月に吼える   作:maisen

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第伍話。

「――これは、賭けなのだ」

 

 暗い。辺りは剥き出しの岩と、遥かな古代より積み重なった土の壁。そして、僅かに零れる光。

 

「お前と私の、な」

 

 牙のような鍾乳石が天上からぶら下がり、地面は不自然なまでに均されている。人の手の入ったその地下洞窟は、今は只、時を待つのみの筈、であった。

 

「守らねばならぬ。それが、私のこの影に過ぎぬ身の証なのだから」

 

 呟く影の後方に、それまでに無かった光が差し込む。影の言葉より他に音も無く、静寂に包まれていた洞穴は、久方ぶりの来客を経て、その内に抱いた疑問を、さらけ出す。

 

「許せとは言わん。が――」

 

 最後の一言は、背後の騒音に掻き消されて、洞穴の半ばを占める冷たい水に波紋を生み出す事さえ、無かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ふぅ。お尻が擦り切れるかと思ったわ」

 

「・・・とりあえず、退いてほしいっす。美神さん」

 

 神社の天井を貫き、あまつさえ怒りとか恥ずかしさとかなんか諸々が原因で、更に突き破って床まで貫通。

 

 突き破った床板の下には、あからさまに怪しげなスロープがあり、忠夫と美神は其処を滑って更に下へ。

 

 着いた先には固い地面と怪しい空間。何処の神社の地下に、此れ程大げさな仕掛けがあるというのだろうか。

 

 予測を確信へと変えながら、クッション代わりから飛び退く。幸い半人狼が庇ってくれたおかげで怪我は無いが、それまでの展開がアレだから、ま、礼は何時かの事とする。

 

「・・・成る程、此処が、あの神社の本当の聖域か。異様なまでに強い地脈の気配と、妙な感覚。道理であんな辺鄙な所に、いやに立派な建物があると思ったわ」

 

「あたたたた・・・。いや、それだけでもないと思いますよ? ほら、あの変な物」

 

 忠夫の言葉に振り向いた美神の視界に入ったのは、直径2M程の球体を、6本の柱が不揃いに立ち支える、前衛芸術のような物体であった。それが、霊的な構造物である事を示すように球体の周りには注連縄が巻いてあり、それなりの雰囲気というものをかもし出している。

 

「ふ・・・ん。ビンゴ、かしら?」

 

「ですかね。それなら、おキヌちゃんが近くにいるかも――」

 

「――探す必要は、ありません」

 

 キョロキョロと辺りを見回す忠夫の後ろに、いきなり、というよりも、突然写し出されたように、黒い影が浮かび上がった。

 

「「・・・!」」

 

 そのことに酷く驚きながらも無駄口を叩く事無く、素早く飛び退き、霊波刀を展開。同時に、美神も神通棍を伸ばす。

 

「・・・霊波刀か」

 

 二人を、いや、忠夫の作り出した霊力の剣を見、一瞬だけ驚いたように目を見開く。そのまま、何事も無かったかのように、その影は二人に向かって訥々と話し出した。

 

「現代の退魔士達ですかな?」

 

「そうよ、って言ったらどうする?」

 

「お待ちしておりました。用件は、死津喪比女の事に関して、ですな。・・・あれがこの地脈の堰の頚木から抜け出してはや数ヶ月。そろそろ、誰かが来る頃だと思っておりました」

 

 ゆっくりと、頭を下げる影。再びその顔が美神達の前に現れたときには、完全に作られた笑顔だけが浮かんでいる。

 

「ようこそ、現代の退魔士たち。私は、最早名も無き影。――その昔、この地に死津喪比女を封印した道士の残留思念、と言ったところでしょうか」

 

 只、目だけが、凝り固まった信念で輝いていた。

 

 

「まずは、説明せねばなりますまい。あの死津喪比女を封印した少女、おキヌという名の少女の事を」

 

「知ってるの?!」

 

「おキヌちゃんは何処にっ!」

 

 残留思念の道士の口から滑りでた言葉に、ようやくの痕跡を見つけた美神達は思わず反応してしまう。

 

