月に吼える   作:maisen

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第四十三話。

「美神さーん!横島さん達戻ってきましたよ~!」

 

 満月の光に照らされて、仄かに浮かび上がる巨大な魔法陣。最早文字なのか絵なのかさえ定かではない複雑な模様を大量にばら撒き、無規則な規則性、とでも言えばいいのだろうか。

 

 円状に、中心に画かれた六紡星を囲むように設置されたそれらは、未だその機能を発揮してはいなかった。

 

「遅いっ!もう直ぐ満月が昇りきるって言うのに、一体何やってたの?!」

 

 腕を組んで仁王立ちになりながら、目の下に僅かに隈を残した美神の怒声がおキヌが手を振る先、忠夫と、人狼達に向かって投げつけられる。

 

「すんまっせん!」

 

 駆けつけた勢いそのままに、全力疾走からの急ブレーキで美神の横に滑り込む。その格好は修行時の黒い胴着ではなく、いつものジージャン、ジーパンに赤いバンダナである。

 

「シロ!あんたはさっさとその魔法陣の中心に行きなさい!」

 

「了解でござる!」

 

 美神の声に反応し、此方は駆けて来た勢いを殺さずに、そのまま跳躍。空中で僅かに姿勢を正すと、そのまま魔法陣の真ん中へと、音も立てずに着地する。

 

「西条さん、準備は良い?!人狼組とタマモは周辺の警戒を!」

 

 西条と美神が、魔法陣から少し離れた位置に立つ。二人の顔には、もう4日徹夜しているはずの疲れは欠片も見当たらない。既に精神の高まりが、肉体の疲れを吹っ飛ばしているのだ。

 

「多分、この前のあの場所で、陰念はフェンリルへと変わるはずよ。あの手の奴は自分の言葉に拘るから。こっちの切り札とあっちの切り札、おそらく発動は同じ時間、満月が最も高く輝く時」

 

 おキヌの差し出す栄養ドリンクの蓋を開けながら、人狼達、犬飼親子、犬塚父、長老に声をかける。

 そのまま口にビンをあて、中身を一気にあおる。

 

「んくっ、んくっ――ぷはっ!! それまで、何としてもあいつの接近を許さない事!こっちは月が昇りきってから儀式を始めるから、どうやっても先手を取られるわ。おそらく、時間にして数分。しっかり足止め頼むわよっ!」

 

「「「「応!!」」」」

 

 人狼達の声が唱和する。篭められた意思は皆同じく、「誇り」と「覚悟」だ。

 

「もうそろそろね・・・」

 

 美神は、今、夜空に浮かぶ月を見上げる。

 

―――全く、こんなに綺麗な月なのに、今日だけは憎ったらしく見えちゃうわね。

 

「ま、全部片付いたら景気良く宴会でもしましょーか」

 

「賛成ー!」

 

「場所は里でいいかの?」

 

「その際は、自家製の酒でも出すでござるよ」

 

「それはお楽しみだなー」

 

「ま、付き合うくらいならやってあげてもいいわね」

 

 視線を月から前に向け、並び立つ人狼達に話し掛ける。

 

 多少お金が勿体無い気もするが、ま、重い空気は好きじゃない。

 

 

「―――美神さん。月が・・・」

 

 

 軽く笑みを交し合う美神達の隣で、おキヌが空を見上げて小さな声で呟いた。全員の視線が、自然と上を向く。

 

 

 満月が、昇りきろうとしていた。

 

 

「・・・さぁ、気合入れていくわよっ!」

 

 美神の威勢の良い声と共に、その手に持ったビンが空高く舞い上がる。それは、夜の空気を切り裂きながら、離れた地面にあたって、

 

――――オオオオオオオォォォォォン・・・

 

 砕け散る音は、森に響き渡った禍々しい狼の遠吠えで、かき消された。

 

 

「わしらは先に出て足止めを。美神殿、シロを、頼みます」

 

「シロ、頑張れよー」

 

 忠夫の声を残し、人狼達とタマモは狼の声が聞こえた方へと駆け出していった。

 

「西条さん、冥子たちは?」

 

