月に吼える   作:maisen

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いやステルヴィアが面白くてついつい。
( ´・ω・`)ゴメンネ


第伍拾参話。

 

 ふむん、と鼻息を突くと心を落ち着けるようにゆっくり胡座を掻きながら地面に座り込む。

 

 膝の上に立てた腕の掌を顎の下に当てて、天狗の居る方をじっと見つめる忠夫に、おずおずと少女が話し掛けた。

 

 その瞳は半分以上驚きで占められているものの、残り半分以下には確かに好奇心と小さな信頼の色が見て取れる。

 

「兄上・・・」

 

「何だ?」

 

「天狗殿に、どうやって勝つつもりでござるか?」

 

 これ以上ないシンプルな問い。

 

 だが、それを聞いたシロでさえ、それが可能だとは思っていないだろう。

 

 天狗は、強い。

 

「・・・拙者、正直勝てるとは思えんでござる。それこそ、長老か父上達二人掛り・・・それでも五分五分ではござらんか?」

 

「へぇ。それだけ分かりゃ、十分だな。相手の強さも分からんようじゃ、無駄死にするっつーからなぁ」

 

 とは言うものの、忠夫の知る天狗の強さは、フェンリル狼を相手取った時の修行の際に見た腕前と、親父達からの伝聞のみ。

 

 手加減していたとは言え修行時の剣の冴えは、確かに長老並みの腕前であったし、親父達が天狗と初めて会った時の話を思い出せば、あの二人が一緒に掛かって漸く相打ちと言った所らしいという。

 

 あの二人を相手取る事に慣れた長老ならばともかく、連携を組んで攻め立てる人狼の侍、しかも里でもトップレベルが二人ともなれば、その腕前は推して知るべしであろう。

 

「・・・ま、普通に考えりゃ絶対勝てないわな」

 

「駄目ではござらんかー!」

 

 涙目で吼えるシロを「どうどう」と両手を下に向けて落ち着け、と動作で示しながら、忠夫は一度だけ頷いた。

 

「当たり前じゃん。あんな化け物と正面からかち合っても駄目に決まってるじゃねーかあっはっはー」

 

「だ・か・ら! それではどーしようも無いでござろうに!」

 

 両手を上げ、乾いた笑い声を出しながら降参と言った感じの忠夫に、シロはとうとう腰から抜いた真剣の先端を向けつつ牙を剥く。

 

 だが、向けられた忠夫は冷や汗交じりで腰を引き、何時でも逃げ出せる体勢を取りながらも笑顔を見せた。

 

 その、刃物の光で耳を伏せて尻尾を丸めた格好で、しかも引き攣りまくりながら浮かべたそれを笑顔と言うのならば、だが。

 

「待て待て待て! 落ち着けって!」

 

「うー!」

 

 他に誰も居ない森の中で、刃物を向け唸る少女と向けられたまま必死に落ち着かせようとする少年。

 

 何処の人情沙汰か、といった感じではあるが、やってる本人達が子供なである事と涙目のままのシロが何とも幼げである事も相俟って、演劇の一シーンのようで微笑ましい。

 

 まぁ、シロが持っているそれが本物である事と、実際に切羽詰った状況である事を加味すれば、そんな言葉も吹っ飛ぶのだが。

 

「俺に考えがある!」

 

「・・・ほんとーでござるかぁ?」

 

 さっきまであった僅かな信頼の色も消し、ただ不審そうに半眼で睨む妹分に刀を引けと動作で示しながら、忠夫は精一杯重々しく頷いた。

 

 そうでもしないと本当に刺されそうだったし。

 

「ああ。その為にちょっとおっさんとこ行ってくるから、お前、何があっても動くんじゃねーぞ」

 

「それは無謀でござろう! 拙者も――!」

 

「絶対に駄目。お前が来ると、多分そのまま戦闘開始、だ。ボッこボコにされて、最悪、死ぬぞ?」

 

 それまでの軽薄な態度を一先ず置いて、真剣な表情でシロを諭す。

 

 少女は大変不満そうであるが、何せ、彼女が第二次接触の切り札、命綱だ。

 

 彼女が一緒に来てしまえば、忠夫が考えている離脱方法が不可能になってしまう。

 

 それどころか、本当にそのまま天狗との戦いになり、そして勝てる筈の無い忠夫達ではおそらく手加減せずに襲い掛かってくる天狗相手では命を守る事さえ難しいだろう。

 

