月に吼える   作:maisen

96 / 129
第伍拾話。

 落ちる。

 

 下へ下へ、何処までも、落ちる。

 

 始まりは何処か、終わりは何処か。

 

 右を見ても黒ばかり。 

 

 左を見ても闇ばかり。

 

 それでも落ちている事が分かるのは、身体が揺れる感覚と、耳元で唸る何かが通り過ぎていくのが感じられるから。

 

 頭を下に、足を上。

 

 両手を広げても何も触れず、距離感も無い。

 

 ただ、落ちていく過程だけを伝える感覚が、ある。

 

「っていうか何でじゃぁぁぁっ?!」

 

 忠夫は、現在真っ暗闇の中を自由落下中である。

 

「落ち着けっ、落ち着け俺っ!! 先ずは何でこんな事になったのかを思い出せぇぇっ?!」

 

 混乱している頭を抱え、たっぷりと十秒近くは呆然としていた忠夫の脳味噌が回転開始。

 

 記憶を探り、現状把握とそこから発生する現状打破を頼みに必死こいて思考を巡らす忠夫の耳元では轟々と音を立てて通り過ぎていく風がある。 

 

 とは言え辺りは真っ暗闇。

 

 何が見通せる訳も無く、人狼ゆえの卓越した三半規管能力が無ければ上下も分からないであろう黒の中。

 

「落ち着けるかぁぁぁぁぁっ!!」

 

 そりゃそうだ。

 

 いきなりのパラシュート無しのフリーフォール中に精神集中して事態の打破を図れる奴が居たら見てみたいものである。

 

 セ○ールあたりなら可能っぽいが。

 

「待て! 待て待て待て俺! 此処で慌てても良い事等無いぞ! とりあえずでも良いから何か思いつく事はないんかっ?!」

 

 その時、忠夫の脳裏をふっと横切る何かの映像。

 

 それは、小さい頃の忠夫と両親の思い出であったり、初めて人狼の里を出た時に訪れた母方の実家であったり、一人で里を抜け出した際に出会った一匹の子狐との一夜であったり。

 

 更には真夜中に「嫁が欲しい」と咆哮し、里中から返って来た同意の声に涙した事であったり、美神やおキヌとの出会い、都会に出てから知り合った沢山の人や人外との一シーンであったりと――

 

「走馬灯じゃねぇかぁぁぁぁっ!!」

 

 その通り。正解者には迫り来るピンチの予感をプレゼント。

 

「いやああああああっ! 明るい家族計画もまだなのに死ぬのはいやぁぁっ?!」

 

 とまあこのように切羽詰っている忠夫であるが、何故このように唐突にピンチに陥っているのか。

 

 順を追ってみよう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 とある異界のとある場所。

 

 魔鈴と言う名の魔女の自宅が、轟音と共に揺れ動いた。

 

 玄関の扉が屋根から埃が落ちてくるほどの衝撃と共に蹴り破られ、その扉が反対側の壁を砕きながら隣の部屋へと飛び込んだためである。

 

「出来たっ!」

 

「いきなり破壊活動を行なうなそんな娘に育てた覚えはありませんよっ!!」

 

「育てられた覚えもないよっ!?」

 

「私の家がぁぁぁっ?!」

 

「・・・ま、まぁ、修理費ぐらいは経費で落ちるようにしてみるよ」

 

 家主の悲鳴と保護者の絶叫が木霊する中、一人顔を引く付かせた西条が諦めと慰めの言葉を吐いた。

 

 舞い散る埃に美神は慌てて料理を庇い、ポットのお湯を急須に注いでいたおキヌがそれの補助に走り回る。

 

 ルシオラは少し眉根を寄せると、南極の氷を溶かした鍋を火から降ろし、蓋をして魔鈴の心配そうな視線を余所に別の部屋へと抜け出していった。

 

 一瞬で破壊を繰り広げた、紫色の長髪をあちらこちらに泥やら緑色の液体やらでまだらに染めた少女は首輪で繋がれた青年の元へ歩み寄り、周囲の声を完璧に無視して何かをどさっとその前に置いた。

