月に吼える   作:maisen

54 / 129
第捌話。

 

「で、何でお前ら此処にいるんだよ?」

 

「なんだこの野郎文句あんのか。むしろ何でお前が平気な顔して歩けてるのかが聞きてーぞ?」

 

「ふぅ、修行が足りないわねぇ」

 

「んだんだ」

 

 こくこくと頷く何処となく煤けた忠夫の横には、こちらも少々煤けた勘九郎が並んで歩いている。その後ろには、あっちにふらふら、こっちにふらふら、雪之丞がよたよたと。黒ずんだ、元何処かの柱を杖に歩く雪之丞は、何故か他二人よりも黒焦げの度合いが少々大きい。

 

「・・・こっち」

 

「おー。あ、その前にご飯が食べたいなー」

 

「・・・大丈夫。問題無い」

 

「いや、もーさっきから腹の虫が・・・」

 

 その三人の前を歩くのは、忠夫より頭一つ低いくらいの身長にまで成長した天竜姫。ふんだんに用いられた装飾と、内側から零れるような不思議な輝きを持った布で出来た服。

 

 そこそこの重量はある筈なのに、彼女の歩く音は軽く、装飾同士が擦れ合う音さえ聞こえない。水面に張った蓮の葉の上を歩くような、そんな雰囲気であった。

 

「・・・3日くらいご飯食べなくても死なない」

 

「おい、なんだか天竜怒ってないか?」

 

「知らないわよ・・・とは、流石に言えないわねぇ」

 

 忠夫の情けない声にも、振り向く事すらせずに氷河のような声を返す天竜姫。困惑したようにその後姿を眺める忠夫の横で、勘九郎は笑いを噛み殺す事に必死にならなければならなかった。

 

「ち、畜生、体力馬鹿どもめっ!」

 

 先程よりも、若干距離が離れてそんな声が聞こえたりもする。そんなふらふらの雪ノ丞を無視して、馬鹿と言われた二人は鼻歌交じりに歩く速度を上げたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 天竜姫様ご乱心の後、ぞろぞろと男三人を引き連れての行脚は天竜姫を先頭にどんどんと妙神山の内部へと歩いていく。

 

 目の前を行く小さな背中は「不機嫌です」とばかりに此方の意見を拒絶しているので、自然と会話の相手は余裕のある隣の大柄な男となった。

 

「ま、雪之丞の修行の仕上げに、ね」

 

「ほー。っつー事は今まで山ごもりでもしてたとか?」

 

「あら、正解。ここんところずっと二人で山暮らし。あー見えて中々鋭敏にはなってるし、なにより基礎体力と霊力は厳しくやらせといたから、もうそろそろ次のステップに進む頃合なのよねー」

 

 きっと、その基礎体力と鋭敏な感覚は、隣の兄弟子から身を守る為に必死で頑張ったんだろーな、と思う忠夫である。さっきから目線がちらちらとこっちの腰辺りに注がれてるし。 

 

 なんとなく一歩横にずれる忠夫であった。

 

「・・・つまらないわねぇ。雪之丞もそんな時だけはすっごく頑張って逃げるのよねぇ。深夜だろうが明け方だろうが一発で起きちゃうし」

 

「南無南無」

 

 自分の想像が当たっていた事に少々恐ろしさを覚えつつ、更に一歩距離を取る。合わせた掌は後ろを歩く、ぎりぎりで大事な何かを守り通した男への賛辞である。

 微妙に違うか。

 

「何回夜中に俺のテントに潜り込むんじゃねぇつっても、油断すると侵入されそうになるからな。・・・朝起きたら隣にこいつが笑顔で寝てるんだ。悪夢だぜ?」

 

「頼む、同意を求めるな。そして俺の後ろに回るな。衆道は俺の担当じゃないっつーの」

 

「アホかっ!! 俺は潔白だっ!!」

 

「あらあら、それじゃ三人一緒に「「嫌じゃぁぁぁっ!!」」ま、残念」

 

 そこらに杖代わりの木の枝を放り出した雪之丞が、真っ青な顔で忠夫に並ぶ。3人で並んで歩くには狭い通路だが、一番大きな個体との心の距離がとても遠かった。

 

 後ろで楽しげに騒ぐ三人というか、そのうちの一人が構ってくれないもやもやで、更に先頭の不機嫌さと歩く速度が増してはいるがそもそもコンパスに違いがありすぎるのであんまり距離は開いていない。

 

 それでも歩いていけば、何時かは目的地に辿り着く。

 

