月に吼える   作:maisen

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第二部となります。


第二章
第壱話。


「親父ー、獲れたぞー」

 

「ふむ、もう十分でござるかな?」

 

「ああ、こんなもんだろう」

 

 此処は人狼の里より、ほんの少しだけ離れた山の中。深い緑に囲まれた森の中を、一本の透明なせせらぎが流れるその傍で。

 

「兄上ー!ほらほら、猪でござるよっ!」

 

「ちょっと、シロッ!それは私も仕留めるの手伝ったでしょ!」

 

「危うく山火事を起こしかけたのは誰でござったかな?」

 

「・・・そ、それは秘密って言ったじゃない・・・ごにょごにょ」

 

 人狼三人と、妖狐、そして半人狼の青年が、楽しげに散歩ついでの食料調達真っ只中であった。

 

「うー、さぶさぶ。そろそろ水が冷たくなってきたなー」

 

 川べりに座って濡れた服をやや寒々しそうに脱ぐ、赤いバンダナをつけた半人狼の青年、犬飼忠夫。現在都会でバイト中。「横島忠夫」と、叔母に作って貰った戸籍の偽名を名乗って生活する、れっきとした人外である。

 

 状況の許す限り美人の女性に向かって求婚する、お年頃。でも今だ成功した試しは無し。原因は彼かそれとも運命か。とりあえず運命の神がいれば彼を腹を抱えて笑いながら見ているであろう、そんなトラブルに好かれる存在でもある。

 

 

「鍛え方が足らんからでござる。心頭滅却すれば火もまた涼し、逆もまた真なり、でござろうが」

 

 それを呆れた様に横目で眺めながらも、焚き火に枯れた木の枝を追加して少し大きくしてやっているのが彼の実父、犬飼ポチ。

 

 目付き悪し、態度悪し、雰囲気恐ろしげと三拍子揃った悪人面。これで美人の嫁を娶ったというのだから世の中摩訶不思議である。

 

 

「ま、これだけあれば少しくらい遅くなっても長老も文句はいわんだろ?少しくらいゆっくりして行くさ」

 

 それを軽く笑いながら、手早く魚に串を差し、焚き火の傍で早速焼き始めているのが犬塚父。犬塚シロの父にして、犬飼ポチと共に人狼の里においてトップクラスの剣の腕を誇る猛者である。酒には弱くて泣き上戸、しかも娘にダダ甘し。

 

 一人ずつでも厄介なのに、ポチと二人揃うとその悪乗りが相乗効果で倍率ドン!な困った親父の片割れである。

 

 

「兄上ー、拙者、頑張ったでござるよ~?」

 

「あー、分かった分かった。よしよし」

 

「きゅ~ん」

 

 自慢げに獲物を焚き火にあたる忠夫に見せ、ご褒美とばかりに頭を撫でてもらいご満悦の少女は、犬塚シロ。長い銀の髪に、一房だけ赤いメッシュの入った髪を持つ、今だ未熟ながらも、いや、未熟だからこそ多くの可能性を秘めた年の頃14,5の人狼族の少女。

 

 忠夫と血縁関係にあるわけではないが、幼い頃からの習慣で彼を兄と呼び慕う少女でもある。・・・何時か妹から脱却するのが目下の目標。

 

「私だって頑張ったのに・・・」

 

「分かってるって。ほれ」

 

「や、ちょっと、もう・・・」

 

 くしゃくしゃと頭を撫でられて、ちょっと髪型を気にしつつもほんの少し嬉しそうにしているのが、金毛白面九尾の狐、大妖の転生体のタマモである。綺麗な金の髪の毛を、頭の後ろで九つの房に括ったその髪型は、ナインテールと言った所。

 

 大妖怪の転生体ながらも、別に悪さをする訳もなく、今は人狼の里で生活中。シロとはある意味獲物を争うライバル関係にあるが、傍から見れば仲の良い友達同士である。本人に言えば焦がされるであろうが。