 だから、忠夫は何度も何度も言い含めつつ、シロが絶対に来ないと誓うまで説得を続ける。

 

「・・・分かったな。お前に、俺の命を預けてるようなもんだ。俺だけじゃなくて、母上の命もな」

 

「・・・そう言われては、拙者も我慢するしか無いではござらんか・・・」

 

 渋々と座り込んだシロを安堵の溜め息を漏らしながら宥めつつ、忠夫はゆっくりと天狗の居る方へと向けて歩き出す。

 

 作戦会議のため一応かなりの距離を取っていたとは言え、今までの会話が聞かれていたらアウトである。

 

 祈るような気持ちで、それでも心配そうにこちらの背を見つめるシロの視線を感じながら、忠夫は振り向きもせずに駆け出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 先程、天狗を待たせた場所からの距離は400M程。

 

 天狗の聴覚がどれほどの物かは知らないが、彼が接近してこない限り会話は聞こえていない筈。

 

 だが、忠夫は残り100M程の距離まで一気に駆け戻ると、天狗の姿が見えない事に心底の安堵を感じながら、そこで一息ついて待ちの体勢に入った。

 

 走る途中で思いついた、一寸した罠。

 

 無論、物理的な物ではない。

 

 こんな所に仕掛けても引っかかってくれる相手とは思えないし、そんな有効かどうかも分からないような罠を仕掛けておくほど余裕も無い。

 

 それに、万が一仕掛けている所を見られて警戒されては不利になる。

 

 チャンスは一度。

 

 しかも、相手が此処まで来てくれるという大前提付きの「言葉の罠」。

 

 だが、上手くいけばこの後の展開が非常に楽になると思った。

 

 あまり長い間此処で待って、これ以上引き伸ばす訳にはいかないだろう。

 

 だが、打てる可能性のある布石は打っておきたい。

 

 しかも、結構ローリスクハイリターン、やらなきゃ損々と来たもんだ。

 

「・・・来た」

 

 重々しい足音が、森の中でもはっきりと忠夫の耳に届いた。

 

 天狗が先程居た方角から、ゆっくりと、しかしはっきりと音を立てながら天狗が近づいてくる。

 

 こそこそと茂みに隠れながら、忠夫はニヤリと笑みを浮かべてその「タイミング」を待ち受ける。

 

 それは、あくまで偶々茂みを掻き分けた忠夫がばったり天狗に会ったと言う演出の為のタイミング。

 

 身体能力では無いに等しい忠夫でも、気配を消す技術なら頭が覚えている。

 

 だが、あまり接近しすぎた所からいきなり気配を表すと、不意打ちと思われてバッサリとなる可能性もある為、出来るだけ不自然ではないタイミングで、その一歩を踏み出した。

 

 ガサリ、とわざわざ大き目の音を立てて姿を見せた忠夫に、天狗の鋭い視線が突き刺さる。

 

「・・・そんな所に居たか。逃げたのかと――」

 

 全部を言わせる必要は、無い。

 

 むしろ、この状況に気付いていない天狗の方が迂闊なだけだ。

 

 人狼相手に接近がはっきりと分かるように足音を立てて近づいてきてくれるような高潔な相手には、これはきっと効くだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――へ、変態だー!」

 

「何ぃっ?!」

 

「子供の排泄を覗く変態が居るぞー! はっ!? まさか、シロだけじゃなくて俺のしっこも覗くつもりだったのかっ?!」

 

「ま、待て! 何でそーなる!!」

 

 天狗、大慌て。

 

 彼もまさか、深山幽谷に篭って真面目に己を磨く事に集中していたと言うのにこんな謂れの無い汚名を着させられるとは、夢にも思わなかっただろう。

 

 普通、思わない。

 

 誤解を解こうと必死の形相で忠夫に掴みかからんばかりの勢いで迫る天狗の長い鼻。

 

 だが、それこそ忠夫の思う壺。

 

「ワシはお前らが何時まで経っても戻らんから、逃げたのかと思って確認を――」

 

「嘘だー! 俺達は逃げるつもりなんて無いのに、そんな事を言っても誤魔化されないぞコンチクショー!」

 

「違う! だから、ワシは――」

 

「変態だー! ロリコンでショタコンでしかも妙な嗜好の変態が居るー! 皆に教えなきゃいけないな、これは!」

 

