月に吼える   作:maisen

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第参拾壱話。

「だから止めようって言ったじゃねぇか!」

 

「フザケんなっ! 手前一人だけ美味しい思いしたくせに何言ってやがる! こちとら危うく下まで脱がされる所だったんだぞっ?!」

 

「それに横島サンだって間違い無く乗り気だったノー!」

 

 深々と降り始めた雪を蹴り立てながら、取りあえず犯行現場からダッシュで離れる忠夫達。

 

 互いに責任を擦り付け合いながらも、ひたすらに動きつづける足は止まらない。

 

「大体なんでよりにもよって美神の旦那を覗くんだっ!!」

 

「・・・・・・・・・・・・」

 

「横島サン、鼻血鼻血」

 

 タイガーが渡してくれたポケットティッシュを鼻に丸めて詰め込みながら、忠夫の鼻は、そう、伸びきっていた。ビローン、と。

 

 体格に見合わず細々とした事に気の回るタイガーの行為も、後から後から溢れ出す赤い液体を止める事は適わない。

 

 その横面に一発拳を入れながら、雪之丞は苛立ち紛れに加速した。

 

「ってえなっ! 折角の記憶が飛んだらどーすんだっ!!」

 

「その前に自分の首が飛ばんように祈っとけっ!」

 

「・・・まさに最悪の状況ですジャー」

 

 ぽつり、と呟いたタイガーの目には、それほどの高さを持たないまでもしっかりと白い冠を被った山の連なりが映し出されている。

 

 おそらく、全く目的地の事を考えずに只走っている前方の二人を眺めつつ、タイガーは真っ白な溜め息を腹の底から吐き出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「・・・はい、これでオッケーなワケ。貸し一つ、しっかり覚えとくワ・ケ。おーっほっほっほっほっほっ!」

 

「こ、この根性曲がり・・・!」

 

 禍々しい雰囲気を撒き散らしている魔法陣を背後に控え、頬に手の甲を当てた所謂タカビー笑いを甲高く、しかもご機嫌絶好調と言った様子で上げるエミの目の前には心底口惜しげに歯軋りする美神の姿がある。

 

 かなりの規模を誇る旅館の大広間である此処には、現在エミと美神、そして六道親子と彼女達を中心に円状に座った六道女学院の生徒達の姿がある。

 

 エミも美神もともに業界では最高峰と謳われる人物達である。

 

 そんな彼女達の、と言うよりも片方が放っている強烈な威圧に十数名かは真っ青な顔を見せているが、一部の者たちは真剣な表情でメモを取ったりエミの術を僅かたりとも見逃すまいと目を皿のようにしている。

 

 この辺り、流石は名門と言った所か。

 

「二人とも~仲が良いのね~。冥子、ちょっと寂しいわ~」

 

「どう言う目で見たらそう見えるのかしらぁぁぁぁぁ?」

 

 廃棄された炭鉱の底から聞こえてくるような美神の唸り声に対し、「こ~ゆ~目」と笑顔でのたまわりながら自分の目を指し示す冥子。

 

 その横でニコニコと笑いながら、姦しい女性達を見ている六道家当主も、何故か微笑ましげなオーラを発している。

 

「あ~、そう言えばエミさん~、どんなのを掛けたのかしら~?」

 

「ほーっほっほっほっ・・・ごほん。大した物じゃないワケ。この旅館を中心に設定した領域から出ようとすると――」

 

 

 

 

 

 

 

「痛いっ?! 腹が捻じ切れるように痛いぃぃぃっ?!」

 

「何だ何だ? お前、なんか拾って食っただろ?」

 

「え、えーと・・・も、もしやっ?!」

 

「心当たりがあるのもどーかと思いますがノー」

 

「おキヌちゃんに剥いてもらった林檎・・・は、捨てられちゃったしなぁ」

 

「「一辺死ぬと良いぞ(ですノー)」」

 

 

 

 

 

 

「って言うワケ」

 

「有効時間は? この規模の陣からするとそんなに長いもんじゃないでしょ?」

 

 美神が指した魔法陣は、直径1M程度の、儀式に使う物としては簡易に過ぎるものである。

 

 中に描かれた文字や図形も少なく、何時ぞやのアルテミス召喚に使われた物とは比べる事すら躊躇われる。

 

