月に吼える   作:maisen

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第弐拾伍話。

 ――薄暗い部屋だ。

 

 明かりと言えば、半分以上が沈黙したモニター群の中に僅かに灯る画面のみ。

 

「・・・ちっ。隔壁は動かんし緊急用プログラムは停止。対霊警備システムも沈黙。使えるのはモニターとこちらの逃げ道も塞げる物とは」

 

 キーボードを叩く男性の見つめる画面には、ERRORと表示された幾つかの項目が映し出されている。

 

 ちらりと視線を傍らのモニターに飛ばせば、また1枚の隔壁が抉じ開けられたシーンが映し出された。

 

 狭い通路を疾風のように進むそれに、幾つもの火線が突き刺さる。

 

 しかし、『そいつ』は全く意に介することすらなく、ひたすら前へと進んでいくのみ。

 

 画面の端にちらちらと写るのは、小さな、人形ほどの人影達。

 

 男は、それを見るとキーボードの傍らに放り投げてあった通信機を取る。スイッチを押し、耳に当て、聞こえてくるのは怒号と銃撃音。

 

「どうだ、そっちの状況は?」

 

「はっ! 目標は依然進行速度を衰えさせる事無く、居住区のほうへ向かっております!」

 

 素早く返って来た返答を耳に、再びキーボードを操作する。

 

 表示されたのは施設内の地図。

 

 左手で通信機を耳に押し当てながら、右手で地図の上をなぞって行く。

 

「・・・匂いか。クライアントには我々を逃がすつもりが無いらしいな」

 

「それならば、こちらには臭気ガスなどの装備で対処可能――」

 

「止めておけ。目標を見失えば、どんな行動に出るか分からん。最悪お前達に襲い掛かってくるぞ。命令は現状で固定。取り得る手段、全てを使って、しっかり足止めしておいてくれ」

 

 噛んで含めるように説明し、通信機のスイッチを切る。

 

 ことん、と軽い音を立てて置かれたそれは、頼りなくも此処と他を繋ぐ一本の糸であった。

 

「茂流田? こっちの準備は終わったよ」

 

「ん、ああ。そうか」

 

 茂流田と呼ばれた男性の右手のドアを開け、何処となく強気な顔立ちの、褐色の肌をもつ女性が声を掛けて来る。

 

 とは言え、その格好は中々刺激的。殆ど模様にしか見えない何かで僅かに覆われた上半身。そして、何よりも目立つのが、その額にぽっこりと突き出した角であろう。

 

「どうしたんだい?」

 

「いや、何でもないさ」

 

 茂流田の気怠げな声に、眉根をひそめたその女性は訝しげに問う。

 

 しかし、返って来た答えもまた何処か素っ気無いものであった。

 

「無事だよ。あいつがそう簡単に失敗するもんか」

 

「・・・そうだな」

 

 腕を組んで目線を逸らしながら、気恥ずかしげに女性が呟く。

 

 耳に届いたその言葉に苦笑いを零しながら、茂流田は椅子を立った。

 

「ん? 何処に行くのさ?」

 

「あいつらに顔を見せに良くだけだ。どうせ騒がしくて困ってるんだろ?」

 

「元気だけはあるからねぇ」

 

 苦い笑いでなく、微笑を零した女性は身を翻す。

 

 彼女が開いたままのドアを潜りながら、茂流田はモニターに目を飛ばした。

 

「・・・胸糞悪い」

 

 それは、誰に向けた言葉であったのだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「駄目、通じないわ」

 

「中と連絡が取れないって事?」

 

 森の中に存在する、巧妙に朽ちかけた館偽装されたその建物。

 

 旧華族の屋敷として一部の者達に知られるその建物は、しかし更に一部の者達に取っては、見た目とは裏腹に高度に電子化された研究所であった。

 

 その巨大な建物の正門。

 

 古めかしい扉の横の壁に、蔦や苔に偽装されて隠れていた電話を、須狩はゆっくりと元の位置に戻した。

 

