月に吼える   作:maisen

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第拾壱話。

―――ぺちぺち。柔らかい物で柔らかい物を叩く音が響く。

 

「・・・むー」

 

 ぺちぺちぺちぺち。スピードアップ。微妙に不機嫌な誰かさんの声が聞こえる。

 

「・・・む!」

 

 ぺちぺちぺちぺちぺちぺち。最早、連打である。それでも起きない、不機嫌な誰かさんの横で昏倒している忠夫。

 

「お、おううぅ」

 

「・・・?」

 

 ぺち。一回だけ響いて音が止まった。不思議そうに忠夫の頭の上の方向から覗き込む少女。頭には角が生えており、綺麗な着物は地面に直接座っているにもかかわらず、全く汚れた様子が無い。

 

 呻き声は、言葉となって洩れていく。

 

「・・・ううう、天竜」

 

「・・・ひゃぅ」

 

 名前を呼ばれた少女、齢14,5に見えるその竜神族の王女は、驚いたような嬉しそうな顔で微かに赤く染まった頬を押える。

 

「・・・違うっ! 断じて違うぞー! 俺は年上が趣味! ・・・くかー、すぴー」

 

「・・・む!」

 

 ぺちぺちぺちぺちぺちぺちぺちぺち。

 

 再度始まった、天竜姫曰く、乙女心を弄んだ為のお仕置きであった。所謂『往復びんた』は大変情けない音を響かせながら、何時までも起きない半人狼の青年の頬を、撫でるように過ぎ去っていった。

 

 深く考えると色々と危険な寝言では、ある。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 気が付くと、薄暗い場所に居た。ふわふわと頼りない足元、滑るように動く視界。

 

 夢の中、と言うのが一番近いかもしれない。

 

『・・・・・・』

 

「おわっ?!」

 

 気配を感じて振り向けば、腕を組んで只其処に立つ姿がある。真っ赤な下地に、白色で「鳥獣戯画」風の様々な動物の絵が画いてある上衣。金縁の黒い生地で作られた直垂。但し、腰に下げていた4本の刀は、無い。

 

 久し振りに見るような、いつも見ているような、影法師が其処に居た。

 

「び、ビックリしたっ! いきなり現れるんじゃねーよっ!」

 

『・・・・・・』

 

 影法師は何も答えず、歩き出す。懐をごそごそと探りながら、只一直線に歩いていく。

 

「・・・? おーい、無視すんなよー」

 

 沈黙。只、歩く音が聞こえる。不思議な事に、何も無い筈のその場所を、影法師は確かに足音を残しながら進んでいく。

 

 草を掻き分け、踏みつける。ぬかるんだ土に足跡を残し、絡まる蔦を蹴り飛ばす。

 

 ごそごそと懐を漁っていた手が止まったかと思うと、何故か其処だけは音も立てずに引き抜かれた。

 

 手の上にあったのは、何時か、初めて影法師と出会ったときに、禍刀羅守から生まれ出でた力で作られた、キセル。

 

 影法師は、それを持ったまま腕を振る。

 

 次の瞬間には、キセルは釣竿に変わっていた。

 

「ん~? 何がやりたいんだか?」

 

 首を捻り捻り、忠夫は後を付いて行く。先は見えないし、辺りは相変わらず薄暗いまま。

 

 他に手がかりも無く。只、滑るように歩いていく。

 

「・・・?」

 

 前方に、光が見えた。どうやら影法師の目的地は其処のようである。光は、あっという間に近づいていた。明らかに、影法師と忠夫の進む速度よりも速い。

 

 薄暗さに慣れていた目が、眩ささえ覚えて閉じられる。

 

 漸くそれを堪えて目を開けてみれば、目の前に座って釣竿を垂れる影法師の背中。

 

「・・・釣れるのか?」

 

 返事は、相変わらず無い。釣竿を辿って視線を飛ばせば、其処に広がる巨大な水溜り。

 

 差し渡しで直径500Mに及ぼうかと思えるその広さに、水溜りと言う表現は当てはまらないかもしれないが、忠夫は何故か水溜りくらいで丁度良い、と思った。

 

 水面は僅かに波打っている。辺りには他に何も無い。

 

 波は、中心部から広がっているようであった。相変わらず沈黙を守る影法師の隣に立ち、目を凝らして其処を見る。

 

 小さな渦巻きが、見えた。

 

