月に吼える   作:maisen

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明日は不在でお休みします( ´・ω・`)


第弐拾壱話。

「こ・・・んのぉぉっ!!」

 

「せいっ!」

 

 忠夫が振りぬいた如意棒を掻い潜り、何体かの悪霊達がおキヌに迫る。その眼前に素早く回りこんだ早苗が拳を振り抜き、すれ違いざまに叩き落す。

 

「はぁっ! はぁっ! も、もうちょっと止められんかえ?」

 

「無茶言わんで下さいよ女華姫様っ! これ滅茶苦茶重いんすからっ!!」

 

「・・・ふぅぅ。霊力の輝きも鈍い。動きも遅くなっとるのぅ」

 

「色々あったんっすよー」

 

 早苗in女華姫の拳が放った烈光を喰らった悪霊達が弾け飛び、その後方で息を荒げた少女が再び拳を構える。狙いは新たに迫る悪霊達。

 

 重たげに如意棒を構えた忠夫も、再び飛び込む体勢を取る。

 

 忠夫の動きが遅くなっているのは疲労の為でも何でもない。純粋に、身体強化に回していた分の霊力も現在は失われている為である。

 

 如意棒の重さも、前の忠夫にならばそう大きなハンデとは成り得なかったであろう。

 

 只、今はその重さが負担になりつつある。それだけである。

 

「ちっくしょー! 絶対向いてねってこれぇっ!」

 

「泣き言を言うておる暇があるなら、撹乱を――」

 

 前方の群に向かって構えた二人の横合いから、大量の悪霊が出現する。そちらを見もせずに女華姫は神速の拳を振りぬいた。

 

 弾ける光、それは正に綺羅星の如く。

 

「っはぁ・・・ふゥ。武神流星拳・・・なんての」

 

「そもそもまだ武神じゃないっしょ、たしか」

 

「細かい所ばーっかり気にしおる。わらわの夫と良く似とるわ」

 

 小首を傾げながら聞いてくる早苗嬢。中身は女華姫であるが。どっちかと言うと某銃を模した格闘技であろう。

 

 そんな軽口も叩きつつ、何とか前方の群を駆逐する。忠夫が独楽のように回って如意棒ぶん回し、女華姫がバラけた群を片端から蹴散らしていく。もう、幾度目の波を持ちこたえただろうか。幸いにも――実際の所場所が結界の縁近くであり、回り込まれる事が無いだけなのであるが――後方からの襲撃は無く、背後に庇ったおキヌには未だ到達を許していないのが救いか。

 

 蹴散らし、殴り飛ばし、掻き乱す。そんな戦いを、もう1時間近い時間過ごしていた。

 

 忠夫はまだまだ余裕がある。例え身体強化の力が失われたといってもそこは人狼の血を引く者。多少息を荒げつつはあるが、ことタフネスに関してはもうしばらくは問題無し。

 

 問題が有るとすれば。

 

「っ・・・あ、はぁっ、はぁっ!」

 

「大丈夫っすか、女華姫様っ!」

 

「い、委細問題無いっ!」

 

 肩を震わせ、崩れ落ちそうな膝に力を篭めながら姫は言う。拳に宿った光にはいささかの衰えも見えないが、膨大な数の悪霊を相手にたったの二人で戦う限界は、もう直ぐ其処まで来ているように見える。

 

『オオオオオ・・・!』

 

「マズっ?! でかいの来たぁっ!」

 

「お、おのれえええぇぇぇっ!!」

 

 力を振り絞り、巨大な光の塊を練り上げる。まるで光の球体に包まれたような早苗の目の前に、空を覆うような大きさの、巨大な霊の集合体が迫り来る。

 進路上の悪霊達をその身に取り込み、更に質量と禍々しさを膨れ上げながら、その巨体は突撃した。

 

「はぁっ!!」

 

『オ、オオオオオっ?!』

 

