月に吼える   作:maisen

69 / 129
第弐拾参話。

 木々が重なり、太陽の光さえも十分に届かない森の奥。

 

 所々にある、枯木の倒れた後から覗く太陽。そこだけは暖かな光が差し込み、小さな翡翠色の芽がその命を主張している。

 

 その小さな芽を、少しだけ大きな嘴が突付いた。

 

「ピイッ!」

 

「・・・はぁっ! はぁっ! あ、貴方、本当にタフねぇ」

 

 ふらふらとその小鳥の横に駆け込んできた女性は、息切れしながらその場に膝をつく。あちこちが擦り切れ、草臥れたスーツ姿の女性の雰囲気はこの場にはとてもそぐわない物であった。

 

 暫しの間、必死で息を整えながら座り込んでいた女性が漸く、と言った風情で立ち上がる。

 

 ふらふらと頼りない足取りながらも、彼女は再び歩き出していた。

 

 数歩歩いて後ろを振り向く。その拍子に張り出していた小枝に金色の髪の毛を引っ掛け、それに舌打ちしながら日向で未だに食事中であった小鳥の雛のような存在に声をかけた。

 

「ほら、行くわよ。・・・早くしないと、貴方の兄弟もお仲間も・・・彼も危ないわ」

 

「ピ!」

 

 その声に顔を跳ね上げたそれは、一声鳴くと羽を広げて地面を蹴る。既に此方を見ても居ない女性の肩に着地すると、甘えるように、あるいは急かすようにその頬に嘴を寄せた。

 

「ああもう・・・分かったわよ。後でちゃんとご飯あげるから」

 

「ピ~」

 

 苦情のようでもあり、嬉しそうでもある。そんな声を上げるそれに苦笑いを向けながら、彼女は今度こそ歩き出した。

 

「落ちたら拾わないわよ? ガルーダ」

 

「ピー!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「で、また食費も無くなっちゃった、と」

 

「・・・あー、まぁ、そう言う事だね」

 

「だ・か・ら! ちゃんと取れる所からは毟って下さいってアレほど言ったでしょーが!!」

 

 東京、GS美神除霊事務所。人工幽霊一号の宿るその事務所の応接室に、所長の怒声が響いて揺れる。

 

 その前で流石に決まり悪そうに、しかし手に持った丼と口の間を往復させる箸の動きを止められない男性がいる。

 

「大体先生はあの時も・・・」

 

「いやしかしだね美神くん。私としては除霊を生活の種としてやっている訳ではないのであって」

 

 そう言い訳がましく弟子に答えながら、空っぽになった器を置く。その満足げな顔に向かって、更に対面に座る美神が口を動かそうとしたタイミングで、応接間のドアが開いた。

 

「お茶、持ってきましたよー」

 

「ああ、ありがとうおキヌくん、しかし君は料理が上手いんだねぇ」

 

「あ、あはは」

 

 おキヌが持ってきた丼を受け取りながら、ご近所の人妻、ご老人、子供まで、幅広く好評を得ている笑顔を五割増で浮かべる神父。

 

 優しげな雰囲気と、見ている此方まで心洗われる笑顔であったが、何せ口の周りにご飯つぶが幾つもくっ付いていたりするので台無しである。

 

「先生、おべんと」

 

「おや、これはすまない」

 

 美神が憮然とした表情で自分の頬を指差す。その言葉に気恥ずかしげに笑いながら、唐巣神父は米粒を丁寧に取ってちゃんと食べた。ここまでしっかり食べてもらえれば、作った人も農家の人達も満足であろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「と、言う訳で、だ」

 

「何がどー言う訳なんですかっ?! 何で僕がこんな所に居るんですかっ?!」

 

「美神さんからの指令で、お前にサバイバル技術を叩き込むことになりました。以上」

 

「なんですかそれはぁぁっ?!」

 

 己の師匠が生きている事と神と米作農家の皆さんと非常に珍しい弟子の優しさに感謝の祈りをあげ、美神が唸っておキヌがそれを見て苦笑いしている頃。

 

 唐巣神父の弟子、ピートと、美神除霊事務所のもう一人の所員、忠夫の姿が、とある山中にあったりする。

 