 しかし、美神の不満げな声を聞いたエミは、それこそ自信に満ちた表情で答えた。

 

「ざっと丸1日。擬似的に地脈に繋いであるから維持の為の霊力は要らない上に、合宿のターゲットとして使うのならそれくらいで問題無いワケ」

 

 その言葉を聞いた生徒達は目を丸くする。

 

 たったこれだけの時間で、しかも触媒があるとは言え「この程度の」魔法陣と儀式で、半人狼という霊能力持ちに対し有効で、尚且つ地脈に接続し維持の労力も時間的な要素も十分に余裕を持たせる仕事。

 

 感嘆の声を漏らす生徒達に向かって、エミは妖艶に唇を歪めて見せた。

 

「――私を舐められちゃ困るワケ。これでも、黒魔術に関してなら国内で私の上に出る奴は居ないワケ」

 

「ま、黒魔術「だけ」は確かにそうよね」

 

 だけ、を強調して、あさっての方向を見上げながら呟いた美神にエミの視線が突き刺さる。

 

 それを口笛なぞ吹きつつあっさり無視し、美神は懐から取り出した機械を弄り始めた。

 

「令子ちゃん~、それ~、何~?」

 

「受信機」

 

 言葉少なに答えた美神が、スイッチを入れて光の灯った画面に見入る。

 

 しかし、期待したような反応は得られなかったようで、忌々しげに舌打ち一つを残してダイヤルを捻り始めた。

 

「あの馬鹿、バンダナ外してたわね・・・。でも、甘い」

 

 暫しの調整の後、受信機は確かに一つの光点を映し出した。

 

 それを射殺さんばかりの視線で眺めつつ、美神は辺りに座る生徒達に向かって離し始めた。

 

「今回の合宿のターゲットは、内の所員、馬鹿犬、横島忠夫! 頭に妙な飾りを付けてるから直ぐに分かるわ。見つけたら問答無用で攻撃していいけど、必ずチームごと、そしてチームとチームで連携する事。開始時刻は明日の朝、制限時間は午後4時まで。後で受信機とあなた達用の発信機を渡すから取りに来て頂戴」

 

「あの、質問ですけど・・・」

 

 おずおずと手を上げたのは、それまで円の中心に程近い所から美神達を見ていたジャージに身を包んだおキヌ、弓、一文字のグループの内、弓であった。

 

「何かしら?」

 

「その、横島さんはどう言う方なのですか? 所員と言うからにはそれなりの――霊能を持ってらっしゃるんですよね?」

 

 その言葉に、美神は少し褒めるような色を乗せた笑顔を返し、次に渋い顔になった。

 

 褒めるような顔になったのは、美神が忠夫の情報を求められなかった場合には話さないつもりであった事がある。

 

 情報は、時として己の生命を左右する。

 

 事前に得られる情報は貴重な物であり、故に誰も聞かなかった場合には少々お小言でも、と思っていただけに、美神の顔にも安堵に似た表情が浮かんだのだ。

 

 そして、渋面になったのは極単純な理由である。

 

 忠夫のスペックを思い出したのだ。

 

「・・・取りあえず、足は速いわね。後、避けるだけならとんでもないわ」

 

「そ、それだけですか? 避けるのが上手くて足が速いだけで、お姉さ――美神さんの事務所の所員を?」

 

「・・・横島さんは、凄いですから」

 

 小さな声で、しかし誇らしげな色を篭めたおキヌの呟きが零れる。 

 

 それを聞きとめたのは、隣でおキヌと同様に座り込んでいる一文字だけであったが、彼女もまた続けられた美神の言葉に耳を傾ける。

 

「・・・まぁ、あいつならよっぽどの相手でもない限り必ず生き残るわね」

 

「この仕事、死んだらそこまでなワケ。認めたくは無いけど、令子レベルの所で生き残っている以上、生半可なもんじゃないワケ」

 

 至極詰まらなさそうに呟いたエミの言葉に、生徒達は考え込む。

 

 多くの生徒達の視線が、楽しげに微笑んでいるおキヌに集中するが、それを遮るようにして美神の言葉が放たれた。

 

「一つだけ言える事は・・・あいつは馬鹿だから、絶対に攻撃はしてこないと思うわ。でも、もし不埒な事を言われたら――」

 

