月に吼える   作:maisen

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第拾参話。

「うう~、いてーよー。腕が上がらねーよー」

 

「だーっはっはっはっ! 何だぁ? もうへばったのかよ」

 

「うっせぇっ! 文句があんならお前がやれやぁっ!」

 

 デミアンをぷちっと潰した如意棒は、するすると縮んで元のサイズに早変わり。横たわる如意棒の横では忠夫が腕をふりふりさめざめと泣いていた。

 

 どうやら、かなり痛いらしい。

 

 元々が武神、斉天大聖の武装である。かの神の膂力と神通力を持って自由自在に操れると言った品物を、例え人狼の血を引いていると言っても人界の存在が扱うには、それなり以上の負担が掛かる。

 

 ようするに、半人狼の超回復能力を持って傷付いた筋肉を修復中。つまり、忠夫の腕は強烈な筋肉痛に襲われているような物では、ある。

 

「ふん! 男は黙ってこれだろう?」

 

 涙目の忠夫の前で、ぐっと握り拳を作る雪之丞。

 

 ぱっつんぱっつんに張り詰めた霊力と、鍛えぬかれたその拳。確かに、武器としては申し分ない。

 

 それを半眼で眺めながら忠夫は愚痴る。

 

「そもそもさー。あの爺がちゃんと結果出してくれてりゃよー・・・んがっ?!」

 

「喧しい。不可抗力じゃろうが」

 

「頭がっ?! 頭が割れるように痛いっ?!」

 

 背後に立った猿神の、手加減は効いているがそれでも半端じゃない拳骨で、忠夫の頭からは、真っ赤な噴水が吹き上がる。いつもなら頭を押えて悶える所だが、痛い腕がそれさえも許してくれはしない。

 

 結果、蹲ってひたすら痛みを堪える、公園のオブジェのような物が出来上がる。

 

「・・・割れてる。血圧高め?」

 

「おぉおぉぉぉぉ、そういう問題でもないぞ、天竜ぅぅぅ」

 

「やれやれ。ともかく、姉上達も決着を付けて此方に向かっていますから、それまでにはそれ、止めといて下さいね」

 

 傘を差して降り注ぐ赤い液体から身を守りつつ、忠夫の背中を撫でる天竜姫。苦笑いしながらそれを眺めるジークフリート。

 

「あだだだだ。・・・・・・ふんっ!」

 

 今だ動かす事さえ億劫な両腕を感じつつ、忠夫は気合で血を止める。鼻を摘んで気合一発。何故か止まる赤い噴水。人体の神秘、此処に極まれりと言った所であろうか。

 

 そもそも、正確には人体ではない上に存在自体が不条理であるが。

 

「ジーク、お前に大事な話がある。ちょっと来てみ?」

 

「な、何ですか?」

 

 呆れた、いや、最早それを通り越して感嘆の表情を浮かべているジークフリートを引きずって物陰に連れ込む半人狼。

 

 その長く尖った耳に、小さな声で囁いた。

 

「姉上って、美人か? 性格は良いかっ? 一人身かぁぁっっ?!」

 

「えー、と。少なくとも戦乙女と謳われるくらいでしたから、一人身です。身内の欲目でも結構美人だとは思いますよ。性格は・・・ちょっと、きつめかな?」 

 

「ほほぅ・・・」

 

 キラン、と光る忠夫の目。どうやら、ロックオン寸前だ。ジークフリートとの付き合いは、修行の際に篭った空間でそこそこ長いものとなっている。

 

 彼の人柄からすれば、少なくとも嘘はつかないだろう。

 

 後は、己の瞳で確かめるだけである。

 

「ふ、ふははははっ!! そーだよなっ! やっぱこーいう出会いって大事だよなっ?! 性格がきついってったって、あの人に比べれば何ぼのもんじゃー!!」

 

「へぇ、あの人って、誰かしら?」

 

「そりゃもー思わず求婚した嫁候補一号にして雇い主! 美神れい・・・こ・・・さんではナイデスヨ? モチロン」

 

 何時の間にか、忠夫の背後に女性の影が。亜麻色の長髪を後ろに流し、華の咲いたような笑顔で、凶悪な唸りを上げている神通棍を構えた美神令子、先程まで腰に手をあて、潰れたデミアンの居た場所で高笑いを上げていた筈だが。

