月に吼える   作:maisen

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第四拾弐話。

 

 焼け爛れ、半ば炭と化した巨腕が虚空を抉る。

 

 瓦礫の破片に貫かれた片方の複眼は、未だ奇妙な色彩の液体を垂れ流し塞がる様子を見せていない。

 

 極大の高熱は4枚存在していた羽根の内、1枚を焼き取り2枚を歪めさせていた。

 

 だが、無傷で対象を睨み付けるもう片方の複眼は、ギラギラとした憎しみと殺意を隠せてはいない。

 

 黒い破片を一振りのたびに欠け落とさせながらも、振るわれる腕に躊躇は無い。

 

 それは、蝿の王と呼ばれたそれは、昆虫の腹部とは似ても似つかない、植物のようにも見える所々を傷付かせた球体の上で、咆哮を上げた。

 

『メ、ドォ、サァァァァァァァァッ!!』

 

「はっ! 五月蝿いって言ってるだろうがぁっ!!!」

 

 蟻と象、と言う比較が最も近いだろうか。

 

 縦の長さだけでも4,5階建てのビルに相当する巨体を震わせながら、己の周りに飛び交う僅かに生き残ったクローン達に魔力砲の一斉射撃命令。

 

 巨体の表面を、それこそ蛇の如き曲線と人狼の瞬発力をもって駆け回るメドーサを、その数十条の光は捕らえない。

 

 むしろ、足場となる己の身体を徒に抉るのみ。

 

 だが、巨体であるが故に、その一撃はまさに針で突付かれたような物でしかない。

 

 そして、込み上げる怒りと恨みは、その程度の痛みで怯む事を許さない。

 

 苦々しげに舌打ちをしながら、目の前に飛び出してきたクローンを打ち払う。

 

 加速、加速、回避、加速、回避。

 

 動きを止めた瞬間が、そのまま己の窮地を呼び込むタイミング。

 

 故に彼女は止まらない。

 

 荒れ狂うベルゼバブ・オリジナルの体の上を駆け抜けながら、そしてその個体の情報を集めていく。

 

「・・・やれやれ。もしかしなくても厄札かねぇ」

 

 溜め息一つと同時に斜め前方に跳躍回避。

 

 離れかけた身体を、突き刺した刺叉で無理矢理引きずり戻して着地、再加速。

 

 着地地点は既に魔力砲の雨霰を受けてささくれの如くなっている。

 

『ヴオオオオオオオオオッ!!!』

 

「黙りなぁっ!!」

 

 一歩左に強く踏み込み、右に流れる体の制御を放り出して無理矢理反転、一瞬見えた口内に向かって、力の限りで霊力砲を打ち込んだ。

 

 無防備に直撃を喰らったベルゼバブは、しかし咆哮さえも止めはしない。

 

 怯む様子も無く、僅かな驚愕に身を凍らせたメドーサに向かって腕を振るう。

 

 豪速を持って虚空を割ったそれは、紫色の髪の毛を数本持っていかれたメドーサを翳めて己の身体を穿つ。

 

「く、あっ?!」

 

『メドォォォォォザァァァッ!!』

 

 穿たれた身体は、僅かな痛みを穿った腕と己の身体に残しながら、その欠片を周囲に撒き散らした。

 

 幾つかの欠片は、慌てて両腕で顔を庇ったメドーサを直撃する。

 

 苦鳴を奥歯で噛み殺し、着弾の衝撃で後方に仰け反ったメドーサめがけて追撃の魔力砲が十数条迸る。

 

 無理矢理に引き戻した意識でそれを捉え、回避に次ぐ回避。

 

 立て直した体勢のまま、再び着地した巨体の胴体部を蹴り再加速。

 

「ふん。良いさ、来な」

 

 それでも、皮肉げな笑みは消える事無く浮かんでいる。

 

「貴様と私、捨て駒同士・・・立場は同じ、生き汚さも同じだ。なら、そう、それなら」

 