 しかし、その形の無い体が彼女達を押しつぶす前に、その前面に早苗の打ち出した光の巨弾が炸裂する。弾けるようにその集合体は膨らんで、後方に大量の悪霊達をばら撒きながら吹き飛んだ。

 

「ちっくしょ、一体何度目だよあいつ・・・!」

 

 それは、幾度となく繰り返された光景であった。遠くに吹き飛ばされ、その体を半分、いや数分の1まで減らされた集合体は、諦める事無く再び此方に迫ってくる。その過程でまた周囲に漂う悪霊達を吸収し、更に巨大になりながら。

 

 結界内に薄く広がりつつあった悪意の群は、段々と忠夫達に向かって収束しつつある。それ故に、悪霊の集合体――霊団の規模は、より巨大になりながら、迅速に復活していくようになっていた。

 

「・・・あ」

 

 拳を振りぬいたままの体勢で、膝から崩れ落ちるようにして早苗が倒れた。

 

「――女華姫様っ?!」

 

「・・・ごほっ! く、くそ・・・運動不足にも程があるわぇ・・・!」

 

 水分の無くなった喉から、無理やりに気管を抉じ開けて咳が洩れる。地面に突っ伏した早苗は必死で肘を突っ張り立ち上がろうとするものの、その腕は意思に反して力を篭める事を許さない。

 

 例え膨大な神通力を誇ろうとも、それを発する土台たる器は人の体。むしろ、いかに相性が良いといっても此処までその力を振るえた事こそが驚嘆であった。

 

「さ、早苗お姉ちゃん・・・!」

 

「おキヌ、下がっておれ・・・」

 

 何時の間にか、後で此方を見ていたおキヌの姿が、うつ伏せに倒れこむ早苗の横にあった。おキヌの差し出した手を掴み、それに縋るようにしながらゆっくりと立ち上がる早苗。膝は震え、荒いだ息はまだまともに整った様子も無い。

 

 しかし、それでも、おキヌを後ろに庇って立ち上がる。

 

「そんな顔をするでない。わらわは――」

 

 思いのままに動いてくれない細い腕を、今だけは少し疎ましく思う。早苗の腕、女性らしいほっそりとした華奢な腕を動かしたのは初めての体験である。

 

 しかし、今は目の前の火の粉を払える、背中にかばった親友(いもうと)を――守れるだけの、頼りになる腕が欲しかった。

 

 ふらふらと持ち上がった腕には、燃え上がる炎のように燐光が纏わりついていた。それを必死で腰だめに構えて狙いをつける。

 

 忠夫が、必死で動き回って囮になっているのが見えた。如意棒を持っていないようだ。逃げる時にはあれが必要になるだろうが、現状ではそれさえも難しい。ただ、その時を待つ。

 

「もう、もう止めてっ! どうして、二人ともそんなにボロボロになってまで私なんかを・・・!」

 

「・・・ふ、ふふふ」

 

 体中にかいた汗が、服に染み込んで非常に鬱陶しく感じてしまう。いくら神降ろしをするからといっても、もうちょっと動きやすい服が良かった。

 そんな益体もない事を考えながら、おキヌの声に笑いを返す。

 

「おキヌが、そんなおキヌだから・・・優しい娘だから。わらわの大切な友、故にわらわは」

 

 忠夫が悪霊達に包囲されるたびにその囲みを無理やり突破して、傷だらけになっているのが見える。時折此方に向かおうとする悪霊には、一瞬だけ出現させた如意棒を伸ばし、正確に狙い撃ちして落としている。

 

 だが、その度に僅かに姿勢を崩し、離脱に僅かな間を必要としてしまう。

 

 その背中に、一体が体当たりを喰らわせた。

 

「っだぁぁっ?! こんにゃろー! こんにゃろー!」

 

 痛みで半泣きになりながら、如意棒をやたらめったらに振り回す。既にジージャンはあちこちが破け、血塗れである。その頭上から、雪崩れのように悪意の群が襲い掛かった。

 

 悪霊に包まれ、姿を消す忠夫。

 

「いやぁぁぁぁぁっ?!」

 