 

「忠夫、いつまで此処に居られるでござるか?」

 

「ん~、なんか美神さんのほうが用事があるらしくて、それが終わったら連絡するって言ってたけど」

 

 脱いだ服を焚き火にあてて乾かしながら、ポチの言葉に応える忠夫。ぱちぱち、と弾ける火花に焦がされないように少し離してはひっくり返して乾き具合を確かめる。

 

「それじゃ、もうちょっと居られるでござるな!」

 

「明日は何処に連れて行ってもらおうかしら?」

 

 嬉しそうに忠夫の横に座るシロが尻尾をぱたぱたと振り、反対側でタマモが明日の予定を空を見上げながら考えている。

 

「久し振りに一緒に修行でもするか。いや別に他意はないぞ?」

 

「・・・シロ、少し離れろ。親父さんが抜きそうだ」

 

 忠夫の右手を抱え込んだシロと、抱え込まれたその腕を見ながら引き攣った笑顔で犬塚父が必死に刀を抜こうとする右手を左手で押さえ込んでいる。かたかたと鳴る刀の音が、カウントダウンのようにも聞こえなくは無い。

 

「・・・む、焼けたでござるか」

 

「むぐむご。ほりゃふまひ」

 

「食べるか喋るかどっちかにするふぇむぐむぐ。みゅ、ふふぁい」

 

「ほやふぃほほ」

 

「あんた等皆同類よ」

 

「・・・父上、兄上」

 

 焼けた魚を両手に持って、がっつく男性陣を見るタマモとシロの視線には呆れの成分が多めに盛り込まれていたりする。

 それでもお昼ご飯がなくなってはたまらない、と、彼女達も香ばしい匂いを放つ獲れたての川の幸に手を伸ばすのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「美神殿、ご協力、感謝いたします」

 

「ま、うちの所員の健康管理も所長の仕事だから。変な病気にでも罹ったら迷惑だし」

 

「もう、美神さんったら」

 

 人狼の里より程近い――それでも徒歩ではかなり時間がかかるのだが――小さな街の駐車場で、犬飼忠夫の雇い主、超一流のGS美神令子は、とある寂れた温泉宿で雇った幽霊の少女と共に人狼の里の長、長老と呼ばれる歳経た人狼と話し合っていた。

 

「決行は、明日。そちらの手筈は?」

 

「OKよ。知り合いに頼んだらこういう事に喜んで協力してくれる人材を紹介してくれたわ」

 

「有り難い。では、わしは怪しまれないように里に戻って、そうですな、宴会でも開きましょう。酔い潰してしまえば人狼の鼻とて・・・くっくっくっ」

 

「・・・ま、そっちは任せるわ。私たちはしっかり案内しておくから、逃がさないでね」

 

 真剣な表情で、と言うよりも日頃の憂さを晴らさんばかりに、本気で大人気なく笑う長老に少し引きながらも美神が応える。

 

 額に汗をたらしながら、踵を返しおキヌと一緒に車の方へ歩いていったその視界には、何時もの愛車と――その後ろに控える赤い十字の書かれた真っ白なバン。

 

「全く、余計な世話ばっかりなんだから」

 

「そう言いながらも、しっかりとやってあげる辺り美神さんって」

 

「何よ?」

 

 半眼でぶつぶつと毒づく美神を見やるおキヌは。

 

「いーえ、なんでもないですよ。クスクス・・・」

 

 只、木洩れ日のように軽く笑うのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「宴でござるー!!」

 

「酒ですよー!」

 

「ういっく・・・お代わり」

 

「ふ、負けんぞー!」

 

 日は山に沈み月が出て。お祭り好きな人狼達は、今日も今日とて大騒ぎ。

 

 何故か突然長老の言い出した宴会に、特に疑問を持つ事も無く。

 