 美神の親指が、天井を指して即反転。

 

「――仕留めなさい」

 

「美神さーんっ?!」

 

「駄目よ、おキヌちゃん。これは、あいつに自分のした事を分からせる為なの」

 

 ぎっ、と首を狩るジェスチャーと共に放たれたあまりと言えばあまりな言葉に、おキヌは慌てて立ち上がって抗議する。

 

 しかし、美神はそんなおキヌに、悟りきったような笑顔を見せ、あっさりと抗議を却下。

 

 わたわたと手を振るおキヌの肩を優しく叩きながら、美神の目は絶対零度の怒りが篭って輝いていた。

 

「アホくさ。私はもう寝るワケ」

 

「ねえ~、令子ちゃん~?」

 

「何、冥子?」

 

 呆れの多分に篭った目でその光景を眺めていたエミが、生徒達の円を擦り抜けながら出口に向かう。 

 

 それを半目で見送っていた美神の横に、エミと入れ替わるようにして、冥子が唇に人差し指を当てながら、珍しくも悩んでいるような顔で問い掛けてきた。

 

「何で~、そんなに~怒ってるの~?」

 

 その一言で、辺りの雰囲気が一変した。

 

 先ず美神の頬が一瞬で朱に染まり、それを真近で見たおキヌに不思議そうな色が浮かんだ。

 

 円の中ほどまで来ていたエミが、そう言えば、と呟きながら振り向き、美神の顔を見て不審気な色を浮かべ、そして術の触媒にされていた物を見て、とてつもなく嬉しそうな笑顔を浮かべた。

 

「そういえば令子、あんた、確かこれを言い出す前に露天風呂に行ってたわよね?」

 

「・・・な、何の事かしら?」

 

「そして、それ」

 

 エミが指差す方向を見た生徒達の目に写ったのは、血液の――忠夫の鼻血の付いたお盆。勿論、美神以外はそれが鼻血だとは知らないが。

 

 獲物をいたぶる猫のような表情を浮かべたエミは、もしかして、と前置きをした後、とても楽しげに後を続けた。

 

「お風呂でも、覗かれてたりして?」

 

「――っ?!」

 

「やぁだ、図星かしら?」

 

 ぽん、と音さえ聞こえるような勢いで耳まで真っ赤になった美神を、それはもう楽しげにエミが続けて攻撃。

 

「やーねぇ。これだからネンネは困るワ・ケ」

 

「エエエエエエミっ!!」

 

「あら、何かしら? 自分の所の所員に覗かれた位で、とっても怒ってるGS美神令子さん?」

 

 澄ました顔でのたまうエミの胸倉を掴もうにも、するりするりと生徒達の間を擦り抜けるエミを、激昂した美神は捕捉仕切れない。

 

 神通棍さえ取り出しながらエミを追い掛け回す美神を、生徒達は呆然と眺め、六道親子は微笑ましそうに眺めるだけで止め様とはしていない。

 

 誰もが、目前の光景に動きを止めていたその時、美神とエミを除いて只一人動いた少女は、おもむろに息を荒げる美神の背後に回りこむと――。

 

「んきゃあっ?!」

 

「・・・おっきー」

 

「おキヌちゃんっ?!」

 

 わしっ、と後ろから腕を回して美神の胸を掴み上げた。

 

 慌てて胸を庇いながら振り向いた美神の目の前で、感嘆の声を上げたおキヌは暫く手の平わきわきと動かし、それに見入りながら自分の世界に入っていた。

 

 暫し、沈黙の漂う中、ただおキヌが小さな声でぶつぶつと呟く声が聞こえる。

 

 そして、おもむろに視点を自分の胸に移し、何度か手と胸の間を視線が彷徨う。

 

 更に沈黙が続き、美神が不審なおキヌの行動に声を掛けようとしたその瞬間。

 

「――美神さんっ!!」

 

「にゃ、にゃにっ?!」

 

 微妙に噛んでいる美神を至極真剣な目で見つめつつ、おキヌは決心したように問い掛けた。

 

「お、大きい方が好きなんでしょうかっ?!」

 

「主語が無いっ?! 誤解を招くような事を言わないでっ!!」

 