「いやな? 唐巣神父ってアレだろ、生活能力ちゅーかお金を稼ぐ意欲が欠如しとるだろ」

 

「・・・まぁ、それは否定しませんが」

 

「俺みたいに自分の食い扶持位は自分で獲ってこれるならまだしもなー」

 

 腕を組んで真面目ぶった表情で、忠夫が目の前に縛り上げられているピートの目を見つめている。

 

 ピートは、己の師匠の事ながら流石に思い当たる事が多すぎるようである。何せ、今日も忠夫の投石に使われる聖水を作り上げ、取りに来た美神に報酬として現金収入を貰い、しかしその場で空腹の余りぶっ倒れたのである。

 

 慌てた美神は外で薔薇に水をやっていたピートを呼びつけ、車に運んで一路病院へ。すっかり顔なじみになった初老の医師は、唐巣神父の顔と軽い診察だけでこう述べた。

 

『栄養不足と空腹、それから疲労だな。この年齢にしては信じられんほど頑健な肉体をしておるから、点滴と食事だけで十分。点滴が終わったら連れて帰って、お粥と柔らかい物でも食べさせてやれば良い』

 

 呆れて天を仰いだ美神の隣で、ピートは最近の真っ赤な家計簿を思い出していたりした。

 

「確かに最近食事してなかったみたいですし、そろそろ危ないかなー、と」

 

「普通は一日三食じゃわい。まぁ、ピートも神父が倒れると困るだろ? だからお前がそっちのフォローをしてやれだとさ」

 

 とゆーわけで。

 

 さっさと自分の中で結論を出した美神はその場でピートをふん縛り、点滴を受ける唐巣神父を余所に事務所に連絡。おキヌに炊き出しを、忠夫にピートへの授業を伝えると、自分は暫く神父の横で溜め息つきながら待機。

 

 文字通り駆けつけてきた忠夫に混乱するピートを引渡し、担架に乗せた神父を車で事務所に運んでいったのである。

 

「美神さんらしいっちゃ、らしいよなー」

 

「・・・そーですか?」

 

「そーだよ。と、言う訳で」

 

 ピートを拘束するロープを解き、首をかしげる彼の目の前で忠夫は頷く。

 

「とりあえず、山と川、どっちが良い?」

 

「ええと、流れる水はあんまり好きじゃないですね」

 

「そか。・・・お前も物好きやなー」

 

 ピートがその言葉に反応する暇も与えず、彼の襟首を引っ掴む。そのまま駆け出し、一路更に山奥へ。

 

「え? え? えええっ?!」

 

「とりあえず、体で覚えてもらうのが手っ取り早いよなー」

 

 先ずは、山菜――の訳が無い。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「レッスンそのいちー!」

 

「こ、ここ何処ですかっ?!」

 

「復唱っ! はい、れっすんそのいちー!!」

 

「そ、そのいちー」

 

 僅かに足元には道のようなものが見て取れる。それは、俗に獣道と言われる物である。しかし、その周囲には異様な雰囲気が満ちていた。

 そう、あえて言うならば、周囲の存在が恐怖している。

 

「先ずは自分の命が最優先!」

 

「・・・え?」

 

 胸を張ってそうのたまう忠夫の横で、ピートは不思議そうな顔で聞き返した。

 

「相手が獲物でも、怪我したら何にもならんっ! 怪我を治すのに余計に肉が必要になるし治るまでは狩りも出来ん! やばい時はヤバイっ! 体で覚えるのだーっ!」

 

「いや、のだー! じゃなくて・・・そもそも、一応殺生は僕達にとって良い事じゃ無」

 

「しゃーらっぴゅ!」

 

 噛んだ。

 

 それはともかく、やや決まり悪げに此方を指差す忠夫の迫力に押されたか。ピートは怯んだ様子を見せる。

 

「良いかっ! 此処じゃそんな甘ったれた言葉は通用しない! 狩るか狩られるか! 弱肉強食、それだけが真実だっ!」

 

「いや、だから」

 

「それにっ!」

 

 びし、と指をピートに突きつけたまま、忠夫は更に言い募った。

 

