月に吼える   作:maisen

61 / 129
第拾伍話。

「・・・で?」

 

「・・・吐き出せなくなっちゃった。てへ」

 

「こ・の・馬鹿娘ぇぇっ!!」

 

 すまなさそうに軽く頭を下げながら、反省の色無く舌を出したメフィストの前には、両手を握り締めながらお怒りの魔神アシュタロス。

 

 プルプルと震えるその握り拳が、やり場の無いエネルギーをバチバチと火花を立てて放出させる。

 

 だが。

 

 だがしかし。

 

「ごめんなさい・・・」

 

 その様子を見てシュンとした愛娘の姿を前にしては、そのエネルギーも雲散霧消せざるを得ない訳で。

 

 しかも、メフィストの目には涙が今にも零れんばかりに溢れている訳で。

 

「――よしっ! もう勝手な事をするんじゃないぞ!」

 

『はやっ?! アシュ様、良いんですかそれでっ?!』

 

「当たり前だろうが。可愛い娘が素直に謝っているのに許さん道理があるかぁっ!!」

 

 あっさり腕を組んでむやみやたらに胸を張ってふんぞり返りながら、一言で謝罪を受け入れたアシュタロス。

 

 直属の部下の土偶が、えらく慌てた様子で問い掛けるが、所詮は土偶。可愛げの欠片もないので意見は一蹴。確かに長い事掛かって集めたエネルギー結晶は惜しくもあるが、最近方向転換を考えてたりするのでモーマンタイ。

 

 そんな上司と部下の掛け合いを見ながら、涙を溜めていたメフィストは、一瞬にして笑顔になって、元気一杯賭けて行く。

 

「ありがと、お父様っ! それじゃ、高島殿連れてくるねー!」

 

「うむ。・・・あれ?」

 

『・・・あれでも女、ですかなぁ』

 

 余裕綽々頷き返したアシュタロスが、違和感を感じて首を捻るが分かる筈も無く。何処となく感心したような土偶の呟きが、固まるアシュタロスの傍らを通り過ぎていったような気がしただけである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 メフィストが駆け出していったその直後。アシュタロスに説明する為に目フィストが後にした部屋の真ん中で。高島の魂が放り込まれた台が「チーン!」とレンジっぽい音を立てる。

 

 ゆっくりと開く蓋の中から、白い霧が広がって、冷たい空気に触れながら溶けるように消えていく。蓋の向こう、台の上では何かがごそごそ動いている。

 

「・・・んがぁぁっ!!」

 

 ごそごそ動いていた影が、爆発的な勢いで体を起こし。

 

 半開きの蓋にぶつかって、かなり良い音を立ててもとの体勢に戻る。

 

 ・・・完全に動きを止めたようだ。

 

 倒れこんだ勢いで、未だ漂っていた白い煙が吹き飛んだ。

 

 煙が晴れた後には、ちょっと奇妙な男性の姿。額にでっかいたんこぶを作り、白目を剥いて気絶中。

 

「・・・んごー、すぴー。ううう・・・や、やめろぅ・・・ぶっとばすぞぅ?!」

 

 狼の耳と尻尾。体中を覆った獣毛。真っ白な毛で全身を彩ったその元人間、現在獣人の名を、高島と言う。

 

 

 そんな魔族の一味とは裏腹に、平安京は今日も平和・・・では、決して無い。激しい貧富の差と、妄執じみた強力な結界に隔てられた内と外。外からの魔の流入を防ぐ、という名目で創られたその結界は、今は中で生まれた悪霊、悪意を沈殿させ、薄れさせる事無くその濃度を増していく悪循環を繰り返させていた。

 

 結果、平安京はその名とは裏腹に、人の生きる魔都と化す。

 

 しかし、どんな所でも生きていけるのが人である。魔が居るのなら其れに対する力を求め、浄化と言う手段を取らず、濃縮した魔を討ち滅ぼす。

 

 簡潔に言うと、GSに取ってはまさに稼ぎ時が延々と続いている訳であって。

 

「えーっと、塀の裏に2体。木陰に1体、あと池の中に1体なのねー」

 

「了解っ! はぁっ!!」

 

 一体何処から調達したのやら。この時代の着物を来た美神は、何故か変わらない格好のヒャクメの目を利用しながら荒稼ぎをやっていた。

 