「まだビッグ・イーターに梃子摺っているようだ。どうやら更に大量に発生しているようだね。上手く嫌らしく、此方の戦力を削りに来てる」

 

「他の人狼達には色々と準備してもらっているから、そっちが間に合えば良いんだけど・・・」

 

「今更愚痴ってもしょうがないさ。始めようか」

 

 美神と西条は、瞑目しながら呪文を唱え始める。それは、月と狩猟の女神に捧げる言葉。

 

 人狼達を見守る、守護女神。

 

 美神達が言葉を紡ぐたびに、あたりの空気が清浄なものへと変わっていく。魔法陣に描かれた文字達が、淡い光を放ちながらその力を紡ぎ始める。

 

「兄上、皆、直ぐに行くでござるからな」

 

「皆さん・・・どうか無事で」

 

 待つことしか出来ないおキヌとシロは、悔しげに、そして祈るように月を見上げていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 忠夫達は、フェンリル狼と接敵の為に動いている。

 

「長老、聞こえる?」

 

「ああ。どうやら、暴れまわっているようだの」

 

 彼らの耳に届くのは、木々が薙ぎ倒される音と、何かが砕け散る音、そして。

 

『グオッ?!グオオオオッ!!』

 

 強大な力を持ったソレが、暴れまわる音だった。

 

「理性を失ったのかもしれんな」

 

「どういう事ですか?」

 

 森の中をかけながら、長老の呟きに問い掛ける。

 

「フェンリル狼は、力と、その凶暴さで危険視された魔獣。人狼の要素を含んでいるとは言え、理性よりも獣の本能が勝る故に真に人狼たる存在ではない。わしは、陰念とやらが魔獣の狂気に飲み込まれたとしても驚かんよ」

 

「・・・成る程」

 

 長老と犬飼達が前方でそう話し合っている時、忠夫とタマモはその後ろを付いて行きながら、互いに不満そうな表情であった。

 

「どーしても、シロと一緒にいるのは嫌なのか?」

 

「シロと一緒にいるのが嫌なんじゃないの。今更置いていかれるのが嫌なの」

 

 満月の光が有るとは言え、薄暗い森の中を疾走しながら互いを睨み付ける。完全に前を向いていないにもかかわらず、飛ぶように現れる木々や、足元の石ころを正確に避けている。

 

「だーかーら、置いてくんじゃないって」

 

「一緒よ。私は、忠夫についてくの。決めたのっ」

 

 ふん、とばかりに顔を背けるタマモに、困ったように頭を掻きながら忠夫が呟く。

 

「・・・全く、女の子なんだから無理だけはするんじゃねーぞ」

 

「も、勿論よ」

 

 互いに顔は見えていない筈であるが、しかし浮かぶ表情は全くの同一。

 照れたような、困ったような。そんな感情に隠された、僅かな笑み。

 

 

「背中が痒いでござる」

 

「若いのぅ」

 

「シロじゃなきゃ良い」

 

 しっかり親父達は聞き耳を立てていたようだ。

 

 

「ん、近いぞ」

 

 前を行く犬塚から、警戒を促すような言葉が掛けられる。

 

「・・・こっちに向かってきてるわね」

 

「本能だけで暴走する獣じゃからか・・・? 危険な物の存在を察知しておるのかもしれんのう」

 

 前方から聞こえる音が段々と大きくなってくる。自然とその歩みを止めた人狼達は、それぞれが左右にばらけて待ち伏せに入る。

 

 木々を薙ぎ倒す音は更に大きくなる。上空から見下ろせば、先日陰念と争った建物から一直線に美神達が設置した魔法陣まで伸びる破壊の痕が見て取れただろう。

 

――ソレだけが。その音は、左右に散会した忠夫達を押しつつむ様に聞こえてきた。

 

「まずいっ!フェンリルだけじゃないぞっ!」

 

「ビッグ・イーターも?!ふざけんじゃねーよっ!」

 

 それは、まるで牙のように。

 

 巨大な顎を持ったその化け物は、破壊音にまぎれて飛行しながら、木々をすり抜け忠夫達に迫っていた。

 