「そんな事で敬愛する恩師の手となり足となり働く事ができると思ってるのかっ?! ああんっ?!」

 

「そ、それは・・・」

 

 ずいずいと押されていくピート。気付けば背中が大きな木に当たっている。

 

「唐巣神父の為だ。良いか? 唐巣神父の為だっ! りぴーとあふたみー!」

 

「か、唐巣神父の為・・・。そ、そうかっ! これもまた一つの愛の形なんですねっ!!」

 

 微妙に違う気がする。

 

 が、ともあれピートはなんだかやる気になったようだ。その余りの手の平の返しっぷりに今度は忠夫がやや引くも、ここぞとばかりに口車。

 

「そうだっ! これも人のため! ほら、神様だって親指立てて許してくれてるじゃないか!」

 

「ああ・・・ああ、僕は、僕はまた一つ世界を知りましたよ、横島さんっ!」

 

 壮絶に間違った方向に行き始めた信仰心だが、ピートの回りにはまるで祝福するかのように光が集っていたりする。何とかの一念、岩をも通す。

 

 そんな新興宗教のような雰囲気の中で、忠夫は地面が僅かに揺れ始めたのを感じていた。

 

「・・・良し、それでは始めるぞ」

 

「分かりました!」

 

 揺れは、小さいながらも徐々にその規模を増している。忠夫の嗅覚に、ある匂いが届き始めた。

 

「先ずは、ゆっくりと後ろを見ろ」

 

「はいっ!・・・え゛」

 

 のっそりと繁みを掻き分けて、巨大な何かが出現した。その巨体は高さだけで3mはあるだろうか。体中にごわごわとした毛を纏い、その毛のあちこちは緑色に染まっている。どうやら、苔でも生えているらしい。

 

「よ、横島さん?」

 

「この辺りの主だ。クッソ強いぞ?」

 

 口元からは、天をも突かんばかりの巨大な牙。それは、とてつもなく歳経て半ば神霊とかした、猪であった。

 

「は、初めから危なくないですか?」

 

 しかし、ピートの問いに答えは帰らない。

 

 怪訝そうに顔を動かさず視線をやる。先程まで其処にいた筈の忠夫の姿が無い。

 

「ええっ?!」

 

「早く逃げないと危ないぞー」

 

「えええええっ?!」

 

 その声に振り向いたピートの視界に、全速力で逃げ出している忠夫が居る。既にその姿は木々や繁みに重なって、僅かに赤い布がちらつくのみ。

 

 混乱の極みに達したピートの耳に、大きな鼻息らしき物が聞こえた。

 

『・・・フゴッ』

 

「・・・ええと、やばいですか?」

 

 猪は二度三度と後ろ足で地面を掻くと。

 

『フゴォォォォォッ』

 

「うわうわわわぁぁぁっ?!」

 

 おもむろに、ピートに向かって走り出した。木々の隙間をすり抜け、あるいは下草を無理やり蹴り上げながら駆けるピートの背後を、何もかもを蹴散らかしながら主が追う。

 岩を砕き、牙で木々を切り倒すその勇姿は正に主。

 

「じ、自分の命が最優先ってこう言うことですかぁぁっ?!」

 

 そのまま、ピートと主の姿は森の向こうに消えていく。

 

「・・・れっすんそのに」

 

 その姿が見えなくなって数分後。忠夫が虫か何かのように木を逆さまに伝って降りてくる。そのまま先程主が出現した草叢を掻き分け、何かを見つけると嬉しげに呟いた。

 

「虎穴に入らずんば虎子を得ず! な~んつってなー」

 

 その目には、幾つもの掘り返された痕跡と、それでもまだまだ大量に残る竹の子、山芋、そして、主の縄張りだったが故に殆ど誰も近づけず、全く荒されていない山菜の広がる光景が。

 

 そしてその隙間からのっそりと出てくる一回り大きな巨大イノシシが。

 

『フゴっ?』

 

「に、二匹目っ?! きーてねーぞぉぉぉっ?!」

 

『フゴォォォォッ!!』

 

