月に吼える   作:maisen

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第参拾四話。

 風を斬る。

 

 大気ではなく、気体ではなく、意味在る物ではなく、故に意味無き物をも斬る。諸々のモノを含めた全てを斬る。

 

 その過程であり、また同時に結果として発生する表現こそ、其れなのかもしれない。

 

 斬られた風は、斬ったのもまた風であるかのように――只、流れて踊る。

 

 鋼でありながら、刃。

 

 切っ先でありながら、腕。

 

 腕にして、武器。

 

 武器にして、己。

 

 己を磨き、肉体を磨き、精神を磨き、技量を磨き、高みに至るをこそ己の存在証明とするが故に。

 

 故に、金属の塊でありながら――是こそ、我が身体にして我が誇り。

 

「お・・・おおおっ!」

 

 右から袈裟懸けに振り下ろす刃の先が、確かに触れた筈の相手の刃の手応えさえも残さずに流される。

 

 するり、と僅かに開いたこちらの右半身に滑り込むように、柄を上に、切っ先を下に、刀身を斜めに構えてこちらの刃を滑らせた侍が潜り込む。

 

 冷や汗の流れる間も無く、本来ならば止める刃を瞬時に左手一本で握り返し峰を返す。

 

 そのまま勢いを殺すどころか、更に振り下ろした片手に加速を入れた。

 

 地面を覆う雪に切っ先が沈み込み、僅かな反動をその身に得る。

 

 反動を逃さぬように、左胸を斜め上に突き出すような体勢で体を逸らす。

 

 峰を叩きつけた地面の固さによっては、いかに身体能力に定評のある人狼と言えども手首を痛める可能性もありうるが、幸いにして地面は雪に覆われている。

 

 しかし、刀身、手首を傷める可能性を考えると上策とは言えない、言えないが――こうでもしないと首が飛ぶ。

 

 侍の刀が初速を得た、と思った瞬間には。

 

『っせいっ!!』

 

「ぬぅっ?!」

 

 冷たい、鋼の冷たさとはまた違った冷ややかさを纏った刃が、薄皮一枚の差で頚動脈を掠めて首周りの空気ごと背後に吹き抜けていた。

 

 こちらの開いた体に沿っているように、互いの間に僅かな隙間を残してすれ違う二人。

 

 だから、開いた体を閉じる勢いのまま、地面に峰打ちをかました為に刃を上に向けているそれを、技も何も無く膂力任せに横に薙ぐ。

 

 全ては瞬間の判断任せ、己の反射神経と体に染み付いた動き任せ。

 

 それでも、人狼の鍛治師が鍛えた里に伝わる刀は、体を前に泳がせた侍には鉄棒で殴りつけるくらいには効く筈であったし、当たり所が良ければ真っ二つ位の勢いは――。

 

『なんのっ!』

 

「それは幾らなんでも反則でござろうっ?!」

 

 掠りもしない。

 

 重力だの慣性の法則だの、この世界を支える物理原則を無視できるその存在は、前に流れつづける姿勢のまま意思だけで「後ろに動いた」。

 

 ギリギリ、と言うか紙一重で見切られた感もあるが、重厚な鎧を身につけた胴体にも一筋の傷さえ付けずに避ける。

 

 舌打ちしつつ後方に飛び退り、一足よりは僅かに広い間合いを取った。

 

 隣で雪を踏みつけ着地する影。

 

 視線も向けずに声をかける。

 

「如何でござるか?」

 

「反則だな、ありゃ」

 

 互いに珠のような汗を額に浮かべながら、体中の彼方此方に、放って置けば数十秒も待たずに完治してしまう程度の切り傷を抱えながら、彼らは楽しげに言葉を交わす。

 

『・・・やれやれ、もう息が上がってるでござるか?』

 

「とっくの昔に息をする必要が無くなった先達の台詞ではないでござるな」

 

 一本取られた、とばかりに苦笑いを浮かべる、人魂を傍らに浮かべた鎧武者達。

 

 頭の上にはピンと立った狼の耳、お尻からは軽く持ち上げられている細めの尻尾。

 

 人狼族の先達、戦乱の時代を戦い、それでも尚、己を磨く事を忘れぬ狼達。

 

