月に吼える   作:maisen

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第四十四話。

 月は魔狼の顎に喰われ、今は僅かな光を、その欠片のような燐光を、ほんの少し彼らに降り注がせていた。

 

 壊れた魔法陣の中心に座り、殺意と狂気の混合された視線で、目の前の白き獣人を睨み付けるフェンリルと。

 

 背後に倒れ、期待と安堵の視線を向ける人狼の少女を庇うように立ち、目の前の神話の魔獣を気合と根性で睨み付ける忠夫に。

 

 ただ、斉しく。

 

『半人狼が、たかが半人狼風情がっ!たった一匹で最強の狼、狼王フェンリルに勝てるとでも言うのかっ?!』

 

「思わんっ!」

 

 異様にすっぱりはっきりと、全力でそう宣言する忠夫に残り少ない気力を奪われた他の面々にも注いでいたが。

 

「だけど、だ。そんな半人狼に――」

 

 嘲るような笑みを浮かべ、右手に展開した霊波刀と、既に再生してはいるが先程斬り飛ばしたフェンリルの爪を見比べる。

 

「傷付けられたモドキは、本当に最強かな?」

 

『殺す』

 

 怒りにその身を震わせ、立ち上がるフェンリルの巨躯。おおよそ3階建ての建物にも匹敵するようなその巨大な生物が、圧倒的な威圧感と殺気を纏いながら動く姿は、確かに最強の狼に相応しい物であった。

 

「へん」

 

 だが、それを目の前にしても忠夫の顔から不敵な笑みは消えていない。

 

「やれるもんなら――」

 

 ぐっ、と体に力を篭めて、足の爪をしっかりと地面に食い込ませて。

 

「――やってみろやー!!」

 

 

 反転して、逃げた。

 

『…は?』

 

 思わず呆気にとられる陰念。しばし、あたりには痛い沈黙と白い空気が漂う。

 

 数瞬も待たず、忠夫が逃げた先から響く声。

 

「わーっはっはっはー!!勝てはせんが負けもせんっ! 俺はフェンリルに傷を負わせて引き分けた男になるんじゃー!」

 

『な、ちょ、ま、待てやゴルァァァッ!』

 

 慌てて追いかけるフェンリル。しかし忠夫の逃げ足は、半端じゃない。

 

 そんな所が半端じゃなくてどーする。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「は、ははは、痛たたたっ!やるねぇ、横島君」

 

「相手の「力への固執」って壷を突いて、挑発して――囮になって。全く、セコイと言うか、狡いと言うか」

 

 傷だらけの体を無理やり地面から引き剥がすように立ち上がりながら、西条と美神が苦笑い。

 

「口八丁と逃げ足。人狼らしくないのぅ」

 

「ま、忠夫ですからなぁ」

 

「全く、誰に似たのでござるかなぁ」

 

「「お前(お主)じゃないことだけは確かだな(じゃのう)」」

 

 呆れた様に、笑いあいながらふらふらと、刀を杖代わりに支えにして、それでもしっかりと立つ人狼、年長組。

 

「兄上、せめて、もうちょっと格好良くって言うのは駄目なんでござるか」

 

「良いじゃない。忠夫らしくて」

 

「・・・それもそうでござるか。偶には良い事言うでござるな、狐」

 

 互いに微笑を浮かべながら、互いを支えあうようにして立ち上がる、妖狐の少女と人狼の少女。

 

「あつつ・・・あんた達、あいつの言った事と行動の意味、分かってるわよね?」

 

「人使いの荒い事で」

 

「あやつ一人では勝てん、か」

 

「裏を返せば、でござるな」

 

「子供の期待に応えるのは、年長者の特権だな」

 

 にやり、と笑いあう忠夫よりも年上な人達。

 

「で、このぼろぼろな私達で何をどうするって言うのよ?」

 

「…残念でござるが、今行っても足手纏いにしかならんでござるよ」

 

 不服そうに呟くタマモと、悔しそうに歯噛みするシロに、美神はイイ笑顔で応えてやる。

 

