月に吼える   作:maisen

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第四拾捌話。

「ふ、ぁあぁぁぁ~」

 

 満月を背景に、電信柱の上に腰掛けた女性が欠伸を一つ。

 

 奇妙な、露出が多いのか少ないのか微妙なラインの服を着た、一見してステージに立つマジシャンのような彼女は、頭部から突き出した二本の触覚を動かしながら足を組替える。

 

 眠たげな眼差しが見下ろす先には、先程声を掛けた直後から地面に胡座をかいて座り込んだ青年の姿がある。

 

 赤いバンダナを巻いた、青いジージャン、ジーパン姿の青年、忠夫は、彼女の視線を背中に受けながら、しかしそれを意に介さずひたすら腕を組んで唸るばかり。

 

「むぅぅぅぅ・・・嫁に来ないかっつーのは、この場合反則なのかっ? いやしかし、これはまたとないチャンスのような気もするっ! だがしかしそれは侍としてと言うよりも男として情けなくは無いかぁ・・・? むぅぅぅっ?!」

 

 頭を抱えた忠夫が、電信柱の上の女性を振り返る。

 

 軽く手を振りながら、微笑み返してくるその笑顔に思わず手を振り返しながら、しかし不図何かに気付いたように忠夫の動きが止まった。

 

「あの、お姉ーさん?」

 

「何?」

 

「もしかして、人間じゃなかったりします?」

 

 問われた女性は、一瞬きょとん、とした表情を作ると、何を今更と言わんばかりに首を縦に振って頭の触覚を指差した。

 

「ただの人間が、道具の力も借りずに空を飛んだりする訳が無いでしょう? 魔族ルシオラ、よろしくねー」

 

「・・・まぁ、そらそーですが。でも、なんでいきなり願い事を3つ叶えてくれるだなんて美味しいお話を?」

 

 ルシオラは二度目の自己紹介と共に振っていた手の動きを止め、人差し指を顎に当てると小首を傾げて渋い顔を作る。

 

 何かを思い出すようなその表情からは、困惑と少々の疲れが透けて見えた。

 

「私の創造者、って言うか主の命令なんだけどねー。『人界まで行って、珍しい魂でも集めてきてくれ』だって。いきなりそんな事言われても、とは思ったんだけど、あれでも一応私の親みたいなもんだし」

 

 そのまま愚痴愚痴と溜め息混じりに「主」とやらに対する不満を語り出したルシオラに言葉を頷きながら聞く忠夫。

 

 時折入る合いの手や簡単な質問。

 

 それに促され、流れるように語られるルシオラの言葉を要約すれば。

 

「あー、つまり、良く分からんと」

 

「そーよっ! 全く、アシュ父さん――っとと、アシュ様ったら、ちゃんと説明もせずに放り出すんだから酷いと思わないっ?!」

 

 何時の間にか電信柱の上から降りて忠夫の襟首を掴まんばかりの勢いで迫るルシオラに、忠夫はカクカクと頷く事で返事を返す。

 

 真近で見た魔族の女性の顔は、控えめに言っても大変魅力的であった。

 

 照れたように視線を逸らしながら頬を掻く忠夫の胸倉を掴み上げながらルシオラはひたすら愚痴り続け、漸く落ち着くまでには30分ほども時間が必要だったと言う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「はぁ~、すっきりした」

 

「そりゃようござんしたね」

 

 苦笑いを返す忠夫も、だが特に不満げな様子は無い。

 

 ころころと変わる彼女の表情を特等席で見物できた事で、彼もそれなり以上に楽しんだようである。

 

 よし、と気合の声を上げて立ったルシオラに手を引かれて立ち上がりながら、忠夫はその手の暖かさと柔らかさに少し感動を覚えていた。

 

「たっくさん愚痴を聞いてもらっちゃったから、私も頑張って願いを叶えてあげるわよっ!」

 

「・・・何でも?」

 

「何でも・・・とは言っても、願いを増やせとか、あんまり無茶な奴は却下だけどね」

 

 そう言って、どっからでも来い! とあんまり豊かではない胸を張る魔族の女性に、じゃあ、と半分以上冗談交じりで忠夫が言った。

 

 彼にとっては、無茶も良い所の願いであった。

 

 何せ、その願いの期限は――彼にとっては――数十年単位のお願いとなるのだから。

 

