月に吼える   作:maisen

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明日はお休みです( ´・ω・`)


第参拾参話。

 振りぬいた抜き手が空気を割き、僅かに纏った湯気が飛行機雲のように一瞬だけ棚引いて冷たさに負けるようにして消えていく。

 

「ふっ!」

 

 地面から直角に振り上げられた素足が頭を超えて跳ね上がり、制止する暇も無く振り下ろされる。

 

 足の裏で叩かれた雪が衝撃音と共に舞い踊り、日の光を反射して舞い落ちる。

 

 その蹴り足を踏み込みの前動作とし、勢いのままに進む体を最低限のバランス調整に意識を割きながら左右の連撃連撃連撃。

 

 引いては突き、突いては引くその動作に微塵も揺るぎの気配は無い。

 

 まるで目の前に相手がいるかのようにフェイントを織り交ぜながら、包囲を敷くようにじりじりと打点を収束させていく。

 

 そして、無呼吸で怒涛の如く突き出されつづけたその拳を、最後の締めとばかりに上半身の捻りと体重移動だけでなく、爪先から拳の先端まで連動させて右の一撃。

 

 ピン、と伸ばされた拳と肩の直線。それをなぞるような、太い眉の下の目線は、厳しく、だが同時に何処か不満げでもある。

 

「・・・ふ、ん」

 

 溜め息のように言葉を吐き出した上半身裸、胴着のズボンだけを着た男性――鎌田勘九郎は、素足のまま、僅かに踏み荒らされた雪を今度こそはしっかりと足跡を付けながら、地面にビニールシートを敷いて、その上に几帳面に畳まれている胴着とタオル、魔法瓶の所に歩いていく。

 

 火照った筋肉の上を流れ落ちる汗を奇麗に洗濯されたタオルで拭き落としつつ、いそいそと替えの胴着を着込んで魔法瓶を開ける。

 

 何処か緩んだ勘九郎の持った魔法瓶の蓋に、暖かそうな湯気を上げる琥珀色の液体が流し込まれた。

 

「・・・ふぅ、さすがは六道家のメイドさん、良い葉知ってるわねー」

 

 出掛けに己の主人を起こしに行った、唯一この合宿に付いて来ている六道家当主の懐刀に渡された紅茶の味と匂いに頬が際限無く緩んでいくのを感じつつ、のっそりとシートの上に座り込んだ。

 

「全く、弟弟子の癖に兄弟子を追い越そう何て100年速いのよ」

 

 そう呟きながら、頭をごしごしと擦って汗を拭き落としていく。

 

 いくら鍛えているとは言え、山の寒さは厳しい物であるし、何より闘う者として体調管理は大前提である。不利な条件は少ないに越した事は無い。

 

 早朝から動かしつづけた体の熱が、ゆっくりと辺りの冷たさに吸い込まれるようにして消えていくのを感じながら、勘九郎は紅茶のお代わりを注いだ。

 

「ま、壁は高いに越した事は無いし、越せないで挫折するなら其処までだしねー。最も、雪之丞がそんなに諦めの良い奴ならもっと楽に生きていけるんでしょうけど」

 

 何時も何時もあっさりと返り討ちに会っていた筈なのに、それでも全く諦める事無く稽古を挑んでくる弟分の、地面に這いつくばって口惜しげに怒り狂っている表情が目に浮かぶ。

 

 当分負けてやるつもりなど無いが、白龍道場を抜けてからの彼の成長は、確かに目覚しいものがある。

 

 それまでの力押しメインの戦いと、本能にでも刷り込まれているんじゃないかと言う直感的な戦術観だけでなく、不意打ち、奇襲に奇策も織り交ぜつつある弟弟子は、此処最近だけでもひやりとさせられた事が数回はある。

 

 最も、それに数十倍しただけは実にあっさりと勘九郎に地面に這わされているのではあるが。

 

「やれやれ・・・意地を張るのも楽じゃないわよね」

 

 飲み込んだ紅茶で暖まった息を吐き出しながら、その白さが日の光に溶けていくのを何とはなしに眺めてみる。

 

 そのまま余韻を楽しみつつも、折角弟弟子が居ない環境で自分の修行が出来るのだから、と未練を切りながら重い腰を、引き剥がすようにシートから浮かせた。

 

 ふと、その動きが止まる。

 

 浮かせた腰をゆっくりといつでも飛び退ける体勢にまで動かしながら、重心を低く降ろしていく。

 

 勘九郎は、前方の茂みを睨みつけた。

 

