月に吼える   作:maisen

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第五話。

 

 そこは本当に古い木造アパートだった。

 

 築十数年程度ではなく、しかし長く使い込まれた建物であるが故にか、独特の奇妙な丈夫さを感じさせる佇まいであった。

 

 太い柱に、木造ながらも隙間風の吹きこむことが無いしっかりした壁。住居に使われる木材の質が良く、また、それを建てた大工の腕が良かったせいもあろう。

 

 とは言え、もはや建てられて何年経ったか不明な程度には古い建物であったが、管理人もそれに相応しい程古い…いやいや、枯れた…と言うか、年経た老婆であった。

 

 とりあえず一軒目に訪れた不動産屋で、馬鹿正直に「戸籍が無い」と伝えると、何故か従業員は溜息混じりにまたか、と言った雰囲気を漂わせながら、取り出した地図に小さく丸をつけ、忠夫に向かって放り投げた。

 

 それを受け取り、背中に「まだ若いんだから、さっさとお日様の下を歩けるようになれ」と有難いんだが何なんだかなお言葉を頂き、目的地へと移動。

 

 そこにあったのが見た目に古いアパートで、その目の前の道路を掃除していたのが本当に古い人物だった。

 

 紹介されてきた事を伝えると、老婆は一月当たりの家賃の額だけを伝え、忠夫に空き部屋の物らしい番号札が着いた鍵を渡して掃除に戻った。その背中がありとあらゆる関係を拒否しているようにも思え、何となく出かけた言葉が引っ込み、結局黙って鞄を背負い直して番号に書かれた扉の前に行き、ドアノブを捻る。

 

 で、行ってみれば意外に掃除の行きとどいた、独り暮らしには十分な広さの部屋があった。

 

 幾らか首を捻る所があったものの、家賃は安いし中は快適そうだしでまぁいいかとそこに決め、とりあえずの言われたままの額の家賃を同じ場所を掃除中だった老婆に渡し、それでも無言のままの老婆の背中にこれからよろしくお願いします、と頭を下げた。

 

これが、彼が外の世界に足を付けた、その第一歩であったのだろう、と彼は後々になって思ったりもしたのだった。

 

 で、そんな彼が今何をしているのかと言うと、予てからの予定通り、無事東京に着いた事とかを叔母に連絡しているのである。

 

「そういう訳でさ、GS助手って形で雇ってもらうことになったよ」

 

「ああ。…だいじょーぶだって!」

 

「――え、なに?戸籍?作っといたって…んな、どうやってや?!」

 

「――あー、母上の実家の方から、ねぇ。まぁ、あんまり頼りたくはないんだけど」

 

「――へ? 学校?! 行けって…んな無茶な?!」

 

 瞬間、受話器の向こうから怒声と、スピーカー越しの筈なのにはっきりと見える叔母の逆らう気さえ起らないような鋭い眼光を感じ取った忠夫の尻尾が、ひゅんと音を立てて股の間に巻き込まれた気がした。実際にはズボンの中なので気持ちだけだけれども。

 

「マム・イエス・マム! すんまっせんした! だからお仕置きだけは勘弁してください」

 

 電話ボックスから身体半分をはみ出させながら受話器に向かって土下座をする少年の姿は、通りがかりの人達からは非常に奇妙なものとして映っり、何となく視線が集まったのだった。

 

「うん、ありがと。またね、百合子さん」

 

 何事も無かったかのようにがちゃん、と音を立てて受話器を戻す。そして電話ボックスから一歩踏み出した、その瞬間、彼の目の前に、自転車に乗った爽やかな笑顔のあんちゃんがブレーキ音とともに現れた。

 

「犬飼さんですね? お届け物です!」

 

「…え、あ、はい。どうも」

 

「では、またのご利用をお待ちしていまぁぁぁぁぁ…」

 

 そして忠夫に封筒を渡した彼は、ドップラー効果を伴いながら、都会の雑踏へと消えていった。

 

 封筒を開けてみれば、中には戸籍謄本やら学生証やらの書類が沢山と、手紙が一枚。

 

 『アパートの方に教科書とか制服は届けておくのできちんとサボらず行くように!』との事。

 叔母の手回しの良さに驚くべきか、短すぎる時間で伝えても居ない筈の場所へ届け物を配達した自転車バイク便のあんちゃんが凄いのか。

思わず周囲を見回せど、特に何かある訳でもなくせかせかと歩く老若男女が目に入るだけ。

 