 駆け出しながら槍を扱く。

 

 長い間、己の一部として共に歩んできたそれは、こんな時でも常と変わらぬ固さを縮んだ持ち主の手に返す。

 

 慣性に流されて尻尾と耳が踊る。

 

 短い間の付き合いとは言え、己の一部であるそれは、千切れた縁と無理矢理繋がれた縁に相応しく命を示す。

 

「――いや・・・やめた」

 

 ニィ、と、外見に相応しくないほどに歪んだ笑みを浮かべながら、しかしその中に、確かな喜びを馴染ませながら。

 

 上方――いや進行方向から言えば前方か――の複眼に刺叉の切っ先を、貫く意思を篭めて突き出しながら。

 

 これは、私の、「魔族メドーサ」が最後に作った負い目。

 

 「メドーサ」として生きるのならば、生きたいのならば、自分のケリくらいは自分で付ける。

 

 他人に尻拭かれて納得いくほど、「魔族メドーサ」も「メドーサ」も腐っちゃいない。

 

 だから、それと、そして。

 

「少し見ていたい、面白い奴を見つけたんでねっ! 死ぬ気は無いっ! だからあんたが1人で逝きなぁぁぁぁぁっ!!!」

 

『グルアァァアアァァァアア!!!』

 

 問答無用で、突っ込んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ふんぬおおおおりゃぁぁぁっ!!!」

 

 宇宙空間を1人で進む忠夫。

 

 美神から受け取った発信機の示す方向に向けて、ひたすらに全力で直進する。

 

 ただし、犬かき。

 

 別に泳ぐ必要がある訳無いのだが、竜神の装具を身に付けながら空を飛ばなかった忠夫に、その辺りのノウハウがある訳で無し。

 

 と、言う訳で。

 

 全く関係の無い無駄な動きに貴重な体力をがんがん突っ込みながら、忠夫はひたすら宙を行く。

 

 忠夫が頭の前に小さくした如意棒と髪の毛で作った釣竿をつるし、その先端には発信機が吊るされていると言う状態で。

 

 まさに、人参をぶら下げられた馬であるが、彼は至って真剣そのものである事を忘れてはいけない。

 

 故に、馬ではなく馬鹿なのだ。

 

「メドー! 今父さんが行くからなぁぁっ!!」

 

 竜気が意志の力に反応して、ただひたすらに加速する。

 

 発信機に写しだされた光点との距離が、徐々に、ほんの僅かづつではあるが縮まっていく。

 

 しかし、それでも忠夫はもどかしい。

 

 なので。

 

「奥技!」

 

 動かす手を休めずに、誰に聞こえる訳でもない宣言をしてみた。

 

 それまでリズミカルに、だが高速で動いていた両手足の動きが変化する。

 

 よりダイナミックに、より力強く。

 

 そう、本能の告げる動きではなく、技術と理性のコンチェルト。

 

 大きく体の横に広がり、関節の稼動限界寸前まで背後に持ち上げられた両手が虚空を叩く。

 

 並べて真後ろに伸ばされた二本の脚が、それこそ人魚の如くバネのような動きを見せた。

 

 そう、それは――

 

 

「人っ狼! バタフライィィィッ!!!」

 

 

 繰り返すが、別に身体を動かさなくても進む。

 

 まぁ、何故か加速している辺りが思い込みの怖さという物だが。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 叩き落した数は既に20を数え、負った傷も既に全身に及んでいた。

 

 どうやらベルゼバブの方も既にクローンを新たに作り出す事は出来ないらしく、どれほど数を減らされようが、増援のクローンが出てくることは無かった。

 

 だが、同時に、そのオリジナルであろう本体が致命傷を負った様子もまた、無い。

 

 巨体のあちこちが欠け、そこから僅かに液体を流しつつはあるが、その巨体ゆえに掠り傷と言っても過言ではないだろう。

 

 しかし、メドーサの負った傷は、掠り傷とは言っても物が違う。

 

