月に吼える   作:maisen

50 / 129
明日は不在なのでお休みです( ´・ω・`)


第四話。

「何よ・・・これ」

 

 いつもの服から白いスラックスに履き替え、事務所を出た美神は一路おキヌと始めて出会った場所――人骨温泉へと向かっていた。途中で車を降り、しばらく歩けば其処はもう、いつかの場所。

 

 景色の良い、反対側は崖で、緩やかな上り坂のカーブであった。美神が、初めておキヌと出会った場所である。

 

「地脈が、無茶苦茶じゃない・・・」

 

 アスファルトで覆われた道路に手をつき、何かを探る美神。感じられたのは、あちこちで歪み、塞き止められ、その閉じられた堰を無理やりに抉じ開けようとしたような痕跡だった。

 

「何かが起こってるのは間違いないけど」

 

 す、と手を地面から離し、立ち上がる。空を見上げれば、黒く、厚い雲に覆われている。嫌でも不吉さを感させる空模様。

 

「嫌な予感がするわね・・・」

 

 再び歩き出した美神の足は、それまでよりも幾分と速い物だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「おお、美神さん!」

 

「どーも。オカルトGメンからの要請で来ましたわ。で、詳しいお話、聞かせてもらえるかしら?」

 

「ありがたいこってす。ささ、今お茶のほうお入れしますので、どうぞこちらにおねげぇしますだ」

 

 当初の目的地、温泉宿に着いたのはそれから十数分の後の事。さくさくとお茶と中々美味しいお茶菓子が並べられた。

 

 それらを食べながら、目の前に資料の束を広げ、対応してくれた従業員に話を聞く。

 

「ふ・・・ん。つまり、この温泉宿があるのが此処で」

 

 よく磨かれた、貝殻のような爪が地図の上を滑っていく。

 

「クレーターのあった場所が此処、ね」

 

 とんとん、と爪で地図を叩きながら、視線で従業員に確認を取る。

 

「ええ、間違いねぇっす」

 

「・・・妙ね」

 

「へ?」

 

 腕を組みなおし、先程確認した地脈の乱れを思い出す。

 

「確かに距離も方角も、地脈の乱れを感じた位置と合致するわ。でも・・・後、少なくとも4・5箇所は同じような感触があった。他に、同じような目撃証言は無いの?」

 

「え、ええ。あんなのはこの前が初めてで」

 

 ――幾つもの地脈の乱れ。最近になって初めて目撃された『ナニカ』達の争い。堰き止められた地脈と、それを乱暴にこじ開けようとした痕。

 

「駄目ね・・・情報が少なすぎるわ。こうなったら現場を――」

 

 美神の台詞をさえきるように、腰に下げていた通信機がノイズを発する。

 

「――神さん!美神さーん!」

 

「おほほほほ。ちょっとすいませーん」

 

 通信機から飛び出てきた、先発の半人狼の悲鳴が小奇麗な部屋に響き渡る。驚いた表情で此方を見やる従業員を笑顔で誤魔化し、通信機を取り出しながら部屋を出る。

 

「どうしたの、横島君!」

 

「大変っす!おキヌちゃんがいましたー!!」

 

「なんですってぇぇっ?!」

 

 その大声に驚いたように、廊下の向こう側から他の宿泊客や従業員が顔を出す。それを視界の隅に引っ掛けたまま、通信機に叫ぶようにして叫び返した。

 

「今からそっちに行くわ! 動くんじゃないわよ!」

 

「は、早く! 助け――」

 

 ブツン、と音を立てて切れる通信。

 

「ちょ、横島君!横島君ってば!!」

 

 がんがんがんと通信機をぶったたくも、返って来るのはノイズばかり。返事を返さないそれを元のように腰に下げ、置いてきた車に向かって駆け出す。

 

「全く・・・! おキヌちゃんに続けてあんたまでいなくなったら、本当に許さないからねっ!!」

 

 不安に揺れる心を無理やりにねじ伏せながら、呼び止める従業員の声も無視して駆け出した彼女の瞳には、今までに無かった心細さと、思い出してしまった何かが浮かんでいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 時間は少し遡る。