 その余裕とも取れる行動は、刀を構えて慎重に呼吸を整えている犬塚、犬飼に苦笑いを浮かべさせるに過ぎない。

 

 悪意ゆえの挑発でなく、彼らが既にこの世の者でない事すら忘れて熱中していたと言うだけの事。

 

「で、如何にかなりそうでござるか?」

 

「正面からは無理。何とか一対一に付き合ってはくれたが、体力が持たんな」

 

 彼我の状態を見比べれば一目瞭然。

 

 こちらが肩で息をしていたのに対し、向こうは息をする必要が無いし、ましてや幽霊に体力と言う概念があるのかどうかさえ知れたものではありゃしない。

 

 体の彼方此方に傷を追っているのに対し、向こうは無傷。

 

 出血は体力、集中力とも奪っていく上、再生だって代償ゼロとはいかない。

 

 体力だの霊力だの、何かしらで埋め合わせが必要なのが、この世のケチ臭さと言う物だ。

 

「かと言って2対2でもなぁ」

 

「危なく2人纏めて開きになる所でござったしなぁ・・・」

 

 体力で負け、連係もおそらく百年単位で互いを修行相手としてきたあちらが上。

 

 技量に至っては比べる事すら虚しくなる。

 

 有利な点と言えば――

 

「ただ、つけこむ隙はあるでござるな」

 

「・・・あれかぁ。成功したのは一回だけだぞ? しかも長老相手に」

 

「やらねば負けるでござるが? お前がやらんのなら拙者は逃げるでござる」

 

 これも、幾つかある。

 

 刃を交わし、ギリギリのラインで見極めた貴重な情報。

 

 第一に、剣撃の軽さ。

 

 肉体と言う器を持たないが故に、体重移動を利用した一連の動きにも、体格に見合った圧力が無い事。

 

 第二に、対応力の低さ。

 

 数百年単位で互いを相手取った為に、同じレベル同士の間で磨かれた動きの純粋な無駄の無さという点では勝てる気がしない。

 

 こちらの攻撃を受け流す、という点では芸術的でさえある。

 

 故に、攻撃されたとしても、軽さの為に弾き飛ばされるということが無く、むしろ流れた体を狙い撃ちされる事が殆ど。

 

 ライバル関係の見本とも言うべき二人ではある。

 

 しかしそれは相手の動きをついつい予想してしまうと言う事でも、ある。

 

 犬飼・犬塚ではなく――体に染み付いた、稽古相手を思い浮かべてしまうのだ。

 

 故に、思わぬ行動に出られた際に、僅かながら動きが止まる。

 

 そして、最後に――

 

 こちらの知識の中に、「犬飼忠夫」が居る事。

 

 力で負け、速度で負け、技で負け――しかし、生き汚さとセコさと常識外れの行動で、何時も何時も修行だのお仕置きだのから逃げおおせた馬鹿息子。

 

 それも、また、一つの特異な発展系。

 

『相談は終わったでござるかな?』

 

「「応っ!!」」

 

 2人同時に刃を鞘に収め、突っかける。

 

 犬塚は左に鞘を納め、犬飼は右に鞘を収めての、最後の一撃といわんばかりの全力疾走。

 

 ――走りこみながら、寸前で踏みとどまって、その勢いをも利用した鞘走り。

 

 鎧姿の人狼幽霊達はそう判断し、対応する為に構えを取る。

 

 奇しくもそれは鏡で移したような左右対称。

 

 駆ける2人の間から待ち受ける二人の間まで、巨大な鏡がそそり立っているようにさえ見える完璧な対称関係。

 

「我が全身全霊を篭めた刃――」

「止められるか・・・?!」

 

 幽霊達は応えず、失望したように目を細めながら鞘と手、肩の向きから考えられる一撃のラインに対応し――

 

『力任せがお主等の応えでござるか――』

 

『――ならば、出直して来るでござる』

 

 タイミングを取ってカウンターに――

 

 

「「うっそぴょーん」」

 

『『ぴょんっ?!』』

 