「つまり、中の状況は完璧に不明、って事かしら」

 

「そうでもないわ。茂流田の居場所なら予想がつくし、隔壁が閉じられているといっても――」

 

 須狩は一人、扉を素通りして歩き出す。

 

 周囲を警戒しながらそれに続く美神達。ガルーダの雛は須狩の頭の上である。

 

 なんとも緊張感に欠ける光景である。

 

「ええと、此処ね」

 

「これは・・・隠し通路かね」

 

 須狩の手は、館の壁に生い茂る苔を取り除き、その下に隠された真新しい鋼鉄の扉を覗かせていた。

 

 その横にある壁を調べ、ただのレンガにしか見えないその部分を一度叩く。

 

 表面があっさりと剥がれ落ち、その中に存在する電卓のような小さな機械をさらけ出した。

 

 十数桁の番号を迷う事無く打ち込めば、鋼鉄の扉はあっさりと自分からその口を開いていく。

 

「・・・おかしいわね」

 

「何がですか?」

 

 その呟きで、中を覗き込もうとしていたピートの動きが停止。

 

 訝しげに振り返った彼の瞳には、気難しげに顔をしかめる須狩の表情が写っていた。

 

「ここは、ごく最近に作った非常用の出入り口なの。私はここから脱出したから、良く憶えてるけど・・・」

 

 そう言いながら、辺りを見回す。

 

「・・・一体、何が狙いなのかしら?」

 

「・・・とりあえず、中に入らない事には始まらないわね。横島くん、先行して――横島くん?」

 

 腰にぶら下げた破魔札と神通棍をいつでも取り出せるようにしながら、偵察役としては現在のメンバーでも随一の半人狼に声を掛ける。

 

 だが、忠夫は真っ青な顔で硬直したまま動かない。

 

「どうしたの?」

 

「み、美神さん、ヤバいっす・・・! なんか、ここに入っちゃいけないってビンビンにー!」

 

 尻尾を丸めて今にも逃げ出しそうに、腰を引かせて忠夫が叫ぶ。

 

「美神さん、横島さんがこんなに嫌な予感を感じるのって・・・」

 

「・・・そうね。これは、予想したより厄介な事になるかもしれないわね」

 

「だ、だったら逃げましょうよ~」

 

 とは言え。

 

 忠夫とて困っている者を見捨てるのは流石に嫌だ。しかし、それを超える危機感を感じているのもまた事実。

 

 何がそんなに怖いのか。

 

 それほどまでに恐ろしいのか。

 

 それさえも、答えを返すものは無い。未知とは恐怖なのだ、とは誰の言葉だったか。

 

 しかし、それに気を取られている内に、美神が忠夫の首根っこを掴んで引き摺り始めた。

 

「ちょ、美神さーん!!」

 

「うるっさい! 久し振りの大儲けなんだから、ちょっとやそっとの事で諦める訳には行かないでしょうが!」

 

 必死で手足をばたつかせながら抗議するが、何故か美神には逆らえず。

 

 軽々と放り投げられ、忠夫はあえなく先行偵察役となったのである。

 

「こんなんばっかりやー!」

 

「頑張ってくださいねー!」

 

「横島くんもおキヌちゃんも偵察に行くのに大声で叫ばないっ!」

 

 ごもっとも。

 

「美神さんも十分声大きいですよね?」

 

「・・・まぁ、美神くんだからねぇ」

 

「こ、こいつらに任せて大丈夫なのかしら?」

 

 今更ながらにそんな事をのたまう須狩の隣で、困惑気味のピートと諦め気味の唐巣神父が二人仲良く遠い空を眺めていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ううう、怖い、暗い、狭いっ!!」

 

 ずりずりと狭い通気口を這い進む。忠夫が飛び込んだ裏口は、ほんの少し進んだ所で行き止まりであった。

 

 正確に言えば、隔壁が閉じられていて、どうしようもなかったと言う所だが。

 

「嫌な予感がするー!」

 

 通気口の中は、以外にも埃一つ積もっておらず、しかし当然ながら明かりなどは無い。 

 

