月に吼える   作:maisen

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第弐拾話。

 窓の外では日が沈み、既に黄昏さえも遠い時刻となっている。

 

「・・・ふぅ」

 

 デスクに置かれた書類を一纏めにし、「持出厳禁」と赤い印が押してあるファイルにしまいこむ。思わず洩れた溜め息は、漸く此処までこぎつけた、と言う安堵と充足感か。それとも、まだまだ足りない物が多すぎると言う疲労か。

 

「装備は殆ど整った。隊員達の頭数も揃ってきた。なのに」

 

 デスクの隅に諸々の書類に埋もれていたノートパソコンを引きずり出し、電源を入れる。微かな起動音を耳にしながら思うのは、超一流として名を馳せる妹のような女性の姿。

 

「・・・令子ちゃんクラスとは言わないまでも、せめて実戦経験のある統率者が欲しいな」

 

 画面が要求してきた十数桁のパスワードを打ち込み、オカルトGメン日本支部のデータベースを開く。更に幾つかの項目を選び、前線を担当する者達のデータを開いていく。

 

 スクロールさせていく先には、数十人の顔と詳細な身体的データ、経歴、霊的特徴、得意な武器・道具の種類。そんな物が無機質に表示されていた。

 

 どの顔写真も若く、まだまだ新人と言うのが画面を通してさえ伺われてしまう。

 

「ま、無いもの強請りは趣味じゃない。ともかく彼らに実戦経験を積ませる事が先決なんだけど――」

 

 ノートパソコンに目を向けたまま、右手で小さなマウスで操作、開いた左手でデスクの上を探る。

 

 手に触れた硬い金属の感触を握り、その傍に纏めて置かれていた灰皿と煙草を引っ掛ける。煙草の箱を一揺すり。出てきたであろう一本を勘だけで口元に咥え、一挙動でジッポーに着火する。

 

 口腔内を満たす煙の味に眉を顰めながら、数口も吸わず煙草の吸殻の詰まった灰皿に押し付けた。

 

「――大規模な訓練は金が掛かりすぎる。かといって現状では総員出動するような事件は起きていない。まいったなぁ」

 

 イスの背もたれに体重をかけ、天井を見上げた。白い蛍光灯に照らされた無機質な白い天井は、この所少々黄ばみ始めている。

 

 無意識の内にまた煙草の箱を手に取り一振り。手応えの無さに視線をやれば、中にはもう一本も入って居ない事が見て取れた。そんな事にさえ日頃しない舌打ちを打ちながら、補充に立ち上がった西条の懐で重厚な筈のクラシックが安っぽく響く。

 

 取り出した携帯の画面に表示されているのは、先程まで脳裏に浮かんでいた一人の女性の名前だった。

 

 挨拶も前置きも無く、電話の向こうの相手が切羽詰った様子で話し掛けてくる。取り合えず落ち着かせる事に成功し、一通りの事情を聞いた後。

 

 西条の頬には、確かに笑みが刻まれていた。

 

「・・・幸運の女神かな?」

 

 緩めてあったネクタイを閉め直しながら、西条は手近な卓上電話を取る。連絡先は、こんな時間でも必ず人の居る待機室。

 

「警報を頼む。全力出動、非番のスタッフにも緊急召集を掛けてくれ。後、ネクロマンシー技能を持つ隊員を大至急揃えてくれ。レベルは問わない、どうせ一流所は出払ってる。当直中の隊員はブリーフィングルームに1分以内に集合、急げっ!」

 

 必要な事を喋り終えると、西条は受話器を置いて走り出す。部屋の扉を蹴り破らんばかりに飛び出し、手元の時計で時間を確認しながら先を急いだ。

 

「・・・遅れた奴はボーナス50%カットだ」

 

 一つだけ、伝え忘れたのか態と伝えなかったのか、そんな事を呟きながら。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「なー、おキヌちゃん」

 

「なんですかっ?! 今忙しいんですけど――わっ、ブレーキどこっ?!」

 

 暗い闇に包まれた道路を、回りの暗さに圧倒されているライトの光を頼りに走る車。おキヌの慌てたような声と共に、蹴飛ばされたように加速した。

 

「あ、アクセル踏んじゃった」

 

「・・・・・・」

 

「あああっ?! 横島さん、どーしたんですかそんなパズルみたいになっちゃって?!」

 