 レッスンそのにの番外。世の中そんなに甘く無い。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして、ピートと忠夫が命の危険を感じているその時。

 

「――はっ!」

 

「・・・どーしたの、先生?」

 

 おキヌからお代わりのお茶とお茶菓子を受け取った唐巣神父が、驚いたように眼鏡の向こうの目を見開いていた。

 

「これは・・・美神くん!」

 

「――あっ」

 

 美神も、何かに気付いたように唐巣神父を見た。

 

「・・・茶柱だねぇ」

 

「良い事ありますよ、きっと」

 

「だと良いんだけどねぇ」

 

 のほほんのほほん。

 

 ちなみに台所では「おおかみ」と表面にひらがなで書かれた忠夫の湯のみが割れていたが、人工幽霊にさえスルーされていたりする。

 

 わりと、何時もの事だし。

 

「・・・・・・」

 

「い、生きてるかピート」

 

「・・・・・・」

 

 ぼろぼろの姿でよたよたと現れた忠夫が、獣道の真ん中で背中に巨大な足跡を付けて倒れ伏すピートに声を掛ける。しかし、返事は返らない。

 

「・・・おおピートよ。死んでしまうとは情けない。なんまんだぶなんまんだぶ――さて、埋めるか」

 

「いきなり埋葬しないで下さいっ!! あと僕はキリシタンですからっ!」

 

 おもむろに適当な地面を両手で掘り始めた忠夫の背に、飛び起きたピートが抗議の声を掛けた。既に一瞬で膝の辺りまで掘った穴の中から、忠夫が驚いたような顔で見ている。

 

「何なんですかあの猪はぁぁっ?! なんで霊波砲とか精霊の力とか吸血鬼の力とかぜーんぶ!」

 

 跳ね起きたピートが、土と草を撒き散らしながら忠夫に涙目で詰め寄った。

 

「跳ね返したり無効化されたりするんですかぁぁっ?!」

 

「ピート」

 

「えっ?!」

 

 首を掴まれた忠夫が、疲れたような、諦めたような、そんな目でピートを見ていた。そのまま視線をずらし、木々に覆われた空を見る。今は見えないが、そろそろ太陽が一番高く昇る頃であろう。

 

「・・・そーいうもんなんだよ」

 

「あああああっ?! もう訳が分からないぃぃっ!!」

 

「いやー、流石に如意棒を牙で跳ね返すとは思わなかった」

 

 以外にそう言うものなのかもしれない。

 

「ともかく。お前は初級からな」

 

「・・・最初からそうして下さい」

 

 視線を前に戻した忠夫が、ふと思いついたようにそう述べる。

 

「良し、そんならさっきのレッスンの感想を述べよ」

 

「自分より弱い獲物に会いに行く」

 

 なんの迷いも無くそう言い切ったピートの眼は、なんとなく荒んでいたそうな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「よし、あれだ」

 

「・・・流石に可哀相じゃないですか?」

 

 繁みの中で適当に折った木の枝を頭に差した二人の目の前には、小さな小鳥が草を啄ばんでいるのが見えている。

 木洩れ日の中でぴーぴーと囀りながら、なんとも楽しげな風情である。

 

「まだそんな甘ったれた事を言うのかぁっ?!」

 

「え、でもあんなに小さい――」

 

 そこまで言って、ピートの口は思いっきり左右に引っ張られた。

 

「分かっちゃいねぇ・・・分かっちゃいねぇな、ピートさんよぉ」

 

「ひたたたたっ?!」

 

 がさがさと派手に繁みを揺らしながら、二人はひたすらに騒いでいた。

 

「良いか? やるか、やられるか。それが大自然の真理だ」

 

「わひゃりまひたからっ!」

 

 涙目でタップしてくるピートを離し、忠夫は先程の小鳥を見る。どうやらばっちりしっかり気付かれたらしいが、逃げる様子も無い。はて? と不思議に思いながらも、チャンスとばかりにピートの背中を叩いて押し出す。

 

「ごーごー!」

 

「うう、御免なさい・・・」

 

 じりじりと近づくピート。小鳥は囀る事を止め、ピートに向かって斜めに体を開いた。その動きは、彼らにはまるで逃げ出す姿勢に見えたのだ。

 

