月に吼える   作:maisen

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明日お休みします( ´・ω・`)

仕事がカオス( ´・ω・`)


第参拾玖話。

 まず、忠夫の口を抉じ開けて巨大なビッグ・イーターがずるん、と出て来た。

 

「・・・」

 

『・・・』

 

 口元からまだだらだらと血を流す青年と、その口内から出て来たずんぐりとした頭部に幾つもの目を持った怪物が視線を合わせて沈黙を呼ぶ。

 

 ぎょろんとした眼球、ぎっちりと敷き詰められた牙。

 

 何処を如何取っても可愛いとは決して言えない、見るだけで危険と分かる凶悪な怪物であった。

 

 状況を理解しえていない表情でそれを眺める、狼の耳を持った口元を真っ赤な血で染める、まるで獲物をマルカジリした直後の様な様相の半人狼の青年であった。

 

「ぎゃーーーーーっ?!」

 

『ギョルワァァァッッ?!』

 

 耳の毛を全部逆立たせながら忠夫が叫び、それに触発されたように怪物が魂消るような悲鳴を上げる。

 

 互いに互いの事を認識した瞬間の、魂の底からビビッた悲鳴の二重奏。

 

 狭い狭いトイレの個室の空間に、仕切りも砕けよとばかりの叫びが木霊する。

 

「何か変なの出たぁぁっ?!」

 

『ギョルル・・・! ギョッ?!』

 

「あ」

 

 忠夫が背中を仕切り板に叩きつけながらそう叫ぶと、反対側に勢い良く後退りした怪物が、思いっきり――落ちた。

 

 穴に。

 

 何処とは、言うまい。

 

 こんな所にある穴など、一つしかないのだから。

 

 暗闇に消えていった怪物の痕跡は、忠夫の口元から出て来た時に付いたであろう唾液と血液の跡だけ。

 

 おそるおそる怪物が落ちた穴を、鼻を摘んで覗き込んだ忠夫の瞳には、半分の恐れとなんだか哀れむような色。

 

 しかし驚くべきなのは、精霊である月神族の秘密基地にトイレがあった事か、それとも何故か所謂ボットン便所と言う田舎では割とポピュラーなタイプだった事か。

 

――水洗ならばこんな悲劇は起こらなかったのに・・・と、警戒しながら覗き込んだ忠夫の目の前を掠めて。

 

「冗談じゃないよぉぉっ!!」

 

「ぬおおおおおっ?!」

 

 怪物が、まるで若い女性のような声を口から出しながら穴から飛び出してきた。

 

 奇跡的に、特に目立った付着物は無い。

 

 必死で身体をくねらせた怪物の努力が実ったのか、それとも月神族にはトイレを利用する機会が無いのか。

 

 答えが前者ならば夢が無いが、後者と言うのもそれはそれで謎である。

 

 ともかく、天井近くまで跳ね上がったそれは最後の力を振り絞って床に着地。

 

 まるで慌てて服を脱ぐように、その背中が割れて脱皮。

 

 残った皮を振りほどくようにして現れたのは――

 

「なっ、何でいきなりこんな所なのさっ?!」

 

「・・・メドーサぁぁっ!!」

 

「え? あ・・・」

 

 ぜはぜはと息を荒らげる、年の頃で言えば忠夫の一つか二つくらい下であろう少女、紫色の長髪を靡かせた、将来の素敵なスタイルが約束されている身体のラインを持った、ミニスカートを履いた――狼の耳と、スカートの端から狼の尻尾をはみ出させたその女性の名を、メドーサと言う。

 

 何故か若返っているようだが、本人である事を簡単に理解できるくらいには面影が有り、だが以前に比べて毒気の抜けた、むしろ可愛さの面に出るその容貌には、残念な事に今は強張りが強く出てしまっていた。

 

 トイレに落ち掛けたともなれば当然であるが。

 

 かなり本気で焦った表情を浮かべていたメドーサが、周囲の状況を把握するよりも早く忠夫がその背中までがっちりと腕を回して正面から抱きついた。

 

 ひどく驚愕の表情を浮かべたメドーサが、それでも聞き覚えのある声に僅かに、少しだけ頬を緩める。

 

 そして、己よりほんの少しだけ高い所にあるその顔を見上げ、忠夫のその頭部についている狼の耳、そして口元を濡らす血液を目にした瞬間。

 

 忠夫の腕の中で、石化の魔眼にでも魅入られたかのように硬直した。

 

