月に吼える   作:maisen

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第四拾玖話。

 漸く朝日が昇り、道路を走る車の量が増え始めた頃。

 

 ICPO超常犯罪課、通称オカルトGメンの日本支部、その一室にて、それなりに高級そうな、だが如何にも店売りのテーブルの上に置き去りにされていた携帯電話が小さな光を放ちながら、重厚な、しかし軽い電子音のクラシックを流し始めた。

 

 聞こえるか聞こえないかの呻き声が音楽に抗議の声を放ち、音源を探す腕がテーブルの上を這いまわる。

 

 かつん、と硬質な音を立てて指先が携帯電話を跳ね、一瞬動きを止めた腕はそれを包むようにして掴み取った。

 

「・・・はい、西条で――ああ、君か」

 

 テーブルの隣にあるソファーの上に使い古された毛布を被って、久方振りの睡眠を貪っていた西条が身を起こす。

 

 所々が跳ねた長髪を鬱陶しげに撫で付けながら、携帯を開いて目を擦りながら開き、その向こう側から聞こえてきた声に答えた。

 

 淡々と伝えてくる電話の向こう側に、欠伸交じりの頷きを返しながら窓に向かって歩く。

 

 軽い音を立てて開かれたブラインドの向こうから差し込んでくる陽射しに目を細め、骨の音を聞きながら背伸びを一つ。

 

 漸くはっきりとしてきた頭で、暫し報告を聞いていく。

 

「――つまり、目途は立ったと言う事で良いんだね?」

 

『ええ』

 

 返ってきた言葉にはは疲労が含まれていたが、同時にはっきりとした肯定でもあった。

 

「それで、引渡しは何時頃?」

 

『未定よ。今は試験運用を兼ねた訓練中。慣熟は必要だし、万が一にも不良品付で預けるだなんて、プロフェッショナルの誇りが許さない、らしいわ』

 

 女性の声は呆れも多分に含んでいたが、また、何処か楽しそうな色も濃い。

 

 そう、言うなれば――己の作品の仕上がりを見る科学者のような、同時に自慢の息子を語る母のような。

 

「しかし、訓練なら・・・。いや、そうだな。すまんね。正直助かる」

 

『ま、中級魔族の訓練相手を探すのも大変でしょうから、ね。あちらさんも良い訓練相手ができたって喜んでるみたいだし、私たちの分は予定よりも掛かった時間と合わせて帳消しにしてくださいね?』

 

 小さな笑い声が響く。

 

 苦笑いを零しながら、窓を全開にして自分のデスクに近づく西条の顔にはしょうがないか、と大きく書いてあるようだった。

 

『そうね・・・彼らには後で里宛にお礼に骨っこでも送れば、とっても喜ぶと思いますわ』

 

「アドバイス感謝するよ。では」

 

 パチン、と軽快な音を立てて携帯を閉じた西条は、デスクの上に投げ出されていた煙草とライターを手にして満足げな表情を浮かべた。

 

 自分のデスクに腰掛け、ゆっくりと煙草に火をつけ大きく息を吸い込む。

 

 堪能するように煙を口の中で転がし、吸い込んだ時よりもゆっくりと吐き出していく。

 

 窓から入ってきた排気ガス混じりの朝の空気を擦り抜けながら外に出て行く紫煙を見送った。

 

「――美味い」

 

 男にこのような比喩を使うのもあれだが、酷く艶っぽい笑顔を浮かべた彼はフィルターギリギリまで堪能した後、デスクの上の灰皿をライターの尻で引き寄せて煙草の火をもみ消した。

 

 そのまま空いた手でデスクの上の書類を漁り、反対側の手で煙草の箱を一揺すり。

 

 飛び出たフィルターを咥えながら、お目当てのクリップで纏められた書類を紙の山の中から引きずり出し、火を点けながら目を通す。

 

「よくもまぁ通ったと言うか、上の焦りも相当来てると言うか」

 

 書類に記された題名は『友好な魔族との共闘による人材不足の解消、及び世論に対する対応方針』。

 

 『友好な魔族』と言う単語自体がそもそも眉唾物である。

 

 例え現状を一気に好転させる方策だとしても、西条でさえ通るとははっきり言って思っていなかった。

 