 塀を飛び越えてきた餓鬼を破魔札で消し飛ばし、木陰に隠れた悪霊を木の幹ごと神通棍で貫き散らす。池の中に居る奴には、浮かんでくる前に破魔札を投げつけて池ごとふっ飛ばせば問題無し。

 

「んー。とりあえずこの屋敷にはもう居ないのねー」

 

「それじゃ約束の報酬のほうを頂きますわ。毎度ありー♪」

 

 額に平手をかざして辺りを見回すヒャクメの横を通り過ぎ、縁側を登って屋敷の中へ。

 

「実に見事、流石は今評判の巫覡。術も天晴れなれど、その姿も美しい・・・!」

 

「あら、おだててもびた一文まけませんわよ? あとその手が触ったら5倍頂きますわ」

 

「う、噂通りだな」

 

 感動したように、屋敷の中で見守っていたやたらと長い帽子を被った、いかにも貴族な男が手を握ろうと迫ってきたが、美神の一言とつれない態度であっさり引いた。なにやら残念そうにぶちぶちと呟く男の台詞を聞き流しつつ、美神は屋根に向かって声をかける。

 

「どーおー? 検非違使は嗅ぎつけたみたいかしらー?」

 

「ういーっす! えーと、あと数分で到着しそうでーす!」

 

 屋根の上では忠夫が検非違使――要するに、勝手に霊能力を使って商売をする輩をとっ捕まえる役目の人々――警戒中。どうやら屋敷に向かって駆けて来る馬の足音を、きっちり聞き取っているようである。

 

 こちらもそれなりに時代に合わせた服を着ている。が、美神のものと比べると明らかに安っぽい。最も本人が全く気にしていないようなので良いんだろう。

 

「おっけー。それじゃ降りてきて足止めお願いねー」

 

「またっすかー? 俺最近あいつらに顔覚えられちゃってるみたいなんっすけどー」

 

「私に比べりゃマシでしょーが」

 

「それは、まぁそーですけどね」

 

 赤いバンダナを巻いているとは言え、黒髪に黒い目の完全に日本人な配色であり、更に貧相な服を着ているため人込みに紛れやすい忠夫に比べ、亜麻色の長髪、一見して高価な服、碧がかった瞳にとんでもない美貌。何処を取っても目立つ事この上なしな美神では、確かに比べた場合に軍配が上がる。

 

「ほら、ヒャクメ」

 

「神様使いが荒いのね~」

 

 溜め息一つつきながら、ヒャクメは報酬を受け取ってほくほく顔の美神の腕を掴んで宙に舞う。そのままドンドンと高度を上げていけば追跡どころか発見すらも難しいだろう。何せ、仮にも神様だ。それなりに己の身を隠す術の一つや二つ位は。

 

「早くっ! この前みたいに矢を射掛けられるのはご免よ!」

 

「ふぇ~ん、穏行の術をしっかり教えてもらっておけば良かったのね~」

 

 ・・・無かったらしい。

 

「居たぞ、あそこだっ!」

 

「おのれ、また空を飛んで逃げる気かぁっ!!」

 

 当然、そんな彼女達は物凄く目立つ訳で。高層建築など無い時代。塀や大きな屋敷はあれども空を飛ぶ物を見逃すほどに視線が塞がれる障害物は無いので、ちょっと上を見上げればあっさり怪しい影が見つかったりするのである。

 

「善良な一般市民」と言うか、霊能力を持つもの達を纏め上げ、平安京の表と裏にその根を這わせた陰陽寮の目――京中に存在する密告者――の通報で駆けつけた検非違使達は、頭上を通り過ぎた影に向かって馬を走らせながら、背中に背負った矢筒から一本引き抜き弓に番える。

 

 そして、ぎりぎりと引き絞られた弦が矢を射ち放つその瞬間。

 

「うおっ?!」

 

「なんだぁっ?!」

 

 轟音を立てて、四角い物が地面を抉った。

 

 目の前に突然ぼろぼろの塀が飛んでくる。縦横1m、厚さは10cm程の其れは、驚いて弦から手を離した彼らの前に突き刺さる。

 

 放たれた矢は塀を貫き切れずに頭を半分出した所で動きを止め、検非違使達の乗っていた馬も目の前に突然現れた壁に驚き竦み上がる。

 