 それでも、とりあえず方向感覚頼りにひたすら奥と思われる方向に進んでいく。

 

 確かに、この先に何かがある。

 

 いや、居る。

 

 背中には嫌な汗が流れっぱなしだし、不気味なくらい静かな事も気に掛かる。

 

 通気口というからには音の通りは良い筈であるし、あちらこちらに繋がっている筈。

 

 そんな事を考えながら、ひたすらに腕と足を使って這い進む。

 

 

「・・・ん?」

 

 視界を、何かが掠めた。

 

 動きを止めて、そちらを凝視。

 

「鼠かな?」

 

 正直、こんな狭い所でばったりと出会うのはかなり勘弁であるが、それでも向こうが逃げるのが先だろう。

 

 

「・・・え?」

 

「動くな! 両手を上げて、直ちに伏せろっ!」

 

 

 ――それが、鼠であったなら。

 

 突然の声に、忠夫の動きが止まる。

 

 それを命令に従ったと見たのか、通気口の先、分岐になっているところの左右から、小さな人影が飛び出してくる。

 

「に、人形?」

 

「失礼な! こう見えても由緒正しき純国産、自衛ジョーだぞっ!」

 

 幾つも連なる音を立てて、迷彩服を着た人形達が銃を構える。

 

 その数、およそ10体ほど。構える銃は爪楊枝程度の大きさで、はっきり言ってひたすらに頼りなさそうである。

 

「・・・元がパチモンじゃねーか」

 

 何でそれを知ってるのか。TVか漫画の悪影響か、それは知らねどいい加減に――

 

「・・・総員構え! 一応弱装弾、発砲は任意っ!!」

 

 口は災いの元を憶えたほうがいいだろう。

 

 狭い通気口に、細い火花が舞い踊った。

 

「あだだだだだだっ?!」

 

「良し、撃ち方止めー!」

 

 慌てて何とか動く両手で顔を庇い、身を縮めて火線から身を守る。

 

 しかし、口径とか言う前に、根本的に威力が無い。

 

「いてーじゃねーかこの野郎っ?!」

 

 ちょっと怒った忠夫は、攻撃が止まった瞬間に、全速力で前進した。

 

 這いながら。

 

 さながら台所の黒い悪魔のようである。

 

「て、転進転進ー! 後ろに向かって積極的前進ー!」

 

「うははははー! 大きい事は良い事だー!」

 

 隊長らしき個体の声に、人形たちは一気に後方へと走り出す。

 

 歩幅は小さく、その体にしては大きなリュックを担いでいる者もあるが、中々に統率の効いた動きで逃げていく。

 

「工作班、準備は良いかっ?!」

 

「行けます、パターンは2-2-4です!」

 

「まーてー!!」

 

 調子に乗りまくりの忠夫は、前方で交わされたなにやら危険な香りのする言葉を聞き流した。

 

 まるで軟体動物のように体をくねらせ、曲がり角を素早く切り返し――

 

 

「うわはははは――きゃいんっ!!」

 

 爆発した。

 

 

 方向転換の後、すぐさま前進しようとしたのが不味かったのだろう。良く見れば、明かりの殆ど無い中でも、半人狼の目なら捉えていたのかもしれない。

 

 勢い良く這い進んだ先には、地雷がたっぷり設置してあった。

 

 思いっきり腕をその上に落とし、次の瞬間には通気口内に小さな爆発音が連続して響く。

 

 煙が晴れた後に出てきたのは、ちょっぴり涙目の、煤けた忠夫。

 

「・・・げほっ。ふ、ふっふっふ!」

 

「目標の損害軽微、戦術的撤退続行ー!」

 

「またんかゴルアァァッ!!」

 

 再び始まる追撃戦。

 

 方や時折喰らう手榴弾やらパンツァーファウストやらの爆発を、時には防御し時には直撃されながら、それでも前に進む速度を緩めない忠夫。

 

 方やひたすらに火力をぶつけながら、全速力で後退していく迷彩服姿の人形達。

 