「…都会って忙しないとは聞いてたけど、ほんまやったんやなー」

 

 と、深々と何度も頷きながら、少年は改めて封筒の中から一枚目を取り出した。

 

「えーと、養子って事で登録してあんのか。…よこしま、『横島 忠夫』、か。なんかしっくりくる…のかな?」

 

 

 

 

 

 家の玄関が閉まる音を聞いて、英字新聞を読んでいた男性は顔を上げた。

 

 リビングのドアを開いて肩をたたきながら戻ってきた彼の妻は、小さく溜息をついてソファーに腰掛ける。

 

「おー、どうだった?」

 

「無事に届いたみたいよ。あそこは仕事が早いわねぇ」

 

仕事が早いというか、時間を超えているレベルである気がするのだが、一流は一流を知る。超一流ともなれば、という事なのだろうか。

 

 ともあれ、夫はその言葉に苦笑い込みで首を振ると、そっちじゃないよ、と目で伝えて来た。

 

 ああ、と先程までの電話相手の事に思い当たり、妻は額を押さえて眉をひそめる。

 

「…うーん。大丈夫だとは思うけどねぇ。姉さんの子供だし」

 

「あー。確かになぁ。あの人の息子だもんなぁ。何処に行っても死にゃあしないとは思うが」

 

「相変わらずうちの実家苦手みたいだし」

 

 当時の事を思い出すと、未だに頭を抱えたくなる。

 

「まぁ、長女が連れてきたお相手が、なぁ?」

 

「人狼ってーのは良いのよ。うちの家系なんて人外なんか――アレだし。人狼は情が深っていうし。なにより、姉さんすごく幸せそうだったし」

 

 別にかの人狼が気に入らなかった訳では無かったし、まぁ本人が決めた事だから、と結婚それ自体には反対する者は居なかった。

 だが、ある一点だけ、それが為に、彼らの息子にまで妙な視線が集まってしまい、まだ小さな子供だった彼には随分と不審を抱かせてしまったようである。

 

 しつこいようだが、繰り返すと、人狼である事は特に問題にならなかった。では、どうしてそんな事になったのかと言うと。

 

「そこまでは良かったんだがなぁ。何せ」「なんていうか」

「「名前が『ポチ』だもんねぇ(なぁ)」」

 

 そのせいで忠夫は「タロ」とか「チビ」のような、(当時の大人な日本人の感性として)変な名前なんじゃないか、ととばっちりと勘違いで妙な視線を受け、やや苦手意識を持ってしまったのであった。

 

 

 

 

 

かくして、これらが東京に着いた後、美神達と別れ、まず犬飼――いや、ここからは彼の偽名、「横島忠夫」と呼ぶことにしよう――横島忠夫が一番初めにやった事であった。

 幸い住居の方は里から持ち出した資金でも問題無く見つける事ができたし、叔母とのコンタクトもうまく行った。

 …と言うのは彼の感想であって、突っ込みどころも多々ある気がしないでもない。

 ともあれ、足場を固めることに成功した彼の次の課題は。

 

「さて、GS美神除霊事務所、か…。初出勤と行きますか!」

 

 

 ――とりあえず、GSのお仕事を無事に生き残ることだろう。

 

 

そして、彼はGS美神除霊事務所の看板が掲げられたとあるビルのドアを開けた。

 

「ちわーっす!!」

 

「あ、犬飼さん」

 

 意気揚揚と出勤してきた横島を出迎えてくれたのは、幽霊ながら箒で部屋の掃除をしているおキヌ。しゅらしゅらしゅしゅしゅ、と必要最低限の動きで塵が舞う事も無く掃き集められていく様は、見事なまでに手慣れた感がある。

 伊達に何百年も幽霊をやっているわけでなく、こういった仕事も得意分野であろう。

 

「あ、おキヌちゃん。…うーむ、家事得意なんだね!」

 

「え、えへへへー」

 

 頬を染めながら照れる美少女に、おもわず「是非俺の嫁さんにー!」と言い出しそうになったが、ぐっと堪えた。今は優先事項が他にあるのだ。

 

「嫁に来なゴホンゴホン!! あー、そうだ。俺、色々あって戸籍ができたんで、そっちを名乗ることにしたんだ。横島、横島忠夫っての。改めてよろしく!」

 

「あ、はい、よろしくお願いします。えっと、横島さん?」

 

「よろしく、おキヌちゃん。そうだ、美神さんは?」

 

「美神さんなら、今書斎にいらっしゃると思いますよ?」

 