 痛みを感じる様子さえ無く、ほとんど狂気に飲まれた魔族の動きは全く減じる事は無い。

 

 だが、メドーサもまた、未だ月光の届くこの地点でならば、その魔力が新たに得た傷をあっさりと治していくのだ。

 

「・・・全く、便利だけどふざけてるねぇ、この身体は」

 

 そう呟きながら、己の身体を砕いて振り下ろされた手をさかのぼる。

 

 螺旋を描きながら辿り着いた先は、数千の単位でこちらを写しこむ複眼の目の前。

 

 溢れる霊力任せに全力で砲撃連打。

 

 爆裂がベルゼバブの顔を包み、だがすぐさまその衝撃も収まらぬ内に襲い掛かるクローンの魔力砲。

 

 跳躍、加速、再着地。

 

 こちらを見失った巨体の背後に回り、死角からその背部の羽根を狙う。

 

 だが、それをさせじと襲い掛かるクローン達。

 

 どうやら視覚を共有してでもいるのか、それとも思考ごと共有しているのか、同時に見えないはずの背部に向かってオリジナルの殺気が叩きつけられた。

 

『ガアァッ!』

 

「ふっ!!」

 

 オリジナルの巨体が一気に加速、僅かに引き離されたメドーサとの空隙にクローンが潜り込み、己の身体を弾丸代わりに体当たり。

 

 身体を捻って回避したメドーサは、脇腹の横を擦り抜けた小さな影に向かって刺叉を投擲する。

 

 旋回しながら回避する寸前に、狙い済ましたタイミングで投げ込まれたその先端に貫かれたクローンは、悲鳴も上げずに消滅した。

 

 だが、その一体の犠牲の代償に、無手となったメドーサに一気に収束するクローン達。

 

 上下左右前後、全く同時に襲い掛かる彼らに、メドーサは小馬鹿にしたような笑みを浮かべて見せてやった。

 

「戦場に、一本だけ武器を持っていくわけが無いだろうが!」

 

 一瞬光った手の平の先から、次の瞬間には新たな刺叉が具現している。

 

 同時に突っ込んでくる弾丸の群に対し、むしろ逆に突っ込む。

 

 そして、弾丸に向けて加速すると言う事は、その向かった方向との距離が縮まると言う事。

 

 故に、無理矢理ずらされたタイミングの中、先ず前方のクローンが弾けて消えた。

 

 回避された他の方向の個体達は慌てて方向修正、一群となってメドーサに突っ込んでいく。

 

 ちらり、と背後から迫る群を見たメドーサは、僅かに弧を描きながら宙を駆ける。

 

 戦闘機を追いかけるミサイル群、その様子はそれが最も近いであろう。

 

 だが、この戦闘機は、背後に向かって攻撃できるのだ。

 

「ぶっ飛びなぁっ!!」

 

 狙いもつけずに予測と超感覚の情報だけで霊力砲の弾幕を張る。

 

 なす術も無くそれに突っ込んだ群は、一瞬にして焼き潰された。

 

 そして同時に、それがクローン達の最後の攻勢であった。

 

 全てのクローンベルゼバブを潰したメドーサは、その爆炎に紛れ再びオリジナルの背中に着地する。

 

「ふ、ぅ。後は、このでかぶつだけかい・・・」

 

 こと、体力と言う点で言うのならば、メドーサのそれは以前よりも増強されている。

 

 元々高スペックであったメドーサの蛇神としての、魔族としてのそれを更に増強するように、互いに否定しあうのではなく、まるで忠夫の意思でも働いているかのように、メドーサの肉体の内部で二つの要素は混じり合っている。

 

 故に、月の魔力を最大限に受けたメドーサの肉体は、全くと言って良いほど疲労していない。

 

 そう、肉体は。

 

 だが、精神は、確かに疲労を感じていた。

 

 それでも全包囲に警戒を払いながら、同時に僅かなチャンスを逃さずに攻撃し続ける。

 