 まるで、一昔前の怪獣映画のようである。

 

 いや、どちらかと言うとパニック物に近いかもしれないが。

 

「ど~こ~だぁぁぁ!」

 

「た、隊長! そろそろ弾薬が・・・!」

 

「もう少しだ、走れっ!」

 

 最早当初の目的も忘れ、ひたすらに追いかけていく忠夫。

 

 またもやぶつかった分岐で、左右を眺めてみる。

 

 右にはどうやら出口らしき灯りがあり、左には幾つかの足音が消えていくのが聞こえる。

 

 迷わず左に進路を取り、摩擦で発火しそうなくらいの勢いで這い進む。

 

「そこかぁっ?! ――ぷわっ?!」

 

 その眼前を塞いだのは、前方から投げ込まれた幾つかの筒。

 

 そこから噴き出した煙幕である。

 

 おそらくこの機に乗じて攻撃か撤退をするつもりだろう。

 

 しかし。

 

 追いかけるのは簡単だが、さっきみたいに一遍に撃たれてはかなり痛い。

 

 両手を上げて防御。凌いで一気に間を詰める・・・!

 

「・・・あれ?」

 

 しかし、予想した攻撃は来なかった。

 

 変わりに。

 

「せ、戦車っ?!」

 

 キャタピラの音も勇ましく。晴れた煙幕の向こうから、大量の戦車が出現した。

 

「照準、良し! 安全装置解除ー!」

 

「ま、待て待て待て待てー!」

 

 今度は、忠夫が後ろに下がる番であった。

 

「発射ぁぁっ!!」

 

「スンマッセン調子に乗りすぎましたぁぁっ!!」

 

 しかし、そんな言葉は今更過ぎた。

 

 慌てて後退する忠夫を追いかけるように、何発ものミニ戦車砲が着弾する。

 

 それは確かに硬い金属の壁をへこませ、しかも爆発して煤けさせてさえいる。

 

「だぁぁぁっ?!」

 

「逃がすなー! 撃て撃てー!」

 

「せ、戦闘は火力と機動力と数とか後諸々ー!」

 

 凄まじい密度の弾幕が、忠夫を追いかけて迫ってくる。

 

 しかしそこは逃げ足に関してはお約束の修正が入った忠夫である。

 

 恐るべき事に、弾丸が着弾する事は一度も無かった。

 

 床との摩擦で煙さえ上げながら後退していく。

 

「んぎゃぁぁぁ・・・あ?」

 

 その摩擦が、いきなり無くなった。

 

 足が何かを突き破り、慣性の効いたまま忠夫の体は宙を舞う。

 

 突き破ったのは通気口の出口に付けられた金網であり、宙に舞ったのは、ただ単に通気口から放り出されたからだ。

 

「お、おおおっ?!」

 

 空中でクロールするように、暫く手足をばたばたとさせていた忠夫だが、重力の頚木は彼を捉えて離してはくれない。

 

 あえなく、地面までの落下を始めた。

 

「ふんっ!」

 

 両手両足を使って着地する。僅かに痺れるような衝撃が走ったが、十分に許容範囲内である。

 

 たかだか2M程度の落下など、余裕と言わんばかりの見事な着地であった。

 

 しかし、慌てて立ち上がろうとして通気口のある場所を振り仰いだ忠夫が見たものは。

 

「そりゃ」

 

「んごっ」

 

 額に角の生えた、色っぽい女性の踵であった。

 

「おお、グーラー殿! ご協力、感謝いたします!」

 

 通気口から自衛ジョーが顔を出し、下で忠夫を踏みつけている女性に向かって敬礼する。

 

 グーラーと呼ばれた女性は、軽く手を振ってそれに答えると、忠夫を簡単に担ぎ上げた。

 

「お疲れー。私はこいつを茂流田の所に連れてくから、そっちは電気系統の方、お願いね」

 

「はっ! 任せてください、こちらにはその道に詳しい者もおりますので!」

 