 シリアスな空気をぶち壊す、あまりといえばあまりにもな台詞と同時に繰り出されたのは、構えた刃ではなく、最後に踏み込んだ足を基点に、幽霊達の間を抉じ開けるようにして振り上げられた2本の足。

 

 一瞬脱力した幽霊達が慌ててその蹴りに合わせて刀を振り上げ、しかし蹴り足は振り上げられた途中で力づくで振り下ろされる。

 

 足を振り上げた姿勢のままで足を踏み下ろせば自然と体が前のめりになり、そして戸惑うように振り上げられた刀に向かって頭が落ちる。

 

 響いたのは、磨きぬかれた金属を擦り合わせたような音。

 

『『噛み止めたでござるかぁっ?!』』

 

 二本の刃は、人狼の牙によって縫いとめられ、口角から血を流す2人の不敵な表情を映り込ませて動けない。

 

 そのまま、動きを止めた幽霊達に向かって止めの一撃を――

 

「「・・・っ?!!」」

 

 繰り出そうとした二人の目に、刀を噛みとめられた瞬間に手を離した幽霊達の手が写る。

 

 其処には、霊力という力が収束され始めており、彼らにとっても見慣れた物が出現し様としていた。

 

『惜しかったでござるが――』

 

『此処まで、でござるな』

 

 武器を失ったのならば、霊波刀がある。

 

 戦場を駆け抜けた2人にとって、武器を奪われる事、それによって生じる隙はそのまま死へと繋がる特急券。

 

 ならば、奪われる事の無い武器、彼らにそもそも備わった刃――霊波刀を扱う事は、当然といえば当然の事。

 

 攻撃を全力の鞘走りからの一撃と判断させる為に、犬飼達の刃は鞘の中。

 

 対して霊波刀を出現させるのに掛かる時間は、一瞬。

 

 そして、彼我の距離は超至近。

 

 故に。

 

 ――己が未熟っ、すまぬ!!

 

 2人の脳裏に、只その一言が駆け抜ける。

 

 誰に宛てた言葉か、何に対しての謝罪なのか。

 

 その答えが浮かぶよりも先に、2人の体に向かって見慣れた光が顕現し、そして。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『はい、そこまで』

 

『で、ござるな』

 

 横合いから突き出された薙刀と、やや細身ながらも霊力の流れが固まって見えるほどに収束された2本の霊波刀が左右からその軌道に割り込んだ。

 

「ふぁ?」

 

「ふぇ?」

 

 小揺るぎもせずに受け止めた薙刀と霊波刀の先を視線で振り仰いだ二人の目に、青と白の和服を纏った2人の女性の幽霊の姿。

 

 薙刀を両手で突き出しているのは青い着物を着た女性、細身ながらもやや背は高く、烏の濡れ羽色、と言ってもまだ足りないような艶やかな黒い長髪を持った、そしてその黒髪の間から狼の耳を生やした淑やかな妙齢の女性。

 

 左右の手から霊波刀を展開しているのは、少々小柄ながらも出る所は出て、引っ込む所は極限まで引っ込んでいるような、白銀色の髪に一房だけ赤い色を混じらせた、こちらも長い髪を持った溌剌とした感じの少々若い印象を受ける女性。

 

 互いに差異を備えていながらも、共通するのは、その微笑を浮かべた表情と――全く笑っていない目であろう。

 

 和装の女性の声が聞こえた瞬間に、今まさに突き出そうとしていた霊波刀と同じく凍結したかのように動きを止めた鎧武者姿の幽霊達は、油の切れたロボットのような動きで首をぎこちなく振り向かせる。

 漸く、と言った感じで振り向いた彼らの目に写ったのは、そんな笑っているようで全く笑っていない和装の幽霊達。

 

『言い訳は聞かんでござるよ』

 

『ま、待ったでござる! 今回は我らに落ち度は無いでござるよ!』

 

『で、貴方も同意見かしら?』

 

『も、勿論でござるとも!』

 

 両手開いて高々と天に突き上げ、だらだらと冷や汗を滝のように流しながらのたまう男性が2人。

 

 その頬に霊波刀と薙刀の刃を当てて、いっそ可愛らしいと言っても過言ではない笑顔で迫る女性が2人。

 