 

 黒焦げの何かの塊、としかいい様の無いそれは、まるで温泉街を歩いたような匂いを発しながらその存在を誇示している。

 

「・・・コレはなんだ?」

 

「料理」

 

 顔を蒼褪めさせた忠夫の目の前で、しれっとその単語を吐いたメドーサが両手を振り上げる。

 

 軽い吐息と共に出現した刺叉をしっかと握り締めたその腕が振り落とされ、寸暇の間も置かずに振るわれ続ける。

 

 一呼吸の間に無数の斬線が炭の塊に刻まれ、ぱちん、と鳴らされたメドーサの指の音に呼応するかのように弾け飛ぶ。

 

 その中心部に、最後に残った僅かな塊。

 

 手のひらに乗るほどの小さなそれは、外を包んでいた炭の中身とは思えないほど、綺麗なサーモンピンクをしている。

 

 それを満足げに確認したメドーサは、おもむろにそれを掴みあげると、最初の衝撃で床に転がっていた皿を拾ってその上に適当に放り投げ、忠夫の前に差し出した。

 

 確かに、見た目では新鮮な肉に見えるそれは、何故か相変わらず、いや、更に強烈な硫黄臭を放っている。

 

 恐る恐るその皿を突き出す少女を見上げれば、堪えるような、だが堪えきれずに僅かに零れる楽しげな表情であった。

 

「食え」

 

 やけに嬉しそうに一言だけを放ったメドーサ。

 

 その内から溢れる感情は、確かに誰かにプレゼントをする少女のそれに良く似ていた。

 

 目の前の少女の感情は、忠夫の父性をガンガンに刺激しつづけている。

 

 できる事なら迷わず口にして、美味いと言いながら頭を撫でたり抱きしめたりしてあげたい所である。

 

 が、同時に、忠夫の本能が警鐘を最大音量で流しているのだ。

 

――曰く、逃げろ。アレはヤヴァイものだ。

 

「・・・・・・・・・・・・・・・し、しんぱーん! 魔鈴さーん! これは料理っすかぁぁぁっ?!」

 

 

 長い、長い長考の後、忠夫が出した答えはとりあえず食べられるかどうかの確認を行なう事であった。

 

 その声に解説席で西条に肩を叩かれ慰められていた魔鈴は、はっとした表情で顔を上げ、その物体を確認する。

 

 どうやら、何もかもをいったん置いておいて、先ずは目先の問題を解決する事にしたようだ。

 

 しげしげと眺め、顔を顰めながらも匂いを嗅ぐ。

 

 そして、何度か頷くと。

 

「料理、と言う問いに対してはイエスですね。食材の選定、調達。焼いただけでは飽き足らず、周囲を焦がすまで焼いて、その中心部だけを抜き取る。おそらく、十分な熱は与えられている筈ですから、正にレアといった焼き加減でしょう。これほど上質の素材を使いながら、しかしその殆どを極上のひとかけらの為に切り捨てる。豪快かつ繊細な料理ですね」

 

 そして、胸を張るメドーサに微笑みかける。

 

「そして火の通り具合を見極め、正確に捌く技量も見事なら、その作り手としての心も見事。美味しい物を食べされてあげたいと言う心のたっぷり詰まった、見事な『料理』です」

 

 実に真剣な表情で仰った。

 

 その言葉に勢いを増し、鼻の穴を広げて自慢げにぐいぐいと忠夫の口に肉の塊を押し付けるメドーサ。

 

 目で「ちょっと待って」と訴えながら、必死で顔を背ける忠夫。

 

 高速で繰り出される刺突まがいのそれが顔を掠めるたびに硫黄臭が鼻を突き、何だか目まで痛くなってくる気さえする。

 

 それでもその塊との衝突を避けるべく、いい加減苛立ち、忠夫の上に馬乗りになったメドーサの攻撃を必死でかわしつづける忠夫である。

 

「・・・まぁ、心がけだけは料理なんですけどね。慣れない方が食べるのはお勧めしませんよ? 元が人界の生き物に似ているからって、味とか毒の有無までは似るとは限りませんから」

 

「それを先に言って「とったぁっ!!」ふごもがっ?!」

 

 魔鈴を向いて抗議の悲鳴を上げた忠夫の視線が逸れたその瞬間、声を出す為に開かれた口の中に突っ込まれる塊。

 

 問答無用で脳髄を突っ走る異臭。

 

 舌を根こそぎ持って行く刺激。

 

 味? 