 

 オカルトGメンのオフィスの窓から飛び出し、うろ覚えの人骨温泉に道路も障害物も驚いたように見てくる通行人も、何もかもを無視して突っ走る。

 

「おキヌちゃん、今行くからなー!」

 

 ド派手な土煙ととんでもないスピードで走る忠夫の後ろには、へこんだアスファルトと仰天する人々、掻き分けられた生垣が惨憺たる有様で一直線に残っていた。

 

 それでもそういった被害は、都会から離れるごとに少なくなっていき、同時に忠夫の速度も上がっていく。

 

 田んぼのあぜ道を飛び越え、所々にある家を避けようともせずに飛び越え、こんもりと茂った林を突っ切っていく。

 

 

 そして――

 

 

「・・・ここ、何処だよ」

 

 迷った。

 

 

 辺りは何時の間にやら森の中。昼尚薄暗いその場所に、既に獣道さえない。

 

「・・・ヤバイっ!やば過ぎるっ!あんだけ勢い良く飛び出しといて道に迷いましたー、てへ。 とか言ったら、殺されるっ!」

 

 あれだけの暴走に近い疾走の中でも、幸運にも落とす事の無かった通信機を握り締めながら震える忠夫。

 

「ああっ!でも、連絡しないと此処が何処かさえもわからんっ!!」

 

 頭を抱えて苦悶する半人狼。傍から見れば喜劇だが、本人はいたって真剣に検討中だ。

 

 ――何が一番危険度が低いか。

 

「も、もうちょっと辺りを探し回ってからでも良いよな?」

 

 誰に聞く訳でもなくそう尋ね、返ってこない返事を自分に都合よく解釈しながら辺りを見回す。

 

「森だ」

 

 そのまんまである。

 

「そーじゃなくって!ええと、ええと、上だ上っ!」

 

 セルフ突っ込みも忙しげに、視界を確保する為飛び上がる。辺りの木々の幹を蹴り上がりながら、森の上まで到達した忠夫の視界に写ったのは。

 

「あ、神社」

 

 古い、かなりの年月を経た神社と、元は真っ赤に染め上げてあったであろう鳥居、そして、それに付随するかなり大き目の平屋の屋敷であった。

 

 そこまでを確認し、自由落下で落ちていく。

 

「ふんっ!」

 

 掛け声一つで足から着地し、その衝撃も抜けきらぬ内に駆け出していく。

 

「建物があったら人がいる! 人がいたらまず!」

 

 目指すのは先程の神社。古いながらも境内に草が生い茂っていた様子もなく、また建物にも所々修繕の跡があり、人が住んでいる様ではあった。

 

「『人骨温泉は何処ですか?』 これに決まりだなっ! さすが俺、ついてるなー!」

 

 それまでの追い詰められたような表情は何処へやら。すっかり笑顔で駆け出す忠夫は、木々を掻き分けいとも容易く境内に出る。

 

「な、なんだべっ?!」

 

 がさがさと繁みを揺らして飛び出してみれば、早速目当ての人影がある。警戒させないようにゆっくりとそちらを向き、朗らかな笑顔で。

 

「――嫁に来ないか? って、そうじゃねーだろ俺ぇぇ!!」

 

「きゃー!!変態だー!」

 

 思わず手を握った肩までの黒髪を持った巫女服の少女に、思いっきり警戒されながら悲鳴を上げられた。そして、忠夫が条件反射で行動する前に、良く観察すれば気が付いただろう。

 

 その少女が、おキヌと余りにも良く似た風貌をしている事に。

 

「わっわっ?!えっ?おキヌちゃん?!俺だよっ、横島だってばっ!」

 

「そんな人知らないだー!父っちゃー!変態がでただよー!」

 

 しかしまぁ、過ぎた事は取り返しがつかない訳で。目の前で、おそらく境内を掃除する為の物であろう箒を構えてこっちを睨みながら、そう叫ぶ少女に忠夫は必死で言い募る。

 