 その言葉を合図に、自衛ジョー達は再び通気口の先へ消え、グーラーは忠夫を担いで扉を潜る。

 

 その間、忠夫は気絶したまま頭の周りにヒヨコを飛ばしていただけである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「遅いわねー」

 

「ですねー。あ、そう言えばお茶持ってきたんですけど?」

 

「さっすがおキヌちゃん、気が効くわねー♪」

 

 魔法瓶から暖かな液体が注がれる。 

 

 全員に配り終えたおキヌは、ゆっくりと暖かさを楽しんでいる美神の側に腰掛けた。

 

「遅いですねー」

 

「そうねー。あ、美味しい」

 

「えへへ、早苗お姉ちゃんが送ってくれたんですよー」

 

「へぇ、あの娘も中々渋いわねー」

 

 そんな二人の向こうでは、神経質に爪を噛んでいた須狩がお茶の温かさに頬を緩ませ、ピートと唐巣が正座しながら二人一緒に啜っていたりする。

 

「ふぅ・・・どうだい、ピートくん。お茶も良い物だろう?」

 

「ええ・・・なんと言うか、落ち着きますね」

 

「「・・・ふぅ」」

 

 なんとも爺臭い雰囲気をかもし出している師弟の隣を、ガルーダの雛が地面を突付きながら通り過ぎていった。

 

「この精神安定的な効果は、中々のものね・・・。今度、茂流田にも勧めてみようかしら?」

 

「ピ」

 

 お前ら一体何しに来た。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「茂流田、居る?」

 

「ああ、こっちだ」

 

 声を掛けながら部屋を覗き込んだグーラーの視界には、肩と頭の上に小さな黄色の物体を乗せ、ひたすらにキーボードを叩いている茂流田の背中があった。

 

 その回りには更に多くの黄色が在り、あちらこちらを元気に飛び回っては鳴いている。

 

「分かった分かった。後でなら遊んでやるから・・・!」

 

「・・・相変わらずの懐かれっぷりねー。世話係としては少し複雑だわ」

 

 体中をふわふわとしたガルーダの雛に纏わりつかれながら、それでも一心不乱に機械を操作する茂流田。

 

 それを、呆れた様に眺めながら、グーラーは肩に担いだ忠夫を降ろした。

 

「そう思うのなら、本来のベビーシッターの役目を果たしてくれないか? こっちも今手一杯・・・誰だ、そいつは?」

 

「そもそも子守り自体私のガラじゃないんだけどねぇ。こいつは、侵入者・・・かな?」

 

 その言葉に茂流田はキーボードから離れ、昏倒したままの忠夫を見る。

 

 魘されながらも瞼がピクピクと動いており、目覚めが近いことを知らせていた。

 

「・・・須狩が上手くやってくれたようだな。こいつは――」

 

「初めましてお姉さん! 僕の名前は犬――ゴホンッ! 横島忠夫でっす! 嫁に来ないかー?!」

 

「きゃっ?!」

 

 目を開いた忠夫は、一瞬にして警戒するかのように辺りを見回し。

 

 グーラーが目に入った瞬間、警戒していた事さえ忘れてグーラーの手を握っていた。

 

「よ、嫁?」

 

「ええ勿論!」

 

「だ、だって私精霊だし」

 

「美人のねーちゃんにそんな事は関係ないっすからっ! へいかもーん!」

 

 グーラーの手を掴んでいた両手を離し、受け止めるかのように大きく広げる。

 

 それならば、と言う訳でもなかろうが。

 

『ピッ!』

 

「ちょ、お前らじゃなげふぅっ?!」

 

 迷わず突貫した黄色い弾丸の群は、一発も外れる事無く忠夫の全身に着弾した。

 

「は、話に違わぬ奴だな・・・!」

 

「え、あれ?」

 

 きょとん、と沈黙した忠夫を眺めるグーラーの隣で、何故か茂流田は戦慄さえ覚えていたりする。

 

 主に、あまりの状況の無視っぷりに。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「き、黄色い悪魔が・・・はっ?!」

 