 

 例えるのも難しいが、あえて言うなれば。

 

 ――BC兵器1歩奥。

 

「美味いか? 美味いって言いな!」

 

「・・・・・・・・・」

 

「魔鈴君、横島君が白目をむいて痙攣し始めてるんだけど」

 

「あら。ええっと、確か――」

 

 相変わらず体の馬乗りになった娘に頭をがっくんがっくんと揺さぶられながら、顔色を赤白黄色とどこぞの野の花見たいに変化させる忠夫の口元に、魔鈴が懐を探って取り出した薬瓶の中身が注がれた。

 

「それは?」

 

「『魔鈴印の万能薬』ですよ? 大抵の物ならそれなりに――ま、それ専用に作られたのに比べれば効果は薄いんですけど、それなりに効く優れもの。魔界軍のほうにも納めてますから、効果の程は保障しますわ」

 

 薬瓶の表面に貼られたラベルが嫌に毒々しい赤で、しかも赤の上に踊る、その薬の名前と説明であろう文字が『The破壊ダー ~毒もろとも~:何にでも効きますが、使用上の注意をよく読んでも無駄です』なのはどーいうセンスだろうか。

 

 ともかく、痙攣が既にロッキーの腹筋運動ぐらいに派手であった忠夫の動きは止まった。

 

 それだけが事実である。

 

「・・・判定不可、かな?」

 

「復活したら聞いてみましょうか」

 

「美味かったって言えー!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「はっ?!ここは!?」

 

 気が付くと、お花畑であった。

 

 嗅いだ事も無い香りが鼻を突き、遠くを巨大な川が流れ、その上では何者達かが飛び交っている。

 

『いい加減諦めて成仏しろ・・・!』

 

『何の、引き分けている内は絶対に諦めんでござるよ!』

 

『これまで何回やりあったか忘れたでござるが、これほどの好敵手、現世にもおらかったでござるからな・・・!』

 

 黒い襤褸切れを纏った骸骨が巨大な鎌を振り回し、鎧を着込んだ二人の片方がそれをいなして開いた懐にもう片方が切り込んでいく。

 

 その斬撃を落下するように下方向に加速して回避、髑髏の直上を走り抜けた刃は下から弧を描いて振り上げられた鎌に絡んで引っ張られる。

 

 前のめりになった体を抉るように、一瞬で翻った鎌の先端が胴体に着弾。

 

『この程度では無駄か』

 

『当然でござる。その反則めいた鎌の動き、伊達に何度も目にしてはおらんでござるからな』

 

『然りっ!』

 

 着弾した筈の鎌の切っ先に合わせるように、横合いから突き出された霊波刀が鎬を削る。

 

 僅かな膠着の直後、3人の足元から聞こえる女性の声に押されるようにして交錯が再開された。

 

『頑張るでござるよー!』

『負けたらお仕置きよー』

 

『『是非も無し!!』』

 

 遠目にも分かるほど、鎧武者達の体から、爆発したように霊気が吹き上がった。

 

 その頭と尻に、耳と尻尾が、狼のものに見えるのは気のせいか。

 

『そっちの奥方達も気楽に声援をおくらんで欲しいものだ・・・! それだけで手が付けられなくなる!』

 

『『愛妻家でござるからな!』』

 

『愛妻力でござるなぁ。思い込みとも言うでござるが』

 

『あいさい「ちから」って言うのが重要よ。「りょく」でも「ぱわー」でも駄目』

 

「なんのこっちゃぁぁっ?!」

 

 妙なこだわりに思わず突っ込んだ忠夫の声が、川縁の砂浜に座り込んで近くに浮いている船の船頭と白髪を伸ばしたお婆さんと4人で茶を楽しんでいた二人が振り向かせた。

 