「人の話を聞けぇぇぇっ!! 大体なんだその「ろり」とか「しょうた」とかはぁぁっ!!」

 

「おっさんみたいな変態の事だ!」

 

「ちっがぁぁぁう!!」

 

 もはや、登場の重々しい雰囲気も、真面目な求道者の威厳も無い。

 

 そこに居るのは、子供にかけられた不名誉限りないレッテルを必死に剥がそうと抵抗を続ける、外聞の悪すぎる天狗様であった。

 

 結論、忠夫が納得する振りをするまで、たっぷり10分ほど掛かった。

 

「全く、遅くなりそうだったからそれを言いに来ただけなのに、妙な誤解をされるような事すんなよな! いい歳のおっさんの癖に!」

 

「おっさんとは幾らなんでも無礼――いや、すまんかった」

 

 疲れきった表情で、忠夫の言葉に反論する元気さえなくなった天狗は、その鼻まで萎れた様にも見えるほど肩を落としながら素直に謝った。

 

 天狗に見えないようにニヤリと笑いながらそれを確認した忠夫は、成功した罠はさて置き本命をするりと喋り出す。

 

「そうだ、聞き忘れてた事があったんだよ。おっさん、今、俺が必要な薬持ってるか?」

 

「・・・何故それを聞く必要がある?」

 

 訝しげに、少々の警戒を含めた視線で睨みながら天狗が聞き返す。

 

 だが、その言葉にはそれほど力が篭っていなかった。

 

 先程までの忠夫の誤解を解くために使った労力が、天狗と忠夫の思った以上に注意力を奪っていたのだろう。

 

 思わぬ幸運と言うやつだ。

 

「いや、やりあってる最中に壊れても困るからなー。おっさんやっつけて、薬の場所が分からんくなっても困るし」

 

「・・・ふん、小童が。無駄な心配と言う奴だ、それは。ワシもお前らなぞにやられるつもりは毛頭無いし、だが、薬は貴重なのも確か。きちんと保管しとる」

 

「あっそ。んじゃ、俺はシロの様子見に行くから。――覗くなよ?」

 

「覗くかぁぁぁぁぁっ!!」

 

 悲鳴のような天狗の抗議の声を背に、だが、忠夫はその姿が見えなくなるまで不信の視線を向けながら、シロが待っているであろう場所まで一気に駆け戻る。

 

 残されたのは、掛かってしまった嫌疑を心底嫌そうな表情で愚痴る天狗のみ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「よし、完璧だ」

 

「・・・兄上、流石にそれはどーかと」

 

「ん? 聞こえたのか?」

 

「あれだけ大声で騒げば、嫌でも聞こえるでござる」

 

 何度も何度も頷きながら、会心の笑顔で駆け戻って来た忠夫を迎えたのは呆れた視線を向けてくるシロだった。

 

 確かに静かな朝の森でアレだけ騒げばシロにも聞こえただろうし、内容も爽やかな朝にはそぐわなさ過ぎる物だったのも確か。

 

 とは言え、成果としてはこれ以上なく満点だったので問題は無い、と考えた忠夫は、再びシロの隣に座り込んで、小さな声で語り始めた。

 

「聞こえてたんなら説明は要らないな」

 

「いや、あの内容は流石に説明して欲しいでござるか・・・」

 

「説明もなんも、こっちがどれだけ時間をかけても向こうが近づいてこないようにしただけだ。勿論、この後の作戦にも効いて来るんだけどな」

 

 まぁ、あれだけ騒がれた後でものこのこ近づこうとは思わないだろう、普通。

 

 内容に問題がありすぎるし、流石に天狗が哀れだとも思うが。

 

 ともかく、胡乱げな視線を向けてくるシロに対し、忠夫は今回の作戦方針を宣言する。

 

「良いか、天狗には勝てん。そこは分かってるんだろ」

 

「・・・歯痒い事でござるが、それは確かに」

 

「だったら、勝たなきゃいい」

 

 は? と疑問を顔一杯に浮かべたシロに、忠夫は思いっきり悪戯をする悪ガキの笑みを見せつけながら、これからの行動を一つ一つ説明していく。

 

 しっかりと説明しなければシロは納得しないであろう。

 

 だが、その為の時間はさっきの会話で稼いでいる。

 

「――ええっ?!」

 

「分かったか?」

 

「しかし、それは余りにも・・・」

 

「ばーか」

 

 その作戦を聞かされたシロの顔は、とても珍妙な物だった。

 