「・・・そうですか。貴方達が、おキヌを此処から解き放ったのですか」

 

「・・・な、なーんのことかしら~」

 

「完全にバレバレっすよ! 美神さん!」

 

「しっ!誤魔化せば良いのっ!」

 

「そう言う事は、せめて聞こえないように言って欲しいものですが。とは言え、結果としては最良ではなくとも次善でありますので、お気になさらぬよう」

 

 こそこそと話し合っているつもりの二人に突っ込み、そしてその会話に結論を持ち出す道士。いとも簡単に、あっさり振り返った美神は誤魔化すような笑顔を真剣な物に変え、道士を睨んで腕を組む。

 

「・・・どういう事よ。地脈を弄られて、復活までされて、それが次善?」

 

「・・・それは、また後ほどに。先ずは、説明を」

 

 その視線を避けるように、道士は軽く手を振り上げた。

 

「私は、私に課せられた役目は、死津喪比女の復活に対応する事。その為に、道士の人格より形成された写し身。貴方達は、この記録を見る権利と義務がある、と判断します」

 

 振り下ろされたその手の先から、辺りの情景が一変する。

 直後、美神達の視界は、太陽の光と自然の緑、空の青さに占められていた。

 

「えらく大規模な装置ね」

 

「そうでもありません。あくまでも、この空間だけ、ですから」

 

「うわ~、美神さん味神さん! 何も無いのに何かありますよー! ほらほらー!」

 

 楽しげな声に出所を探れば、それは上から聞こえてきた。振り仰いだ美神達の目に写ったのは、おそらく鍾乳石にぶら下がっているのであろう、両手両足で抱きつく格好で、何も無い空間に浮かんでいるように見える、忠夫だった。

 

「・・・あんた、何時の間に登ったのよ」

 

 軽く頭を押えながら問う美神。その質問に答える事も無く、忠夫は上から辺りを見回す。

 

「うっわ、山の形おんなじ」

 

「良いからとっとと降りてこんかいっ!」

 

「・・・先に進めて良いでしょうか?」

 

 律儀に待っていたのであろうか、そう聞いてきた道士に手の動きだけで先を促しつつ、飛び降りてきた半人狼の声を聞く。

 

「間違いないっすね。周りの地形がおんなじっす。でも、生えてた木とか川の形からすると、300年くらい前かな?」

 

「・・・その通りですが」

 

「良いから、先、続けて」

 

 どうやら映像の場所を確認していたらしいが、行動がアレなので美神はいささか恥ずかしそうではある。

 

 そして、頷いた道士の動きとともに、辺りの情景が動き出す。がさがさと揺れる茂みの中から、小さな影が三つ出てきた所でようやく忠夫が美神に並ぶ。

 

 小さな影は、粗末な、服というよりも布に近いそれを纏った子供達であった。子供達はこそこそと隠れるように移動しながら、前方を眺めて動きつづける。その視線を追った美神達の前に、新たな影が写し出された。

 

「おキヌちゃん・・・!」

 

「・・・巫女服じゃないおキヌちゃんも新鮮っすね~」

 

 なんとなく横でのんびり呟いた忠夫に、美神が勢い良く肘を打ち込む。そんな光景は環形無く、目の前では、おキヌが子供達に詰め寄られ、そして子供達を説得し、最後は実力行使で縄で縛って気に吊るす。そんな光景が展開されていた。

 

「・・・この頃から、怒ると怖かったのね」

 

「・・・ですね」

 

 おキヌは瞳に決意を湛え、強張った面持ちで歩いていく。その表情を子供達に見せないように、振り返ることも無く。

 

 そして、場面は切り替わる。次におキヌが現れたのは、それなりの規模の城をその背に背負う城内の屋敷、その庭先であった。

 

 城主らしき立派な服を着た丁髷姿の男性と、それに従うこちらも丁髷姿の侍と思しき何人かの男性達。城主の隣には道士の姿もあった。屋敷の中から、庭に集まった年若き女性達を、済まなさそうな表情で眺めている。

 

「・・・話は聞いていると思うが、もう一度、説明する」

 