 上空の方は忙しい為気付いていなさそうである。

 

 きょとん、と忠夫を振り向いた、流れるような黒髪の女性と一房に赤い色の混じった銀髪の女性は驚いたような表情を浮かべ、落ち着いた見た目とは裏腹の速度で駆け寄ってきた。

 

『あらあら、こんな所に若い人狼が来るだなんて珍しい』

 

『いや、良く見るでござるよ。まだ魂の緒が切れてないでござる。逆に珍しくないぱたーんでござるな』

 

 何となく気圧されて動けない忠夫の周囲を鼻を鳴らして嗅ぎまわりながら、銀髪の女性は忠夫の頭にくっ付いた白い紐を引っ張った。

 

『十分に戻れそうでござるな』

 

『そうねぇ。船頭さんも脱衣さんもお茶菓子に夢中みたいだから、送り返しちゃいましょうか』

 

「え? え? 何?」

 

 忠夫の疑問には答えずに、銀髪の女性は右手に霊力を篭め始める。

 

 寸暇の間も置かずにそれは細く、だが流れるような霊力を完璧に纏め上げた短い霊波刀を形成した。

 

 ところが変化はそこで終わらず、霊波刀は長さはそのままで、女性の細い指がす、と開かれる動きに合わせて扇型に広がった。

 

 よくよく見れば、その扇の一枚一枚は霊波で形成された物であり、それを重ね合わせて尚且つ互いに干渉し合わせず、全く同じ霊力で作られたもの同士でありながら解け合わないという、技術を超えた域にある、正に秘奥であった。

 

『しーちゃんお見事』

 

『それほどでも、でござるよ~。さて、それでは』

 

 黒髪の女性が声を掛け、銀髪の女性が照れた様子で頭を掻き、忠夫がこそこそと不穏な雰囲気を感じて逃げ出す中で。

 

 一頻り照れて落ち着いた女性は、扇をゆっくり持ち上げると、それを再び閉じた。

 

 綺麗に、全くズレを見せずに重ねられたそれを、今度は縦に開く。

 

 普通の扇ならば無理であるが、この扇は霊力で作られた物。

 

 よって、構造など在って無いようなものなの。

 

 ともあれ、想像していただきたい。

 

 閉じられた扇を縦に開けば、それは一体何なのか。

 

 答えは――

 

『――宴会奥技、霊波ハリセン、行くでござる!』(←誇らしげ)

 

「ちょっと待てぇぇぇっ?!」

 

『へいへいピッチャービビってる~』(←物凄く楽しげ)

 

「そっちも待てぇぇっ?!」

 

 特級の技術を、超難易度の霊波制御を使ってやるのが宴会芸でハリセンとは何ともはや。

 

 付け加えるなら、どっから如何見ても現代に生きた存在でもないのに、なんで野球で使われるヤジを知っているのかと、しかもそんなに楽しそうなのかと聞いてみたい忠夫である。

 

『星にィィィィッ、なるでござるぅぅぅぅぅっ!!』

 

「あひょー!!!」

 

『『『どわぁっ?!』』』

 

『あら、3人とも轢いたみたいね』

 

 結局今回も引き分けだったそうな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「・・・はっ?! なんか見ちゃいけない物を見たような気が!!」

 

 がばちょ、と体を起こした忠夫の顔色はすっかり元通りであった。

 

 視界の隅に魔鈴と一緒になって持ってきた食材を詳しく調査しているメドーサとか、それを横目に見ながら引いている西条とかが引っかかったが、そこはかとなく嫌な予感しかしなかったのでスルーに全力を尽くした。

 

「遅かったわね。折角の料理が冷えちゃうかと思ったわよ」

 

「み、美神さん?」

 

「ほら、来なさい」

 

 後ろからの声に振り向けば、そこには何処か恥ずかしそうな顔の美神が腰に手を当てて立っている。 

 

 首輪の鎖を引っ張る美神に逆らう気力も覚える事無く、擦り擦りと引っ張られて着席させられたテーブルの上には。

 