「令子、やっぱりあんた・・・」

 

「だから誤解するなぁぁぁっ?!」

 

「令子ちゃん~、あのね~、おばさん~人の事についてはとやかく言わないけど~。それって非生産的だと思うの~」

 

「違ああああああああうっ!!」

 

「? えへへ~、良く分かんないけど~、私は~令子ちゃん好き~」

 

「冥子ぉぉぉぉぉぉっ!!!!」

 

 生徒達はドン引きし、エミは納得したような表情で腕を組んで頷き、六道母は頬に手を当て只微笑み、六道娘はほんわかとした笑顔で美神にくっ付く。

 

 混沌とした状況の中、真剣な表情で答えを待つおキヌに突っ込むべきか否かで美神は一杯一杯だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あら? 騒がしいと思ったら、皆此処に居たのね」

 

「あ、鎌田さん」

 

「勘九郎でいいわよ、私もおキヌちゃん、って呼ぶから」

 

 からり、と乾いた音を立てて大広間の襖が開く。

 

 そこから顔を覗かせたのは、ほかほかと湯気を立てている勘九郎。

 

 元々体格もよく、引き締まった体をしている為、浴衣の合わせ目から覗く胸板がとってもせくしー。

 

 カオスの真っ只中にありながら、一人それに反応した起爆剤にして自覚無き天然娘は、とても朗らかな笑顔で勘九郎との交流を深めていたりする。

 

「そうそう、さっきあなたの所の横島君見たわよ?」

 

「ええ、知ってます。もう、なんで私の時に、ってきゃー! 私ったら!」

 

 自分の言葉に照れて頬を染めているおキヌに、なんだかとっても微笑ましげな表情を見せながら。 

 

 勘九郎は、更に続けて言葉を発す。

 

「後、うちの雪之丞と、えーっと、あの、私より大きな、タイガーって呼ばれてた子も居たわね。好みじゃないけど」

 

「タイガぁぁぁっ?!」

 

 それまで混乱する美神を眺めていたエミが、その一言に反応し、勘九郎の元に駆け寄る。

 

 そのごっつさにやや圧倒されながらも、エミは勘九郎の温泉パワーで満足げな顔を見上げた。

 

「ちょっと、どう言う事なワケ?」

 

「さあ? 私も雪之丞が飛び出した後しか見てないから、よく分からないけど・・・「ズルイ」とか言ってたわね、確か」

 

「あの、あたしも見たよ、多分」

 

 エミと勘九郎、おキヌの間に恐る恐る声を掛けて来たのは一文字魔理。

 

 彼女の言葉によれば、お風呂上りに廊下の窓を開けて涼んでいたら、突然上から巨大な物が降って来て、その時にタイガーと言う単語を聞いたと言う。

 

「虎?」と思って下を覗き込もうとした瞬間、更に上からけたたましい音とともに人影が落下。

 

 驚いて改めて下を覗いた所、先に落ちたと思しき巨大な人影と、後から落ちたと思しき人影が、二人連れ添って駆け出して行ったと言う。

 

「・・・あんの馬鹿虎ぁぁぁっ!」

 

「おーっほっほっほっ! 語るに落ちたわね、小笠原エミっ!」

 

「あ、あんたはその状況をどうにかしてからほざくワケっ!!」

 

「何ですってぇっ! つーか、冥子、離れなさいっ!!」

 

 一体いつから話を聞いていたのやら、美神が高笑いとともに現れた。

 

 片手に冥子をぶら下げながら。

 

 視界の端に移る、羨ましそうに人差し指を咥えているその母をしっかりと無視し、娘を引き剥がそうとしている美神を余所に、エミは魔法陣に向かって歩き出す。

 

「こうなったら、タイガーには特に強めに呪を掛けといた方が良いかも知れないわね・・・!」

 

「その必要は無いわよ。こら、冥子、いい加減に離して頂戴っ!」

 

 エミの歩みが、美神の一言で止まる。

 

 疑問を視線に乗せて問えば、美神からは一言で答えが返った。

 

「多分、あの馬鹿達の事だから足の引っ張り合いになってるわ。ほら、冥子っ!」

 

「ふぇ、令子ちゃん~、私のことが~嫌いになっちゃったんだ~」

 

 

 ――空気が、凍った。

 