 苦々しげに、搾り出すようにして城主が放った言葉。

 

 要約すると、この時代で暴れていた死津喪比女を、公儀から「退治せよ」と命令が下り、その為に「生贄」が必要となる事。

 

 そして、その生贄を選ぶ為のくじ引きを、今この場で行なう事。

 

 その話を聞く女性達の表情は、冴えない。あるものは恐怖し、あるものは諦観し、あるものは――それでも、視線を落とそうとはしていない。

 

 口惜しげに、城主と道士が準備していた籤の入った箱を指し示す。

 

「・・・怨んでくれるな、とは言わん。だが、領主として、私個人として、そなたらの縁者には苦労は「父上ぇぇぇっ!!」なっ?! 女華姫、何故此処にっ?!」

 

 廊下の向こうから、爆音とともに巨大な物体が疾走してくる。どうやら女性のようであるが、着物の袖になんとか押し止めようとする数名を引きずりながら、全く意に介した様子も無い彼女を、姫というのは正直アレだ。

 

「何故ですっ! 何故わらわを人身御供の選定の中に含めて頂けないのですかっ?!」

 

 実の父、というか城主の胸倉を掴み上げんばかりの勢いで、女華姫と呼ばれた女性が迫る。

 

「姫よ、お前は自分の役目がある。ワシ亡き後、この領地を背負って行くのは、お前と、お前の夫たる人物。だから・・・堪えてくれぬか」

 

 どうやら、城主は姫を選定の中に含めず、そしてそれを不服に思った姫が閉じ込められていた離れから脱出、そして、此処まで辿り着いた故の親子喧嘩となったようだ。

 

「違いますっ! 民草の為に命を張らずして、なんの主家かっ! 姫も15、あの娘達も15! 命に何の違いがあろうぞっ!」

 

 まるで岩石のような、それでも必死に涙ながらに訴える我が娘の心優しさを嬉しく思いつつも、城主は姫を必死で諭す。

 

 しかし、姫も譲らない。平行線の話し合いは、それを呆気にとられたように眺めていた、集められた女性達の中から一人の女性が進み出た事で、終わりを告げる。

 

「お、恐れながら、私が志願いたしますっ!!」

 

「おキヌ・・・!!」

 

 進み出たのは、先程までの重苦しい雰囲気の中でも顔を伏せる事の無かった僅かな女性達の内の一人、おキヌであった。

 

 場面は更に進み行く。

 

 城に逗留し、禊を行なうおキヌ。それを必死で説得し、思いとどまらせようとする姫。

 

「おキヌ・・・! わらわと、わらわと代われ! お前はわらわと違って器量も良い! お前なら、これから先幾らでも幸せを掴める! 皆もそう望んでおる・・・!」

 

 夜の庭に、軽い音が響いた。

 

「おキヌ・・・」

 

 姫の頬に平手を振った村娘を、姫は驚いたように見つめる。険しい表情のおキヌは、ふ、とその表情を和らげ、叩いた頬をそっと撫でた。

 

「姫様・・・貴方には、優しい家族が居るじゃないですか。そんな事言ったら、その家族が悲しんじゃいますよ?」

 

「だが、だが・・・!!」

 

 苦しげに、心底苦しげに姫が呟く。

 

「それに、命に違いは無いって言ったのは、姫様でしょう? 村娘だって、お姫様より価値が上だなんてことは無いです。それに、もう、終わりにしたいんですよ。誰かが家族を失って悲しむなんて」

 

 そんな姫の、とうとう蹲って泣き始めた姫を優しく抱きしめながら、おキヌの口から柔らかな歌声が響き渡る。

 

 それは、忠夫達が聞いた、子守唄だった。

 

 夜空に歌声が響き渡る。子供のように嗚咽する姫を抱きながら、おキヌはただ、歌い続ける。何時の間にか、空には満月が輝いていた。

 

 

「ええ娘や・・・ほんまにええ娘や・・・」

 

 滂沱の涙を流しながら、映像のおキヌたちを眺める忠夫。その後ろでは、美神が困ったように頭を掻いている。

 