「良かった・・・! 良かったなぁおい、メドーサっ! ・・・あ、あれ? メドーサ?」

 

「・・・く」

 

 彼女の視線は忠夫の耳に釘付けであった。

 

 言葉も耳に入らない様子でそれを凝視していた彼女の手の平が一瞬光り、そしてその手に見慣れた先が二つに分かれた槍、刺叉が出現する。

 

 それを片手で握り締めた彼女は、瞳に恐怖と怒りを浮かべながら、思い切りそれを振りかぶり――。

 

「食われてたまるかぁぁっ!!」

 

「んぎゃぁぁぁっ?!」

 

 異様な雰囲気に腕の力を緩めた忠夫の側頭部を、髪の毛を数本持っていきながら振り落とした。

 

 音速でも超えていたんじゃなかろーか、と言う具合にその先端は固い岩盤の床を砕いて罅割れさせる。

 

 トイレを轟音が揺さぶり、尻餅をついて後退する忠夫の頭部を目標に、メドーサはもう一度刺叉を振りかぶった。

 

 彼女の瞳はちょっと逝っちゃっており、忠夫はまさに蛇に睨まれた蛙状態である。

 

 動きの鈍くなった身体を必死で動かし両手を振る忠夫。

 

 頑張ったのに何故かいきなり訳の分からない理由で叩き殺されたとあっては悔いの残る事間違い無し、主に嫁がもらえていない事だが――なので、彼も彼なりに必死である。

 

「ま、待てっ! 落ち着けメドーサぁっ!!」

 

「ふ、ふふふふふっ!! この私を、食えるものなら食ってみなぁっ!!」

 

 駄目でした。

 

 余計なフェイントも無駄な動きもまともな精神状態にも一切無く、虚ろな笑みを浮かべたメドーサが、瞳をキュピーンと輝かしながら刺叉を振り上げる。

 

 突き刺す、ではなく叩き潰す気満々である。

 

 そして、その先端が真っ直ぐに天井を指し、そのまま全力で叩きつけられようとした、その瞬間。

 

「何事だっ?!」

 

 トイレのドアを、真っ直ぐに伸ばされた脚が吹き飛ばした。

 

 メドーサと忠夫の間を、真ん中から蹴り折られた扉がすっ飛んで行き、そしてそれに視界を一瞬遮られたメドーサの瞳に正気の色が戻る。

 

 月神族の秘密基地、そのトイレにて。

 

 なんとも曰く言い難い沈黙が漂った。

 

 耳を伏せて真剣白羽取りの前段階の格好で、扉を蹴り開けた神無を「やば」って感じに見ている口元血だらけの忠夫と、きょとん、とした表情で忠夫と神無に視線を往復させながらを刺叉を振り上げた姿勢のままで固まっているメドーサ。

 

 そして、そんな2人を呆然とした表情で眺めていた神無の瞳が、メドーサを捉えて困惑したように広がり、次の瞬間には驚愕で埋め尽くされる。

 

 そのまま弾かれたように刀を抜いた神無は、構えを取りながら叫ぶ為に思いっきり息を吸い込み。

 

「敵グモーッ?!」

 

「しーっ!?」

 

 突進してきた忠夫の両手に口を塞がれ沈黙させられる。

 

 だがしかし、これでも月警官の長である神無。

 

 忠夫の両手を慌てて振り払うと、一端離脱する為地面を蹴り扉の在った所で反転、迦具夜姫を守る為、そして報告の為に駆け出そうとした。

 

 が。

 

「「超加速っ!!」」

 

 背後から聞こえたのはそんな声。

 

 次に視界に入ったのは、自分の体を捕らえる4本の腕。

 

 ばたばたと両手脚を暴れされて、壁に手を掛け全力で抵抗する神無。

 

 しかし、月の魔力に満ち溢れた半人狼と、歴戦の女魔族が相手では長く持つ訳も無く。

 

 必死の努力の甲斐も無く、囚われた神無は最後の人差し指を剥がれさせ、トイレの中へと引き摺り込まれて行ってしまったのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ヤバイ、いきなりバレたぞ・・・!」

 

「自分でド壷に嵌ってるような気もするけどねぇ」

 

「むーっ! むーっ!!」

 

 暫しの後、ようやく血を拭いた忠夫とメドーサの視線の先には何処から取り出したのやらロープでぐるぐる巻きにされた神無が、口に布を噛まされて唸っていた。

 

 その目の前で頭を抱えて蹲る忠夫と刺叉を担いでその横ににやけながら立っているメドーサに殺気の篭った視線を向けながら、神無の顔には怒りと焦りの表情が浮かぶ。

 