 そして。

 

『ガ、ガアアアアァッ!!』

 

 正面にあった巨大な樹木を打ち砕きながら、陰念が、狼の姿ではなく、全身を獣毛で覆い、だが人の姿に只獣毛を生やした、中途半端な半獣形態の陰念が、吼声と共に現れた。

 

 闇に紛れてよく見えないが、どうやら頭と腕に何か付けている様である。

 

「まだ、フェンリルになっていない、のか?」

 

 そんな犬塚の言葉に答えるように、陰念は苦しげに頭を押さえると、両手を地面につけて蹲った。

 

 ―――その姿が、一瞬ぼやけた。

 

「・・・安定していないようじゃな」

 

 一瞬、その一瞬に周囲に走った戦慄は、ビッグ・イーター達を目前にした忠夫達の動きさえも止めさせた。

 

 ぼやけた陰念に重なるように見えたのは、確かに『フェンリル』の像だったのだから。

 

 動きを止めた人狼達に、隙を突くようにビッグ・イーター達が群がる。しかし、その顎は目標に届く事無く消し炭へと変わっていた。

 

「ぼっとしてる場合じゃないでしょ!どうするの?!」

 

 狐火を放って第一陣を食い止めたタマモの声が響き渡る。その声に我を取り戻したかのように、人狼達も動き始めた。まるで、今感じた畏怖を振り払うように。

 

「まずは雑魚を除くんじゃっ!皆、背後には我らの切り札が、そして仲間が居る事を忘れるなっ!」

 

 長老の一喝で、一旦押されかけた人狼達が刀を振り上げ、霊波刀を突き出して応戦を開始する。

 

 辺りは、狼達の怒声と、ビッグ・イーター達の叫び声で満たされていく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 美神達にも、人狼の吼声は聞こえていた。

 

「始まったようでござるな。大丈夫でござろうか」

 

「意外と近いわ・・・シロちゃん、もうちょっと我慢してね。いま、美神さんが頑張ってくれてるから」

 

「分かっているでござるよ」

 

 そう話している間にも、戦いの音がじりじりと近づいてきているのを、その場にいた者たちは感じていた。

 

 

「・・・ビッグ・イーターにこのごっつい迫力って、まるでメドーサの劣化版じゃねぇか」

 

 どうしても忠夫は違和感を拭えないでいた。なにか、大事な事を忘れているような、直に思い出さなければいけないのに、それでも出てきてくれないその答えに、苛立ったように目の前のビッグ・イーターを薙ぎ払う。

 

「フェンリルの狂気に乗っ取られた? なら、なんで正確にこっちに向かってきてるんだ?」

 

「そりゃ、あっちに『怖い物』でもあるって思ったんじゃない?」

 

 ぶつぶつと呟く忠夫に、タマモが援護しながら話し掛ける。ビッグ・イーター達に囲まれるように動く陰念は、時折、辺り構わず八房を振り回し、その力を解き放っている。しかし、どうにも違和感が拭えない。

 

「・・・タマモ、お前、シロのところに妙な雰囲気でも感じるか?」

 

「多少ね」

 

「どんな感じだ?」

 

 乱戦の中にありながらも、陰念から眼を離さずに、タマモにしつこく問い掛ける。

 

「え~と、よくは分からないけど、アレかな?」

 

 タマモが指差したのは、天上で輝く蒼白い月。

 

「満月みたいな雰囲気が、ほんの少し」

 

「・・・長老!陰念が頭と腕につけてるの、何か分かる?!」

 

 少し離れた位置で、纏めて数匹の化け物を切り払った長老に問い掛ける。

 

「ああ、アレは俺が竜神王から貰った装具だ!空も飛べるし力も強くなるもんだが、この前あいつに一緒に盗まれたんだった!」

 

「そー言う事は早めに言っといてくれー!!」

 

 犬塚に向かって罵声を投げつけるも、とりあえず陰念は空を飛んだりしていないので保留しておく。

 

「これで空まで飛んでたら、本当にメドーサ並みに厄介やんけー!」

 

「メドーサって誰?」

 