「どうどうっ! ちっ、また奴かぁっ?!」

 

「く、このっ! 何処だ、『赤布鬼』っ!」

 

「・・・人狼だっつーの」

 

 塀を投げつけた忠夫は、そのまま低い姿勢で走り出す。一回姿を見られてから、なんとも妙なあだ名を付けられたものである。

 

 「赤い布を頭に巻いた剛力の鬼」を従えた「人に在らざる色の髪を持つ妖女」が、京の化け物達を蹴散らしながら、人の大事な物を奪っている。 

 

 そんな噂が、京にはじりじりと広がり始めていた。発端は、陰陽寮。

 

 理由はいたって簡単「俺らのシマでかってなことすんなやゴラァ」で、ある。

 

 巫覡と陰陽寮の関係は、民間と公的機関という位置付けから言えばオカルトGメンと民間GSの其れに近いかもしれない。だが、美神達の居た時代と決定的に違う事と言えば――陰陽寮の権力が、大きいと言う事か。

 

 その為、お膝元と言われるこの京で、陰陽寮に属さない凄腕の巫覡の存在は、とってもうざったい事となる。

 

 

 とは言え。

 

 

 だからどーしたとゆー人達もいる訳で。

 

 

「おーっほっほっほー! 商売繁盛ー!」

 

「お酒はお神酒として分けて欲しいのね~」

 

「こりゃ美味いっ! こりゃ美味いっ! 良い肉使ってやがんなぁっ!!」

 

 一仕事終えたら一休み。稼いだ反物、お酒に米俵といかにも高価な巻物、絵画にその他諸々にっこり報酬現金払い。

 

 やけに萎びた都の外れの地区、更にぼろぼろな掘っ立て小屋の中。そんな場所に似つかわしくなさ過ぎる宝物の数々が、美神の後ろで唸っていた。

 

 それを誇らしげに眺めながら高笑いする美神と、その隣で指をくわえてお酒を欲しがるヒャクメ。忠夫は報酬の一部として受け取った、新鮮な食料に舌鼓を打っている。

 

「むぐむぐ・・・むご? みふぁみふぁん、ふぁひゅへのふぇなかふぃ」

 

「口の中の物飲み込んでから喋らんかいっ!」

 

 今にもどんちゃん騒ぎに突入しそうな室内に、抉るようなボディの音が響く。

 

「もぐぉぉぉっ?!」

 

「ひーっ?! こっち来ないで欲しいのねぇぇっ?!」

 

「うわ・・・」

 

 一瞬にして阿鼻叫喚の地獄絵図。口を押さえて悶える忠夫の目の前から、必死で逃げ出すヒャクメ様。張本人の美神は既に2歩下がって退避済み。

 

「・・・むご」

 

「んきゃぁぁっ?!」

 

「わーっ?! 横島クン、私が悪かったから堪えてぇぇっ?!」

 

「・・・ええと、失礼させて頂いても「ぶ」・・・え?」

 

 ――自主規制――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ああもうっ?! 折角の戦利品がちょっと汚くなっちゃったじゃない!」

 

「美神さんのせーでしょうがぁぁっ?! 何で俺が綺麗にしなきゃならんのですかっ?!」

 

「・・・いや、こっちの方を無視しないで欲しいんだが」

 

 ごしごしごしごし。

 狭い室内に、ぼろぼろの布切れを纏った忠夫が美神のかき集めた報酬を、新しめの布で擦り上げる。とりあえず芸術品の中でも被害の酷かった物は諦めて、あんまり影響を受けなかった物は綺麗になった。流石に食料品は例え綺麗になっても食べる気にならないので小屋から少し離れたところに放置してある。

 

 何とかかんとか一息ついて。

 

 漸く、こんな辺鄙な所まで訪ねてきた変人を見る余裕が出来た。

 

「えーと、西郷さん・・・で良いのかしら?」

 

「ああ。それにしても、そんなに似ているのかい? その、西条という人物と」

 

 腰の後ろまで届こうかと言う髪。凛々しく引き締まった面立ちに、見た目は普通だがかなり高級な布地が使ってある陰陽師の服。

 

 美神達の時代の、西条輝彦にそっくりの男性が、鼻を摘んで座っている。どうやら、先程の災害はギリギリで避けおおせたようである。

 