 

 タイミングが悪いのか。それとも運が悪いのか。あるいはそういう運命か。

 

はっきりと、全部であろうが。つまり、ある意味不可避。

 

「あら、こんな所に試し切りに良さそうな半人狼が」

 

「・・・ばずーかは長すぎ。今度は手投げ弾も試してみたい」

 

「て、天竜までっ?!」

 

 後ずさった忠夫の後ろで、俗にパイナップルと呼ばれる爆弾をお手玉している天竜姫。振り返った忠生からはその背中しか見えないが、既にお手玉の数は軽く10を超えている。

 

「あうあう・・・ひ、必殺Bだーっしゅ!!」

 

「・・・手が滑ったー」

 

「どうやら躾が必要みたいねっ!!」

 

「んぎゃーっ!!」

 

 両手をなんとか振り上げながら、忠夫奇跡の大脱出・・・などというものが成功する筈も無く。

 

 妙神山に、光と音の連爆が、只ひたすらに響き続けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ああ・・・やっぱりぼろぼろにぃ~!」

 

「覚悟の上だろう? そう嘆く事もあるまい」

 

「そうは言っても実際に見ると・・・こう、ぐっと胃に来ません?」

 

「・・・魔界軍の胃薬だ。使うか?」

 

「恩に着ます」

 

 服のあちらこちらが切り裂かれ、中々に艶やかな格好の小竜姫と、こちらも体中切り傷だらけのワルキューレ。

 

 とは言え、溜め息と共に「魔界軍常備薬・胃薬編・こいつぁすごいぜ!」と書かれた薬包を投げ渡すワルキューレにも、それを受け取って迷わず水も使わずに中身の粉を飲み下す小竜姫も、少々疲れた様子が見えるのみである。

 

「けほっ! こほっ! ・・・あ~、良いですね、これ」

 

「だろう? 最近腕の良い魔女と繋がりが出来たらしくてな。技術提携のおかげで軍の薬品関係の質が上がってきているんだよ」

 

 咽ながらも癒されたように目を細める小竜姫を、少し誇らしげに語りながら見つめるワルキューレ。

 

「・・・神族にも大丈夫、と。良し良し、中々貴重なデータが取れたな。後で教えてやれば喜ぶだろう」

 

「ん~~っ! さあっ! 行きましょうかっ!」

 

 何気に実験台だったらしい。ともあれ、二人は妙神山の門に向かって歩いていく。

 

 辺りはまるで爆撃でも受けたかのような、惨憺たる有様である。一直線に軽く弧を描いて押しつぶされた地面と、あちこちにある、尖ったもので穿たれた痕。

 

 そして、未だに燻り続ける爆発跡と、切り裂かれたような地面の亀裂。あと銃痕と散らばる紙吹雪。

 

「凄まじい戦いの跡だな・・・。どうやら、デミアンとかいう奴、余程の相手だったのだろう」

 

「こちらには老師が居られますから、絶対に天竜姫様”だけ”は大丈夫ですよ」

 

 瓦礫を避けつつ門を潜る。鬼門達の体が無いので、どうやら彼らは無事のようだ。門を潜った内部は、更に凄まじい事になっていた。

 

 

 何しろ、一番最初に目に入ったのが、倒れ伏す猿神とジークフリート、雪之丞なのだから。

 

「ろ、老師っ?! そんな、斉天大聖を倒すほどの魔族が、殆どその実態を把握されて居なかったとでも言うのですかっ?!」

 

「ジークっ! ジークフリートッ! お前の状況を報告しろっ! 上官の命令に背くつもりか貴様ぁっ!!」

 

 師匠と弟分の傍らに駆け寄り、必死の形相で揺さぶる二人。

 

 見たところ、殆ど・・・と言うか、全く外傷が無い。完全に気絶しているようではあるが、二人とも息はしている。

 

 隣に倒れ伏す雪之丞に目をやれば、彼も同じく外傷は無い。妙な所が在るとすれば、その体に魔装術の名残のような、非常に小さな霊力が纏わり付いている事位であろう。

 

「・・・あら? 小竜姫様じゃない。どうしたのよ、そんなに慌てちゃって」

 