「――どなたかしら?」

 

 低い声で問い掛けた勘九郎の視線の先に、茂みを擦り抜けるようにして現れたのは――

 

『おはようございます』

 

『おはようでござる』

 

「あ、ああ。お、おはようございます――ってなんでよっ!」

 

 人魂を傍らに浮かべ、深々とお辞儀をしながら朝の挨拶をしてくる、淑やかな雰囲気を纏った長い黒髪の、蒼い着物を着た女性の幽霊と、銀色の長髪にメッシュでも入っているかのように一房だけ赤い髪を混じらせた、白い着物を着た変な言葉遣いの女性の幽霊であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 忠夫は、ゆっくりと歩み寄る。

 

 その先に居るのは、蹲って肩を震わせている雪女。

 

 苦労の末に手に入れた、霊峰の万年雪から作り出したゴーレムの核をいともあっさり切り捨てられて、大ショック絶賛発信中の雪妖である。

 

「・・・ょ」

 

「ど、どーも! 綺麗なおねーさん、俺、犬――ゴッホン! 横島忠夫! 嫁に来ないかー?!」

 

「・・・でよ」

 

「あ、あれ?」

 

 反応の無さに戸惑う忠夫。

 

 今までの例に寄れば、大抵こう言うときには突っ込みとか拳とか神通棍とかキッツイ言葉とか冷たい目とかいらん邪魔とかが入ってきたのに、それが無い。

 

 求婚に対する反応の無さで無く、突っ込みとか邪魔とかが無い事に戸惑いを覚える辺りが何ともはや。

 

 既に、彼の中では突っ込み待ちが根付き始めているようでは、ある。

 

「兄上ぇぇぇぇ」

 

「忠夫ぉぉぉぉ」

 

 途端に、背筋にびくっと悪寒が走った。何となく落ち着いたので、視線でそちらを眺めれば、シロタマが凄い目で睨んでらっしゃったそうな。

 

 二人の背後でなにやらごうごうめらめらと燃え盛っているようであるが、所詮妹分の可愛い独占欲だろう、と無理矢理自分を納得させる。

 

 気を取り直して雪女に振り向く忠夫。

 

 とある拾った雑誌にこう言うことが書いてあったのだ。「傷心の女性に優しくすれば、意外にころっといっちゃうぞ?」と。

 

 なにやら間違った方向に思考が逸れているのは間違いないだろう。しかし、そう言った小細工までも使うようになったのは、成長と言うべきか堕落と言うべきか。

ともあれ――

 

「あのー、おねーさん?」

 

「・・・っざけるなぁぁぁっ!!」

 

「おひょーっ?!」

 

 問題なのは、相手が傷心状態にあるのかそれともブチ切れ5秒前なのか位は見分けてからでないと危険だ、と言う事だろうか。

 

「大変だったのよ! 遠かったのよ! ええそうですよ歩きましたよ歩いたわよ悪いかぁぁっ!!」

 

「ぐげっ! 首、チョークチョーク!!」

 

「霊峰だかなんだか知らないけどやたら歩きにくいし道は狭いし何よあれは道じゃなくて崖じゃない壁からほんのちょっとだけ出っ張った物を道何て言うんじゃないわよおまけに変な首無しのでっかいのに追っかけまわされるしっ!」

 

「知らないっすよぉぉぉ・・・グェ」

 

「しまいには崖から落ちたわよ痛かったわよお陰で泣いたわよええそうですよこの歳になってガン泣きしたわよ悪かったわね良い歳しててぇぇっ!!」

 

「――」

 

 返事が無い、只の屍一歩手前のようだ。

 

 的確な雪女の頚動脈攻めで、忠夫はあっさり白目を剥いてあっちの世界へレッツゴー。

 

 自分の言葉で即リーチ一発ツモな逆切れ雪女さんは、気絶した忠夫の頬を叩いて話を聞けとばかりにぶん回す。

 

 その光景を引きながら見ていた周りの者たちは、どんどんとボロボロになりながら信号機みたいに顔色を変えていく忠夫よりも、自分達に被害がきませんよーに、と祈るので精一杯だ。

 

 余裕があっても割り込みたくは無い光景であろうが。

 

 だがしかし。

 

 ちょっと腰が引けつつも、助けにいかねばなるまいと。

 

「あ、あのー、ちょっと良いでござるか?」

 

「あによっ?!」

 

 ぎらん、と雪女の瞳が光ったようにシロには見えたという。

 