 堪えたつもりでちょっと頭を出しかけたが、誤魔化せたようなので良しとする。先ずは、雇い主と、色々と話さなければならないことがあるのだ。特にお給料とか。

 

 

「へぇ…横島、ねぇ」

 

「はい。おば…百合子さんが色々と、手配してくれて。一晩で」

 

「何者よ、その百合子さんって?」

 

「…さぁ」

 

 ジト目で横島を睨む美神と、何故か止まらない汗を流しながら見返す横島。

 

「…まぁいいわ。ところで、あんたの給料だけど、ちょうどいいわね。今から除霊に行くから、そこでの働きを見て決めさせてもらうわ」

 

「はい?」

 

 美神はニヤリと不敵な笑みを浮かべ、先程まで見ていた書類をデスクの上に置いた。その表情を見ながら、汗は引いたが、今度は背中に悪寒が走るのを横島は感じたのだった。

 

 

 

 

 

 

「で、今日の仕事はここ!ギャラは5千万。たいした金額じゃないから手早く済ませましょ」

 

「うわー、おっきなビルですねー」

 

「そうだなー」

 

 背中に巨大なリュック、両手にはスーツケースのようなものを持ちながら、全く疲れた様子を見せない横島と、その隣でビルを見上げて声を上げるおキヌ。

 

なんとも緊張感のない一行である。

 

「しっかし5千万でたいした金額じゃないって、GSって儲かる職業なんやなー」

 

「すっごいんですよねー? 5千万って」

 

「言ってみたけどよう分らんなー。なんせ金に殆ど縁がないところで過ごしとったから」

 

 なにせ住んでいた場所が外界とは隔絶された人狼の里である。お金が必要になることもなかったし、使ったのも今回のアパート確保がほぼ初めての横島である。金銭感覚など無いに等しい。

「むぅ…なんにせよ、この仕事の頑張り次第で給料が決まるからな! 頑張ろうおキヌちゃん!」

 

「私はお給料決まってますけど、初めてのお仕事ですから、頑張ります!」

 

 初仕事と気合を入れる2人を余所に、依頼人と交渉していた美神は上機嫌で戻ってきた。

 

「ラッキー、報酬さらに5千万上乗せですって!勤労意欲が湧いてくるわねー。さあ、行くわよ、あんた達!」

 

「ういっす!」

 

「はい!」

 

GS美神除霊事務所、出動である。

 

とりあえずビル内に入った美神達は、ロビーを通り抜け、非常階段へと向かう。

「あれ?エレベーターっての使わないんですか?」

 

「上で悪霊が暴れてるのよ? あんな閉鎖空間に入ってゆっくり上がっていくの? 死にたいなら止めないわよ。それに今回は荷物持ちもいるんだし階段使うにきまってるでしょ」

「俺がいなかったらどうしたんですか?」

 そのまま非常階段を32階までひたすら登りつづける。浮いているおキヌや、手ぶらである意味体力勝負な面もある荒仕事に慣れた美神はともかく、どう見ても大人一人より重そうな荷物を持ったまま、汗もかいていない横島は、さすが人狼、といったところか。

「さーて。少なめの装備で階段使うか、それとも最大限の装備で危険を冒してエレベーターを使うか。屋上からヘリボーンもありかしら? まぁ今みたいに大荷物もって階段上がってたら、除霊に入る前に疲れるし、高価な道具も多いから動きは鈍くなるし、まかり間違って大荷物ごと駄目になったら大赤字ね」

 

 何より様々な種類の霊具を使い分けて除霊にあたる美神のようなタイプにとって、装備量とはイコールで柔軟な対応力であり、火力であり、当然ながらその物が貴重な財産でもあるのだ。

 それを危険な霊が暴れ回っている場所の近くに置いておくのは危険であるし、結界を貼るにしても面倒くさいし上等な物は比例してお金もかかる。

 

 よって、機動力もあり、大量の荷物が搭載可能で、いざという時には戦力にもなるであろう忠夫は、この上なく便利な存在なのだ。

 

「へえー、すごいです美神さん!」

 

「だ・か・ら、横島くんっていう荷物持ち“も“できる助手ってのは、けっこう重要なのよ?」

 

「まぁ、これくらいならまだまだ平気ですけど、「も」って言うのはなんですか?」

 

「へっ? そりゃ…あ、着いたわよ。32階社長室。ここね、準備はいい?!」

「はい!」

 

「ういっす!」

 

