月に吼える   作:maisen

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明日お休みします( ´・ω・`)


第四拾参話。

「あ、あの、どうされたんですか?」

 

「良いのよー。大丈夫大丈夫」

 

 恐る恐る、と言う言葉がこれほどピッタリくる態度も無いだろう。

 

 安っぽいちゃぶ台の上に音も立てずに湯飲みを置いて、ゆっくりと立ち上がった妙齢の女性に、その雰囲気に仰け反りながら小鳩が問う。

 

 その女性は、声音と表情だけは柔らかく、しかし額に青筋、背後に阿修羅を背負いながら軽い言葉で何の保証にもならない大丈夫を繰り返すだけ。

 

 部屋の隅で元貧乏神、現在は一応は福の神が怯えてカタカタと震えているのは気のせいではない。

 

 むしろ、小鳩もそちらに行って一緒に膝を抱えて居たいくらいである。

 

「ででででも、あの、そのっ、お茶のお代わりとか!」

 

「ご馳走様、本当に美味しかったわ。きっと良いお嫁さんに成れるわね」

 

 取り付く島も無い。

 

 立ち上がった彼女は、青褪めて必死で時間稼ぎをしようとしている小鳩の頭を一度撫で、そのまま振り返りもせずに玄関の靴に爪先を通す。

 

 そのまま、小鳩の伸ばした腕もそのままに――何故かボロボロの、開けようとすれば軋む音が必ず出るドアを無音で開けて、全く音を立てずに隣の部屋へと向かっていった。

 

 何時の間にか、隣の部屋から響いていた喧騒が消えていたのに気付いたのは、その瞬間。

 

 小鳩は、ゆっくりと伸ばした手を下ろして、胸の前に掻き抱いた。

 

 その肩を未だ緊張で固まったままのぎこちない笑顔で叩く、貧乏神。

 

「貧ちゃん・・・私、私頑張ったよね?」

 

「ああ、ああ・・・! 小鳩は、小鳩はよーやった! 後はあいつ次第や!」

 

 縋りつくように抱きついてきた、涙目の小鳩を抱きとめながら。

 

 貧乏神の瞳にも、また、涙。

 

「・・・ま、アカンとは思うが」

 

「・・・うん」

 

 2人の視線が行く先は、隣人にして滅多に帰ってこない彼女の想い人、壁一枚隔てた横島忠夫のねぐらである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 たまたま学校から帰ってきた小鳩が、忠夫の部屋の前で腕を組んでドアを睨みつけていたその女性に声をかけ、それが忠夫の母――戸籍上は、であるが――と知り、帰ってくるまでお茶でも、と誘ったのが悪かったのか。

 

 それとも、学校に行って居る時間や此処に帰ってくることが殆ど無く、むしろ出かけている時間の方が多いと正直に答えてしまったのが悪かったのか。

 

 むしろ、かなり気合を入れてこんな時間までおもてなししたのが悪いのか。

 

 その上、何でこんな時に限って、と言わんばかりの最悪のタイミングで、色々な事を話して彼女が修羅を背負ったその瞬間に、隣の部屋から喧騒を響かせた彼が悪いのか。

 

 ともあれ、小鳩の「逃げてー!」と言う心の叫びは届かなかったらしい。

 

 あの鬼気を発しまくっている女傑の前で、それを口から出すのは無理だったし。

 

「貧ちゃん・・・」

 

「な、なんや小鳩?」

 

 しかし、だからと言って心配な気持ちが薄れる訳も無く。

 

「ちょっと、見てきて?」

 

「小鳩ー?!」

 

 何と言うか、極寒の吹雪が壁の向こう側から吹き始めているので偵察要員を出してみる事にしました。

 

「ほら、窓の外からだったら全部見えるでしょ?」

 

 確かにこの狭いボロアパート、窓の外からならばその内部をほぼ全て見渡す事は不可能ではない。

 

 精々、玄関とその近くにあるトイレが見えない程度であろうから、彼女が期待しているシーンを覗いて来る事は十分に可能であろうし、玄関から侵入するよりは確実である。

 

 先程の、忠夫の母と名乗った女性の放つ鬼気を考慮の外に入れれば、の話であるが。

 