「打てる手を、打てる内に打っとくのが大人なのよ。もう直ぐ、里に残っていた人狼達が秘密兵器を持ってくるわ。それさえ届けば「・・・ああああああっ!!」・・・どうしたのよ、西条さん」

 

 得意満面の顔で説明していた美神の言葉に、絶叫で割り込む西条の声。何事かとそちらを見やる面々。

 

 西条は、青い顔で呟くように言った。

 

「・・・月、食べられてる」

 

 その言葉を理解すると共に、他の面々の顔から、血の気が引く音が聞こえた。

 

「・・・わ、忘れてたわ」

 

「視線を逸らさないで下され美神殿ー!やばいでござるよー!!」

 

「どーすんのっ?!どーすんのよー!!」

 

「ううう、う、うるさいわねっ?!今必死で考えてるんだから邪魔しないっ!!」

 

 シロタマの涙目での追求に、しどろもどろになりながらも額に人差し指をあてて考える美神。かなり真剣であるが、唸りながら、額に汗を流しながら考えても中々名案が浮かばない。

 

「長老、あなた達で里の人狼達を探し出せない?」

 

「無理ですじゃ。森の中を駆け回るだけの体力も無く、あても無くこの森の中を捜していては時間が掛りすぎるでな」

 

「さ、里に連絡して新しいのを「全部、出し惜しみしないで持ってこさせなさい!と言ったのは美神殿でしたなぁ」・・・あううう」

 

「うーん、うーん。さ、西条さん、冥子達に連絡「さっきので携帯電話がおしゃか。無理だよ」・・・あううううう」

 

 次々に考えた事を次々に駄目だしされる美神の目には、少々涙が溜まり始めていたりする。

 

「どーしろってのよー!」

 

「こっちが聞きたいでござるー!」

 

「忠夫ー!!」

 

 森の中に響き渡る悲鳴のような声にも、応える者は無い。

 

 

 

 ――無い、筈であった。

 

 

 

 それは、突然現れた。

 

 月の光の絶えた森の中に、闇を切り裂く閃光が炸裂し、美神達をその明るい闇に飲み込んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あかん。死ぬ、死んでまうっ?!あんなのとまともにやりあえるかっつーの?!」

 

 少々大きめの木の陰にて、必死で気配を殺してフェンリルの視界から隠れる忠夫。

 

『何時まで逃げられるかな?』

 

 そんな、嘲るような声が聞こえると同時に爆音が響き渡る。それは、声が発せられた場所を中心に解き放たれ、無秩序に周囲を破壊する。

 

 慌てて地面に拳を打ち込み、簡易な塹壕を作って退避。衝撃と爆発をやり過ごし、あたりに立ち込める濛々たる煙が晴れぬ内に、すぐさま塹壕から抜け出し、隠れた事がばれないようにそこからの距離を取る。

 

 煙が晴れればそこに立つ、フェンリルの巨体が視界を埋める。

 

「ふっ・・・効かねぇな。そんな柔な攻撃じゃ、この俺を倒す事なんざ不可能ってもんだぜ?」

 

『・・・ほぉ?』

 

 ますます昂ぶる陰念の瞳。殺意を通り越して最早妄執となったその感情は、平然と立つ忠夫を貫くように射すくめる。

 

「ま、こーんなちっぽけな俺に梃子摺るようじゃ、強いとは言えねーな」

 

 その言葉に反応し、ただの一挙動で忠夫に向かって爪を振り下ろす陰念。

 

 それは、八つの軌跡を持って忠夫に向かって襲い掛かるも、全て地面や砕けた木々にぶつかって霧散する。あっさりとそれを避けたように見える忠夫に、無言で睨みを利かせる陰念。喉の奥からは、悔しげな唸り声が聞こえていた。

 

「ほーれほれ、おっにさんこっちら~!」

 

『どこまでも戯言をっ!!』

 