「で、これを見せてどうしようってのよ?」

 

「・・・それでは、先を続けます」

 

 問うた美神に視線を合わせる事も無く。道士は誤魔化すように先を続ける為、手を振り上げた。

 

 

 其処から先は、装置に向かって連れて行かれたおキヌと、それを妨害する死津喪比女、そして。

 

「わらわは姫じゃっ! 村娘ばかりに良い格好はさせぬっ!」

 

「姫ー!!」

 

「私の命を、どうか、どうかみんなの為に・・・!!」

 

 水脈に飛び込み、装置を動かす人柱になったおキヌと、襲われていた姫の前で枯れていく死津喪比女。

 

 最後に、本体が眠りに入った事を告げ、死津喪比女は枯れていく。その様子を口惜しげに眺めながら、おキヌの飛び込んだ水脈に近づいていく道士。

 

 ――そこで、映像は途切れた。

 

 

「成る程。おキヌちゃんが居なくなった事で装置が稼動不能に陥った。そして、そこから溢れ出た地脈の力で、死津喪比女が復活した、ってわけね」

 

「んじゃ、おキヌちゃんは今何処に居るんっすか?」

 

「・・・おキヌは、今、あの装置の中で調整を行なっています。おキヌの霊体そのものを武器にし、地脈の力を篭めた直接攻撃で死津喪比女の本体そのものを、倒します」

 

 最初は、何を言っているのか理解できないようであった。しかし、理解の色が浮かぶと共に、その表情が怒りに満たされていく。

 

「あんた、何言ってるか分かってんの?!」

 

「まさか、おキヌちゃんをミサイル代わりにするつもりかよっ!」

 

「・・・映像を見せたのは、貴方方に邪魔して頂きたくなかったから。おキヌは、守る為に命を捨てました。彼女なら、やってくれる。だから、彼女の邪魔はしないで頂きたい」

 

 睨むでもなく、声を荒げるでもなく、ましてや、取り乱す事など欠片も無く。無表情に、冷徹に、そう言い放った道士の目には、その押し込められた感情が渦を巻いて荒れ狂っている。しかし、それに疑問を持つ暇も無い。

 

「死津喪比女の狙いは地脈の力の確保。そして、その力を使って再び暴虐の限りを尽くす事。それは、なんとしても止めなければならない。しかし、その本体は地下深く、人の手では手の出せない場所に在る」

 

「だからって、おキヌちゃんを犠牲になんてさせられる訳無いだろうがっ!」

 

「――では、如何するのです? 幸いにも此れまで、死津喪比女の根が他の地脈へと伸びる事は防いでこれました。しかし、それももう限界。あの妖怪は新たな地脈へと根を伸ばす事に成功しています。最早、この装置でも止められない。早晩再び江戸へとその影響を「黙んなさい・・・!」」

 

 道士の言葉を遮り、美神がその前に立つ。苛ついた様子で、足先が規則的なリズムで地面を叩いていた。

 

「黙って聞いてりゃグダグダと・・・! やってやれば良いんでしょうがっ! おキヌちゃんは私の事務所の大切な所員よ。その娘を、ミサイル扱いさせるわけには行かないわねっ!!!」

 

 美神の怒号が、狭い空間に響き渡る。怒り心頭、と言った様子の二人の視線を受け止めながら、道士は溜め息と共に疲れたように言葉を吐き出した。

 

「もう一度聞きましょう・・・では、如何するのです?」

 

「・・・気に入らないけど、こっちには一流の呪術師がいるわ。そいつに呪いをかけさせた細菌・・・そうね、死津喪比女だけに影響のあるカビでも作ってもらって、即席の細菌兵器でも作らせるわ。ちょっと待ってなさい! 横島君、携帯っ!」

 

「ういっす!」

 

脳裏に勝ち誇った様子で高笑いでもする褐色の肌の同業者でも思い浮かべたのか、苦々しげに忠夫の差し出した携帯電話をプッシュする。

 

「・・・あれ? おかしいわね」

 

 しかし、その電話は何処へも通じる事は無い。地下の為ではない。こういう環境の事も考えて、地球上何処からでも通じる特製の電話を使っている。勿論、厄珍堂のロゴ入りだ。

 