「・・・着いた」

 

「お、さんきゅー」

 

 つんつんと引かれたジージャンの感触にそちらを振り向けば、其処に在るのは何時か美神が修行を受けたのと同じ場所。どうやら気絶した忠夫と、それを引きずってきた天竜姫が出たのはかなり修行場の奥まった場所であったらしい。

 

 騒ぎを聞きつけた、管理人が居ない事で足留めを食らっていた勘九郎、雪之丞と一緒に辿り着いた其処は、どうにも懐かしさを覚える場所であった。

 

「うわー、なんか、あんまり前の事でもないのにひっさしぶりに思えるなー」

 

「とんでもない所ね。仮想空間かしら。それにしても無茶苦茶な広さね、此処」

 

「おお、それっぽいっ! 今から何やるんだっ?!」

 

 三者三様の感想を浮かべる中で、その荒涼とした大地の中心にある、直径2M程の魔法陣の更に中心に天竜姫が進み出る。

 

「・・・えっと、そっちの男の人は、一人だけでいいの?」

 

 ちょっと首を傾げ、不思議そうに勘九郎を見る天竜姫。その手には書類が握られており、どうやら派遣された小竜姫の代わりに一時的に管理人代わりをするようである。

 

「ええ。あくまでも雪之丞の総仕上げよ」

 

「あれ? 勘九郎はやらねーんだ」

 

「人に修行をつけてもらうのってあんまり好きじゃないのよねー。ほら、私ってどっちかって言うと攻めだし。ね、雪之丞?」

 

 空気が、そよ風と言うには少々空っぽさだけが先に立つ風が、それに巻かれて舞い上がる土埃が、全てが、固まった。

 

「誤解を招くような事を言うなぁぁっ!! それと横島っ! 手前もドン引きするんじゃねぇっ!!」

 

「ご、誤解なのか? 本当だよなっ?!」

 

 何時の間にやら天竜姫の後ろに隠れて、半分だけ出した顔で恐る恐る覗き見る忠夫に、必死の形相で雪之丞が吼える。

 

 嬉しそうに忠夫の頭を撫でる天竜姫は、最早こちらを見てもいないし、元凶は腰と頬に手をあてて、くねくねと不気味に動いているだけである。

 

「あ、別に受けでも良いわよー」

 

「だぁぁっ!! とっとと始めてくれぇぇぇぇっ!!」

 

 先程までのうきうきした様子も無く、見るも無残に半泣きの表情で、雪之丞が悲痛な声を上げた。

 

「・・・では、妙神山管理人代理、天竜の名において、『うるとらすーぱーでんじゃらすあんどはーど』・・・言い難い・・・『修行こーす二人前』、てすと、始めます」

 

 横文字の辺りを棒読みで述べる天竜姫。そのいかにも過ぎるネーミングに固まる忠夫と、とりあえず灰になる直前に復活した雪之丞が「きーてねーよっ!」と叫ぶ前に、天竜姫の腕が振り上げられる。

 

「ゴゥゥゥゥ」

 

「キシャシャシャシャッ!」

 

 岩石が軋みあうような音と共に、岩で出来た一つ目を持つ巨人、剛練武が現れ、耳障りな笑い声と共に四本の鋼の刃で出来た足を持つ、真っ黒な姿を持った禍刀羅守が現れる。

 

「マジで?」

 

「・・・まじで」

 

 ぷるぷると震える指先で、忠夫がその二匹を指す。たった三文字の答えを、無表情のままで返してきた天竜姫の方から、指差した二匹に視線を戻す。

 

「・・・や、やばっ?!」

 

「へっ! 面白くなってきやがった――うおっ?!」

 

 腰を落とし、後ろに飛び退ける体勢をとった忠夫と、魔装術を纏い、突撃する為に前傾姿勢になった雪之丞。その僅かな動きが、その後の展開を決定付ける。

 

 先ず、先制したのは禍刀羅守。

 

 二人の間に割り込むようにその右前足を振り下ろす。それは容易く地面を切り裂き、回避した二人の距離も、それぞれ前と後ろに跳んで回避した二人の距離も引き裂いた。

 

 前に跳躍した雪之丞に、更に追撃の一手を送る禍刀羅守。まるで馬の後ろ足のように跳ね上がった右後ろ足の刃は、強かに雪之丞の背を叩く。

 

 後ろに跳び退った忠夫に追撃したのは、突然の一撃をかました禍刀羅守の後ろに隠れるようにして迫ってきた剛練武。その拳は既に振り上げられており、忠夫の着地と同時に振り下ろされた。