「わらわは、お前を――守り抜くっ!!」

 

 全力を振り絞った光弾は、天地を斜めに貫く柱の如く。

 

 光の軌跡を残しながら、忠夫を包んだ悪霊達を欠片も残さず消し飛ばした。

 

「・・・心ごと、な」

 

「早苗お姉ちゃん?! お姉ちゃんっ?!」

 

 小さな呟きを残して、項垂れる早苗。その体からは完全に力が抜け落ち、意識も完全に無くなっている事が見て取れた。肩を揺さぶるおキヌの声に、答えが帰ることは無い。

 

 しかし、その意思を同じくする者は、その想いを受け取った。

 

『オオオオオオオオオ・・・』

 

「何で、何で・・・」

 

 おキヌと、その腕に抱かれた早苗を囲むように悪霊達が舞い踊る。

 

 恐怖に震えながらも、早苗に縋りつくように、あるいは守るように抱きつくおキヌを嘲笑いながら。

 

『ヨコセ・・・』

 

「・・・お姉ちゃんは、お姉ちゃんだけは・・・!」

 

『オマエノカラダ・・・ヨコセェェェッ!!』

 

「・・・誰か――じゃない! 私だって!」

 

 想いは引き継がれた。早苗の体をゆっくりと地面に横たえ、震えながらもその前に両の手を広げて立つ少女。

 

 まるで、何時かの光景の如く。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――やらせてたまるかぁぁぁぁっ!!」

 

 だから、彼は、突き破る。恐怖を、畏怖を、運命を。

 

 赤いバンダナは既に無い。押さえられていた白い狼の耳は、僅かに傷付き血を流しながらもピンと立つ。少々間抜けにも破けたジーパンからは、赤と黒でまだらに染まった、真っ白であっただろう尻尾が棚引いている。

 

 疾風のように飛び込んだ彼は、行く手を阻んだ悪意を蹴倒し、薙ぎ払い、殴り飛ばしながら噛み破る。

 

「ぉぉぉぉおおおおおおおおっ!!!」

 

「横島さんっ!! ・・・え?」

 

 おキヌに襲い掛かろうとしていた不埒者を、美神直伝の――体で覚えたことをそう言うならばだが――ドロップキックで撃墜する。とは言え霊力なんて篭っていない。驚いて包囲を広げたその隙、其処が狙い目だ。

 

 尻尾と耳を見て混乱したおキヌと、倒れている早苗に傷が無い事を視線で確認。着地の勢いを殺さず二人を掻っ攫い。

 

「もーこうなったらヤケクソじゃぁぁぁぁっ!!」

 

 二人を両手に抱えたままでは如意棒も振るえないので、如意棒は右手に出現させて蹴り飛ばす。泣きそうなほど痛かったが、ぐるぐると回転しながら飛んでいってくれた如意棒のおかげで道は開けた。

 

 後は後ろも見ずに――。

 

「何処までも逃げ切ったらー!!」

 

 全力でそっちに向かって走り抜ける。時にゴキブリの如く地面を低く走り抜け、鼠のように狭い空間をすり抜ける。

 

 忠夫の逃げ足、本領発揮。

 

「ええっと、本物? ・・・あー、結構やわらかーい。そう言えば、初めて触った気がする・・・」

 

「うわひゃっ?! おキヌちゃん今は勘弁―!」

 

 後ろ向きに小脇に抱えたおキヌが尻尾を握ったりして、少々ふら付いたりもしながら。

 

 ところがどっこい、相手も妄執で動く悪霊達。相手が相手ならば、先程まで戦っていた相手の突然の転進に驚きもしただろうが、機械的に彼らを追いかける。

 

「大分手薄になってるけど・・・如意棒を使うのは無理、かなー」

 

 忠夫と女華姫の奮戦は、決して無駄な戦いではなかった。十重二十重に取り巻いていた悪霊達の包囲網。それが今は、あちら此方に隙間のある網となっている。

 

