月に吼える   作:maisen

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第弐拾弐話。

「――伏せろっ! 衝撃が来るぞっ!」

 

 

 退避していたトラックの陰、建物の裏、木や岩の陰。隠れる場所がない者はそこらの地面に急いで寝そべる。

 

 最後に結界から出てきた西条の声に、出口から出て様子を見ていた者達は迷わず従う。

 

 西条が美神達の隠れたトラックの陰に身を隠すと同時、閉じた結界の出入り口が、爆音を響かせながら火花を散らす。

 

 暫くの間、辺りには余韻と振動が広がっていった。

 

 10秒ほども続いたその衝撃が収まり、そろそろと隠れた場所から顔を出す皆。

 

 誰も一言も離さない時間が続き、1分ほどもたって漸く西条が言葉を発した。

 

「・・・ふぅ。ミッションコンプリート、だね」

 

『――オオオオオオオオッ!!』

 

 氷室神社の境内に、割れんばかりの歓声が木霊する。美神が溜め息を付きながら辺りを見回せば、其処に在るのは歓喜の声を上げる神と人間の姿。

 

 その向こうには、忠夫が担いだ早苗に向かって駆けて来る、氷室神社の神主夫妻の姿もあった。

 

「・・・ま、終わりよければ全て良し、ってね」

 

「そーいうものなんですか?」

 

「そーいうものよ、おキヌちゃん」

 

 そう言い会って笑みを交わす二人の後ろで、忠夫が早苗を降ろして逃げ出した。

 

 神主がそれを何時もの奴を片手に追い掛け回し、妻が早苗を優しく抱きしめる。そんな光景を見ながら、おキヌは零れる笑顔を美神と忠夫に向けていた。

 

「誤解じゃー! 濡れ衣じゃー! 俺はなんも悪い事やってねぇぇっ?!」

 

「なら何故逃げるかぁぁっ?!」

 

「そんなもん持って追いかけてくる奴が居れば普通逃げるわぁぁっ!!」

 

「ええい、足ばかりか口先までも良く回る!!」

 

「いーやー!!」

 

 笑顔に少々苦笑いが混じったのは、この場合はしょうがないと言えよう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「お疲れ様なのね~」

 

「すまぬ、世話になったな、ヒャクメ殿」

 

 神界にある小さな部屋。其処は滅多に使われる事も無くなった、神降ろしの際に使われる儀式の間。狭い空間の其処彼処に、梵字のような、記号のような模様が描かれている。

 

 その小部屋の扉を潜り、背中を伸ばしながら廊下に出た女華姫を待っていたのはおそらく様子を見ていたであろうヒャクメであった。

 

「上手く行ったみたいねー」

 

「うむ。おキヌは記憶を取り戻せたのかや?」

 

「バッチリ! 多分、もうおキヌちゃんが悪霊に襲われることも無いのね~」

 

 おキヌの魂と、その肉体の繋がりの薄さ。それが、今回の騒動の元凶であった。魂と肉体の繋がりが薄いと言う事は、その魂に取って代われる可能性があるということ。

 

 魂と肉体の繋がりを断ち切れば、普通は肉体の生命活動が停止する。それが、死と言うものの一つの形である。

 

 もし、薄くなった繋がりに付け込む事ができるのならば?

 

 魂は新たな肉体を得る。生命活動を行なっている、新たな命を。おキヌを狙った悪霊の願いは、ただ、生き返る事。それは、彼らにとって、何よりも優先され、だが同時に何よりも難しい願いだ。

 

 故に、その機会を狙ってあれだけの悪霊達が、たった一人に襲い掛かると言う状況を招いたのだ。

 

 この場合、おキヌの魂と肉体の繋がりの薄さは、おキヌの記憶にも一因がある。

 

 肉体は、「300年前」のおキヌの肉体である。例え、特殊な儀式を経て現代に蘇ろうとも、その肉体は300年という時間を記憶している。

 

 そこに、記憶を失った魂が戻って来た。

 

「おキヌ」の記憶を無くし、「氷室キヌ」としての記憶を重ねていくおキヌの魂は、その肉体との間に、段々とズレを生んで行く。

 