 だが、それでも通ったのは、一重に実績を積んだ、有能であると評価されている西条を持ってしても未だに経済大国日本の除霊に食い込めていない背景がある。

 

 GS協会と民間GSが幅をきかすこの国で、しかし世界的にもトップレベルの経済水準を誇るこの国で、世界的機関であるオカルトGメンの評価が低い。

 

 それが、彼らには我慢がならない事であったのだ。

 

 勿論、裏では色々とあるのだろう。

 

 大きな金と権力があれば、そこには人の欲を吸い寄せる物が潜むのだから。

 

 とは言え、除霊のできる優秀な霊能者はこぞってGSとして活動したがるし、当然公務員である為給料の割に命懸けであるICPOに勤めようとする者は少ない。

 

 人材の確保が難しい以上、活動範囲と効率が制限されるのもまた事実。

 

 また、日本支部独自の即応可能な「強力な」霊能者の数を確保できない為、大規模な霊障に対しては非力に過ぎる。

 

 それらを一気に解決できるかもしれない方策――とは言え、それでも立ちはだかる不安要素。

 

 それが、魔族。

 

 人よりも強く、そして『悪』とされる存在達。

 

 しかし、コストパフォーマンスから言えばそれは非常に魅力的な策であった。

 

 言い方は悪いが、人が殉職すれば「それなり」の大金が掛かるし世論の批判は避けられない。

 

 だが、魔族が殉職しても、それは人に比べて遥かに小さな負担で済む。

 

 いかに善たる機関であろうとも、それは、事実。

 

 しかし、それはあくまでICPOから見た利点。

 

 魔族を雇うという以上、殆どの人間はマイナスの反応を示すのも当然。

 

 それもまた事実であり、それに対する対応策が――。

 

「確かに有効かもしれないけど・・・絶対彼の趣味だろう、コレ」

 

 一枚書類を捲り、そこに書かれた文字に眉を潜める。

 

 一際巨大なフォントで書かれたそれは、良い大人であると自負する西条からすれば溜め息混じりのものであった。

 

「『正義警察(ジャスティスポリス)・ガルレンジャー』ってのは正直どうかと思うよ、茂流田君」

 

 びっちりと書き込まれた書類の半分ほどが番組だの子供向け玩具の企画である。

 

 提出された書類の半分以上がそれである事に、西条は疲れたような溜め息を漏らした。

 

「まさか、上はコレが気に入ったんじゃないだろうな・・・」

 

 まさかなぁ、と笑いを噛み殺しながら煙草を吹かす西条。

 

 ――彼が知る事の無い事実は、きっと予想の斜め上を行っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「っと、そろそろ彼らを如何にかしなきゃいけないな・・・。とりあえず、令子ちゃんに連絡して、仮眠室の魔鈴君を起こして、二人で食事でもとってから、と」

 

 デスクから腰を下ろし、煙草の火を灰皿に落し、携帯電話のメモリーを操作しながら西条は歩き出す。

 

 妹分の反応と、妙齢の美女との朝食を楽しみにしつつ、鼻歌交じりに軽快な足取りでドアに向かう西条の背後で、灰皿からは消えそこねた煙草から立ち昇る紫煙が、ゆっくりと消えていった。

 

 魔鈴が手ずから作った朝食を腹に収め、食後のコーヒーまで啜って一息ついて、そこで留守番電話を聞いたらしい美神がおキヌを連れて駆け込んできた。

 

「お兄ちゃ――西条さん! あの馬鹿どこっ?!」

 

「み、美神さんっ! せめて櫛くらい通してからっ!」

 

 あちこちに飛び跳ねた美神の髪に後ろから櫛を通すおキヌ。

 

 息を荒げて詰め寄る妹分に人差し指を下に向けて答えてやる。

 

 相変わらず、動揺したり興奮したりすると昔の呼び方に変わるんだな、と何処か微笑ましくも思いつつ、疾風のように駆け抜けていった美神の背中と何度も頭を下げて走っていったおキヌを見送る西条に、魔鈴が呆然とした声音で話し掛けてきた。

 

「・・・今のは?」

 

「ああ、僕の妹みたいなもんとその妹分さ。それより、コーヒーのお代わり貰えるかな? 流石は魔鈴君のコーヒーだ、凄く美味しいよ」

 