 まぁ、駄目元で言ってみるだけ言ってみようか、と、正直な所、そのときの彼はそう思っていたのだ。

 

「それじゃあ、嫁に来てくれんかーっ?! とか。だははははっ!!」

 

「良いわよ」

 

「だはははは・・・はぁっ?!」

 

 あっけらかんと、非常にあっさりと返った受諾の言葉に固まる忠夫。

 

 ふざけるなー、とか。

 

 もっと手順を踏んでから、とか。

 

 鼻で笑われる、とか。

 

 彼が予想していたリアクションを全て裏切る、はっきり言って予想の斜め上をマッハでかっとぶ答えであった。

 

 受諾の言葉を貰った筈の忠夫が、思わず驚愕で軽薄な誤魔化し笑いを咽に詰まらせるぐらいには。

 

「ま、マジですかっ?!」

 

「ええ。ちゃーんと、結婚とか言う制度も学習してるわよ。私達魔族にはあんまり関係無い話なんだけど、ね」

 

 その言葉の裏には一度部下が嫁に出て行き、その時に要らん苦労を背負い込んだ土偶の背中が見え隠れ。

 

 一度した苦労を二度も背負い込みたくないとばかりに、結婚だの家庭生活だのの相談相手に選ばれた――上司は頼りにならなかった――彼の苦労が偲ばれる。

 

「はい、貴方のお名前は?」

 

「え? うえっ? あの、横――犬飼忠夫っすっ?!」

 

 ふふ、と軽く微笑んだルシオラは、忠夫の首に両手を回して――

 

 

「犬飼ルシオラ・・・かぁ。ちょっと語呂は悪いけど、ま、良いか」

 

 

――そっと、忠夫にキスをした。

 

 

 ふむ、と言ってゆっくり離れたルシオラは、人差し指を唇に当てて、ほんの少しだけ恥ずかしそうに上目遣いで硬直したままの忠夫を覗き込む。

 

 がちがちに、石化したように動きを止めた忠夫は、十数秒の間を置いて拳を突き上げた。

 

「我が生涯に、いっっっっっっぺんの悔い無しぃぃぃぃぃっ!!!」

 

「きゃぁっ?!」

 

 驚いて尻餅をついたルシオラの前で、感涙に咽びながら天を仰いで叫ぶ忠夫。

 

 彼にとっては侍の誇りだとか男として反則じゃないかとか、そう言うなけなしの理性もぶっ飛ぶ快挙。

 

 だがしかし、先程まであれだけ懊悩していたのにあっさりと天に帰らんばかりに喜ぶ辺り、侍とか男とか言う以前に人としてどーなのか?

 

 尻餅を付いたまま、呆然と忠夫を見上げていたルシオラを勢い良く振り返る忠夫。

 

 視線が合ったルシオラは、思わずビクッと首を竦める。

 

 鼻息も荒く、目も血走った忠夫は、夜道で出会えば悲鳴を上げて逃げ出したくなるような迫力があった。

 

「よ、嫁さーんっ!!」

 

「きゃ、ちょっと、こらっ!!」

 

 がばぁーっ、と抱きついてきた――傍から見れば押し倒した以外の何物でもないが――忠夫に、慌てたルシオラの肘が何度も振り下ろされる。 

 

 しかし、興奮状態MAXハイテンションの忠夫は、その程度の攻撃では怯みもしない。

 

 しっかりと抱きつき、彼女の暖かさといい匂いを堪能し――そして、あれ? という感じで肘を振り上げているルシオラを見上げた。

 

「ルシオラって、魔族なんだよな?」

 

「え? え、ええ、そうよ」

 

 訝しげに首を捻りながら問う忠夫に、振り上げたままの肘の振り下ろし場所に迷いながらも返事する。

 

 しかし、納得いかないと言う表情の忠夫は、じっとそこを眺めて、そして再びルシオラを見上げた。

 

「嘘やぁっ!!」

 

「何がっ?!」

 

「俺の知ってる魔族のねーちゃんは、皆乳でかかったぞっ! 神族はあんまり無かったけどっ!!」

 

 無言で振り下ろされた肘の速度は音速を超えていたのではなかろーか。

 