 人狼の瞬発力をフルに利用し、陰念の周りを残像さえ残りそうな速度で駆け回る。その巨躯ゆえに小回りの聞かない陰念は、ぐるぐると周囲を回る忠夫にうっとおしそうに爪を振るい、尻尾で牽制するもかすりもしない。

 

 そうこうする内に、何時の間にやら忠夫の姿を見失ってしまう。慌てて辺りを見回しても、影も形も無い白い獣人。

 

『ちっ!』

 

 舌打ち一つでじっくりと腰を据え、相手の出方を伺う。

 

 ――今度こそ、仕留めてみせる。

 

 

「ああああああああ、危ないっ!ヤバイっ?!」

 

 そこから少し離れた窪みの中に、さっきまでの威勢は何処へやら。ひたすらへたれる忠夫が居た。

 

「ちきしょー!ちきしょー!反則やー!美衣さんの動き方とかこの前の修行とか無かったら即死やー!!」

 

 森の中での戦いは、それを最も得意とする化け猫の女性との戦いでおおよそ分かっている。八房の攻撃も、達人相手の修行でなんとかぎりっぎり見切れてはいる。

 

 それでも一回かすればこっちは吹っ飛ぶ事間違いなし。それに比べて向こうはこっちの不意打ちで攻撃しても被害が爪一本。しかも、即時再生のおまけ付き。

 

「美神さん達はまだかっ?!まだなのかー!」

 

 ひたすら小声で叫ぶ忠夫に、いまだ救いの手は差し伸べられない。

 

「あー、美神さん達の様子は・・・っと」

 

 発散するだけ発散して、ようやく少し落ち着いたのか。

 窪みからほんの少しだけ耳を出し、同時に鼻も突き出して、匂いと音で探ってみる。

 

 途端に流れ込む大量の情報、と言うのは正確ではないだろう。情報と言うよりも、なんとなく分かる、若しくは感じる、と言ったほうが正しい。

 

 

 ――木の匂い、砕けた古木の乾いた匂い、巻き込まれた動物達の微かな声、鳴り止んだ虫たちの動く音、フェンリルの呼吸音、踏み潰された草の青い匂い、風に遊ばれて鳴る木の葉の踊る音、木と木の間を駆け抜ける風の声、それが運ぶ離れた場所の話し声と、誰かの匂い――

 

 

 其処まで感じて、忠夫は鼻と耳を引っ込めた。

 

「・・・ふぉ~、頭がくらくらするっての。親父達はよくもまあこんなの感じてて平気でいられるもんだなぁ」

 

 流れ込んだ大量のそれは、超感覚が今まで使っていたものとは比べ物にならないほどの高性能故に。

 

 と言うか既に完全な別物。それまで感じていた僅かな匂いや音だけでなく、霊気の流れさえも感じるそれは、つまるところ人狼が皆感じている物・・・だけではない。

 

 普通の人狼が、感じられえない部分も其処にはあった。

 

 そう、半人狼の忠夫が、フェンリルである陰念さえも感じられない、聞き取れない物を聞き取り、嗅ぎ分けることなどできる筈が無い。

 

 それが可能ならば、隠れることさえ不可能な、そんな距離なのだ。

 

 最も、この場合は陰念がその超感覚の使い方に鳴れていない為、余りに多すぎる感覚が自動的にカットされて只の煩雑な匂いや雑音にしか聞こえていない為なのだが。

 

「・・・うっは~、そうきたか」

 

 しばし頭を抱えて悶えていた忠夫が、何とか復帰すると同時に今度は考え込む顔になる。

 

「どっちにしろ、もうちょっと頑張らなきゃ駄目みたいだな~」

 

 考え込んでいた顔は、あっさりと半泣きの情けない顔になり、いきなり気合が抜けている。

 

「んじゃ、ちょっと遊んでやりますか」

 

 それでも次に顔を上げた時には、すっかり悪戯小僧の顔になっていたが。

 

 

「陰念っ!」

 

『…死にに来たか』

 