「あら、おだてても何も出ませんよ?」

 

 何事も無かったように振舞う二人。

 

 満更でも無さそうな笑顔を浮かべた魔鈴がコーヒーの入った魔法瓶を持ち上げ傾ければ、湯気を上げながら西条のコップに中身が注がれる。

 

 鼻を擽る香りを楽しみながらお礼を言えば、彼女はとても嬉しそうな笑顔を浮かべてくれた。

 

 なんとも和やかな空気が辺りを満たし、二人の間にもそれなりに良い雰囲気が流れ始める。

 

 下から轟音と悲鳴、怒声が響き始めたが、ゆっくりと食後の一服を楽しむ二人の落ち着いた空気は小揺るぎもしなかった。

 

「で、どうしますか?」

 

「どうもこうも、魔族に限らず契約と言うものは・・・難しいからねぇ」

 

 柔らかな表情だけは互いに変わらぬまま、淡々と言葉を交わす。

 

 傍から見れば、それは若夫婦の朝の会話にも見える穏やかな風景。

 

 だが、二人の会話は中々に張り詰めた物である。

 

「しかも契約履行済みが2つ。で、未履行が1つと来たもんだ」

 

「契約の履行が済んでさえしまえば、後は如何とでもなりますからね。それこそ悪魔のように・・・どのようにでも」

 

 契約の内容を聞いたときにはあの半人狼のアホらしさと契約のとんでもなさに呆れた物だが、今思い返しても理解不能である。

 

 悪魔との契約、しかも魂まで賭けて叶える願いが嫁に膝枕に料理ときたものである。

 

 まぁ、西条も男であるからして全く分からない訳ではなかったが、それなら他に叶える方法が幾らでもありそうなものである。

 

 その証拠に、目の前の女性も同じことを思い出したのか、呆れを通り越して苦笑いさえ浮かべていた。

 

 天井を見上げて両手を広げた西条に、コーヒーのお代わりを勧めながら魔鈴が問う。

 

「性根は悪い娘じゃ無さそうでしたから、話せば分かってくれるとは思いますけど?」

 

「問題はわかってくれなかった時の事なんだがね。何せ――」

 

 コーヒーの勧めを手を軽く振って遠慮し、懐から煙草を取り出して軽く掲げて是非を問う。

 

 少し眉根を寄せて困ったような表情を作られたので、至極残念に思いながら再び煙草を引っ込めた。

 

「――食後の一服は中々乙なもんなんだけどねぇ。ま、ともかくだ。何せ、あちらさんが暴れ出したら手に負えないよ、多分」

 

「健康に悪いとあれほど言いましたのに。私と西条先輩、先程の妹さんと横島さん。コレだけ揃っていてもですか?」

 

「街中で、しかもオカGのオフィスで朝からドンパチやるのは如何なもんかなぁ・・・」

 

 韜晦しつつも相手戦力の未知ゆえに溜め息を付いて思考の海に潜り始めた西条を余所に、コーヒーカップを片付ける魔鈴。

 

 暫し水音が響き、蛇口が閉められる音と共に、魔鈴にとっては初めて聞く、西条にとっては訓練で、そして何時かの大規模霊障を建前にした実戦で聞いた笛の音が響いた。

 

 同時に窓から悪霊、浮遊霊を問わず霊達が雪崩れ込み、オフィスを突き抜けて階下へ向かって濁流の如く流れ込んで行く。

 

 呆気に取られた魔鈴に向かって肩を竦めて見せながら、西条は再び溜め息一つ。

 

「ま、今みたいに大騒ぎになる要素だけは山盛りだからね、彼女達は」

 

「・・・それなら、別アプローチしかないですね」

 

 額に当てた手の隙間から覗けた魔女の顔は、名案を思いついたとばかりに笑顔で輝いている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 大騒ぎの後、階下から上がってきたボロボロの忠夫と笛を握って膨れ面のおキヌ、そして睨み合う美神とルシオラを連れて車に乗り込む。

 

 流石に人数が多い為、オカルトGメンのマークがでかでかと入ったバンでとなったが、車の中はいやにギスギスしているようにも思えた。

 