 どこか遠い所で、角の生えた女性の背中の逆鱗が逆立ったりしたとか、その余波を感じたお猿の武神が慌てて飛び起き、手に入れたばかりのゲームを踏み砕いて泣き濡れたとか、この状況には全く関係が無い事なので置いておくとしよう。

 

 また、何処かのお城で龍族の王女が炎を背負いながら何かを決意したり、それを見ていた王が怯えて椅子の後ろに隠れたと言うのも置いておく。

 

 

「し、死ぬかと思った・・・」

 

「魔族の一撃を喰らって生きてる方が驚きだけどね・・・」

 

 今更、といえば今更であるが、ともかく思いっきり吹き飛んで電信柱を数本ブチ折り、つき当たりの家の塀を砕いた所で忠夫はボロ雑巾のようになるも5秒で復活。

 

 人狼がどーたらと言うよりも、既に骨の髄まで補正が掛かっているようにしか見えない体質である。

 

 瓦礫の山の中から這い出てきた忠夫の視界に写るのは、溜め息を付きながら目の前に立つルシオラの靴。

 

 見上げた先で、彼女は疲れた表情を隠そうともせずに手を差し出した。

 

「ほら。それで? 願いは後二つよ」

 

「ひ、一つ叶える度に死にそうになるとか無いよな?」

 

「自業自得でしょ」

 

 すぱ、と切り捨てた彼女に引き擦り出してもらいつつ、忠夫は感動の面持ちで身体を振るわせる。

 

 振り落とされた瓦礫の破片に顔を顰めながらも催促する彼女に、忠夫はごほん、と空咳を一つついて、何時に無く真面目な顔で残りの願いを告げた。

 

「ひひひひひ、膝枕と美味しい手料理が食べたいなぁっ!!」

 

「・・・そんなので良いの?」

 

 呆れた表情を浮かべるルシオラに、しかし忠夫は愕然とした顔で彼女の肩を掴んで前後に揺さぶる事でその思いを伝える。

 

「そんな事とはなんだぁっ?! 漢の夢を、浪漫をっ! 「そんな事」の一言で斬って捨てるなんて、神が許そうともこの忠夫が許しませんよっ?!」

 

「わか、分かったからっ!」

 

 血涙さえ流しながら迫る忠夫に気圧されたルシオラが、すとんと冷たいアスファルトに正座する。

 

 ぐい、と襟首を掴まれた忠夫の頭がそれに向かって落下し、軽い音を立てて受け止められた。

 

「ほら、これで良い?」

 

「・・・・・・・・・」

 

 しかし、念願の「嫁さんに膝枕」を達成したと言うのに忠夫の返事は返ってこない。

 

 ルシオラからは「その表情は見えない」が、文句を言う事も無く、さりとて満足げな言葉を発するでもなく。

 

 原因は、と聞かれれば――刺激が強すぎた、としか返せない。

 

 ルシオラの両太股の間に頭を置いた忠夫であるが、その向きが悪かった。

 

 普通の膝枕は太股に対し直角に頭を置くが、彼女の知識が足りなかったせいもあり、また正面から肩を揺さぶっていた、という状況のせいもあり。

 

 要するに、忠夫は太股に対し平行に、しかもうつ伏せで受け止められたのだ。

 

 直撃である。

 

 何を?

 

 色々だ。

 

「えっと、タダオ?」

 

 問い掛けたルシオラの太股に、生暖かい液体が滑る感触が走る。

 

 粘り気のあるそれを感じたルシオラが慌てて忠夫を引き起こせば、そこにあるのは白目を剥いて鼻血を大量に流れさせている青年の顔。

 

 明らかにヤバ気な状態でありながらも、どこか恍惚とした、しかし満足げな表情が窺える。

 

 驚いてその頭を投げ落としたルシオラの視界で、忠夫の頭が危険な音を立ててアスファルトに衝突した。

 

 そして、いよいよ痙攣を始めた忠夫の口から、なにやら白っぽいものが這いずり出てくる。

 

 それは見る間に何かをやり遂げた表情の忠夫へと変化し、ルシオラに手を振りながらゆっくりと上へと向かって昇り始めた。

 

『短い夢だったけど、俺、幸せでした・・・。人の夢って書いて儚いって読むんだよね・・・』

 

「こらぁぁっ! ちゃんと契約を果たして魂置いてから逝きなさーいっ!!」

 

