月に吼える   作:maisen

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第弐拾捌話。

 

「フォォォォッ!」

 

 赤いジャージを着たガルーダ、言うなればガルーダレッドが声高らかにフェンリルを指差す。

 

 びしっ! と音さえ立てそうなくらいには、それは気合の入った行為であった。

 

 だがしかし。

 

 青いジャージを着たガルーダブルーがその肩を引き止め、やたらと気障っぽい感じに顔の前に立てた指を2、3度ふった。

 

 それを見たガルーダレッドが怒りも露にブルーの胸倉を掴み上げる。

 

 しかしブルーは動じた様子も無く、その手を邪険に振り払う。

 

 辺りに気まずい空気が流れ、その真っ只中で睨みあう二匹。

 

 その視線はちらちらとピンクのジャージを着たガルーダピンクに向かうが、オスなのにそんな色のジャージをアミダくじの結果で着せられたピンクは未だ体育座りでへこんだまま。

 

 レッドとブルーの視線に焦りが宿り始め、二匹は視線で会話する。

 

 しかし、誰にもどうしようもない。この雰囲気は晴れてはくれない。

 

 と、そこに緑のジャージを着たガルーダグリーンが「まぁまぁまぁまぁ」といった感じで二人の間に割り込んだ。

 

「クォっ!」

 

「クォォォォ~」

 

「クェェェ・・・」

 

 天の助けとばかりにレッドとブルーは悪態?を付きながら視線を逸らす。

 

 そして、互いにそっぽを向きつつも、漸くフェンリルに向かって構えを取った。

 

 黄色いジャージを着たガルーダイエローが、その後ろで右手に持ったカレーをしげしげと眺めているが、既に誰からもスルーされていた。

 

「・・・ふむ、まだぎこちなさが残るな。教育プログラムにもう2,3本追加するか」

 

「せめてDVDにしてよね。結構場所取るんだから」

 

「そーゆう問題じゃないでしょあんたらぁぁっ!!」

 

 額に怒りの井桁を浮かべた美神の叫びも当然。

 

 何故かフェンリルは興味深々で眺めていた為に、そして茂流田と須狩以外の者達は状況が把握できずに固まっていた為問題は無かったが、彼らの前にはフェンリルが存在しているのである。

 

 ちなみにグーラーはガルーダ達が飛び出した扉の影から、恥ずかしそうに顔を覗かせている。仲間と思われたくなかったらしい。

 

「その通りっ!」

 

「先生?!」

 

 美神の叫びに答えるように、ピートに肩を借りて立っていた唐巣神父が凛と叫ぶ。

 

 力強く拳を握り締めながら、その瞳には炎が燃え盛っているようにさえ見える。

 

「ぎこちなさっ?! だがそれが良いっ! 例え初めはぎこちない繋がりであったとしても、数々の戦いを超え作り上げられていく友情! そう、初めから完璧なものなど無いのだよっ!」

 

「あんたもかぁぁっ!」

 

 柳眉を逆立てながら怒鳴る美神。

 

 殆ど活火山の爆発を思わせるそのド迫力も、しかし彼らには通じたようには見えはしない。

 

 へなへなと膝から地面に崩れ落ちた美神は、頭を抱えて一言唸るのが限界であった。

 

「ああもう・・・突っ込みきれないわよ・・・!」

 

「美神さんを圧倒するとは・・・恐るべし・・・!」

 

 忠夫が一人感心しているが、補助しようとはしていない。

 

 やはり巻き込まれるのは嫌らしい。

 

「さぁ、貴方達! あの子を捕まえなさいっ!」

 

「怪我一つさせるな、怪我するな! 後はしっかり頑張れっ!」

 

 マッドコンビの声も高らかに、5体のガルーダが構えを取る。

 

 その先にいるのは、戸惑ったようにガルーダを見つめるフェンリル狼。

 

 ガルーダ達は、それぞれ一声吼えると、すぐさま全速力で駆け出している。

 

 フェンリルはその姿を見ると、一瞬怯えた様子を見せ――

 

『ガッ、ガァァッァァアッ!』

 

 再び瞳に狂気を宿す。

 

「フォォォォォッ!!」

 