 しばしの後、のっそりと立ち上がって美神達の居た方へと動きだそうとした陰念に、背後から飛び出て声をかける忠夫。

 

 ゆっくりと振り向き、笑いを堪えるような表情で、忠夫に声をかける。

 

『そうだ。これ以上逃げ回るなら、俺は、あの人間たちを先に殺す』

 

「やかましわいっ!やらせねぇ為に―――」

 

 嘲笑を浮かべる陰念に、思いっきり啖呵を吐いてみせる。ポイントは、表情はあくまでも真剣に、しかし焦りを浮かべたようにする事だ。

 

 わくわくした顔なんて見せたら、疑ってくれと言っているようなもんである。

 

「俺が、此処に居るっ!!」

 

『なら、お前から、だな』

 

 

 先手は、陰念。振り向きかけた体を、そのまま回転させる事無く跳躍し、忠夫の直上から強襲する。が、振り下ろされた爪に、手応えなし。土煙が舞い上がる。

 

『ちっ!この煙の量!』

 

「ぴんぽーん。俺も手伝ってみました」

 

 陰念が跳ねた瞬間に、足元の地面を思いっきり抉って耕し、柔らかくしておけば後は勝手に盛大な煙幕を作ってくれる。

 

『何処に「ここじゃぁっ!!」』

 

 顔を起こした陰念の目の前に、両手に霊力を篭めた忠夫がその手を広げて中に舞う姿が。

 

「くらえっ!サイキック・大神騙しっ!」

 

 弾けた閃光と爆音は、以前の物よりも少しだけ大きかった。

 

『がっ!ぐぉぉぉぉっ!!!』

 

「闇夜の閃光は、効くだろっ!?」

 

 一言だけ言い残し、わざと足音を立てながら走り出す。

 

 視界を奪われ、見事に喰らった陰念はその不自然さにも気付かずに、その音を頼りに追いかける。

 

『貴様ァァァァッ!!』

 

「やーいやーい、ばーか、間抜けー、あんぽんたーん!」

 

『ぶっ殺す!手前だけは絶対にぶっ殺す!!』

 

 稚拙な悪口が、余計に怒りを掻き立てるようである。陰念は、その巨体で行く手を塞ぐ物を打ち砕きながら追跡する。

 

 当然、忠夫のことは見えない。

 

 

―――つまり、足元に張られた蔦にも。

 

 

 陰念の爪が引っかかり、あっさりと千切れたそれはするすると短くなっていき、忠夫の作ったそれは見事に。

 

『ゴワッ?!』

 

 フェンリルを、神話の魔獣をすっ転ばした。

 

 種は簡単。蔦を切ったらそれに連動して、少し先の―――ちょうど今、フェンリルがすッ転んだ位置―――に、丸太が突っ込んでくるようになっているだけである。

 

 その丸太が陰念の両前足の間に入り込み、全速力で走っていた上に視界も奪われていた陰念は、見事に足を取られて頭から地面に突っ込んだのだ。

 

「ぶはははっ!!引っかかった!!」

 

 爆笑し、おなかを押えながら陰念を指差して笑う忠夫。すっごく嬉しそうだ。

 

 例え細い枝でも、全力疾走中にそれが足元に突っ込まれれば、転ばずにすむ奴なんて殆どいない。ましてや、見えない状況なら、視界が奪われただけでなく、怒りで我を失っている状況なら、結果は「こうなる」もんである。

 

「ほーれ、もいっちょ」

 

『貴様っ!んがっ?!』

 

 地面にめり込んだ頭を持ち上げた陰念は、柔らかく神経の集まっている鼻の頭に一撃を喰らって思わず怯む。横合いから、かなりの勢いで柔らかい竹が、鞭のように其処を襲ったのだ。

 

 苦悶の声を漏らしながら、忠夫を睨む陰念。ちょっと涙目である。

 

「其処は急所だからなー。死んだりはしないけど、いったいんだよなー」

 