「あんの馬鹿、不良品?」

 

「・・・美神さん、やばいかもしれないっす」

 

 がんがんと携帯電話を叩く美神のすぐ傍で、忠夫が緊張した面持ちで呟いた。

 

 次の瞬間、洞穴は、巨大な揺れに包まれる。

 

「な、何よっ!」

 

「ちっ! 死津喪比女め、此処を真っ先に叩くつもりかっ!!」

 

 その頃、地上の氷室神社は、薄っすらとした靄に包まれていた。霊視能力のあるものならば気付いただろうか。その靄が、死津喪比女と同じ波動を纏っていた事を。そして、その靄が内部と外部を隔てる、結界のような役割を果たしていた事を。

 

 空から眺めれば、氷室神社を中心に、半径1KM程がその靄に覆われ、中心部の神社だけがぽっかりと浮かんだ孤島の用に存在している様子が見て取れただろう。しかし、その地下部分にいる美神達に、その状況を把握する術は無い。

 

 地脈の力で強化でもされているのか、はたまた道士本人が己の霊力で強化していたのか、崩れる事も無かった地下部分から飛び出した美神と忠夫、そして道士が見たのは、周囲を囲む用に存在する靄と、境界線でも引いたかのように、靄と何も無い所の境目で飛び散る、火花のような地脈の力。

 

 そして――

 

「はははははっ! 何時まで隠れているおつもりかえ? さっさと出てこないと、結界ごと潰してしまうわえ!」

 

 結界を囲むように存在する、幾輪もの死津喪比女達であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「死津喪比女、何のつもりだ」

 

「ふ、無様な残りカス風情が生意気な・・・勿論、鬱陶しい堰を、根本から取り除くつもりに決まっておるわ」

 

 話し掛けた道士に、軽く視線を送りながらそう答える。

 

「新たな地脈の力を得た以上、地脈堰もそれほど困る物ではないわえ。但し、邪魔な物である事には違いない。とっとと叩いておかないと、再び何をやらかすか分かった物ではないわえ」

 

 余裕の表情で、馬鹿にしたように道士を嘲う死津喪比女達。その視線は、道士の横に立つ忠夫たちにも注がれる。

 

「おや、丁度良い。わらわを虚仮にした愚か者どももおるではないかえ・・・」

 

 その顔を歪んだ喜びで満たしながら、舌で唇をぬらり、と舐める。その様子に気味の悪差を感じながら美神が対抗する。

 

「ふん、結界に邪魔されてこっちに来れないくせに、何が根本から取り除くなのかしら?!」

 

「・・・や、不味いと思いますけどね」

 

 忠夫の、小さな小さな呟き声をしっかりと聞きとめた美神も、何かに気付いたように動きを止める。

 

「そうじゃのぅ・・・お前らが飢え死にするまで、このままの状況を保つ、と言うのも捨て難いがな。くっくっくっ、なんとも不便な物よのぅ、生ある人間とは」

 

 口元に手をあて、馬鹿にするように笑う死津喪比女。それを憎々しげに睨みながら、美神は更に言葉を続ける。

 

「へぇ・・・、それなら、一体どういうつもりなのかしら?」

 

 言葉自体は冷静だが、握り締められた拳と、額に浮かんだ井桁マークがその内側を示している。

 

「勿論、こうするのさ・・・!」

 

「何っ! 地脈が・・・!」

 

 軽く地面が揺れる。道士の驚きの声は、美神達にもしっかり届いていた。

 

「どうしたんだよ、おっさん!」

 

「地脈堰に通じる地脈が塞き止められようとしている・・・! 馬鹿な、貴様にそんな力はっ!」

 

「無かったわえ。わらわも、只、眠っていただけでは無いからのぅ」

 

 更にその顔に浮かんだ喜びの色を深める死津喪比女に、道士の視線が突き刺さる。そうしている間にも装置に流れ込む地脈の力は細くなり、とうとう対抗するべく稼動していた装置も、僅かに零れる光を覗いて、ついには沈黙するしか無かった。