 

 轟音と、鋼と鋼がぶつかり合ったような音が響く。辺りは一瞬にして剛練武の起こした土煙にまかれ、誰もが、視界を奪われた。

 

「・・・・・・」

 

「心配?」

 

 その光景を、胸の前に小さな拳を作って見ている天竜姫の横に、勘九郎が並び立つ。声に反応し、僅かに肩を揺らす。しかし、視線は前を―――忠夫に向かって振り下ろされた剛練武の拳が巻き起こした、その轟音の発生源を見つめて動かない。

 

 同様に、隣に立つ勘九郎の視線も、禍刀羅守の刃を背中に貰った雪之丞がいるであろう位置から動かない。

 

「でも、多分大丈夫よ」

 

「・・・うん」

 

 深く、優しい声だった。何時ものちょっと高音入った背中にぞぞっと来る声ではなく、落ち着いた、大人の男性の声。

 返された声も、また、深く。信頼と、精一杯の「頑張れ」が篭った、きっと届かないであろう声だった。

 

「・・・だって」

 

「あいつは」

 

 土煙が、晴れる。僅かに吹いていた風が、一陣だけ強く吹き、隠された物を、紛い物の太陽の下に、さらけ出す。

 

「犬飼君だから」

 

「雪之丞ですからね」

 

「「―――こんのやろぉぉぉぉっ!!」」

 

 土煙を払った風に、掻き消された声を上書きするように。二つの声が、荒野に響く。

 

 方や土煙とともに跳ね飛ばされた小石や砂で体中に小さな擦り傷、切り傷を作り。

 

 方やおそらく地面に顔面から、無防備な所を固い地面に打ちつけたにもかかわらず、真っ赤な額と鼻の頭に擦り傷だけ。

 

 それでも、その口から放たれた言葉は、同じ物だった。

 

「・・・がんばれっ! 犬飼君っ!!」

 

「気合入れなさいっ! 雪之丞っ!」

 

「応っ!」

 

「言われなくてもっ!」

 

 地面に突き刺さった剛練武の拳を、駆け上がるようにしてその瞳に接近する忠夫。少し離れた場所で、振り向いた禍刀羅守に正対する雪之丞。

 

 戦いが、始まった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「こっ、怖えぇぇっ!!」

 

 瞳から滂沱の涙を流しながら、それでも剛練武の腕を駆け上がる。その腕が地面より引き抜かれるよりも一瞬早く、右手に展開した霊波刀を、爪の形にして剛練武の角に引っ掛ける。

 

 駆けて来た勢いのまま、掴んだ角を支点に一回転。

 

「こんのおっ!」

 

 そのまま、勢いを殺さずに、掴んだ手を離して空中で一端身を捻る。そのまま霊波刀の形に戻した右手を、弱点の瞳に―――。

 

「・・・へ?」

 

 突き刺さらなかった。剛練武の瞳は柔らかく霊波刀を受け止め、ゴムのようにぼよよ~んと跳ね返す。以前小竜姫は言っていた。「次からは見た目も重視してみますか」と。つまり、既に強化、改良済みである。

 

「小竜姫様のあほー!!」

 

「ゴォォォォッ!!」

 

 かなりの勢いで突き刺そうとしたせいもあってか、結構な距離を跳ね飛ばされ、折角縮めた距離も再び開いてしまった半人狼は、慌てて背を向け戦略的撤退を開始した。

 

「ちっ! あの馬鹿さっさと・・・このっ!!」

 

「クケケケッ!!」

 

 一方、雪之丞も苦戦を強いられていた。動きが見た目よりも速く、しかも後ろの二本を地面に突き刺し、僅かに浮かせた体の前半分から2本の刃が、雨霰と降ってくるのである。

 

 あるいはかわし、あるいは腕の部分の魔装術で反らし、致命傷にならないものは僅かに体をずらして皮一枚切らせるくらいのつもりで流す。

 

 どうやら禍刀羅守も強化を施されているようで、完全にフリーになった2本の刃が生み出す速度は、雪之丞の目にはまるでその数倍の数を持って襲い掛かるようにも見える。

 

「ぐっ、埒があかねぇ・・・ジリ貧かっ!!」

 

「ケーッケッケッケッ!」

 

 強化されていたとしても、その細かい攻撃を繰り返す性格は変わっていないらしく。厭らしい声を上げながら、ひたすら刃を振り下ろす。

 