「ほれ、飲め。特に犬塚と犬飼」

 

「あれ、珍しいっすね、長老が積極的に飲ませるのって」

 

「・・・ま、まぁ、偶にはな」

 

 不自然に目線を逸らし、大粒の汗を額に垂らす長老を不思議そうに見る忠夫。

 

「ほ、ほれ、お前も飲まんか」

 

「え?うおっとっと」

 

 誤魔化すように長老が注いだ透明なお酒は、忠夫の持つ器を満たして夜空の星を写し出す。夜空には雲一つ無く、もうすぐ満ちる月が、杯をあおる忠夫を優しく包んでいた。

 

 

「今日の肴は香辛料の効いたお魚とお肉の燻製ですよ。皆さんも、さ、どうぞ」

 

「「「「おお~~!」」」」

 

 人狼の里であるにもかかわらず、両手に大皿を持って宴会の輪の中に入ってきたのは猫耳、尻尾を持つ妖艶な美女。しかし誰もそのことに疑問を持つ事無く、只あるがままに受け入れている。

 

 手作りの料理に舌鼓を打ちながら、我先にとかっ込む人狼独身組。と悪い大人の見本のトップクラスの剣士二人。

 

「辛ッ!でも美味ッ!」

 

「鼻にズゴンと来るこの感じ、癖になりそうですねー」

 

「あ、俺にも残しといてくれよっ!!」

 

 その様子を微笑ましそうに眺める化け猫の女性、名を美衣という。現在一人の子持ちであるが、息子は現在就寝中。

 

「ふ、愚か者どもめが・・・」

 

 その様子を少し離れた所から、悪企みをする悪代官の表情で眺める長老。

 

 そして、そんな長老に向かって背中で親指を立てる美衣。もちろん表情は変化していない。この程度の芸当、年季を積んだ化け猫なら――いや、女性なら、軽くこなして見せるとばかりに完璧な偽装である。

 

「く・・・くっくっくっ・・・わーっはっはっはっはっは!!」

 

「おー、楽しそうでござるな長老殿」

 

「・・・ま、そう見えるのならあんたは幸せよね」

 

 すっかりハイになって高笑いを始めた長老をのほほんと眺める少女と、その隣でお酒を舐めていた少女の呟きは、風に運ばれて深夜の森へと消えていった。

 

「し~ろぉぉぉぉ」

 

「はいはい、父上はとっとと寝るでござるよ」

 

「・・・えぐえぐ」

 

 あと親馬鹿の陰に篭った泣き声も。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その夜―――

 

「母ちゃん、ほらほら」

 

「偉いわ、ケイ。この調子でドンドン行くわよ。恩返しも兼ねてるんだからね」

 

「もっちろん!あ、兄ちゃんの所には僕が行く!」

 

「良いけど、忠夫さんの布団に潜り込むのはちゃんと長老に渡してからよ?」

 

「・・・も、勿論だよ!」

 

「・・・ふぅ」

 

 夜の空気に溶け込んで里の中を駆け巡る、化け猫の親子の姿に気付いた者は、結局一人もいなかった。

 

 

 次の日の朝。

 

 里には、金属同士が激しくぶつかり合う高い音が鳴り響いていた。

 

「・・・うあー、うるさ「おはよう皆の衆!」・・・長老?」

 

 布団の暖かさにぬくぬくと包まれていた忠夫は、しばらく頭まで被ってやり過ごそうとしていたが、結局睡魔が駆逐されて行くと同時に布団の中から頭だけを突き出して――寝る時に外したバンダナに普段は押えられている――狼の耳をピクピクと動かした。

 

 打撃音。

 

「今日はッ!」

 

 快音。快音。罅が入る音。

 

「年に一度のッ!!」

 

 とうとう金属製の何かが砕け散った音。

 

「予防注射の日じゃっ!!!!」

 

―――忠夫の行動は早かった。

 