「お、おおおおお・・・!」

 

 桃源郷が広がっていた。

 

 ハンバーグに分厚いステーキ、骨付きスペアリブからごろっと肉の塊が転がるビーフシチュー等々。

 

 添えられた野菜が彩りを増し、しっかりと湯気を立てる白米が、否応無しに涎を零させる完璧なラインナップである。

 

「いや、彼女らしい徹底したメニューです。如何ですか、解説の魔鈴君」

 

「そうですね・・・。此処からでも分かるくらい、香りといい見た目といい、レストランぐらいは開けそうな技術を感じさせます。ですが、それだけでは不十分でしょう。あれには欠点があります」

 

 何時の間にか解説席に戻った魔鈴が淡々と述べる。

 

 テーブルの上で手を組み、その上に顎を乗せて真剣に見入るその表情には、隠し切れない疑問が浮かんでいた。

 

「と、言うと?」

 

「見ていれば分かりますよ」

 

 そう彼女が呟くと、背後の解説も何とやら、美神の少し照れくさそうな表情と共に促された忠夫が「待て」を解禁された犬のように料理の山に取り掛かった。

 

「ふまい! ふまいっふよ美神はん!」

 

「ええいっ! 黙って食べなさいっ! こっちに飛ぶでしょうが!」

 

 口の中一杯に食べ物を詰め込んだ忠夫が叫び、それを抱えたお盆でガードしながら、それでも何処か嬉しそうに怒鳴る美神。

 

 その向こうでは、おキヌが少しだけ羨ましそうに急須のお茶を湯飲みに注いでいた。

 

「んぐんぐがつはぐむぐごっくん美味いはぐはぐお代わりばりばりがつがつもぐんぐぶはー!!」

 

「はい、どうぞ」

 

「ありがとおキヌちゃん! むぐむぐがつがつ!」

 

 ぴかぴかと輝く白米のお代わりを受け取った忠夫が、お礼を言いながらさらに食べ物を詰め込んでいく。

 

 見る見るうちに減っていく料理の群。

 

 幸せそうな忠夫と、それをほんの少し頬を赤く染めながら横目で見る美神。

 

 何処か心配そうにそれを見つめるおキヌ。

 

 そして、それは起こった。

 

「むぐ・・・むぐぐっ?!」

 

「横島くん? どうしたのっ?!」

 

 どうしたもこうしたも無かった。

 

 ひたすらがっついていた忠夫が、とうとう料理を咽に詰まらせたのだ。

 

 どれだけ柔らかく煮てあろうが工夫を凝らして焼いてあろうが、材料は肉である。

 

 故に、当然飲み込みにくい。

 

「・・・こう言うことか」

 

「ええ。相手の好きな物を沢山、と言うのはとても有効な手段ですけど、同時にもう一歩の踏み込みが足らなかった、と言うところですね」

 

 そう呟いて、魔鈴がぱちんと指を鳴らす。

 

 答えて忠夫の目の前に、白い煙が立ち昇った。

 

 だが、その中から程よく冷えた水差しが出現するよりも早く――

 

「横島さん、これっ!」

 

「・・・んぐっんぐっんぐっ! ぷはぁぁっ!! あー、やばかった。ありがとう、おキヌちゃん」

 

 美神に背中を叩かれながら悶え苦しんでいた忠夫の目の前に、人肌よりも少し暖かいお茶が入った湯のみが突き出された。

 

 それを受け取って、一気に呷ってのどの奥に詰まった肉の塊ごと飲み下した忠夫が、はらはらとこちらを見守るおキヌに笑顔を見せた。

 

 ほっと一息を吐いた二人にお礼を言いながら、忠夫は再び料理の山を攻略に取り掛かる。

 

 一度や二度、咽に料理が詰まったくらいで食べたくないと思わせないだけの魅力が、その料理の山にはあるのだ。

 

「もう・・・。はい、あんまり慌てないで下さいね?」

 

「ありがと。いや、なんか何時も事務所で食べる骨付き肉にそっくりな味でさー。落ち着く上にすんげー美味いもんだから、つい」

 