「ちょ、ちょっとまって!今、美神さんを――」

 

 懐に手を突っ込んで、先程収めた通信機を取り出そうとする忠夫。しかし、その動きは一時中断せざるを得なくなった。

 

「家の娘に手を出す変態は、何処だー!!」

 

 神社の本堂から、眼鏡をかけた、髪の薄い、おそらく神主であろう人物が飛び出してきたからである。

 

 手に、黒光りする細長い物を持って。

 

「そこかー!」

 

 意外に軽い音とともに、忠夫の耳を掠めて何かがすっ飛んでいく。

 

「うそーん」

 

「・・・今のは威嚇だ。ゴム弾とはいっても直撃すれば骨の一本や二本容易いぞ?」

 

 にやりと笑う、おそらく神主であろうと信じたいが信じられない、髪の薄い人物。

 

「其処を動くな。早苗、警察を」

 

「分かっただっ!」

 

 両手を挙げてホールドアップな忠夫を視線と銃口で牽制しながら、巫女服の少女にそう声をかける。

 

 駆け去っていく少女を呼び止めようとするも、神主が殺気の篭った目で睨みつけている。

 

「あ、あの~」

 

「変態さん。この神社の神主として言います。ちょっと頭を冷やしてきなさい、コンクリートに囲まれた場所で。あの世でも良いですが」

 

「神主の言葉じゃねぇっ?!」

 

「はっはっは、八百万の神がいる国です。一人くらいこんな神主がいても良いでしょう?」

 

 全くもって関係ない。と言うか、既に神主の言葉ではない。

 

「まぁ、娘を持つ男親としては――変質者はとっとと動いて撃たれなさいと」

 

「き、気持ちはわからんでもないが、俺は変質者じゃないっ!」

 

 そう言って、懐に手を突っ込む忠夫。通信機を取り出して、美神と直接話をつけてもらうつもりであった。

 

 で、あったが。

 

 目の前の人物が、その動きをどう取るかが、問題であった。

 

「えっと、この通信機で――どわたぁっ?!」

 

 視線を向けた先には、銃口を構え、こちらに向かって引き金を引く神主の姿。迷わずそのトリガーは引かれ、忠夫に向かって放たれるゴム弾。

 

「動いたね?今動いたねっ?!」

 

「こっちの話も聞けぇぇぇっ!」

 

「変質者の言葉なぞ、聞く必要も無いわぁぁっ!!」

 

 慌てて逃げ出す忠夫の後ろから、幾つも幾つも飛んでくるゴム弾。

 

「まぁぁぁてぇぇぇぇっ!!」

 

「み、美神さんに連絡をー!!」

 

 必死で走りながら通信機のスイッチを入れる。呼びかけること数回目。

 

「美神さん、美神さーん!」

 

「どうしたの、横島君!」

 

 ほんの数瞬迷い、最も大事そうな事を告げる。

 

「大変っす!おキヌちゃんがいましたーー!!」

 

「なんですってぇぇっ?!」

 

 途端に響く通信機の向こうからの声。とは言え忠夫の言葉も、全く確認をしていないので大事そうな事ではあるが実際はデマと、かなり問題のある発言であった。

 

「今からそっちに行くわ! 動くんじゃないわよ!」

 

「は、早く! 助け―――」

 

 其処まで喋った時、通信機は、後ろからの銃弾で吹っ飛んだ。

 

「実弾ー?!」

 

「知り合いの猟師から護身用にと受け取ったのだ!」

 

「神主が殺生するんじゃねー!!」

 

 山々に、半人狼の悲鳴が木霊した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「横島君っ!」

 

「きゃいんきゃいーん!」

 

 忠夫のバンダナに仕込まれた、何時ぞやの発信機を頼りに辿り着いた美神に、泣きながら忠夫が飛び掛る。

 

「怖かったっすー!ほんまに怖かったんすよー!!」

 

「ちょ、こらっ!何処触ってんのよ、離れなさいっ!!」

 

「おお、どうやら嘘は付いていないようですな」

 