「大丈夫・・・私の家族の貧ちゃんなら、きっとやれるわっ!」

 

「こ、小鳩、そこまでワイの事を信頼してくれるのか・・・。よ、よしっ! 小鳩の為なら一肌でも二肌でも脱いだるわいっ!!」

 

 言っておくが、きらきらと輝く瞳で貧乏神を見上げている彼女には一欠けらの悪意も無い。

 

 ただ、隣に住んでいる滅多に帰ってくることの無い青年の事が心配なだけである。

 

 だからこそ、彼女は真摯に頼んでいるのだ。

 

 これで奮い立たなければ男ではない。

 

 故に、貧乏神は震える膝をぎちぎちと音さえ立てながら伸ばし、己の頬を気合を入れるように叩くと迷わず花戸家の窓から飛び出したのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――メドーサ、逃げるぞ」

 

「はぁ?」

 

 頭部からだくだくと流血しながら、先程までの悲鳴も涙も鼻水も、そして情けなさの極致といえる表情も消した忠夫は、非常に緊張した面持ちで玄関を凝視していた。

 

 その雰囲気に、思わず噛み付いていた頭を放したメドーサが疑問の声を投げかける。

 

 とは言え背中にぺたりとくっ付いたその姿勢は、誰が何と言おうと特定の人々(一部人外も含む)に目撃されれば吼えるか泣くか撃たれるか殴られるか斬られるか、な光景ではある。

 

「俺の本能が告げている・・・。今、俺はライブでピンチが絶賛好評発売中だ・・・!」

 

「・・・意味不明だねぇ。齧り過ぎてなんか切れたか?」

 

「良いから早く! 玄関・・・はヤバイっ! 窓から――」

 

 狭い空間に、轟音が鳴り響く。

 

 落雷が至近に落ちたようにさえ聞こえるその音は、最早扉としての役を果たさなくなって立てかけられていただけのドアの断末魔。

 

 障子に隔てられていて見えはしないが、既に脅威は直ぐ其処に存在しているようだ。

 

 とっとと修理しようと思っていたのに、完全に粉砕されてしまったので新しいのでも作ろうか、と一瞬現実逃避しかけたが、即座に意識を逃亡へと収束させる。

 

 先ず、脱出経路の確保を、と窓に向かって一歩を踏み出し――次の瞬間に目の前を掠めて飛んでいった鋼の刃に足止めされた。

 

 忠夫の目には、そのナイフの表面に写った血の気の完全に引いた自分の顔さえ見えたと言う。

 

 それは重々しい音を立てて突き刺さり、窓からそっと半分だけ顔を出そうとしていた貧乏神の鼻の先端をちくりと突き刺して漸く止まる。

 

 白目をむいた彼が、窓の下で生々しい音を立てたが誰も気にしてはいられない。

 

「・・・何が起きてるんだい?」

 

「とりあえず、滅茶苦茶怒ってるみたいだから・・・死んだかもしれん、俺」

 

 青から白、そして土気色へと顔色を変えていた忠夫だったが、現状をとりあえず把握する。

 

 窓からの脱出は・・・と言うか、逃げ出すのは止めておいた方が良いだろう。

 

 初めて実母の実家で出会ってから早幾年。

 

 その後も何度となくわざわざ人狼の里まで訪ねて来ては、母と共に面倒を見てくれた女傑である。

 

 忠夫は知らねど自分の夫に対し実家に帰ると見せかけて、フェイントかまして姉の所に宿泊していたと言う裏話があったりする。

 

 その度に実家を訪問――と言うよりスニーキングした――その夫が、結構な割合で実家に迷惑をかけてたりする、と言うのも此処では関係の無い話である。

 

 小さい頃から何度かお世話になっており、何がしか――主に彼女の夫に唆されてだが――の悪い事をやった後、逃げたら折檻が十割増しになると言うことは身をもって体験している。

 

 ならば、とりあえずやる事は。

 

「ちょっ、こらっ!」

 

「黙ってろっ! 良いか、絶対開けるなよ?!」

 

 すたんっ、と押入れの襖を開き、小脇に抱えたメドーサを放り込む。

 

 そのまますぱんっ、と襖を閉め、今この瞬間も迫りつつある脅威に対し、最善の体勢を取る・・・!