 瞬きするほどの時間で布団から飛び出し、更に次の瞬間に何時ものバンダナを頭に装着。

 

 その次の瞬間で何時の間にか腰に両腕を巻きつけて眠っていたケイを素早く敷布団の上に寝かせて毛布をかけてやる。

 

 同時に、知らない内に布団の上で丸くなっていた九本の尻尾を持つ狐が空中を舞っているのを確認し、苦笑いしながら引っ掴んで彼女をケイの腕の中に突っ込む。

 

 そして懐を漁って脱出用の通行手形を確認――無い。

 

 

 左のポケット――無い。

 

 ズボンのポケット――無い。

 

 無い。無い。無い。

 

 

「「「「「「「無いぃぃぃぃぃぃっ?!!!」」」」」」」

 

 里に、何人分かの絶望の悲鳴が全く同時に木霊する。

 

「今叫んだいつも逃げ出す馬鹿ものどもっ! 今回こそはきっちり注射されてもらうぞぉぉぉぉっ!!」

 

 勝ち誇った長老の雄叫びが響き渡る。というかかなり嬉しそう。

 

「しまったっ!昨日の宴会自体が罠かっ!」

 

 気付いた所で全てが遅い。

 

 しっかりきっちり酔っ払わせられ、おそらく手形を持ち去ったのは気配を殺す事にかけては人狼さえも凌駕する化け猫の親子。

 

 香辛料は鼻を潰す為の物か。

 

「やべぇっ?!逃げないと?!」

 

「馬鹿息子、準備は良いかっ?!」

 

 すたん、と障子を開けて入ってきた父親は、鉢巻頭に刀を差して戦闘準備、完全完了。

 

 わーにん。わーにん。

 

 聞こえる筈の無い警告音が、大音声で頭の中に鳴り響いている。

 

「応っ!」

 

 只一声だけ応えて、犬飼親子、逃走開始。

 

「くー」

 

「すー」

 

 後に残ったのは、狐と猫の気楽な寝息の協奏曲。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「長老ー、連れて来たわよー」

 

「貴重な犬種は何処だー!美しい犬!愛らしい犬!利口で賢く忠実な人間の友!!それを守るためならどんな辺境でも私は行くぞーーーっ!」

 

 山歩きの為の完全武装で、美神が長老の元へと歩いてくる。

 

 その後ろから、この山をそんな格好でどうやって白衣に埃一つつけずに歩いてきたのか、と聞きたくなるような真っ白な白衣と、白いマスクをつけたいかにもな怪しい人物が両手に注射器を持ち、叫びながら背中に大きなバッグを担いで歩いてくる。

 

「美神殿、もうちょっとましな人物はいなかったのかのぅ」

 

「変人の知り合いは変人だった、ってことかしらねぇ」

 

 ぎらぎらとした目で辺りを見回すその人物は、一応ちゃんとした獣医である。ただし、某プロレス除霊の人間の医師からの紹介であるが。

 

 あまりのアレっぷりに引きながら、やや蒼ざめた顔で問う長老に対し、美神は朝日に目を向けながら、虚ろな目で応えるのみであった。

 

「む、とりあえず一匹めっ!」

 

「きゃいーん!」

 

 陰念が注射された。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「何っ?!人狼だと?!」

 

「止めます?」

 

「ベネ(良し)、注射だ」

 

「・・・ま、良いか」

 

 とりあえず今だ人間形態を取れない陰念が注射された後、先程のような会話をして連れて来た獣医はまずおとなしく予防注射を受ける里の人狼達にどんどんと、手品のように一連の作業を終わらせていく。

 

 それが一段落つくまでに掛かった時間、およそ20分。かなりの人数がいたことを考えれば、正に神業のような滑らかな動きであった。

 

「類友よねー」

 

 性格に問題がある辺り。

 

「それでは、本題に入りますぞ。逃げた人狼は全部で8人、犬飼家、犬塚家、それと独り身の人狼が4名ですじゃ」

 

