月に吼える   作:maisen

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第四拾壱話。

「だーかーらっ!! なんであんたが付いて来るのよっ?!」

 

「お前に付いて来てる訳じゃない! そっちの馬鹿が付いて来れば地球に帰れるって言ったんだろうがっ!!」

 

「ま、まぁまぁまぁまぁまキャイーン!」

 

 月神族達の秘密基地、その入り口直ぐ傍で睨み合いながら罵声を飛ばす二人の女性。

 

 亜麻色の長髪をヘルメットを被る際に邪魔にならないよう綺麗に後頭部で丸く結い上げた美神が腰の神剣に手を伸ばし、紫色の長髪の間から真っ白な狼の耳を覗かせたメドーサが両の拳を握って構える。

 

 取り成すように二人の間に滝のような汗を流しながら忠夫が割って入るものの、次の瞬間には2人同時に視線もやらずに繰り出された裏拳で顔面をへこませ、悲鳴を上げながら後方に吹っ飛んだ。

 

 地面をころころと転がっていった先に待ち受け、その身体をそっと抱きとめたのは優しい笑顔を浮かべるアンドロイドの少女、マリア。

 

 ふらふらと立ち上がった忠夫の宇宙服を軽く叩き、あちらこちらに付着した砂を落とすと、砂と涙と汗と流血で汚れた顔を、取り出したハンカチで迷いもせずにそっと撫でるように拭いていく。

 

 きょとん、と呆けた表情を浮かべていた忠夫は、先程まで美神と一緒になって怒っていたようにも見えた筈の、マリアの表情を覗き見た。

 

「マ、マリア? 怒ってないの、か?」

 

「ノー・プロブレム。横島・さんが・一度身内と・認めた者を・見捨てる可能性・0%。マリアは・それが・横島・さんだと・知っています」

 

 ですから、と前置きを置いたマリアは、そっと忠夫の頬に手を伸ばす。

 

 その暖かさに、顔を赤くしながら慌てる忠夫を楽しげに見つめた後、伸ばした手を胸に当てて、瞼を閉じて言葉を続けた。

 

「貴方の・望みの・ままに――浮気・以外なら」

 

「だから浮気なんてしてないっちゅーのにぃっ!!」

 

 最後にしっかり釘を刺して来るマリアであった。

 

 だがしかし、聞き様によっては・・・いや、聞いただけならば何処から如何聞いても完全無欠に完璧に、滅法良い雰囲気の痴話喧嘩以前のいちゃつきにしか聞こえない訳で。

 

「はっ?!」

 

 忠夫の額に閃光が走る。

 

 そう、それはまるで人が宇宙に出た事により目覚めた能力の如く。

 

 宇宙と言う、極々限られた者達だけが存在を許されたその場所に立った事で、忠夫に何らかの変化、いや、進化が起こったのか。

 

 そして、その脳裏に浮かんだイメージが伝えてきた物は。

 

 

「「・・・横島ぁぁぁぁぁあっ?」」

 

「・・・俺、死んだな」

 

 

 悲しい悲しい未来予想図でした。

 

 どうやら極限まで研ぎ澄まされた殺気が忠夫を貫き、それをまるで刃物に突き刺されたように感じた忠夫が一瞬思い浮かべた幻像だったもよう。

 

 刃物の光は決して人の範疇を僅かに越える事が出来た者達が感じるイメージなどではなく、そして頭部にそんな物が突き刺されば普通逝く。

 

 詰まる所、即死レベルであった。

 

 何で2人は怒っているのだろうか、と視界を埋め尽くす星々の光と、懐かしくさえ感じる青い惑星を零れる涙で歪めながら、忠夫はマリアの斜め上をすっ飛んで秘密基地の入り口に着弾した。

 

 流石に神剣は危険だ、と判断するだけの理性が残っていた美神が振り上げた神通棍と、メドーサが容赦手加減一切無しでカチ上げた刺叉を同時に喰らった忠夫は、今回ばかりは受身も取れずにドア代わりに偽装された薄い岩盤を突き破ってボロボロ・・・何時もの事か。

 

「お、俺は悪くない・・・」

 

「「どやかまっ・・・ふんっ・・・くぬぬぬぬぅぅぅぅっ?!」」

 

 ぴくぴくと頭部から噴水のように血潮を吹き上げながら、それでも必死に忠夫が抗議の言葉を上げようとするが、何故か怒れる2人には通用しない。

 