地面に突き刺さっていた如意棒を、すれ違いざまに拾い上げて引っ込める。

 

「重いもんなー、これ」

 

「重くないですー!」

 

「キャイーンッ!!」

 

 乙女の勘違いで尻尾の付け根をきゅっとされた半人狼の悲鳴を残しながら、三人は包囲網の外へと抜け出していた。

 

 背後からは、相変わらず大量の悪意の群。目の前には、未だ明ける様子さえも無い暗い空。

 

 その先に見える――氷室神社のある森。

 

「あうあー! 締めちゃ駄目握っちゃ駄目捻っちゃいやー!」

 

「きゃー! 横島さん後ろから沢山来ましたー!」

 

「のぉぉぉぉっ?! もげるー!」

 

 後ろ向きに抱え込まれている為、おキヌの目には怒り狂ったように追いかけてくる悪霊達がはっきりと見える。普通なら恐怖で気絶してもおかしくないが、体をしっかりと抱きしめた腕の温かさ、しっかりと握り締めた手の中の柔らかい尻尾が紛らわせてくれた。

 

 思わず握り締めたのは不可抗力だ、きっと、多分、おそらく。

 

「大丈夫だから離してくれおキヌちゃーん! ほらほら来たからー!」

 

「だってだってー!」

 

 悲鳴を上げるのはしょうがないだろう。おキヌの目の前、つまり忠夫の後方10m程の所は既に悪霊の津波で埋め尽くされているのだから。

 

 しかし、おキヌが、忠夫の言葉の意味を理解する前に。

 

 その悪霊の壁は、上空から飛来した、無数の矢で駆逐された。

 

「間に合ったっすー!」

 

「援軍だよなっ?! そーだよなっ?!」

 

 氷室神社の上空に浮かぶのは、100人近い男達。手に手に矢を持ち剣を持ち。神々しくも勇ましく、殆ど全てがムキムキ若しくはむさ苦しい。

 

「山の神連合軍、到着したっすよー! 先輩方、行きましょー!」

 

「応っ! 皆、山男の意地を見せてやれぇぇっ!!」

 

 一際立派な髭を持った、一番大きなごッつい男の声の元、背後に控えた山の神たちが一斉に矢を連射する。それはまるで矢自体が意思を持つように、正確に悪霊に当たって消滅させる。

 

「さ、貴方達は二人を連れて――」

 

「下がっとくから後頼んだぞー!!」

 

「――後ろに・・・って、もうあんな所っすか」

 

 道士と頭を突き合わせて話していた、おキヌの代わりに山に括られた元ワンダーホーゲルの幽霊は、現在はそれなりに周囲の山の神たちにも認められ始め、それなりにコネを持っていたりする。

 

 それを使って今回お願いした訳だが、彼も此処まで沢山来るとは思っていなかった。周辺の山々だけでなく、遠くは本州以外からも来ていたりするのである。

 

 それなのに、これ程までに集まった理由はと言うと。

 

「うおおおっ!! この戦いを女華姫様に捧げるぞー!」

 

「正に漢の理想! 夢の具現(筋肉)・・・! その女神からのお達しじゃー!」

 

「蹴散らせぇぇっ!!」

 

 と、言う訳で。女華姫の勇姿に惑わされた、暑苦しい集団だったりして。

 

「こらぁっ! 新米、ぼやぼやしてないで手を動かせぇぇっ!!」

 

「うーっす!!」

 

 名のある山の神も来ているおかげで、ワンダーホーゲルは体育会系の下っ端扱いである。慣れているので何ともないが。

 

 山の神は、女性も居るには居るのだが、今回は何故か男比率高すぎて。目の保養とは程遠し。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「つ、着いた・・・! ってなんじゃこりゃあっ?!」

 

「わー、人が沢山、機械も一杯ある・・・」

 

 氷室神社の周りを囲む森を抜け、境内に駆け込んだ忠夫と担がれたおキヌの見た物は、境内を埋め尽くさんばかりに敷き詰められたトラック、バギー、四角い箱を積んだ大きな車の群達。