 此処は神社の境内。なんとか神主が弾切れになるまで粘りきり、後ろから弾が飛んでこなくなった事で少し余裕を持った忠夫が、素手で構えを取る神主に何とかかんとか説明して。

 

 境内まで視線で脅されながら戻ってきた後、雇い主が直ぐに来る、という忠夫の言葉に睨みながらも待つことにした神主であった。

 

 言葉通りそんなに待つことも無く、境内に続く階段から走る音が聞こえ、ようやく新しく弾を篭めた銃を下ろした神主を見て心の其処から安堵した忠夫は、美神に向かって思わず飛びついてしまったのだ。

 

「きゃっ?!こ、この、いい加減にしなさいっ!!」

 

 まぁ、こちらも無事な忠夫の姿を見て安堵し、その為不意を突かれた美神が怒りの拳を繰り出すまでの行動ではあった。

 

 少し赤い顔で息を荒げる美神に、その足元で自分の血に沈む忠夫を横目で見ながら神主は声をかける。

 

「で、この氷室神社に何の御用ですかな?」

 

「はぁはぁ・・・ええと、貴方は?」

 

「此処の神主です。いや、私の娘にそちらの男性がいきなり妙な事をしたらしく、此方も手荒い対応となってしまった事をお詫びします」

 

「あ、此方こそ至らない所員で。この馬鹿っ!」

 

 互いに笑顔で頭を下げあいながら、美神は忠夫に蹴りを入れる。

 

「父っちゃ、変態はどうなっただか?」

 

「おお、早苗。いやこちらの勘違いだったようだ。警察の方には、母さんから連絡を入れてもらってくれ」

 

「わかっただ」

 

 おずおずと、本堂の陰から顔だけを出すようにして少女が声をかけてくる。神主とその少女の会話を見ながら、美神は驚いたような、納得したような表情になっていた。

 

「――成る程、あれじゃ横島君が見間違うのも無理は無いわね」

 

「でしょ?」

 

「・・・もう少し寝てなさい」

 

 境内に、ごつん、という音が鳴り響いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「成る程、事情は分かりました。ですが早苗は私たちの娘。その、おキヌという方とは違いますな」

 

「ええ。そのようですわね」

 

 気絶した忠夫を引きずりながら、とりあえず腰を落ち着けようという神主の言葉に従って、一家が生活しているのだろう屋敷へ案内された美神達。

 

 恰幅の良い、年配の女性――おそらく、神主の妻――に出されたお茶を啜りながら、事情を説明する事と相成った。

 

「ですが」

 

 神主は、手に持った湯飲みをゆっくりと机に置き、言葉を続ける。

 

「貴方が聞いたおキヌという娘の話に、心当たりがあります」

 

「・・・え?」

 

「少々お待ちを」

 

 美神の声に答える事無く、神主はすっと立ち上がると部屋を出て行く。左程も無く戻って来た彼のその手に握られていたのは、年季の入った一本の巻物。

 

「我が神社に代々伝わる古文書に、この神社の由来が書かれているのですが・・・」

 

 その巻物を美神にも見えるように開き、其処に書かれた文を示す。

 

 

 ――300年前、元禄の頃。

 

 ある地霊がいた。その力は非常に強力で、地震や噴火を引き起こし、土地を荒らしていた。その地霊の名を

 

 ――『死津喪比女』

 

 死津喪比女は、その凶悪なる性のままに暴れまわり、ほとほと手を焼いた藩主によって呼ばれた高名な道士によって退治される事となる。

 

 しかし、その強さゆえに、その退治には大きな代償が必要であった。

 

 人身御供という、代償が。

 

 道士は、怪物を封じる装置を作り上げ、一人の巫女を地脈の要に捧げる事でその代償とした。

 

 道士によれば、いずれ娘が山の神となり、邪悪な怪物を完全に退治するであろうとのことであった。

 

 

「・・・と、言う訳なのです。おや、どうされました? 頭を抱えられて、頭痛でも?」

 

「い、い~え。なんでもありませんわっ!おほほほほほほほっ!!」

 