 結果として、肉体は魂を本来の持ち主として認識出来なくなり、結果、魂と肉体の接着は弱体化していった。

 

 そして、今、記憶を取り戻した魂と肉体の間で、急速にその認識の差が埋められつつある。

 

「――だから、多分もうおキヌちゃんが襲われる事は無いのね~」

 

「・・・そうか、良かったのぉ」

 

 心からの安堵の溜め息を付く女華姫を、微笑ましげにみるヒャクメ。しかし、その表情が突然凝固し、冷や汗を流し始める。

 

 ぶるぶると震え始めたヒャクメの様子に、流石に女華姫も慌てて声をかける。

 

「ど、どうしたのじゃヒャクメ殿?! 持病の癪でも持っておったのか?!」

 

「い、いや、何でもないのね~、あ、でもあるかも・・・」

 

 頭を抱えながら蹲るヒャクメ。その横でオロオロとしながら周囲の人影を探す女華姫。しかし、こう言うときに限って何故か誰も居ない。

 

 暫く蹲っていたヒャクメは、諦めたような表情ですっくと立つと、心配した表情でこちらを見やる女華姫に、指を一本立てて告げた。

 

「女華姫、上層部からのお達しなのね」

 

「・・・はて? 上層部・・・何故に?」

 

「行けば分かるのね・・・うう、不安なのね~」

 

 背中を丸めて、それきり何も言わずに歩き出すヒャクメを追って、女華姫も少々不安げに歩き出す。

 

 とぼとぼと前を歩くヒャクメは、不安というよりも疲れたような雰囲気である。

 

 とは言え彼女が迷う筈も無く、また一応上層部からの呼び出しである。最短経路を辿りながら、ヒャクメは女華姫を重厚な扉の前に案内した。

 

「・・・ここなのね~」

 

「だ、大丈夫であろうか?」

 

「・・・女華姫は、大丈夫なのね。確実に。あんまり頑張らないで欲しいのね~」

 

 其処まで言って、ヒャクメは素早く身を翻して走り出す。脱兎の如く、とは正にこの事であろうか。その背中に伸ばした手を引っ込めながら、女華姫は不安げに扉を開く。

 

 その眼前に広がっていたのは、数十人の神様、しかもかなりの高い神格を有した者達ばかりが一同に会し、なにやら喧々轟々と討論している所であった。

 

 会議場らしき其処はかなりヒートアップしており、誰も女華姫が入ってきた事に気付いていない。

 

 時折、会場を雷光やら火の玉やら、槍やら剣やらが拳やらが飛び交っていたりするのは、幻覚であろうか。

 

 ごしごしと目を擦する女華姫の耳に、騒がしさに慣れた為もあろうが、会話の内容が聞こえてきた。

 

「だーかーらっ! 絶対に武神ですって!」

 

「いーや! 闘神だっ! 拳と拳のぶつかり合い! 熱き血潮の滾る音! 絶対に内の所属だ彼女はっ!」

 

「待って下さい! 彼女は領民を持った事のある、指導者としても有能な人物ですよっ?! 戦神です戦神!」

 

「何を言うっ! 護るべき者の為に力を振るうあの姿を見なかったのかっ?! 彼女こそ守護神の名に相応しかろうっ!!」

 

 喧々諤々。時折会場の端で殴り合っている男性神や、それを溜め息付きながら癒してやっている女性神の姿も見える。

 どうやら、女華姫の所属と言うか、属性を話し合う会議のようであったが――。

 

「はっ! 武器を使うしか能の無いヘタレがよくもまぁっ!」

 

「・・・その言葉、武神全体への侮辱と取りますよ?」

 

「おおっ! かかってこいや! 手前とはまだ決着が付いて無かったよなぁっ?!」

 

「その首、何時までもあるものと思わないほうが良かったですねっ!」

 

「大体守る守ると言いながら、敵も倒せない甘い方々が!」

 

「よー言った! それならお前をぶち倒すっ!!」

 