「・・・んなろ。やってやろうじゃねぇかっ!!」

 

 だが。

 

「ま、相手が雪之丞じゃねぇ」

 

 勘九郎の口から、微かに零れるようにして、そんな言葉が洩れ聞こえた。

 

「オラァッ!!」

 

「グキャアッ?!」

 

 再び、鋼と鋼がぶつかり合うような甲高い音が聞こえた。先程と違うのは、その音を立てたのが雪之丞の背中ではなく――

 

「手前の武器と、俺の拳っ! どっちが先に根負けするか、一つ試してみようかいっ!!」

 

「グ、グキャァァッ!!」

 

 禍刀羅守の刃を、ギリギリで掻い潜った雪之丞が繰り出した拳だと言う事。それは、禍刀羅守の刃の、横面を、思いっきりぶっ叩いた。

 

「ドンドン行くぜぇっ!」

 

 連続で鳴り響く打撃音。一撃ごとに刃が震え、撓む。しかし、禍刀羅守はその連撃を止めない。止められない。止めた瞬間に、目の前の男は、禍刀羅守の懐、一番弱いその場所を、確実に抉ってくるだろう。

 

 それは、先程の、一撃を避けたその瞬発力が証明している。

 

 しかも。

 

「・・・やれやれ、冷や汗かいちゃうわね。これだからバトルジャンキーって奴は」

 

 先程までは、僅かに掠っていたその攻撃も、全て見切られ、カウンターされていた。戦闘の中で、集中力を限界にまで高め、思考の全てを戦いに割り振る。もう、彼の頭の中には目の前の禍刀羅守以外の事は欠片も、無い。

 

 その光景を、雪之丞の全力を見せ付けられた勘九郎は、修行の量を増やす事を己に誓った。まだまだ、弟弟子に追いつかれる訳には行かないのだから。

 

「オラオラどーしたっ! 大分ガタついて来たぞっ?!」

 

「キィィッ!!」

 

 言葉通り、禍刀羅守の刃は、既に亀裂を生み始めていた。それに比例するかのように更に鋭さを増していく雪之丞の一撃。あらゆる角度から打ち込まれる刃を、あらゆる角度から打ち出す拳で迎撃する。

 

 亀裂は広がり、とうとう限界が見えたその瞬間。

 

「クキャァァッッ!!」

 

 禍刀羅守は、雪之丞ではなく、目の前の地面に2本の刃を突き刺した。跳ね上がるように、雪之丞の頭部に雪崩れ落ちる、全く傷付いていない2枚の刃。禍刀羅守の、後ろ足。

 

「それが、どうしたぁぁっ!!」

 

 しかし、雪之丞は、その動きを止めなかった。むしろ、一歩踏み込み――折れかけた前足に、全身全霊の力を篭めた拳を打ち込む。禍刀羅守の一撃は、雪之丞の背中を僅かに掠め、地面を抉り。

 

 雪之丞の一撃は、禍刀羅守の前足を、打ち砕いた。

 

「ゲームセットだ、な。せいっ!」

 

 勢いのまま前方に倒れ、腹を、最大の弱点をさらした禍刀羅守に、雪之丞は肉食獣の笑顔を向けながら、そのどてっぱらに最後の一撃を打ち込んだ―――。

 

 

「・・・ふぅ」

 

「ま、50点って所かしら」

 

「うっせーな。横島はどうした?」

 

「ん? ほら、あれ」

 

 禍刀羅守が光とともに消え去り、辺りには名残のように光を反射する砕けた刃の破片がが散らばる。大きく息をついて魔装術を解除した雪之丞に声をかける勘九郎。

 少々辛口の点数に、ちょっと納得いかなげな雪之丞が発した問いの答えは、

 

「おっひょー!!」

 

「ゴァァッッ!」

 

 今だ、涙を流しながら逃げ回る忠夫であった。

 

「死ぬっ! 死んでまうっ! こっちの攻撃が通らないって反則じゃー!!」

 

 忠夫とて只逃げ回っていた訳ではなかった。あちこちに散らばる手頃な大きさの石を投げつけてみたり、すれ違いざまに足元に切りつけてみたり、もしかして、と角に攻撃してみたり。

 

 しかし、ぜーんぶ、硬い剛練武の装甲に弾かれてしまっていたのである。

 

「どーせーっちゅーんじゃー!!」

 

 その悲鳴も当然と言えば当然だろう。実際、弱点の筈の目はまるでゴムのように衝撃も、霊波刀の斬撃も、打撃さえも吸収してしまうのだから。

 