 助手席から振り向けば、窓の外に顔を背けて必死に弁解する忠夫に全身で不満を表現しているおキヌと、その後部座席で未だに睨み合いながら口論を交わしている魔族とGSがいる。

 

 どうも忠夫を助けるつもりで笛を吹いたおキヌの目の前で、その助けられる筈の本人がルシオラを庇ったらしく、それがいたくご不満の様子である。

 

「だーかーらー、こいつもそんなに悪い奴じゃないって! 多分!」

 

「知りませんっ!」

 

 ぷくー、と膨れるおキヌは中々に微笑ましい物がある、と口元を押さえながら笑いを噛み殺す魔鈴。

 

 忠夫の必死さがさらに可笑しさを引き起こしているが、二人は助手席で笑いを堪えている魔女に気を回す余裕が無いようだ。

 

「うちの従業員の魂を持っていくですってぇ? ふざけないで欲しいわね! あれは私が雇ってるの! 私のモンなのっ!」

 

「あら、契約は契約よ。当事者でもないくせに口出ししないで欲しいわねっ!」

 

 こちらはと言えばとうとう額を擦り付けあっての視殺戦に突入している。

 

 やたらと危険な発言をしているようだが、本人は気付いているのかいないのか。

 

 とりあえずおキヌのご機嫌取りに必死な忠夫は気付いていないのが残念である。

 

 運転席の西条が心底苦しそうに肩を震わせながら笑いを堪えているのが視界の隅に引っかかる。

 

 薄く涙まで浮かべているところを見る限り、演技ではなく本気のようである。

 

「プッ・・・クッ・・・こ、こっちで良いのかい?」

 

「ええ、そこを右に行って、次の信号を左にお願いします」

 

 不謹慎だなぁ、とは思いつつも、頬が緩むのを押さえきれない魔鈴であった。

 

 一つ間違えば本気で魂を持って行かれるかも知れないというのに、後の緊張感の無さはなんだろうか、と思いつつも、魔鈴は何とかなるんじゃないかと思い込む事にした。

 

 そうでなければ、何となく損をしたような気になるからだ。

 

「あ、此処です」

 

 止まった車から一足先に降り、「KEEPOUT」と書かれた黄色いロープを潜ってその建物の前に立つ。

 

 観賞植物の植えられた鉢が幾つも玄関を彩り、「魔法料理魔鈴」と書かれたその建物には瀟洒な外見を裏切るかのように人一人が簡単に潜り抜けられそうなほどの穴が開いていた。

 

 溜め息を一つ付きながら開店が先になった事を憂いつつ、ぞろぞろと降りてきた訪問者達に気持ちを切り替え笑顔を向ける。

 

「いらっしゃいませ。魔法料理・魔鈴へようこそ――」

 

 指し示した指の先で、人気の無いレストランの、どう見ても自動ドアではないその扉がゆっくりと開いた。

 

「へぇ、なかなかお洒落なお店じゃない。・・・その穴が無ければ」

 

「昨日、そちらの方がいきなり壊された物ですから」

 

 全員の視線を集めたルシオラが、ちょっと気圧されたように一歩引く。

 

「ま、まぁそう言う事もあったわね。それより、ここで何をするつもりなのかしら? 騒ぎになると契約履行が難しくなるって言うから今まで付き合ったけど、此処まで来て何も無かったら力づくでも――」

 

 慌てて誤魔化すように言葉を並べたルシオラの気配が膨れ上がり、美神と西条に緊張が走る。

 

 忠夫はおキヌを後ろに庇いつつ、宥める為に目の前に回って両手を突き出して「どうどう」と馬でもないのに言ってみたり。

 

 そんな彼らを目にしつつ、魔鈴は営業スマイルを欠片も崩さぬままに言葉を紡いだ。

 

「あら、ここは料理を楽しむ所ですよ? お客様は横島さん、料理人は美神さん達と貴方。雇用者と契約者で決着を付けつつ、上手くいけば契約も履行できる。一石二鳥だと思いませんか?」

 

「・・・確かに、悪くないわね」

 

「貴方、何を言い出すのよ?!」

 

 満足げに余裕たっぷりの笑みを見せたルシオラを余所に魔鈴に詰め寄る美神。

 