 

 神社を囲んでいた火花は消え去り、弱まった結界は靄を押えてはいるが、死津喪比女の花の力には及ぶべくも無い。

 

「さぁ・・・縊り殺して、わらわの栄養にしてやるわっ!」

 

 神社を僅かに鎧う結界を、微かな抵抗と共に乗り越えた死津喪比女達は、ついにその境内へと侵入を果たしてしまった。

 

 辺りを囲む死津喪比女、その数、数十輪。背中合わせの美神と忠夫、そして、その隣の道士を囲むように広がった死津喪比女は、全く同時にその手を振り上げた。

 

「死ね」

 

 只一言、その一言だけで、前後左右の全てから凶悪な力の篭った腕が伸び来る。

 

 

それは霊波刀を構える忠夫と、神通棍と破魔札を準備する美神に迫り――

 

 

「――させませんっ!!!」

 

 

 ――地面から飛び出してきた、体中に奇妙な模様を浮かべたおキヌによって吹き飛ばされた。

 

「「おキヌちゃんっ!!」」

 

「御免なさい、二人とも。遅くなりました」

 

 ぺこり、と頭を下げる何時もの雰囲気の彼女に、それまでの緊張は何処へやら。安堵の溜め息をつく二人。

 

「良かった、無事だっ「それと、今までありがとうございました」・・・!」

 

 頭を下げたままで、続けられた言葉。

 

「ちょ、おキヌちゃん?」

 

「何を言い出すのよ・・・」

 

 理解したくない。その言葉のもつ意味を、理解なんてしたくは無い。それでも、言葉は、訂正される事は無く。

 

「とってもお世話になりました。美神さん、横島さん、家族を無くした私に、もう一度できた家族みたいでした。色々あったけど、こんな短い時間のお礼しか出来ないけど、ちょっとおまけしてくださいね?」

 

 す、と上がってきたおキヌの表情は、笑顔。諦めたような、それでも、報われたような。

 

「人工幽霊さんとか、他にもたくさんの人たちに、もっと一杯お礼を言わなきゃ駄目なんですけど、私がありがとうございました、って言ってたって伝えてください」

 

 笑顔を崩さずに、何時もの口調で只、続ける。

 

「ちょっと待ってくれよっ! 一体どんなつもりで」

 

「そうよ! そんな縁起でもない――」

 

 崩れない笑顔の中から、一滴の涙が零れた。静かに、ただ静かに微笑みつづけるおキヌの顔。ただ、頬を伝う幾筋もの涙だけが、その表情を裏切りつづける。

 

 おキヌが現れたと同時に展開した、神社の内部の結界は、死津喪比女を絡めとり、その動きを止めている。そちらを一瞬だけ視界に収めると、おキヌは体に描かれた模様の光を強め始めた。

 

「美神さん、あんまり横島さん苛めないで下さいね? そんなに心配しなくても、大丈夫ですよ、きっと。・・・横島さんなんですから」

 

「おキヌちゃん!待って!!」

 

「横島さん、お嫁さんは、無理みたいです。あんまり美神さんに心配かけちゃ駄目ですよ? それと―――」

 

「おキヌちゃん!!」

 

 おキヌに向かって伸ばされた忠夫の手をすり抜け、その前にそっと浮かぶ。

 

「――最後の、贈り物です」

 

 すり抜けた筈のおキヌは、忠夫の口に、自分の口をゆっくりとあてがう。

 

「ふふふ・・・私が貰っちゃったみたい。後、最後の我が侭・・・良いですか? 偶に、本当に偶にで良いですから、思い出してくれると・・・嬉しいな」

 

 止まったはずの涙が、再び零れ出す。

 

「何をいってんのよ! まだ、まだきっと他に方法があるわっ! こんな事で、こんな所で終わらせてたまるもんですか!!」

 

「――そうですね。でも、今は間に合わない。美神さんなら、きっと、他の方法を見つける事も出来ます。私が駄目だったら、お願いしますね」

 

「俺は、まだ今のプレゼントのお返しもしてないんだよっ!!」

 