 それも、効いているのかいないのかが不明なほどの巨体に向かって。

 

 無駄なのでは、という思考が浮かび、それを鼻で笑って意識の底に沈め、いい加減にしろ、と怒りを覚えてはそれを理性で無理矢理押さえつける。

 

「これで、終わりだ――」

 

 だから、最後の一撃とする為に、己の全力を更に集中させていたメドーサは、その一撃に、決着の為の一撃に、意識を取られすぎていた。

 

 それを、油断と言うのかもしれない。

 

 それを、虚を突かれたと言うのだろう。

 

 だが、どれほど言葉で取り繕おうと、どれほど状況が変わってから後悔しようとも――

 

「なッ?! ぐ、あっ!!」

 

 ――発生した事象は、消し去る事など出来はしない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ぐ、ぅぅぅ。畜生、妙な物腹にくっつけてると思ったら――」

 

 それは、茶褐色の触手であった。

 

 いや、触手と言うのは違うのだろう。

 

 それに最も良く似た物を上げるとするのならば、そう、「根」だ。

 

 「蔓」、「茎」、でも構わない。

 

 詰まる所、メドーサの足元だけではなく、ベルゼバブオリジナルの巨体のそこかしこから突如鎌首を持ち上げた、本体と比較すれば余りにも細いそれは、植物のそれと全く同じ外見をしていた。

 

「――クローンの思考同調だけかと思ったら、合成もされてやがったのかっ!!」

 

 メドーサの細い身体に巻きついた、それこそ蛇のようなそれは、かって――死津喪比女と呼ばれた妖の、花と本体を結んでいたそれと同じ物だった。

 

 死津喪比女の残した球根の欠片と、それを探し回っていた、僅かにその身に蓄えた栄養と生存本能だけで生き延びていた葉虫。

 

 葉虫はたまたま座学を嫌がって訓練に出てきていた人狼と九尾の狐の娘達に滅ぼされた物の、その欠片は生き延び、数奇な、と言うよりも性質の悪い運によってメドーサの手に入る事となっていた。

 

 そして、かってメドーサが人間の技術者と共に開発した、合成術。

 

 魔に落ちた人と、人狼を合成させたキメラ――陰念。

 

 人と、魔と、狼と、蛇の要素をその身に取り入れつつ、それでも崩壊する事無くフェンリル狼にまで昇華されるほどの安定を見せたその技術。

 

 現在のベルゼバブを構成するその技術と要素に、それを手に入れた本人が関っているとは――

 

「皮肉に、してもっ、性質が悪すぎるっ!!」

 

 もがくメドーサの肢体に、それこそ一本一本に意思があるとでも言うかのように巻きついて行く根。

 

 1本を引き千切れば3本が新たに巻きつき、多少の被害を覚悟で霊力砲を至近に打ち込み数本を纏めて焼き潰せば動く前に十数本が包囲する。

 

 何よりも厄介なのが、その固さであった。

 

 岩のように固い、と言うわけではない。

 

 ただ、クローンよりはしぶとかった。

 

 そして、始めに居たクローンよりも、その数は多すぎた。

 

 

 

 

 超加速――否、そもそもこの身を捕らえる物を全て対処するだけでも時間が足りない。

 

 おそらく、いや、間違い無く、超加速が切れた瞬間に、また新たに包囲されるだけ。

 

 霊力砲――否、生半な威力では動きを止めないのは先程の一撃で証明済み。

 

 威力を高め様にも、溜めの時間の間に更に手におえなくなるだけ。

 

 力任せに――否、数が多すぎる、間に合わない。

 

 その意味する事は、つまり。

 

 

 

 

「・・・手詰まり、かい」

 

 浮かんだ表情は、諦めでもなく、怒りでもなく、悲哀でさえなく。

 

 ただただ、呆然としたものだった。

 

 その表情さえも、次の瞬間には根に覆われて消える。

 

『ゲハ、ゲハハハハハハハハハハハハハハッ!!』

 