 

 

 玄関と部屋を僅かに隔てていた最後の砦が、ドアを蹴り飛ばされても、ナイフで骨組みに罅を入れながらも健気に耐えていた障子が、開かれた勢いで粉砕された。

 

「なんか知らんがすんませんっしたぁっ!!」

 

 ――完璧だ。

 

 完璧なまでの、土下座。

 

 そう、怒れる魔神様に対して最も効果的(彼女の夫の体験談)であった土下座を受け継ぎ、尚且つその後の様々な経験で磨かれた土下座。

 

 忠夫の人生の中で、最も見事な土下座であった。

 

 まさにキングオブ土下座。

 

 土下座・オブ・土下座ズ。

 

 目の前に立った気配が僅かに足を止め、考えるように腕を組んだのが感じられた。

 

 此処で、最後のもう一押し・・・!

 

「あ、相変わらずお若いっすね、百合子おばさ「おばさんって言うなゆーてるやろうがぁっ!!」ぎゃいーんっ!!」

 

 肩甲骨の間を踵で完全に踏み潰され、反省の色を感じたのか少々殺気を収めていた彼女は再び猛り狂う。

 

 どうやらちゃんと靴を脱いで上がってきたらしく、ハイヒールでなかったのが不幸中の幸いだろう。

 

 何はともあれ、一応忠夫の母と同じくお嬢様と呼ばれる人種の筈の、育ちのよさに心から感謝の念を捧げながら。

 

「こんの馬鹿甥はっ!」

 

「ゆ、百合子さん、いらっさーい・・・」

 

 忠夫の母の妹、忠夫の偽装した戸籍上の母、横島百合子である。

 

 

「・・・ふーん」

 

 百合子の視線が、狭い部屋の中を縦横無尽に駆け巡る。

 

 最初に止まったのは押入れの襖、明らかに歳若い女性の物であろう細い指が、只でさえボロボロのそれを音も無く突き破ってまたその奥に戻っていく。

 

 次に向いたのが、窓の外。

 

 微妙に赤いナニカを付着させた小柄な手が、重力に必死で逆らってプルプルと振るえながら窓枠に指を引っ掛けている。

 

 部屋の隅には乱雑に畳んで・・・と言うよりも、ぎりぎり分類されていると言えない事も無い状態でジージャン、ジーパン、Tシャツに下着類が積み重なっていた。

 

 そして、よくよく見ればその一番下に、あまり着られた様子の無い黒くて厚手の学生服の袖が見えていたり。

 

 未だに踏まれ続け、呻き声を上げている忠夫の背中から足をどけ、ゆっくりとその袖の埋まる服の山に近づいて行く。

 

 酸素を貪りながら起き上がった忠夫の目に写ったのは、今まさにその小山の最下層部から引きずり出された「学生服」であった。

 

「・・・へぇ?」

 

 だらだらだらららら。

 

 最早、体中の水分を垂れ流しているのではないかと思われるほどの冷や汗に包まれながら、忠夫の尻尾は完全に丸められている。

 

 背中しか見えないが、学生服を摘み上げている彼女の、その背中には鬼が居た。

 

「どう言う事か、説明してみなさい」

 

「はっ! 本日半刻程前に本宅に帰還仕りました拙者は、てれびを視聴しつつ本日の夕餉を食さんとし、新鮮なる山の幸を捌こうと致しましたが故に大変騒々しく、つきましてはこれより本宅を出仕いたした後に周辺住民の皆々様にたいし奉りながら謝意の証としまして三回回って美人のおねーさんはいねがー!「お黙り」はい」

 

 説明を命じておきながらそりゃ無いよ、と忠夫は思うものの、誤魔化すつもりかそれすら不可能なのか、ただ単に己の混乱を吐き出した彼にぶつけられたのは圧力が増した鬼気であった。

 

 正座のまま、カタカタと震える忠夫の目の前で、ゆっくりと振り向いた百合子は黙って忠夫の耳、狼の物ではないそれを摘むと力一杯抓り上げる。

 