「ええ。居る訳無いのに本人かと思ったわよ」

 

「・・・ふぅん」

 

 そっけなく言い放つ美神を観察しつつ、他の二人にもさりげなく視線をやる。一見して怪しい3人組だが、どうやら――。

 

「人間の女性と、神・・・それに妖怪かな?」

 

「半分正解だなー」

 

「あたらずとも遠からず、なのね~」

 

 その声に答えたのは、扉を潜って戻って来た後、再びお神酒と称してお酒を飲み始めたヒャクメである。かなりの量を飲んでいる筈なのに、顔色一つ変えていない。

 

 お神酒が嫌いな神様はいないという所か。

 

「・・・で、西郷さんって言ったわね」

 

「陰陽寮の人だろ、あんた。何の用?」

 

 す、と忠夫が美神の横に並び立つ。何時でも飛び出せる体勢をとりつつ、何処と無く警戒している様子が無いのは、彼が西条の前世かもしれないという考えから。ここまでそっくりな人物が、しかも霊能力者として存在する者が、全くの無関係とも思えない。

 

 こう言う時に頼りになる筈の神様は、徳利を空けながら静かにこちらを見やるばかりである。

 

「・・・本当に高島とそっくりだよ。君も、な」

 

「俺は、横島だっつーの」

 

 そして、彼が自分を見る視線に篭められた寂しさにも、その原因は在ったのかもしれない。

 

「単刀直入に言おう。君たちに――最近京で噂の『赤布の鬼』と、『人外の妖女』と言われる君たちに依頼したい事がある」

 

「・・・へぇ?」

 

 胡座を組んでいた足を組みなおし、正座に構えた西郷の口から出た言葉は、こんな所まで態々出張っての依頼であった。

 

「私たちを厄介者扱いしてる陰陽寮のお役人さんが、依頼?」

 

「ま、普通に考えたら怪しすぎっすよねー」

 

「・・・だろうと思ったよ。だが、これは私個人の依頼なのでね。陰陽寮とは関係無い」

 

 懐をごそごそとし出す西郷に、僅かに忠夫が腰を浮かしかけるが。美神は視線で其れを止める。西郷が取り出したものは、小さな箱であった。受け取った美神は、特に警戒する事も無くそれを開ける。

 

「へぇ! 結構な大きさじゃない」

 

「精霊石・・・っすか?」

 

「ああ。ちょっとした伝手があってな。何でも西方よりの流れ物らしいが、とてつもなく強力な力を秘めた霊石だと聞く。未だ陰陽寮でも殆ど知るもの無い筈だが、何故・・・いや、まぁ良い。とりあえず、これが報酬の前払いだ。依頼成功の暁にはもう一つ」

 

 精霊石は、確かにこの時代においてはとてつもない価値を持つだろう。美神達の時代に於いても、其れこそ精霊石の鉱脈があれば小さな国の国家予算を十二分に賄って尚余りあるだけの利益を齎してくれる程。質と量によっては下手なオイルダラーなんぞ目じゃないくらいの、巨額の資金源となる。

 

 また、GS達にとっての切り札であり、その用途も幅広い。そして、高い。アホみたいに高い。

 

「依頼内容の確認が先よ。貴方、かなりの水準の陰陽師よね? それなのに、個人として私みたいな民間に協力を依頼しにこんな所まで来る。しかも、同僚にも告げていない。・・・よっぽど危ない橋、なんでしょ?」

 

 それに、『あの』西条さんの前世が、此処まで高価な報酬を払うんだから、それなり以上に危険な筈。

 

 最も、西条の前世とは確定していないのだが。

 

 ともかく。美神は何故かそう感じていた。目の前の男性が、自分が兄と慕った人の前世である事を。ならば、少なくとも交渉はこちらが有利。何せ、来世とは言え付き合いは長いのだから、考えている事の端々くらいは読み取れる。

 

「・・・相手は、菅原道真の怨霊。理由は――敵討ち、だよ」

 

 身構えていた美神は、遣る瀬無さげな、疲れと僅かな濁りの混じった西郷の笑みに、少し所では無く驚かされていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 京を追われた菅原道真公が、怨霊となって京を呪っている。

 

 そんな噂が流れ出して暫しした頃、陰陽寮はその怨霊に襲われた。

 