 のほほん、と呟く忠夫の手には、横に伸びていく蔦がある。それを引っ張って竹を押えていた蔦を外し、ぎりぎりと引っ張られたそれは勢い良く陰念の鼻を襲う位置に仕掛けられていたのだ。

 

「わーっはっはっはぁっ!そして忠夫だーっしゅ!!」

 

『逃がすかぁぁっ!!』

 

 即座に転進して逃げ出す忠夫。顔が楽しんでいる辺りなんともはや。

 

 

『ぜぇっ!ぜぇっ!何処に行ったぁぁぁっ!!』

 

 息切れしながら忠夫を探す陰念。最早体力的なものなら人狼など比べる事すら無駄なくらいの体力はあるが、この場合は精神的な疲れの方が先だろう。

 

 あの後も、忘れた頃に足元に丸太が飛んできたり、いきなり横合いから蜂の巣が飛んできて、必要ないにもかかわらず驚いてしまったり、落とし穴に足を取られて転んだりと碌でもない目にあっているからしょうがないと言えばしょうがない。

 

『出てこいっ!さもなくば、美神令子達の命は「もう、そんな必要はないっての」何処だっ?!』

 

 声は聞こえるが、姿は見えない。

 

 

――待て、今、あいつは何と言った?必要ない?そんな馬鹿な。あれだけ痛めつけておけば、しばらくはまともに動けない筈で――

 

 

 陰念が、其処まで考えた瞬間だった。

 

 思考に意識をとられたその一瞬、僅かに反応が遅れた。

 

 闇夜を切り裂き飛来する、幾つもの銀の輝き。それは、銀で出来た矢、だった。狙いは過たず、反応の遅れた陰念の肩に、幾つも、幾つも突き刺さる。

 

『ガァァァァアッ!!』

 

 たまらず苦悶の声を上げる。フェンリルへと変貌してからの、初めてのダメージらしいダメージだった。

 

 銀の矢は、古来より邪を払う武器。そして、人狼にとって、最も苦手な物の一つ。

 

「やったー! 大当たり!」

 

「馬鹿、直ぐに逃げるんでござる!」

 

「こっちで良いのかな?」

 

「うおおっ!せめて後一撃っ!」

 

 それを陰念に射たのは、先程まであの場にいなかった人狼達。

 

 そう、月を奪われた筈の人狼達。

 

『き、貴様ら、何故っ?!』

 

「よそ見してる場合じゃないワケっ!霊体、撃滅、波ぁぁぁぁっ!!」

 

「ダンピール、フラーーッシュ!!」

 

「主よ!精霊達よ!我は世界に求めたりっ!」

 

「皆~!頑張って~!」

 

 

 振り向いた陰念の、死角からその胴体に突き刺さる凶悪な霊波と式神たち。殆ど弾き散らされ、あるいは素早く戻っていったが衝撃だけは深く体の中に響いている。

 

『GSだとっ?!東京に放ったビッグ・イーターどもは何を「おおおおおおおっ!!」』

 

 陰念の疑問に割り込むように、正面からシロが飛び掛る。慌てて爪を振り上げ、それが届いた。

 

 瞬間に、シロの姿が消える。

 

「残念。それは幻覚よ」

 

「わっしの幻覚との相乗効果。そうそう分かるもんでもないですカイノー」

 

 妖狐の少女と、男の声が聞こえる。誰何の声を上げる暇も無く、足に走る痛み。

 

『うがっ?!』

 

 先程まで居なかった、犬飼と犬塚、長老とシロが、それぞれ手に武器や霊波刀を持って斬りつけ、そのまま走り抜けて再び森へと消えていく。

 

「硬いでござるな」

 

「ま、一応フェンリルじゃからな」

 

「気長に行くさ」

 

「父上達、悠長でござるなー」

 

 

 それぞれに、そんな一言を残しながら。

 

『貴様らぁぁぁっ!!』

 

「あら、余所見は駄目だってさっきエミに言われなかったっけ?」

 

「まだまだ、戦い方に余裕が足り無いよ」

 