「穴でも開いてんだな、ありゃ」

 

 素直にそう思った。どれだけ大きな水溜りといえ、穴があればいつかは枯れるだろう。しかし、その内部を満たす水は、何処からとも無く滾々と湧き出しているようであった。

 

「・・・なんだこりゃ?」

 

 訳が分からない。おそらく、記憶に微かに残るこの場所は、影法師に説教喰らった場所のようだ。しかし、その時にはこんな物は無かったような、視界の隅に在ったような。

 

 呆、と眺めている忠夫の足元に、ほんの少しだけ、冷たい感触がした。視線を落とすと、足元で僅かに揺らめいていた波が、少し、大きくなっていた。

 中心部に目をやる。

 

 

 渦は、巨大化していた。

 

 

「うおっ?!」

 

 最早水溜りの半ばを埋め尽くさんばかりの大きさになったそれは、貪欲に水面を歪め、引きずり込んでいく。

 

 足元を濡らした水も、何時の間にか消えていた。

 

 見る間に消えていく水溜り。

 

 視界に、銀色の光が写った。反射的に追いかければ、渦の中心と、影法師の垂らした釣竿にそれは続いている。

 

 影法師が、僅かに手を動かした。

 

 一瞬にして渦の中心から引きずり出された糸の先端には、小さな、直径2cm程の、宝石のような珠がある。

 

 それが空中を舞った瞬間に、影法師が手元の竿に捻りを加えた。どういう動きを持っているのか、釣り針らしきものがついているであろう先端は、あっさりと珠を開放する。

 

 勢い良く飛び出した珠は、放物線を画きながら影法師の元まで飛んで行き。

 

 

『あぐっ』

 

「また変な物喰った!?」

 

 

 大きく口を開いて待ち構えていた影法師の口の中に、ホールインワン。

 

 うむうむと満足げに頷きを繰り返し、再び竿を振りかぶる。

 

「ゴラァッ! 勝手に変な物食べるんじゃ――おおおっ?!」

 

 掴みかかろうとした忠夫は、無理やり引きずられるようにして後方へ。

 

 渦の中心へと釣り針を投げこんだ影法師は、忠夫の視界の中でどんどんと小さくなっていった。

 

「手前、何時かその悪食絶対に躾なおしちゃるからなー!!」

 

 声が届くか届かないか。最早、米粒ほどの大きさになった影法師にそう叫ぶ。

 

 声が聞こえなくなった水溜りのほとりで、影法師は僅かに体を揺らす。

 

 

 

 ――硝子が割れる軽い音を立てて、影法師の狼面に、罅が入った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「つうかむしろ俺が喰うっ!」

 

「・・・おっけー、こっち」

 

「う、え、あ?」

 

 なんだかとっても宿主と言うかなんと言うかな台詞と共に、飛び起きた忠夫の襟を引っ掴んで引きずり出す天竜姫。

 

 何がなんだか分かっていない忠夫は、その細身の何処にそんな力があるのか不明な天竜姫に、されるがままに連行されていく。

 

「・・・良かった。同意が得られればこっちのもの」

 

「何っ?! 何に同意したんだっ?!」

 

「・・・ぽ」

 

 頬を赤らめる天竜姫は可憐であったが、忠夫はひたすら嫌な予感を、久し振りに真っ赤な首輪が襲い掛かってくる光景を幻視していた。

 

「いーやー! そういうのは大人になってからー!!」

 

「・・・えっち」

 

「誤解じゃー! 濡れ衣じゃー!!」

 

 じたばたともがく忠夫を、がっちりとホールドする天竜姫の繊手。細いその手の何処にそんな力があるのやら。

 

「あ、あの、天竜姫様? 今はそれどころでは無いのでは?」

 

 おずおずと、黙ってその光景を見ていたジークフリートが話し掛ける。隣では猿神が不貞腐れたように背中を向けて胡座を掻き、キセルを吹かしていたりする。

 

「・・・ちゃんすは物にする為にある」

 

「え、いや、全くその通りなのですが」

 

「ジークっ! へるぷみー!!」

 

 涙目で助けを求める忠夫に、更に力を篭める天竜姫。ジークフリートとしても、一応同門であるからして結構頑張ってみようと思った。

 

「ですが「・・・何?」は、どうぞ此方に。枕は二つで宜しいですか?」

 

「う、裏切り者ー!!」

 