 5対1、数の上では5倍にあれど、捕獲・保護を目的としている集団と狂気に侵され排除しか考えられない個体。 

 

 戦況は、未だ先を見せない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「もう・・・横島さんったらっ!!」

 

「あー、おキヌ殿。流石にこれは無理ではないかと・・・」

 

「駄目ですか・・・あ、そーいえば」

 

「その紙は何ですか?」

 

「えへへー、私の親友からの贈り物ですよ?」

 

 牙が打ち合わされ、爪が舞う。

 

 切り裂かれたジャージの欠片が地面に落ち、それを踏みにじるようにして加速する。

 

 前方から正面衝突間違い無しのコースで突っ込んだ影の背後から、左右にばらけて影が走る。

 

 散開した影の軌道に動揺し、一瞬踏みとどまってしまった隙を突いて正面の影が跳ね上がる。

 

 視線を上に向けた瞬間に、その更に背後から真っ直ぐ走ってきた影が、滑り込みながら4本の足の間を擦り抜ける。

 

 慌てて追いかけた視線の向こうには何も無く、上下に揺さぶられた視界では左右の挟撃を追いかけ切れない。

 

 冗談のような速度で迫る2つの影に、片方は牙で、片方は爪で対応する。

 

 しかしそれは只の反射行動、適切からは遥か彼方にある行動。

 

 爪は皮を一枚切り裂き、牙は何も捕らえない。

 

 爪と牙とを皮一枚で見切った2体は、しかし何をするでもなく狼の横を駆け抜ける。

 

 左右に背中を見せながら逃げる影の、どちらを追いかけようかと逡巡したその瞬間に。

 

「クェェェェッ!!」

 

 上空に飛び上がったガルーダが狙い済ましたタイミングで落下し、背中に組み付き拘束を図る。

 

 それを力任せに振りほどきながら、フェンリルから振りほどかれて吹き飛んだガルーダに追撃をかけた。

 

『ガッ?!』

 

「クェェッ!!」

 

「クワァッ!!」

 

 後方に擦り抜けた筈のガルーダが、即座に反転しゃがみ込んで地面を這う足払い。

 

 僅かにつんのめったフェンリルの左右から、新たに飛び掛る2つの影。

 

 豪咆一喝、超至近距離での大音声に動きの鈍った2体の体をすれ違いざまの左右の爪が掠めて過ぎた。

 

 しかしそれで終わらない。

 

 通り過ぎるフェンリルの尻尾を2体は同時に掴んで引き摺られる。

 

 その瞬間、追撃を掛けられようとしていたガルーダが再び正面から飛び掛る。

 

 それに向かって開いた顎が虚しく噛み合わさる音を左に聞きながら、ガルーダは転がるように回避、右前足を瞬時に手の平で払う。

 

 右側にバランスを崩したフェンリルは、そのバランスをわざと更に崩しつつ掴まれた尻尾に力を篭める。

 

 一瞬で解き放たれた尾は、掴んでいた2体を弾き飛ばしながら白銀の弧を宙に画いた。

 

「うわこっち来たぁっ?!」

 

『グルァッ?!』

 

 転がりながら向かう先は、忠夫達とグーラーに連れられて2階のテラスから降りてきた茂流田達の居る場所へ。

 

 慌てふためく美神達を余所に、転がる体を勢い任せに引き起こし、半ば慣性に引き摺られながら楕円を描いて茂流田に向かう。

 

「こんの馬鹿犬っ!」

 

『ゥオンッ!!』「狼っすー!!」

 

 何故か抗議が2重音声で聞こえるが、無視して美神は神通棍を振り下ろす。

 

「はやっ?! っち、抜けられたっ!」

 

「美神さん、今手加減全然してなかったんじゃ・・・」

 

 美神の一撃で抉れた地面を指差す忠夫を蹴飛ばしながら、美神は後方へ抜けたフェンリルを追撃。

 

「「――Amen!」」

 

 疾走体勢に入った美神達の目の前で、ピートと唐巣神父が同時に結界構築。

 

 それは即時に効果を発揮し、しかし即時であるが故に準備した物と比べて脆すぎた。

 

「充分っ!」

 