 振り上げた足に、銀の銃弾と破魔札の連打が襲い掛かる。僅かにバランスを崩した陰念が、視界に捕らえた物は。

 

「―――ロック。連装式・ロング・レンジ・ライフル「スキュラ」・ファイア」

 

 顎の下に走りこんできた女が、持ってい自分の身長を超える長さの、とてつもなく巨大なライフルを、自分の喉下に向けて連射する光景だった。

 

 一瞬で打ち込まれた数、六発。全てが銀の銃弾で、しかも銃自体の大きさに伴って異様な威力。たまらず更にバランスを崩し。

 

 フェンリルは、重い音を立てて地面に転がった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――美神達の所に閃光が輝く少し前。東京で。

 

「ドクター・カオスっ?!なんであんたがこんな所にいるワケ?!」

 

「あ、カオスさん~」

 

「やれやれ。全く、騒がしいかと思えばお前らか」

 

 エミの言葉に応えるかのように、路地裏からマリアを引き連れて現れたのは「ヨーロッパの魔王」ドクター・カオスであった。

 

 何時ものように不敵な笑みと共に現れた彼は、す、と腕を持ち上げると指を鳴らす。

 

「――行け」

 

「「「いえす。どくたかおす」」」

 

 只一言に応えて、カオスの後ろから飛び出していく小柄な影3つ。長い髪を持った機体の額には、αの刻印が。髪を後頭部で括った、いわゆるポニーテールの機体の額には、βの刻印が。髪を白いバレッタで止めた機体の額には、δの刻印が。

 

 彼女達はそれぞれに得意な距離を取ると、前方に展開するビッグ・イーターの群を駆逐に掛る。

 

 αが、長い髪を夜気に躍らせながら、構成したパイルバンカーでビッグ・イーターの頭から尻尾までを串刺しにし、βが生み出した重力場に何匹かが囚われ、あるものはその力場に引き裂かれ、潰され。又あるものは、δに呼び出された重火器の群で蜂の巣にされる。

 

「・・・完全に、銃刀法違反だね」

 

「かっかっかっ、捕まえられる物なら、の話じゃろうが」

 

「先生っ!それより、早く行かないと美神さん達がっ!」

 

「そうよ~令子ちゃんたちが~心配だわ~~」

 

 呆れた様にその光景を眺めるGS達の前で、大笑する黒いマントの老人。それを横目にピートが慌てたように唐巣神父に声をかける。

 

「お主ら、フェンリルを相手どっておるのじゃろう?」

 

「な、なんで知ってるんですカイノー?」

 

 いきなり放たれたその言葉に、困惑するGS達。彼らを尻目に、カオスは懐から幾つかの小さな立方体を取り出し、マリアに投げて寄越す。

 

「マリア、手伝ってやれ。あの本を書いたわしにも多少の責任はある。α達を作らせたのは、お前自身が好きに動く為、じゃろう?」

 

「イエス。ドクター・カオス」

 

 それを受け取り、にっこりと笑うマリア。彼女はその立方体に手を添えると、唐巣神父達に向けてそれを展開する。

 

「こ、これは一体なんなワケー?!」

 

「うわぁっ?!」

 

「エミ君、冥子君!ピート君、タイガー君!」

 

「きゃぁ~~」

 

 それは唐巣たちをその中に取り込むと、もとの小さな立方体になってアスファルトの上に転がった。それをそっと拾い上げると、マリアはブーツのロケットを吹かしながら宙に浮かぶ。

 

「行ってきます・ドクター・カオス」

 

「おー」

 

 ひらひらと、背中越しに手を振る父に笑顔を向け、妹達に視線を一瞬向けるとそのまま飛び立つマリア。

 

 空中で、一人空からデータリンクで情報収集と索敵に当たっていたθが、羨ましそうな表情を見せたが、ウインク一つですれ違ってそのまま――美神達の下へと飛び去った。

 

「韋駄天の使う、配達用の神器の模造品。ま、乗り心地は悪かろうが、我慢してもらおうか」

 