 飄々と、崩れ落ちかけた小屋から勘九郎が歩み出る。その手に持たれているのは、冷たい水を満たした桶と、3枚の布切れ。

 

 余りに余裕のあるその雰囲気に、二人は困惑、硬直する。

 

 そんな二人を訝しげに見ながら、勘九郎は水桶の中に布切れを放り込み、纏めて絞って3人の頭に乗せて行く。何気に甲斐甲斐しくも見えるあたりが恐ろしい。

 

「ん~、やっぱり目覚めはキスかしらねー」

 

「はっ?! やけに禍々しい気配がっ?!」

 

「うおおおおっ?! 止めろっ、いい加減普通に寝れんのかお前はぁぁっ!!」

 

 その一言で飛び起きる、若い方の二人。お爺さんは今だ昏倒中。

 

 ジークフリートはともかく、雪之丞はちょっとトラウマを刺激されたようである。

 

「・・・あー。そろそろ、現状を説明して欲しいんだが?」

 

「姉上、何時の間に!」

 

「・・・いや、もう良いから。早く説明してくれ」

 

 本気で驚きながらそうのたまうジークフリートを、頭を抱えながら見るワルキューレ。その肩に、優しく手が置かれた。 

 

 振り仰げば、とっても嬉しそうな笑顔の小竜姫が、親指を立てながら其処にいる。顔に、でかでかと「仲間!」と書かれているようにワルキューレには見えたと言う。

 

「違うっ! 私はそっち側じゃないっ!」

 

「ふ、私も初めはそうでしたよ・・・」

 

 とっぴんぱらりんのぷう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「つまり、デミアンは無事に撃退できた、と言う事か」

 

「はい。残留魔力反応もありません。確実に、滅ぼしました。そちらの方は?」

 

「逃げられた、と言うべきなのだろうな。此方の方で大きな衝撃音がしたと思ったら、直ぐに撤退されたよ」

 

 未だ少々ふらつきながらも、きっちり敬礼の体勢をとって報告を行なうジークフリートの前で、ワルキューレは辺りを見回しながら溜め息をつく。

 

「それにしても、名に負う妙神山が、此処までやられたとは、な」

 

「・・・あー、そのー、それは誤解です」

 

「何?」

 

「デミアンと言う魔族の仕業ではないのですか?」

 

 辺りを見回っていた小竜姫も合流し、鋭い視線で問い掛ける。しかし、ジークフリートは目線を泳がせながら、言葉を濁すばかりである。

 

 痺れを切らしたワルキューレが詰め寄るが、それでもジークフリートの目線は定まらない。

 

 そのまま二人の女性の視線を受け止めていたジークフリートであったが、暫しの後、諦めたような遠い視線になりながらようやく言葉を続ける事ができた。

 

「えー、まず、これはデミアンの――いえ、門より前の場所は奴の仕業である部分もあるのですが、奴のやった事では在りません」

 

「どういう事だ?」

 

 そのまま、疲れた溜め息をつくジークフリートの頭を掴んで視線を固定させるワルキューレと小竜姫。しかし、そんな事をされているにもかかわらず、ジークフリートの表情は変わらなかった。

 

「次に、『やられた』のではありません」

 

 その視線が、宙を睨んで固定された。そのまま、何かを追いかけるように上に昇っていき、暫しの間も置かずに下がり出す。

 

 視線の先には、奇妙な、拳より少し大きいくらいの黒い物体があった。それは、まるで図ったかのように3人の間に転がってくる。

 

「――現在進行形で、やられてます」

 

 凶悪な爆音と、熱を伴わない膨大な光が弾けて、散った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「死ぬーっ! マジで死んでまうーっ!」

 

「逃げるなァァッ! どう言う事よっ! 人界における武神の最高峰、猿神の修行を受けて霊力が使えなくなったってのはっ!!」

 

「知りませんってばっ! それは俺のせいじゃないでしょーがぁっ!!」

 

「やかましいっ! 人にこれだけ心配させといて、何が「俺、霊波刀使えなくなっちゃいました」だぁぁっ!!」

 

 右から左、上から下へ。瞬時に振りぬかれたそれを避けたと思った瞬間、狙い済ました足元への一撃。

 