 もっとも、同時にそんな忠夫を怒鳴りつけようとして不愉快な事にハモってしまい、同時に鼻息も荒くそっぽを向こうとしてしまい、それすらも不愉快な2人は互いの手の平を頭上で合わせて力比べ。

 

 片や月の魔力でエネルギー全開のメドーサと、それに竜気を全開放しながら対抗する美神。

 

 2人の視線は火花どころか放電現象さえも起こしていたそうな。

 

「何事だっ?!」

 

「あ、美神殿・・・と?」

 

 ともあれ、それだけ門前で大騒ぎなぞしていれば月神族達が気付かない訳も無く。

 

 壊れた扉の破片に埋もれた忠夫を気付かぬうちに踏みつけながら、神無と朧の2人組みが開けっ放しとなったそこを潜って駆けつける。

 

 その背後を、ゆっくりと歩いて迦具夜が現れ、彼女に追随するように月警官達も駆けつける。

 

 抜き身の刀をぶら下げた神無の隣では、朧が見慣れぬ、と言うか居なかった筈のメドーサを見て目を見開いていた。

 

 その視線の先で額をゴリゴリと押し合いながら視殺戦から肉弾戦に移行寸前だった2人は、互いに微妙なアイコンタクトを繰り出して一つ空咳、何事も無かったかのように素早く分かれる。

 

 そんな2人を、と言うよりもメドーサを訝しげに見ながら、迦具夜と朧は美神に向かって話し掛けた。

 

 ちなみに、忠夫は漸く破片の隙間から突き出した手を神無に発見してもらい、月警官総出で救出活動の真っ只中、要救助者となっていたりする。

 

「皆さん、無事のようですね・・・良かった」

 

「え、ええ。とりあえず依頼の方、月神族の城に巣食う魔族の排除、完了したわ」

 

 心の底から安堵の溜め息を付く迦具夜の言葉に、額に汗をかきながら良心をちくちくと突き刺される美神である。

 

 確かに言質は取っており、しかも城を無事に取り戻してくれ、とは一言も言われていないのだから特に嘘を付いた訳ではない。

 

 だがしかし、こんな事なら駄目元で最初からちゃんと説明しておけば良かったかなー、と思ってしまうほどに、迦具夜の浮かべた笑みは優しいものであった。

 

「・・・私たちに出来る事等、大した物では在りませんが・・・朧、宴の用意を」

 

「い、いやいやいやいやいやっ! いーですからっ!」

 

「まぁ・・・なんて謙虚なお方」

 

「御免なさい私が悪かったです説明するのが面倒臭いとか駄目だった時に説得するのが嫌だとか思って御免なさい! だからそんなキラキラした目で見ないでお願いっ!!」

 

 自分の行いとか状況の全てとかを把握してやっているのならまだしも、全くの純粋な感謝の気持ちから出た行動なだけに、美神のハートはズッキズキである。

 

 心臓の辺りを押さえながら、少しだけさぼった罪の思わぬ大きさに半泣きで宴の準備に駆け出そうとする月神族の面々を引き止める美神。

 

 唐巣神父辺りが見たら、まず己の正気を疑い、おもむろに頬を抓った後、五体倒地で神に向かって涙を流しつつ感謝の祈りを一週間。

 

 だがしかし、そんな精霊達の中で、1人だけ迦具夜に直接指示されたにも係わらず、警戒すら浮かべて、1人掘り出された忠夫を刺叉の先で突付いているメドーサに向けている者が居た。

 

「あの・・・そちらの方は?」

 

「えっ? あっ? そのっ!」

 

 不味い、非常にピンチである。

 

 何せ、たった今朧が指差した先に居るのは、元ブラックリストの女魔族メドーサさんその人である。

 

 はっきり言って、バレてしまうと依頼未完遂と言う事にされても文句は言えないし、その上、確実にメドーサの身に色々と良くない事が起こるだろう。

 

 だが、だが、である。

 

 散々張り合っていた美神だが、何故かメドーサを積極的に排除しようと言う気にはなれない。

 

 と言うよりも、そんなつもりは無い。

 

 ムカツク奴である、が。

 

 ――同時に、あれは、馬鹿でアホで頼りになるんだかならないんだか分からない、それでも、多分、嫌われたくない無節操な半人狼の、本人曰く身内なのだから――

 

 ぶんぶんぶんぶん、と残像さえ見える速度で、真っ赤なお顔の色よ落ちろと言わんばかりに頭を振る美神。

 

 冷静に、冷静にと自己暗示をかけながらポーカーフェイス代わりの笑顔を浮かべる。

 

 完璧だ、この営業スマイルは仕事を始めてから磨きに磨いた一級品。

 

 これを見破る事が出来るのは、おそらくほんの一握り・・・!