 呆気に取られた、と言うのが近いかもしれないし、良いのかなーと疑問に思っていると言うのが近いのかもしれない。

 

 だが、呆れの成分が濃いのはどちらにしても同じであっただろう。

 

 そんな顔の妹分に、忠夫は片目を瞑りながら、最後の締めをのたまった。

 

「俺は言ったぞ? 『俺は俺のやりたい事を、やれるようにやってやる。こちとら人命かかってんだ、あっちの都合なんぞ知ったことか!』ってな」

 

 深々と溜め息を付いたシロは、本当に良いのかなぁ、と首を捻りながらも、そのやりたい事の為に動き出す。

 

 やりたい事を、忠夫の母を、シロにとっても母のようなあの人を助ける為に、忠夫と天狗を結ぶ線から直角に全力で駆け出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「・・・遅い。何時まで待たせる気だ?」

 

「うっさい! 変態を見張りに来ただけだ!」

 

「変態じゃないと言っておろーが!」

 

 出来るだけ子供のように振舞いながら、忠夫は先程の場所で座り込んでいた天狗の横に腰掛ける。

 

 背中に当たった木の幹はごつごつとしていて、しかししっかりと忠夫を受け止める。

 

 そのまま天狗の不審の視線を受けながら、忠夫はジト目でそろそろ苛立ってきているであろう天狗を睨み続ける。

 

 暫しの沈黙が蟠り、我慢しきれなくなったように天狗が忠夫に問い掛けた。

 

「・・・武蔵でも気取るつもりか? だが、この天狗は小次郎では無いぞ」

 

「んなこっちゃねーよ。シロがおっきい方も催したんで、時間が掛かってるだけだ。流石に近くに居る訳にもいかねーから、ついでに見張りに来たんだよ。大事な妹分だからな」

 

 シロが近くに居なくて本当に良かったと思わせる台詞であろう。

 

 それを聞いた天狗は大きく溜め息を付くと、視線を逸らして肩を落とした。

 

「・・・もはや何も言わん」

 

「やっぱ変態って認めるんだなっ?!」

 

「違う! 力一杯違うぞ!!」

 

 緊張感の欠片も無い。

 

 慌てたように背中を預けていた木の陰に隠れてガタガタと震えだした忠夫に、天狗は両手を突き出して必死で抗議の声を上げる。

 

 何度も何度も忠夫が確認し、天狗もしつこく否定する。

 

 そんな流れを繰り返し、先程の誤解を解いた時ほどの時間と労力を持って、漸く納得した振りをしてくれた忠夫の目の前で、天狗は心底疲れた様子で腰を下ろした。

 

「・・・全く。近頃の子供は・・・」

 

「それはそーと、おっさん」

 

「・・・何だ?」

 

「おっさんの薬って、俺でも使い方分かるのか?」

 

 何処と無く覇気の無い虚ろな目ながらも、天狗は律儀に答えてくれた。

 

「・・・簡単な説明くらいなら書いてある。ワシも名前だけで薬を全部覚えておけるほど、少ない量を保管しておらんからな」

 

「ふーん」

 

 だが、と前置きをして天狗は続ける。

 

「薬と言っても万能薬ではない。あくまで薬草や霊草をワシが調合した物。患者の状態に合わせて正しい物を使ってこそ、その効果は十分に発揮される」

 

 忠夫の顔に、少しだけ不安の色が浮かんだ。

 

 だが、それを吹き消すように、先程忠夫がシロと分かれた所から、遠吠えが響く。

 

「あ、シロだ」

 

「今度は何だ・・・?」

 

「ん・・・あんまり良く聞こえんかった。ちょっと様子見てくるから、来んなよ?」

 

「言われんでも行かんわ・・・」

 

 さっさと行け、と手を振る天狗に、手を振り返しながら忠夫は駆け出す。

 

 その小さな背中を見送りながら、天狗は「早まったかなぁ・・・」と今回の小さな戦士の挑戦を受けた事を、徐々に徐々に後悔していた。

 

 溜め息を付いて空を見上げる。

 

 太陽は既に高く、朝の邂逅から始まった筈の戦いは、天狗に疲労と咽の痛みだけを与えただけだった。

 

 それでも、刃を交える事になればそれなりに得る物もあるだろう、と緩んだ緊張の糸を張りなおし、少年の駆け出していった方角を睨み付ける天狗。

 