 その尻尾?を握り引き止めるルシオラ。

 

 上の方では何やら巨大な鎌を素振りする、ローブを着たドクロ姿の何者かの姿。

 

 それを威嚇しながら口元に白っぽいそれを詰め込むルシオラ。

 

 魂を置いていったら逝くのは難しそうである。

 

 そして、願いを一つ叶える事に死にそうになっていくのは、気のせいではないようだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ふ、ふふふふふ・・・ま、まだまだぁぁぁ~」

 

「ほ、ほんとーにタフね・・・」

 

 口の中に無理矢理捻じ込まれただけで復活する忠夫を、タフの一言で片付けるのもどうか。

 

 ともあれ、色んな意味で今まででも最もピンチだった忠夫だが、ギリギリの所で踏みとどまった。

 

 それも、最後の願いの為。

 

 美人の嫁さんが作ってくれる美味しい手料理の為・・・っ!

 

 そう勢い込んで立ち上がった忠夫だが、ルシオラは戸惑ったように辺りを見回し溜め息を付く。

 

「・・・ここじゃ無理ね。何処か料理の作れるところは無いかしら?」

 

「んじゃ、俺の家で! ちょっと待っててくれ、直ぐ準備するからっ!」

 

 その言葉にすぐさま駆け出す忠夫。

 

 後ろでルシオラが片手を伸ばして引きとめようとしているにもかかわらず、その姿はあっという間に視界から消えて無くなった。

 

 所在無さげに降ろした手をプラプラとさせながら、ルシオラは薄く笑いを浮かべつつ飛び上がる。

 

 高くなった視界の先に、やけに古い、小さな地震でも崩れそうな建物の一室に駆け込んでいく忠夫の姿が写る。

 

 それを確認し、その扉に向かってゆっくりと移動を開始したルシオラの唇が弧を描いた。

 

「ふふふ・・・結婚もしてあげたし、膝枕もしてあげた。後は、料理を作ってあげるだけで魂はこっちの物・・・。簡単な命令だったわね」

 

 問題はあの異様なまでの耐久性だが、最後の晩餐に満足した所で肉体をチリ一つ残さず消し飛ばせば良いだけの事。

 

 そう考えながら、ルシオラはアパートに向かってゆっくりと飛んで行く。

 

 契約が結ばれた以上、その履行の為に目的の魂の位置は簡単に把握できる。

 

 魔族との契約は、そう甘いものではないという事を――

 

「――魂の底まで、教えてあげる」

 

 

 そう呟いたルシオラの目の前で、アパートの窓が吹き飛んだ。

 

「・・・はへ?」

 

 

「ただいまっ! そしておめでとう俺っ!」

 

「・・・脳に蛆でも涌いたかい?」

 

 扉を蹴り開けんばかりの勢いで帰宅した忠夫に向けられたのは、ちゃぶ台の上に皿を並べ、その前で箸を握って非常に不機嫌そうな顔でTVを眺めていたメドーサの声。

 

 その声を背中に受けつつ、忠夫は百合子が買い揃えてくれた調理器具を並べて行く。

 

 一通りチェックした後――百合子らしい完璧な品揃えではあったが――訝しげに眺めてくるメドーサの横を駆け抜け押入れを漁る。

 

「・・・何やってんだい」

 

「嫁さんが出来た飯を作ってくれるうわぁ何もねぇっ?!」

 

 どうやら空腹のメドーサが貯蔵していた食糧を全部処理してしまったらしい。

 

 慌てた忠夫は何とか食材の確保を、となけなしの現金が入った財布を手に駆け出そうとした。

 

 が、目の前に箸が弾丸のように突き刺さった事で無理矢理停止させられる。

 

 驚いて箸が飛んで来た方向をゆっくりと向けば、そこには何故か怒り心頭といった様子で刺叉を構える犬飼家の長女?の姿。

 

 びしばしと感じる殺気が否応無しに冷や汗を呼び起こし、真っ青な顔の忠夫が何事かを言う前に。

 

「説明しな」

 

 薄い壁を抉りながら、忠夫の首を挟むように刺叉の先が突き立てられる。

 

「いや、嫁さんが出来たんだよっ! ちと胸はねーけど、結構美人で魔族の――」

 

「なぁにぃっ?!」

 