 

「・・・何か?」

 

「ななななな何でも無いわひょっ!」

 

 滅茶苦茶どもった上に少し声が裏返った。

 

 表情は取り繕えても内面までは上手くいかないと言う典型であった。

 

「どうした、朧」

 

「あ、神無」

 

 状況悪化。

 

 只でさえいきなり出現した怪しい人物として、メドーサが疑われているかもしれないと言うのに、お堅い上にクソ真面目な雰囲気の神無が出現した。

 

 それなのに忠夫は中々復活しないので苛ついたメドーサの刺叉がお尻に刺さって楽しげに悲鳴を上げているし、マリアは我関せずとその光景をニコニコと眺めているだけである。

 

 後で殴ろう、と心に決めた美神は、何とか誤魔化す為に脳を高速回転させ始めた。

 

「あの子なんだけど・・・」

 

「その、実は――」

 

「ん・・・? ああ。横島殿の娘だな」

 

「「へ?」」

 

 思わぬ所から、予想を斜め45度にブッ千切った上メビウスの輪でも描いてるんじゃなかろーか、と言うような答えが返ってきた。

 

 純粋に疑問符を浮かべる朧と、顔に縦線を入れながら口をぽかーんと開けた美神の前で、当然のように神無の言葉が続けられる。

 

「耳と尻尾。どこから如何見ても同じ種族じゃないか」

 

「え? え?」

 

「間違い無い。断言しよう。横島殿の娘だな」

 

 うんうんと1人頷く神無の隣で、朧が首を傾げながらも神無が其処まで言うのなら、と納得した様子を見せている。

 

 そんな2人を見つめていた、胡乱げな美神の視線が忠夫とメドーサに移される。

 

 一瞬視線が合った2人は、次の瞬間に目をそらした。

 

 そしてそのまま立ち上がり、忠夫が宇宙船まで案内する、と物凄く真面目ぶった表情で提案し、メドーサもそれに対して頷きを一つ返すと、迷う事無く、自然を装って歩きながら、しかしありえない程高速で、秘密基地の格納庫めがけて扉を潜って消えていく。

 

「・・・迦具夜姫、それじゃ、私たち帰りますね。あ、予備の竜神の装具とか、魔族の武器とか置いて行きますから。それ使って今度は城を落とされないように」

 

「しかし、折角ですから「気持ちだけ・受け取らせて・頂きます」・・・あ」

 

 詫びのつもりか、神魔族から貸与されているだけの筈のそれらを迦具夜に贈る事を約束する美神。

 

 まぁ、最も彼らも何らかの形で貸しは作りたいであろうし、人間に貸し出せる程度の多少の武具をやった所で問題にはならないだろうが。 

 

 丁重に頭を下げるマリアを余所に、完全に表情の消えた、しかし額に青筋を浮かべた美神が、同じように歩いているようにしか見えないのに、まるで滑るような加速で扉を潜って行く。

 

 マリアも、迦具夜達に下げた頭をゆっくりと上げると、その後をロケットを噴かせながら追いかけていった。

 

 後に残るのは、虚空を見上げながらぶつぶつと「娘だ。間違い無い、娘だな」と繰り返す神無。

 そして、さっさと月神族の城(があった場所、裏口でなく正門である)までのゲートを開き、後片付けの準備のつもりか襷掛けをした朧。

 

 残念そうに、だがどこか含みのある――分かっていますよ、と言わんばかりの――笑みを、優しさを多分に篭めて浮かべる迦具夜姫。

 

 そして、その周囲で残念そうに宴会の準備を片付けている月警官達であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 狭い通路を、スタッカートを効かせながら響く3つの足音。

 

 そのテンポはどんどんと加速していき、終いには乱打の如く軽快なリズムを刻み出す。

 

 要するに、追われる二人と追う一人がどんどんと加速しているのだが。

 