 先程までの気迫も無く、呆然と――いや、何となく背筋を伸ばしながらその光景を眺めていた犬飼犬塚に助けを求める視線が飛ぶも、2人は咄嗟に視線を逸らしてそ知らぬ振り。

 

『さ、あちらでじっくりお話を聞かせていただけますわよね、愚弟殿に旦那様?』

 

『夫と愚兄がご迷惑をおかけしましたでござる』

 

 深々と慎み深く頭を下げてくるご婦人方に最敬礼を返す犬飼達の目の前から、某売られていく子牛のような瞳で引き摺られていく侍達。

 

 嵐のような展開を、只、身に覚えのある者達としては遠い目で見送るしかなかった訳で。

 

『ちがっ?! だから助けを求める少女の笛の音が――』

 

『あらあら、結婚・・・何年目だったか忘れましたが、浮気ですか? これは少々本気でやらないと駄目みたいですわね』

 

『然り然り』

 

『情状酌量とか大岡裁きとかは無いでござるか?』

 

『『・・・今までありませんでしたか?』』

 

『『ございませんでしたぁっ!!』』

 

『『ならば今回も無しで』』

 

『『酷っ?!』』

 

 ど○ど○ど~な~○~な~。

 

 嫌に成る程既視感を覚える光景を前に、犬飼達は脱力しつつも雪の上に仰向けに寝転がる。

 

 冷たい雪の温度が、未だ熱と汗の引かぬ体から適度な速度で冷ましていった。

 

「・・・死んだ、と。負けた、ではなく、死んだと思ったでござる」

 

「同じく。返しの技術だけで、こうまで押されきるとは、なぁ」

 

 腹の立つくらいに蒼い空に、呟く声が消えていく。

 

 一度も自ら攻撃を仕掛ける事無く、まるで稽古のように反撃と受け流しだけでこちらを追い詰めてくれた先達たち。

 

 ・・・まぁ、いらん所まで先達であったようではあるが。

 

「・・・慢心していたか?」

 

「否定できるものならやってみろでござる」

 

「・・・高い、な」

 

「高いでござるなぁ」

 

 それは冷たい空気の先にある空か。

 

 それとも、只高みにある者達への感想か。

 

 だが、しかし。

 

 どちらにせよ――

 

 彼らの頭に浮かぶのは、同じ答えであったという。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「っくしょうがぁっ!!」

 

「下品な叫びはお止めなさいっ!! 耳障りですわっ!」

 

「んだとぉっ?!」

 

 人狼達の戦場から、白く化粧を被った疎らな木々を挟んだ反対側。

 

 雪之丞、タイガー、シロタマと合流した弓、おキヌ、一文字達は、正直な話苦戦を強いられていた。 

 

 手数が増え、火力も増強されたというのに、だ。

 

 雪之丞は魔装術を纏って顔を庇いながら立ち、弓もその隣で6本の手を持った半透明の鎧のような物を纏って同じく防御姿勢を取っている。

 

 水晶観音、と呼ばれるその鎧は、弓家に伝わる秘術の粋。

 

 常は水晶の珠を通した首飾りとしてあるそれは、一度戦いとなれば弓専用の鎧となってその身を守る、彼女の戦衣装である。

 

 2本の腕しか持たない人間にとって、そもそも無い4本の腕を操る為には相応以上の修練が求められ、故にそれを使いこなせるだけの修行を積んだ彼女は、歳若いながらも多くのGSの卵が集まる六道学院の中でも、確かにトップクラスの力を持った霊能力者である事は間違いない。

 

 だがしかし、その彼女と、ほんの一握りの霊能力者が、己の命を天秤に掛けて挑む修練を生還した雪之丞を持ってしても、いかんともしがたい状況というのはあるのだ。

 

「おキヌさん、一文字さんの容態はっ?!」

 

「出血は止まりましたけど、まだ意識が戻りません・・・!」

 

「・・・本当に、馬鹿なんだからっ!!」

 

 唇を噛み締めながら叫ぶ弓の眼前には、既に原型を失いつつある雪で出来た醜い塊。

 

 あちらこちらを崩壊させながら、その崩壊した雪さえも吸収し膨れ上がる巨大な雪塊。

 