 それを楽しげに見つめていたメドーサは、神無の目の前に片膝をつくとその顎に細い指を当てて顔を向けさせた。

 

「・・・さて、どーしてやろうか」

 

「やめんかっ! これ以上状況を悪くせんでくれぇっ!!」

 

 そんなメドーサの頭頂部に軽い拳骨を落としつつ、半泣きの忠夫がメドーサと神無の間に割り込んだ。

 

 叩かれた頭に戸惑いながら手を当てているメドーサはさて置き、忠夫は必死で誤魔化す為に神無を説得にかかる。

 

 何せ、相手が相手で状況が状況だ。

 

 一歩間違えば、雇い主の雷がダース単位で降り注ぐ事は間違い無い。

 

「え、えっと、じ、実はっ!」

 

「・・・・・・?」

 

「実は・・・そのぅ・・・あのー」

 

 怒りの中にも疑問を浮かべた神無が、視線で顔中に冷や汗を流しまくっている忠夫に続きを問う。

 

 しかし、忠夫は笑顔で固まるばかりで続きを述べず、流れる汗の量がどんどんと増えていくだけだ。

 

 そろそろ疑念が消えて警戒の色だけを残し始めた神無の前で、溜め息を付いたメドーサが忠夫に囁いた。

 

「・・・しょうがないねぇ。私に任せな」

 

「・・・物騒な事は駄目だぞ」

 

「分かってるって」

 

 渋々とメドーサと位置を入れ替わった忠夫は、後頭部に突き刺さる神無の視線をひしひしと感じながら横に退けた。

 

 そして、忠夫と場所を変わったメドーサはと言えば、スカートにあるらしいポケットに手を突っ込み、暫しごそごそと如何見ても探るほどに深さの無い底を探った後、おもむろに奇妙な物体を取り出した。

 

 それは、言うなれば取っ手のついた蚊取り線香であった。

 

 そして、神無の眼前にそれを突き出し、その取っ手をメドーサが回転させるとそれに連動して蚊取り線香部分が回転し始める。

 

「ほーれ、ぐ~るぐ~る」

 

「んなもんが効くかぁっ!!」

 

「・・・ぐむぅ」

 

「効いたよ」

 

「め、メドえもんっ?!」

 

「誰がだ」

 

 メドーサは忠夫に冷たい視線を向けながら、やはり如何見ても入りそうに無いミニスカートのポケットにその秘密道具(ヌルからの技術提供によって作り出された催眠・洗脳装置)を収納。

 

 何となく物欲しそうな視線を向けてくる忠夫に軽く片手を振りながら後は任せたと言わんばかりに場所を譲った。

 

 未だ納得いかなげな顔であるものの、忠夫もそんなに時間に余裕が無い事は分かっているので虚ろな表情を浮かべる神無の前に座り、だが、暫し悩むような表情を見せる。

 

 無論、怪しげな道具で神無の意識を奪った事を悔いている――訳では、無い。

 

「・・・いや、やっぱ愛だよな、うん」

 

「さっさとやりなっ!」

 

 後方から足が飛んできたので危険な考えを余所にやり、真剣な表情を作りながら神無に向かって語りかけた。

 

「怪しくないぞー。今の女の子は俺の娘だぞー」

 

「待てコラ」

 

 額に青筋を浮かべたメドーサの手が、握り潰さんばかりの力で頭に絡み付いてきたので一瞬で真面目な表情は崩れたが。

 

「いだだだだっ?! 何すんじゃー!」

 

「誰が誰の娘だいっ!」

 

 ぐきり、と音を立てながら無理矢理振り向かされた忠夫の顔を思いっきり睨み付けながらメドーサが叫ぶ。

 

 それに対して忠夫はとても良い笑顔を返し、親指を立てて見せた。

 

 それでも納得いかなさげに更に手に力を篭めながら娘が怒っているので、壁に奇跡的に割れずに引っ掛けてあった鏡を指差してやる。

 

 胡乱気にそれを眺めたメドーサの顎が落ちた。

 

「何でこんなオプションがついてるんだぁっ!!」

 

「はっはっはぁっ! 尻尾も付いてるぞっ!」

 

「うああああっ?!」

 

 己の尻尾を見ながらくるくるとその場で回転するメドーサを、忠夫の暖かい視線が追いかけている。

 