「・・・あの娘に何をやったぁぁぁっ!!」

 

「上手く行ったから良いじゃないっすかぁぁぁぁっ!!」

 

「方法を教えなさいっつってんのよっ!!」

 

 きっとおそらく多分間違い無く悪用するだろう。

 

 先程の反省も、どうやらあっさり遠く離れた銀河の彼方のようである。

 

 実に、実に短い美神の素直さであった。

 

 草葉の陰で唐巣神父が泣いているだろう、いや、故人ではないが。

 

 ともかく、宇宙船の周囲をぐるぐると回り続ける美神と忠夫を余所に、追いついたマリアと、その輪から離れて1人立ち止まっていたメドーサが、忠夫がとっ捕まるまでその光景を眺めていたり。

 

 何故だかとっても慈母めいた笑みを浮かべながら、メドーサに格納庫に準備してあった、おそらく宇宙船に積み込む予定であった物資からお菓子や食糧などを渡してくるマリアがいたり。

 

 忠夫から詳細を聞いた美神が、暫し悩んだ後、メドーサに洗脳装置を貰う事が悔しくて歯噛みをしながら諦めたりとかしたものの。

 

 漸く、人間1人、半人狼1人、元魔族の人狼+α1人、アンドロイド1人は月を離れる事に成功したのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「こ・・・これは」

 

「城は・・・何処なんでしょうねぇ」

 

「・・・まぁ、城はまた作れば良いだけの事です。皆、暫く休暇はやれないのでそのつもりで」

 

『えええええええええっ?!』

 

 朗らかに巨大な城を完成させるまでの休日出勤と、ほぼ間違い無く徹夜じみた残業を確定させた迦具夜の言葉に月警官達から悲鳴が上がる。

 

 そんな光景を溜め息を付きながら見ている神無の視界を、僅かに残された瓦礫の上をひょいひょいと歩いていく朧の姿が掠めた。

 

 危なげなく、身軽にでこぼことした月面を進む朧を見ていた神無は、そんな彼女を引きとめようと一歩を踏み出し。

 

「おぼ――え?」

 

 落ちた。

 

「か、神無っ!!」

 

 突如姿を消した神無が居た所に、朧が慌てて駆け込んでくる。

 

 そして、其処を探すまでも無く、彼女が姿を消した原因はいとも容易く発見された。

 

 ぽっかりと開いた穴の奥、深く続く階段に座り込んだ神無の姿があったのだ。

 

「いたた・・・ち、地下部分は無事だったようだな」

 

「もう、貴方が怪我したらどうするの。私は力仕事には向いてないのよ?」

 

「そっちの心配が先か・・・」

 

 やれやれ、と打ちつけた腰を擦りながら立ち上がった神無を、朧が左手を差し出し引き上げる。

 

 余程の衝撃が襲ったのだろう、階段は所々が崩れ、壁にも数箇所亀裂が入っていた。

 

 ともかく、この上に新たな城を建設するのは危険だろう、と判断を下した神無は、引き上げてくれた朧に礼を言いつつ、黄色いヘルメットをかぶって工事の陣頭指揮に立つ気満々の迦具夜の元へと歩き出す。

 

「・・・ん?」

 

「どうしたの?」

 

「いや、今、揺れなかったか?」

 

 朧は返事を返す事が出来なかった。

 

 突き上げるような衝撃が、2人の立つ地面を粉砕した。

 

 

「ねー、美神さん・・・メドーサ中に入れても良いじゃないっすかー」

 

「駄目。マリア、地球とは連絡とれそうなの?」

 

「イエス・ミス・美神。交信可能距離まで・後・13分」

 

 シートに座って落ち着かなさげな様子を見せる忠夫の言葉を、美神は立ったの2文字の言葉で切って捨てる。

 

 宇宙船の中、小さなモニターに映し出されるメドーサの姿は、宇宙船の外壁に座ってうつらうつらと船を漕いでいると言う実に平和な物である。

 

 元魔族とは言え、それでも蛇神の属性を持つメドーサは、現在特に酸素を必要としている状態に無い。

 

 無論、霊力切れとなればまた別問題なのであろうが、その事もあって、また美神とメドーサ双方の意見ともあって、忠夫の言葉も虚しく、メドーサは宇宙船の中には居ない。

 

「横島・さん・もう直ぐ・地球とも・交信する必要が・ありますから」

 