「兄上を返して欲しいんでござるが・・・」

 

「・・・・・・へぇ。兄上、ねぇ?」

 

 にたり。

 

 そう言う表現がぴったりの、ちょっと黒い笑みである。

 

 真っ白なお肌が怒りで少々赤く染まり、瞳は未だに潤んだまま。

 

 忠夫を振り回した際に乱れた服は、更に危険値を突破しつつあり、タイガーと雪之丞は食い入るようにそれを見つめて鼻を押さえていたりする。

 

 タマモはそれを冷たさ半分、呆れ半分の目で眺めている。

 

「・・・ふっふっふ。おーっほっほっほっ! 駄ぁ目!」

 

「なっ!」

 

 雪女の手がゆらりと動き、気絶した忠夫の体を撫でまわすように動き――次の瞬間には、彼女の腕の中に首から下を氷漬けにされた忠夫の姿。

 

 そして、驚愕と怒りの表情を浮かべるシロに向かって、雪女はちらり、舌を伸ばして見せた。

 

「形勢逆転――かしら?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「人狼の幽霊・・・しかも、その戦装束でござるか。一体何百年をお過ごしやら」

 

『ふむ、この時代にも未だ我らの血族が生き残っておったでござるか』

 

「・・・何ゆえ、そのような姿になってまで現世に留まる必要が?」

 

『主等も人狼なら分かるであろう? もっと強く――只、それ故に』

 

 雪女が作り出した某パチモン光の巨人を叩き切った人狼幽霊2人組は、忠夫の捕獲に向かう前に目の前に歩み出してきた2人を無視する事は出来なかった。

 

 方や鎧と鉢金を見に纏った、人狼族の幽霊達。

 

 方や着流しを纏った人狼族の剣士達。

 

 何気なく言葉を紡ぎつつも、最早周囲の事など目にすら入っていない。

 

 只、眼前の修羅を――己の力と技に全てをかける事が、存在の仕方とさえ捉える4人の剣の鬼達は睨み付ける。

 

 殺気ではない、怒りや憎しみであろう筈が無い。

 

 只、喜びと期待がある。

 

「もしや、ご先祖様なのかもしれんでござるな」

 

『・・・ならばこそ、名を聞くのは――』

 

「必要無い、か。確かに、これがあれば」

 

『十分過ぎる、でござるよなぁ』

 

 4つの音が、それぞれの腰から響いて奏で合う。

 

 踵を僅かに浮かす犬飼、犬塚の2人に対し、ゆっくりと地面に降り立ちながら刀を構える幽霊達。

 

 4人の表情に共通するのは、等しく浮かんだ力ある笑み。

 

 最早始まりの言葉さえなく、現代の修羅達は、過去の剣鬼に、滑り込むようにして突っ込んだ。

 

「「らぁっ!!!」」

 

『『甘いっ!!』』

 

 犬飼は駆け抜けざまの横薙ぎ、犬塚は真正面からの刺突。

 

 しかしそれは金属が触れ合う音さえさせず、いともあっさり受け流され――

 

『『ふんっ!!』』

 

「「ちぃっ!?」」

 

 あまりにも鮮やかに流されたが故の、僅かな体勢の隙を突くように真っ向からの唐竹割り。

 

 しかし斬りかかられた2人はむしろ懐に飛び込む事を選び――その体が、相対する相手を擦り抜けた。

 

 一瞬動揺の気配を浮かべるも、動きを止める事無く地面を蹴る。

 

 背中を、大気ごとかち割る一撃が掠めて行ったことに冷や汗を流しながら相棒と合流。

 

 互いの死角を庇うように体勢を整えた二人の前には、10メートルほどの距離を詰めようともせずに、にやにやと笑みを浮かべる幽霊達が余裕の態で刀を担いでいた。

 

「強いな。ああもあっさりと流されるとは」

 

「ああ。技量だけなら長老よりも上でござる」

 

『只、戦の中を生き延びた時間。最早、数える事すら虚しい程の時間――我らも只眠っていた訳ではないのでござるよ』

 

『こやつの相手も少々飽きておったでござるからな・・・久々に、手加減という物が必要でござるかな?』

 

 挑発そのものの言葉に、しかし掛けられた2人は心底楽しげな笑みでもって応えを返す。

 

「無用、全くもって無用でござる。確かに腕はそちらが上。しかし、だからと言って!」

 

「勝てぬ、と言うのは勘違いも甚だしい!」

 

『『――良く吼えた!!』』

 