 おキヌは焦ったように美神と魔鈴、西条、忠夫の間に視線を往復させ、忠夫は驚いたように魔鈴を見つめている。

 

 魔鈴は詰め寄る美神に顔を寄せ、そっとその耳元に囁いた。 

 

「あら、これは合理的に契約履行を不可能にするチャンスなんですよ?」

 

「・・・・・・・・・・・・成る程、言いたい事は分かるわ、でも――」

 

 訝しげに、本気かと目線で尋ねてくる美神に、魔鈴は笑顔で無言を貫く。

 

 できるでしょう、と言う意味を乗せた笑みだ。

 

 渋々と、それでもしっかりと頷いた美神はルシオラを睨み、忠夫の襟首を引き摺って開かれたままのドアを潜り、

 

「ちょっと待ちなぁっ!!」

 

「この声、まさか・・・メドーサぁっ?!」

 

 聞こえてきた声に振り向いた。

 

 声の先を振り仰げば、そこには何故か頭に木の枝を括り付けたメドーサが浮かんでいた。

 

 空を飛んでいるのでカモフラージュの意味が無いんじゃないのか、と忠夫以外の誰もが思ったが、本人がとても真面目なようなので突っ込めない。

 

 美神に襟首を掴まれたまま頷いていた忠夫は置いといて、すとん、と降り立ったメドーサが挑戦的に魔鈴と美神、ルシオラを睨む。

 

「その勝負、私も参加させな」

 

「と言うか僕はこれ以上の厄介事は勘弁だから彼女が家に帰って大人しくしておけば見なかったし何も聞かなかった事にするってのは駄目かなぁ横島君?」

 

「俺に言われてもなー。最近反抗期みたいで言う事聞きゃしないんすよ」

 

 頭を抱えて蹲った西条の、息継ぎ無しの非難の篭った声と視線から目を逸らしながら忠夫が言い訳をする。

 

 最近も何も、まだ数日しかたっていない娘が反抗期なのは最初から何ではないだろうか。

 

 ともあれ、これまた魔族――元、であるが――が人界に、しかも半人狼のGSと一緒に生活していると言う厄介事を通り越して頭痛がするような懸案を、しっかりと保護者と一緒に眠気を我慢して言い聞かせた苦労が水の泡となって蹲る西条であった。

 

「良いですよ」

 

「ふん、ほら、行くよ」

 

「・・・待ちなさい」

 

 むんず、と忠夫を掴まえていた美神から忠夫を奪ったメドーサが玄関のマットを踏み、しかし後ろに引っ張られて少し仰け反る。

 

 振り向いた先には忠夫の腹に神通棍を突き立てている美神の姿。

 

「どー言うつもりよ?」

 

「あんたにゃ関係無いだろ」

 

「ぐるじい・・・っ! ぐび、ぐびがぁぁっ?! 腹に穴がぁぁっ?!!」

 

 ぎりぎりと忠夫の襟首を引くメドーサ。

 

 持って行かれてたまるかとばかりに全体重を神通棍にかける美神

 にらみ合いの真下に居る忠夫は呼吸困難と内臓圧迫で顔色を白黒させている。

 

 今にも川を渡ってあっちに逝ってしまいそうな忠夫を救ったのは、顔を引き攣らせながらも二人の間に割り込んだ一人の少女。

 

「ま、まぁまぁ、美神さんもメドーサちゃんも、早く行きましょう?」

 

「「ちゃんっ?!」」

 

 言われたメドーサも聞いていた美神も、あまりの不似合いさに硬直する。

 

 いや、外見だけを取れば十分に当てはまる筈なのだが、以前の姿と掛けられた迷惑を鑑みるとかなり違和感を感じる物である。

 

 ともあれ、そんなおキヌの言葉に毒気を抜かれた二人は、何となく虚ろな視線を合わせた後、おもむろに二人で気絶した忠夫を引き摺って店の中へと入っていく。

 

 魔鈴はその後を小走りに追いかけるおキヌと、始まる前から疲れた様子の西条が玄関を潜るのを見届け、最後に腕を組んでこちらを見つめているルシオラに向かって手招きをした。

 

「・・・何を企んでいるのかしら?」

 