 拳が飛び交い、悲鳴が響く。罵声と暴力に満ちたその場所で、女華姫はただ唖然と立っていた。

 

 その横をすり抜けるように、倒れた神を担架に乗せた、赤い十字のマークの入った女性神が二人、通り過ぎていく。

 

「全く、何時まで同じ事やってるのかしらねー」

 

「治しても治しても、すーぐ戻ってっちゃうんだから。もう3日よ? 3日」

 

 3日。それは、順調に手続きを済ませていた女華姫が、突然「少々お待ちください」との一言で待たされ始めた頃である。

 

 つまり、目の前で起こっている大騒ぎのせいで、女華姫は直接駆けつけるのに間に合わなかったという訳である。

 

「たのもー!」

 

「だからっ!」「しかしっ!」「喰らえー!」「なんのっ?!」

 

「たのもー!!」

 

 剣戟の音が鳴り響く。あるものは振り下ろされた神剣を篭手で止め、逆の手で反撃の拳を繰り出し、しかし神剣を滑らせながら頭突きをかましてきた相手にニヤリと笑みを返す。

 

 笑みを返された神様は、こちらも負けじと笑い返し、二人同時にぶっ倒れた。

 

「救護はーん。また倒れたわよー」

 

「はいはーい」

 

 そんな二人を纏めて担いで放り出した女性神に礼を言いながら、再び現れた赤十字の二人組みが回収する。

 

 その横で、女華姫は呆然と立っている。

 

「・・・あら? おーい、皆ー」

 

「「「「「「何だっ?!」」」」」」

 

「話題のご本人の登場よー?」

 

 睨み合っていた会場中の視線が、一斉に女華姫に殺到する。同時に掛けられる数々の声。やれ内の所属にならないか?だの。内にくれば神器の一つや二つや三つだの。

 

 そんな声を掛けられた女華姫は、俯いたまま返事もしない。どころか、段々とヤバげなオーラを放ち始めている。

 

「・・・そんな事で」

 

『え?』

 

「そんな事で何時までも話しあっとったのかぁぁぁっ?!!!」

 

 爆光が膨れ上がり、会議場中を蹂躙する。女華姫様、大暴走。

 

「ぎゃーっ!」

 

「まてまて話せば分かるって!」

 

「BAOOOOOOOOOH!!」

 

「にぎゃー!」

 

「あらあら。怒らせると怖いわね、神様らしいわ。――やってみれば破壊神ってのも良いのよねー。駄目元で誘っても良かったかしら?」

 

 のほほんと呟いて会場を出て行く女神の背に、現役の戦闘神達の悲鳴と、暴走した女華姫の雄叫びが重なり合って届く。

 

 彼女が閉めた扉の向こうからは、そのまま暫くの間悲鳴が木霊しつづけたとか。

 

一応、荒神の類は断ったらしい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「皆様おつかれっしたー! と言う訳で、成功を祝って!」

 

『カンパーイ!!』

 

 元ワンダーホーゲルの掛け声とともに、氷室神社の境内に、乾杯の声が響き渡る。参加者はGメン隊員と、援軍として駆けつけた山の神達。ほぼ誰一人無く一気に一杯目を飲みきると、誰が準備したのやら、背後にそれこそ山となって積み上げられている酒樽の群に突撃する。

 

「うっす! 一番、酒樽一気やりまーす!」

 

「手ぬるいっ! ワシと競争じゃあっ! 負けたほうがもう一樽な!」

 

「「んごっ、んごっ、んごっ!!」」

 

「おーい、つまみはまだかー?」

 

「あー、あの山の神様ですかー! いや、おれGメンに就職して引っ越すまではあそこに住んでたんですよー」

 

「・・・ああ、川で4回溺れた坊主かっ!! 連れの女子は元気か?」

 

「そんな昔の事・・・えーえー未だに元気で、現在俺の嫁ですよ。大体あいつはあの頃から・・・」

 

 かなり大変な作戦だったとは言え、いや、だからこそ、だろうか。人も神も関係無く、宴の輪は広がっていく。あちらで誰かが飲みすぎでぶっ倒れ、こちらで芸が面白くないと周囲から罵声が掛けられる。