 ブレーキと間違えて踏んだアクセルを戻しながら、ほっと一息ついたおキヌの後ろで生々しい音が聞こえた。バックミラーで確認すれば、まるでヨガの修行僧の如く四肢を絡ませた忠夫が上下逆さに転がっている。

 

「・・・シートベルト、忘れてた」

 

「駄目ですよ? 危ないですから」

 

「たった今、身をもって知りました」

 

 間接をパキパキと鳴らしながら、後部座席に忠夫が座り直す。とうとう10の大台を越えた車の乗り継ぎ回数だが、根本的なところで運動神経の鈍いおキヌと、自分の足以外で移動する事に不慣れな忠夫ではあまり運転技術に改善は見られなかった。

 

「これこれ。これ、何? テレビ?」

 

「・・・ああ! えっへん。これはですねー、かーなびって言うんですよー」

 

 得意げに説明するおキヌ。運転席と助手席の間から身を乗り出した忠夫の顔が、彼女の顔のすぐ傍にあるが、気にしている様子も無い。むしろ、少々嬉しそう。

 

「成る程。つまり、これが道案内してくれるってわけか」

 

「その通りです! ・・・でも、動いてないですね」

 

 カーナビの画面は、大きく「ERROR」と表示されたまま沈黙を保っている。二人掛りであちこち弄るが、全く変わった様子が無い。ちなみに、この間におキヌたちが乗る車の数cm横を、電信柱や壁が掠るギリギリで後方にすっ飛んでいっている。

 

 余所見運転は危険である。

 

「うーん、壊れてるみたいですねー」

 

「残念だなー」

 

 忠夫が名残惜しげに適当に目に付いたスイッチを弄る。幾つ目かのボタンを押したとき、画面に地図が表示された。

 

 興味深々で覗き込む二人。その間も車はアクセルを踏まれつづけ、それに忠実に答えて加速し続けている。

 

「えっと、如何すりゃ良いのかな?」

 

「喋るらしいですよ? その通りに動かせば良いって――」

 

『次の角を右です』

 

 突如、ナビから明瞭な女性の声が発せられる。忠夫は驚いて飛び退き、おキヌは――。

 

「は、はいっ!!」

 

 素直にハンドルを右に切った。高速道路並みの速度で流れていた風景が、一回転しながら後方に流れていく。

 

 車体はスピンし始め、狭い曲がり角を通り過ぎようとしたその瞬間。

 

「えいっ!!」

 

 サイドブレーキも併用しながらフルブレーキ。ハンドルを調節しながら曲がり角の入り口に車の鼻先を合わせる。車の中で固定されていない物が派手に跳ね回り、窓ガラスに当たって鈍い音を立てた。

 

「ここっ!」

 

 辺りに甲高いタイヤの悲鳴が響く。アクセルを僅かに踏んで鼻先を曲がり角に突っ込む。慣性で流れる車体を制御しつつ、車体の後部を右前方に流し、遠心力とタイヤの摩擦が均衡した瞬間アクセルを踏み込む。

 

 壁と接触したサイドミラーを落としながらも、車は奇跡的に無事にカーブを曲がっていった。

 

「ふぅ・・・ああっ?! 横島さんがまたパズルみたいにっ?!」

 

「・・・・・・」

 

 シートベルトはきちんと付けましょう。

 

 

「・・・お願い、西条さん」

 

 美神は携帯の通話を終わらせると、目の前に立つ道士に向かって話し掛ける。

 

「とりあえず、こっちは何とかなりそうよ。大規模な霊障、それを未然に防ごうとした土地神の創った結界に、大量の悪霊が閉じ込められているから開放される前に除霊を手伝って欲しい――って事になるわ」

 

「・・・時間はどれほど掛かりますか?」

 

 その言葉に、美神は腕を組んで難しい表情を作るしかない。どれだけオカルトGメンが訓練されていようとも、場所的、距離的に言って、少なくとも――

 

「後、2時間は」

 

「・・・ぎりぎりですな」

 

 溜め息を付いた道士は、先程山の神が消えた場所に視線をやる。

 

「此方は、もう少しは早くなりそうですが・・・」

 

「状況は芳しくないわね・・・」

 

 道士の胸倉を掴み上げた激情は、今はとりあえず落ち着いている。暫しの間の安全は、おそらく大丈夫であろう。

 