「うちの所員もしっかり逃げた訳ね」

 

「勿論。それで、おキヌ殿から連絡は?」

 

「バッチリ。しっかり上空から捕捉してくれてるわ。今はこの辺りで――」

 

 言いながら、簡易なテント―――運動会などでよく使用されている、あの白い奴、赤十字マーク入り――の中にある机の上の地図、その一点を指す美神。

 

「――全員集まって、作戦会議中らしいわ」

 

「好都合。一網打尽とはいかないが、上手くいけば一人二人は注射できる」

 

 わきわきと両手を蠢かす獣医。

 

「そ、それはともかく!」

 

「あ、相手が相手ですからな! とりあえずこちらの戦力は、わしと美神殿、それから――」

 

 注射器をもって何故か素振りを始めた獣医を見やる二人。

 

「わしと美神殿ですな」

 

「ええ、間違いなく」

 

 一緒にされたくないらしい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「分散か集中か・・・」

 

「いや、とりあえず囮を出して補給を断つ――注射器を壊すってーのは?」

 

「誰が陽動の囮をやるんでござるか?兄上が?」

 

「断るっ!」

 

「拙者だって嫌でござるよ~」

 

 森の中、少し開けた其処では、逃走した人狼達が集まって喧喧諤諤と会議中。暖かな陽射しも、そろそろ暑さを感じさせるまでになってきている。

 

「そうだそうだー。シロが嫌ならやらせちゃ駄目だぞ」

 

「なら犬塚の親父さんが行ってくれ」

 

「い、いや、こういうのはジャンケンだろ」

 

 その一言で、場の空気が緊迫した。

 

「・・・俺はグーをだそうかな~?」

 

「ひ、卑怯でござるよ兄上っ?!」

 

「なら僕はパーだそっと」

 

 忠夫の余所を向きながらのさりげない台詞に動揺するシロ。続けて人狼達もどんどんと自分のカードを晒して行く。

 

「む、なら犬塚」

 

「ああ。俺たちはチョキだな」

 

「あ、あうあう」

 

 元々こういった読み合いが苦手なシロは、周りの狡猾さに惑わされて段々とパニックに陥り始めている。

 

「な、なら拙者はグーを!」

 

 にやり。

 

「え?「「「「「「「さーいしょはグー!じゃーんけーんっ!!」」」」」」」え、えええええっ?!」

 

 その言葉を切欠に、いきなり始まる状況。勢い良く叫ばれるその言葉に、混乱する頭はさて置いて、体が反射的に反応する。

 

「「「「「「「ぽぉぉぉぉんっ!!!」」」」」」」

 

「ええええええっ?!!!」

 

 

 結果。

 

 

 シロ、グー。

 他全員、パー。

 

 結局シロは裏の裏まで考えるとかそういった事をせず、素直に自分の言ったままに出した事になる。

 というか、他の全員はそうなる事を承知の上で、ああいった台詞を吐いたのだ。

 

「な、何ででござるかぁぁっ?!」

 

「ふ、シロ・・・まだまだ甘いな。俺としては少し心配だぞ」

 

「戦場では騙し合い等日常茶飯事。シロ、少しは頭を使ったほうが良いぞ」

 

「兄上、父上ー!!」

 

 半泣きで睨む娘の頭を撫でつつ、優しい口調で語り掛ける犬塚父。問題は、内容がかなり酷い事。

 

「んじゃ、シロが突っ込んだ後他全員が全方位から一気に、ってことで」

 

 その一言を皮切りに、それぞれが散っていく。人狼の身体能力と、磨きぬかれた身体制御は、素晴らしいまでの機動を可能とする。

 

「くっ?!かくなる上は、なんとしても生き残って見せるでござるよ!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「―――成る程、でも、甘い」

 

 偵察のおキヌからの連絡を受けた美神は、そのままおキヌに指示を出した。

 