 蝿の王の哄笑が響く。

 

 その眼前に捧げられるは、内部にメドーサと呼ばれる少女を捕らえた茶褐色の繭。

 

 次々と己の体から生み出された根を巻きつけ、更に拘束を重ねていく。

 

 数瞬後には、ベルゼバブの複眼ほどはあろうかという歪な球体が浮かんでいた。

 

 そして、高まる哄笑と共に、その球体を巨大な2本の腕が押し包む。

 

 ぎり、と、押し固め始めた。

 

 ぎりぎり、と、己の一部ごと押し潰し始めた。

 

 ぎりぎりぎりぎり、と、その瞬間に向かって――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「俺の娘に――何にしてやがるっ!!!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 むしろ、軽い、と感じる程の音であった。

 

 咆哮と共に、2本の腕と、少女を拘束していた球体が、文字通り「弾け飛んだ」。

 

 僅かに絡みつくそれを引き千切り、娘と読んだ少女の呼吸を確認する。

 

 体の骨のあちこちに罅が入り、痛み故か意識を失っていても、その呼吸は荒いながらも確かに生きている事を証明していた。

 

 安堵の溜め息を一つ付き、優しくその頭を撫でるとゆっくりと背後に庇う。

 

 月光がまだまだ届くこの位置ならば、そう心配する事無く意識も戻るだろう。

 

 だから、今は。

 

 目の前で、両腕を失って、五月蝿い咆哮を上げているこの化け物――いや、このクソッタレを。

 

「ぶっとばすっ!!」

 

『ギャルァアアアアアアッ!!』

 

 怒った。

 

 久し振りに、ほんとーに、腹が立った。

 

 人の娘を、たった一人で突っ込んでいった無茶な娘を。

 

 傷つけやがった目の前の蝿が。

 

「――犬飼ポチの息子にして、犬飼沙耶の息子、そして犬飼メドーサの父、犬飼忠夫! 狼の誇りと侍の誇り、手前に思う存分見せてやらぁっ!!!」

 

 怒りが最後の引き金となったのか、それともただ単に時期が来ただけか。

 

 それでも、例えどんな理由であろうとも。

 

 

 

 

 

 

 

 

 今、忠夫の五体の隅々まで――妙神山での修行で無くなった筈の霊力が、完全に満ちていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ウオオオオオオオオオオオオオオオンッ!」

 

 咆哮を、腹の底からの咆哮を上げる。

 

 その体が、真っ白な獣毛に覆われる。

 

 その左手に、猿神より借り受けた如意棒が出現し、その右手に、久方ぶりの霊波刀が、「ファング・オブ・グローリー」と命名した霊波刀が顕現する。

 

 超感覚は冴え渡り、身体に満ちる力は暴走寸前まで昂ぶっている。

 

 だから、忠夫は――迷う事無く、突っ込んだ。

 

「っらぁっ!!」

 

 性懲りも無く伸びてきた根の群を、体ごと捻ってぶん回した如意棒が遠心力と自重でブッ千切る。

 

 千切られて宙を漂うそれを足場に、全身の力で己の身体を蹴り飛ばす。

 

 前へ。

 

 眼前で根が球体を作り出し、ハンマーのように繰り出してくる。

 

 縮めた如意棒を口に咥え、霊波刀に全力を篭めながら超加速。

 

 一瞬の間に数百条の軌跡が描かれ、中心部を貫徹しながら超加速を解除、抜け出したと同時に再加速。

 

 前へ、前へと。

 

 後方から、上から、下から、左右から、槍の如く根が突き出される。

 

 超感覚で全てを捉え、身体は慣性任せに進ませながら背後を振り向き――

 

「―――――――――ッ!!!」

 

 咆哮一声。

 

 霊力にほぼ全て変換されたそれは、破壊する事は不可能でも動きを止める事なら十分に可能。

 

 弾かれ、仰け反ったそれらを置いてけぼりに更に加速。

 