「ええいっ! 離して下さいっ! 小竜姫殿みたいに胃を痛めるのは御免です!!」

 

 色々と問題発言を発するジークフリートの胴体に、必死で伸ばした足を絡めて蟹バサミ。

 

 それを振りほどこうとする、天竜姫の視線にビビった魔界の軍人。

 

 ぐいぐいと忠夫の襟首を引っ張る天竜姫。

 

 誰も構ってくれなかったので、不貞腐れから拗ねを超えて、いじけに入り始めた猿神さん。

 

 どうにもこうにも、奇跡の生還は感動とかとは無縁のようであった。

 

「うおおおおおっ!! 何でまたお前のどアップがあるんだぁぁぁっ!!」

 

「やーねー。何度も言わせないでよ。人工呼吸と心臓マッサージと診察よー」

 

「撫でまわすな近づくな鼻息を荒くするなぁぁぁっ!!」

 

「あら、積極的。攻めがお好き?」

 

「涅槃の向こうまで飛んでいけぇっ!!」

 

「ほーっほっほっほっ! まだまだ甘いわよーっ!」

 

「この化けもんがー!!」

 

 天竜姫が潜ろうとした扉の向こうでは、今回もギリギリであった雪之丞が、勘九郎と必死の防衛線を繰り広げていたり。

 

 何を守るか? ・・・きっと聞かないほうが良い。

 

 ともあれ、パワーアップした筈の雪之丞をもってして化け物と言わしめる勘九郎。それこそ世界法則の修正でも入っているんじゃなかろうか。

 

 一般的に、「お約束」とか言うものの修正が。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「なっ! だからその話はまた今度と言う事でっ! なっ!」

 

「・・・ジークの馬鹿」

 

「ぼ、僕は被害者だと思うんですけどね」

 

 結局、忠夫をジークフリートから引き剥がせなかった天竜姫は渋々その手を放したようである。

 

 蟹バサミに10分近くも締め付けられ、呼吸困難で蒼褪めた顔を見せながら必死で抗弁するジークフリート。

 

 猿神は不貞寝を始めている。

 

「そうっ! 今は修行の成果を知るのが一番最初だろ?」

 

「・・・むー。お爺ちゃん?」

 

「なんじゃ、天竜や」

 

 先程まで何処からか取り出した布団を被って丸くなっていた猿神は、一瞬にして天竜姫の隣に姿を現していた。雰囲気も既に完全に余裕を取り戻している。

 

「・・・犬飼君、何か変わったの?」

 

「ふ、この斉天大聖直々に修行をつけたんじゃぞ。ばばーんとぱわぁあっぷしておるわ! かーっかっかっかっ!」

 

 孫に良い所を見せる爺様の如く、大いに胸を張って威張る猿神。一頻り高笑いを繰り出した後、眼鏡を嵌めて忠夫を睨む。

 

「・・・手を出すなよ?」

 

「なんの事じゃぁっ!!」

 

 忠夫の抗議も柳に風。すらりと無視して忠夫を見つめる。

 

「師匠の戦闘経験は膨大な物になります。それからすれば、高位神族や魔族でもなく、力を積極的に隠す術を知らない者ならばかなりの力を見抜けますよ。楽しみですね、横島さん」

 

「お、おう。でもなー、爺に見つめられるってのもなんかなー」

 

「だまっとれ。・・・ん?」

 

 

 猿神が、冷や汗を流した。

 

 

「ん? んんん?」

 

「え、何?」

 

「どうしたのですか、師匠」

 

 滝のように汗を流しながら、猿神は忠夫に近づいていく。眼鏡を外し、目を擦り、再び嵌めてまた凝視。

 

 しばし、沈黙が広がった。

 

「・・・ふ」

 

「・・・お爺ちゃん。正直に言いなさい」

 

 良い仕事をした、とばかりに眼鏡を外して額の汗を拭う武神の最高峰。斉天大聖、やり遂げた表情で背を向けた。

 

 その襟首を掴んで引き止める天竜姫。何気に目が据わっていらっしゃる。

 

「ななななな何の事じゃ? ワシはもう寝るで、1000年後位に起こしてくれると有り難いなーと思うんじゃが」

 

「・・・正直に言わないと、猿って呼ぶ」

 

「てーんーりゅーうー!!! それはっ! それだけはぁぁぁっ!!」

 