「企むだなんて人聞きの悪い。料理を作りたいって仰るから、場所を提供しただけですよ?」

 

 完璧な営業スマイルを浮かべた魔鈴の横を、不審そうな顔のルシオラが歩いてすれ違う。

 

 その背中が店の中に消えたのを確認し、魔鈴はその後ろをゆっくりと追いかけていった。

 

 全員を飲み込んだ扉が、開いた時と同様ゆっくりと閉まり、カウベルが心地良い音を立てる。

 

 その余韻が消えるよりも早く、窓の外から窺えた内部の者達の姿が掻き消えた。

 

 

「へぇ、こりゃまた懐かしい空気だねぇ」

 

「ここは・・・異界・・・?!」

 

 最後に入ってきた店主が指を鳴らせば、響きが消えると同時に店内の装いは一変する。

 

 それどころか、先程まで窓の外に見えていたオカルトGメンのバンも道路も、建物さえも姿を消していた。

 

 幻術でない事は霊能者達の霊感を刺激する、その空気が伝えている。

 

 人の住む地には無い、弱い存在を強い存在が踏みにじり、それを当然の事として肯定する雰囲気が肌を刺す。

 

 懐かしげに瞳を細めるメドーサの横で、驚愕に満ちた美神の視線が魔鈴に突き刺さった。

 

 しかし、魔女はその問いに微笑を返し、何処か得意そうに一本指を立てるのみ。

 

「東京は地価が高いですから、こうやって異界空間にチャンネルを作って自宅にしてるんです」

 

「ち、地価が高いってだけで? 無茶するわねー」

 

 呆れた声を上げる美神。

 

 確かに、そんな理由だけで、窓の外には髑髏の様にも見える模様が浮き出た山が見えたり、いかにも毒ですよ、と言わんばかりの泡を吹き上げる沼地があったりする場所に自宅を建てるものなどは居まい。

 

「・・・異界にしては、やけに魔界に近い気がするんだけどねぇ」

 

「ええ、そちらにもチャンネルが繋がっていますから。結構魔法薬のお得意様なんですよねー。まぁ、今回はそれが裏目に出ちゃったみたいですけど」

 

 ちらり、と視線を向ければ何時の間にか忠夫の隣に寄り添うように立つルシオラの姿が見えた。

 

 いきなりのチャンネル接続に、また知り合いの魔族が訓練でやり過ぎて部下か弟が怪我でもこさえたかと、急に治療薬が必要になったかと慌てて魔法薬を持ってこちらからも開いてみれば、飛び出てきた見知らぬ魔族が無理矢理に人界へのチャンネルを開いて飛び出していった。

 

 まさか魔鈴の自宅にしか繋がっていない上、殆ど知り合いしか知らないようなチャンネルに接続してくる存在が居たとは、ましてやそれが人界へのチャンネルを開くだけの知能と技術、そしてそのチャンネルの存在を知っているとは夢にも思わなかったとは言え、油断と言えば油断ではある、が。

 

 お陰で開店は延びるし睡眠不足になるし、と昨日は散々だった魔鈴である。

 

「ともあれ、料理試作用の調理場も食材もありますから、問題無し。さぁ、お三方」

 

 振り向いた魔鈴が再び指を鳴らせば、答えて白い煙を纏って湧き出る野菜や肉や魚やなんだかよく分からないけど食べ物かな、と言った数々の食材の山。

 

「頑張ってくださいね?」

 

 微笑と共に、魔鈴は告げる。

 

 言われた美神とルシオラ、メドーサの間で火花が散る。

 

 怯える忠夫は先程魔鈴が鳴らした指に答えて、食材と同時に出現した首輪と鎖に拘束済み。

 

 それを見ていた西条がやや腰を引き気味にしているものの、その更に向こうでは何やらおキヌがこっそり握りこぶしを作っていたり。

 

 ともあれ、睨み合っていた三人は、視線を同時に外すともはや互いを見ようともせずに食材の山に飛び掛っていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「さて、解説の魔鈴君。この状況、如何見るんだい?」

 

「そうですねぇ・・・」

 

 ぱっと見渡しただけでも三種三様の有り様である。

 

 美神はおキヌを引き連れ肉類の下拵え。

 