 タマモが、ふと忠夫に問い掛ける。

 

「あー、この前やりあったえらく乳のでかいねーちゃんでなぁ。・・・いやぁ、ほんまにでかかった。是非嫁に「手が滑ったわ」うわじゃじゃじゃじゃっ!!」

 

 冷静に、忠夫の尻尾に着火するタマモ。こめかみに浮かんだ井桁マークは伊達じゃない。

 

「お主ら遊んでないでもうちょっと気合を入れるでござる!もうかなり押し込まれているでござるよ!」

 

 そう、気付けば戦場は、何時の間にか美神達に程近い場所まで移動していた。なにせ、此方はたったの5人。対して向こうは未だに背後の森からうじゃうじゃとビッグ・イーター達が湧き出してきているのだ。

 

 経過時間、3分。距離、およそ30M。状況は、進みつづけている。 

 

 

「美神殿っ!まだでござるかっ?!」

 

「黙って!こっちも必死なんだからそこでじっとしてなさいっ!」

 

 美神と西条の額には、大量の汗が浮かんでいた。どれだけ精神力で体力を補おうとも、4日間の徹夜は容赦なく美神達の体力と集中力の限界を近づけていた。

 

 そもそも、神を降ろすというのはそう簡単な事ではない。しかも、現在も崇められる存在であるならばともかく、今回の目的である人狼の守護女神は、本来ならば遠い昔に去った神。

 

 ・・・そう、本来ならば交信する事さえ難しい存在なのだ。

 

 そう言った諸々の要素が、更に美神達に負担を与える元凶となっていた。

 

「――令子ちゃん!」

 

「つかまえたっ!」

 

 しかし、彼女達が諦めた時点で終わってしまう。

 

 ならば、そう。

 

「来るわよっ!アルテミスがっ!!」

 

 諦めてなどやるものか!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 だが。

 

 

 「ソレ」は、唇を歪めると、突如としてその姿を消した。

 

 

「消えたっ?!」

 

「しまっ―――メドーサの劣化版ならっ!!」

 

『ジジッ―――既にこの世を去った私に、――ジッ―― 一体何用―――ジジジッ』

 

「貴方の力を借り『神を喰いに来た』」

 

 超加速。韋駄天と、小竜姫、そして、メドーサが使う、正に神の業。

 強大なエネルギーを用いて「世界を遅らせる」業。

 

 竜神の装具。その内に膨大なエネルギーを貯蔵した、人に、一時的にとは言え―――空を駆け、メドーサとも互角に争えるだけの力を与える、神器。

 

 

―――八房。斬った存在の『力を喰う』武器。

 

 

―――フェンリル。『神を喰らった魔獣』。

 

 

―――全ては、全ての因果は此処に集まった。

 

 

 一瞬の事であった。

 

 ほんの、瞬きほどの間に起きた事だった。

 

 静かに佇む陰念が、突如として姿を消し。

 

 降臨したアルテミスが、美神に問いかけ。

 

 そこに、超加速を解除して現れた陰念が、相手の霊力を奪う妖刀で、一刀の元に女神を切り捨て、衝撃が、魔法陣を中心に爆発し。

 

 

―――砂塵が収まった後に、其処に、ソレは、『居た』。

 

 

「・・・あ、あああ」

 

「フェンリル・・・」

 

 呆然と、目の前に座る魔獣を見つめるおキヌ。

 

 衝撃に吹き飛ばされ、外傷は分からないが完全に昏倒している西条と美神。

 

 吹き飛ばされながらも、なんとか立ち上がる人狼達。

 

 フェンリルは、陰念は、静かにそこに座っていた。

 

『ふん。ようやく、本番だな』

 

「前回、やけにあっさりやられたと思ったら、そう言うことか」

 

『そう言う事だ。超加速への対策なんてあるかどうか知らないが、用心はしておくに越した事は無い。お前らが対抗策としてアルテミスあたりを呼び出すだろう事は見当がついた。が、それを中止されるのもこまる。竜神の装具、GSどもからかき集めた霊力。エネルギーはこれでも余るほどだったがな』