 ぷい、とそっぽを向いた天竜姫に縋りつく猿神。斉天大聖、最早威厳の欠片も無い。

 

「なぁ、やーな予感がするのは俺だけか?」

 

「・・・人生、色々ですよ?」

 

 どんよりと背後に縦線を背負いながら呟いた忠夫の言葉に、ジークフリートは優しく肩を叩く以外の術を持たなかった。

 

「あー、うー、小僧、ちょっと霊波刀を作ってみろ」

 

「え、こうっすか?」

 

 頭を掻き掻き、とっても衝撃を受けた後の表情で猿神が言う。忠夫は素直に右手を上げて、何時ものように意識を集中させ始めた。

 

「あ、あれ?」

 

「・・・やはり、か」

 

 しかし、その手には何時までたっても見慣れた霊波刀が顕現する様子が無い。数百年ぶりの途方に暮れた声を出しながら、猿神は額に汗をかいてすまなそうに忠夫に告げる。

 

「どうやら、霊力が大幅に減少しておるようじゃな」

 

「「「・・・は?」」」

 

「・・・おかしいのう、今までこんな事は無かったんじゃがのー」

 

 やれやれ、とばかりにやけにニヒルに肩をすくめる猿神。しかし、額に掻いたでっかい汗は隠しようも無かった。

 

 その言葉を理解しきれていなかった3人に、漸く理解の色が広がり始める。

 

「し、師匠ー! それで良いんですかー!!」

 

「うわー! うわー!! なんじゃそりゃぁぁっ! さっきの死ぬような思いは一体なんだったんじゃー! 訴えてやるっ! 責任取れー!!」

 

「・・・お爺ちゃん、役立たず」

 

「年寄りを労わる気が欠片も無いのぉ!」

 

 瞬時に詰め寄るジークフリートと天竜姫。忠夫はその後ろで頭を抱えて悶えまくり。地面を転がり、じったんばったん、大暴れである。

 

 さもありなん。アレだけの苦労をしたうえで、更に死ぬ思いまでして雪之丞が魔装術のパワーアップと言う結果を得ているのに、何故か忠夫はパワーダウン。

 

 そりゃ、悶え転がりたくもなる。

 

「わっはっは、わは、はは、は。―――ええと、代わりにこれを。だから許してくれ、天竜や~~」

 

「弱っ!!」

 

「師匠! それは神族として、武神として余りな態度では無いですかー!」

 

「・・・お爺ちゃん、まじめにやって」

 

 天竜姫の中で猿神の株が下がり始めていたのは言うまでも無く。

 

 冷たい冷たい天竜姫の視線と声の前に、武神はひたすら泣きながら頭を下げるのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『オーナー、報告します』

 

「・・・何よ」

 

 所変わってGS美神除霊事務所。ようやく押しつぶした蝿を軍に引渡し、一息ついた美神達3人。

 

 その上から、人工幽霊の声が響いた。

 

『私の結界が、無効化されています。すいません、全く気が付きませんでした・・・』

 

「あ、やっぱり」

 

「どう言う事ですか、美神さん?」

 

 納得したように、苦々しげな人工幽霊の言葉を至極あっさりと受け入れる美神に、困惑した小竜姫の声がかけられた。ワルキューレは全身鎧の運んできたお茶を受け取りながら礼を言っている。

 

「人工幽霊一号の持つ結界は、人界でもトップクラスよ、間違い無く。それがいともあっさり2回も突破されて、しかもそれを人工幽霊が把握し切れていない。・・・可笑しいでしょ?」

 

「それは、相手の結界に対する技術が上回っていただけだろう?」

 

 淹れたての紅茶の香りを楽しみながら、目線を合わせずにワルキューレが言葉を返す。視線は、揺れる琥珀色の液体に落ちたままである。

 

「・・・ふ、ん。成る程、魔界も一枚岩では無いって訳ね」

 

「当たり前だ。何処の組織でも、巨大になれば歪みが生まれるのは必然。何処でも、な」

 

 二人の視線が交わった。その中には悪意や敵意は無い。ワルキューレの視線にはもどかしさと苦々しさがあり、美神の視線には真剣さと労わるような色がある。

 

「どう言う事ですか?」

 

「・・・おそらく、軍の一部が手引きをしている。この事務所の結界は、それほど簡単にジャミング出切る程度の柔な物ではない。それに、美神を襲う連中は、必然的に反デタント派閥となる。神界と手を組むとは考えられんからな」