 メドーサは暫し食材の山を漁った後、満足が行く物が無かったらしく窓の外に広がる異界へと誰が止める間も無く、また止める気も無い間に飛び出して行った。

 

 ルシオラはと言えば、額のバイザーを降ろして果物やら果物らしき物やら果物に見えない事も無いものやら、果物の恐れがある物、もしかしたら果物かもしれないモノやらを、一つ一つ吟味している最中である。

 

「ちゅーか解いてください・・・」

 

 首輪を付けられたままの忠夫の抗議は無視された。

 

「美神さんとおキヌちゃんのペアは、流石に横島君との付き合いが長いだけの事はありますね。好物に一点集中、最効率で確実な手を打っているようです。それに、あの量を見る限りでは・・・」

 

「成る程、確かに肉類の中でも上質のものばかりを、しかも大量に調理する速度は目を見張るものがあるね。料理は――」

 

「腕の問題よっ!」

 

「そうかい」

 

 ニヤニヤと台詞を遮られながらも笑う西条に、やや頬を赤らめた美神が吼える。

 

 その後ろで笑いを噛み殺しているおキヌの態度辺りに答えはありそうではあるが。

 

 ともあれ、あっという間に煮込まれたり焼かれたりと食材を料理していく様は、確かな技術と錬度の裏付けを思わせる。

 

「先程飛び出していったメドーサ嬢はどうかな?」

 

「コメントのし様がありませんね。食材は十分に揃っている筈なんですけど・・・魔界の空気が流れ込んでいるせいでこの辺りの生態も変化していますから、慣れた食材でも探しに行ったんじゃないで――」

 

 窓の外から爆音が響いた

 

 断続的に続くメドーサの雄叫びと何かの咆哮。

 

 そして一際巨大な爆裂音。

 

 しかし何かも負けてはいないらしく、再び咆哮が響き渡り、大質量が地響きと共に魔鈴の自宅を揺るがした。

 

「――ええと、探しているようです。何を持ってくるのか、楽しみではあります」

 

「俺はそれを食べさせられるんっすけどっ?!」

 

「男なら黙って食べたまえ。それでは、最後のルシオラ君だけど・・・」

 

 素気無く断言した西条の視線の先で一つの黄色い林檎にそっくりな果実を選び出したルシオラが、今度はそれをまな板の上に置いて別の部屋へと向かって歩いていった。

 

 必死で暴れ出した忠夫に向かって放たれた埃が立つ事を嫌った美神の怒声を聞き流しながら、それを見送っていた魔鈴の顔が引き攣った。

 

 間も無くホクホク顔で戻って来たルシオラの手にあるそれを見た魔鈴が、解説と書かれたプレートごと白いテーブルクロスの掛けられた机を揺らして立ち上がる。

 

「そ、それはっ! 開店祝いの一杯に入れようと思っていた秘蔵の南極の氷、一万年物っ?!」

 

「あら、ここの食材しか使っちゃ駄目とは聞いてないわ」

 

「でも、でもー!」

 

 じたばたと子供のように両手を振る魔鈴に妖艶な笑みを返しながら、ルシオラは迷わずそれを鍋に突っ込んで火に掛けた。

 

 顔を蒼褪めさせた魔女の悲しげな悲鳴を背に、楽しげにそれが溶ける様を見つめるルシオラである。

 

「け、結構高かったのにぃぃ・・・」

 

「まぁまぁ、後で僕がポケットマネーで出しておくから。ちなみに幾らだい?」

 

 何処からとも無く突き出された電卓の数字は、迂闊にフォローをした西条の顔も蒼褪めさせる事となる。

 

 沈黙した――いや、るるるー、と涙を流す魔鈴と忠夫がテーブルクロスの上と床に氷と骨付き肉の絵を書く音だけが聞こえる実況席を余所に、魔鈴の自宅には軽快に包丁が踊る音と、くつくつと音を立てて鍋の中身が煮込まれる音、そしてルシオラの鼻歌と外から響く何か重いものを引き摺る音が響く。

 

 窓の外に吊るされた鳥篭で、お腹を空かせた小鳥が「キシャー」と虚しく一声鳴いた。

 

「経費で落ちるかなぁ…」

 

 公務員の声が、寂しく響いた。


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