「「吼えぬ狼などおらぬわぁっ!!」」

 

 べっとりと体に絡みつく剣気の中、修羅達は錯綜を開始する。

 

 邪魔の入らない場所へと駆け出しながら、4人の顔には堪えきれない歓喜の表情が浮かび続けている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ほーらほーら! 3回回って「にゃん」って言いなさいっ!」

 

「くっ?! 狼である拙者に対し、それは余りにも酷くないでござるかっ?!」

 

「シロー、頑張れー」

 

「タマモォォォォォッ!!」

 

 首から下が氷の塊に包まれたままの忠夫を横に、喜び絶頂の雪女。

 

 シロは忠夫を人質に取られた格好で、なんとも手出しのしようが無い。

 

 取りあえずそんな状況で、全く協力してくれないタマモは一体何を考えているのやら。

 

 懐から取り出したティッシュを鼻に詰めている雪之丞もタイガーも頼りになるとは思えない。

 

 シロ、ぴーんち。

 

 このままでは誇り高き人狼であるにもかかわらず、よりにもよって猫の鳴き真似をさせられてしまうではないか。オノレ猫め――いや、猫が悪いと言う訳ではない。美衣の作る料理は美味いし、ケイはとっても良い子だ。面倒見は良いし何より素直である。

 

 未だに長老に吊るされる事のある陰念とは天と地ほどの差さえもある。

 

 そう、つまり悪いのは猫ではなくて料理が美味いと言うのはつまり美味い料理を作れる人物が悪い訳が無く、故にお腹が減ってきたので今日の料理は何だろうか――。

 

「シロー、よだれよだれー」

 

「じゅる・・・はっ?! なんでもないでござるよ?!」

 

 てんでばらばらの方向に走り去る思考を目の前の現実に力づくで引き戻すシロ。

 

 雪女がなんだかとっても遣る瀬無い表情になっていたり、忠夫の唇がそろそろ紫色になっていたりするのがなんともはや。

 

 それを見たシロは、口惜しげに唇を噛み締め、俯くようにして顔を隠す。

 

 ぷるぷると拳を震えさせながら、やっとの思いで口にその言葉を乗せた。

 

「・・・にゃ、にゃぁ」

 

「・・・プッ」

 

「タマモォォォォォッ! 貴様、今笑ったなぁぁっ?!」

 

「だ、だって・・・あはははははっ!」

 

 快活に笑うタマモに対し、真っ赤なお顔で怒鳴るシロ。

 

 最早雪女そっちのけで騒ぎ出した2人を横目で見ながら、何処となく羨ましげな表情で人差し指を咥える雪女。

 

 未だにお腹を抱えて笑い転げるタマモを怒りを篭めて一瞥した後、シロは赤みの消えない顔で雪女を睨み付ける。

 

 睨まれた雪女はと言うと、慌てて表情を取り繕いながら余裕を持ってその視線を受け止めた。

 

「さあっ! 兄上を返してもらうでござるよ!」

 

「・・・そ~ねぇ。じゃ、こう言うのはどうかしら?」

 

 如何にも良い事を思いついた、と言う風情の雪女が、忠夫を包んだ氷塊に触れる。

 

 一瞬その手の平が輝き――次の瞬間には雪女は地面を蹴って浮き上がる。

 

「今回はこれ以上難しそうだし、最後に意趣返しもできたから此処で引かせてもらうけど置き土産――楽しんでいってね?」

 

 そのまま、ひょう、と粉雪交じりの風を纏って上空へと飛んでいく。

 

 最後に、甲高い笑い声を残しながら。

 

「えい」

 

「――熱っ! こら、退場する敵に攻撃するなんてズルイじゃないっ?!」

 

「知らないわよ。ほらほら」

 

 途中で投げられた、地面からのタマモの狐火に何度か袖を焦がされされながら。

 

「えい!――あ、落ちた」

 

「――ぁーれぇー」

 

「まだ余裕ありそうねー」

 

 最後に投げられた狐火は、見事に雪女に直撃し、森の向こうに煙を上げながら落下させた。

 

「ふ、ちょろいっ!」

 

「将来が怖いですノー」

 

「全くだな・・・美神のねえさんでも見てるようだぜ」

 

「なんか言ったっ?!」

 

 がーっ、と威嚇してくる少女に、隣の雪之丞と共に視線をあっちの空に向けて韜晦する2人。

 

 とは言え、その下手くそな口笛交じりの行動も、シロの悲鳴じみた叫び声が聞こえるまでの短い間だったが。

 