 それを発見したメドーサは、己の尻尾を追いかけるのを止め5割の苛立ちと3割の怒り、そして残りの気恥ずかしさやら照れくささやらを篭めた拳を、耳まで赤く染めながら忠夫に向かってマウントポジションで振り下ろし続けるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「お帰り、えらく遅かったわね。逃げたかと思ったわよ・・・って、何でトイレに行くだけでそんなにボロボロになってんのよっ?!」

 

「・・・こけました」

 

 顔だけをボコボコに膨らませたその状態で、それが通用する訳も無いのだが。

 

 とりあえず、美神はどうせまた月警官達にでもセクハラか何かいらんことをやって、集団で袋にでもされたのだろうと溜め息一つであっさり流した。

 

 その思考が何となく読めた忠夫は膨れ上がって見えない眼からだくだくと涙を流している訳だが。

 

 あの後、神無には何も無かったと言う事にしてトイレから出て行ってもらった。

 

 そして現状を聞いてくるメドーサに簡略化した説明を。

 

 そしたら何故だかメドーサさんは、いやに殺気をばら撒きながら忠夫に冷や汗流させながら、「一口噛ませな」と仰った。

 

 蝿に不意打ちとは言えやられた事が大層ご立腹の様子であったので、忠夫としても父の威厳を保ちつつOKを出してみたり。

 

 出したつもりの威厳が鼻で笑われてへこんだのは秘密である。

 

 ともかく、マリアのほうも準備が終わったようで、一抱えもあるゴテゴテとした球体を引っさげたマリアが宇宙船を置いてある倉庫から戻って来た。

 

 時間的な余裕はあまり無い、と言うか、時間が掛かれば掛かるほどベルゼバブのクローンが増える事が予想される為、いきおいマリアの準備終了がそのまま出発の合図となる。

 

「マリアの方も準備は出来てるわ。あんたは爆弾持って裏口から潜入、仕掛けたらさっさと戻る事。私とマリアで囮やってるから、出来るだけ早く戻るのよ」

 

「ういっす」

 

『イエス・ミス・美神』

 

 今は美神達に見つからない内に、と言って先ほど忠夫から聞いた裏口の辺りに先行している筈のメドーサを思い浮かべながら、忠夫はマリアからその時限爆弾を受け取った。

 

 爆発までの時間は調節可能、設置したらパスワードを打ち込めばいつでも解除可能。

 

 短い時間で改修した割にはそれなりに安全設計になっているのがマリアの真骨頂なのか、それともマリアの気持ちなのか。

 

 しかしそれも何となく上の空でマリアの説明を聞いている忠夫の耳には半分くらいしか届かない。

 

『横島・さん?』

 

「・・・はぁぁぁぁ」

 

『・・・スイッチ・オン』

 

「のびゃびゃびゃびゃぁっ?!」

 

 頑張って作ったのに説明を聞いてもらえなかったり、ねぎらいの言葉とか「凄いな、マリアは」とか言ってもらえなかったマリアが拗ねてスタンガンで忠夫を痺れさせた以外に特に問題は無く、強いて言えば忠夫の記憶が一部飛んだことくらいだろうか。

 

 ともかく、迦具夜達を含めた最終確認を行なった後、いよいよ作戦開始と相成った訳である。

 

「迦具夜姫。最優先目標はベルゼバブの排除で構わないのよね?」

 

「ええ。その爆弾がどれほどの物かは分かりませんが、損害は問いません」

 

「・・・言質は取ったわね、マリア?」

 

『イエス・ミス・美神。アナログ・デジタル・霊波・可能な限りの・保存媒体に・記録・シール完了』

 

「え? ・・・あ、あの、どれくらいの被害が「さぁて、行くわよ、あんた達っ!!」あ・・・」

 

 おずおずと心配そうな表情を浮かべて胸の前で手を組み、こちらを見送ってくる迦具夜姫と、その横で何かを思い出そうとしているかのように首を捻っている神無、そしてお気楽な表情でひらひらと手を振る朧を残し、美神達はダッシュで出発したのだった。

 

 ともかく、この時点で神魔のどちらの陣営も、恩を売る所か下手をすると完全に関係を断たれたりする可能性が出て来た訳であるが、美神達には知ったこっちゃないのである。

 

 形式の上とは言え、報酬が何処から出ていると言っても、依頼主が「損害を問わず」と言ったのだから。

 

 後は依頼を遂行して、その結果なにか文句をつけられても言質は取っているので問題無し。

 