「つまりは美神さんのせいな訳っすね」

 

「・・・」

 

 無言で打ち下ろされた神通棍は、こんな時ばっかりタイミングよく復活した半人狼の頭頂部をえぐって叩き伏せた。

 

「不味いわね・・・おそらく、その死津喪比女っていうのが復活しかかってるわ」

 

「なんとっ?!」

 

 忠夫を黙らせた美神は、とりあえず、誤魔化す事にした。

 

「ま、こう見えても私もGS。しっかり退治してあげるから、心配要らないわっ!」

 

「元々美神さんが――ぐぇ」

 

 足元で、口を滑らせた忠夫が踏み潰されていたりするが。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「で、どうするんすか?」

 

「ま、見てなさい」

 

 氷室神社より少し離れた、開けた森の中。辺りの木々に何枚ものお札を貼って回っている美神と地面に座り込んでごそごそとやっている忠夫の姿がある。

 

「地霊って言うのは、大地に住まう精霊か、地脈のエネルギーを喰らう妖怪の事を指すわ」

 

 張り終わった事を確認し、その中心辺りに立った美神はおもむろに首にかけたネックレスの精霊石を外し、地面に埋め込んだ。そして埋め込んだ精霊石の周りに、半径1M程の魔法陣を書きはじめる。忠夫は今度は何時ぞやの真っ黒いロープを取り出し、美神の話を聞きながら辺りをうろつき始める。

 

「今回は、後者ね。そして、最近になって荒らされた地脈と、それを堰きとめようとする力、その堰を再び壊そうとする力。塞き止めてるほうが多分、その道士とやらが作り上げた装置なんでしょうけど・・・うん、これで良いわね」

 

 出来上がりを確認し、何度か頷くと、ぐるりと歩いて戻ってきた忠夫の隣に移動する。

 

「状況から言って、おそらく今は死津喪比女がエネルギーを求めて、地脈を荒らしている最中なんじゃないかしら。つまり、あっちにとってエネルギーは喉から手が出るほど欲しい物なんじゃない? 其処に、純粋な地脈のエネルギーの塊である精霊石の力を流し込んでやれば・・・」

 

「成る程、餌ってわけっすね」

 

「そう言う事」

 

 両手で印を組み、霊力を高めていく美神。

 

「叩くなら、エネルギー不足の今のうちっ! 最悪でも情報ぐらいは得ないとね。その妖怪ぶったおして! 西条さんまで連絡が行く前に解決して、おキヌちゃんも取り戻して、誤魔化すわよっ!」

 

「ばれないように、がこんなに急ぐ本音っすねー」

 

 呆れた様に呟いた忠夫は、目の前で輝き始めた精霊石と魔法陣を見ながら、一気に緊張の度合いを高めていった。

 

「――来るわよっ!」

 

 精霊石の力が流れ出して、1分も立たない内に、美神の声が響く。その余韻が消え去らぬ内に、魔法陣が中心から爆発したように吹き飛んだ。

 

「うおっ!」

 

「出たわねっ!死津喪比女!」

 

 数メートル上から美神達を見下ろすのは、女性の姿をした、足に当たる部分が蛇のような、と言うよりも植物の根のように伸びている妖怪であった。地面から伸びたその部分を含めれば、証言のように蛇のようにも見えただろう。

 

「―――ほぅ。極上の地脈の波動にに引かれて来て見れば、えらくちっぽけな人間じゃないかぇ?」

 

「はんっ! どうやらあんたがここら辺りの地脈を荒らしていたって言うのは、大当たりみたいね!」

 

 両手の印を解いた美神が、神通棍を構えて前に出る。

 

「ほぉ・・・小生意気な小娘が。気に入ったわえ、存分にいたぶり尽くしてから喰らってやろうぞ・・・」

 

「ちょっと待った」

 

 歪んだ唇から突き出した舌で、ぬらり、と口の周りを舐めた死津喪比女が動き出す前に。

 

 忠夫が、ゆっくりと笑顔で歩み出る。

 

「なぁ、おキヌちゃんって名前に聞き覚えは無いか?」

 