 しかし、其処から先の為の手段が確保しきれていない。少なくとも、それまでは『彼女』に頼るしかないのだから。

 

「結界は持ちそうなの?」

 

「・・・結界を破る事より優先しておキヌを狙って動く雑霊が殆どですから。結界の安定に関しては問題無いかと」

 

「『彼女』はどれ位なら?」

 

「・・・正味、1時間持てば僥倖」

 

「・・・上で、Gメンの到着を待つわ。何かあったら直ぐに連絡を頂戴」

 

 美神は最後にそう言い残して背中を向ける。彼女の視線の先には、空中で揺らぎながら時折口を開く穴がある。それは、結界内部に繋がる通路。とは言え、それはあくまで入り口でしかない。

 

 内部には未だ大量の悪霊が蔓延り、下手に開放してしまえば彼らは辺り構わず巨大な被害を撒き散らすであろう。

 

 おキヌを連れ出せば、その瞬間目的を失った彼らは結界に攻撃し始めるだろう。一端破壊された結界は、強度を保ちつつも機能は十全とは言い難い。

 

 悪霊達を誤魔化す筈であった偽装機能が、充分に動いていないのである。図らずも、おキヌと餌とした形になってしまった事を、道士はひたすらに悔いていた。

 

「――頼む、無事で居てくれ・・・!」

 

 祈りは、虚しく暗がりに響くのみ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『次の角を左――と見せかけて右です』

 

「えっと、えいっ!」

 

 おキヌの可愛らしい声とは裏腹に、車は高音域の絶叫を上げながらカーブを曲がる。後部座席の忠夫は最早声も出せないようだ。

 

『・・・チッ。次は左のような気がします』

 

「こっち?!」

 

 道と言うよりも田んぼの畦道としかいいようの無い其処を、只の軽自動車が土ぼこりを撒き散らしながら走り抜ける。ライトも既に片方砕け、両側のサイドミラーも既に無い。忠夫もあちら此方に頭をぶつけてたんこぶだらけだ。とは言え気絶しているので文句の言いようも無いのだが。

 

『しぶとい・・・。右左左右右左右! 三番目が正解です』

 

「左ねっ!」

 

 畦道をバウンドしながら飛び出した車は、着地と同時にスピンしながら左に走り出す。どう考えてもカーナビがそんな指示を出す訳は無い。無いのだが、初めて実物を見た二人と、運転に集中しきっているおキヌ。

 

 三次元的にでも辺りの状況を捉えているかのような、車の動ける限界を完全に見極めているような、そんな運転で狭い道を突っ走る。既に罅の入った硝子のせいでまともに前は見えていない。只、耳と車の動き、僅かに垣間見える前方だけが頼りである。

 

 再び流れる音声を頼りに、右に左に車を操る。

 

 幾つもの曲がり角を超え、道なき道を踏破する。

 

――何時しか、彼女達は町の中心部に向かって誘導されていた。

 

『・・・お疲れ様でした』

 

 そして、それは唐突に終わりを告げる。

 

「え・・・?」

 

「・・・あだ、あだだだだ」

 

 エンジンが煙を上げ、車が止まる。ナビから聞こえる声が、掠れ始めていた。

 

 後部座席の忠夫が起き上がったのを感じながら、おキヌは視線を感じて右の窓を見る。

 

『此処で』

 

「・・・っ?!」

 

 窓の外には、幾つもの禍々しい光。それが、悪霊達の目が放つ物だと分かった瞬間、おキヌの喉には悲鳴が絡み付いていた。

 

『――ゲーム・オーバーッ!』

 

「おキヌちゃんっ!!」

 

 最早当初の目的さえ忘却し、僅かに残った知性で機械に潜り込んだ悪霊は、最後にその機械ごと如意棒に貫かれて消滅した。

 

『オ・・・ノレ・・・、ダガ・・・ニ・・・ガ・・・』

 

「逃げるよ!」

 

「ど、どうやってですか?!」

 

 突き刺した如意棒を跳ね上げ、屋根を纏めて吹き飛ばす。おキヌの体を固定していたシートベルトを力任せに引きちぎって再び左腕一本で抱え上げた。腰に回した手に伝わる、今にも折れそうなその感触。

 

 不安げに揺れる瞳が、周囲を囲む悪霊達を見ていた。

 

 気絶してしまった事を悔いながら、辺りを観察する忠夫。前後左右、上に至るまで完全に包囲されている。一体どれほどの数が集まっているのだろうか、視界は、ほぼ全て彼らに埋め尽くされ様としていた。