 

 そして、その間を駆け回る、迷彩服に身を包んだ一団であった。

 

 その中から、見知った亜麻色の髪を持った女性が駆けて来る。

 

「良かった・・・! あんた達、無事だったのね!」

 

「美神さん、どうやって此処に?」

 

 迷彩服の一団の中で、一人だけ動き易そうなパンツスーツに身を包んだ美神の姿。その姿に湧き上がる安堵を堪えながら、忠夫は呆然と質問する。

 

 美神は、それにニヤリと意地の悪い笑顔を返した。

 

「使えるものは使う。GSの鉄則よ?」

 

「・・・と言うか、本来は商売仇の筈なんだけどねぇ」

 

 忠夫の背後から聞こえた声に振り向けば、こちらも場にそぐわない、パリッとしたオーダーメイドのスーツに身を包んだ西条の姿がある。

 

 彼は苦笑いを堪えつつ、手に持った通信機に話し掛ける。

 

「準備の終わった班から順次整列。破魔札マシンガン班は前衛、近づいてくる霊をうち漏らすなよ。銀の銃弾を篭めたアサルトライフルで中距離は押さえろ、絶対に防衛ラインを突破されるな。ネクロマンシー部隊は待機」

 

『了解しました!』

 

 通信機を懐に収め、西条は美神達に視線を向ける。その瞳には、悪戯っぽい光が踊っていた。

 

「さて。組織の力、特等席で見ていくかい?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 状況は、一変していた。

 

「東の山の分隊は矢で打ち減らせ! 近づいてきた奴らは西のもんで止める!」

 

「任せたあっ!!」

 

 上空からは、まさに雨霰と矢が降り注ぐ。それを掻い潜って肉薄する霊達も、山の神たちが持つ神剣に刈り取られて消えていく。

 

「いいかっ! 敵を倒すんじゃない、味方をフォローする事だけ考えろ! そうすれば誰も死なずに済む! 怪我した者は直ぐに下がってヒーリングを受けろっ!」

 

「破魔札マシンガン、引き付けろ! まだ、まだだぞ・・・今だっ!!」

 

「矢が無いぞ! お代わり急いで持ってこいっ!!」

 

 神社に接近するものは、あるいは霊体ボウガンの矢に貫かれ、あるいは大量にばら撒かれた破魔札に包まれて消えていく。傷付いた者も後方に待機したヒーリング術者達にすぐさま手当てされて復帰する。

 

 女華姫と忠夫によって討たれた悪霊達は、その数をさらに減らしていった。

 

「うわ、すっげ」

 

「ほら、ぼやぼやしてないで。あんたはこれでも着けてなさい」

 

 その光景に驚嘆の声を漏らす忠夫の背後から、赤いバンダナを持った美神が近づいてくる。

 

 何処か暇そうなのは、下手に割り込む必要も無いと割り切っているためだろうか。

 

「あ、すいませんっす」

 

「全く・・・ま、あんたにしちゃあ、頑張った方よね。ほら」

 

 そう言って、美神は微かに笑いながら忠夫の頭にバンダナを巻く。前から。

 

 当然、結構な近距離に美神の顔があるわけで、忠夫は何故かとてつもなく動揺したりしてしまう。

 

「・・・ん、っと。これで良し」

 

 仄かに香るのは、香水だろうか。それとも、美神の匂いだろうか。離れた美神が再び何処かへ歩いていく。どうやら西条の所に向かったようだ。忠夫が現状を把握しきれずに呆然としているその時に。

 

「・・・あの、横島さん」

 

「うぇっ?! あ、いや、違うんだっ?!」

 

「何がですか?」

 

 心細げに語りかけて来たのは、先程まで未だ目を覚まさない早苗の様子を看ていたおキヌであった。何となく後ろめたさを感じつつ、忠夫はおキヌと視線を合わせる。

 

「・・・横島さんって、人間じゃないんですよね?」

 