「・・・・・・」

 

「痛い痛いいだだだだぁぁっ?! 黙って抓らんといてー!」

 

「千切るからね」

 

「だからってそんな物騒な事言うのは止めてー!」

 

「ガタガタぬかすんじゃないわよ、この馬鹿甥っこ!!」

 

「んぎゃー!!」

 

 忠夫の耳を引っ張りながらも、百合子の意識の半分は別の所に向けられている。

 

 悲鳴を上げる忠夫の向こう側、扉の辺りでちらちらとこちらを伺う、隠れているつもりでも三つ編みがちょこんと見えている少女と、襖に体重をかけてしまって、しかしそれに気付いていない押入れの中の誰かに。

 

 そして、地面に落ちて悶えている貧乏神と、更に窓の外の――誰か。

 

「・・・ふぅ。場所変えるわよ」

 

「え? あいだだだあああっ?!」

 

 溜め息を一つ突いた百合子は、忠夫の耳を掴んだまま玄関に向かって歩き出した。

 

 上の方向から斜め後ろに痛みの向きが変わった為、抵抗も出来ずに引き摺られていく半人狼の青年の悲鳴を耳にしながら。

 

 このまま此処に居ては、何がしかの余計な雑事が増えると判断しての事だが、とりあえず何故か周囲の存在を引き付けてはいるようである甥の姿に、何処となく夫の姿をダブらせてしまったのは不安と言うかその要素があると言うか。

 

 とりあえず、ことさらゆっくりと玄関に向かう間に廊下を隣の部屋に駆け込んでいった足音一つ、軋む音を立てなくなった襖が一枚。

 

 何時の間にか消えた窓枠の向こうの小さな手と、そして。

 

「・・・よい、しょっと」

 

 懐をごそごそと漁り、小さな飴玉を一つ取り出し、背後も見ずに背中側の窓枠の向こうにそれを親指で弾いて放り投げる。

 

 それが空中で何かにぶつかり、次の瞬間にはその姿を消した事に気付いた者は、百合子を除いて、居ない。

 

「ほら、さっさと歩く!」

 

「なら離してぇぇぇっ!!」

 

 悲鳴が段々と離れて行き、完全に聞こえなくなった頃。

 

 小鳩が恐る恐る忠夫の部屋を覗き込む。

 

 誰も居ない。

 

 開いた窓と、閉められた押入れの襖。

 

 乱雑に放り投げられたと思しき衣服と電源の入っていないTV、敷きっ放しの為薄っぺらになってしまっている布団、それ以外に何も無いが故に生活感の薄いその部屋を一瞥すると、聞こえたと思った少女の声の発生源が居ない事に首を傾げ、それでも小鳩は忠夫の無事を祈りつつ、貧乏神を回収する為に小走りで駆け出していった。

 

 そして、彼女が消えたその後で、窓の向こうの足場も何も無い空中に、じわりと溶け出すようにして、マリアの娘の1人、シータがその迷彩を解いて現れる。

 

 手の平でコロコロと飴玉を転がしながら、何故気付かれたのだろうか、と心底不思議そうに首を捻っていた。

 

 病院を抜け出すであろう事が簡単に予想できた為にマリアが付けた監視員――幾ら半人狼とは言え、病み上がりなのだから――だったのだが、それ程心配する事も無く無事に帰宅した忠夫。

 

 そして、その部屋の中にいたメドーサ。

 

 勿論、これらの観測データは保存済みである、が。

 

「脅威判定・A+。早急に・母へと・伝達する・要・有り」

 

 ロケットを噴かして、夜空へと駆け上がる。

 

 無論、色々な意味で脅威だからだ。

 

 ちなみにメドーサは。

 

「くぅ。すぴー」

 

 騒がしいのが居なくなったので、疲れを癒す為に睡眠に入っていたり。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「家族連れの会話で賑わうファミリーレストラン・・・次はこれも良いかも知れんな」

 

「店長ー。本当に雇うんですかー?」

 

「何故君はそんなにやる気が無いのだろうか・・・?」

 

 がやがやと、騒がしいながらも微笑ましさの方が上回る。

 