 にやにやと笑うカオス。だが、その笑いを引っ込めると、少し寂しそうな顔になる。

 

「犬飼忠夫、か。小僧、マリアの力まで借りておいて、負けましたじゃ許さんからな。・・・それにしても、もうちょっと未練くらい見せてくれんものかのぅ」

 

 空を飛んでいったのは、鼻歌くらい歌いそうな雰囲気のマリアであった、とは言わぬが花。

 

 そのまま飛ぶこと数十分。良い感じにシェイクされたエミ達を、模造品の名に恥じず爆音と閃光を伴って開放し、カオスからの逸品を美神達に渡し。冥子の式神のショウトラで傷に応急手当を施し。

 

 後は近くまで来ていながらも力尽きていた里の人狼組と合流し、そして、

 

 

―――彼らは、反撃の狼煙を上げたのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「よっ!マリア、良く此処が分かったなー」

 

「横島さんの・バンダナの発信機・周波数・把握しています」

 

 忠夫と合流したマリアの視線の先には、ドクターカオス謹製の破魔札と、手ずから練成した特別製の銀の銃弾、その他諸々の霊媒道具を駆使してフェンリルと戦う美神達と、首から青白い、とも金色の、とも取れる不思議な色の宝石を下げた人狼達。

 

「なぁ、あれってなんだ?」

 

「ドクター・カオスが作った・満月の光を・集めた・特製の・月光石です。一度その身に・受けられましたが?」

 

「・・・あー、成る程」

 

 それならば、一時の代用品としては十分にその役目を果たせるだろう。しかし、どう見ても元気一杯なわけが、カオスのそれとは何となく。

 

「この辺が痛いなぁ」

 

 一回喰らった場所が痛くなるような気もする訳で。

 

「さすり・ましょうか?」

 

「うえっ?!え、いや、その」

 

 優しく微笑みながら手を伸ばしてくるマリアに、わたわたとしてしまう忠夫であったが。

 

「それなら、拙者が舐めてヒーリングを」

 

「私がするから、あんたはとっととあっちにいってなさいよ」

 

 何時の間にか現れたシロタマが、ぐいぐいと互いを押し合いながら忠夫の胸に抱きついたところでビックリする。

 

「お、お前ら、あっちは?!」

 

「タマモ、どくでござる」

 

「其処の女、邪魔しないでよ」

 

「私の・役目です」

 

 ぐいぐいぐいぐい押し合いへしあいしながら、忠夫の懐に潜り込もうとする3人。当初の目的は何処に行ったのだろうか?

 

「あんたらー!いい加減にせんかー!」

 

 そんな事をやってると、所長がめっちゃ怒ってる訳で。何時の間にか近くに浮いていた幽霊の少女が、うらめしそうにこっちを睨んでいたりもする訳で。

 

「りょーかいしましたぁっ!ほらほら、いこうぜ、なっ?!」

 

「「「・・・ちぇ」」」

 

 不貞腐れる3人をなんとか宥めてすかして戦場に向かう。始まる前から気苦労が尽きない事である。

 

「あ、その前に、マリア」

 

「なんで・しょうか?」

 

「あのさー・・・・」

 

 

 戦いが、GS達の反撃が始まってから、数十分が経過しようとしていた。

 

 GS陣営も疲労が溜まってきており、霊力の残りも心もとない。冥子にいたっては緊張からか暴走寸前である。

 

 フェンリルも、流石にこれだけの数の差に加え、無力化したはずの人狼達の復活と、弱点である銀、そして、大量の手数に押されて徐々に傷付いていった。

 

「し、しぶといわねっ!」

 

『最早手段は選んでいられんっ!』

 

 美神の悪態に応えた訳でもないだろうが、毛皮を血に染めた陰念は、一旦大きく飛びのいてGS達から距離を取る。

 

『貴様らが数で押してくるのなら、此方も数で押すまでだっ!』

 