 

『お褒めに預かり光栄です』

 

 人工幽霊の、平坦な、それでも何処か照れくさそうな声が響く。それに手を軽く上げて答えながら、もう一方の手で少し冷めた紅茶を一口。

 

 芳醇な香りも、既に感じられないような気がした。

 

 疲れた溜め息を一つつき、ワルキューレは頭を下げる。

 

「信じてくれとは言えん。我が軍の中に、裏切り者が居ることは確か。だが、今だけは、我慢して欲しい。お前は私の命に代えても「ストップ」・・・当然、か」

 

 

 目を瞑り、腕を組んでワルキューレの言葉を妨げる。小竜姫は、只紅茶を楽しんでいる。諦め、覚悟を決めた目で立ち上がった彼女を引き止めたのも、また、美神の言葉であった。

 

「何度言えば分かるのかしら? 私は、守らせてあげるって、言ったの。分かったら黙って座って、此処から離れる手段でも考えなさい」

 

「・・・良いのか?」

 

 驚いたようにワルキューレが問い掛ける。その目は見開かれ、ポーカーフェイスは崩れて欠片も無い。

 

「良いも何も無いでしょ。使えるものは使うのがGSの鉄則よ。さて、此処が駄目となるともっと強固な防衛陣地に篭った方が良いわ。小竜姫、貴方の所でも問題無いかしら?」

 

「ええ、勿論。只、どうしても移動中は無防備ですから何らかの手段を考えないと・・・ほら、ワルキューレも」

 

「あ、ああ」

 

 ぐい、と小竜姫に手を引かれ、戸惑ったままソファーに腰掛けるワルキューレ。その耳に、小さな声が届いた。

 

「クスクス・・・あれで結構照れ屋ですから、素直に皆で考えた方が良いですよ?」

 

「プッ、あれで、照れ隠しなのか?」

 

「ええ、彼女らしい、とっても、美神さんらしい言葉ですよ」

 

 ばん、と美神がソファーの肘掛を叩いた。

 

「ほらっ! 無駄口を叩いてる暇があったらとっとと考える! さもないと小竜姫の懐が痛む私の作戦で行くわよ!」

 

 怒られた二人は、小さく肩を揺らしながら必死でおなかと口元を押え、何かを我慢するのに大変だった。

 

「クスクスクス・・・もう、また上層部に文句言われるんですよ」

 

「く、くっくっくっ、ま、まあ良いじゃないか。とりあえず作戦を聞こうか? ・・・プッ」

 

「わ、笑ってる暇無いでしょうが!!」

 

 しばし、怒声と小さな笑い声が、事務所の一室に響き続けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ちっ! 無能な奴らめ。おかげでこの私が一々出向かなければならん」

 

 数分後、事務所の見えるビルの屋上に小柄な影があった。フード付きのトレーナーと、半ズボンを履いたその姿は一見只の子供のようである。

 

 しかし、その顔に浮かぶ表情は、子供にしては歪みすぎていた。

 

「まぁ、良いだろう。あいつらなんぞ最初からあてにはしておらん。全く、最初から私が出向けば面倒な事など無かった物を」

 

 一歩、踏み出す。事務所の窓には全てカーテンが引かれており、しかも気配からするとどうやら結界を強化しているようである。

 

「無駄な事を」

 

 嘲笑と共に、一足飛びに跳ね上がる。結界にぶつかる瞬間、懐から取り出した魔符が一瞬光って砕け散った。着地点は、事務所の正面、問答無用の力押しのつもりである。

 

「さあ、精々無駄な足掻きを見せて――むっ!!」

 

 歪んだ笑いを浮かべながら、歩みでたその子供の目の前で。

 

 車庫から車が飛び出し、2階の窓から人影が飛び出し、屋根裏の窓からもう一人、飛び出した。

 

「ちっ! 逃がすか・・・あ?」

 

 車庫から飛び出した車の運転席には、亜麻色の長い髪がはためいており。

 

 2階の窓から飛び出した人影にも、その髪はあった。

 

 何故か、屋根裏から飛び出した影には更に真っ黒な翼が生えていた。

 

 

「こらぁぁぁっ!! 何処の世界に生身で空を飛んだり羽を生やしてる人間がおるかー!!」

 

「・・・ば、馬鹿か?」

 