「・・・あー、そうだよなぁ」

 

 漸く月面の魔力の乱れの範囲から遠ざかり、そしてその乱れ自体が収まった事もあって、短い時間だった筈なのにとても久し振りに感じる地球の面々との交信が可能になった。

 

 と、なれば、当然そこにメドーサが居ると色々と面倒な事になりかねないので、どちらにせよ好都合、いや、むしろ以前までのメドーサの立場を考えれば必要な対応とさえ言えるだろう。

 

「でもなぁ・・・」

 

「はいはい、話は後よ」

 

 何処となく幸せそうな寝顔のメドーサが映し出されていたモニターが一瞬歪み、そして、美神達にとってはほんの少しの間の出来事であった筈なのに、とても懐かしく感じる面々の、喜びに染まった顔が映し出された。

 

 諸々の報告を済ませ、その結果に胃と頭を押さえてしゃがみ込んだ小竜姫に、ワルキューレが魔界軍御用達、某魔女の新作胃薬『最高にハイって奴だぁぁぁっ!!』を手渡していたり、カオスが神魔族を押しのけて通信機を占領し、娘に向かって親馬鹿っぷりを全力で発揮してみたり、おキヌの笑顔に美神と忠夫が癒されてみたり。

 

 そして、モニターの向こうで忠夫に向かってヒャクメが「貸し一つなのね~」と、にやにやとした笑顔でのたまわってみたりといろいろ在ったものの、漸く、彼らにも終わったのだと言う感慨が込み上げてくる。

 

 まぁ、どうやらメドーサの事は流石にヒャクメにバレてしまっている様ではあるが、あの笑顔と台詞からすると報告をしてくれていないようである。

 

 何を貸しの代償に持っていかれるかと少々恐ろしくは在るが、同時にヒャクメなので大した事でもないだろう、と、ほっと胸を撫で下ろす忠夫。

 

 そして、それを苦笑いと共に眺める美神であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「・・・ばぁーか」

 

 彼女は、そんな会話を耳に残しながら、微かな笑顔を残して飛び去った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 それに、最も早く気付いたのは、通信を切り、センサーを船外部に向けたマリア。

 

「――! 横島・さん! メドーサ・ロスト!」

 

 シートから飛び起き、地球の面々を映し出していたモニターに齧り付く忠夫の目には、先程までメドーサが居た場所の映像が映し出されている。

 

 其処には、うつらうつらと船を漕ぎながら、僅かに微笑んだ寝顔を見せていた少女の姿は既にない。

 

 船内に、困惑と疑念の色が飛び交った。

 

 マリアのセンサーがパッシブからアクティブに切り替わり、周辺の状況をサーチする。

 

 だが、その探索範囲には反応が無い。

 

 おそらく、既に範囲外に出たか、或いは、人狼族の、いや、ハンターの技能である気配や魔力、霊力を殺して引っかからない状態になっているか。

 

 ともかく、その現在地がわからない事も不安をあおるが、何よりも。

 

「何で、だよっ!!」

 

「・・・落ち着きなさい」

 

 目的が、分からない。

 

「マリア、ちょっと止まってくれっ!!」

 

「・・・ソーリー。帰りの燃料・及び・現在位置・加速を・考慮。地球に帰還する事が・不可能となる可能性・82%」

 

 月の重力を脱し、そして地球に向かって加速中である船が、一端停止し、そして再びコースを変更しながら帰還するという事は――難しい。

 

 普通の状態であっても、巨大なコントロールセンターに大規模な計算装置、そして多大なマンパワーを使用して、それで成功させるのが宇宙行なのだ。

 

 そして、月の魔力の奔流を回避する際に使われた大量の燃料が、その計算を補って余りあるマリアの娘達とドクター・カオスの能力を持ってしても、不可能である推測の後押しをするだけ。

 

 ならば、と忠夫はヘルメットも被らず竜神の装具を身に付け、宇宙船のハッチに手を掛ける。

 

「ちょっと行ってきます!」

 

「待ちなさいっ! 何処に居るかも分からないのに――」

 

「――ノー・ミス・美神! メドーサの位置・確認!」

 

 美神の声を遮って、マリアの僅かに高揚した口調が割り込んだ。

 

 モニターに映し出されたのは、二つの点。

 