「横島君、神通棍を!」

 

「えーっと…」

 

荷物を降ろし、背中のバッグから言われた道具を取り出す横島。出発前に使いそうな霊具と装備は一通り説明を受けているし、なにせテレビに彼らを題材にしたドラマが流れる事もある程度には世間に認知されているのがGSという職業である。

彼が持っているのは齧った程度の知識であるが、とりあえず簡単な説明と名前を覚える一助にはなったのだった。

 

「これですね!」

 

「よし、各自心の準備は良いわね?」

 

 作戦としては単純に、美神が前に立ちおキヌと忠夫は今回はサポートという名の見学である。

 美神としては背後にだけは回さないように注意しながら立ち周り、必要な道具があれば投げ渡してもらう、程度で今回は済ませるつもりだった。

 

 人狼と言っても、幽霊と言ってもGSの仕事の経験がある訳もなし。

 雰囲気を感じ取って慣れてもらうのも今回の手頃そうな依頼の目的だった。

 

 先発のGSがやられた、と言う追加情報が無ければの話ではあったが。

 

 ……しかもそれを理由に何時ものようにゴネて、倍額まで持って行った辺りで二人の素人だった事を思い出して今更断れる雰囲気じゃない事に気付いた辺りでちょっと血の気が引いたものの。

 

「3…2…1…GO!」

 

――ともかく、こうして、3人組での初除霊が幕を開けたのである。

 

 

 

 

 

 勢い良く部屋の中に突入はしたが、悪霊の姿は無く、辺りに広がるのは瓦礫とガラスの破片、高級そうなソファーやテーブルなどの内装の無残な姿ばかり。少なくとも、かなりの破壊力を持った悪霊であることは間違いないだろうが、なにせ情報が少なすぎる。

 (せめて先発のGSが生き残ってくれていれば、少しは情報が望めたものを!)

 と、胸の中で毒づく美神であった。

 もちろん後ろの2人にはそのことを伝えてはいない。ただ、大変危険な悪霊であるとしか。

この程度でビビってもらっては、せっかくの助手(しかも結構使えそう)がいなくなってしまうではないか!

というのは建前で、その本音は、いまだその胸の中。

 しかしほんの少しだけ、心に油断があったのだろう。これでも日本でトップレベルのGS。そんじょの悪霊に負けはしない。

 

 しかもたかだか5千万――上乗せで一億にはなったが――の仕事である。そんなに心配することもないだろう、という。

 

 

 そんな美神を余所に、先制したのは悪霊であった。

 

「うわっ!」

 

「――っ! しまった! 荷物!」

 

 美神が横島に指示を出し、もしもの時に身を軽くする為に、と部屋の入り口に置いてきたバッグ。見事に裏目となって、悪霊に崩された天井によってその道具への道はあっさりと閉ざされてしまったのである。

 

「ウケッ…ゥケケケケケッ!」

 

「人格が崩壊しているタイプか…一番厄介な手合いね…」

 

 突然虚空に現れた、うつろな眼窩を持った髑髏を中心にナニカが集まったかと思うと、数瞬後には今回の除霊対象である悪霊が出現していた。

 

「交渉は・・・無駄のようね。なら、このGS美神令子が、極楽へ」

 

澄んだ音を立てて伸びる神通棍。

 

「いかせてあげるわっ!」

 

 だが、鈍い音と共に打ち負けたのは、

 

「ケーーーーーーっ!!」

 

「うそっ!強い―」

 

「美神さんっ!」

 

 美神の振り下ろした神通棍であった。

 

「くっ! 破魔札っ…!」

 

 美神が片手で取り出した御札が閃光放つと共に、互いの間に衝撃が炸裂し、跳ね飛ばされる勢いのまま美神が離脱、距離をとる。そしての勢いで手近な壁の裏に転がり込んだ。

 

「いたたたた…、やっばいわねー。神通棍じゃ歯が立たないわ」

「…えーと、まずいっすか?」

「下手するとあんたと私が死んじゃうくらいには、ね」

「え"」

「一億じゃ安すぎるわねー」

 

 頭を押さえて舌打ちする美神の横で硬直した横島、そんな彼におキヌのフォローの言葉がかけられた。

 

「大丈夫! 死んでも生きられます! ちょっと死ぬほど苦しいけど」

 

 本人的にはフォローしているつもりである。悪気は無いのだ。

 

「まだ死にたかないわいっ!」

 

「…しょーがないわねー。横島君!」

 

「は、はいっ!」

 