 

「ふえ、ふぇぇぇぇ」

 

「ちがっ! 冥子、落ち着いてっ!!」

 

「令子、何とかしなさいっ?! こんな所で死にたく無いワケっ?!」

 

「え、何? どうかしたの?」

 

「冥子さん、ほら、飴ですよー!」

 

 必死で泣き出そうとしている冥子を止めに掛かる三人。

 

 勘九郎は、どうやら未だその爆弾の被害に在った事が無いらしく――冥子が雪之丞ほどではないにしても、あんまり近寄らなかった。ごく最近、漸く良い人だとは気がついたらしい――まわりの状況に困惑気味であるが誰も構っちゃいられない。

 

 そして、冥子を止めてもらおうとその母を捜した美神とエミの目に写ったのは。

 

「あらあら~やっぱり~仲良しね~、それじゃ~、生徒の皆さんは~、明日に備えて~そろそろお部屋に戻りましょうね~。はい、こっちですよ~」

 

「「おば様、止めてぇぇぇっ!!!」」

 

 生徒達を先導しながら大広間を出て行く六道家当主、六道冥華の姿。

 

 どうやら娘が大事にされているように見えたのがご満悦らしく、なんとも華やかな笑顔で手を振りながら、足取りも軽くあっさりとその姿を襖の向こうに消してしまった。

 

 何とか冥子をぐずる程度に止めるまでにかかった時間が30分。

 

 疲れきった状態から復帰する事のできなかった3人は、そのまま疲れた体を引き摺りながら割り当てられた部屋に戻っていった。

 

 ちなみにそのまま寝てしまった冥子は勘九郎が背負って運んでいった。

 

 本人曰く、

 

「全く興味が無くって力持ち。私以上に適任が居るかしら?」

 

 との事。

 

 もうなんだか全部どうでも良くなっていた為、あっさりとその方向で決定したらしい。

 

 

「寒い・・・腹減った・・・足が冷たい・・・」

 

「ぐだぐだ言うな・・・こっちまで疲れてきたじゃねぇか」

 

「とは言っても、冬の山、しかも夜は厳しすぎですジャー」

 

 がたがたと震えながら、本降りになりつつある雪の中を、膝まで冷たい白の中に埋めながら歩く三人。

 

 忠夫の耳は完全に伏せられており、その唇は全員洩れなく紫色になっている。

 

「な、何でワッシがこんな目に・・・」

 

「・・・お前ら、俺を見捨てたら、エミさんと勘九郎にチクるからな」

 

「大体、お前が呪いになんて掛かるのがわりぃんだろうが」

 

 

 ちなみに呪いだと判明したのは、一番それを多く見る機会に恵まれているタイガーのおかげである。

 

 一瞬互いの視線が交錯するが、直ぐに前を向いて歩き出す。

 

 この極限状況で体力を消耗するのを避けようとする、それはそんな本能が訴える奇妙な状況であった。

 

 それでも、ここで眠ってはヤバイ。

 

 そう思いながら、必死で足を動かす3人。

 

 暖を取れないまでも、せめて雪を凌げる場所を。

 

 宿には帰れない、温泉に入りたい、暖かいご飯を食べたい。

 

 そんな、切実な願いを思い浮かべる3人の前に、小さな光が写る。

 

「おい、二人とも。俺はもうヤバイかもしれん。とうとう幻覚まで見え始めた」

 

「あー? そんなもん俺も見えてるよ。タイガー、お前は?」

 

「ワッシもですジャー。気の効いた幻覚――幻覚?」

 

 3人の目に、光が灯った。

 

 誰一人言葉を話す事無く、只ひたすらに加速していく。

 

 雪を蹴立て、虎の幻覚を纏い、魔装術を展開し、狼耳を立てて雪に足が沈む前に次の足を踏み出しながら、3人は目標めがけてまっしぐら。

 

 接近すれば良く分かる。

 

 それは、カマクラであった。

 

 雪で作り上げられた、小さな小屋ほどもある、エスキモーでも住んでるんじゃないかというそのサイズは異様に怪しくはあったものの、その中からは何かが煮える音が聞こえ、そして仄かに味噌の混じった香りが届く。

 

 暖を求め、食事を求めて駆け込んだ3人の目の前には。

 