 辛うじて避ければ、今度は避けた方向から、ゴム弾が何個も飛来する。足首の力だけで跳ね上がり、回避。幾つかが爪先を掠めて反対側の岩に突き刺さる。

 

「・・・捕獲失敗。今度こそ、連れて帰って教え込む」

 

「何をだぁぁぁっ!!」

 

「・・・えへ」

 

 何時も、凛とした雰囲気を持った天竜の頬がちょっと綻びる。照れたような笑顔は、確かに見た目相応には愛らしいが、やっている事がかなり、怖い。

 

「とうとう其処まで堕ちたのね・・・! 良いわ。私が責任もって極楽に送ってあげるから、其処に座ってその首差し出しなさい」

 

「誤解やーっ! 俺は年下よりも綺麗な年上の女の人がいいーっ! 美神さんみたいな姉さん女房がいいんやぁぁっ!!」

 

「だ、だっだだだ誰が誰の奥さんかぁぁっ!!」

 

 因みに、その一撃は、今までのどの攻撃よりも速かったようである。

 

 ようやくすっきりするまで神通棍が唸りを上げて、弾切れの銃に給弾し、使い切った閃光弾の代わりに今度は麻痺性のガスでも準備しようと、獲物を捕らえきれなかった少女が拳を握ってお空に誓い。

 

 頬の赤みが取れた女性が、青年の足を持って引きずりながら門へと向かう。

 

「あれ? 小竜姫達、何でそんな所で蹲ってんのよ?」

 

「・・・し、至近距離で閃光弾の直撃を喰らいまして。まだちょっとふらふらします」

 

「くっ、か、帰ったら訓練だな」

 

「成る程。それは大変でしたね。ささ、こちらへどうぞ。ああ、僕は犬――ごほんっ! 横島忠夫。只のしがない嫁さん募集中の男です。貴方は?」

 

「え、ああ。わ、ワルキューレだ」

 

「ワルキューレさんですか、良い響きですね。美人ですね。――嫁に来ないか?」

 

「何時まで寸劇やっとるかっ!!」

 

 先程まで引きずられていた忠夫は、例によって例の如く理不尽なまでの再生能力で、瞬時に復活。

 

 というよりも、ぼろぼろのピンク色の物体に纏わりついていた布が、完全に元通りになっている事から考えると、もしかしたら根性で復元している可能性も捨てきれない。

 

 ともかく、美神の横薙ぎのローキックは、蹲るワルキューレに膝を突いて語りかけていた忠夫のわき腹を抉って蹴り倒す。

 

「ああっ! 小竜姫さんがサービスカットしてるッ?! これは俺の嫁に来るという意思表示としかぁぁっ!!」

 

「てい」

 

「うおおおっ?! 目が、目が痛いっ?!」

 

 びす、と良い音を立てて忠夫に向かって目潰しをする小竜姫。恥ずかしげに左手であちこち切れ目のある服を押える頬を赤らめた彼女の右手の人差し指と薬指は、迷う事無く忠夫の両目を突き刺した。

 

 ごろごろと転がりながら、目を押えて悶絶する半人狼の青年。天竜姫は目の前に転がってきた彼に、迷わず鳩尾に向かってその踵を振り下ろす。

 

「・・・浮気者、成敗」

 

「げふぅ・・・」

 

「馬鹿はほっといて。それより、どう言う事よ。うちの助手の霊力が無くなったってのは? 私にはちゃんと効果が在ったわよ?」

 

 美神が小竜姫に詰め寄りながら、下から半眼で睨み上げる。ちょっと後ずさった彼女を追い越して歩み出たのは、小竜姫の上司にして、武術の師匠。

 

 斉天大聖であった。

 

「全く持って不明じゃ。ワシとて修行相手の状態位は見ておる。確かに、手応えはあった。新たな力に目覚めても可笑しくないほどの、の」

 

「・・・でも、駄目だったんでしょ?」

 

 猿神は、真っ白な髭を扱きながら、ぴくぴくとヤバ気な痙攣を始めた忠夫を流し見る。

 

「さて、な。駄目だったと決めるには、少々早い気がするぞ?」

 

「え?」

 

