を受け止める事が出来なかったのか、四肢が飛び散り、胴も内臓をぶちまけるかの様に飛散していた。

 

 

「あ、赤城。今……何やったんだ?」

 

 目の前で起きた現実に理解が追い付かない。先ほどまで業火に包まれたと思いきや、まるで何も無かったかの様に元に戻ってからの驚愕の一撃。武術の世界ではありえない程の衝撃は摩利が知っている常識とは大きくかけ離れていた。

 

 

「そんな事はどうでも良い。……いい加減本体を現したらどうなんだ?茶番はもう終わりだ」

 

 摩利の言葉をに答えるつもりはなかったのか、蒼は飛散したはずの呂剛虎の身体をジッと見ている。この時点で何か起きる可能性は無いにも関わらず、一向に殺気を引く気配はどこにも無い。

 まるで蒼の言葉に呼応するかの様に呂剛虎だった身体の破片は突如として炎に包まれていた。

 

 

『どうやら…我の力を知ってるな小童』

 

 これまでに聞いた事が無い声が鳴り響く。先ほどの炎はやがて型作ると同時に青白い馬に乗った女性の様な物が大きな鎌を携えて姿を現していた。

 

 

 


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