『グルァッ!!』

 

 しかし、いかに脆かろうとも結界を破ると言う行動の為にワンアクションを必要としたフェンリルは、僅かな減速を強いられた。

 

 地面を抉って一瞬で最高速まで乗った忠夫は、その僅かな減速を活用し切る。

 

 左に突然出現したようにさえ見える忠夫に、フェンリルは驚きながらも爪を振る。

 

 それを必死でかわしながら、忠夫は顎を地面に触れされる直前まで頭を下げて懐に潜り込む。

 

「ぃよいしょっっ!」

 

『ッ?!』

 

 忠夫がその手で払ったのは、振るわれた爪の反対側。

 

 しかしフェンリルも只では転ばない。

 

 転げる最後の瞬間に、後ろ足に力を篭めて大跳躍。

 

 跳ぶ、と言うよりも前方に落下するようなその体勢のまま、フェンリルは更に進攻する。

 

「ってー!」

 

 進行方向に展開された戦車群から、幾つもの黒弾が打ち込まれた。

 

 それは正確にフェンリルの鼻面に着弾し、同時に太陽のような光を大音量と共に撒き散らす。

 

 超感覚との相乗効果も相俟って、それはフェンリルの視界と聴覚を確実に奪い去っていた。

 

「と、止まらないっ!!」

 

 しかしフェンリルは止まらない。

 

 苦しげに頭を振りながら、ふらつく足に力を篭めて、再び茂流田達に向かって再加速。

 

 後方のガルーダ達は、魔獣同士の争いに巻き込まれないようにこちらから距離を取っていた為まだ追いついていなかった。

 

 美神やピート、唐巣神父では、この短時間には効果的な手段が無い。

 

 自衛ジョー達の戦車群は既に抜かれ、砲塔の反転も、再装填も間に合わない。

 

 

「駄目だっ! やめな――!」

 

「グーラーっ! 馬鹿?!」

 

「茂流田、グーラーを止めて――」

 

 

 須狩を背後に庇って茂流田が立ち。

 

 その二人を庇うようにグーラーが立ちはだかる。

 

 フェンリルの瞳には既に理性の色は無く。

 

 あるのは恐怖と助けを求める感情と、何時の間にか、滂沱と零れる、涙。

 

 しかし、鋼をも貫く牙を備えた顎は、フェンリルの思いとは裏腹に。

 

 限界まで、広げられた。

 

 

 牙が、肉を貫いた。

 

 

「――え?」

 

 

「――っ?!」

 

 

「よ・・・」

 

 

「横島ぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」

 

 

 恐怖に震え、混乱に震える狼の牙は、父と慕う人でも、母と想う人でも、姉と懐いた鬼でもなく。

 

 鬼を突き飛ばして滑り込んだ、半人狼の肩に、深く、深く突き刺さっている。

 

 フェンリルの直ぐ後方におり、閃光弾を思考と状況と経験で予測し、そしてフェンリルの見せた僅かなふらつきの瞬間に追いついた忠夫が、鎖骨とあばらごと貫かれながら、その顎の先にいた。

 

「泣くなよ」

 

『グルゥ、グル、グルルルゥ』

 

「あんた…」

 

 突き飛ばされたグーラーには見えていた。

 

 割り込んだ忠夫が、その両手で身を守るでなく、攻撃するでなく。

 

 抱きとめるようにその腕を広げた行為が。

 

 茂流田のスーツを真紅に染めながら、食い込んだ牙の痛みに顔を顰める素振りさえなく。

 

 忠夫は、広げた腕で、フェンリルを優しく抱きとめている。

 

「泣くほど怖かったんかー。そらそうだよなー、親の所に行きたかっただけなんだもんなぁ」

 

『グルルルル・・・』

 

 フェンリルの瞳には、既に狂気の色は無い。

 

 ただ、懇願と、戸惑いと涙がある。

 

 その背中を優しくぽんぽんと叩きながら、忠夫はフェンリルに噛み付かれたまま尻餅を付く。

 

「そうだなぁ・・・。俺はお前の親父じゃねーし、今のお前はあっちに行くのは危ないんだ、な?」

 