「あ、起きた」

 

「おはようございます結婚しましょう式は教会ですかそれとも神道が良いですかそうですか心配しないで下さいこう見えても勉強してますからぁぁっ!!」

 

「お、落ち着きなさい!」

 

 冷たい金属の床に沈んでいた忠夫だが、目覚めた瞬間に再び目に入ったグーラーの格好が、彼に全ての迷いを取り払わせた。

 

 直後、とち狂ったが。

 

 扇情的に過ぎる格好は、少々刺激が強すぎたのかもしれない。

 

 鼻息も荒く一瞬で接近した忠夫は、肝臓の位置に抉るような衝撃を受けて蹲る。

 

「うおおお・・・1インチの爆弾を実体験するとは・・・!」

 

「全く。せっかちは嫌われるわよ?」

 

「だからって内臓が吹っ飛ぶような一撃は無いと思うっす・・・」

 

 やれやれ、と言った風に肩をすくめるグーラーの前で、忠夫はよろよろと立ち上がる。

 

 何とかこみ上げて来る色々な物を飲み下した忠夫は、漸く辺りを見回した。

 

「ここは?」

 

「制御室の近くの部屋。普段はあの二人が雛達と遊んでやってる所だけどね」

 

 一見無機質な鋼鉄製の小部屋だが、よくよく見れば部屋の隅には小さな水道と後付けの水のみ場が設置してあったり、その横に鳥の餌が入った袋が幾つも積み上げられていたりする。

 

 更にその反対側には、寝床と思しき藁が山のように積んであった。

 

「ま、私の職場でもあるけどね」

 

「とゆーと?」

 

「・・・昔は色々とあったけど、今は二人との契約で子守りしてるのよ。――あの子らの」

 

 苦笑いを浮かべるグーラーの視線の先には、黄色い小鳥が元気良く扉の向こうから洗われる光景があった。

 

 小鳥達を連れて現れたのは、目つきの少々悪い、スーツ姿の男性である。

 

「横島忠夫くんだね? GS美神除霊事務所の」

 

「そうっすけど。あ、もしかして茂流田さん? 須狩さんの依頼で来ました」

 

 軽くぺこりと頭を下げた忠夫に向かって、茂流田は安堵の多分に篭った吐息を吐いた。

 

「そうか、無事か。彼女は」

 

「ええ。今、正門の前に居ます。美神さん達と一緒に」

 

 ゆっくりと、肩の荷が降りたように軋んだ音を立てる椅子に座る茂流田。

 

「それについてだが、ちょっと厄介な事になっていてね。どうやら、メインの発電機と繋がるラインが切られていて、非常用のバッテリーでなんとか凌いでいる状況なんだ」

 

「・・・つまり?」

 

「隔壁の操作は出来ないし、須狩との連絡も取れない。通信機でも使えれば良かったんだが・・・残念ながら、使用不可でね。さっき、なんとか修理できないかと手をうった所さ」

 

「あんたが通気口の中であった奴らさ。ちょっと融通は利かないけど、やる事はやってくれるよ」

 

 其処まで聞いて、忠夫は思い出したように懐を漁る。

 

 偵察役として、一応連絡用に通信機を持ってきていることを思い出したのだ。

 

「・・・あ」

 

 しかし、期待した物は得られなかった。

 

 流石に地雷やらなんやら、更にガルーダの雛達の一斉攻撃は堪えたらしい。

 

 ジージャンのポケットの中には、真ん中から折れて一目で使い物にならないと思われる通信機の残骸しか出てこない。

 

「あちゃー」

 

「済まないね。まさかいきなり、その、ぷ、プロポーズなんてしてくるとは思わなくてね」

 

「いや、それより返事のほうをっ!!」

 

 瞬時に詰まる二人の距離。

 

 高速移動さえ超えて、最早瞬間移動に近いその速度。

 

 こんな時ばっかりいつも以上のスピードが出る辺り、間違った方向に全力疾走していることだけは確かである。

 

「・・・ふーん」

 

「な、なんっすか?」

 