 最初は、それでも人間の出来そこないの形を保っていた。

 

 人質にとられた形の忠夫を助ける事を主張するおキヌの必死の声に、それでも何とかしようと挑む雪之丞、タイガー、シロ、タマモ、そして弓と一文字。

 

 おキヌの笛も、動きを止める事は出来なかった。

 

 単純な知恵さえ持たない、ゴーレムと言うよりもロボットのようなそれに対し、説得という意味合いの強いおキヌの笛では通じにくい。

 

 鈍重な外見にそぐわず高速で動き回る癖に男連中だけにしっかり攻撃してくる雪のゴーレムに対し、戦いが長引いてしまうその中で、徐々に忠夫が雪の中に引きずり込まれるように沈んでいき、その姿が完全に取り込まれた瞬間。

 

 雪像は崩壊した。

 

 終わった、と油断した彼らを襲ったのは、その崩壊した雪の塊から出現した幾つもの手らしき物体達。

 

 らしき、と言うのは、あるものは6本目の指をもち、あるものはその長さがちぐはぐであり、そもそも腕の形すらしていない物であったりする為である。

 

 呪を篭めた雪女が意図した物かどうかは定かではない。

 

 しかし、結果として暴走をはじめたゴーレムは、手当たり次第に周囲の木々や石、土を雪ごと吸収し、或いは雪を強烈に圧縮して氷の塊を作り出し。

 

 それを弾丸として、蠢く指の先から打ち出し始めたのだ。

 

 一瞬反応の遅れた弓は、それをまともに喰らい掛け、そして――飛び出してきた一文字に庇われた。

 

 呆然とした表情を見せた弓を庇った一文字の頭部を掠めた石は、高速で飛び去り背後の木を穿ち、そして崩れ落ちた一文字を背後に庇って立つ魔装術と水晶観音を纏ったを盾に、おキヌのヒーリングで治療を施されている真っ最中である。

 

 シロとタマモは雪之丞たちから見て元ゴーレムを挟んで反対側、狐火と霊波刀、獣の瞬発力を用いて弾丸の狙いを半分受け持ちつつも挑んでいるが、高速で、しかも大量にばら撒かれるそれらを相手に攻めあぐねている。

 

 飲み込まれた忠夫の姿は見えず、その事も焦りに拍車を掛けていた。

 

「くっそっ! うっとおしいったらねぇぜっ!」

 

「だからって此処を離れる訳にはいかないでしょ! 生身で喰らったらどうなると思っていらっしゃるのっ!!」

 

「分かってるっ! だからこうして――」

 

 顔を一本の手で庇いながら、同時に背後を庇うように残りの手で霊波砲を撃ち、あるいは飛び来る弾丸を打ち払いながら声を交わす2人。

 

 背後に居るのは、友人達。

 

 雪之丞にも怒りはある。

 

 いともあっさり雪の中に取り込まれた友人に、そして怪我をさせてしまった女性に対する負い目から自分に。

 

 それらを助ける事の出来なかった自分に対して。

 

 だから、必死で慣れない頭を動かしている。

 

「あんの馬鹿ヤロウっ! 覗き位でなんでこんな事になりやがるっ?!」

 

 そんな彼の足元から、2人の怒号と弾丸の音に紛れて声が聞こえた。

 

「ワッシに、ワッシに任せてつかぁさい」

 

「タイガー? 何を任せろって言うんだよ」

 

「そうですわ。あの子達みたいに避けられるならばともかく、生身の貴方ではどんな目に遭うのか・・・」

 

 匍匐全身で進んできたタイガーに対し、疑念を篭めた問いを返す。

 

 しかし、タイガーはその瞳に決意を篭めて、只一言とともに2人を見返した。

 

「考えがありますんジャー。長い間は無理でも短い間ならなんとかなりますノー」

 

「・・・分かった。おい、お前!」

 

「お前とは失礼ですわねっ! 大体、何が分かったって言うのです「いいから聞けぇっ!!!」は、はいっ!」

 

 雪之丞の、強烈な意思を篭めた一喝に思わず素直な返事を返してしまった弓は、己の口から滑りでたその言葉に戸惑いと恥ずかしさ、そして多くの怒りを覚えつつも、2人の男の視線に反撃の口を閉ざす。