 

 車を囲んで直径20m程のいびつな円が形成されていた。彼らが襲い掛かってこないのは、互いに牽制しあっているせいであろう。所々で、互いに絡み合っては離れていく姿が見受けられる。

 

 しかし、円も段々と狭まってきている事も見て取れた。

 

 おそらく、後一押し。

 

 それだけで、雪崩れを打ったように彼らは殺到するだろう。

 

 それが分かってしまうだけに、忠夫は動けないでいる。

 

「よ、横島さん」

 

「大丈夫、何とかする。絶対」

 

 おキヌが、目を瞑って此方の首元に抱きついてきた。恐怖で彼女の体が震えているのが分かった。安心させるような言葉を何とか吐いたものの、どうにもこうにも難しい。

 

――二人とも、無事で切り抜けるのが。

 

「へ、へへへ。しょうがねーよなー」

 

「・・・横島さん?」

 

 ならば、この腕に抱いた暖かな少女だけは、守り通したいのならば。

 

「痛いのは――」

 

 多少の代償くらいは、何ぼのモンじゃ、と思う。

 

 

「大っ嫌いだけど! おキヌちゃんが怪我するのはもっと嫌いじゃぁぁっ!!」

 

 

 如意棒を振り上げ、振り下ろす。それは地面を強かに抉って土煙を巻き上げた。それに触発されて動き出す悪霊達。円が、潰れるようにして動いた。

 

 殺到する。彼らの妄執に従って。願いに従って。理性を、優しさを失った壊れた自我に従って。

 

 数は膨大、狂気は妄執と混じり合い、既に歪んだ願いと化し。

 

 歪んだが故に、それは純粋な、混沌。

 

 だが、そんな物に、そんな奴らに渡してやるほど。

 

 

「おキヌちゃんは、絶対に渡さねぇっ!! 優先権は俺に有り、じゃぁぁあっ!!」

 

 

 ――おキヌは、この腕の中の彼女は、軽くないっ!

 

 

 忠夫は全力で吼えながら、地面に突き刺した如意棒を伸ばす。咆哮に魔を退ける力が無い事は分かっている。だが、それでも己に吼えかける。

 

 抱きしめた少女を守りきれなければ、己の存在意義自体、無い。

 

それが、忠夫のあり方だと。

 

 おキヌを庇ったまま上空から落ちてきた悪霊の群に突っ込んだ。すれ違いざまに、何体かと接触する。ぞっとするような痛みと感触を覚えながら、それでも握った手から力を抜かずにひたすらイメージを注ぎ込む。

 

 何処までも、より早く、もっと早く。ひたすらに、伸びろと。

 

 悪霊の牙のような物が背中を掻いて落ちていく。爪が、体当たりが、強烈な悪意が吹き付ける。

 

 それは、ほんの数瞬の事であっただろうか。瞬きにして、一体何回分の事であっただろうか。

 

 忠夫を囲む圧力が消え、上を見上げれば、其処には既に何も無い。真っ暗な空があるだけだ。

 

 息つく暇も無く如意棒を縮める。一瞬にして手の中に収まったそれを、足元に蟠りながら駆け上る悪霊達から遠い所に向ける。

 

――伸ばして、適当な所に突き刺して、縮めて逃げるっ!!

 

 足元はびっしりと悪霊に満たされている。殆ど水平に如意棒を構えながら、一見何もなさげな場所に向かって伸びろと念じた。

 

 如意棒は、直ぐに答えて伸びていく。

 

 一瞬にして100Mほど伸び――

 

 

「・・・そりゃ、反則だ」

 

 

――「真っ黒な巨大な壁」を貫通して、遠くの地面に突き刺さった。

 

『オオオォォォオオォォオオオ・・・!』

 

「・・・っ!」

 

「あれ、何なんですか・・・?」

 

 穴を穿たれた壁から、震えるような大音声が響く。次の瞬間、その中心に、巨大な瞳が出現した。

 突き刺さった如意棒はそのままで、今はそれにぶら下がっている状態であるが、その内確実に棒ごと落下する事は目に見えていた。

 しかし、目の前に穿たれていた穴は既に塞がっている。

 

「やるしか無い、かな」

 

「ちょ、本気ですかっ?!」

 