「分かりました、それじゃ、始めますねー」

 

「ええ、お願いね、おキヌちゃん」

 

 おキヌが取り出したのは、一見只の小さな突起のついた黒い筒。

 

 彼女は、その突起を押し込むと、眼下の森に向かってそれを放り投げた。それは重力に引かれて落下していき―――

 

「美神さーん、上手く行ったみたいですよー」

 

 美神に報告するおキヌの真下で、黄色い粉をあたりに振りまきながら爆発した。

 

 

「美神殿、あれは?」

 

「別に毒じゃないわよ。只の、カレー粉」

 

 カレー粉。それは、きっつい匂いを出しながら、森の中へと広がっていく。

 

 こんな実話がある。訓練中の警察犬が、カレーの匂いをかいだ途端匂いが感じ取れなくなって、それまでの追跡を諦めて座り込んでしまったという。

 

 つまり――彼らの鼻は、これで潰した。

 

 超感覚、そう呼ばれる彼らの鋭敏な五感の中でも、嗅覚は大きな役割を果たしている。生物であるならば匂いを残さない事は難しく、また人狼ともなれば僅かな、ほんの僅かな匂いからでもかなりの情報を得る事ができる。

 

 

 そして、それ故に。

 

 

「これであっちの索敵能力は大幅減。あとはしっかり片端からとっ捕まえてぶっすり行くだけね」

 

「しばらくカレー臭そうですなぁ」

 

「雨が降るまでの我慢よ」

 

 それを奪われた人狼に、最早それ以前の探索能力は無い。そして、互いの位置がわからなくなった以上――連携は、難しい。

 

「んで、後は・・・っと」

 

「犬塚シロ、参るーーー!!」

 

「長老、やっちゃって」

 

 突如やけっぱちの表情で、霊波刀を振りかざして白いテントに向かって突撃してきた人狼の少女の目の前に、里、最強の戦力が立ちふさがる。

 

「十年早いわっ!」

 

 里に、少女の悲鳴が木霊した。

 

 

「ぷすっとな」

 

「きゃいんきゃいんっ!!」

 

「ほ~ら、シロ?あんただけそんな痛い目見るのって、なんだか不公平じゃない?」

 

 ロープでぐるぐる巻きになり、あっさり予防注射を打たれたシロに、悪い笑顔の美神が迫る。

 

「そ、それは」

 

「これは貴方達の為なのよ? もしもこの注射をしなかったせいで病気に掛かったら大変よね~」

 

「・・・確かに」

 

 優しい笑顔で囁く美神にシロは段々と考える表情になっていく。

 

「横島君が病気になったら、とっても苦しいでしょうね~」

 

「う、ううううううう」

 

「彼のことを思うのなら、私たちの手伝いする事が一番じゃないのかしら?」

 

「・・・分かったでござる。不肖、犬塚シロ。美神殿に協力させていただくでござる!」

 

 簀巻きにされながらも、勇ましく吼えるシロ。その瞳には、大きな決意があった。

 

「ふ、ちょろい」

 

「本当に、怖いお方じゃのぅ」

 

 シロからは見えない角度でにやりと笑う美神に、長老は戦慄を覚えていたとかいないとか。

 とにもかくにもこれで戦力+1、である。

 

 

「美神さーん、12時の方向に一人、繁みの後ろにいますー」

 

 上空から霊視ゴーグルで索敵中のおキヌから報告があれば、美神と長老が素知らぬ振りであさっての方向に歩いていき、テントの中にそれっぽいリュックを置いていく。

 

「チャンスでござるなっ!!」

 

 と、誘われて出てきた所で。

 

「せいっ!」

 

「うおおおっ?!」

 

 テントの近くで隠れていたシロが飛び掛り、足止めする。単純な膂力と技術で劣っていても、その速度は里でも敵う者は殆どいない、神速の機動能力を誇っている。

 