 4本の足を地面に降ろしたフェンリルの顎が、倒れこみそうになる忠夫に食い込みながら、その体を支えている。

 

 

 ゆっくりと、その地面が赤く染まっていく。

 

 

 背後のグーラー達も、必死の形相でこちらに駆けて来る美神も、忠夫の目には入らない。

 

「だから、さ」

 

 忠夫の頭を過ぎるのは、母が亡くなったあの時の事。

 

 顔をぐちゃぐちゃにして泣きじゃくる己に、とんでもなく非常識な父親が、それまで表情を無くしていた父が、慌てた様子でゆっくりと大きく抱きしめてくれた時のあの両手。

 

「なんだっけなぁ・・・そう、泣いてる子供を、泣かせたままでいるのは駄目だ、とか言ってたっけ」

 

 ぽんぽん。

 

 忠夫の手が、優しくその背中を叩く度。

 

 牙から力が抜けていく。

 

 蓋が取れた事で、傷口からは新たな血が、湯水の如く湧き出していた。

 

「なんとかすっから、さ」

 

『――オオオオオオオオンッ!!』

 

 完全にその牙を抜いた狼は、半人狼に抱かれたまま、世界に響く泣き声を上げた。

 

 

「ちょっとだけ、我慢してな?」

 

『ゴルッ?!』

 

 

 開いた口の中に、忠夫の手が突っ込まれた。

 

 

「・・・よし」

 

『ゴ、ガァ』

 

 ぶちぶち、と、繊維質の何かを引きちぎる音が、驚きに動きを止めた周囲に響く。

 

 苦しげに悶える狼と、その音。

 

 そして、忠夫の会心の声の向こうから。

 

「――・・・さま、貴様、きさまぁぁぁっ!!」

 

 フェンリルの喉の奥に突っ込まれた忠夫の腕の先から。

 

「あんた――」

 

「お前は――」

 

 体中から緑色の触手を生やした、蝿の姿をした魔族の、驚愕と怒りに満たされた怒号が木霊した。

 

 

「てめぇか、クソ蠅野郎(ベルゼバブ)

 

「横島忠夫、貴様、よくもぉぉぉっ!!」

 

 

 ぐったりとしたフェンリルに圧し掛かられた忠夫の力の入らない手の平から、ベルゼバブは羽を動かし離脱する。

 

 瞬きする程の間に上昇し、その勢いのまま反転。

 

 怒りに突き動かされるまま、フェンリルの体に巣食って負の感情だけを極限まで増大させていた魔族は、それを見破りあろう事か引きずり出した男に向かって突撃する。

 

「折角こいつらの『作品』で殺す、最高の、取って置きの喜劇をぶち壊しやがってぇっ!! こうなれば、貴様から殺してやるわぁっ!!」

 

「はっ! 子供の腹んなかに居座る寄生虫が何ぬかすっ!」

 

 忠夫が吼える。

 

 しかし、その手には何も無い。

 

 如意棒も、霊力も、何も無い。

 

 あるのは、ただの拳のみ。

 

 それも、全力で一回殴れるかどうかの、頼りない拳のみ。

 

 忠夫には、今の忠夫にはそれが限界。

 

 だから――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「横島さんっ!!」

 

「――おキヌちゃん?!」

 

 2階のテラス、茂流田たちが登場したその場所に、極彩色に輝く札を握り締めたおキヌが居る。

 

 その手には、おキヌを足止めし、おキヌの居る通気口に侵入されるのを防ぐ為につっかい棒にした、斉天大聖の神器があった。

 

 美神の声に答える暇も無く、おキヌはベルゼバブの真下にいる忠夫に向かって、その手に持った如意棒を、思いっきり、全力でブン投げる。

 

 それは、回転しながらとんでもない速度で飛んで行き――

 

「さんきゅー、おキヌちゃんっ!!」

 

「死ねぇぇぇぇ!!!」

 

「お前がなっ!!」

 

 忠夫の手の平に完璧に収まり、一瞬で半円を描き、そのままの勢いで――。

 

「なっ?!」

 

「吹っ飛べぇぇっ!!」

 

 ベルゼバブを直撃する。

 

「がぁぁっ?!」

 