 

「「「助かったぁぁっ!!!」」」

 

「・・・ん? 忠夫、なんで此処に居るでござるか?」

 

「親父ぃぃぃぃぃっ?!」

 

 

 何故か犬飼ポチが居た。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 この糞寒い中、何時もの侍装束の上に一枚だけ「I LOVE・沙☆耶」と書かれた手作りの半纏を着込み、くつくつと音を立てる鍋の前で胡座を掻いて一人で手酌をしている犬飼ポチ。

 

「犬飼ー、追加の肉狩って来たぞー。・・・あれ、忠夫じゃないか」

 

「犬塚のおっさんもかいっ?!」

 

 カマクラの中に駆け込んで、鍋の底に残っていた肉を争って食べる雪之丞とタイガーを余所に硬直していた忠夫の背後から、これまた聞きなれた声が聞こえ、振り向いた忠夫の目に写ったのは、手に鳥と兎を持った犬塚父。

 

 こちらも何時もの服の上に、分厚い熊の毛皮を一枚引っ掛けただけの格好である。

 

「「いや、チョウロウが出てな?」」

 

「またかい」

 

 一気に狭くなったカマクラの中に、乾いた笑い声が木霊した。

 

「ふぅ、ごっそさん」

 

「お、もう良いのか。しっかり食べんともたんでござるぞ?」

 

 満腹の表情で腹を叩く忠夫に、苦笑いしながらポチが話し掛ける。

 

 その手に持った「昇り龍」と書かれた一升瓶の中身は既に空に近い。

 

 それを横から手を出して中身を罅割れた茶碗に移しつつ、犬塚父も笑いかけた。

 

「いや、結構食べたぞ、こやつ等」

 

 その言葉通り、実際の所3人でかなりの量の鍋を食べている。

 

 タイガーと雪之丞もまったりとした表情でくつろいでおり、途中で勧められた酒の効果もあってかうとうとと船を漕いでいる始末である。

 

「所で、さっきも聞いたがなんでお前が此処に居るでござるか?」

 

「・・・あー、色々あって」

 

 言えない。

 

 一応これでも侍である。しかも、目の前に居るのは女性を大事にすることにかけては定評のありまくる人狼の二人である。

 

 まかり間違っても「女湯を覗いちゃって、現在逃亡中です」とは口が裂けても言えない。

 

 と、言う事で、話を誤魔化す事にした。

 

「お、親父達こそなんで此処に居るんだよ。何時もならとっとと吊るされて終わりじゃねぇか」

 

「まぁ、今回は別の用事が会ってでござるな。長老に掴まる訳にはいかんのでござるよ」

 

「これだ。まぁ読んでみれば分かる」

 

 犬塚父から一升瓶を取り返した父はともかく、犬塚父が差し出してきた手紙には、かなり重要な事が表に書かれていた。

 

「・・・果たし状?」

 

「里の結界の外で、美衣殿が見つけたらしいんでござるが・・・問題は、それじゃなくてでござるな」

 

 ひっくり返して裏を見れば、其処にあるのは。

 

「狐と、人狼の娘へ・・・シロとタマモかっ?!」

 

「そう言う事。ちょっとチョウロウから逃げてる時に、たまたま見つけてな。シロは隠していたつもりらしいが、何、屋根裏は我らの得意な逃走経路の一つ。まだまだ甘いわ」

 

 何が甘いのか。そもそも甘いとかそう言う問題ではない。

 

 娘に宛てられた手紙をあっさり見る親も親なら、屋根裏に隠すシロもシロであるが、取りあえず半眼になった忠夫から手紙を受け取りつつ、二人の人狼の里の兵たちは、二人揃って精悍な笑みを浮かべた。

 

「もしもの時の為に控えるのは、親の役目だろう? それに――」

 

「子供の喧嘩に親が出るのもどうか、とは言ったんでござるがなぁ。まぁ、しかし――」

 

 人狼の里の住人に、ひいては人狼の里に喧嘩を売って来るほどの、自信。

 

 ならば、それほどの強敵ならば。

 

 

 『楽しめそうじゃないか』

 

 

 そう言って、二人の修羅は、小さく弾けた真っ赤な炭の光を受けながら、酷く楽しげに――微笑んだ。

 


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