「もっちろん! 本気も本気。真面目だぜっ!」

 

 ならば、自身の肉体を持って、もう一度、貫く。其処まで考えて、不安げにしがみ付く少女を抱えなおす。今度は、よりしっかりと、何事があっても守りきれるように。

 

「止めて、止めてくださいっ!」

 

「御免な、そりゃ怖いだろうけど、少しの我慢だから。大丈夫だって」

 

「そうじゃなくて・・・!」

 

 

 何事かを続けようとした彼女の声は、傾きを水平に近づけ始めた如意棒の動きで途切れさせられた。

 

 無言で両の手に力を篭め、背中と頭でおキヌを守る盾となる。

 

 

 ズキズキと痛む背中が、火傷をしたように熱いが今となっては関係無い。とりあえず、先ずは彼女を逃がす事。そして、何とかして神社に届けるか、美神に連絡を取る。

 

 

「あー、そっか。最初っからそーしてりゃ良かったんだよなぁ」

 

 

「横島さんっ! 横島さんってばっ?!」

 

 

「・・・嬉しかったんだよなー、俺。おキヌちゃんが元気そうで、楽しそうで。もうちょっと、見ていたいと、そう思ったんだ――」

 

 

 ――縮め。速く速く。目の前の壁を突き破る為に。

 

 

「もう一回、見ないとな」

 

 

「・・・え?」

 

 それは、一瞬の出来事だった。

 

 縮み始めた如意棒の先端に掴まった忠夫達が、巨大な悪霊の壁にぶつかる直前に、10tトラックほどの大きさの光の塊が、その壁を真横から殴りつけた。

 

 壁はそのまま横に吹っ飛び、勢い良く地面に叩きつけられる。

 

 それに僅かに引き摺られながら、斜めに流れる視界には、特に目立つ物は無い。

 

 如意棒が中ほどまで縮みきった頃、その先で再び光の塊が乱舞した。幾つも幾つも、今度は精々軽自動車ほどの大きさだが、それに直撃された悪霊達が、吹き散らされて行くのが良く見えた。

 

「わっ?!」

 

「きゃぁっ?!」

 

 其処まで認識した瞬間、忠夫とおキヌは既に収穫の終わった田んぼに着地していた。意識を逸らしたせいか、かなりの衝撃が伴った物の二人とも奇跡的に被害はない。

 

 

「――おお、久し振りよの、おキヌ」

 

「え――?」

 

 懐かしい口調が、聞きなれた声でおキヌの耳に届いた。その口調は、とても優しく心を揺さぶる記憶の影。その声は、優しく迎えてくれた人の声。

 

 振り向いたおキヌが目にしたのは。

 

「さ、早苗お姉ちゃん・・・!」

 

「・・・まぁ、そう見えると思うたわ」

 

「ま、まさか、もしかして・・・あの、女華姫さまっすか?!」

 

「そちらも久しいの、横島と言うたか?」

 

 忠夫の声に笑顔を返した、おキヌと瓜二つの容貌を持った早苗と呼ばれる巫女服の少女は、雄雄しくも細い腕を組んで、仁王立ちで其処に立っていた。

 

「め、女華姫さまって誰ですか?」

 

「・・・そうか、おキヌは・・・」

 

「あ、あの、早苗お姉ちゃんじゃないんですか?」

 

「・・・・・・」

 

 寂しげな笑みを浮かべた義理の姉。その表情は、いつも見ている姉のものでありながら、同時に酷くおキヌの胸を締め付ける。

 

「少々、体を借りておるだけ。そう心配する事も無いわえ」

 

「えっと、どー言う事っすか? 女華姫さま、成仏したんじゃ?」

 

 さり気無くおキヌの背後に回って、自分の背中を見せないようにしながら何でもないように忠夫が尋ねる。

 

「・・・いや、その予定であったが」

 

「ふんふん」

 

「神界の方から、正式に武神としての勧誘が来て、な」

 

 照れくさそうに話す女華姫。因みに見た目は巫女服を着た早苗だが、中身は筋骨隆々、威風堂々たる和風ターミネーターである。女性だ、一応。

 

 とは言え人妻である為、忠夫にとっては射程外。しかし見た目相応に恥ずかしげに頬を掻く動作は、そうでなければおそらく求婚していたであろう程には可愛らしい仕草である。

 

「・・・その、つい、な?」

 

「・・・つい、ですかい」

 