「無駄口する前にとっとと全部食べなさい! 残したらシバキ倒すからね!」

 

 耳まで赤く染めた美神の怒声を背に、忠夫は再び口の中一杯に料理を詰め込み始める。

 

 だが、今度は咽に詰まるほどの量が溜まるよりも早く、おキヌが淹れてくれたお茶を啜って落ち着いてから取り掛かるのを繰り返している為、忠夫はひたすら料理に舌鼓を打つ事に成功していた。

 

 それを見ていた魔鈴は、苦笑いを浮かべながら指を鳴らす。

 

 何時の間にか忠夫の前に出現していた水差しは、静かに音も立てずに、消えた。

 

「・・・成る程、何時も食べている物なら飽きる事は無い、という事ですか。餌付け歴の長さを活かしてきましたね。それに、おキヌさんも流石です」

 

「と、言うと?」

 

 魔鈴は黙って指を美神達のむこうに向ける。

 

 その細い指を辿った最上の視線の先には、二つの急須があった。

 

「始めにお茶を淹れておいて、咽が詰まったときに一気のみができるように温めに冷ました物を一つ。肉の脂と味を流して、常に新鮮に味を感じられるように少し熱めの物を一つ。これも、心配りの行き届いた素晴らしい料理と言えるんじゃないでしょうか」

 

「成る程・・・」

 

 深々と頷く西条の前で、とうとうテーブルの上を空っぽにした忠夫が、大きく膨らんだお腹を満足げに撫でてげっぷを一つ。

 

「ごっつあんでしたっ! 美味かったぁぁぁっ!!」

 

「当たり前でしょ」

 

「くすくす・・・」

 

 どばどばと歓喜の涙を流しながら、忠夫は、最高の笑顔を向けてくる二人に心からのお礼を叫んだのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「さて、最後のルシオラさんなんですけど・・・」

 

「まだ、戻ってきてないようだね」

 

 ほのぼのと会話を続ける事務所の面々を余所に、西条と魔鈴の視線がルシオラの消えた部屋のドアに集中する。

 

 かたや今度は何を持っていかれるのかと不安げに、かたやもしも契約が履行されたらどうやって誤魔化そうかと思案げに、二人の視線はドアの向こうで何かをやっている気配に向けられていた。

 

 ただ、その西条たちから少し離れた場所では、メドーサが程よく火の通った、忠夫を危うく涅槃に連れて行こうとした肉の塊を前に胡座を掻いて手を出そうか出すまいかと悩んでいたりするのだが。

 

「・・・もし、美味いと彼が言ったらどうするつもりなんだい?」

 

「あら、そうなったら――」

 

 魔鈴はすっと指を立てる。

 

「逃げましょうか?」

 

「どうやって」

 

 それが難しそうだから悩んでいるんじゃないか、と西条が視線で抗議する。

 

 だが、それを受け止めた魔女は微笑を崩さない。

 

「ルシオラさん以外の皆をいきなり人界に転移させて、即此処とのチャンネルを遮断。最低でも時間稼ぎになりますし、上手く行けばこちらとの再接触も難しい状態になるでしょう。その後私の伝手で魔界軍辺りに通報するだけですよ」

 

「・・・流石だね」

 

「あら、メドーサさんがこちらに来た時点で、力押しでも良かったような気がしますけど?」

 

「そりゃまあ、そうだけど。できれば波風立てない解決法の方が良いだろう?」

 

 呆れたように天井を見上げる西条。

 

 その耳に、蝶番が軋む音を届けながら、ルシオラと名乗った魔族の少女が入った部屋の扉が開いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ふふふ・・・完成よ!」

 

「で、なんだこれは」

 

「見てわかるでしょ?」

 

 でん、と忠夫の前に置かれたのは、何処から如何見ても怪しい機械であった。

 

 高さ50cmほどのその機械の一番上には、ペットボトルでも入りそうなほどの穴が空いており、それを囲むように計器だのスイッチだの配線だのがぐるぐるととぐろを巻いて備えられている。

 

 恐る恐る手を伸ばした忠夫の目の前で、それは突然計器を赤く光らせて唸り声を上げた。

 