 

「良いかっ?! 俺が突っ込む、お前はその後ろ。やれるなっ?!」

 

「・・・で、でも」

 

「や・れ・る・なっ?!!」

 

 2人が突っ込んでしまえば、残されるのは生身のタイガーとヒーリングをかけ続けているおキヌ、そして未だ意識の戻らぬ一文字。

 だがしかし、逡巡は一瞬。

 

 目の前の男達は、不思議な事に、何とかする為に通じ合っている。

 

 それが分からない事は腹が立つが、どうせこのままではジリ貧である。

 

 ならば、そう、ならば。

 

「失敗したら、覚えてなさいっ!」

 

「はっ! 上等っ!!」

 

 やってやろうではないか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 駆け出す2人。

 

 その間を、或いは頭上を、或いは足元を擦り抜けて迫る木々の破片や石ころ達。

 

 そして、おキヌと呻き声を漏らし始めた一文字を庇うように背中を向けて立つタイガー。

 

「タイガーさんっ?!」

 

「ふんっ!!」

 

 その顔が気合の声とともに虎の形を取り、だがその肉体に次々とめり込む弾丸の群。

 

「ぜんッぜんッ! 痛くないですノー!!」

 

 虎面の唇を歪め、その口元から牙を見せて不敵に笑うタイガー。

 

 しかし、めり込んだ弾丸の根元からはだくだくと赤い液体が流れ出し、その足元に徐々に赤いシャーベットを作り始めている。

 

「精神感応を自分にかけておりますジャー。こっちは気にせず、そっちの女子をお願いしますノー」

 

 立ち上がりかけたおキヌを振り向きもせず、淡々と言葉を放つタイガー。

 

 その光景を見たおキヌは、口元を引き絞ると無言で一文字のヒーリングに戻る。

 

「う、あ。おキヌ・・・ちゃん?」

 

「一文字さんっ?!」

 

 必死のヒーリングが効果を顕し、薄く目を開いた一文字。

 

 その瞳は虚ろながら、彼女達を庇って立つタイガーの背中を写りこませ、そしてゆっくりと見開かれる。

 

「大丈夫ですかノー?」

 

「あ、あんたこそ・・・」

 

「ワッシは大丈夫ですノー。女子に良い所を見せるのは、男の本懐って言うものですジャー」

 

 僅かに横面を見せて笑う虎の顔は、誇り高く笑っている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「だらしがねぇぞ横島ぁぁぁっ!!」

 

 苛立ちが多く交じった一撃は、雪の中心に感じる微かな忠夫の気配を目掛けて全く遠慮なく放たれた。

 

 爆散する土塊と岩と木々の破片、そして雪と氷と、直撃を喰らって錐揉みをしながら一緒に吹き飛ばされる忠夫。

 

「はぁっ!!」

 

「シロ、今っ!!」

 

「心得たぁっ!!」

 

 雪之丞の一撃で、体の中心から核である忠夫を抉り取られた雪塊の動きが止まる。

 

 その隙を突いて猛獣の群の如く襲い掛かる3つの影。

 

 そして、雪は弾け飛ぶ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「・・・まぁ、顛末は分かったけど」

 

「中々の見物だったわよ? 特に最後の方は」

 

 少しだけ小高くなった丘の上で、眼下の情景を見下ろす美神と勘九郎。

 

 その目には、小さな、体長1M程の雪で出来たゴーレム達が、美神とほぼ時を同じくして追いついてきた他の生徒達と戦っている光景が広がっている。

 

 最も、打ち出す弾丸は精々木切れや雪球が精一杯のそれらを、学生といっても大量の霊能者たちが殲滅している、と言ったほうが近くはあるが。

 

「で、あんたは見てただけなの?」

 

「下が頑張ってるのに手を出すほど、野暮じゃないわ」

 

 暖かそうな冬山装備に身を固めた美神の横で、未だに裸足に胴着姿の勘九郎が笑みを返す。

 

 それを気だるげに横目で見ながら、美神は背後で黒焦げの上に襤褸カスのようになっているピンク色の何かに意識を飛ばした。

 