「シ、シロッ?!なんででござるか?!」

 

「拙者ばっかり痛いのは納得いかんでござるよー!」

 

 必死でシロの霊波刀を避ける人狼の後ろから、無言で近づく美神と長老。

 

 そして、高速の戦いの後睨み合っていた人狼の肩に両方から、ぽん、と手を置く二人。

 

 人狼が油の切れたロボットのような動きで振り向いた其処には、とっても良い笑顔の二人がいた。

 

「そーれ、ぷすっとな」

 

「きゃいーん!!」

 

 戦力、更に+1。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「落とし穴ー?!」

 

「あ、ボール」「てい」「きゃいーんっ?!」

 

「こ、こんな所に骨付き肉が落ちている。これは――いやいやいやっ?!それよりもあのバッグを・・・でも、いや、ふーむ」「ぷすっとな」「きゃいーん!!」

 

更に+3。

 

「ふ、犬科の生態を熟知したこの私。この程度ならば問題は無い」

 

「・・・熟知して無くても、ねぇ」

 

「あんまり関係ないですなぁ」

 

 

 そんなこんなで戦力増強。注射された人狼達は、自分のお尻をさすりつつ、全周警戒を行なっている。美神と長老はテントの中で、最後の目標達の発見の報告を待っていた。

 

「おキヌちゃん、そっちはどう?」

 

「駄目です、全然見つかりませーん」

 

「ふむ、一体何処に消えたやら・・・」

 

 連携の取れない上に、ばらばらに接近してきていた人狼達を各個撃破、その後こっちの戦力にしたは良いものの、そこから先が手詰まりであった。 

 

 犬飼犬塚の親父達と、犬飼忠夫が動かないのである。

 

「持久戦か・・・不味いわね」

 

「ああ。私にも仕事のスケジュールがある。余り長くは居られないし、獣医の免許を持っていないものに注射させるのは私のプライドが許さない」

 

「ほんとーに、類友ねぇ」

 

「・・・余り使いたくは無かったのだがのぅ、最後の手段じゃな」

 

 腕を組んで黙っていた長老が、唇を歪めてそう呟いた。

 

「里の長を務めているのは、伊達ではないのじゃよ」

 

 そう言い残し、長老はテントから離れていく。その表情は見えなかったが、背中が語っていた。

 

 ――日頃の行いって大事じゃよ?

 

 

「一番、シロ、行きますっ!」

 

 長老の指示の元、犬塚シロが進み出る。

 

「ちっちうえー!助けてー!!!」

 

 思いっきり息を吸い込んで放たれたその叫びは、里を囲む山々に木霊を返しながら、結界の内部に響き渡った。

 

 寸暇の間も置かず、はるか彼方で爆発が起きた。

 

 いや、より正確に言えば――爆発のような踏み込みであった。

 

「シローーー!!!今行くぞーー!!」

 

「父上~、ここでござるよ~!」

 

 その爆発後から、一直線にシロの居る所まで伸びてくる土煙。その進行方向にある木々は片っ端から薙ぎ倒され、砕け、岩はあっさり真っ二つにされてその道を作り上げていく。

 

「シロッ!無事かっ?!」

 

「元気でござるよー」

 

「へっ?」

 

「ほれ、ぷすっと」

 

 呆れた視線を犬塚父に向ける美神とシロの目の前で、犬塚父の尻に、注射針が突き刺さったのであった。

 

「ふ、親馬鹿も大概にせい」

 

「ひ、卑怯な・・・」

 

 お尻を押えて悶える父に、シロは生温い視線を送るばかりであったそうな。

 

 

「こうなったら、犬飼家の奴らも道連れだっ!」

 

「で、あいつらの動き、掴んでる訳?」

 

 とりあえず尻の痛みから復活し、そろそろ夕暮れが近づいてきた空を見上げながらの犬塚父の言葉に冷静に突っ込む美神。

 