 再び前方を向いた視界を埋め尽くし、炭化し、黒く煤け、半ばからへし折られたベルゼバブの腕が振り下ろされる。

 

 回避するには近すぎる。

 

 如意棒を突き出し、防御――

 

「んがぁぁっ?!」

 

 いかんせん、重量差がありすぎた。

 

 思いっ切り後方に吹っ飛ばされる。

 

 流石に如意棒には傷一つ付いてはいないが、両腕の骨に数箇所の亀裂。

 

 痛い、猛烈に痛いが――月の魔力は周囲にこれ以上無く満ちているので問題無しと無理矢理納得して、後方に高速で吹っ飛んでいく身体を停止――。

 

「くっ!」

 

「うおっ?! メドーサっ!!」

 

 忠夫の腕を引っ掴んで、痛みを堪えながら引き止めたのは何時の間にか意識を取り戻したメドーサであった。

 

「・・・ったく、この馬鹿っ! なんで此処にいるのさっ!」

 

「な、なんでもクソもあるかっ!! お前が勝手に居なくなるからだろうが! 出かける時はちゃんと親に一言言ってから出かけんかいっ!!」

 

「わたしゃガキかっ!!」

 

「ガキだろ!」

 

 根が伸びてきたので親子喧嘩は一時中断、2人で迎撃に集中する。

 

「真正面から行って勝てる相手かいっ! 頭を使いな、それがあんたの得意技だろうがっ!」

 

「・・・そりゃそうだ」

 

 喧嘩していたにもかかわらず、背中合わせに根を迎撃する2人の呼吸はぴたりと合っている。

 

 近づく物を蹴散らし、その先で憎々しげに咆哮を上げているベルゼバブを睨む。

 

 そして、如意棒で薙ぎ払っていた忠夫の瞳に、今度は怒り任せの色ではなく、何時もの楽しげな色が浮かんだ。

 

 背中合わせに迎撃に励んでいたメドーサの首に腕を回し、その耳元に囁き掛ける。

 

 一瞬驚きの色を浮かべたメドーサも、振り払う前に聞こえてきたその言葉に方眉を上げながらも頷いた。

 

「タイミング合わせろっ!」

 

「上等っ!!」

 

 忙しく腕を動かしながら、大きく息を吸い込む2人。

 

 忠夫の指が三本立てられ、二本、一本と折られ、そして最後の一本が折れた瞬間。

 

「「―――――――――――っ!!」」

 

 空間を、巨大な咆哮が揺るがした。

 

 互いに共鳴しながら広がるそれは、細い根を半ばから引き千切り、太い物さえも吹き飛ばしながらベルゼバブに向かって通路を作り上げていく。

 

「良し、行きなっ!」

 

「やっぱ怖ぇぇぇぇっ?!」

 

 根の群が怯んだその一瞬、その通路めがけて全力で忠夫を襟首掴んでブン投げるメドーサ。

 

 忠夫は、恐怖で涙をだばだばと流しながら、弾丸となった自分に回転をつける。

 

 回転が急すぎるが故にまるで球体のようにも見えるそれは、狙い違わずベルゼバブの顔面へと直進し――

 

『ゴガァァッッ!!』

 

 だが、その進路上にはそれを迎撃せんと横薙ぎに振るわれる巨腕がある。

 

 そう、それは、狙いがデッドボールとは言えまるでバットとボールにも見える。

 

 そして、このボールは、変化球だった。

 

 球体から、一瞬だけ如意棒が突き出され、一瞬だけ巨大化した後すぐさま消える。

 

 しかし、その一瞬で、ボールの軌道を変えるだけの重心を生み出す事に成功した。

 

 カクン、と落ちたボールは、今度こそ本当の狙いであった胴体部に突き刺さる。

 

 回転を縦回転から横回転へと変化させながら。

 

 そして、胴体に突き刺さる直前、再び如意棒が、忠夫の意思に従って一気に伸びた。

 

 それは、曲がらぬ筈の如意棒が、曲がって見えるほどの超高速。

 