「え? うん、そーだけど」

 

「・・・はぁぁぁぁぁ」

 

 聞き様によってはとんでもなく重い言葉である。であるが、おキヌは忠夫の軽い返事に、何かが嵌ったような感覚を覚えていた。

 

「うん・・・良しっ!」

 

「何が?」

 

「・・・いーえ、秘密です」

 

 不思議な笑みを、儚げな笑みを浮かべたおキヌのその顔に、忠夫は何故か不安を覚える。何処かで見たような、そんな笑顔であった。忠夫が、それを思い出す前に、おキヌの口からは更に言葉が滑り出す。

 

「人間じゃないとか、どーでも良いんです。横島さんが、「いつもの」横島さんだったから、大丈夫だって感じるんです。胸のあたりが、ぽかぽかしてくるんです。・・・可笑しいですか?」

 

「や、良く分からんけど可笑しくは無いなー」

 

 ほんのりと笑いつつ、忠夫の手をそっと握るおキヌの手。柔らかさと、ほんの少しの冷たさと、ちょっとだけ震えを感じる手。

 

「多分――なんだと思います。でも、あの人たちが追いかけてくるのが私だって言うのも、分かったんです。分かっちゃったんです」

 

「え?」

 

 その手が、す、と離される。その感触に、空恐ろしさを覚える。喪失感さえ感じてしまう。

 

「横島君、おキヌちゃん! 不味いわ、後退するわよっ!!」

 

「総員退避! 下手に刺激するな、バディを組んだまま静かに素早く境内まで下がれー!」

 

 聞き返そうとした忠夫の言葉を遮るように、美神と西条の声が割り込んだ。はっとしたようにそちらに目をやれば、其処には、巨大な壁が、月にまで届くような壁があった。

 

「い、一体なんすかあれはぁぁっ?!」

 

「残ってた霊が、全部集合したのよ! 全く、生存本能だけで動いてるから厄介すぎるわ!」

 

「前線は今撤退中だ。山の神たちが引きつけてくれているが、こっちの切り札はもうちょっと時間が掛かる。流石にあれほどの巨体になると、もう生半な火力じゃ効果が薄い!」

 

 正に、小山のような大きさであった。スライムのような不定形な物体が、うぞうぞと蠢きながら、氷室神社に向けて迫っている。上空の山の神達が一斉に矢を射掛けているが、全く聞いた様子が無い。

 

「ネクロマンシー部隊、何をやっている?! 下がれ、下がるんだっ!」

 

「駄目です! 此処を、此処で止めなきゃ、あれが・・・!」

 

 その霊団の足元――足があるわけではないが――に駆け込む、片手に満たない集団がある。手に手に奇妙に捻れた笛を持った彼らは、接近すると同時にそれに口を当てた。

 

『ピュリリリリ・リ・・リ・・・』

 

 しかし、その笛は音を立てきれない。何名かは僅かに鳴らすものの、僅かな時間さえ持たずにその音色は途切れてしまう。

 

「馬鹿なっ! 彼らはまだ笛を使いこなせちゃ居ないんだぞ! あんな状況下でまともに吹ける訳が無いだろう! 下がらせろっ!」

 

「了解っ! おい、早くこっちに来るんだ、下がれっ!」

 

「横島君! 行って!」

 

「了解っす!」

 

 切羽詰った周囲の声と、美神の凛とした声に押されて忠夫が飛び出す。すぐさま彼らのところまで駆け込んで、幸いにも全員男なので襟首引っ掴んで美神達のところに投げ捨てた。

 

「ちくしょう! 何で、何でこんな時に・・・!」

 

「実戦でいきなり霊能が全力で使えると思っていたのか?! 無茶も良い所だぞ!」

 

 投げ捨てられた男達は、西条に怒鳴られながら境内に転がり込むようにして飛び込んだ。その後ろから、忠夫が必死に駆け込んでくる。それを確認して、西条は通信機に叫ぶ。

 

「結界展開! 出力は最大だ!」

 