 まさか、と。

 

 幾ら怨霊とは言え、あの知性に溢れた道真公が、たった一人で陰陽寮を打ち伏せる事ができると思っているのか。

 

 陰陽寮に詰めていた西郷が目にした物は、そんな考えを霧消させる程に禍々しい、瘴気を纏った道真公であった。

 

 詰めていた理由なんて大した物ではない。いや、大した物なのだが。

 

 同僚が、高島が、なんと藤原の娘に夜這いをかけようとしたと言うなんとも情けない理由であった。前回、こっぴどく振られてから多少は落ち着いたかに見えたが、ぜんっぜん反省していなかったようである。

 

 ともあれ、直々に同僚を確保して、処刑だ何だと脅しをかけ、同時に裏で高官達にせめて島流しくらいで納めてもらえるように根回しをしていた為のお泊りである。

 

 それでも、同僚は性格にやや所でなく難があり、そのくせして異様なまでに腕が良い。術の腕もさることながら、その策謀というか引っかけと言うか。ともかく、セコイだの卑怯だの言われようとも、何が何でも、どんな絶望的な状況からでも、悪ガキのように笑いながらひっくり返す鬼札。

 

 そして、認めたくは無いが、頼りになる同僚であり――個人的に親友と言える位には、仲は良かった、と思う。

 

 ぶつかり合い、あるいは噛み付き合い、それでも、信頼していたし、友情と言うものは感じていた。

 

 夜半も過ぎた頃であっただろうが。突然鳴り響いた爆音と、誰かの断末魔の悲鳴。

 

 高島を閉じ込めた牢から離れ、慌てて駆けつけた西郷の目に写ったのは、陰陽寮の、凄腕の陰陽師達が次々と打ちのめされていく、悪夢のような光景であった。

 

 道真公は、狂ったように辺り構わず打ち壊し、叩き潰し、すり潰している。時折、狂気の篭った哄笑を上げている彼に、かっての面影は欠片も無い。

 必死で応戦するも、全く敵わず次々とやられていく仲間達。

 

 西郷も持てる力を振り絞るが、正直、死さえ覚悟したと言う。

 

 そんな時、あの馬鹿は現れた。

 

 何処から連れてきたのやら、かなり露出度の高い、奇妙な服を着た女性――いや、人では無かったのかもしれないが、朦朧としていた意識は、確認する暇さえ与えてくれ無かった。

 

 馬鹿は、高島は、いきなり道真公の背後に現れたと思ったら、両手に持った符を――やはり、何処かに隠し持っていたようだ。見張りに付いていたのが自分でなかったら、逃げ出しただろう、あの馬鹿は――目の前の背中に叩きつけ、驚いた道真公が振り向いたその瞬間。

 

 女の手を引いて、全力で逃げ出した。

 

 勿論、ありとあらゆる悪口雑言を投げつけながら。舌は出すわ、半尻出して挑発するわと中々に頭の痛くなる光景であったと。

 

 

 

 

 しかし、結局彼らは戻らなかった。

 

 

 

 

 朝日が昇り、西郷が意識を取り戻した時には、辺りは呻き声と、かってはかなりの大きさであった陰陽寮の跡のみ。

 

 駆けつけてきた者達の治療を受けていた西郷に届けられた報告は、京の大路を駆け抜けていった男女二人と道真公が、京の外れで戦い――最後に、男が女を庇って倒れ、道真公は日が差すと共に逃げた、と言う物だった。

 

 暫しの後、届いた報告には、高島の遺体が見つかった、と。

 

 ――およそ、5日前の事である。

 

 西郷の胸に去来した感情は何だったのか。虚しさか、恨みか、それとも、純粋な悲しみだったであろうか。

 

 次の日から、傷も癒えぬ内に西郷は動き出した。

 

 陰陽寮は当てに出来ない。不意を突かれたと言えど、怨霊の牙は確かに彼らを深く傷つけた。しかし、己一人では勝てないと言う事も、その身をもって確認している。

 

 質より量を、とも思ったが、生半な力では只さらされる骸の数が増えるのみであろう。

 

 陰陽寮に詰めていた陰陽師は、ピンからキリまであれどもそれなりに腕のある者達。それで勝てないと言うのなら、それこそ、一騎当千の力を持つものを。

 