「見ても分からんわぁぁっ!!」

 

「あら、それなら実践して見せましょうか」

 

 鼻歌さえも謳いつつ、警戒する事務所の面々に見せつけるようにルシオラは果物を持ってくる。

 

 それを軽く機械の上に空いた穴に放り込み、続けて溶かした南極の氷をその上から注ぎ込んだ。

 

 そして幾つかのスイッチを計器を見ながら調節。

 

 程なくして、その機械は奇妙な音を立てると青い光を放った。

 

 うきうきとルシオラが大きめのコップを持ち出し、その機械の一部を軽く叩く。

 

 忠夫達には全く他の部分との区別がつかなかったが、どうやらルシオラにはちゃんと分かっているらしいその部分は衝撃を受けてぱかっと開き、中から少し太めの管をにゅっと吐き出した。

 

 その管をコップの中に入れ、やはりどれがどう言う役割を果たしているのかさっぱり不明なスイッチを弄ると、その管はオレンジ色の少しとろみのある液体をするすると流し、暫しの時間を置いてコップを満たす。

 

「はい!」

 

「これ、何?」

 

「果物のジュース。私は砂糖水でも良いけど、あなた達はそれじゃ不満なんでしょ?」

 

 突き出されたジュースは、確かに果物らしい匂いを放っている。

 

 どちらかと言うとパイナップルやマンゴーのような、南国系の果物のような匂いを放つそれを恐る恐る口に含む忠夫。

 

 以外にも、すっきりとした匂いが鼻を擽り、後味もそんなに悪くない爽やかな甘さが舌の上を通り抜けていく。

 

「で、どう? 美味しかったでしょ?」

 

「・・・うーん」

 

 だが、忠夫の口から出たのは賞賛の声ではなく唸り声。

 

 腕を組んで機械とコップ、そして期待するような目を向けてくるルシオラに、忠夫はゆっくりと頭を振って見せた。

 

「なぁ、何で機械を使ったんだ? 別に手作業でやっても良いんじゃねーの?」

 

「へ? だって、汚れるじゃない。それに省ける労力は省いて効率的にやらなくちゃ・・・」

 

 戸惑うルシオラに、忠夫はすまなさそうな視線を向ける。

 

 そして、果物ジュースが満たされたコップを突き出した。

 

 無言のまま、コップを突き出した体勢でこちらを見てくる残念そうな忠夫の視線に納得いかなげに口を尖らしながらも、そのジュースを口に含むルシオラ。

 

 その瞳が、驚愕に見開かれた。

 

「て、鉄臭い・・・ほんの僅かだけど・・・!」

 

「俺、半分人狼だからさ。どうしても気になるんだわ」

 

 使用した機械の何処かにミスでもあったのか、それともコーティングに漏れがあったのか。

 

 しかし、現実として転がるのは、失敗したという事実のみ。

 

 敗北を悟り落ち込むルシオラの肩を、優しく魔鈴が叩く。

 

 見上げたルシオラの瞳に写ったのは、敗者を貶める視線ではなく、間違いを悟った子供を見守る母の目であった。

 

「そこまで、ですね」

 

「・・・ええ」

 

「どうでしたか? 美味しい料理の難しさ、分かっていただけましたでしょうか?

 

 周囲を見渡したルシオラの目に、優しい表情の魔鈴と、どこか申し訳なさげな忠夫とおキヌ、そっぽを向いた美神と、それを笑いを噛み殺しながら見つめる西条が写る。

 

 飽きたのだろうか、メドーサは白目を剥いて床に寝ていた。

 

 その傍らに転がる、歯型の付いた肉片。

 

 ルシオラは知らない振りをした。

 

「私の負けね。僅かな手間を面倒臭がっちゃ、満足させる料理は作れないってこと、よーく分かったわ」

 

「それが分かれば、貴方も成長したって言う事ですよ。・・・契約、『今回は』どうします?」

 

「破棄するわ。勿論、こっちから言い出すんだから、タダオの魂も『今回は』諦める」

 