 じろじろと、忠夫を眺め回すグーラーの瞳。

 

 その深さに少々腰を引かせながら、忠夫はちょっと冷や汗たらり。

 

 何となく、品定めと言うか――チェックされている気がしてならないのである。

 

「ふふふ・・・成る程、あなた、純粋な人間じゃないわね?」

 

「へ?」

 

「まぁ良いわ。それに、中々――」

 

 妖艶な笑みを浮かべながら、グーラーが忠夫の首に手を回す。

 

 その真近で見た表情にドキマギしつつ、忠夫は自分の正体があっさりとばれた事に驚きを隠せない。

 

 種を明かせば、元々「喰人鬼女」としての習性をもつグーラーにとっては、相手が「餌」かどうかくらいの見分けはつくと言うだけの事なのだが。

 

「――美味しそう」

 

「こ、これはオッケーって事ですかぁぁっ?!」

 

「その辺にしておけ。頼むから」

 

 がばっと抱きつき、その柔らかさと暖かさを堪能していた忠夫から、グーラーがあっさり引き剥がされる。

 

 茂流田が、グーラーの腕を掴んで引っ張ったのだ。

 

「ああっ?! 綺麗なねーちゃんの柔らかさがーっ?!」

 

「君も君だ。相手の事くらいもうちょっと知ってからでも良いだろうに。骨になってからでは遅いよ」

 

 恨みがましい目で見てくる二人を余所に、茂流田は再びキーボードへと向かう。

 

 非常に残念そうなグーラーの視線と、こちらも残念そうな表情の忠夫が何となく手持ち無沙汰で立ち尽くした。

 

「・・・一応、協力者なのだから、文字通り「食べられて」は困るんだよ」

 

「ちぇっ。それじゃ、また後でね?」

 

 茂流田の背中越しに聞こえてきたその言葉。言外に「今は」と付いているその言葉に従ったのか。

 

 グーラーはとりあえず、今の所は手出しを諦めたようである。

 

 しかし忠夫は気付かない。

 

 食欲を押し隠した流し目とともに送られた、色艶たっぷりのその言葉に期待を膨らませ、一人で鼻息荒くしていた。

 

「っと。できたぞ、後は電源の復旧待ち――」

 

 一際大きな音を立てて茂流田が最後のキーを叩く。

 

 その言葉が終わらぬ内に、薄暗い小部屋に光が灯った。

 

 それは、電源の修理が終わった事を示している。

 

 そして、茂流田とグーラーが安堵の溜め息を付いたその瞬間。

 

 茂流田の懐から、悲鳴のような叫びが聞こえた。

 

「茂流田指令っ!! 大変です、隔壁が、隔壁がぁっ?!」

 

「如何したっ?!」

 

「隔壁が、全部開いていきますっ!!!」

 

 屋敷の中に、その地下に、重低音が響き渡る。

 

 機械の響きを伴ったそれは、沈黙の広がる部屋にも響き、そして何も対応できない内に、全ての幕は開いていく。

 

「――しまった、これもトラップか・・・!」

 

「ど、どー言うことでっ?!」

 

「施設内の隔壁が、アイツを止めていた防壁が、全部無くなったって事だっ! 不味いぞ、直ぐにここを離れ――」

 

 大きな、巨大な咆哮が鳴り響く。

 

 それは苦痛か、それとも歓喜が。

 

 グーラーと茂流田に取っては畏怖の響き。

 

 そして、忠夫にとっては。

 

 

『――オォォオオオオオオオオォォオオオオン――』

 

 

「ま、まさか・・・」

 

「逃げるわよ、かなり近いわっ!!」

 

 

 何時か聞いた、強大なる存在の自己証明。

 

 

「フェ、フェンリル狼の咆声にしか聞こえないんですがっ?!」

 

「・・・その通り。私の最高傑作にして、一番のきかん坊さ」

 

 

 アルテミスと共に去った筈の、神話の時代の魔狼。

 

 

 魔獣フェンリルの咆哮であった。

 


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