「あんた囮やんなさい」

 

「…はっ?」

 

 突如、脈絡もなく美神の口から紡がれたその言葉に固まる横島。

 

「えーと、美神さん?」

 

「なによ!早くしなさいってーの!あんた人狼の血引いてんだから、それぐらいわけないでしょう?!」

 

「ええと、2人の間にナニカ誤解があるようですが…」

 

「誤解も何もあるかーっ! 男ならとっとと行けー!!」

 

 怒声とともに悪霊の目の前に蹴りだされる横島。当然ながら反応する悪霊。

 

「ちょっとまてー!!」

 

「おキヌちゃん! すこし派手なのやるから離れてて!」

 

「は、はい!」

 

 横島を蹴り出し、おキヌに一声かけた後、美神は深い集中に入る。それと共に額の前に垂直に構えられた神通棍には、大きな霊力が溜められていった。

 一方その頃横島は―――

「ぎゃー!! こっちくんなーっ! 死んでまうー!!」

 

「けーッケッケッケ!」

 

「うひーっ!!」

 

 父とその親友に真剣で毎日のごとく斬りかかられる事により極限まで鍛えられた回避能力と

 

「ケーーーーーーーーーーッ!」

 

 半人狼としての瞬発力でひたすら悪霊の攻撃から逃げ回りつつ、見事な囮っぷりを見せていた。どこまでも締まらない避けっぷりだったが。

 

(…ま、人格が壊れてるってだけあって、動きが単調で助かった)

 

 ひょいひょいと悪霊から逃げ回りながら、その背後に回り込み視界から外れる。そして悪霊が高まる美神の霊力に反応し、向かおうとした瞬間にその眼前に踊り出て、単純であるがゆえに目の前の事に気を取られてしまうのを利用して撹乱する。

 

 そして彼に完全に気を取られた所で再び視界から外れて、の繰り返し。

 

 知性がない為フェイントなんて使わないし、攻撃パターンも大ぶりで単純なものだ。しかし、それを補って余りある、単純な強さと速さ。それがあったればこそのGS第一陣全滅であったし、トップレベルのGSである美神に厄介と言わせた理由である。

 

 それを短時間であっても、ある程度余裕を持って避け続ける横島――いや、犬飼 忠夫と呼ぶのがふさわしいか。

 

伊達に人狼の里1、2を争う剣士の訓練につき合わせられた訳ではない。

 

 

「犬塚のおっちゃんの居合に比べればなぁっ!」

 

 

 悪霊が伸ばした右手を皮一枚で左側に踏み込みかわしつつ、次の回避に繋げる為の移動を開始する。避けて、動く。避けて、動く。避けて―――

 

 

「ハエが止まってみえるわい!」

 

「横島さん…すごい、すごいっ!」

 

 どれだけ時間がたったのか。実際には、1分も経っていなかったろう。

 

「良くやったわ、横島君!」

 

そして練りに練り上げ、霊力を籠められ直視できないほど光り輝く神通棍をもった美神が、

 

 

「後は任せなさい! 改めて、このGS美神が、極楽へっ!」

 

とどめの一撃を

 

「いかせてあげるわっ!!」

 

「グ、グケエエエエエエエエエエ!!」

 

悪霊の額に振り下ろした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして、その帰り道。

 

 依頼を破魔札一枚と神通棍だけで片付けた事で大幅に利鞘がでてほくほく笑顔で帰路に就く美神と、その肩に手を置いてふよふよと浮きながら、後方を少し心配そうに振り返るおキヌの二人。

 

 そしてその後を少し焦げながらも二つほど増えたトランクを巨大なリュックの上に乗せ、少し不満げながらも特にふらつく事は無く二人を追いかける横島の姿があった。

 

「いやー、なんとか全員無事に済んで良かったわ」

 

「無事じゃないでしょーがっ!」

 

「とっとと離れないあんたが悪いんでしょーが」

 

「だからって纏めてふっとばすこたぁないでしょーがあっ!」

 

 そう言って地団太を踏む横島。しかし荷物を放りだしたりしないあたり、人狼としての律義さか、実の母親の教育が行きとどいているのか。

 

「いいじゃなーい♪ もう傷なんか殆どふさがっちゃったんでしょ?さっすが人狼の超回復って感じよねー♪」

 

「もう、美神さんったら」

 

 と、苦笑いを浮かべるおキヌを余所に、今度は美神が不満げに振り返る。

 どうして私だけが悪者なのか、とその表情は語っていた。

 