「了解! 結界、起こせっ!」

 

 機械音とともに、数台有ったトラックの荷台部分が持ち上がり、複雑な模様の書かれた板のような物が立ち上がる。その傍にいた男達がなにやら操作すると、その模様は機械音を放ちながら光り始めた。

 

 それに反応したのか、霊団がまるで触手のように霊で出来た腕を何本も伸ばしてくる。

 

 しかし、腕は境内に入る直前に、見えない壁にぶつかって停止した。

 

「・・・結界車、正常稼動中! ですが負荷が大きすぎます、長くは持ちませんよ!」

 

「了解! 今の内に「あれ」の準備を終わらせるんだ!」

 

 西条の声に反応して、隊員たちが動き出す。結界は、何度も繰り出される霊団の腕を弾き、止めてはいる。止めてはいるが。

 

「だ、駄目です! 負荷が急激に上昇中! 持ちません!」

 

「くそ・・・! ネクロマンシー部隊で足止めする予定が――」

 

 霊団、悪霊達が溶け合って出来たそのレギオンとも言うべき存在は、その内に含んだ霊の数によって厄介さが等比級的に跳ね上がる。しかも、目の前で荒れ狂う霊団は、少なくともかなりの広範囲にわたって存在していた霊達が、数を減らされたとはいえ集まって出来た存在である。

 

 だからこそ、虎の子まで持ち出しての準備であった筈が、その虎の子を起こす前に限界が迫ると言う結果になっていた。

 

「・・・今の内に逃げません?」

 

「・・・そーしたいのも山々なんだけど、ねー」

 

 冷や汗だらだらで及び腰の二人が、前方の狂騒劇を見ながらじりじりと下がる。しかし、その先にあるのは本堂のみ。

 

「西条さんが、「あらかた片付くまで出入り口は閉じておいてくれ」って、道士に言っちゃったせいで出入り口塞がってるのよねー」

 

「・・・嘘だと言ってー! いややー! 死にたくないー!」

 

「うるっさいっ! 私だってまだ死にたくないわよっ?!」

 

「其処、少し静かにしててくれっ!」

 

 ぎゃあぎゃあと騒ぐ二人と、それに突っ込む西条。その隙を突かれた、と言えばそれまでであろう。しかし、誰も、彼女の動きに目をやっていなかったのもまた事実。

 

 彼女は、おキヌは、静かに寝息を立て始めた早苗を救護班から受け取った毛布で包むと、ゆっくりと立ち上がって歩いていった。

 

 今にも壊れそうな結界の縁ギリギリまで。

 

「・・・そうですよね。きっと、誰も死にたくなんて無いんですよね」

 

『カラダ・・・イノチ・・・ヨコセ・・・!』

 

「辛いですよね。苦しいですよね。きっと、誰かの命でそれが無くなるのなら、躊躇ってもやっちゃうくらい、辛いですよね」

 

『サムイ・・クルシイ・・・イタイ・・・』

 

『タスケテ・・・タスケテ・・・!』

 

 二人が、西条が気が付いたときには、おキヌは既にそこにいた。先程忠夫が投げ込んだ、ネクロマンシー部隊の落下地点。

 

「おキヌちゃん?!」

 

「何やってるの?! 戻って、早く!」

 

 しかし、おキヌがその言葉に返したものは、こちらの不安を掻き消すような、優しい優しい笑顔であった。

 

「私の体をあげるから、他の皆には手を出さないで下さい・・・」

 

『オオオオオオオッ!!』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――って、言ってたと思います。少し、ほんの少し前の私なら」

 

 

「「「・・・え?」」」

 

 おキヌはしゃがんで、足元に転がった細長い何かを拾い上げる。それは、先程投げ捨てられた隊員が落とした笛。奇妙に捻子くれた、如何見ても楽器とは見えないその笛。

 

 ネクロマンシー。死霊使いの笛。

 

「でも、もう駄目です。だって――」

 

『オオオオオ・・・!』

 