 事前に小龍姫やワルキューレに連絡を取るべきではないか、と言う意見が出るかもしれないが、秘密基地とは名ばかりの避難所では、未だ魔力の荒れが収まりきっていない月面から地球までの連絡は不可能であったので、状況が許さなかったので、の一言で片付ける予定。

 

 ちなみに、横で聞いていた忠夫も記録を取ったマリアも反対はしなかった。

 

 忠夫は流石に冷や汗を垂らしてたりはしたが。

 

 完全に後の事を考えていない、いや、考えてはいるが手段を選んでいない美神達のおかげで色んな所が泣く事になった、という次第である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「準備も良し、と。さて、それじゃ――始めますか!」

 

 小龍姫が使う物と同じデザインの神剣、竜神族の両刃の剣を構えた美神が、見渡す限りの砂漠のど真ん中で瞳を閉じる。

 

 呼吸を整え、ゆっくりと精神集中を始めた美神の昂ぶりと呼応して高まる霊気があたりの砂を巻き上げ、最後の気合の呼気と共に炸裂した。

 

 ややあって、砂塵の収まった中心にはギリギリまで六感の高まった美神とセンサーを最大限まで稼動させ、無手のまま佇むマリアの姿。

 

 静かに時を待つ美神達の元に、はたして長く待つ事も無く目的の存在は出現した。

 

 美神達を囲むように空間に無数の小さな穴が開き、吐き出されるようにして小さな魔族を生み出していく。

 

 耳障りな音を立てながら、蝿の王の異名を持つ魔族、ベルゼバブはそそり立つ壁の如く布陣した。

 

『・・・良い度胸だな、人間。既に此処は俺様が支配する場所と分かっていての挑発か?』

 

「挑発? 舐めんじゃないわよ。たかが数頼みの蝿如きが、このGS美神に真正面からブチ当たろうって方が喧嘩売ってるわね」

 

 鼻で笑った美神の周辺から、怒涛の如き殺気の波が襲い掛かる。

 

 だが、美神の表情に陰りは無い。

 

 勝気な笑みを崩さぬままに、沈黙を守りながら佇むマリアをちらりと横目で見た美神は、その首が了承の意を伝えて僅かに上下した事を確認して更に余裕の笑みを浮かべる。

 

「害虫駆除に一々挑発する馬鹿はいないでしょ? ぷちぷち潰してたんじゃ面倒臭いから、纏めて出て来て貰えるようにしただけよ」

 

『い、言わせておけばっ!!』

 

「大体何? その緑色。気味が悪いにも程があるわっ! 野菜の食べすぎで染まったのかしら? 魔族の癖に健康志向なんて100年早いわよ、おーっほっほっほっほっほっ!!」

 

 楽しそうだなぁ、と忠夫辺りなら口に出したかもしれないが、隣に立つのはマリア。

 

 口に出さずに思考の中だけで収めつつ、怒りに目を晦まされたベルゼバブの壁の背後に新たな穴が開き、追加の蝿が湧き出しているのをセンサーを駆使して捕え続ける。

 

 ――センサーが捕らえ得る範囲だけでも、その数は軽く万を超えようとしていた。

 

『余裕をブッこいてられるのも今のうちだぜぇ・・・分かるか? おまえ達の周りにいる俺だけでも、街一つ潰すのに一日も掛からねえ! このまま増え続けて、月を覆い尽くすほどに増えちまえば、俺に怖い物なんてねえっ!! 神も魔も、俺に平伏すしか無くなるんだぞっ!』

 

「ハッ・・・馬鹿じゃない?」

 

 全方位から同時に放たれた怒号に、その野望に五月蝿げに顔を顰めた美神は冷たい視線と小馬鹿にしたような笑いで答えを返す。

 

 月光を照り返す神剣を構え、後ろ手にマリアへと合図を送りながら、美神はあっさりとその魔族の言葉を切り捨てる。

 

 複眼を怒りの色に染めたベルゼバブは、4枚の羽根を怒気と呼応させて激しく動かしながら突撃の為の力を溜め、押し潰すようにその包囲の輪を一気に縮めさせた。

 

『骨の一欠けらまで養分にしてやるっ!』

 

「たかが街一つと、超一流のGS・・・どっちが手強いか分からないような害虫は――このGS美神令子が、極楽へ行かせてあげるわっ!!」

 

『ミッション・スタート。戦闘出力・最大。――1番から・20番まで・起動!』

 

 美神達を囲むように、真っ白な煙が弾けた。

 

 周囲の空間を完全に覆い尽くしたその煙に巻かれたベルゼバブ達は、もがき苦しむ間も無くいとも容易く落ちて行く。

 