 

 フェンリルの口から語られるのは、意外なほどに流暢な人語。

 

「神様は美味かったか?」

 

『フェンリルは、神を喰らった獣だ。神話を準えれば、それこそ神話に語られるだけの力を得られる』

 

「グルメだこと」

 

 呆れた様に呟く忠夫。しかし、その額に浮かぶ汗と、緊張でこわばった体、震える膝がその心境を語っていた。

 

『だから、こういう事もできる』

 

 陰念は、無造作に、頭上に輝く満月を見据える。

 

「ま、まずいっ!止めるんじゃぁっ!!!」

 

 長老が、必死に叫ぶ。しかし、目の前の存在は、そんなに生易しい物ではない。体が、動かないのだ。本能が叫んでいる。

 

―――アレには、勝てない。

 

 それでも、忠夫達は各々の武器を振りかぶり、走りよる。忠夫が正面、犬塚と犬飼が背後から、長老が右手、シロが左手から。

 

 陰念は、彼らをあざ笑うかのように、ゆっくりとその頭を月に向け、顎を開くと。

 

『月を喰う事も、な』

 

 ばくん。

 

―――閉じられた顎の先に、月の光は無かった。

 

「がぁっ!」

 

「くっ?!」

 

 途端に、人狼達から悲鳴が上がる。

 

『神話によれば、月食はフェンリルの子が月を喰らうから起きるそうだ。なら、その元が出来ても可笑しくないだろう? 人狼共よ、月に左右される程度の存在よ。お前らの力の根源を、無理やり奪われた気分はどうだ?』

 

 未だに陰念は動いていない。その巨躯を、只、座ったままで動かさず、只現れ、そして一回口を閉じただけだ。

 

 なのに、GS達は既に戦力の殆どを失っていた。

 

「ち、ちっくしょう・・・」

 

『ほぉ、まだ動けるのか』

 

 いきなりの霊力の枯渇に動けない人狼達、しかし、よろよろと立ち上がったのは忠夫であった。

 

「あいにく人狼は半分だけでな、後半分は人間だ」

 

『混ざりモノか。通りで』

 

「こっちも居るわよ」

 

 なんとか立ち上がっただけ、と言った感が強い忠夫に寄り添うように、タマモが傍による。

 

『妖狐か。確かにお前には関係ないだろうが、ソレが如何した?』

 

 す、と持ち上がるフェンリルの爪。

 

『たった2匹。群れる事も出来ない一匹の狼と、矮小な狐。最強の狼に勝てる訳が』

 

 振り下ろされる。

 

『―――ないだろう?』

 

 いっそ優しげな声と共に振り下ろされた爪から迸るのは、八本の斬撃。そう、八房のような、一閃で同時8回攻撃という、やたらと反則なその能力。

 

「うおおっ?!」

 

「きゃぁっ?!」

 

 陰念が、刀として振るっていた時とは比べ物にならないその破壊は、忠夫たちや倒れ伏す美神達を掠めながら、背後の森を削っていく。

 後には、薙ぎ倒された木々が無残な姿を晒していた。

 

「は、反則だっつーの」

 

「どうすんのよ、こんなの」

 

『どけ。邪魔だ』

 

 声に反応してそちらを見れば、腰を上げ、4本の足で立ったフェンリルが興味を失ったような瞳で見ていた。

 

『最早恐れる物は無いといっても、可能性は潰しておく。―――お前らは、見逃してやるさ』

 

 その瞳に浮かんだ色は、強大な、比類なき故の傲慢さ。そして、冷静に命を奪う事のできる冷酷さと。

 

 

 一瞬だけ見えた―――ほんの一握りの、悔恨。

 

 

 畏怖、恐怖。そして無力感。忠夫とタマモを襲った物は、ソレだった。

 

 瞳が嘲笑っていた。本当に邪魔なだけだと、面倒なだけだと。―――気紛れだと。

 

 腰が砕けそうになるのを必死で堪える。駄目だ、だってあいつの目は―――

 

『純粋な人狼は、全て殺す。フェンリルは、俺一人であるべきだ』

 

―――俺の仲間に向いているっ!!