 呆れた様に呟いた少年の目の前を、車に乗った女性が叫びながらすれ違って行く。空を飛ぶ二つの影は、その声にも反応せず只一目散に、ある方角へと飛んでいく。

 

 ドリフトを決めながらそれを追いかける車に向かって、疲れた様子でその少年は手を上げた。

 

「・・・運が悪かったな」

 

 一撃で、車は吹き飛んだ。瞬間の事である。ほぼ確実に、車上の人影も吹き飛んだ筈である。かなりの爆音が響いたが、空を飛ぶ影がそれを振り返る事は無い。

 

「妙神山の方角か。・・・魔族と神族が見捨てた? ・・・ふむ。ともかく、魂を回収してから、報告だけでも済ませておくか」

 

 訝しげに眉を潜ませながら、少年の姿を持った何者かは車の残骸に向かって歩いていく。

 

 その眉が、残骸の程近い所まで近寄って、驚愕に歪められる。

 

「ば、馬鹿な・・・居ないっ?! 奴は只の人間だろうがっ?!」

 

 慌てて辺りを見回すも、その姿は影も形もありゃしない。

 

そして、わたわたと辺りを見回していたその後頭部に、結構な衝撃が走った。

 

「な、なんだっ?!」

 

 衝撃を与えた物を引っ掴んで確かめてみれば。

 

「く、靴?」

 

 所謂、只の靴であった。呆然と、炎と煙を上げる車の前で立ちすくむおそらく魔族。しばらく、其処に立ち止まっていたそれは、ふと気がついたように慌ててその場を離れていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「よっし、命中!」

 

「よくもまあ、こんな事を思いつくものだ」

 

「お、おかげでこっちはもうへろへろですよ~」

 

 空を飛んでいる影は、何時の間にか3つに増えていた。その内二人が頭に手を伸ばし、被っていた亜麻色の鬘を外す。現れたのは、黒い艶やかなショートカットと、2本の角。

 

 紛れも無く、小竜姫とワルキューレである。

 

「やっぱり便利ねー、この竜神の装具」

 

「あ、後で返してくださいよっ!」

 

「分かってるって。・・・ちぇ、一つくらい良いじゃない、ケチ」

 

「だ・め・で・す!!」

 

 準備する物、美神と同じ色と髪型の鬘二つと服。もしもの時の囮用に、忠夫に使わせるために準備していたものである。

 

 次に、車が一台。少々高くついたが、保証は神族が受け持ってくれるので問題無し。むしろ、おキヌが帰ってきたときの為に買い換えようと決めていたので良い機会であった。

 

 最後に―――カセットテープとラジカセ。人工幽霊でも代用可能だが、車に乗り移っていては危険なので此方を使用。

 

 美神の声を吹き込んでおいて。

 

 本人は竜神の装具の力で空を飛び。

 

 超加速の使える小竜姫がラジカセもって囮になる。

 

 ワルキューレがわざわざ目立つように翼を出して飛んだのは、欺瞞行動の一つ。その後に美神が飛び出し、変装した小竜姫が美神の声を出しながら、わざわざ車で姿を見せる。

 

 攻撃されるだろうから、その瞬間に超加速でもって離脱。

 

 目の前にはっきりとした目標を出しておき、更に本命をド派手な分かりやすい物でカバー。

 

 最後の一撃は、ま、おまけである。

 

「此処の使い方。力で劣ってても弱いと限らないのが、この世の中ってもんなのよ」

 

 こんこん、と自分の頭を叩いてみせる美神。笑顔でそう述べる彼女に、二人は苦笑いを零しながら速度を上げた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「・・・と、言う訳です」

 

『ザッ―――ふむ、どうやら、美神令子の周りには厄介な護衛が付いた―――ザッ―――ようだな』

 

「ええ。捨て駒のおかげでそれが分かったのは良いのですが、問題は何故美神令子を見捨てたのかが」

 

『―――ザッ――妙神山に向かえ。其処に必ず居る。―――ザッ―――今度は失敗するな。良いか?必ず―――ザザザザザッ!』

 

「・・・故障か?」

 

 

『―――ザッ―――必ず、命を狙うんだよ?―――ブズッ』

 

 

「・・・ちっ、コロコロ指令を変えるんじゃねぇよ!」

 

 狭い地下室に、しばし火花の明かりがちらついた。

 


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