 強かに重い衝撃を叩き込まれたその体は、抵抗する事さえ許されず、地面と平行にすっ飛んでいく。

 

 その先では。

 

「・・・フォォォォォッ!!」

 

 ガルーダ達が、怒りに満ちた表情で待ち構えていた。

 

「ちょ、待て――」

 

『フォァァッ!!』

 

 すっ飛んできたボールを、ガルーダブルーが蹴り上げる。

 

 真上に打ちあがったそれを、グリーンが更に斜め下に蹴り飛ばす。

 

 振ってきたそれに、ピンクが色々と八つ当たりも含めつつ、強烈なビンタを打ち込んで更に左に弾く。

 

 飛んで来たそれに、何処から取り出したのか分からないが、真っ赤なカレーを持ったイエローが、その皿ごとアッパー気味に叩きつける。

 

 最後に、打ち上げられたカレー塗れのベルゼバブを、レッドが全力で蹴り飛ばした。

 

「がぁぁっ?! 何だ、何故抵抗できんっ?! 何故だぁぁっ?!」

 

「――何処までも、性根の捻じ曲がった野郎ね」

 

 最後に待ち受けていたのは、怒りを通り越して凄絶な、感情が篭りすぎているが故に無表情であるにもかかわらず、何処までも冷たい美の女神。

 

 

「あんたは――」

 

 

「くそ、くそぉ、くそおおおおおおっ?!」

 

 神通棍には、既に許容量ギリギリまで霊力が詰め込まれていた。

 

 現代でも手に入る通常の神通棍でなく。

 

 「ヨーロッパの魔王」ドクター・カオス謹製の神通棍でさえも受け止めきれなくなりそうな程の。

 

 

「うおおおおおっ?!」

 

 

「――極楽にも行かせない」

 

 

 膨大な霊力を撒き散らしながら、美神はベルゼバブに向かって走り出す。

 

 そして、すれ違いざまに叩き込まれたその一撃は、火花を通り越して放電現象さえ引き起こしつつ。

 

 

「貴方は、此処で、消えなさい」

 

 

 蝿の王に、断末魔さえも上げさせず、その体を断ち切った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その光景を見ながら、忠夫は一つ、ずっと気になっていた事の答えを手に入れていた。

 

 それは、己を抱きしめた父が、そのまま困った表情で、ただ、ずっと抱きしめたままだった理由。

 

 何か声を掛ける訳でなく、ただ、困った顔で固まっていたその理由。

 

 忠夫の体の上では、中型犬程に縮んだ元フェンリル狼が、涙を流しながら必死で傷を舐めている。

 

 それを、ゆっくりと抱きしめながら、忠夫は困ったように笑っていた。

 

「参った・・・」

 

「横島さんっ!」「横島くんっ!」

 

 こちらに駆けて来る皆の姿を見ながら、忠夫の視界は段々と光を失っていく。

 

 死にはしない、と思った。

 

 それくらい、何となく分かる。

 

 ただ、困った。

 

『クゥーン!』

 

 

「――泣いた子供の泣き止ませ方が、わかんねぇ」

 

 

 そこまで呟いて、忠夫の視界は完全に閉ざされた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 次に目覚めたら、何故か後頭部が凄く痛かった。

 

「痛た・・・いだだだだっ?!」

 

「あ、起きました?」

 

「う、あ、えーと? おキヌちゃん? あれ?」

 

 辺りを見回せば、何時か見た気がするし、そして何故か絶対に思い出したくないような気もする状況だった。 

 

 金属で囲まれた部屋――に見えるが、全体的に狭いし、何故かそこ此処に棒が突き出していたりロープがぶら下がっていたり固いであろう椅子が無機質に並んでいたりする。

 

 忠夫の記憶は必死で忘却しようとしているが、そこはオカルトGメンのヘリの中であった。

 

 その固い床に、忠夫は毛布を引いただけの床の上に、体中を包帯となんだかよく分からない匂いの薬を塗られて、横たえられていた。

 

「こ、此処は?」

 

「病院の前ですよ。もうすぐ担架が来ますから、もうちょっと待っててくださいね。いま、美神さんが唐巣神父をピートさんと一緒に担いでお医者さんを呼びに行った所です」

 