 まぁ、どれだけ待っても忠夫達は戻って来ず、結局刃を交わす事は無いのだが。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「どうだ、シロっ!!」

 

「やったでござる! 持てるだけ持って来たでござるよ!」

 

「うっし! 逃げるぞ!! 俺は薬を持つから、お前は俺を背負ってくれ! お前の方が俺より早い!!」

 

「・・・何かそれは間違ってござらんかぁ?」

 

「うっさい。効率最優先じゃい」

 

 じゃらじゃらと差し出された小瓶を懐に残らず納め、不満げな少女の背中に乗っかる忠夫。

 

 そのまま、子供とは言え人一人を背負って、それでも忠夫の全力疾走よりも速く駆け出した少女は振り向く事無く森の中を疾走する。

 

 ――作戦成功。

 

『つまり、だ。目的はあのおっさんに勝つ事じゃなくて薬を手に入れて持ち帰る事な訳だ』

 

『それはそうでござるが・・・しかし、どうやってでござるか?』

 

『あのおっさんは薬を持って無い。んでもって、初対面の時だけど、俺が叫んだら直ぐ近くから歩いて来た。だったら、多分ねぐらは近くだ。なんせまだ早朝も良い所だったし、訓練の為にあちこち移動して汗を掻いたって様子も無かったしな』

 

 朝早くから汗を流して修行をする、と言う事が無い訳ではなかろうが、青年の時に会った天狗の話からすれば、多分直ぐ近くに拠点となる小屋なり洞窟なりがある筈。

 

 薬の調合、保管と言う事を考えれば、それらを常に身に付けて移動しているというのは考えにくい。

 

 ――無論、博打ではあるが。

 

『俺が何とかして引きつけとくから、お前は思いっきり回りこんでそこを探せ。あのおっさんの匂いならさっき嗅いだだろう?』

 

『・・・薬草とかの不思議な匂いがしたでござるから、確かに難しくは無いでござるが・・・』

 

『良いか? あの距離で俺たちの会話が聞こえて無かったって事は、出来るだけ気配を消して滅茶苦茶遠回りすれば見つかる可能性は低い。迷うな、全力で走れ! 良いか?!』

 

『わ、分かったでござる!』

 

 ――だからこそ、忠夫が見張りという名目で時間稼ぎに行った。

 

 二人で一緒に行けば忠夫が足手纏いになるし、二人とも居なくなれば不審に思われる。

 

 だが、一人が付いて、しかも徹底的に気を逸らせば成功率は高まる。

 

 それなら、口が回って足が遅い忠夫が囮に行き、足が速いが嘘が下手なシロに薬を取りに行かせれば良い。

 

 薬の保管場所に鍵が掛かっていたりすれば難しくはなっただろうが、こんな山の中で警戒するのは野生の獣くらいだし、天狗も何時も此処に居ると言っていたのであまり盗難に対して警戒はしていないだろう。

 

 ――勿論、これも博打だ。

 

 シロが見つかる可能性が無いとは言えないし、忠夫が口を滑らせればアウト。

 

 そして、鍵が掛かっていて薬を持ち出せなければアウト。

 

 博打も良い所である。

 

 だが、まあ。

 

 結果として、忠夫の懐には大量の薬の小瓶があるし、二人とも怪我一つ無く帰還中。

 

 天狗が怒って後で何かしてくるかもしれないが、その時はその時。

 

 騙される方も悪いんだし、こっちは子供なんだから頭を下げれば命までは取られない――と思いたい。

 

 ま、天狗も子供相手に本気で怒るほど恥を知らない訳でもないだろう、というのも計算の内だ。

 

 子供の悪戯だと思って諦めてもらおう。

 

「ファイトだシロ! 風になれー!」

 

「兄上、もうちょっと静かにしてるでござる!」

 

 ともあれ、意気揚揚と凱旋である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 だが、戻った忠夫達を待っていたのは。

 

「――忠夫、シロちゃん、付いてきなさい」

 

「へ?」

 

「貴方も、お願いします」

 

「・・・ああ」

 

 忠夫の武勇伝を聞いた母の、悲しそうな顔だった。

 

 帰って来た忠夫から薬を受け取り、話を聞いた沙耶は、それについては何も言わず、布団から身を起こし身なりを整えると、きょとんとする二人と口数の少ない父を連れて、何時もにも増して蒼白い顔のまま、ポチの背中を借りて森に向かう。

 