 さらに、如意棒が直撃する直前に超加速。

 

 二重の速度が生み出した結果は、圧し折る、と言うよりも切断であった。

 

『ゴ、オ?』

 

 己の腹を、球根にそっくりなその部分を真っ二つに切り裂かれたベルゼバブが、理解不能の声を上げる。

 

 だが、結果は、彼が状態を把握するよりも早く。

 

『ゴ――』

 

 その意識を、永遠に消滅させたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「み、見たか久し振りの人狼・ダイナミックフォーうおぇぇぇぇぇぇ・・・」

 

「・・・まぁ、そりゃそうだよねぇ」

 

 後に残るは、何も無い宇宙空間にたっぷり吐寫物を撒き散らしてブラックアウトにより意識を失った半人狼と、それを呆れ半分、冷や汗半分で眺めるメドーサ。

 

「さ、て。どうやって船に追いついたものだか・・・ん?」

 

 そして、その視界に写る、月からの小さな光点だった。

 

「良いのですか、迦具夜様?」

 

「良いのですよ。多分、もう使われる事も無いでしょうし・・・それより、神無、ちゃんと休んでいなさいと言ったでしょう?」

 

「いえ、しかし――」

 

「全く、朧と貴方が居ないので皆心配しています。貴方は早く傷を治す事に専念しなさい!」

 

「りょ、了解しました!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「いだだだだだだだだだだぁぁぁぁっ?!」

 

「よ、横島さん、目が覚めたんですかっ?!」

 

「お、おキヌちゃん・・・? 此処は?」

 

「病院ですよ! だから、ほら!」

 

 例によって例の如く、肉体の無茶な酷使と重度の貧血で気絶した忠夫が目覚めたのは、最早顔なじみとなった白井総合病院の一室だった。

 

 清潔なシーツと大きめに設計してある窓からの太陽の光が、懐かしい地球に帰ってきたことを証明している。

 

「もう、3日も目が覚めなかったんですよ」

 

「・・・あれ? 美神さん達は?」

 

 随分と心配そうなおキヌに押し付けられ、柔らかいベッドに身体を横たえた忠夫が尋ねる。

 

「美神さんだったら、もうすぐ戻ってきます。何でも、栄養が付くもの買ってくるって」

 

 あの後、どうやら忠夫は無事に船まで辿り着いていたらしい。

 

 美神の話に寄れば、石で構成され、表面に複雑な模様が描かれた船が忠夫を宇宙船まで案内して来てくれたとの事。

 

 帰還したのが太平洋のど真ん中、意識を取り戻さない忠夫と美神、マリアを回収した神魔族の一行は、そのまま忠夫を連れて病院へ直行。

 

 マリアのサーチによって、霊力の過剰消耗と重度の貧血、肉体の多大な疲労が原因と言うのは分かっていたが、一応大事を取って、と言うことらしい。

 

 マリアは、忠夫の看病をしたがったらしいが、宇宙での活動データとマリアに搭載されていたアルファ達の武装をチェックする為渋々とカオスに連れられてカオスの秘密基地へと帰っていったらしい。

 

 小竜姫達はマリアの観測データとヒャクメの物を貰い受け、報酬を払ってそのままそれぞれの陣営に戻っていったらしい。

 

 彼女達にとっては、これからが忙しいのだろう。

 

「・・・え?」

 

「え? って言われても、それだけですよ?」

 

 忠夫は、船に乗せられて美神達の所に戻って来た――と言うことは、メドーサは?