 そんな西郷の耳に入ったのが、京で最近噂の、凄腕の巫覡の事。陰陽寮でさえ手を焼いていた悪霊、餓鬼、その他諸々の悪しき者達を打ち払う、剛の者達の噂。

 

 陰陽寮のほうには、今回の事を収める代わりにしばらくお目こぼしを、と言う事で話をつけた。

 

 後は、本人達を見つけるだけ、という所で、神の思し召しかはたまた運命の悪戯か。空を行く怪しい影を見つけ、追跡に式紙を飛ばして背中に貼り付けて。 

 

 アジトへと戻った所で、こうして交渉に来たのだと。

 

「うそっ?! 何時の間にっ?!」

 

「あんたほんとーに神様かっ?!」

 

「そんな目で見ないで欲しいのね~! 灯台下暗しって言うのね~!!」

 

 西郷は、明日の朝、答えを聞きに来ると言って出て行った。

 

「・・・・・・・・・」

 

「やはは・・・俺らしいって言うかなんちゅーか」

 

「・・・・・・・・・」

 

「えと、美神さん?」

 

 小屋の中には、重い空気が漂っていた。西郷が見せた、決意に満ちた表情のせいもある。だが、最も大きな原因は、口を閉じたまま動かない、美神。

 彼女は顔を伏せたまま、ただ、沈黙している。

 

「う、受けるんすよね? 報酬も良いし、何たってこっちには「ねぇ、横島クン」・・・はい?」

 

 そんな空気の中で、必死に一人話していた忠夫に掛けられた声は、とても沈痛な物であった。

 顔を上げた美神の目には、普段は見せない心細げな色がある。

 

「な、なんっすか?」

 

「・・・あんたは、馬鹿よ」

 

「・・・」

 

 唐突に発せられた言葉にも、何故か何時ものような覇気が無い。囁かれた言葉は確かに悪口なのに、忠夫の耳には、泣き出しそうにさえ聞こえた。

 

「・・・馬鹿で、元気で、あけすけで。ちょっと使えそうだから雇ったのに、霊力は使えないとか言うし、美人と見れば見境無く嫁に来ないかって言うし」

 

「あうう」

 

「でも、でもね」

 

 美神は、戸惑ったように。あるいは、何かを見つけたように、只、言葉を続けていく。

 

「・・・死んじゃったら、その、あの、ええと・・・私は、多分、困る、わ」

 

 其処まで言って、美神は顔を真っ赤にして俯いた。

 

「「・・・・・・・・・」」

 

 二人の間に、とっても微妙な沈黙がわだかまる。美神は真っ赤な顔のままで動かないし、忠夫は忠夫で言われた事が予想外すぎて固まったままである。

 

「・・・う、あの、えっと。美神さん?」

 

「なななな何よっ?!」

 

「偽者?」

 

 真っ赤な美神の飛び膝蹴りは、およそ3倍だったとか何とか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「顎がっ?!顎がぁぁっ?!」

 

「ふ、ふんっ! 全く、へへへ変に気を使う必要なんて無かったじゃないのよっ!!」

 

 顎を押さえて悶え苦しむ忠夫を余所に、美神は憤然としながら窓の傍に立つ。

 

 星は明るい。都会のように空気が汚れておらず、また光も少ないこの時代。月も星も、夜空を我が物顔で照らし出していた。

 

「――やってやろうじゃないっ! 道真だろうが神様だろうが悪魔だろうがっ! きっちりしばいて、報酬がっぽり頂いてやるわ! おーっほっほっほっ!!」

 

「顎がぁぁっ?!」

 

「・・・結局、何時も通りなのね~」

 

 窓の縁に身を乗せて、夜空に向かって高笑いする美神の横で。ちょっと気を利かせて外に出ていたヒャクメが、お酒をあおりながらそう呟く。

 

 笑いを堪えながら、美神に見つからないように背中を丸めて窓から離れ、反対側まで歩いていく。

 

 見つかったら、多分酷い事になる。だって、彼女の耳は、未だ赤さを失っていないのだから――。

 

「心配ご無用! 頑丈さとしぶとさだけは自信ありっすよっ!」

 

「ま、期待しないで――ってのは、無し。いいわね? しっかり頑張りなさい!」

 

「・・・くすくす」


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。