「もう貰いましたよー。私、とっても、とっても幸せですから」

 

 零れ落ちる雫は、留まる所を知らなかった。言葉は届かず、心は互いを思うが故に。

 

 それでも、涙でぐしゃぐしゃになった顔に、最後まで崩さぬ笑顔を浮かべたまま。

 

「幽霊なのにこれ以上幸せになったら、きっと私、弾けちゃいます。ぱちん、って。だから、もう、良いんですよー」

 

「「おキヌちゃんーーー!!!!」」

 

 必死で伸ばした二人の指は、確かにおキヌの腕を掴んだ。

 

 

―――掴んだ、筈だった。

 

 

 その感触は、二人の手の間をすり抜ける。

 

「く、くはははははっ!!」

 

 その手を見つめ、呆然とする二人に聞こえたのは、周りを取り囲んだ死津喪比女達の哄笑だった。

 

「手前ら・・・何が可笑しい!!」

 

「ふふふ・・・お涙頂戴の劇も良いが、今のわらわにとって、あの小娘がその魂ごと砕けようと知ったことでないわぇ」

 

「どう言う事だ?」

 

 それまで、苦痛を目に宿しながらおキヌと美神達の会話を見守っていた道士が尋ねる。その体は徐々に薄れ始め、最早消え去るのも近いと思われた。

 

「わらわの本体は、既に株分けを済ませておるわ。例えどちらかが砕けようが、片方は必ず生き残るわぇ・・・あの娘を失った地脈堰に、それを止める力はあるまい。まさに、犬死と言う訳じゃな!あーっはっはっはっ!!」

 

「手前らっ!!」

 

「あんた達だけは、欠片も残さずぶっ殺す!!」

 

「――待て」

 

 暴発寸前の、いや、既に暴発した美神達を押し止めたのは、消えかけた道士の声だった。

 

「何よっ! おキヌちゃんを止める手段でも在るってーのっ?!」

 

「・・・ああ。本来なら、使うつもりなど無かったが、な」

 

「「・・・へ?」」

 

 いともあっさり爆弾発言。

 

「ふぅ。ま、後であいつに殺されるより・・・いや、もう死んでいるから関係ないか」

 

「何をぶつぶつ言ってるのよぉぉ!! あるんならさっさと「もう、やった」」

 

 諦めたような表情の道士の残留思念は、そう呟くと、すっと消えていった。

 

 その胸倉を掴みあげた勢いのまま、バランスを崩した美神は何とか踏みとどまる。

 

 前方で死津喪比女と睨みあう忠夫のほうには、何も起こっては居ない。

 

「一体なにをやったってのよっ!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「居た・・・! 死津喪比女の本体っ!」

 

 その時まさに、おキヌは死津喪比女の本体である球根に突撃をかます直前であった。体に描かれた模様が更に光を増す。

 

「・・・え?」

 

 だが、その光は突如として消え去り、後には何時も通りの巫女服のおキヌが居るばかり。

 

「ふぇぇっ?」

 

 そして、彼女の体は引っ張られていく。元居た場所へと、先程別れを告げた美神達の居る、氷室神社へと――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

まず、吐息が聞こえた。

 

「――ふしゅるるるるるる」

 

 次に、地面が震えた。

 

「全く。我が良人も、その影も、最後までわらわに甘い」

 

 そして、状況を把握できていないおキヌが、飛び出すようにして地面から放り投げられた。

 

「きゃぁぁぁっ?!」

 

「そして、我が親友も、何時まで経っても自分を粗末にし過ぎる」

 

「――ぇ」

 

 最後に、地面から、輝く巨大な拳が突き上げられた。それに巻き込まれ、吹き飛ぶ死津喪比女達。

 

「もう一度言うっ! わらわは姫じゃっ! 村娘ばかりに良い格好はさせぬっ!!!」

 

「・・・め、女華姫様っ?!」

 

「「なんじゃそりゃぁぁぁっ?!」」

 

 先程のおキヌと同じような模様を体中に纏った、巨大な、見上げるほどの巨体を持った、――女華姫様の登場であった。

 


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