「って事は、俺、バツ1っ?!」

 

「いきなり馬鹿な事を言い出すんじゃないっ!」

 

 悲しみの涙に溺れる忠夫に、美神の神通棍が唸りを上げる。

 

 それを見ながら、ルシオラは溜め息を付いて魔鈴に向き直った。

 

 決意を秘めた視線で、微笑を浮かべる魔女を見つめながら、ルシオラはゆっくりと頭を下げる。

 

「料理の上手な魔女さん? 私に料理を教えてもらえるかしら? 貴方のお店で」

 

「歓迎しますわ。看板娘としても、頑張ってもらえそうですしね?」

 

 唐突なルシオラの言葉に、迷う素振りの欠片も見せずに頷く魔鈴。

 

 それは、「今は」を強調した魔族の少女の言葉故にか、それとも全ては掌の上にか。

 

 ただ単に、尋常でなく神経が太いという話も無いではないが。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 笑顔で返事を返す魔女の差し出した手を握り返し、魔族の少女は何故か人界で働く事となった。

 

 何故か、魔女の経営するレストランのコック見習兼ウェイトレスとして。

 

「・・・結局、あの女が一番得してるんじゃないかしら?」

 

「ま、抜け目が無いと言っておこうか」

 

 西条の目の前のテーブルに座った美神が呟く。

 

 それを苦笑いで受け止めた西条は、先ず手始めに、と残った果物と氷水を機械を使わずに調理し始めた魔女と魔族の少女を見つめ、呆れの多分に含まれた笑みを見せた。

 

 部屋の隅で痙攣しながら転がっていたメドーサを見つけた忠夫が慌てて魔鈴を呼び、呼ばれた魔鈴も再び万能薬を取り出してメドーサに飲ませている。

 

 その向こうでは、完成したジュースを一口飲んで、なにやら納得いかなさげな表情になったルシオラが、懐から取り出した薬瓶の中身を次々に垂らして調合していた。

 

「メドーサァッ! 大丈夫か?!」

 

「う、う~ん。はっ?! 川と花畑と変な4人組がっ?!」

 

 ギリギリだったようだ。

 

 呆然と宙を見上げるメドーサを落ち着かせるように、おキヌが持ってきた茶を渡す。

 

 とりあえず無事だと一息ついた忠夫の顔の横に、ルシオラが突き出したコップがそっと当てられた。

 

「タダオ、ほら」

 

「うん? さっきのと同じのじゃねーのか?」

 

 少々落ち着かなさげなルシオラは、今度は完全に手作りだと言ってそれを渡す。

 

 匂いを嗅いで、全く鉄の匂いがせず、新鮮な果物の鮮烈な香りを確かめた忠夫は、一つ満足げに頷くと、それを迷わず呷って見せた。

 

「うん、美味――え”?」

 

 どくん、と何かの衝撃が突き抜けた。

 

 忠夫の姿が、ブレた。 

 

「な、何だ?」

 

「――何を入れたのっ?!」

 

 美神がルシオラに掴みかかる。

 

 しかし、ルシオラも戸惑ったように首を振るばかり。

 

 そして、ルシオラが指差す先には、果物の残りと僅かに残った氷水、そして幾つかのラベルの貼られた小さな調味料の瓶がある。

 

 だが、そこに駆けつけた魔鈴が見たのは、見慣れた調味料と、たった一つ。

 

 彼女でさえ聞いた事の無い薬の名前であった。

 

「――解毒剤! 中和剤でも何でも良いから、早く!」

 

「これです!」

 

 美神が突き出した手の上に、慌てて素早く幾つかの薬瓶を戸棚から引っ張り出して渡す魔鈴。

 

 それらの蓋を一気に開けた美神は、迷わず全部、忠夫の口の中に叩き込んだ。

 

「もがぁっ?!」

 

「あ、しまった! 万能薬はさっきメドーサさんにっ! 待って、それは時空消滅内服――」

 

 歪んだ視界の中で、忠夫が最後に聞いたのは、そんなヤヴァげな単語を含んだ魔女の声だった。

 

 そして、話は冒頭へ――


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。