 所々からは小さな子供達の嬉しそうな声が聞こえ、キビキビと動き回る店員達が店内を所狭しと駆け回る。

 

 そんな街中の、価格も質も量も手頃、としか表現しようの無い、何処にでもあるファミリーレストランの角席で、髭を生やした壮年の男性と、その隣で砂糖とミルクを多めに垂らしたコーヒーをやる気なさげに啜る青年と、そんな2人の前に1枚の紙を置いて静かにストレートの紅茶を飲んでいる若い女性の姿がある。

 

 紙に書かれている簡単なプロフィールと、貼り付けられた1枚の胸から上の写真。

 

 それは、一般的には履歴書と呼ばれる物である。

 

「・・・いや、だってまだ次の店何やるかも決まってないのにウエイトレスを雇う必要性がわからないでしょうが」

 

「人手は何時でも居る物だろう? それに、看板娘がいればお客さんも増える」

 

「・・・そうなのか?」

 

「そうなのだ」

 

 小首を傾げる女性の態度は、高い身長とかなりのプロポーション、ポニーテールに纏められた、さらりと音さえ立てそうな程綺麗な長髪、それなり以上に整った、だがあまり表情の浮かばない顔に比べて幼くも見える。

 

 だが、しっかと頷いた店長と呼ばれた男性の態度に、少しだけ嬉しそうな色を浮かべながら照れ隠しに紅茶を一口。

 

「だから止めとけってばさー、姉さんはー」

 

「いい加減姉と呼ぶのは止めろと何度言ったら分かる」

 

「しょーが無いじゃん、染み付いたような物だしさー」

 

 だが、対照的に青年の方は何処までもやる気なさげである。

 

 そもそも、給料はかなり良いが店長の道楽に付き合え無ければ雇わない、と言うこの条件に、何故か小さい頃からの知り合いが応募したと言うのが納得いかないのだ。

 

 それ以外にも色々とあるようではあるが、ここでは割愛しておこう。

 

「ま、こちらとしては文句無し。後は此処に判子だけ貰えるかな」

 

「拇印で良いか?」

 

「だから――」

 

 その瞬間、3人の間に緊張が走る。

 

「む」

 

「あ、ヤバ」

 

「・・・ほう、こっちはともかく、そちらも分かる、か」

 

「ともかくって・・・まぁ、俺も伊達に酔狂に付き合ってませんけどね、なんで姉さんが分かるのさ」

 

「何となく」

 

 がた、と音を立てて席を立つ3人。

 

 店長が素早く伝票を取り、真っ先にレジに向かって歩き出す。

 

 その後を追いかけるようにして二人の男女が付いて行く。

 

 そのまま手早く会計を済ますと、母とその息子だろうか、耳を引っ張りながら入店してきた二人連れとすれ違いに脱出した。

 

「で、給料だが・・・」

 

「幾らでも構わん」

 

 夜風を切って、店長と新人ウエイトレスが先を行く。

 

 青年は、自動販売機に硬貨を入れて何やら飲み物でも購入しているようだ。

 

「良いのかね?」

 

「ああ」

 

 さっさと商品を取り出し、後方から追いかけてくる青年を視界の隅に収めながら、女性は僅かに頬を緩めて続きを言った。

 

「――もう、逃がす気は無いからな」

 

「・・・やれやれ。果報者め」

 

「どれにしますー?」

 

 交わされた会話も知らず、能天気に声をかけてくる店員に苦笑いを送りながら。

 

 差し出された安い、だが暖かい緑茶の缶を開ける。

 

「お茶とコーヒー? 私の事が嫌いか?」

 

「何でそうなるのかが心底分かんねぇ・・・!」

 

 

「――ふぅ。一途と唐変木はどっちが勝つか」

 

 

 小さく呟き、喉を湿らせた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ほのぼのとした雰囲気で満たされていた店内は、その2人の客が座った瞬間から別の何かに変わろうとしていた。

 

 子供は泣き出し、大人は背筋に悪寒を感じ、幸せそうなカップルは寒さを感じてよりそい、更に幸せそうに・・・一部、例外を含む。

 