「・・・不愉快な名前を聞いたぞ。わらわを封印したあの装置、その生贄になった愚かな娘の名を」

 

 せせら笑いながらそう忠夫に答える。拳を握り締め、その手に霊力を纏わせながら更に続ける。

 

「んじゃ、冥土の土産にもう一つ良いかな?」

 

 あくまでも仮面のような笑顔を崩さずに、暴発しそうな両腕を背中に隠して言い続ける。

 

「中々弁えておるわ。良かろう、お前は褒美として、その小娘の苦しむ様を見ながら生かしてやるわぇ」

 

「あー、つまりさ。おキヌちゃんの名前を聞いたのは、昔なんだよな? 復活してからは知らない訳?」

 

「・・・ふん。知っておれば真っ先に殺しておるわ」

 

 それまでの優越感に満ちた表情を、残念そうな物に変えながら死津喪比女は答えを返した。そして、その両手を美神に向かって差し出す、その直前に。

 

「へー。そうなんだ。そう言えば、愚かな娘ってほざいてたけどそれに封印された大妖怪ってのはものすっごく恥ずかしい奴だよなー。誰とは言わないけど」

 

「・・・横島君。いくら本当の事でも・・・ま、恥ずかしいわよねー。誰とは言わないけど」

 

「「あっはっはっはっは」」

 

 朗らかに笑う二人。それを見る死津喪比女の瞳には、もう憤怒しか無かった。その怒りに曇った瞳が、二人の額に浮かんだ幾つもの井桁マークを見逃した。いや、気付いていたとしても、全く意には介そうとしなかったであろうが。

 

「・・・貴様ら、わらわを怒らせたこと、黄泉路にて後悔するが良いわっ!」

 

 死津喪比女の両手が、伸びた。それまでの人に近い腕の形を変え、まるで蔦のようになった上腕は優に二人を捕らえる距離までその手を伸ばし、捕らえようとする。

 

 その速度はまさに閃光。人の目で捕らえきれるかどうかのその速度は、簡単に二人の首を捕らえ、捻り千切る事が可能であっただろう。

 

 

 

 相手が、人であれば。

 

 

 

「――っざけんなこんボケー!!」

 

 痩せても枯れても腐っても、半人狼は半人狼。超感覚と歌われたその視覚には、迫り来る閃光さえも見て取れる。

 

 そして、仲間を貶されて尚怒りを覚えない人狼は、いない。

 

 二本の腕は、たった一振りの霊波刀で薙ぎ払われ、あらぬ方の地面を抉る。

 

「なっ?!たかが人間風情が「その人間風情に負けたんだろうがっ!」ぐぅっ!」

 

「横島君! 足元っ!」

 

 一足、只一足で死津喪比女との間合いを詰める。美神の言葉に反応し、怒りのままに叩きつけようとした霊波刀は死津喪比女の体を支える、何本かが捻り、寄り添いあう根のような部分を半分ほど薙ぎ払う。

 

「硬っ!」

 

 その声に慌てて振り向けば、その姿は既に先程の位置から死津喪比女を挟んでちょうど反対側まで走りぬけた後。そして、振り向いた背中に、何枚もの霊札が張り付き、

 

「吹き飛びなさいっ!」

 

 爆散する。背中を抉られ、僅かにぐらついたその足元に、再び迫る3つの小さな物体。

 

「この、下郎どもめがぁぁぁっ!!」

 

「油断大敵っ!喰らいやがれ、唐巣神父特製の聖水まぶした石っころっ!」

 

 一個は角度が悪かったのか僅かに抉りながら弾かれ、更に一個は振り払われた死津喪比女の腕に弾かれる。

 

 そして残り一個は、残った根を貫通し、反対側の木の幹に突き刺さって動きを止めた。

 

「がぁっ!」

 

 ぐらり、と。大木が倒れるように、ゆっくりと傾き落ちる死津喪比女の体。それから離れるように円を描きながら美神の元へ戻る忠夫。

 

「美神さん、こいつ」

 