「何かないんかー!!」

 

 必死に辺りを見回す忠夫。しかし、此処は街中や森の中ではなく、妙神山の中に作られた異界。最初からあるものといえば、砂と、岩と、一部の建築物を構成する物だけである。

 

「・・・あ」

 

 縦横無尽に駆け回る忠夫から離れ、うずうずと参加したがる弟弟子を引きずりながら天竜姫の傍に向かった勘九郎が見たものは。

 

 しゃがみ込み、ごそごそと何かを拾う忠夫。当然その隙を剛練武が見逃す訳も無く、その背中に向かって拳を振り下ろす。

 

 再び巻き起こる粉塵。飛び出す忠夫。その手の中で、太陽の光を反射する――

 

「ゴ、ゴァッ?!」

 

「ふ、ふふふ・・・怯んだな? いま、怯んだよなっ?!」

 

 ――禍刀羅守の、砕けた刃。

 

 今、霊波刀を篭手状に展開した忠夫の手の中で輝く禍刀羅守の刃は、果たして剛練武に通用するのか?

 

 剛練武は、ちょっと後ずさってしまった。

 

 にやり、と、いやに汗をだらだらと流しながら忠夫が一歩進む。

 

 じり、と剛練武が下がる。両手を突き出し、ぶんぶんと振りながら。

 

 言葉で表せばこうだろう。

 

 

―――「お前、そりゃ反則だろっ?!」

 

だから、忠夫は眼で答えた。

 

―――「そんなの、きーてないもんねー」

 

 

「ゴワァァァッ!」

 

「逃げんなやゴラァァッ!! ゲーっゲッゲッゲ!」

 

 とっても楽しげに、と言うか何かを吹っ切ってしまったように拾ったナイフを握りながら――いやいや、拾った禍刀羅守の刃の欠片を握りながら、己より倍も高い身長を誇る剛練武を追い掛け回す忠夫は、とっても良い笑顔だった。

 

「・・・え、と。合格で良いのかな?」

 

「いーんじゃない? どーでも良いけど、早いところ止めたげないとトラウマになるわよ、アレ」

 

 首をかしげた天竜姫の声と、呆れたような勘九郎の声が、風に巻かれて飛んでいった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「・・・話にならないわね」

 

「そうか。ならば好きにしろ。此方も此方で勝手に動かさせてもらう」

 

「・・・え?」

 

 ようやく落ち込むだけ落ち込んで、底を叩いて復活した小竜姫が顔を上げた時、後ろからはそんな会話が聞こえてきた。

 

「ちょ、ちょっと待ってください! 一体何がどうしたって言うんですか?!」

 

「どーもこーも無いわ。そっちの考えだけで動かされるのが、私は気に入らない」

 

「こっちはそんな個人の我が侭を聞いている場合ではない。事は重大なのだ、何故それがわからんっ!!」

 

 ワルキューレの手が、重厚な作りの机に振り下ろされ、大きな音を立てる。

 

「だったらその「じゅーだいな」理由ってのを説明しなさいっていってんのよっ!!」

 

 対抗するように美神も立ち上がり、同じように机を叩く。二人の視線はぶつかり合い、その瞳と瞳の距離は既に10cmも無い。互いに一歩も譲らずに、ガチでぶつかる互いの意地。

 

「こっちは所員を持ってかれて仕事に差し支えがあるっていってんのっ!」

 

ばん。

 

「それがどうしたっっ?! たかが一回や二回の仕事くらい、自分ひとりの力で切り抜けて見せろっ!!」

 

ばん。

 

「「ふぬぬぬぬ~~~!!!」」

 

ぷち。

 

「いい加減にしてくださーーいっ!!」

 

「「うわきゃあっ?!」」

 

 とうとう額をごりごりと押し合いながらの睨み合いにまで発展し、最早どちらが先に抜くか、と言う状況にまで陥っていたその瞬間、ぶち切れた小竜姫の堪忍袋の音と共に、辺りを強烈な竜気の奔流が荒れ狂う。  

 

 以外に可愛げのある悲鳴をあげて吹っ飛ぶ二人。

 

「何すんのよ小竜姫っ!」

 

「そうだっ! そもそもこの―――」

 

「其処まで。これ以上無駄な争いを行なうようであれば」

 

 二人の間に仁王立ちになり、左右からの抗議を聞くと見せかけて問答無用で殺気を放つ。そして、おもむろに腰に下げた神剣を抜き。

 

「この小竜姫が、お相手になりますよ?」

 