 

 かと思えば、救護班の一部や山の神の中に居る女性に群がる者も居る。極一部の結構良い雰囲気の所も在れば、勿論平手やら拳やら神通力やらで吹っ飛ぶ呑んだくれも居る訳で。

 

 悲喜交々、宴の席の賑わいは、誰が止める事も無くブレーキの壊れたトラック状態。

 

 もう夜半もとっくに過ぎて、後3,4時間もすれば太陽が昇る。そんな短い時間を惜しむような、全力投球の大騒ぎ。周辺住民に気を使わなくてもいいことだけが救いであろうか。

 

「・・・ふぅ」

 

「お疲れ様、八兵衛さん」

 

「おお、これはかたじけない。おキヌ殿は参加されないのですか?」

 

 その光景を見ながら、一人ゆっくりと本堂の階段に腰掛けて酒をあおっていたのは何時ぞやの神族。韋駄天の八兵衛であった。

 

 今回の彼のお仕事は、本来のお仕事、届け物である。何かというと、現在皆が飲んで食べて大騒ぎしているお酒やつまみ、そう言ったものの詰め合わせ。

 

 送り主は、色んな所から、とだけ。

 

 まぁ、送り先が「女華姫宛」になっているから色々と予測はつけられる。

 

 一端手続き中の本人に持っていったが、彼女に「飲まないから神社の者にやってくれ」といわれた物の有効利用といったところか。

 

 簡単な酒肴とたっぷりと中身の入ったとっくりを持ってきてくれたおキヌに礼を言い、丁重な動作でそれを受け取る。仮面にしか見えないその顔が、何処となく嬉しそうに見えるのは気のせいではないだろう。

 

「ええと、一応義父さんに止められてますから・・・」

 

「そうですか、残念ですなぁ。美神殿たちは?」

 

「家の方で、色々と話し合ってるみたいですけど・・・あ、美神さーん、横島さーん!!」

 

 小首を傾げて腕を組んだおキヌの目に、家の窓を開けてこちらを見やる美神達の姿が映る。手を振り声をかけて見れば、二人の視線がおキヌに止まった。

 

「・・・あれ?」

 

「呼んでいるようですな。・・・ああ、おキヌ殿にはこれを。では、拙者は是にて御免!」

 

 ぱたぱたと手招きする二人の動きに不思議そうに呟いたおキヌを残し、八兵衛は慌てて飛んでいく。何となく首のあたりを捻りながら。

 

 おキヌは、彼が最後に手渡していった紙切れを懐にしまうと、美神達の所へと駆け出していった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ええっ?! 美神さんの事務所にっ?!」

 

「ああ。お前の身を守る事は、この場所でなら難しくないだろう。しかし、それ以上の事・・・特に、お前の気持ちを考えると、な」

 

 家の応接間。僅かに他の部屋よりも広く、洋風の装いとなっているこの部屋に居るのは全部で6人。

 

 神主夫妻に美神、忠夫、西条。そして、おキヌ。早苗は現在ベッドの上で唸りながら就寝中。流石に肉体的にも精神的にもかなりの疲労があったようである。

 

「正直に言うとね、おキヌちゃん」

 

 ソファーにゆったりと座り、手足を組んだ美神が、目を瞑ったままでそう呟く。

 

「此処に居ても良いんじゃないか、と思うのよ。私はね」

 

「そんな、美神さんっ!!」

 

 悲鳴のようなおキヌの声。忠夫と西条は一言も話さずに沈黙を守る。神主夫妻は、真剣な表情でおキヌを見つめている。

 

「・・・どちらでも、構わん。おまえの好きな方を、お前が選ぶんだ、キヌ」

 

「そうよ。おキヌちゃんの意に添わない事をする必要なんてないの」

 

「わた、私、邪魔なんですか?」

 

 がたたっ! と音を立てて、美神と神主夫妻が席を立つ。おキヌの瞳からは今にも涙が零れそうになっている。

 

 そんなおキヌに西条を覗いた4人が駆け寄り、必死で慰めに回る。

 