 

「・・・・・・」

 

「横島さん?」

 

 おキヌちゃんが知らないという事は、少なくとも美神さんは話していないという事。

 

 それは、そうであろうが――ならば。

 

「美神さんを探しに――」

 

「必要無いわよ。ほら、お見舞い」

 

「美神さ――ムグッ?!」

 

 再び身体をはね起こさせた忠夫の耳に、どこか不機嫌そうな美神の声が響いた。

 

 慌てて美神に迫り、事情を聞こうとする忠夫の口に、お見舞いの品であるフライドチキンが押し込まれた。

 

 そのまま、おキヌに聞こえないように小さな声で囁く。

 

「・・・メドーサなら、上空で別れたわ。ヒャクメもマリアも口裏合わせてくれるそーよ」

 

「ムグムグムグッ!?」

 

 ごっくん。

 

「・・・で、今、あいつは何処に?」

 

「さあ? どーせどっかに居るんじゃない? 発信機も壊れちゃったみたいだし」

 

 美神が忠夫の目の前に発信機をぶら下げる。

 

 その画面に表示されているのは「LOST」の4文字。

 

 そこまで確認すると、忠夫はすぐさまドアを開いて飛び出していこうとし、美神に襟首捕まえられてベッドに引き摺り戻された。

 

「寝てなさい」

 

「でもっ!」

 

「どうせ今夜には逃げ出すつもりでしょうが。だからそれまで寝てなさいっつってんの」

 

 どこかつっけんどんに言う美神ではあったが、その表情は呆れの中にもしょーがないなー、と言う色が濃い。

 

 ほら、と新たに揚げたての鶏肉を突き出してくる美神の手から、瞳に炎を燃え上がらせながら忠夫は肉に齧り付くのであった。

 

 後ろのほうでは、美神の手から直接餌を貰っているように見えるその光景を、おキヌが人差し指を咥えて羨ましそうに見ていたりする。

 

 と、その忠夫の顔が歪んだ。

 

 べ、と吐き出した舌の上には、銀色に光る小さな機械。間違いなく発信機的なそれである。

 

「・・・美神さん」

 

「・・・ちっ! おとなしく丸のみしてればいいのに!」

 

 忠夫の乏しい学習能力の、珍しい勝利である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―― 夜。

 

 案の定、と言うべきか、病院をプロレス医師との激闘の末脱出した半人狼は、よろよろとふらつく足でねぐらと言うかアパートまで何とか辿り着いていた。

 

 病み上がりの半人狼VS最近増々技に磨きが掛かってきたと看護士に評判の医師の対決は、異様な盛り上がりを見せながらも忠夫の辛勝に終わったようだ。

 

「と、とりあえず保存肉食ってから探しにいかんと身が持たん」

 

 懐から取り出した鍵をノブに差込み、捻る。

 

 ドアが倒れた。

 

「・・・あれ?」

 

 まぁぼろい建物やからなー、と判断し、押し入れに保管してある保存食へと歩みを進める忠夫。

 

 押入れの襖を開いた。

 

 メドーサが満足げに口元を拭っていた。

 

「なんでやねんっ?!」

 

「ふん。見た目は悪いが味は中々良いじゃないか」

 

 見れば、2kgはあった筈の肉は完璧に姿を消しており、残っているのはその下に敷いてあった和紙が数枚だけ。

 

「良かった見つかったでもなんでああ俺の肉少しくらい残しとけコンチクショー!!」

 

「五月蝿い黙れ。親とか言うのなら子の食事くらい大目に見ろ。それで、結局何が言いたいんだい?」

 

 わたわたと混乱のまま両手をぱたぱたっと振っていた忠夫は、そう言われてふと何かを考える表情になる。

 

 それを、どこか楽しそうに見つめるメドーサであった。

 

「・・・メドえもん?」

 

「違うだろうがっ!!」

 

 暫し、狭い室内に男女のけたたましい声が響いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「・・・帰って来たみたいね、あの馬鹿甥は」

 

「あ、もう良いんですか?」

 

「ええ、美味しいお茶ありがとう花戸さん。ごめんなさいねー、家の子が迷惑かけてるみたいで」

 

「いえ、そんな・・・」

 

「さて、それじゃあ――」

 

 メドーサに頭を齧られている忠夫の背に、とんでもなく冷たい悪寒が走った。

 

「――締め上げちゃいましょうか?」

 


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