 付いて来ようとする犬塚父を一言二言話して留守を頼み、忠夫をシロに頼んで背負わせると、二人の物問いたげな視線に背中を向けて走っていく父と母。

 

 無言のまま、食べる物も食べずに4人が辿り着いたのは、忠夫が母に話した天狗の居る場所だった。

 

「・・・む、またお前らか。この悪ガキどもめが、今度は何用だ?」

 

「天狗様、ですね? 私は、この忠夫の母、シロの母親代わりをしております、沙耶でございます」

 

「その夫、犬飼ポチ。此度は、本当に相済まぬ事をした。――申し訳無い」

 

「「・・・っ?!」」

 

 不機嫌そうに睨みつけてきた天狗も、沙耶とポチに付いて来た少年達も、呆気に取られた。

 

 二人が、深く、頭を下げたのだ。

 

「・・・どう言うつもりだ?」

 

「あの薬は、大変貴重な物でしょう。それを、どのような理由があったとは言え、子供にこのような事をさせてしまったのは親の不覚。子供の責を負うのは親の役目、ですから」

 

「天狗殿が何ゆえこのような事をやっておられるのかは存じぬ事でござる。だが、親として、子に盗みを働かせたのは事実。――何卒、二人を責めないで頂きたい・・・」

 

 それだけを言って、二人は頭を下げ続ける。

 

 子供たちは、言葉も、無い。

 

 母の為、と思ってやった事は、無駄だったのか。

 

 駄目、だったのか――

 

 シロも、忠夫も、頭を下げた。

 

 下げるしか、無かった。

 

 いや、それは項垂れると言うのが一番近かった。

 

「・・・いや、頭を上げてくだされ」

 

 長い沈黙を破ったのは、溜め息混じりの天狗の声だった。

 

 苦笑いを堪えるようなその声に忠夫が顔を上げれば、天狗の顔に、既に不機嫌の色は無い。

 

 それどころか、何故か嬉しそうにさえ、見えた。

 

「ワシも少々大人気なかったな。まぁ、確かに正々堂々とは言えぬ物の、薬を持っていかれたのは事実。此度は、ワシの負けであろう」

 

「・・・良いのですか?」

 

「良いも悪いも無いわ。負けたから、薬を渡した。順序が少々変わった所で、文句を言う者も居らんしな。それにしても、中々賢しい子供らであったぞ」

 

 カカ、と笑う天狗の前で、親たちはもう一度頭を下げる。

 

 そして、子供達に振り向いた。

 

 思わず身体をビクつかせた二人は顔を伏せ、近づいてくる二つの足音に目を瞑る。

 

 そして、身体を固くする二人の前で足音は止まり。

 

 

 

 

 二人の頭に一回づつの大きな拳骨が落ち。

 

 暖かい腕が、二人を包んだ。

 

 

 

 

「――ありがとう。本当に、ありがとう、二人とも」

 

「全く、もうちょっと考えてから動くでござるよ。拙者も沙耶も、犬塚も里の皆も心配したんでござるからな」

 

 頭を押さえながら顔を上げた二人の目に、嬉し涙を零す母の顔が写った。

 

 ぽろぽろと涙を零しながら、優しく二人を抱きしめる。

 

 その隣では、苦笑いを浮かべたポチが、二人の頭に振り下ろした拳骨をぷらぷらと振っている。

 

「・・・え?」

 

「貴方達がやった事は、人から物を盗む事。やってはいけない事だし、それを結果としてやらせた私も悪かったわ。でも、でもね――」

 

 ぎゅっと、二人を抱きしめる手に力を篭めながら、二人の頬に己の頬を押し付けながら。

 

 沙耶は、誰にも見えない、心の底からの笑顔を浮かべている。

 

「嬉しかったよ、二人とも。貴方達と出会えて、本当に、嬉しいの」

 

「はは、うえ・・・」

「沙耶殿・・・」

 

「――ありがとう」

 

 おずおずと抱き返した二人は、そのまま母の肩に顔を埋めた。

 

「・・・ま、一件落着か。どうかね? どうせなら此処でその女性の治療をしても良いのだが?」

 

「かたじけない。是非――」

 

 

「――母上っ?!」

 

「沙耶殿っ?!」

 

 

――悲痛な声に振り向いた天狗と父の目に、力を失ってゆっくりと二人から離れて倒れる、沙耶の蒼褪めた顔が写り込んだ。

 


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