「違う、違うぞキヌ! ただ私達はお前が自由に選べるように――」

 

「居ても良いのよ? どっちでも好きな方に!」

 

「どっちも嫌なら俺の所に嫁に来「「お前は黙れぇっ!!」」」

 

 駆けつけた割にあんまりな台詞を抜かした馬鹿は、神主と美神の突っ込みでぶっ飛んだ。そのまま西条が開けた窓を飛び出し庭に落ちる。

 

 しっかりと窓を閉め、鍵をかけた西条の目の前では、漸く誤解が解けたおキヌが恥ずかしげに涙を拭いながら笑っていた。

 

「それなら、私――」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ふぅ・・・」

 

「ふふふ・・・お疲れ様でした」

 

 美神達の出て行った応接室に、神主の溜め息と妻が入れたお茶の湯気が広がっていく。神主は、その湯のみの温かさにほっとしながら、日頃は出ない、かなりの上質なお茶であろうそれをゆっくりと啜っていった。

 

「・・・両方、か」

 

「ええ。家にも帰ってくるし、あの方たちの所にも帰る。帰る所が二つもあるなんて、とっても嬉しい、ですって」

 

 くすくすと、口の端から零れる笑みをお盆で隠し、神主の妻は静かに笑う。その声を快く感じながら、神主は短い間の娘の事を考えていた。

 

「・・・いっその事、早苗の妹か弟でも作ります?」

 

「ブホー!!」

 

 思いっきり吹いた。

 

「ごほっ! ごほっ! お前なぁっ?!」

 

「あら、良いじゃないですか別に」

 

 澄ましながらお茶のぶちまけられたテーブルをふきあげる妻。それを見て額を押さえながら、神主は天井を見上げてみた。

 

「そーいえば、昔から押しが強かったよなー」

 

「当たり前です。頑固で朴念仁で、鈍感な貴方を落としたんですからね。何かご不満でも?」

 

 布巾をお盆に乗せて、ついでとばかりに神主の手の中にある、残り僅かな湯飲みも取り上げながら。

 

「いーや。いい妻だよ、お前は」

 

「あら、今頃分かったんですか?」

 

「・・・はぁぁぁぁぁぁ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「うおおっ?! やるなこの若い者っ!」

 

「わーっはっはっはぁっ! 酒なら飲み慣れ取るわいっ!!」

 

 美神とおキヌが、部屋から叩きだした忠夫を探して境内に回る。庭に落ちた筈の忠夫の姿が無かったからだ。

 

 いや、ワンダーホーゲルに引きずられて行っただけなのだが。

 

 ともかく、二人が発見した時には、忠夫は何故か上半身裸で、巨大な盃を呷って絶好調な状態であった。

 

「何やってんのよあの未成年は・・・」

 

「ふむ・・・一応公務員なんだがね、ウチの隊員は」

 

「あはは・・・と、止めてきますね」

 

 困ったように笑いながら、おキヌが忠夫の所に駆けて行く。何処となく弾んだようなその歩みには、溢れそうな嬉しさがある。

 

「・・・Gメンの方、大丈夫なの? 西条さん」

 

「ん? ああ、心配無いよ。記録映像は取ってあるし、何より山の神様と共同で、アレだけの規模の霊的災害を未然に防げたんだ。ま、多少予算の使いすぎで突っ込まれる事は在るかもしれないけど」

 

「あれだけ破魔札ばら撒いて、精霊石弾頭なんていう無茶なシロモノ使えば、そりゃそうよねー」

 

 美神が呆れた様に呟いたのも当たり前。破魔札をばら撒き、巨大な火力で圧倒する。個々の実力で及ばずとも、火力と手段で勝る為の闘い方。当然ながら、お金のほうも大変だ。

 

 例えば、精霊石弾頭ミサイル何て言う、名前だけでもとんでもないこの秘密兵器。ミサイルの先に、握り拳2個分ほどの巨大な精霊石がくっ付いている。手の平にすっぽり隠れるサイズで3億4億当たり前の物質が、それだけの大きさで使い捨て。