「ともあれ、女子の為に頑張った男には、それなりの報いが在ってもええじゃろう。ワシの相棒を貸しておいた。精々、使いこなせるように、実戦に連れて行ってやることじゃな」

 

 その肩が僅かに揺れているのは錯覚ではあるまい。楽しげに、言うなれば、罅の入った卵から、一体何が生まれてくるのかと待ち構えている子供のように。

 

 猿神は、新しく出来た弟子の一人を眺めている。

 

「ああっ! そう言えば、老師、どう言うつもりですか! アレは、如意金鈷棒は神界の武具ですよっ?! それをそう易々と・・・」

 

「ま、えーじゃろ。神鳴落とす奴とか、海を裂く神器に比べれば、アレは只の持ち主の想像力で形を変えるだけの、硬い棒じゃ。物騒な物でもないわい」

 

「ですがっ! あれは老師の・・・! 斉天大聖老師の、貴方のもう一つの――」

 

 勢い良く迫る小竜姫の眼前に、皺の入った猿神の手が突き出される。思わず言葉を止めた小竜姫に、彼女にしか聞こえない言葉で猿神が呟いた。

 

「あ奴には、必要じゃ。それが、上層部の答え。何、お前に責任が回る事は無い」

 

「・・・え?」

 

「全く、難儀な」

 

 何時ものように何かで肩を叩こうとして、それが無い事に気付いて、仕方なく自分の手で肩を叩く。その背中が、ちょっと物足りなさげに見えたのは、果たして小竜姫の目の錯覚だったのであろうか。

 

「・・・ん」

 

「お、天竜か。すまんな」

 

「・・・ありがとう」

 

「かっかっかっ!」

 

 その背中に回り、ゆっくりと肩を叩く天竜姫。

 

たんとん、たんとん。

 

 岩のような硬さを誇る筈のその背中は。今は柔らかく小さな手を受け止める。表情を緩ませながら、闊達な笑い声を響かせる猿神の顔には、憂いも影も、全く無い。

 

 背中から響くリズムを感じながら、猿神はキセルを取り出し火を付ける。

 

 目に染み込むような青い空に、真っ白な輪が、広がりながら消えていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「う、うおお・・・小竜姫さんの艶姿・・・! でも、ワルキューレさんに返事を貰ってない・・・!」

 

「全く。ほら、折角和んでるんだから、邪魔しないの。帰るわよ」

 

 ほのぼのとした空間を前にして。何となく割り込めなかった忠夫は、猿神と天竜姫を優しく見守る小竜姫、ジークフリートとワルキューレにも話し掛けられず。

 

 せめて求婚の返事だけでも、と突破を試みるも美神に襟首掴まれ引きずり戻され。

 

「後生やー! せめてお返事だけでもー!」

 

「結果の分かり切ってる事を聞かないの。さっさと帰って事務所の片付け、始めるわよ」

 

 背中越しの会話であったが、美神には忠夫の顔が目に浮かぶようであった。言うなれば、目の前で餌を取り上げられた子犬であろうか。

 

 そんな事を考えつつ、自分の顔に浮かんだ笑みに気付いてはいないが、それでもなんだか良い気分では、ある。

 

 どうやら、パートナー・・・もとい。GS見習にして助手の青年は、雇い主の為にも死ぬほど危険な目に遭っていたらしい。いきなり連れ去られて、しかも魔族に狙われていて。

 

 護衛に来た魔族は、そう悪い奴でも無さそうだが、厄介な事になりそうだ。

 

 それでも、そんなに不安じゃない。

 

 彼は、彼が、頑張ってくれたから。頑張ってくれたと知ったから。ならば、私も見せてやろう。美神令子の、美神一族の流儀って奴を。

 

 共に歩ける存在があることが、とても幸せと知ったのだから。

 

 そいつが、少なくとも命懸けで頑張ってくれるくらいには、自分が好意を持たれていると証明してくれたような物だから。

 

 だったら、せめて見せてやろう。

 

 一人で立てると言う事を。此処までおいで、と言える位に、胸を張って、意地を張って張りぬいてやろう。

 

「行くわよ、横島君!」

 

「う、ういっす!んじゃなー、皆ぁ!」

 

 だから、此処まで来れたら、すこーしは考えてみようか、な?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ところで、横島さんって棒術も使えたんですか?」