「いだだだだぁぁっ?!」

 

 思わず前に突っかけたメドーサに押されて刺叉がさらに壁に食い込み、その隙間で挟まれていた忠夫が悲鳴を上げる。

 

 しかしメドーサは止まらない。

 

 それでも少し慌てた様子で刺叉を離し、必死に刺叉を掴んで脱出しようとしている忠夫の頭を両手で掴み、殺気を全開に尋問する。

 

「こ、この馬鹿っ! まさか妙な契約でも結んだんじゃないだろうねっ?!」

 

「うっ! ばれたっ?! でも何でっ?!」

 

「そうでもしなきゃ、あんたみたいな変なのに嫁が来る訳無いだろうがぁっ!!」

 

「そりゃ幾らなんでも言い過ぎだあんぎゃぁぁぁっ?!」

 

 怒り任せに繰り出されたメドーサの左フックが忠夫のレバーを抉り、悲鳴を上げながらすっ飛んで行く忠夫。

 

 吹き飛んだ先は、窓だった。

 

 窓枠ごと粉砕しながら水平に飛行させられた忠夫は、そのまま暫く滞空した後、おもむろに落下していった。

 

「何でじゃぁぁぁっ?!」

 

「うっさいっ! 死ねっ!!」

 

 綺麗に人型の穴を開けた忠夫が、しかしむくりと起き上がり抗議する。

 

 その上から雨霰と降り注ぐ家財道具に調理道具の数々。

 

 ちゃぶ台の直撃を受けて仰け反った所にTVが直撃し、さらに追加で包丁やら鍋やらが落ちてきて。

 

 暫しの後、壊れた窓から息を荒げて下を睨むメドーサと、ごちゃごちゃとした色々な物の下に潰れて埋もれる忠夫の姿があった。

 

「ちっ! 人の獲物に手を出すとは、礼儀を知らない奴だねぇっ!!」

 

「――タダオっ!! なんでまた死にかけてるのよっ!!」

 

 忌々しげに吐き捨てたメドーサの視界に、上から忠夫の埋もれた場所に向かって降り立つ女性が見えた。

 

 眼下で忠夫を引きずり出し、契約履行前に死んでは元も子もないからとは言っても甲斐甲斐しく手当てをするその姿が――非常に癪に障る。

 

 再び刺叉をその手に握ったメドーサは、気合の声を上げながら、忠夫を抱えたその魔族の女性に向かって飛び掛った。

 

「っ?! いきなり何よっ!」

 

「貴様ぁっ! 気安く人の獲物に手を出すんじゃない、よっ!!」

 

「お、俺を盾にするんじゃねぇぇぇ」

 

 振り下ろされた刺叉の柄を顔面にめり込ませた忠夫が言った言葉は綺麗に無視され、そのまま横に投げ捨てられる。

 

 ごろんと冷たい地面に転がった忠夫を挟んで睨み合う、メドーサとルシオラ。

 

「・・・あら、獲物も何も、契約を結んだのは彼の意思よ?」

 

 メドーサの額に青筋が浮かび、ちらりと一瞬だけ忠夫を睨み付けると思いっきり踏んだ。

 

 足の下で忠夫が車に踏みつぶされた蛙のような状態で悲鳴を上げているが、無視。

 

「仁義を知らないガキが、その程度で――」

 

 と、言ってルシオラと合わさっていた視点を僅かに下にずらす。

 

 そして、暫しそこを見つめた後、おもむろに鼻で笑って胸を張った。

 

「なっ、あんまり変わらないくせにっ!」

 

「私はまだ成長の余地があるからねぇ・・・。それに、未来も約束されてるのさ」

 

 そうだろう? と忠夫を踏みつけた足を少し上げれば、何故かあっさりと平気そうに顔を上げた忠夫が重々しく頷いた。

 

 その頭を、今度はメドーサと同じく額に青筋を浮かべたルシオラが踏みつける。

 

「それがどうしたって言うのよっ!」

 

「いやはや・・・契約相手を満足させてあげられないなんて、近頃の魔族の質も落ちたもんだ、と思っただけさ」

 

「横から相手かっ攫われた間抜けが言う台詞かしらぁっ?!」

 

「「・・・」」

 

「「ふぬぬぬぬぅぅぅっ?!」」

 