「行けっ!」

 

「ていっ! ・・・え?」

 

 ジャンプ一回、両手で包み込むように小鳥に飛び掛るピート。その手の中には、あっさりとまだ羽も生え揃わぬ小鳥の姿が――無かった。

 

 小鳥は後ろにも下がらず、むしろピートの顔面に向かって跳躍し。

 

「いだぁっ?!」

 

「ピピィッ!!」

 

 その短い足で回し蹴り。見事に鼻っ面にカウンターを喰らうピート。思わず鼻を押さえながら着地したピートの視界を埋めるように、黄色い塊が鼻を押さえた手の上に着地する。

 

「・・・ピ?」

 

 ピートには、「覚悟は良いか?」と聞こえたらしい。

 

「ピピピピピピピピピーッ!!」

 

「んぎゃぁぁっ?!」

 

「おお、マウントポジション?! やるなー、あの小さいの」

 

 正確にはマウントポジションではない。一番初めの嘴での一撃で、仰向けに倒れこんだピートの上で更に連打。痛みに転がるピートの上を器用にバランスを取りながら、さらに色んな所に嘴の嵐。

 

 ごろごろと転がるピートに、流石にやばいと感じたか。

 

「うわ、今行くぞー!」

 

 慌てて飛び出す忠夫。しかし、それと同じタイミングで左手にあった繁みが揺れる。

 

「何よ、騒がしいわ「――嫁に来ないか?」きゃぁっ?!」

 

 掻き分けながら現れたのは、あちらこちらに泥のついたスーツを着たブロンドの美女。かなり土やら草やらに汚れている物の、はっきり言って美人の部類に入る女性である。

 

 当然、忠夫は進行方向を曲げた。

 

 速度を殺さずにいきなり直角に曲がる辺りは流石であろう。

 

 能力の無駄な使い道であるが。

 

「え、貴方、何者?」

 

「いえ、怪しい者ではありません。ただ困窮にあえぐ友人を助ける為に大活躍中のいぬ――ごほんっ! 横島忠夫という者です。どうですか? 軽く嫁にでも来ちゃいませんか? いえ軽くは無いですが」

 

「横島・・・! いえ、あのー、えっと」

 

 忠夫の名前を聞いた瞬間、その女性の目は大きく見開かれた。そのまま焦った様子で辺りを見回す。まるで誰かを探すかのように。

 

「ほ、他の人は?」

 

「いえ、私だけです。あと友人が一人」

 

「そ、そうなの・・・ふぅ」

 

 女性は、漸く落ち着いた様子で一息をついた。改めて、忠夫の顔を見る。

 

「残念だけど、予約済みなの。それよりも・・・」

 

「え~、そーなんすかー?! ちくしょー!!」

 

 心底残念そうに頭を抱える忠夫を見ながら、その女性は困ったように忠夫の背後に視線をやった。

 

「貴方のお友達、大丈夫?」

 

「あ」

 

 振り向いた忠夫の目にはには、さらにぼろぼろになり倒れ伏すピートと、その上で勝ち鬨をあげる小鳥の姿が写っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「・・・む」

 

「・・・むー」

 

「おや、どうしたんだい二人とも?」

 

「なんか、こう」

 

「ムカッとしました」

 

「・・・そーかね」

 

 事務所に、お茶を啜る音が響く。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「へぇ・・・GSねぇ?」

 

「ほんとっすよ! まぁ、二人とも見習いっすけど」

 

 探るような目でこちらを見ている女性の名前は、須狩と言うらしい。思いっきり外人のような風貌の割に、漢字の名前と言うのがアレである。

 どうも偽名臭いのだが、忠夫はそれに関しては黙っておいた。

 

 何より、こちらを値踏みしているような目で見ている事であるし。

 

「・・・え、と。誰に付いてるのかしら?」

 

「・・・良く知ってるっすね、そんな事」

 

「職業柄、ね?」

 

「へー、一体何を?」

 

「さぁ? 当ててみれば?」

 