 にっこりと、微笑む。二人には、その笑顔で微笑む小竜姫の後ろに、荒れ狂う暴龍を見た・・・ような気がした。素早く両手を挙げ、降参の意を同時に示す。

 

「美神さん、悪いようにはしません。神族としての、竜神族としての小竜姫で無く、只の小竜姫の名に誓って、貴方にとって、不利益となる事はいたしません。この保証では、足りませんか?」

 

「・・・むー。あなたが其処まで言うのなら」

 

 まだ納得行かない様子でありながら、小竜姫が、神族としてではなく、小竜姫として約束した事にとりあえず矛を収める美神。

 

「なっ?! 小竜姫、それは神族としてかなり問題のある「ワルキューレ、貴方もです。私は、あくまでも護衛としてこの場に参りました。貴方もそうでしょう? 違いますか?」・・・あ、う、いいや、全くその通りだ」

 

 暖かみのある笑顔で微笑む小竜姫に、毒気を抜かれた表情で、ぽかんとした答えを返す。

 

「ならば、互いに譲り合う事から始めないと。ほらほら、握手握手」

 

 ニコニコと笑いながら、美神とワルキューレの手を引っ張る小竜姫に、二人はなんだか素の表情。気付けば握手どころか握り合った手を上下にぶんぶか振り回されていたりする。

 

「・・・全く」

 

「・・・しょうがない、かな?」

 

「と、言う訳で」

 

 笑顔のままで、小竜姫が、小さな声で呟いた。

 

「早速、お仕事ですか」

 

 その一言で、場の雰囲気が一気に変わった。

 

「・・・私が行きます。ワルキューレ、援護を」

 

「了解した。あー、美神」

 

「・・・何よ」

 

 静かに、なんでもない様子を保ちながら、神剣を納めた小竜姫が窓に近づいていく。勿論神経は限界まで張り詰めており、いつでも動ける状態を保っている。

 

 美神の名を、そう、初めて美神の名前を呼んだワルキューレは、部屋の真ん中に置いてある、先程まで美神とワルキューレが叩き合っていた机に手をかけ、その手が机にめり込むほどの力を篭める。

 

「・・・此方にも少々不手際があったようだ。謝罪する」

 

「硬いわねー。もうちょっと楽に生きないと駄目よ?」

 

「ふん。あいにくと性分でな」

 

 互いに顔を見たりはしない。硬い声同士でありながら、互いに互いの方を見ようともしていないながら、それでも、僅かに、何かが緩んだような気がしている。

 それを、苦笑いと共に眺めながら、小竜姫は窓から見えない角度で指を3本立てた。

 

 一本目が折れる。机を握り締めたワルキューレの手に力が篭る。

 

 二本目が折れる。小竜姫が、鞘から僅かに剣を引き抜いた。

 

 三本目が折れた瞬間、振り向きざまにワルキューレが、手に持った人一人分以上の大きさはある机を思いっきり窓に向かって投げつけた―――。

 

「美神令子っ!その命、頂きに来たぶほおっ?!」

 

 どうやら強襲でもするつもりだったらしく、窓ガラスを破りながら高速で飛び込んできた、黒い蝙蝠の翼に、シェードのサングラス、しかも筋肉モリモリの裸の上半身に直接袖の破けたジャケットと言う、いまどき映画でも見ないような格好の魔族は。

 

「はい、其処まで。動くと首が落ちますよー」

 

 飛び込んだ瞬間に机のカウンターを食らい、怯んだと同時にうなじにとん、と落とされた冷たい鋼の感触を感じて、そろそろと両手を挙げたのだった。

 

「ま、そちらの方が専門家ですから」

 

「ああ、任せてくれ。魔族の軍隊式情報収集の極み、こいつの体に叩き込んでやる」

 

「・・・て、手加減は?」

 

 朗らかに手を振る小竜姫を尻目に、捕獲された魔族を引き連れ、ワルキューレが部屋の扉を潜っていく。勿論魔族の後頭部には銃口が押し当てられており、妙な動きをすれば即、ズドン、と言ってある。

 

 意外な呼吸の合い様と、その後のなんとも手早い行動に、美神は呆れた視線で眺めるだけであった。

 

「手加減? 無用だ」

 

「そ、それは普通我の台詞ではーーー?!」

 

「ああ、しかしお前には発言権以外が無い。困ったものだな。早く吐かないと大変だぞ? 色々と無くなるかもしれんなァ」

 

「・・・ま、いーけどね」


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。