 

「・・・おい、待てよ」

 

 フェンリルは、無視して爪を振り上げる。狙いは、シロ。

 

「ふざけるな」

 

 霊波刀を展開する。己を叱咤し、ともすれば砕けそうになる膝に必死で力を篭める。

 

「てめぇっ!俺のシロに何するつもりだぁぁぁぁぁっ!!!」

 

 大上段に振りかぶり、全力でフェンリルの頭に叩きつけようと飛び掛る。タマモが狐火を幾つも作り出しているのが、涙目で、恐怖に犯されながらも必死でそれを投げつけるのが視界の端に映る。

 

「―――っせりゃぁぁっ!!!」

 

「燃え尽きなさいっ!!!」

 

 全力のその一撃は、避けようともしないフェンリルの頭部に同時に着弾し、猛烈な爆風を生み出した。

 霊波刀を振り切った忠夫は、慌ててフェンリルを見上げる。

 

 全力だった。間違いなく。

 

 少なくとも怯んでくれれば、皆を担いで逃げるくらいは―――

 

 

『愚かだ』

 

 8つの斬撃は、煙の向こうから飛んできた。全くの無傷の陰念が放つ、感情を宿さない言葉と共に。

 

「がぁっ!!!」

 

「忠夫ーっ!」

 

 吹き飛んだ忠夫は、まるで鞠か何かのようにごろごろと転がり、体中から出血しながら地面に横たわる。

 

 怒り狂ったタマモが、再び狐火を放つのが見える。

 

 

「あ、・・・め、だ。にげ・・タマ・・・」

 

 動けない忠夫の目前で、再びなんら痛痒を感じていない陰念が、その爪を振り上げるのが見えた。

 

 タマモめがけて振り下ろされようとする爪。

 

 必死で動き回りながら狐火を繰り出すタマモ。

 

しかし、避ける事すらかなわず、タマモもまた悲鳴さえ上げずに吹き飛んだ。

 

『非力だな』

 

 フェンリルは、一瞥を忠夫にくれると、シロに向かって再び攻撃するつもりのようだ。

 

「ま・・・て」

 

『うっとうしいぞ』

 

 横合いから凄まじい速度で飛んできたフェンリルの尻尾に、ようやく立ち上がった忠夫は薙ぎ倒される。

 

「・・・あ、がはっ」

 

 右手と左足が、曲がらない方向に曲がっているのが見えた。

 

 意識を保つのも、それが限界であった。闇が、忠夫の視界を埋め尽くした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『―――諦めたか』

 

 それは、いつかの夢の中。

 

『心が折れたなら、そのままくたばれば良い』

 

 ゆらゆらと変わる色彩の中で。

 

『運がよければ見逃してもらえるだろう』

 

 頭が半分眠っているような感じであった。

 

『誰も責めんよ。力に差が有り過ぎる』

 

 影法師は、呟くようにそう言っていた。

 

『眠れ。諦めろ』

 

 視線に、感情は無い。只淡々と語るのみ。

 

『―――何がそんなに腹立たしい? 分かっただろう、力の差は。勝てない相手に突っかかるのは獣としては最悪の行為だ。もう一度言う、諦めろ』

 

 頭の中に、映像が浮かんだ。

 立ち上がる力すら無い筈の犬塚と犬飼が、歯を食いしばりながら立ち上がり、刀を構える様子が浮かんだ。

 

 長老がシロの前に立ち、フェンリルに向かって霊波刀を展開している様子が浮かんだ。

 

 気絶していた筈の西条が、美神が、それぞれ拳銃とボウガンを腕だけで構え、霞んだ目で必死に狙いを定めている様子が浮かんだ。

 

『無駄だ。月の加護を失った人狼と、ぼろぼろの人間で何ができる?』

 

 シロが、動かない体に血が出るほどに唇を噛み締め、今にも泣き出しそうな顔をしている様子が浮かんだ。

 

 タマモが、悔し涙を流しているのが見えた。

 

 二人の口が、動くのが見えた。

 

「・・・兄上」

「・・・忠夫」

 