 互いに朗らかに会話を交わしているようにも見えるだろう。実際の所、結構な探りあいが展開されていたりしているが。

 ちなみにピートは向こうのほうで「ガルーダ」とか言う派手な名前の付いた小鳥と睨み合っている。どうやらなんだか燃えているようだが、放っておく。

 

「今、その人と連絡取れるかしら?」

 

「唐巣神父とですか?」

 

「え?」

 

 女性の顔が、驚きに染まる。まるで、何か思い違いでもしているのかと考えたように。

 

「ああ、あのおっさんはあっちの――」

 

 そう、神父の名前が出た事でつい忠夫のほうを見てしまい、その隙にガルーダにキックを喰らっているピートを指差す。

 

「師匠っす。美神さんのほうっすか?」

 

「え、ええ。そうよ」

 

「ふーん」

 

――どうやら、こちらの素性は何故か知られているらしい。美神ではなく、唐巣神父の名前を出した時のあの反応。

 

「横島忠夫」の雇い主が、「美神令子」だと知っている。

 

 とは言え、そんな考えなどおくびにも出さず。

 

「ピートー!」

 

「いたっ?! はい、何ですいたたたたっ?!」

 

「ちょっと此処で、この人と待っててくれなー!」

 

「えええっ?! ちょっと待って下さいあいだっ?!」

 

 所々で途切れる抗議を聞き流しながら、忠夫は一路、近くの町へと駆け出した。ちなみに、携帯なんぞは使えない。あったとしても電波が届かない所ですといわれるのが関の山。

 

 それに、忠夫は一応そう言ったものを預かっては来ているが、一応、美神からの緊急連絡が入らないとも限らないので、不測の事態に備えて壊れないように森の入り口に置いてきている。

 

 ヌシに踏まれたら壊れるし。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 事務所の中に、電話の呼び出し音が鳴り響く。

 

「あ、出てきますねー」

 

「お願い、おキヌちゃん」

 

 お盆を抱えたおキヌが、座っていたソファーから降りて電話を取りに行く。そのまま閉じた扉に向かい。

 

「あいたっ!」

 

 思いっきり頭をぶつけた。

 

「・・・おキヌちゃん」

 

「えへ、えへへへへへー」

 

 顔を真っ赤に染めながら、更に赤い額を擦りながらおキヌが改めて扉を開く。巫女服姿の少女がそこを潜って出て行くのを、苦笑いで見送った。

 

「・・・まだ慣れてないみたいですわね」

 

「しょうがないさ。彼女にとっては、幽霊でいた時間が長すぎる。まぁ、そのうち慣れるよ」

 

 神父は、微笑ましげに彼女達を見ながらそう呟く。

 

「ま、それはともかく」

 

「な、なんだい美神くん?」

 

 神父の前に座った美神が、半眼で睨みつけていた。それとなく視線を逸らしながら、窓の外を眺める振りをする神父。

 

「貴方の弟子にきっちりと世間の厳しさ、教えるように言っておきましたから・・・ちゃんとしてください」

 

「・・・ちょっと待った」

 

 その台詞を聞いた神父は、油の切れたロボットに良く似た動きで美神を見やる。何故か、額には冷や汗が光っていた。

 

「誰が、誰に、何を、教えるようにだって?」

 

「え? ・・・横島君が、ピートに、世間の厳しさを――」

 

「そこだよ、美神くん」

 

 美神の言葉を途中で手を打って遮った神父が、真剣な表情で美神に迫る。

 

「世間の厳しさって、なんだい?」

 

「そりゃ勿論、お金とか、生活費とか」

 

「彼が、横島くんがそれを?」

 

「・・・あ」

 

 美神の顔が、見る見るうちに蒼褪める。そう言えば、あの半人狼は自分の食べ物を自分で獲って来る奴であった。

 

 つまり、美神の期待しているお金の大事さとか、生活費の必要性とかそう言うものを教えるには。

 

「む、向いてないわね。これ以上なく」

 

「一体、何を教えると思う?」

 

 誤魔化すように、額に井桁を浮かべた神父に向かって真剣な表情を向ける美神。何故か、神父からは見えない後頭部には、冷や汗が大量に浮かんでいた。

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。