 

 個人で使うには、余りにも割に合わない。と言うか準備だけで破産する。

 

「ま、どうせ使わないなら使わないで、演習にでも使われてたと思うよ、5年か10年後くらいに」

 

「だからって、アレだけ豪快に使うんですもの。こっちとしては呆れるしかないわね」

 

 そんな、美神の言い残した、ちょっとだけやっかみが混じった言葉に、西条は困ったように苦笑いを見せる。

 

「――使うしか、無いんだよ。現状ではね」

 

 足早におキヌの歩いていった方向に進んでいく美神の背を見送りながら、西条は小さく呟いた。あちこちのポケットを漁って煙草を探すも、補充を忘れた事を思い出す。溜め息を付きながら、西条は一人、愛車へと足を向けた。

 

「上司が参加する宴会ほど、部下の士気を落とす物も無い、か・・・」

 

 誰に聞こえる訳も無し。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「うふふ・・・食べちゃお」

 

「いーやー! おキヌちゃん勘弁ー!!」

 

「だーめー」

 

 美神が其処に辿り着いた時、何故か忠夫の悲鳴と、おキヌらしき声が聞こえた。らしき、と言うのは、その声の調子がおキヌの物とは思えなかったからだ。

 

 美神は、その声のほうに向かって進んでいく。

 

 唐突に開けた視界に入ったのは、小さな、ペットボトルの蓋よりも小さなお猪口と、その隣に置いてある果実酒。実に手の込んだ事に、陶器製のその瓶の表面には明らかにお手製のラベルが貼ってあり、この辺りの山の神であるワンダーホーゲルの顔が書いてある。

 

 下手人らしい神物は発覚した。

 

 しかし、状況が把握できない。

 

 お猪口の中身が、まだ半分ほども残っている事から、おキヌが飲んだ量はおそらく本当に舐める程度であろう。

 

 誰が飲ましたかは、おキヌと一緒にいる馬鹿以外に思いつかないからひとまず置いておく。

 

――あ、おキヌちゃんってお酒弱いんだ。

 

 ふと、夜空の星を眺めた美神の頭に、そんな事が思い浮かんだ。

 

 至極、どうでも良い・・・と言うことも無いが、そろそろ現実逃避も止めたほうが良さそうだ。

 

「うふふー・・・はむっ♪」

 

「いやー! 耳は、耳は駄目ぇーー!」

 

「はむはむはむ・・・」

 

「食べられる、食べられてるー!」

 

 取り合えず、視界を前に戻してみる。

 

1、何故か、忠夫が上半身裸で、おキヌに背中に圧し掛かられている。バンダナも取られておキヌの手の中に在るようだ。

 

2、何故か、おキヌが仄かに桃色に染まった顔で、忠夫の背中から忠夫の耳を甘噛みしている。

 

3、何故か、忠夫の鼻の下が伸びている。どうやら背中に押し付けられているようだ。何かが。・・・私よりはささやかなくせに。

 

4、何故か、辺りから他の人の影が無くなって行っている。よろしい。非常に(ディーモルト)よろしい。

 

5、なんだか、負けたような気がする。艶気とか。色気とか雰囲気とか。・・・飲ませないようにしよう。うん。

 

 

 甲高い音を立てて、美神の手の中で神通棍が伸びた。何故か何時もよりも調子が良いようだ。意味も無く、神通棍から火花が散るほど霊力が篭ってしまっている。

 

きっと、戦いの後で気が立っているのだろう。そうだ、そうに決まっている。間違いない。でなければ――いやいやいやいやいや!!!