 腹が立った。物凄く腹が立った。

 目の前で賢しい事を言う影法師と、一瞬でも諦めそうになった自分に腹がたった。

 

だから。

 

『がっ?!』

 

 とりあえず、目の前の馬鹿に、握り拳で八つ当たりしてみた。

 

「―――戯け、だったかな?誰かさんがえっらそうに言ってくれたのは」

 

 気付けば、その場所に立っていた。体が認識できず、夢のような、と思ったその場所で。

 

『未熟者。ガキ』

 

「そーそー。それもあるけど今はいいや」

 

 頬を殴られ、口の端から僅かに血を流しながら影法師が答える。微妙に口が歪んでいる辺り、喜んでいるようにも見えるが。

 

『やるのか?』

 

「やらいでか!!」

 

 即答する。いかにもひねくれ者の影法師、どうやら一回は試さないと次へと進ませてくれないらしい。気付いた後で殴ったのは、悪趣味が過ぎると思ったからだ。

 

『ならば、牙をとれ』

 

「また?」

 

『正確には、ようやく1本目といっても良いがな。今までの物は、これだ』

 

 腰に差した2つの小刀の鞘を示す影法師。

 

『基礎の基礎、内側への強化と外側への霊波刀。そして』

 

 その下に差した大刀を鞘ごと忠夫の前に突き出す。

 

「応用編、ってか?」

 

『違うな。本領だ』

 

 とりあえず、突き出された3本目を受け取ろう―――とした所で。

 

『選べ。どちらか一本だ』

 

影法師は、反対側に差した刀も忠夫に差し出す。

 

「・・・どう違うんだ?」

 

『フェンリルは、狼の中でも「最強の個体」。只一匹であるが故に、最強。その強さは身を持って知った筈だな? その個体への可能性、だ』

 

「まだるっこしいなぁ。もう一本は?」

 

『・・・その反対だ』

 

「んじゃそっち」

 

 あっさりと、実にあっさりとそれを選び取る忠夫。

 

『何故?何故そちらを「俺のキャラじゃねーよ。大体、それじゃ神様喰った向こうにゃかてんだろうが」―――そう言う問題でもないんだが、な』

 

 影法師は溜め息をつくと、フェンリルの可能性を握りつぶす。それは、至極簡単に影法師の手の中で砕け散った。

 

「んじゃ、行くわ。皆が待ってるんで」

 

『―――おまけだ。牙は4本。それは3本目。後一本は・・・自分で見つけてみせろ』

 

「えー、ケチ」

 

『さっさと行け』

 

「最後に。この牙はなんだ?」

 

『それか? その答えは―――』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「―――っらぁぁぁっ!!」

 

「あ、兄上?!」

 

「忠夫っ?!」

 

 陰念の爪が振り下ろされる直前に、その軌道に割り込む。狙いは、爪が振り下ろされ、八房の力が発揮される前。

 

 狙いは成功し、展開した霊波刀で、爪を斬り飛ばして弾き返す。

 

「あだだだだっ?! 体中が痛えぇぇぇぇぇ・・・」

 

 途端に軋む体。

 

「横島君・・・あんた、その格好」

 

 忠夫の体は、その顔をのぞくほぼ全身を、全身を真っ白な獣毛に包まれていた。

 

 それは、人狼としての戦闘形態。人の姿でなく、さりとて獣でもなく。その中間に在る者の真の姿。半獣の姿。

 

『月の光も無いのに、馬鹿なっ?!』

 

「うっさいっ!手前は一回ぶっ飛ばすっ!」

 

 ギン、と力を篭めて睨み付ける。

 

「俺の仲間に、女の子と嫁さん候補に手を出す馬鹿にっ!狼の流儀も知らない半端者にっ!!」

 

 骨は無理やりくっついただけのようだ。動くたびに激痛が走り、いい加減にしてくれと体が文句を言っているようだ。

 

「半人狼の先輩が、元人間の後輩に! 狼の仁義って奴を! 半端者同士、一から体に叩っこんでやらぁっ!!」

 

―――それでも、やってやれないこたぁないっ!!


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