「・・・へぇ?おもしろいじゃない。やれるもんならやってみれば?」

 

 その言葉に、美神は面白そうな表情になる。一瞬慌てた他の面々も、その表情と言葉に僅かに下がって距離を取る。

 

『余裕ぶっていられるのも今のうちだっ!来いっ!ビッグ・イーターどもっ!』

 

 その声に応え、陰念の背後の森から大量のビッグ・イーターが―――

 

 

 

 

 ――現れない。

 

 

 

「あ~ら、どうしたのかしら?」

 

「うわー、めっちゃ楽しそう」

 

「美神君・・・いや、もう良い」

 

 今にも笑い出しそうなのを堪えながらの美神の台詞に、後ろの忠夫たちが呆れたような、疲れたような視線を送る。

 

『何故だっ!どうして――「馬鹿?あんたが自分で言ったのよ。純粋な人狼は、全てフェンリルの可能性を持っている、ってね?」・・・それが、それがどうしたっ?!』

 

 とっても意地悪な笑顔を浮かべながら、美神が先を続ける。

 

「分からない?つまり、フェンリル=純粋な人狼。魔族でもなく、メドーサの眷属の力も無くなってるとは思わなかったのかしら?」

 

「つまり、フェンリルになった時点で非可逆的に化け物どもを呼ぶ力を失ったという事じゃの」

 

 愕然とする陰念。それはつまり―――

 

「あんたは、とうとう一人ぼっちになっちゃった訳。ま、あんなのが仲間だって言う訳じゃないでしょうけど」

 

「フェンリルは、個体の最強。他の最強を認めないが故に最強、じゃからの」

 

『馬鹿なっ、馬鹿な、そんな事があって「寂しい?他の全てを否定しなきゃならない力。どう?手に入れた気分は?」』

 

 

 

 

―――なんだ、なんだってんだ?

 

―――俺は、力が欲しいと思った。

 

―――なんで

 

―――なんであいつらは

 

―――俺と互角にやりあいながら

 

―――あんなに沢山いるくせに、弱い奴らが集まっただけのくせにっ!

 

―――俺を哀れむような眼で見ていやがるっ?!

 

 

 

 

「それは、な」

 

 陰念の心の叫びが聞こえる訳でも無かろうに、哀れむような彼らの中から歩み出たのは忠夫、半人狼の、青年。

 

「お前が、弱いからさ」

 

『なんだとっ?!』

 

 最早、陰念の眼に狂気は少ない。瞳に浮かぶのは、悔恨と、諦念。

 

「もう一つの、俺たちの強さ。じっくりと見ていきな、お代はみてのお帰りだ。――個としての強さじゃない、仲間の、群の強さって奴だっ!!」

 

『ふざ、ふざけるなぁぁぁぁっ!!』

 

 無理やりに自分を叱咤し、必死で吼声を上げる。負けられない、負けてなんていられない。じゃないと、こんな姿になった俺が、俺の意味が――

 

「行くわよっ!皆っ!」

「了解っす!!」

 

 美神が、忠夫が。

 

「こっちも、負けてなんていられないのでねっ!」

「陰念っ!行くぞっ!」

 

 唐巣が、ピートが。

 

「全く、しんどい事ばっかりなワケっ!」

「ワッシは、お前には2度も負けるわけにはいかんのジャー!」

 

エミが、タイガーが。

 

「心配する事は無い。勝って帰れば、それなりの報酬は出すよ」

「私も~頑張る!」

 

 西条が、冥子が。

 

「イエス。ミス・美神」

「タマモ、兄上に良い所みせるでござるよっ!」

「あんたも偶には良い事言うじゃないっ!」

 

 マリアが、シロが、タマモが。

 

「皆っ!此処が正念場じゃぞっ!」

「無事に帰れば美神殿から宴会の援助があるでござるっ!」

「気合入れろよっ!」

「「「「応!」」」」

 

 そして、人狼達が。

 

―――傷つき、心の折れかけたフェンリルとの、最後の戦いが始まった。


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