「あ、兄上ー!」

 

 忠夫を回収に向かったシロの方を慌てて振り向けば、彼女の目の前には今まさに盛り上がりつつある雪の塊があった。

 

 そして、その盛り上がりつつある塊の頂上部にある――忠夫の顔。

 

 白目を剥いて紫色の唇で、半分魂が抜けかかっていた。

 

「忠夫ぉぉぉっ?!」

 

「うお、マズッ?!」

 

「横島サンしっかりするんジャーッ!」

 

 慌てて駆け寄る彼らの足元が、いや、彼らの足元の雪が不意にズルリ、と動いて忠夫の元へと動き出す。

 

 足を取られて動きの止まったその目の前で、雪の塊は徐々に形を取り始めている。

 

 早送りを見ているかのように、それは一瞬で形を整え、細部を調整するように各部から粉雪を振り落とし、そして、誕生の歓喜を示すように、その「両手」を高く突き上げた。

 

「雪で作ったゴーレム・・・! 性懲りも無く、クソ厄介な物を!」

 

「こんな事ならもうちょっと気合入れて焼いときゃよかったわね・・・!」

 

 雪之丞の言葉が示す通り、それは2本の腕と2本の足を持ったゴーレムであった。先程までのものとの差異を比べれば、その2階建ての一軒家ほどの大きさもあろうが、何よりも、そのゴーレムには――。

 

「兄上を核にしたからでござるか?」

 

「多分、そうだと思いますジャー」

 

 尻尾があった。

 

 すらりとした、とは言い難いデザインであるものの、しっかりと2本の足で立ち、尻尾をゆっくりと動かすそのゴーレムの頭部に当たる場所には忠夫の頭が突き出している。

 

 サイズがサイズだけに、その体から見ればちっぽけな忠夫の顔が其処にあるのはなんともシュールなデザインではある。

 

 口が無い故に、声をだすことはできないが、代わりとでも言うようにそのゴーレムは大きく右腕を振りかぶり、一番手近にいるシロ――ではなく、少し離れた所にいる雪之丞たちに向かって態々走りこんで殴りつけた。

 

「うおっ?!」

 

「なんでこっちに来るんジャー?!」

 

 雪女の妖力で作り上げられたとは言え、核が忠夫であるから、としか言い様が無い。

 

 巨体に似合わなさ過ぎる速度で、まさに砲弾のように突っ込んできた拳を慌てて回避する2人。

 

 一抱えはある拳は回避した2人の居た地面に突き刺さり、しかしそれを砕けずに己を地面を覆う雪へと変えた。

 

「脆っ!」

 

「雪でござるからなぁ」

 

 突っ込みながらさり気無く男2人と距離を取るシロタマ。

 

 手伝う気が無い、と言う訳ではないだろうが、取りあえず囮役というかターゲットはタイガーと雪之丞に自動的に任される事になったらしい。

 

 飛び退いた男達に体ごと向き直りながら、ゆっくりと拳を引き上げるゴーレム。

 

 その拳は地面から引き上げられながら、辺りを覆っていた雪を吸い込むように巻き込んで巨大化していく。

 

 数瞬も置かず元の大きさの2倍ほどになったそれを、再びゴーレムは振り上げた。

 

 頭のところでカクカクと動いている忠夫の頭が大変奇妙な光景を作り上げている。

 

「タイガー殿! 何とか隙をつくれんでござるか?!」

 

「分かったんジャー! 雪之丞サン、なんとか時間を稼いでつかあサイ!」

 

「任せとけっ!」

 

 振り上げられた拳に自分から突っ込むように、魔装術を纏って吶喊する雪之丞。

 

 その背後で、タイガーが意識を集中させながら幻惑の準備に入る。

 

「はっ! 雪の塊なんざ、たいして効きゃしねーよ!」

 

 叫びながら腕を体の前に構え、全力で前方に跳躍した雪之丞を正確に打ち落とす軌道で拳が迫る。

 

 確かに先程の光景を見れば、雪之丞の判断は間違ってはいないだろう。

 

 いくら巨大な拳とは言え、その重さが1tを超えるほどの重さには見えない。

 

 そして、その強度も先程の打撃で証明済み、地面を抉る事さえ出来ずに逆に粉砕されたその光景は、雪之丞の魔装術のスペックからすれば何ら問題は無い程度の物である筈であった。

 

 しかし、一つ、雪之丞は分かっていなかった。

 

 核になっているのが「忠夫」である事。

 