「だいたいあんたがとっとと霊波刀を使えば、もっと楽に片付いたのよ」

 

「え?」

 

 きょとん、と動きを止めた横島に何か変なことでも言ったか、とつられて歩みを止める美神。おキヌは霊波刀自体が何か分からなかったのか、疑問を浮かべていた。

 

「どーしたのよ?」

 

「…あれ、言ってませんでしたっけ。使えないっす、俺。霊波刀。つーか、霊力自体使えないっす」

 

「…はぁ?!」

 

 彼が、半分とは言え、『人狼である』という先入観から、当然使えると思っていた霊力がまともに使えないと初めて知った美神は、ようやく実は物凄く危険な事をさせていたと気付いて真っ青になると言う一幕があったものの。

 

「ま、まぁとりあえずそこそこ使えるみたいだし、給料はこれくらいね」

 

 といって美神が誤魔化す様に示した額は、事務所にいる時の食事と、仕事中の食事、それから歩合給での骨付き肉(横島はこれに一番喜んだ)、時給250円(相場を知らない横島は、とりあえず頷いておいた)であった。

 

 

 

 

 

 

その夜。

 

「東京って所は、本当に星もまともに見えんのやなぁ」

 

無事に?初出勤を終えて食事も食べさせてもらい、安アパートに帰り着いた横島はまだカーテンも無い窓を開け、夜空を見上げながら一人呟く。

 

「GSねぇ…確かに、命懸けの仕事だ、ありゃ」

 

空には星が見えずとも、細い、細い、まるで裂け目のような月が浮かんでいる。

 

「…ゾクゾクしたなぁ」

 

その体の震えは、恐怖でなく

 

「あんな化け物ばっか相手にしてるから、GSってのは強いんやろーなぁ」

 

狼の、本能。戦うものとしての、本質。自分にあるとは思わなかったそれらが生み出した身体の、心の震え。

 

「…また、ああいうのがでるのかなぁ?」

 

 武者震い、なのだろう。

 

「…寝よ」

 

 畳に直接寝転がって、天井を超えた先の月を眺めながら、目を閉じる。

 

 

「シロ、タマ、元気でやってるかなぁ。まさか、あんなに吹っ飛ばされるとは思わんかったしなぁ。ま、ほとぼりが冷めたら里にも顔くらい見せにもどらにゃならんか」

 

月は、ただ、空に在る。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 丁度その頃、人狼の里、長老の家では。

「ふぅぅぅぅ」

 深い、ふかぁ~い溜息をついたのは、人狼の里最高齢にして、周囲の者達から長老として慕われるこの里の長。

「ぐびぐびぐびっ! …シロぉぉぉぉ~。ぐしぐし」

 部屋の隅で酒をあおって家出した娘の名を呼んでは、また盃に酒を手酌で注ぐことをひたすら繰り返している泣き上戸、犬塚家の大黒柱。

 

「沙耶…」

 

縁側に座って「もう少しだったのに、誰かに殴られたせいで川の向こうの妻に再会できなかった」と嘆いているのは犬飼家のポチさん。

 

「おめでとうっ! 生きてるってすばらしいっ!!」

 

「さあ、この幸せを皆で分かち合うんだっ!!」

 

「そっちもおめでとー! あっちにありがとー!!」

 

「おおおおおっ! 飲め―! 全部飲むんだー!!」

 

「「「「おーっ!!!」」」

 

 庭では奇跡の生還を果たした(馬鹿)者達が、丸く座り込んで騒がしくひたすら宴会をやっている。

 

「ふぅぅぅぅぅぅぅぅ~」

 

長老は、ただ、おも~い溜息を吐き出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして、もう一組。横島を追いかけて里の結界をぶち破って駆けだした二人。

 

「ここはどこでござるかー!!なんで吹雪いてるでござるかー!!」

 

「きゅ~ん」

 

「ああっ!ねるんじゃない狐ぇっ!!」

「…コン」

 

「寝たらもうおきれないでござるよー!!」

 

「……キュー」

 

「兄上に会わずに逝く気かぁぁぁぁっ!!!」

 

「っ! コーーーーーーーーーン!」

 

「よっし!もう少しでカマクラができるでござる!手伝うでござるよ!」

 

シロ・タマ現在地―――――南アルプス 標高2800メートル地点

 

「兄上ーーーーーーーーーーーーー!!」

「コーーーーーーーーーーーーーーーン!」

 

 




今日はここまで。

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