 中心で輝く光点と、そのやや斜め後方で、距離を更に離れさせながら移動するそれである。

 

「横島・さんの・体内に設置されていた・発信機・です!」

 

「・・・あー、そう言えば、アレってあんたの中に居たんだっけ」

 

「とゆーか体内ってなんっすかぁっ!? 俺聞いてないっすけどぉぉぉぉぉっ?!」

 

 張り詰めたマリアの声とは対照的に、困ったように頬を掻きながら天井を見上げる美神と、だらだらと冷や汗を流しながら己に何時の間にかそんな物が仕掛けられていた事に恐怖する忠夫であった。

 

 ともかく、そうとなれば話しは早い。

 

 とっとと家出娘を確保して、お尻ぺんぺんである。

 

 再びハッチに取り付く忠夫の後方で、美神がやれやれと溜め息をつきながらヘルメットを被り、シートに身体を固定する。

 

 どうやら、手伝うつもりは無いようだが、かといって邪魔するつもりは欠片も無いらしい。

 

 色々と心中複雑な物があるであろう美神も、ハッチのハンドルを高速で回転させ始めた忠夫に無線機越しの声を送るだけ。

 

「・・・あんまり遅いようなら、置いてくからね」

 

「了解っす!」

 

「メドーサの・目的も・不明です。気を付けて!」

 

「分かってるって!」

 

 視線も寄越さずに後ろ手に美神が放り投げた受信機を引っ掴み、狭いハッチを擦り抜けて忠夫は飛び出した。

 

 宇宙船の進行方向に背を向けて飛び去った忠夫の後方には、地球が巨大な蒼さを真っ暗な虚空に映えさせている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「・・・帰還可能時刻まで・後・25分・43秒」

 

「・・・ほんと、馬鹿なんだから」

 

 マリアの制御の下、再び閉じた船内に酸素が満たされる。

 

 ヘルメットを鬱陶し気に脱ぎ捨て、放り投げた美神はシートの肘掛に頬杖をついて目を閉じる。

 

 だが、言葉とは裏腹に、その唇は僅かに弧を描いていた。

 

「ねえ、マリアもそう思うでしょ?」

 

「イエス・ミス・美神。ですが――」

 

「ですが?」

 

 僅かに言葉を止めたマリアに、先を促すように目を閉じたまま言葉を繰り返す。

 

 閉じた視界に写るのは、暗闇と、真っ直ぐに前を見ながら振り返ることも無く飛び出していった半人狼の横顔。

 

 そして、多分間違い無く、自分と同じように微笑んでいるであろう、アンドロイドの少女の顔。

 

 多分、今頃地球ではヒャクメ辺りが飛び出した忠夫を発見して大混乱であろうが、まぁ、それ程心配する事も無いだろう。

 

 そして、美神は静かにマリアの言葉を待つ。

 

「ですが・だからこそ・横島さんなのだと――マリアは、想うのです」

 

 何時に無く感情の篭ったその声に、ほんの少しだけ緩んだ頬で同意を示しつつ、美神はゆっくりとシートを倒す。

 

 そう、心配する事は無い。

 

 普段は頼りにならない事この上なし、でも、あいつは、やる時にはちゃんとやってくれるのだから、やってきたのだから。

 

 ふ、と。

 

 唇の間から僅かに零れる吐息が、僅かに生み出された笑いの欠片である事を自覚しながら、美神はゆっくりと目を開く。

 

「無節操な馬鹿狼だこと」

 

「捕まえて・しまえば・こちらの物です」

 

「あら、そう簡単に行くかしら?」

 

「行かせ・ます」

 

「ふーん」

 

 互いに何かを意図した会話でもないだろうに、2人の表情だけは共通している。

 

 笑いを堪えるような、楽しむような、そして、何かに甘えるような。

 

 だから、2人同時に飛び去っていった馬鹿のいるであろう方向を、マリアはモニター越しに、美神はシートの上に仰け反った体勢で見つめるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「将を射る為には・まず・馬を射る事からと・言いますし」

 

「・・・餌付けしてたのはそれでか」

 

 基本的な対応は変わらないようだが。

 

「五人姉妹・ですから・男の子も・欲しいです」

 

「あんたもかなり規格外よね・・・」

 

「ドクター・カオスの・娘ですから」

 

 モニターの向こうで「えっへん」と胸を張るマリアに、苦笑いを返す美神であった。

 


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