「ええ、いくら何でも、ね。高名な、とまで言われた道士が梃子摺るような相手だとは思えない・・・」

 

 小声で話す美神達の目の前で、ちょうど普通の人間と同じ高さにまでなった死津喪比女が、怨嗟の声とともに立ち上がる。

 

「根っこに蔦みたいな体、んでこの匂い・・・美神さん、ちょっといいっすか?」

 

「・・・任せたわ」

 

「フォロー、お願いします」

 

 目線と簡単な言葉だけで打ち合わせを済まし、霊波刀を構えて様子を見ながら声をかける。

 

「・・・どうだ? 根っこがなけりゃ、もう終わりだろう?」

 

「小僧がっ! 本体から切り離されたとて、まだわらわには余力があるわっ!」

 

「・・・へ~、たった一人で、何ができるってーのよ?」

 

「ふ、ふははははっ! わらわが一人だと、誰が言った!」

 

 

 にやり、と笑う忠夫と美神。

 

 

「い~や、誰も」

 

「口八丁も良い所なんだけどね~。此処まであっさり鎌かけに引っかかるようじゃ、そりゃどんなに力が強くても退治される訳ね」

 

 意地悪く笑う二人の前で、一瞬言われた事が理解できなかった死津喪比女は唖然とした表情を形作る。

 

「横島君っ! 引くわよっ!」

 

「了解っす!」

 

 美神の両手が印を組み、忠夫が懐から取り出したスイッチを押し込む。同時に、あたりの地面が数え切れないほど盛り上がり始めるが。

 

「ハッ!」

 

「ぽちっとな」

 

 二人の行動の結果は、即時現れた。地面に埋め込まれた煙幕が辺りを包み込み、周囲を囲むように設置された霊札が霊波ジャミングを掛け始める。肉眼と、霊的な探査能力に対する二重の撹乱。そして、

 

「ふははははっ!さらばだ、なんだかゴボウみたいな匂いのする妖怪ー!」

 

「だ、誰がゴボウだ下郎ー!」

 

 木の枝の間に、ぴん、と張られたロープを、美神をお姫様抱っこで掻っ攫って思いっきり踏んづける。

 

 それは見る間にするすると何処かに消えていき、次の瞬間、二人は夜空に打ち出された。

 

「横島ー!これは聞いてなかったわよー!!」

 

「言ったら反対するじゃないっすか! 嫁さん候補を抱えて夜空を駆ける。俺、今、カッコ良い!」

 

「・・・あ、あんな馬鹿どもに」

 

 いまだ煙幕で塞がれた視界の向こうから聞こえてくる声の中身に、何となく脱力した死津喪比女は、あたりに生えてきた『他の死津喪比女達』に慰められながら、さめざめと涙を流していた。

 

 

 どごん、と、爆音とともに氷室神社の本堂の屋根に穴が開く。その音を聞いて慌てて駆けつけてきた一家が見たものは、木屑と埃に塗れて真っ赤になりながら男性の襟首を掴んで殴り続ける亜麻色の髪の女性であった。

 

「このっ! 記憶を失えっ!」

 

「がふっ! いや、事故やないっすかー!」

 

「いくら! 事故でも! このっ! 鷲掴みに! すんなっ!!」

 

「いやー、最高でした。ごっつあんですっ!」

 

「黙れぇぇえっ!!!」

 

 突如真面目な顔でそう美神に言った忠夫の頭を、それまでよりも3倍の霊力で殴る真紅の美神。角が生えていそうである。

 

 床にたたきつけられた忠夫は、そのままの勢いで床板を突き破り、

 

「おひょぉぉぉぉっ?!」

 

「今度は何よー!!」

 

 美神と一緒に、その下に開いた暗い穴へと落ちていく。どうやら、床板の下に隠し通路でもあったようである。

 

 ヴァイオレンスの過ぎ去った跡には、神聖なる本堂の屋根と床に開いた穴と、それを呆然としながら眺める父と娘。そして、その横で電卓を取り出して修理費の計算と請求書の製作を始めた母だけが残っていた。

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。