 

「ふふ・・ふ・・・ふにゃあ~」

 

「ぜはっ! ぜはっ! た、助かった・・・! ・・・いや、ちょっと勿体無かったかな?」

 

「――へぇ、何がかしら?」

 

 艶やかな髪を忠夫を包むように流しながら、忠夫の背にぺったりと引っ付いていたおキヌの体から力が抜ける。アルコールが完全に回りきったようである。

 

 Tシャツの下に手を入れられそうになり、必死でカバーしていた忠夫がほっとした表情でおキヌを降ろす。

 

 声が聞こえたほうに振り返れば、其処には鬼神が立っていた。

 

 目線が合った瞬間に、忠夫の生存本能が最大レベルの警報を鳴らす。背筋に悪寒が山ほど走り、なんと言うか、何もされてないのに走馬灯が見え出した。

 

「言い訳はいいわ。謝罪もいらない――いえ、言葉は不要ね」

 

「まままままずは話し合う事が大事だと考えるしだいであるでござる!!!」

 

「あら、何を話し合う必要があるの?」

 

 忠夫は、最早何も言わずに倒れた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――と見せかけて、倒れる勢いを利用して、そのまま後方宙返り、一回捻りも入れてみたり。

 

 着地と同時に、駆け出した。入れた捻りのおかげで、さっきとは反対方向を向いている。あとはもう、何も言わずに全力ダッシュ。

 

 そうしようとした所で、後頭部に何かが突きつけられた。

 

「そう言えば、貸し出されてた拳銃、そのままだったわね」

 

「す、直ぐに返したほうが良いと思いまっす!」

 

「試し射ちが終わってからね?」

 

 まぁ、命だけは、助かったらしい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 翌日の昼下がり、町を走り抜ける一台の車がある。乗っているのは3人。一人はやたらと包帯だらけでボロボロであり、もう一人は頭痛と気分の悪さを堪えて真っ青な顔。

 

 ハンドルを握る女性は、少々不機嫌、後残りは上機嫌と言う、中々複雑な表情である。

 

「うう~、頭が痛いです~」

 

「おおおっ、か、体が動かん・・・!」

 

「二人とも、自業自得。少しは早苗ちゃんを見習いなさい」

 

 助手席に座った少女、おキヌの姉は、色々な手続きの為氷室神社を一端去るおキヌの所に、松葉杖代わりに父の渡した金属バットをつきながら、ふらふらになりながら現れた。

 

 そして、驚き支えようとするおキヌに対し。

 

「・・・頑張ってな、おキヌちゃん」

 

 たった一言を残し、倒れるように眠りについた。疲労と体を襲う痛みで気絶した早苗を抱えるおキヌの目からは、留まる事無く涙が流れつづけていた。

 

 その後、二日酔いがぶり返さなければ良いシーンだったのだが。

 

 高く昇った太陽の下、GS美神除霊事務所の3人組が帰っていく。彼らの家に、職場に。

 

 

 空は高く、雲も無い。今日は快晴との予報である――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「てんちょー、ありましたよー」

 

「ふん。さて、どれにするか」

 

「えっとー、火災に地震に霊障。ガス爆発ってのもありますけど?」

 

「霊障だ。伊達にバカ高い保険料払ってねぇぞ?」

 

「了解、保険屋と連絡とってきますねー」

 

 町中で、突然廃墟と化した喫茶店がある。忠夫とおキヌが一番最初に霊団に襲われた際に残骸を残してほとんど砕け散った喫茶店だ。あの大騒ぎから一夜明け、物珍しげに周辺住民が集まってきているし、そろそろパトカーと消防のサイレンの音も聞こえ出した。

 

 それでもマスターは椅子に座ったまま、1枚のコインを磨いている。表に数字、裏に女性の横顔が描かれた、日本ではあまり見られない硬貨であった。

 

「さて、北か南か――」

 

 鏡のように磨かれたそれを、親指の動きだけで跳ね上げる。きらきらと太陽の光を反射しながら回るそれに、一台の男女3人が乗った赤い車が写ったりもする。

 

「あー! またそんなので行き先決めてー!」

 

「やかましい。経営者は俺だ」

 

「横暴だー! 南が良いぞー!」

 

「それは――」

 

 高く舞い上がったコインが落ちてくる。くるくると空中で回るそれに目をやり、落ちてくる所を衝撃を殺しながら右手の甲に受け止めて左手で零れないように蓋をする。

 

「――”女神さま(コイン)”に聞いてくれ」

 

 開いた手の下にあったのは、微笑む女神の横顔だった。


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