 どうやら、その手続き関係で神界の方に行っていたらしい。あれほどの実力を見せた、人から人の手によって神へと変わった女神、しかも300年程しか括られていない存在。

 

 しかし、その何処までも強き心。人の為に、友の幸せの為に尽くせる優しき心。そして、情報媒体を通じたとは言え一気に人の心を掴んだカリスマ。

 

 ともあれ、そう言った様々な表の要因と、これから先、反デタントとの争いが予測されている状況で、戦力として使えると言う裏の要因。

 

 それ以外にも様々な要因はあるが、取り合えず、正式に武神として神界に連なる事になったのだと言う。

 

 ところが、さっさと済ませて帰ってくるつもりが中々に手続きが終わらない。さすが神界、そう言った事には厳格である。しかし、これも先々を見通して、己の領地に住んでいる人々の為、何よりおキヌの為と我慢していた所に。

 

 一寸した事で極最近知り合った、ある神界の情報分析官から大変な話を聞いたのだ。

 

「おキヌちゃんが危ないのね~!」

 

 物凄く端的に言うとそう言う事だ。しかし、手続き中にこの場所を離れる訳には行かない。直ぐにでも駆けつけたい気持ちはあったものの、距離的なことを考えると間に合わない可能性も高い。

 

 そうして困っていた所に、某神様が、「良い手があるのね~!」と、教えてくれたのが、己の子孫たるこの少女。

 

 強力な、類稀なる霊媒の力を持った少女の存在である。

 

 善は急げとヒャクメを通して道士に伝え、其処から山の神に、山の神から早苗本人に事態を告げる。中々帰ってこないおキヌを案じていた早苗は、山の神の言葉にすぐさま頷き、「それ」を始めた。

 

 

 『神降ろし』。人が、己の肉体に神を降ろし、その力を行使する、ある意味究極の加護である。

 

 

 己の直系血縁である事。氷室神社の巫女である事。強力な霊媒能力を持つ事。何より、本人の願いが、女華姫の願いと一致した事。

 

 どれか一つ欠けても、実現は難しかったであろう。

 

 しかし、彼女はそれを成し遂げ。

 

 そして、「彼女達」は、今、此処に居る。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「とは言え、人の肉体では器として脆すぎるゆえに、余り長い事は顕現してはおられぬ」

 

「・・・じゃ、どーすんすか」

 

「・・・後、2時間。それだけ逃げ切れれば此方に勝ち目が出てくるわ」

 

 苦笑いする忠夫の前で、余裕綽々の女華姫が笑う。何せ一度は死津喪比女と戦った戦友同士、それなりに気心の知れたものもある。

 

「しゃーないっすねー。もう一頑張りっすか」

 

「ま、しっかりやる事よの」

 

 漸く背中の痛みが引いて来た忠夫が、俯くおキヌを庇うように前に出る。如意棒を一振り構えれば、目の前では早苗に降りた女華姫が、拳に光を灯らせて、顔に似合わない漢らしい笑みを浮かべている。

 

「っせいっ!」

 

「はぁっ!!」

 

 忠夫の伸ばした如意棒が、背後のビルごと接近しつつあった悪霊達を薙ぎ払う。其処から洩れて散開しながら、なおも迫る悪霊達。その顔面に、幾つ物光の塊が直撃する。それは良く見れば、拳の形を取っていたり。その一瞬で打ち出された光の拳の数。

 

――およそ、千。

 

「相変わらず無茶苦茶っすねー」

 

「全部終わったら筋肉痛よの、間違い無く」

 

 如意棒を元の長さに戻して、肩に担いだ忠夫の横で、女華姫は拳を突き出した体勢で固まっていた。

 

 同時に拳から、幾つも幾つも神通力の塊を打ち出す。莫大なエネルギーに支えられた、無茶と言えば無茶、そんな攻撃である。神として顕現していた間ならば、直接殴っても問題無いが、今降りているのは只の少女の体である。下手に殴れば骨が折れる。という訳で、慣れない飛び道具風味でやっているのであったりする。

 

 何故か一回打つごとに、実際に拳を引いて放ち、打っている。

 

「さて、鬼ごっこと行きましょーか」

 

「昔を思い出すのー」

 

 どこか楽しげに話す二人の背後で俯いたまま、一言も喋らないおキヌの瞳から――。

 

 

 一滴の涙が零れ落ちた。


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