 

「いや、ドがつくほどの下手くそじゃな。昔のワシと良い勝負じゃ」

 

 歩き去って行く彼と彼女を見送りながら。猿神とその弟子は言葉を交わす。

 

「ありゃ只振り回してるだけじゃよ。はっきり言って、そこらの棒切れを扱ってるのと変わり無いわい」

 

「・・・んん~」

 

「お、おおぅ・・・其処じゃ其処」

 

「それでは、我らは帰還する。報告もせねばならないのでな」

 

「私も、姉上と共に魔界に戻ります。今回の騒ぎは、違和感が大きすぎますからね」

 

 魔界軍の姉弟が、敬礼と共に魔界への門を開く。しっかりと形作られたその直線的な腕の下では、苦笑いと沈黙がある。

 

 体を翻して歩き出しながら、弟の方が呟いた。

 

「まぁ、あれだけストレートなのは初めてですから、ねー」

 

 其処まで言って駆け出したジークフリートの足元に、ワルキューレが打ち出した銃弾が着弾する。

 

 するするとそれらを避けながら、ジークフリートは門を潜って行った。

 

「ちっ! 待たんかジークっ! 上官命令だぞっ!」

 

 素早くマガジンを入れ替えながら、ワルキューレが後を追う。猿神達からは、残念な事にその表情は見えはしない。

 

 ただ、天竜姫の手に力が篭っただけである。

 

「あだだっ?! 痛い、痛いぞ天竜やっ?!」

 

「・・・むー」

 

 涙目で悶えながらも、孫のような娘の手から逃げ出す訳にも行かず。顔を蒼褪めさせた小竜姫の耳に、何かが軋む音が聞こえたような気がした。

 

 そんな騒がしい3人の所に、耳を押えながら雪之丞たちが歩いてくる。

 

「うへぇ・・・まだくらくらするぜ」

 

「こっちはまだ耳鳴りがしてるわよ・・・」

 

「あら、お帰りですか?」

 

 冷や汗を流しながら、小竜姫が振り返る。どうやら背後の苦悶の声と、助けを求める視線はスルーするようである。

 

 背中に突き刺さる視線を必死で無視しながら、小竜姫は雪之丞たちを送り出す。

 

 その横を、軽く手を上げながら通り過ぎていく雪之丞と勘九郎。

 

「・・・ま、しばらく退屈はしねぇだろ」

 

「私も修行しなおさないとね」

 

 その言葉だけを残しながら、崩れ落ちかけた門を潜って歩み去る。

 

 すっかりぼろぼろになった妙神山を見渡しながら、小竜姫は溜め息をついた。

 

「・・・私一人で如何しろって言うんですか、この状況」

 

「ぎゃぁぁぁぁっ?!」

 

「・・・あ」

 

 妙神山に、断末魔の悲鳴が響く。そんな事も露知らなさげに、今日も今日とて日は沈む。

 

 山の端から僅かに覗く月は、細い細い、糸のような月である。

 

――まるで、誰かの嘲笑に歪んだ唇のような。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「・・・さて、仕掛けは整いつつあるようで」

 

「くっくっくっ。僕らの楽しみを奪われないように、だね」

 

「・・・そんな事の為に、我の時間を割かせたのか?」

 

 何も無い。いや、其処には、存在だけが、ある。

 

 空虚な空間と、光無き故に、只『感じられる』何者か達。

 

「――お待たせしたかな?」

 

「いえいえ、時間は既に問題ではありませんからねぇ」

 

「それでも、偶には礼儀とか言う物を尽くすべき場ではある、と思ったんだよ。私は、ね」

 

「・・・奇妙な事だ、とは、僕は思わないでおくよ」

 

「では、そろそろ我らにも説明してもらいたい物だが?」

 

「せっかちだね。あんまり焦るのも良くは無いよ? とは言え・・・まぁ、気持ちは、分かる、かな?」

 

 空虚な広がりは、無限の回廊を行くようでもあり、精々3M四方の空間のようでもあり。

 

 いや、広がりだけではないだろう。交わされる言葉にさえ、大した意味は在りはしない。

 

 広がる余韻と、その言葉に乗せられた筈の情報さえも。

 

――只、虚ろな――


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