「・・・結局、あんた何しに来たのよ?」

 

「お、俺、全く良い所無し・・・でも良い物見たから後悔はしていない」

 

「記憶を失えっ!!」

 

 きゃいーん、と響いた泣き声と、更に続く執拗な打撃音を耳にしつつ、勘九郎は美神に聞こえるか聞こえないかの声を放つ。

 

「そう言えば、この辺りに伝わるちょっと面白い昔話を聞いたんだけどねー」

 

 返事は無い。少々打撃音が少なくなったくらいか。

 

「とあるお侍さんのお嫁になる為に、わざとお風呂を覗かせて責任取らせた人狼がいるそうよー」

 

 背後の打撃音が止まり、何かが飛び起きる音がして、そしてその何かが何かを言おうとして、最早爆撃音に近い更なる打撃音が響き始める。

 

 やれやれ、と笑いを篭めた溜め息を一つつきながら、勘九郎は歩き出す。

 

 その横を、此処最近良く目にする12体の式神達が走り抜け、青年の悲鳴が一際膨らんで途絶えた。

 

 どうやら治療が終わったようだ、と式神達が走ってきた方角へ足を向けながら、修行相手だ、と言って氷漬けの忠夫を解凍しようとしてやりすぎて焦がして冷や汗をかいていた狐の少女と、その足元で忠夫を抱えて名前を呼んでいた狼少女を連れて行った、人狼の男2人を思い出す。

 

「・・・年上は趣味じゃないのよねー」

 

 喧々轟々と魔装術を纏ったまま、学生であろう水晶で出来た鎧のようなものを纏っている少女と言い争っている弟弟子と、その横で甲斐甲斐しく巨漢に包帯を巻き過ぎででかいミイラを作り上げている少女、その横で困ったような表情でこちらの背後を眺めている少女が目に入る。

 

 その横には、何処からか白いテーブルと椅子を取り出し、その上にティーセットを準備した侍女の目線の先で椅子に座って舟を漕いでいる良く似た母娘。

 

 褐色の肌を持った呪術師は、今頃ホテルで午睡を貪っている所だろう。

 

「ま、60点かしら」

 

 雪は、暖かい陽射しの元でゆっくりと溶け始めていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ああ、知らない」

 

―――・・・!

 

「彼女が何処にいるか? 見当もつかんね」

 

――・・・!!

 

「来客中だ。では」

 

――・・・!!!

 

チン、と音を立てていやに古めかしい黒電話が切られた。

 

「全く・・・君は仕方が無いにしても、彼はもう少し落ち着いても良いと思うのだが、ね」

 

 ゆっくりと手を掲げると、その電話は溶けたように消える。

 

「それも業、か」

 

 こちらに歩いてきた彼が、何気ない動作で何時の間にか其処にある椅子に腰掛け、何時の間にかあるテーブルの上から、何時の間にかあるワインの満たされたグラスを掲げる。

 

「・・・どうだね?」

 

 意図の読めない質問に対し、疑念を視線に乗せただけで答えた。

 

「ふむ。それでは、あれは?」

 

 指差す方向を見れば、其処にもやはり何時の間にかあるガラスの入った窓。

 

 透けて見えるのは向こう側、星のような瞬きが満たされた空間。そして椅子に座った彼と掲げるグラス、瀟洒なテーブル。

 

「あれは?」

 

 指し示されたのは真正面に座る彼の背後、これまた何時の間にかある古めかしい柱時計。

 

 ガラスのはめ込まれた時計板と、その中で動きを止めた針。

 

 その下には、同様にガラスの奥で動きを止めた振り子。

 

 止まった時を示す物の表面に、同じく目の前の彼の後姿と椅子、グラス、テーブル。

 

「・・・分かるかね?」

 

 

 ――違和感がある。

 

 ――決定的な、何かが。

 

 ――何が?

 

 ――そうだ、何故

 

 

「自分が写っていないのか。だろう?」

 

 

 そうだ、私が――私?

 

 私・・・俺?

 

 俺・・・僕?

 

 僕・・・私?

 

 それは――誰だ?

 

「さぁ?」

 

 その一言の余韻を最後に、闇が落ちた。

 


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