 そう告げるおキヌの顔は笑っているが、何故か瞳が笑っていない。

 

「・・・おキヌちゃん、なんか機嫌悪くない?」

 

「知りませんっ!!」

 

 ぷくー、と膨れて、おキヌは視線をあさっての方向に逸らしてしまった。

 

 そのまま忠夫は戻って来た美神の、これまた異様に冷たい視線に曝されながらベッドに直行する事になるのだが。

 

 まあ、その理由は顔を洗う前に鏡を見れば分かるだろう。

 

 端的に言うと、ほっぺたに綺麗なキスマークが、しかもギリギリ唇から外れていると言う危険な所にあるのだ。

 

 勿論、誰のとは言わないが。

 

 そして、忠夫は知らない。

 

 それを頂く直前まで、悲壮な表情の美神が呼んだヘリに担ぎこまれるその直前まで。

 

 美神が、膝枕をしながら、泣きそうな顔で必死に彼の名前を呼び続けていた事を。

 

 そして、「う~ん、お腹一杯。でもお代わり」などと緊張感皆無の寝言をほざくいて放り出され、強かに後頭部を打ちつけて睡眠から気絶に移った事を。

 

「もうっ! 横島さんったら!」

 

「あのー、おキヌさん?」

 

 

 

 

 

「それじゃ、僕は色々と準備をしてくるよ」

 

「ええ。私達は美神が教えてくれた場所まで行ってみるわ」

 

 元の姿に戻ったガルーダと、他のガルーダに再び体中に纏わり付かれつつ、須狩はヘリに乗り込む前に美神が差し出したメモに目を通す。

 

 そこに記されているのはGPSの細かい座標と大まかな地図、そして紹介文。

 

 曰く、「あんたの所の馬鹿なら、多分そうするだろうから、暫く面倒見てやってくれ」と書かれた――人狼の里の場所を示したメモをひらひらと風に泳がせながら、須狩は安堵の溜め息を付いた。

 

「何とかなったのかしら?」

 

「なったんじゃない? 結果オーライだよ」

 

 元研究所のガレージから、一台の軽トラックを運転して来たグーラーが、笑いを含んだ声で答えた。

 

 その荷台には、山と積まれたガルーダ達の餌と、戦車とか。

 そして――。

 

「ゥオンッ!!」

 

「はいはい、分かった分かった」

 

 元気一杯に尻尾を振る、人狼の子の姿がある。

 

「それじゃ、僕は先に行くよ」

 

「ええ。連絡はいつものやつで、ね」

 

 茂流田は、そう言い残して歩き出す。

 

 その後ろを、重厚な足音を立てながら、巨大な石像がついて行く。

 

「移動機能付家庭用重機動ゴーレム式金庫」ちなみに特許出願中。武装も特になく、固いだけの、遅い、重い、固いの三拍子揃った金庫である。

 

 それ故、フェンリルを傷付けずに捕獲するのには向いていないため沈黙していたのと――中身が中身な為、こっそり隠してあったのだったりする。

 

 二人は気付いていないが、一般家庭で使用するにはでか過ぎるし、家の中を歩けば間違い無く床が抜ける素敵仕様である。

 

 美神達への報酬は、施設内の金庫の中。

 

 暗証番号と開け方は教えてあるので、特に問題はないだろう。

 

 美神も流石に所員が負傷した為、そちらの方を優先したようだ。

 

「ま、金庫の中に比べればはした金だけど、一応足りるでしょ」

 

 重々しい足音が消えた先には、しっかりくっきり巨大な足跡が続いている。

 

 それを眺めながら、須狩は助手席に乗り込んだ。

 

「ねぇ、グーラー?」

 

「なんだい?」

 

「惚れた?」

 

「さぁね?」

 

 唇を触りながら素っ気無く言い放ったグーラーの頬は、しかし言葉を裏切り赤味を増す。

 

 それを微笑ましげに眺めながら、須狩は窓から身を乗り出した。

 

 

「――きっと、明日も晴れるわね」

 

「ウオンッ!」

 

 

 下界の騒ぎも知らぬようで、空は何処までも蒼かった。

 


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