 額を擦りあいながら睨み合う二人の足元では、二本の足に踏みつけられたままの忠夫がそろそろ痙攣を始めている。

 

 だが、膠着状態は邪魔者の介入によって壊される。

 

「――あー、少し良いかな?」

 

「何だっ?!」

「何よっ?!」

 

 聞こえた男性の声に二人が視線だけで殺せそうなほどの目を向ける。

 

 それに少々腰を引かせながら現れたのは、長髪を背中に流した、高級スーツに似合わない拳銃と西洋風の剣を持った一人の男。

 

 オカルトGメンに勤めるエリート、美神令子の兄のような存在である、西条輝彦が、なんとも困ったような表情で立っていた。

 

 その背後にはICPOと書かれた盾を構え、隊列の隙間からおそらく銀の銃弾が篭められているであろうライフルを構えた隊員達の姿もある。

 

「・・・今度は何をやらかしたんだい? 横島君」

 

「・・・お、俺にも何が何だか」

 

「ともあれ、全員、これ以上騒がないでくれ。全く、人が寝る間も惜しんで探し回っていた相手が、何でよりにもよって令子ちゃんの所の横島君といるんだか」

 

 疲れたように、いや、本当に疲れているのだろう。

 

 何時も綺麗に糊の効いているスーツには走り回ったせいだろうか、若干皺が目立つようになっているし、その顎にも僅かに無精髭が見て取れる。

 

 何より、その目の下には少しだけ隈が浮かんでいた。

 

 後方で緊張しながら銃を構えていた、魔族とのドンパチの可能性も考えられた為、市内であるにもかかわらず重装備の隊員達に厳重な緘口令を敷いた後、撤収するように伝えた西条は剣と拳銃を収めて代わりに懐から何やら筒のようなものを取り出した。

 

 訝しげに眺める二人の女性の前で、それを天に向けスイッチを押す。

 

 その筒先から放たれた弾丸は高く舞い上がり、上空で緑色に輝いた。

 

「ま、トラブル体質とは言え横島君が関っている限り、結局なるようになるんだろうけどね」

 

 諦めたような西条の呟きが深夜の闇に消えていく。

 

 その余韻が完全に飲み込まれ、上空で輝いていた緑色の光が消えると同時に、一陣の風が舞い降りた。

 

「――西条先輩っ!!」

 

「ああ、魔鈴君。目標発見、どうやらもう十分厄介な事になっているようだけど・・・」

 

 西条の視線の先には、魔女が居た。

 

 三角帽子に足元まで隠す黒いローブ。

 

 履いているブーツに地面を蹴らせながら、箒を担いで駆けて来る魔鈴と呼ばれた女性は。

 

「こんばんは、僕横島忠夫でっすっ! 嫁に来ないかーっ?! って、あれ?」

 

「きゃぁっ?!」

 

「早速浮気っ?! お仕置きお仕置きーっ!!」

 

「少しはその迂闊さをどうにかしなぁっ!!」

 

「違うんやぁーっ! 体が、体が勝手に動いたんやぁーっ!!」

 

「な、何なんですかこの状況はっ?!」

 

 いきなり自己紹介をしながら飛び掛ってきた青年が目の前でタコ殴りされていくのを見て、思わず西条の背後に隠れていた。

 

 何処か嬉々としながら土偶仕込みの、だがいつかは使いたいと思っていながらも使用する事は無いだろうと残念に思っていた「もしもの時の48の必殺技:こんな事もあろうかと~浮気編~」を叩き込むルシオラと、彼女と一緒に何故か凄まじいコンビネーションで攻め立てるメドーサに揉みくちゃにされる忠夫を見ながら、西条は今夜最後の溜め息を付いた。

 

 何度も何度も繰り返したせいで、骨の髄まで求婚が染み付いてしまったらしい忠夫は、素晴らしい速度で子供が見てはいけないものに変わりつつある。

 

「・・・訂正。彼が絡むと厄介事が加速する傾向にあるようだね?」

 

「あさっての方角を眺めないで下さいっ!」

 

「あー、今日も良い月だ」

 

「西条先輩ぃぃぃっ!!」

 

 

 魔女の悲鳴が木霊する。

 

 確かに、今宵の満月は、眼下の騒ぎも知らぬげに、煌々と鮮やかに輝いていた。

 


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