 驚愕に彩られたその表情も、しかし怒りに意識を取られ、突撃の為だけに力を溜めていた己の身体を止める事は出来なかった。

 

 次々と、包囲の内側から膨張してくる白い壁にぶつかって、取り込まれては落ちて行く分身達を見ながらそれらよりも外側に配置していた為、巻き込まれる前に後方へ離脱する事の出来た者達の間に動揺が広がっていく。

 

 同じメンタリティを持つが故に、そしてそれがあまりにも脆いが故に、止まった動きは全く同じタイミングで発生し、そしてそこを狙って打ち込まれた光条と爆炎に巻かれて更に数多くのクローンが落ちて行く。

 

『く、クソがっ! これでも喰らえっ!!』

 

 思わぬ反撃に一気に包囲を乱したベルゼバブが、漸く反撃の一撃を返し始めた。

 

 光条と銃弾が飛んできたと思しき場所へ向かって、白い煙の届かぬ場所から次々と打ち込まれる魔力砲。

 

 出力もあり数も多いそれは、だがしかし致命的な欠点があった。

 

 砲台となるベルゼバブの体が小さい故に、どうしてもその砲口を超えるサイズのエネルギーは打ち出され難いのだ。

 

 細い、まさにレーザーの如きそれは全く同じタイミング、全く同じ狙いで打ち込まれ――そして、白煙の中、別の場所から正確に打ち込んだ個体に向かって反撃されたミサイルに巻かれて砕けて更にクローンは落ちた。

 

『何ッ?! ち、畜生! もっと数を呼んで押し潰して――ぎゃぁっ?!』

 

 叫ぶと同時に更に巨大な光線の群が周囲を薙ぎ払い、次々とベルゼバブが落ちて行く。

 

 ベルゼバブの個体に弱点があるとすれば、それは致命的なまでの打たれ弱さ。

 

 人間の作った――とは言え、今回の物は1000年の時を生きる天才の作った物、親馬鹿ゆえに持てるだけ持たされたマリアに使用できる道具の中にあった殺虫剤であるが――道具でさえも落ちてしまうその貧弱さ。

 

 そして、数を頼みに思い上がってしまった精神の未熟さ。

 

 実際の所、既に美神達の姿はその白煙の中には無い。

 

 とっくに超加速とマリアのステルス機能を駆使して脱出済みである。

 

 大気が無い故に風が無く、その場に漂いつづける殺虫剤の煙は既にその直径を1km近くに広げ、内部で動き回りながら攻撃してくる何かに気を取られたベルゼバブは、かなり離れた所で高笑いを上げつつマリアからその状況を聞いている美神を発見する事すら出来ずにいた。

 

「ほーっほっほっほっ! 小さい脳味噌じゃその程度よねーっ! 馬鹿正直に相手にしてあげる訳無いでしょうがっ」

 

『自律駆動型・移動砲台・『マンダ』・損耗率・1,5%。装甲に・軽微な損傷。更に増援を・感知』

 

 霊気を放射する前に仕込んでおいた殺虫剤が作動し、煙幕兼特殊武器が効果を発揮したと同時にマリアがガンマに装備されているのと同じ空間圧縮格納の機能でそれを呼び出し、最初の砲撃で包囲を崩れさせたベルゼバブ達の隙間を超加速を使った美神がマリアを引っ張り脱出。

 

 生体ベースになったので重量がかなり軽減されていたが故に出来た事であろう。

 

 ちなみに、マンダはカオスがわざわざ鋼鉄の8本足を武装を削ってくっつけたが、だがそもそもそれを扱うマリアの娘の1人の機動力に追いつけなかったが故に失敗作となった物である。

 

 失っても痛くないので問題無しな捨て駒戦力である。

 

 白煙の中をがちゃがちゃと足を動かしランダムに、かつ魔力砲の打ち込まれるタイミングや方向さえも学習し、予測しながら回避行動を続けるそれを捕らえるのは容易い事ではない。

 

 全く持って物騒な、いや、流石はドクター・カオスと言うべきなのだろうか。

 

――結論、美神が笑いを堪えられなくなった。

 

「おーっほっほっほっほっほっごほっごほっ!!」

 

『酸素と・エネルギーの無駄遣いは・止めた方が・よろしいのでは?』

 

 マリアの手渡したハンカチに描いてあった首輪付きの何処かで見たような、と言うかいつも見ている男によく似た似顔絵に、少々引いた美神であった。

 


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