 目の前まで迫ったおキヌに、狂気に包まれた霊団が群がろうとする。それに必死で抵抗する結界と、彼女に駆け寄ろうとする3人の姿。空では、未だに山の神達が必死で霊団に攻撃を仕掛けつづけている。

 

「――大切な人たちを、思い出しちゃいましたからっ!!」

 

 鍵は、一体なんだったのか。早苗が、いや、女華姫が彼女に残した意思か。それとも、何時かのように彼女を救った青年の姿か。それとも、その青年が、人ではない存在である事か。

 

 あるいは、青年に赤いバンダナを着ける女性の姿だったのかもしれないが。

 

「私は、おキヌ! 氷室キヌで、元幽霊の、GS美神除霊事務所の所員です!!」

 

 吐息とともに、笛に吹き込んだのは一体なんだったのだろうか。目の前で苦しむ霊達に対する悲しみか。大切な人たちを守りたい、そんな、誰もが持つ感情であっただろうか。

 

 

――貴方達にも、大切な人が、居たでしょう?

 

――貴方達が死んで、悲しんでくれる人たちが居たでしょう?

 

――お願い。私から、もう、何も、失わせないで。

 

――ゆっくり、眠ってください。

 

 

 結界に、氷室神社を中心として、町を囲んだ結界に、優しい音が響き渡る。

 

 それは、祈りを篭めた鎮魂歌。

 

 霊団は、動きを止める。

 その中から、湧き出すように、何百と言う霊達が現れる。彼らは、霊団に取り付くと、再びその中に潜り込んで行く。

 霊団が苦しむようにもがく。再び現れた霊達は、優に1000を超えていた。

 そして、それらも再び潜り込んで行く。

 

 幾度も幾度も繰り返される、優しい音色の舞踏会。

 

 ――音色が鳴り止んだ時、其処に残っているのは、幾つもの巨大な瞳から滂沱の涙を流す、巨大な魂塊であった。

 

「もう、大丈夫です。あれは、霊達の残した負の感情の集合体です。悲しさや、辛さ、苦しさ。皆、此処に置いて、逝くそうです」

 

 空を見上げるおキヌの瞳に写るのは、天の裂け目に向かって流れていく幾つもの光の軌跡たち。

 

 それを嬉しげに眺める彼女に、美神は静かに手を広げる。

 

「おかえりなさい、おキヌちゃん」

 

 忠夫が、静かにその隣に立つ。

 

「おかえり、おキヌちゃん!」

 

 

「――ただいま、二人ともっ!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 弾けるような笑い声と、恥ずかしげな声を耳にしながら。

 

 西条は呆然と空を眺めていた隊員に声をかける。

 

「ほら、準備は終わったのかい?」

 

「は、はっ! 全て完了しております!」

 

「なら、それをタイマーで10分後に設定。 ――総員撤収! 「アレ」以外は何も残すな! 国民の血税で賄っているんだからな! 上空の山の神様達にも伝えてくれ!」

 

『了解しました!!』

 

「うん、なかなか良い返事だ」

 

 満足げに笑った西条は、そう言い残して美神達のところに向かっていく。後ろでは、隊員たちが忙しげに動き始めているのが気配でわかった。

 

「・・・ま、後顧の憂いは絶っておかないと」

 

 山の神達が一足先に出口から出て行き、美神達が楽しげに潜り、隊員たちが機材を回収して出て行く。

 

 結局、誰もが西条が外に連絡していないのに出入りが出来た事を不審に思わなかった事に苦笑いを浮かべつつ、西条もその出入り口を潜って行った。

 

「退路は作っておくものだよ。いつでもどこでも、必ず」

 

 最後に、未だ蠢き、涙を流しつづけるそれにそう言い残し、時計が残り1分を切った事を確認して出て行く。

 

 丁度一分後、一台だけ残されたトラックの荷台から放たれた「精霊石弾頭ミサイル」は、外し様も無く目の前の巨塊に着弾し、全てを浄化する光を弾けさせた。

 


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