 シロタマに攻撃せず、雪之丞たちを狙う程度には核の影響を受けている事。

 

 そして、忠夫は真っ正直に正面からの殴り合いをするようなタイプでは無い、と言うことを。

 

 響いたのは、雪の塊が粉砕される音でもなく、ゴーレムの腕が落ちる音でもなく、金属のハンマーで巨岩をぶっ叩いた時に聞こえるような音だった。

 

「――ぐがぁっ?!」

 

「なっ?!」

 

 トラックに跳ね飛ばされたように雪之丞が吹っ飛び、タイガーの横を掠めて背後の木々を薙ぎ倒す。

 

 混乱の表情を浮かべたタイガーの目に写ったのは、雪之丞とぶつかった拳の、雪の剥がれた部分。

 

「――岩っ?!」

 

「まさか、さっきの地面を叩いた時に?!」

 

 雪之丞と衝突した部分から、ぱらぱらと落ちる雪の欠片。

 

 その下に、灰色の塊が覗いている。

 

 それは僅かに軋む音を立てながら、ゆっくりと剥がれ落ちて地面を覆う雪に突き刺さる。

 

 雪で出来た拳の中身が全て岩と言う訳ではない。先程地面を叩いた時に、その表面を覆う雪ごと取り込んだ小石や土塊、そう言ったものをかき集めて出来た即席の凶器。

 

 その証拠に、剥がれ落ちた岩の厚さは5cmにも満たない物でしかない。

 

 しかし、十分な速度の乗ったその拳は、硬度とその後ろに満たされた雪の重さも相俟って、確かに一撃分の武器としては十二分に役目を果たしている。

 

 言うなれば、百科事典の角で思いっきり叩いた、と言うのが近いだろうか。

 

 結果として、油断を多分に含んでいた雪之丞は踏ん張りの効かない空中と言う事もあり、容易く吹き飛ばされる事となったのだ。

 

「・・・結構、厄介かしら」

 

「タマモ、溶かしきれぬでござるか?」

 

「この辺り一面雪だらけなのに? 向こうは幾らでも雪の補給が聞くわ。下手すりゃこっちの妖力が先に切れるわよ」

 

 臍を噛む二人に見せつけるように、ゴーレムはことさらゆっくりと拳を下ろして剥がれ落ちた岩を再び小石や土と共に回収していく。

 

 そして3度その拳が持ち上げられ、硬直していたタイガーに向かって振り下ろされる。

 

「何の! ワッシの幻覚を食らうんジャー!」

 

 直撃。

 

 迷いの無い拳を諸に喰らって、嫌に良い笑顔で吹き飛ぶタイガー。

 

 そのまま雪の上をスキーのように滑りながら、ふらふらと起き上がった雪之丞の隣で停止した。

 

「な、何でジャー・・・? 間違い無くバッチリかかった筈ですノー」

 

「・・・お前、横島に幻覚かけただろ?」

 

「・・・あ」

 

 馬鹿故にだった。

 

 確かに核は忠夫だが、気絶して白目を剥いている者に幻覚を掛けた所で何の役に立つと言うのだろうか。

 

「どーするよ? あいつ、結構セコイぞ」

 

「まさに横島サンですノー・・・」

 

 魔装術を纏っている訳でもないのにあっさり立ち上がったタイガーに、ゴーレムに対し心底面倒臭げな視線を向ける雪之丞。

 

 あちらの再生は雪が続く限りはほぼ際限無し。

 

 しかし、こちらの戦力は幻覚能力×2と狐火、そして近接戦闘を得意とする者が二人。

 

 そして何よりの問題は、時間制限があるっぽい所であろうか。

 

 こうして相談している間にも、忠夫の体温と体力はどんどんと失われていっているのだから。

 

 そうこうしている間に、再び振り上げられるゴーレムの拳。

 

 雪之丞が反射的に飛び退き、タイガーがほうほうの態で回避し様としたその拳は――

 

「見つけましたわっ!!」

 

「横島さん!!」

 

「うわ、何だこれっ?!」

 

 横合いから飛んできた、一条の霊波砲で軌道をそらされ木々を薙ぎ倒す。

 

「あ、あんた達、誰? って、おキヌちゃん?」

 

「あ、おキヌ殿ではござらんか」

 

「あ、シロちゃんにタマモちゃん、久し振りー」

 

「のんびりと挨拶してる場合じゃありません事よっ!」

 

 六道学院、おキヌと弓、一文字のチームが其処にいた。

 


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