「ええと、その、仕事とご飯の確保にかまけておりまして・・・」

 

「それで、時々学校に行くのを忘れていた、と」

 

 伝票を握り締め、レジに殺到するお客達。

 

 店員も背中に嫌な汗を流しながら、しかしプロ根性を遺憾なく発揮して笑顔を崩さず対応をする。

 

「わは、わはははは・・・」

 

 誤魔化すように頭を掻きながら笑う忠夫の目の前で、しかし店員が置いていった水にもメニューにも手を付けていない百合子の顔は動かない。

 

 まさに、鉄仮面。

 

 背後にロビ○マス○が見えるようだ。

 

 と、その隣にコーホーと呼吸をしながら機械で爪を出してるやつが増えた。

 

「・・・仕事が楽しいのかい?」

 

「そりゃもう! 美神さんとかおキヌちゃんとか美衣さんとかマリアとか小竜姫さんとかワルキューレとかヒャクメとかグーラーとか月神族の人達とかその他にもたくさんの美人のお姉様方との・・・ゴメンナサイナンデモアリマセン」

 

 鉄仮面の横に細目の弁髪の中国人追加。

 

 テーブルに頭を擦りつける忠夫の背後では、ほぼ全てのお客さんを安全な場所、店外へと誘導を始める店員達。

 

 カップルは何気に「君は僕が守る!」とか言いながら盛り上がっているようだが。

 

 しかし、以外にも百合子は溜め息一つで背後のオーラ?を掻き消し、水を一口飲んでしょうがない、といった意味の濃い視線を向けた。

 

「・・・ま、男の子だからねぇ。仕事が面白いのも、綺麗な女性に惹かれるのも分かるけど」

 

「でしょ?! でしょ?!」

 

「けどっ!」

 

 使い込まれた、しかし日々の手入れを欠かさないが故の光沢を放つテーブルに、これまたしっかりと磨かれたコップが音を立てて置かれる。

 

 不思議な事に一滴も水を零さないその上から、刺し殺すような視線が忠夫に向けて放たれた。

 

「約束したわよね? ちゃんと行かなかったら、お仕置きだって」

 

「・・・きゃいん」

 

 仰け反った忠夫の額から、止め処も無く溢れる脂汗。

 

 魔族をも倒して来た、一応これでもGS免許をもつ半人狼の青年は、思いっきりビビっていたりする。

 

「今回は見逃してあげるわ。厳重注意でね」

 

「え? マジっすか?!」

 

「但し!!」

 

 再び吹き上がる威圧感。

 

 忠夫は怯えている!

 

 店員は震えている!

 

 店長は逃げ出した!

 

 カップルは馬鹿ップルに進化した!

 

「明日一日、あんたに付いてじっくりと見させてもらいますからねっ!!」

 

「イエスマム!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「み、美神さん! 横島さんの骨付き肉用の皿が!」

 

「へ?」

 

 病院から忠夫が脱走した、と言う連絡を受け、やっぱりか、と苦笑いを浮かべながらソファーに身を沈めた美神の元に、夜食でも、と言って台所に入っていったおキヌが駆け込んでくる。

 

 その手に持つのは、「忠夫の肉専用」と太字で書かれた1枚の大皿。

 

 常ならば、依頼終了時に歩合分のそれなりに高級な骨付き肉を提供する為のそれが、綺麗に真っ二つになっていた。

 

 それを手渡された美神はと言えば、呆れた様に溜め息一つ、それを小竜姫達に壊されてから新調したテーブルの上に置くと疲れたようにソファーに大きく身を沈め直した。

 

「ま~た、厄介事に引っかかったわね、あの馬鹿」

 

「ど、どうしましょうか?!」

 

「ほっときなさい。多分、もう無駄だから」

 

「そ、それはそうだろうと思いますけどっ?!」

 

 何気に酷い発言をしつつも、慌てた様子で意味も無く辺りをぱたぱたと走り回るおキヌを見ながら、美神は何処までも呆れた様子で天井を見上げた。

 

「ま、この割れ方なら死にゃしないでしょ」

 

 亀の甲羅じゃあるまいし、そういう判別方法もどうかとおキヌは思った。

 


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