「いや、知らん!だが、予想は付く!長老、例のもの、持ってきてるんでしょう?」

 

「応。これじゃろ?」

 

 そう言って長老が渡したのは、長さ1M程の丸めた紙。犬塚父はおもむろにそれを広げ――

 

「いぬかぁぁぃっ!さっさと出てこないとこの『お前の妻の等身大ポスター』、燃やしちまう「またんかぁぁぁっ?!」――ほーら」

 

 犬飼ポチ、亡き妻の写真から作り出したポスターを守るために出現。

 

 地中から。

 

「犬塚、きさまっ!やっていい事といかん事の区別くらいあるでござろうがっ!」

 

「ああ。だからそんな事せんぞ?」

 

「・・・ふ、不覚っ!!」

 

 慌てて地面に開いた穴に潜り込もうとするも、既に長老がその襟首を捕まえて捕獲済み。

 

 そのままロープでぐるぐる巻きになりいっちょ上がり、である。

 

「ふぅ。とりあえず、後は先生にでも・・・あれ?先生は?」

 

 辺りを見回す美神の視界には、獣医の姿が見当たらない。人狼達、簀巻きにされた犬飼ポチ、テント、そして何も乗っていない机、テントの真下に開いた――

 

「穴?!しまった、二手に分かれて挟撃したのねっ!」

 

「ふははははっ!もはやお前達の手に注射器が渡る事は無いでござるっ!」

 

「簀巻きはだまっとれ」

 

 長老にげしげしと踏みつけられながらも、勝ち誇った笑いを上げるポチ。だがしかし。

 

「キャイーン!!」

 

 突如として、森の中から、聞きなれた悲鳴が響き渡った。

 

「・・・今の、横島君の声よね」

 

「あ、兄上になにが?」

 

 言葉を交わす美神達の視界に、がさがさと揺れる茂みが写る。果たして、其処から現れたのは――

 

「横島君、それにせんせ・・・い」

 

「・・・なんと、まぁ」

 

 半分気絶した忠夫を背負った獣医――只、その足はリュックの底を突き破っており、その腕は同様に横を破って出されている。首だけはリュックの口から出ているが。

 

 獣医はそのリュックに食われたままの格好でテントの前まで歩き、忠夫を降ろすと、リュックの前についている小めのポケットから消毒用の脱脂綿と注射器を取り出し、てきぱきと消毒した後、おもむろに。

 

「ぷすっとな」

 

 今だ動きを見せない忠夫の腕に突き刺した。見る見るうちに減っていく中の薬。全てが吸い込まれた事を確認し、獣医は再び立ち上がって簀巻きのポチに近づいていく。無表情で。

 

 ポチを囲んでいた人狼達も思わず尻尾を丸めて慌てて物陰に隠れる始末。そして。

 

「ぷすっと」

 

「きゃいーん!」

 

 ようやく、全ての人狼に予防注射は行なわれたのであった。

 

「あ、ちなみにあそこの青年はちょっと睡眠薬打っただけだから、すぐ目を覚ますよ」

 

 良い仕事した、とばかりに笑顔で美神と長老に笑いかける。彼は、そのままの格好で颯爽と里を後にしていった。1枚の名刺を残して。

 

「りゅ、リュックの中に隠れるって反則だって・・・」

 

「あら、もう目が覚めたの」

 

「美神さん・・・せめて膝枕を。嫁として」

 

「なら拙者がっ!」

 

「うー、あー、もう疲れたから帰るわね。あんたもとっとと帰ってきなさい。明日からまたバリバリ稼ぐから。あと、十年早い」

 

 なんとなく、突っ込む気力も奪われた美神の神通棍は、何時もよりも少しだけ痛くなかったそうな。

 

 

 そして、今回注射を免れたのは、タマモ。

 

 

 と――長老だったりする。

 

「ほっほっほ」


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